幻の楽園Paradise of the illusion(六)
幻の楽園(六)波を追いかけて
僕は、サーフィンを始めた頃のワクワクした気持ちを取り戻したいと思ってた。
あの頃の大切な何かを、いつの間にか何処かへ置き去りにしてきたんだ。
大人の言い訳をしながらね。
フト、立ち止まりあの頃をふり返ってみる。
風まかせに波を追いかけて、いい波を
やっと見つけてサーフィンする。
あの頃は、ハッピーだったと気づく。
「地の果てまで来たよ。ここは、きっと楽園に違いない」
彼のこの言葉を聞いてから忘れた事はなかった。
あれから、時は随分過ぎ去っていったけども。
この言葉を思い出すたびに記憶が鮮明に蘇ってくる。
*
自分たちで苦労して探し当てて、いい波を見た時の感動や喜びは希薄になってしまった。
今は、そんな苦労をしなくても日本全国どころか世界中の波の情報を簡単に知る事が出来る。
いいポイントを探す時間も苦労しなくて済むようになった。
便利でいい時代だけれど、
便利さが当たり前の日常になってしまったんだ。
探す手間は無くなり、効率よくいい波を見つけてサーフィンする。
それは、それで便利で良い事なんだけどね。
あの頃の大切な何かが失われた。
*
山羽高広。
彼は、仲のいい同級生だった。
ティーンエイジャーの頃から、よく遊んだ仲間の一人だ。
彼は、大学生になった春からサーフィンを始めてから一気にのめり込んだ。ライフワークの全てがサーフィンを中心に回っていた。
大学四年生の頃には、一端のサーファーだった。
その頃に、僕もサーフィンを始めた。
まだ、ファンサーファーだったけど次第に波乗りの魅力に取り憑かれていった。
あれは、二十二歳の夏だった。
彼が帰省した時に、共通の友人達の定期的な夜の集まりで久しぶりに会った。
その時、お互いサーフィンをしている事がわかり意気投合したって訳。
彼は、彼は大学を卒業すると帰省して地元に帰ってきて会社に就職した。
都会に就職するか、地元に帰るか悩んだ挙句に帰る事を選択した。
その理由も、こっちの方が波がいいからだと日焼けした笑顔て言っていた。
それから地元に帰ってきた彼と一緒に何度もサーフィンをした。
たまに、二人のサーフ仲間、鈴木 雄二と本田麻子も加わった。
最後にサーフ仲間三人と会ったのは、二十五歳の冬だった。四人で食事をした後バーで飲み明かした。山羽は、遊べるのも独身のうちだけだなと溜息混じりに言ってた。
その頃から、みんな忙しくなりサーフ仲間とも少しずつ会わなくなった。
それでも、夏の間だけ一人でサーフィンに出かけたりした。
あれから随分と時間が過ぎ去った。
山羽と久しぶりに再会したのは、二十七歳の冬だった。
共通の友人達の新年会に誘われて久しぶりに彼と会った。
*
彼は、僕がサーフィンを続けている事を知るとサーフィンに僕を誘った。
「久しぶりに一緒にサーフィンをしにいかないか。来いよ」
「この真冬にか?」
僕は、冬はサーフしない派だったから。
「ばか、冬は冬でいいんだよ。それに、海水は、そんなに寒くないよ。まあ、風が吹いてくると顔や手足は寒いけどね」
「へぇ。そうなんだ。冬は、やらないから冬用のウェットスーツは持ってないよ」
「冬用のウェットスーツが、もう一枚あるから使いなよ。確かサイズは一緒だろ」
「借りれるなら行くよ」
「じゃあ、決まり。土曜日の早朝に、車で迎えに行くよ」
「何時?」
「そうだなぁ。四時には出たいな。その頃に、家に迎えに行くよ」
「わかった」
「寝坊するなよ」
「あぁ」
*
土曜日の午後四時前に彼は自分のブルーのステーションワゴンに乗って僕を拾いに来た。
行く時間がくると、何故かワクワクした。何故かね。
夜明けまでには、まだ長い夜が続く。家の外に出たら吐く息が白い。たちまち、指先の感覚が寒さでなくなってくる。
天気予報は、冬の快晴。厳しい寒さは少し緩んで日中は暖かくなるだろうと言っていた。
今日の最低気温は2度あたりだった。日中は、14度あたりまで上がりそうだった。
天気図からして、いい波が来るポイントがあるはずだ。
早朝の暗い時間に起きて、彼のステーションワゴンで西へ走らせた。
ステーションワゴンの後部座席のスペースは、サーフボードにウエットスーツや荷物を、思いのまま詰め込まれていた。
音楽を聴きながら、彼はステーションワゴンを西へ走らせる。
