今日は右の小指のささくれが痛いから死ねない

自分をころすシミュレーションだけはしておこう。

いつか死ぬことは、知っている。
ただ、それを早めたいと考えた。
なので、いつか死のうと思った。

どうしようかと、わくわくしながら計画を紙に描いてみる。
苦しむのは嫌だから、一粒で死ねる薬を買おう。
身辺整理をして、すっきりさせよう。
旅行して、棺桶に入れてもらいたいものを探すのもいいかも。
迷惑掛けたくないので、遺書も書かないと。
自分で選べるなら、やっぱり未練はなくして死んでみたい。
自由が利くのが、自殺の醍醐味。死んだことないからわからないけれど。

こうして書き出すとすぐにはできないこともあって、まだ死ぬ時期ではないことが一目でわかる。
きちんと死ぬためには、事前の準備が必要なのだ。
死は人生よりは平等だが、優しくはないからしっかり計画を立てないといけない。
そうでないと、思わぬところで死んでしまう。
この世界のどれだけの人が、「今日、死ぬよ」と納得して死体になったのだろうか。
死んだ人を思うと焦燥感に駆られるが、焦ると台無しになってしまうから我慢する。
完璧な死とまではいわないとしても、監督脚本主演雑用、全てが自分の作品だからこそこだわりたくなった。
創作と少しだけ似ている気がした。

わたしは、理想的に死ぬために生きている。
生きたくて死んだ人とは真反対だなあと、感じながらも
確かに死ぬために生きれるのは、贅沢なのだろう。
死の選択があって、望んだように死ねることは幸せだ。

だから、今日は右の小指のささくれが痛いから死ねない 。
ささくれの痛みを気にしながら、死ぬのはちょっと、ごめんなさい。

今日は右の小指のささくれが痛いから死ねない

つかれた。

今日は右の小指のささくれが痛いから死ねない

詩がわからないのでエッセイにしました。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-06-17

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