相変わらずハウスやアンビエントテクノなんて聞いている。
僕達は音楽の趣味も似ていて、よくクラブなんかにも遊びに行った記憶がある。
途中、海岸線の自動販売機が並んでいるスペースに車を止めて、暖かい缶コーヒーで二人は夜明け前の冷たい風の中で休憩した。
向かいの対向車側は防波堤が続く。
その向こうはまだ夜の闇に包まれている。
穏やかな波の音だけが聞こえて来る。
時折、潮の香りのする冷たい風が吹いてきた。
冷たい潮風は、僕達の頬をかすめて潮の香り残して夜のしじまに消えてしまった。
*
僕達の乗ったステーションワゴンは、何時間もかけて海岸に沿って走って行く。
暗闇だった空は、蒼からブルーに明るく変化していく。やがて、冬の青空と朝焼けの色に染まった。
昇ってくる朝日を背後に、彼はステーションワゴンを疾走させた。
*
国道沿いにある小さな町の海岸に、着いたのは午前中の遅い時間だった。
ここはサーフポイントで、有名な海岸だったけど残念ながらいい波はなかった。
あの時は、インターネットも普及していない頃だった。
今のようにインターネットで、リアルタイムに波の情報が入る時代ではない。
天気図を見て予想したり、サーフポイントを見て回る方法しかなかった。
彼はさらに西へステーションワゴンを走らせて、海岸を観てまわった。
波を追って一日中走る。
これは、素敵なことだ。
そして、楽しい。
「そうだ、鈴木も呼ぼう」
「え、今からか?」
「たまには、いいじゃない」
「多分、仕事だよ。こないだ、土日も仕事だって言ってた」
「不満そうに?」
「まあね」
「じゃあ、麻子は?」
「えっ。随分、会ってないなぁ......」
「なんだ、台風の夜から麻子と付き合ってなかったの」
「あぁ。まぁね......」
「なんだ、そうだったんだ。仲良さそうだったし恋人かと思った」
「あの台風の夜まで、僕は君と麻子は恋人同士だと思っていた」
「えっ?違うよ」
「違う? 初めて麻子に会ったのは、山羽が麻子をサーフィンに連れて来た時だったよな。僕は、山羽の彼女だと思っていた」
「まあ、親密な関係ではあったんだけど、恋人て感じではない」
「へぇ......。そうだったんだ」
「麻子は、平均的な女性像からかなり逸脱した存在なんだよ。一筋縄ではいかない」
「自由奔放で、気まぐれで、わがままで、寂しがりやで、優しくて、貞操観念なんてまるで無い......」
「美人で、可愛くて、かなり官能的で、それでいて、凜としていて、お洒落で、運動神経抜群で、会話が上手で、頭も良くて......」
「彼女の魅力を語るときりが無いな」
「なぁ。あの夜。麻子と何かあった?」
山羽が興味津々で聞いてきた。
「台風の夜の事か」
「ああ」
「あれは、君の計画的犯行だろ」
「ははは」
山羽は、笑った。
「僕は、君と麻子が恋人同士だと思っていた。あの日、僕達をホテルに残して走り去ったよね。あれ、彼女じゃないのか?しまったはめられたと思った」
「ははは。仕方なかった」
*
あの夏の日。そうだ。台風がこっちに向かってる日だった。
その年の最高の大波がきた日だった。
あの日、僕と山羽と麻子の三人で一緒にサーフィンに出かけた。
天気の良くない日曜日の朝だった。
僕は、部屋でぼんやりしていた。
突然、リビングの入り口の電話が鳴った。
僕は、気怠そうに立ち上がると入り口へ歩いて受話器の前で立ち止まった。それから受話器を取った。
「はい、川崎です」
と、だけ言った。
「あー。慶?俺?俺だよ。山羽」
電話の向こうの声は、山羽だった。
「あ、山羽か。どうしたの」
「どうしたもこうしたもあるか。今朝の天気図見たかよ」
「えっ。見てないよ」
「台風8号がいい位置に来てるんだよ。絶対この位置は大波が来るぞ」
「本当かよ。今、何処?」
「バーカ。君の家の前だよ」
「えっ?」
僕は、窓際へ歩いていき窓のサッシを開けた。山羽のブルーのステーションワゴンが止まっている。脇に山羽が立ってこっちを見て手を振った。
「慶。急げ。今から行かないとな」
「うん。行こう」
すぐに着替えて荷物を持つと玄関へ歩いてスニーカーをつっかけて外に出た。
どんよりと曇った灰色の空に、少し風が強い。雨はまだ降っていない。
雨の香りがする。台風が近づいてくる気配が濃厚だ。湿度の高い空気。気温も蒸し暑く高い。
ガレージから自分のサーフボードを抱えて山羽のステーションワゴンに入れた。
持ってきた荷物もボードの上に放り込んだ。
「慶、早く車に乗れよ。行くぞ」
「あぁ」
僕がステーションワゴンに乗ると緩やかに発進した。
*
灰色一色の空からフロントグラスにパラパラと雨粒が霧のように降りかかってきた。
目抜き通りの並木が、時に風に大きく揺れている。
「そろそろ雨が降りだすな」
山羽が空を仰いで言った。
「鈴木は?」
「あぁ、仕事だって。あいつかなり悔しそうだった」
「年に一度あるかないかのビッグウェーブのチャンスなのにね。仕事なんかすっぽかして来ればいいのに」
「仕方ないさ」
「麻子は」
「行くてさ。いまから迎えに行く」
「うん」
ブルーのステーションワゴンは、発進すると急加速して彼女のマンションに急いだ。
山羽は、サーフィンの大波も目的だけれどもう一つ目的があった。
それを僕はまだ知らなかった。
*
麻子はマンションの入り口で荷物を持って立って待っていた。
綺麗な身体のラインを魅力的に包み込むような服だ。
ランニング用のショートパンツを、アレンジした黒い光沢のあるショートパンツに淡いパール色の入る白いシルクのキャミソールを着ていた。華奢なヒールのサンダルを履いている。
彼女は、大きいゴールドのリングピアスをしてネックレスやブレスレットもゴールドで揃えていた。
ショートパンツからヒールまでの脚のラインが美しく魅力的に見えた。
それを見て山羽が口笛を吹いた。
「おい、見ろよ。今日は、いちだんといい女に見えるね」
「あぁ」
僕は、彼女を熱い視線で見つめた。
「しかし、これから台風の近づく雨の中でサーフィンに行く格好じゃないねぇ」
山羽は苦笑いした。
「リゾートホテルへ誰かと逢いに行くつもりかもね」
「ははは......。そうかもな」
二人で静かに笑った。
山羽のステーションワゴンはマンションの入り口に滑り込むように停止した。
山羽は、窓ガラスを下げながら麻子に微笑した。
「お待たせ」
「遅ーい。待ったよ」
「ごめん。渋滞しててさぁ」
「嘘ばっかり」
「さぁ、早く乗って行くよ」
彼女は後部座席に飛び乗るなり言った。
「貴方達て素敵ね」
「えっ?今頃、気がついた」
「こんな天気に、女の子を波乗りデートに誘うなんて普通の男じゃないわ」
「この滅多にない絶好のチャンスを分かち合う為に誘ったんだよ」
「僕達にドキドキしちゃうの」
山羽が戯けるように言った。
「バカね」
麻子はそう言って笑った。
三人の乗るステーションワゴンは、急発進していつもの海岸のサーフポイントに向かった。
*
岬を回った辺りに下流の河川がある。三人は、そこで見たこともない大波を見た。
山羽が歓声を上げた。
何フィートあるだろう。今まで見たこともないビッグウェーブが立ち上がっては畝りと共に押し寄せてくる。
「今が絶好のチャンスだな。のんびりしてたら乗り損ねるぞ」
「あぁ。多分半日持たないね」
「波が荒れ始めるまでは楽しめそうだ」
早速、三人は準備をするとサーフボードを抱えて海岸へ歩いた。
波打ちぎわまで歩いてそのまま入水する。
途中からボードに横たわり、波に身を任せてパドリングを始めて海に向かった。
*
三人は大きな波に何度も乗った。
綺麗なチューブの中を何度も潜り楽しんだ。
午後を過ぎた辺りから、波が荒レ始めた。雨脚も強まってきた。
パドリングして近づいてきた山羽が僕に言った。
「おい、そろそろ切り上げるよ」
「そうだな」
「麻子は?」
「あー。先に引き返したみたい」
「帰ろう」
二人は、パドリングして陸へ引き返し始めた。
*
僕と山羽は、脱衣所で熱いシャワーを浴びた。着替えを済まして外に出た。先に麻子が着替えて外側にあるベンチに座って待っていた。
「お腹空いてきちゃった。ねぇ。どこかで食べない」
「そうだな」
三人は、後ろからサーフボードと荷物をステーションワゴンに入れた。それから、皆んな車内に乗った。
解放感のある車内は、心地よい沈黙に満たされている。
先ほどから降り出した雨は、雨脚が強くなりフロントグラスを叩きつけるような土砂降りに変化していく。
ステーションワゴンのワイパーが時折、雨で歪んだ海の風景をクリアにした。
山羽は、カーラジオをつけてFM局に合わせた。
*
Welcome to the afternoon lounge. Ocean Bay FM.
皆さん、こんにちわ。オーシャン ベイFMの七海 理央奈です。
午後の微睡みの時間に、音楽を添えてお送りいたします。
さて、そろそろ台風8号が本州付近に上陸しそうです。
もう、既に公共の交通は全面的に運休になっています。
勢力の強い大型台風8号は、夕方に本州に上陸した後、遅いスピードで夜には関東方面を通過します。明日未明には温帯低気圧に変わる予報になっています。
お帰りの方は、十分注意が必要です。
さて、今日の一曲目。
太陽の彼方に MOVIN' Astronants
*
曲が終わる頃、山羽がとんでもない提案をした。
「悪いけど、今から用事で行かなきゃならないところがあるんだ」
「へぇ、そうなんだ」
「君達の家とは逆方向だから、悪いんだけど二人でホテルに泊まってくれるかな」
「えっ」
「駅で降ろしてよ。電車で帰るから」
「さっきFMで言ってたじゃないか。公共交通は、もう止まってるから帰れないよ」
「そうなの。仕方ないわ」
「慶、悪いな」
「あっ。あぁ......」
僕は、呆気にとられていた。よく頭が整理できていない。
山羽とステーションワゴンは、僕達と反対方向に用事がある。台風だから公共の乗り物は全て止まっている。
僕と麻子は、帰れないから台風が過ぎ去るまでホテルで一夜を過ごす。えっ?ちょっとまて、えぇ?
胸騒ぎのする週末の午後。
降りしきる雨は、少しずつ激しくなって行った。
*
しばらく土砂降りの雨の中をステーションワゴンで走った後、三人は海沿いのレストランに入って食事をした。
こんな天気にレストランは誰もいなかった。
海の見える窓際の席に三人は座った。
大きいガラス張りの窓際は、土砂降りの雨に濡れて水滴が幾度も流れ落ちている。
窓の向こうの海も灰色にぼんやりくすんで見えた。
「閑古鳥だな。貸切?」
注文を済まして山羽が戯けたように言った。
「バカね。こんな日にワザワザドライブする人なんていないのよ」
「ここにいるじゃない。ドライブどころかずぶ濡れでサーフィンまでするバカが」
「本当に貴方って人は、生きていく事さえ冗談気分なのね」
「ハッピーでいたいだけなのさ」
至って普段通りの山羽と麻子を黙って僕は見た。
僕は、内心穏やかでなかった。
冷静にこれから起こる事を予感していたからだ。
*
山羽は、国道沿いのホテルの入り口で僕と麻子を下ろして走り去った。
二人は、ロビーへ歩くとフロントで部屋の予約をした。
事実上、麻子と二人っきりでホテルに置いてきぼりだ。
何故かこんな日に限って、ホテルの部屋は一室しか空いていなかった。しかもダブルベット......。
「しまった。あいつ、最初からそのつもりで誘ったんだ......」
「どうしたの」
「あ、い、いや。なんでもない......。それより、僕と一緒の部屋なんだけど......いいのか」
「部屋が一つしかないから仕方ないのよ」
二人は、ロビーの入り口にあるエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターが上昇する間、二人は沈黙していた。
何とも言えない気持ちでエレベーターの点滅する数字を見ていた。
7階まで上昇した後、停止してエレベーターのドアが開いた。
奥まで細長い廻廊のようなドアの向こうに、非常口の古いライトが時折点滅している。二人は廻廊を静かに歩いて奥まで行くと701号の部屋のキーを開錠して中に入った。
僕は、部屋の明かりをつけると彼女が部屋に入ってきた。
僕は、ドアを閉めると鍵をした。
二人は、部屋の奥へと歩いた。Lの形をした部屋の真ん中まで歩くと奥の部屋全体が見えた。
窓ぎわは、ベージュのカーテンが引かれている。
清潔感のある白いシーツのダブルベットに、手前に机の付いたドレッサーとクローゼットがあった。
その隣に白い小さい冷蔵庫が見えた。
簡素な構造で落ち着いた雰囲気の部屋だ。
「あー、疲れた」
麻子は、ダブルベットの近くまで来てベッドの上へダイブした。
彼女の身体がリバウンドしてから落ち着くと、横向きに寝て頬杖をついた。
それから、僕の方に視線を移すと微笑した。
僕は、どう応えていいのかわからない様な表情で、とりあえず微笑してみた。
*
冬の海は穏やかで静かだった。なかなか、いい波がないまま真昼を少し過ぎた。彼のステーションワゴンは、半島を周り波を探した。
冬の半島には、すれ違う車も、人もいなかった。
彼はステーションワゴンで走り続けて、
半島の小さい漁港の町まで車を走らせた。
そこは、誰もいない様な閑散とした町だ。
彼が運転しながら独り言のように言った。
「地の果てまで来たよ」
僕は彼の言葉に、共感した。
「そんな感じだな」
「きっと楽園に違いない」
「楽園?」
「あぁ。僕にとっては楽園さ。いい波が、きっと待ってるよ」
「楽園か......」
「いい波に逢える予感がするんだ」
*
僕達は、遂に漁港の近くにある入江で綺麗なチューブ状の波を発見した。
波間に、波を待つサーファーのシルエットが沢山見えた。
山羽と僕は、お互いの右手をハイタッチして歓声あげて喜んだ。
彼は、急ぐ様にステーションワゴンを空き地に駐車した。
エンジンを停止すると、僕の方をみて微笑した。
「さあ、行こう」
波に乗る時間だ。心はすでに自由に解き放っている。
「あぁ。ok」
早速、僕達はウェットスーツに着替えると、サーフボード片手に海へ入っていった。
僕達は、夢中で波を楽しんだ。
そう、夢中にね。なんてゆうんだろう。あのハッピーな気分は、説明できない。
夢中で波を楽しんだ後、二人は昼食を兼ねて海から上がった。
*
僕達は、海を見ながら防波堤に腰掛けた。早朝の峠の手前で買った弁当のパッケージを開けた。おにぎりと卵焼きが二つづつ詰められている。その脇にいい感じでお新香が二枚盛り付けてある。二人はおにぎりを取り出して美味そうに食べた。
食事の後は、話をしながら海を眺めたり。昼寝をしたりして少しのんびり午後を過ごした。
それから、再び太陽がオレンジ色に輝いて水平線に降りてくる頃まで、波の上で過ごした。
*
黄昏が過ぎた辺りに海から上がって、着替えてから僕達はステーションワゴンに乗った。
「俺、明日は休みだ。きみは」
「んん......。予定がないわけでは無い......」
「なんだ、明日はデートか?」
「まあ、そういったところだな」
「今日の波は、よかった」
「うん」
「明日もいい波が続く予感がする」
「そうだね。多分いいと思う」
「ここで一泊して、明日を待つ」
「そうしよう」
「ドタキャンするのかよ。悪い男だな」
「まあ、仕方ないさ。そそのかしたのは、君だ。共犯者だよ」
山羽は、にやにやと笑った。
そしてこう言った。
「テントやキャンプ道具は、ステーションワゴンにほうりこんである。今夜はキャンプして一泊してから早朝からサーフィンだ。そうなるとデートはキャンセルだね」
「あぁ」
「そしたらと、食料調達しに行こう」
彼は、僕を見て微笑した。
*
僕達は国道の途中にあった温泉に入り、帰りに量販店で食料や飲み物を買い込みキャンプ地に帰ってきた。もうその頃には、日も暮れて夜になっていた。
途中、国道沿いの電話ブースから僕は彼女に電話した。
今の彼女は、南沢遥と別れてから出会った女性だ。
五度目のコールのあと彼女がでた。
「はい、松嶋です」
「あ、優子?もしもし。僕だけど」
「慶くん。どうしたの」
「あのさ、明日のデートなんだけどね。ごめん。急用が出来ちゃって行けそうにないんだけど......」
しばらく沈黙の後、彼女は応えた。
「そう。仕方ないわ」
「本当、ごめん。また、連絡するよ」
「いいの」
「うん」
「それじゃあ」
「うん」
「またね」
「また」
電話は、淡々とした雰囲気で終わった。
多分、怒ったりしてるんだろうけど。彼女は、変に感情的に絡んだりしないで淡々としている。
そうした彼女らしさは、ある意味付き合いやすいんだけど、何処か理解し合えてないんじゃないだろうかと不安になったりする事もある。
仕方ない話なんだけど二人の間に、微妙なズレを、感じてしまう事がよくある。
何処かスッキリとしない気持ちがあるものの、今から始める事で気持ちを切り替えたかった。
「どうだった」
ブースの外に出てきた僕の顔を伺いながら彼は言った。
「うん、ok」
彼は、微笑した。
「彼女泣かせちゃってぇ。悪い男だなぁ」
「君がそそのかしたんじゃないか」
「まあな」
彼はニャリと意味深に笑った。
「それに仕方ないだろ。久々にいい波に乗るチャンスなんだから」
「そうさ、またとない親友との波乗りの絶好のチャンス」
「そのセリフ、前に聞いたな」
「あの夏の日だ」
「そうだ、それそれ」
「あの夏の日。確かに僕はそう言ったんだ」
「あの夏の日。そうだ。夢に見たような大波が来た日だ。いつか見たサーフィンの映画の中にいるみたいだった」
「エンドレスサマーだっけ」
「そうそう。限りなく夏を追いかけて波に乗るんだ」
「夢のような」
「うん」
「あの夏の日も夢のようだった」
「あー。完璧な夏の中にいたね」
「完璧だった」
二人は、あの夏の日を思い出して笑った。
「よし、キャンプの準備だ」
「あぁ」
二人は車へ歩き出した。
*
キャンプ用のランプを点灯して、キャンプの敷地で二人でテントを設置した。
やっぱりキャンプは彼だよな。いつものように手際よく作業を進めて短時間で完成した。
テントの前で、焚き火を起こして折りたたみの椅子を並べて座った。それからバナーで湯を沸かした。
まず、缶ビールで乾杯した。
「それじゃ、明日のいい波に」
「あぁ」
「それと、デートをドタキャンした君に乾杯」
僕は舌打ちしながら缶ビールを掲げた。
「仕方ないさ......。乾杯」
二人は、鍋で米を炊いた。
それから、もう一つの鍋で湯を沸かすと固形コンソメを入れてスープを作った。それへ、粗挽きソーセージやブロッコリーや人参それにインゲンなど野菜を放り込んだ。
しばらく煮込んであくを取って塩胡椒して簡単なポトフを作った。
二人は、何度かに分けて食材をスープへ何度も入れて煮込んで食べた。
簡単な料理でも、自然の中で食べると格別に美味しい。
二人は、食事をしながら昔話を始めた。
*
「毎日、毎日。飽きもせずにさ。大波が来る事を信じて波を追いかけてたな」
「あぁ。懐かしいな」
「全く波がない日は、ガッカリしてさ」
「うん」
「けどさ。幸せだったな。夢中で波を追っかけてたあの頃が」
「そうだね。幸せだった」
「お前、彼女とどうだったんだ。あの日」
「えっ」
「とぼけるな。あの夏の台風の日だよ。最高のビッグウェーブの日」
「あれは、計画的犯行だろ」
「あははは」
山羽は、ニヤニヤして笑った。
「恋人、友達、それとも男と女の割り切った関係」
「そっちこそどうだったんだ」
「さぁな。麻子次第だった」
二人は、振り向いて目を合わせると声を出して笑った。
*
夏の台風が来た日。サーフィンを楽しんだ後、麻子と慶をホテルに置いてきぼりにして走り去った山羽。
しかもホテルは一室しかなくダブルベッド......。完璧に彼にはめられた。と、思った。
先にシャワーを浴びてきた麻子が、バスタオル一枚を巻いたまま部屋に入ってくる。
僕は、見てはいけないものを見たようなそぶりでチラチラと彼女を見た。
「ねぇ。今日着替えた脱衣所てさ。いつできたの?」
「三年くらい前かなぁ......」
「えー。知らなかった。東側でずっと外の木陰でタオル巻いてコソコソ着替えてた」
「あの辺のサーファーは、皆んな知ってるよ」
「えっ。嘘」
「ひょっとして誰かに見られてるかも」
「やだなぁ」
「誰かに見られるのは嫌なんだ。僕が見てる前では、平気で着替えるのにな」
「別に、気にしない。それに......」
「それに」
「慶なら私の裸。見てもいいよ」
僕は、麻子の言葉につい胸が高鳴ってしまった。彼女に悟られない用にクールなふりをして言葉を返した。
「えっ。見てもいいのかよ」
「うん。いいよ」
「変な想像をしないわけでもない」
「変な想像?」
「具体的に露骨に言うのか」
「別に私は平気よ」
二人は見つめ合った。どちらともなく自然な雰囲気で抱き合い口づけをした。
麻子の巻いていたバスタオルがはらりと外れてフロアに落ちた。
その夜二人は初めて関係を持った。
あの夜、台風が通り過ぎる夜に朝まで僕と麻子は一つになった。
*
次の朝、二人は、ダブルベットで目を覚ました。麻子が、裸のまま窓まで歩いてカーテンを開けた。
窓を開けると朝日が眩しい。
外は、昨日の出来事が嘘だったかのように晴れ渡った夏空だった。
台風の通過した夏の空は、雲ひとつない透明に近いブルーだった。
フイに携帯電話が鳴った。目覚めの気怠い声で電話に出た。
「おはよう。慶」山羽の声だ。
「あ、おはよう」
「どうした。眠そうだな」
「いや、そんなことない」
「さては、眠れなかった?それとも」
山羽は、意味ありげなニュアンスで言った。
「そんなことないよ」
受話器の向こうで山羽が笑っている。
「そうか?俺はてっきり一晩中ずっと離してもらえなかったような声に聞こえたよ」
「バ、バカ言え」
僕の言葉に彼は笑った。
「今から、車で迎えに行くよ。三人で夏のドライブに行こうか」
まったく反省の色もなく......。しょうがない奴だ。
「あぁ。そうだな」
「山羽なの」
麻子が隣に来て耳元で囁いた。
「そう山羽。車で迎えに来るてさ。夏のドライブに行かないかてさ」
「そうね。いいかもね」
麻子が、気怠く応えた。
*
電話の後、一時間程で山羽がステーションワゴンでホテルまで迎えきた。
三人は、台風の通り抜けた透明な夏空を楽しむドライブに出かけた。
運転しながら悪戯ぽく笑う山羽。
「おい、慶。大丈夫かよ」
「えっ?何が」
「で、どうなんだよ」
山羽の問いを遮るように麻子が言った。
「慶。もう、バカはほっといていいわ」
「はっはは......」
山羽は、悪戯っぽく笑った。
台風の去った午前中。空気は澄み渡り爽快だった。三人は海岸沿いの国道をドライブした後、道沿いのかき氷の旗を見つけて車を停めた。
簡素な作りの建物に氷の旗が潮風に揺れていた。
夏の光とは、対照的に建物の中は薄暗い。
誰もいなかった。静かに扇風機が回っている。
簡素な作りのテーブルや折りたたみの椅子がある。壁には、古くなった紙に手書きでメニューが貼り付けてある。
「すいません。誰かいますか?」
山羽が声をかけた。
しばらくして、初老の男性が奥から出てきた。
三人を見て、初老の男性は皺だらけの笑顔になった。
「いらっしゃいませ。ご注文は」
と、小さなしゃがれ声で言った。
「えーと。俺は、苺ね。練乳もたっぷりね。慶はどうする」
「じゃあ同じ苺の練乳」
「麻子は」
「私は、抹茶小豆にするわ」
初老の男性は、注文を聞いて奥で氷を削り始めた。
シャリシャリと心地よい氷の削れる音が聞こえる。
時折、南から潮風が吹いてくる。
店先の風鈴がその度に涼しい音色を奏でた。
僕達は、かき氷ができるまで何も話さずに待った。
静かな扇風機の回る音
外の緑は、夏の光に陰影が色濃く現れている。
そこら辺に夏の太陽の匂いがした。
陰影の緑の雑木林の奥くから蝉の鳴き声が沢山聞こえる。
三人は、完璧な夏の中にいた。
やがて、かき氷が出来上がり初老の男性は銀のお盆に乗せて持ってきた。
麻子が、海を見ながら食べたいと言い出した。
「じゃあ、そうしょう」と、僕達は賛成した。
三人は、代金を支払うとかき氷を初老の男性から受け取って店の外に出た。
夏の日差しが容赦なく降り注ぎ、再び額辺りから吹き出た汗の雫が頬を流れてくる。
三人は、国道を横断すると海沿いの防波堤に腰掛けてかき氷を食べた。
冷たい甘いかき氷が口の中で溶けていく。一瞬、心地よい冷たさの感覚が身体中に広がっていくが、やがて夏の日差しに火照った肌の感覚に負けてしまう。
「もう、夏なのね」
麻子が、蒼く輝く海を眺めなら静かに言った。
「あぁ......」僕は、気怠く応えた。
「こんな、気分の夏は今のうちだけなのよ」
「まあ、そうかもしれない」
「今、僕達は夏の輝きの中にいるのさ。そして、いつかこの日の事をふと思い出して懐かしむ日が来るに違いない」
何かよくわからない説得力のあるような事を山羽が微笑しながら言った。
「今はこうしているのが心地よくても、時は無情にも過ぎ去っていくわけだ」
「そうかもね」
「そして、記憶の中だけの想い出になる」
「少し切ないくらいがちょうどいい」
「あー来た。痛。うー」
山羽がスプーンを持った手でこめかみ辺りを抑えた。
「どうした」
「慌てて食べるから、頭がキーンと痛くなったよ」
山羽は、少年のように微笑した。
「バカね」
麻子が、優しくいった。
「沢山のことをするには、余りにも人生は短すぎる」
「あなたは、欲張りなのよ」
「そうかな」
「私は、シンプルでいい。普遍的な人生でいいのよ」
「それが、幸せってことかい」
「そうよ。ステイタスなんていらないのよ」
「みんな、同じて事?」
「地位や名誉は結果に過ぎないのよ」
「そうなのか」
「誰しもこの世からいつかは消えてなくなるのよ。そんな事どうでもいい。もっと大切な事があるような気がするの」
「心が自由でいいね」
「いつもナチュラルでいたいわ」
「そう願うよ」
台風通過の青く晴れ渡った夏空の下で、三人は、海を眺めながらかき氷を食べながらたわいもない戯言の言葉を交わした。
夏の国道の灼けるアスファルトの匂い。
時折、スピードオーバーの普遍的な色の車が通り過ぎて行く。
蒼い水平線の彼方に入道雲が見えた。
眩しく暑い夏の光。
夏の太陽の匂い。
陰影が色濃くコントラストを描く緑の雑木林。
沢山の蝉の鳴き声。
波の音。潮風。太陽の光で蒼く輝く海。
夏の感覚を記憶するように瞼を閉じた。
あぁ。あの夏の日。確かに僕達は、完璧な夏の輝きの中にいたんだ。
*
「やっぱり、自由な女なんだ。麻子てさ」
「結局、俺とお前。二股かけられてたて話」
「いや、山羽の無理矢理な計画的犯行の結果だろ」
「いいんじゃない。兄弟」
二人は、大いに笑った。
僕達は、ちょっとした野営の宴会の後にコーヒーを飲んだ。
バナーで再びお湯を沸かしてマグカップにコーヒーを入れた。
「さてと、腹も満たしたしコーヒーにしょう」
「そのようだ」
「そうだ、ちょっと待ってろよ」
そう言うと彼は駐車場へ行き自分のステーションワゴンの中からアコースティックギターを引っ張り出してきた。
全くなんでも入ってるんだな彼のステーションワゴンは......。ドラえもんのポケットみたいだ。
ギターを抱えて折り畳み椅子に座るとギターを弾きはじめた。
おきまりのボサノバ風のコード進行になんでも載せて歌う。
最初は、イパネマの娘をワンフレーズ歌ってそれからビートルズメドレー。それから、あの日ステーションワゴンで聞いた太陽の彼方まで。
結構上手いんだ。僕は、静かに彼のギターと歌を聴いた。
「さっき楽園だ。て、言ったじゃない」
「あぁ楽園ね。僕にとってはそう。楽園て言えば、リゾート地をイメージするけどそうじゃない。僕は、そんなもの楽園なんて思わないんだ」
「うん」
「自然な海岸がいいに決まってる。
空があって海があって風が吹いてきて波が打ち寄せる。潮騒の音。自然があれば、それだけでいい。それが楽園なんだ」
「うん」
「自然は厳しく過酷な仕打ちもする。
その反面、穏やかな表情も見せる。
そんな、中に自分がいるて事が幸せなんだ。自分の中にある生きている感覚と自然の一体感。その瞬間があれば幸せなんだ」
「そうだね」
「まあ、人生にはお金も必要だけどね。お金をしこたま持ち得たとしてもそれだけでは自由にはなれない」
「ほら、あの夏の日にさ。麻子が言ったじゃない。ナチュラルでいたいてさ」
「あぁ。あの時は、言いたいことがよくわからなかったけどね」
「いつかはこの世から消え逝くものだから」
「始まった事は、いつか終わりが来る。永遠なんてありはしない。淡い夢の泡なんだ」
「波を追いかけている時が、いちばん幸せなんだよきっと」
「そうかもね」
僕はその時、ルーティンな生活のなかで失われていた大切な何かを取り戻した気がした。
僕達は、焚き火を囲んで少し遅くまで色々な話をした。
*
あれから、麻子とは一度ショッピングセンターで買い物をしている時に偶然に出会った。
彼女は、職場で出逢った年齢がひとまわり以上ちがう年上の男性と結婚していた。
その時、彼女は小さな女の子を抱いていた。
母親になった彼女は、以前にも増して魅力的な女性になっていた。
彼女は、幸せそうだった。
「じゃあ。またね」
二度と逢うはずもないのに、そう言って手を振って別れた。
僕は、少し切ない気持ちで彼女の後ろ姿を見送った記憶がある。
*
山羽と最後に会ったのは、彼の結婚式の時だ。
奥さんは、僕の知らない綺麗な女性だった。
大学生の時に知り合ったそうだ。二人の時間の延長の先の結果としての答えだった。と、彼は説明していた。
家庭を持っと、友人の集まりは自然消滅してしまい。なかなか会わなくなるものだ。
あれから、二人で波を追いかける機会も巡っては来なかった。
しばらくして、ポストに年賀ハガキが入っていた。
宛名は、彼からだった。
幸せそうな家族写真には、小さい男の子が写っていた。名前は…海人とつけられていた。彼らしいな…。と、僕は一人で笑った。
それから、二人に会わなくなって何十年も経つ。
しかし、今でも鮮明に記憶が残っている。
あの時、彼の言った言葉を思い出す。
「地の果てまで来たよ。ここはきっと楽園に違いない」
それは、僕の生きていくテーマでもある。
彼の言葉は、きっと忘れない。
波を追いかけていたあの頃。
そして、あの完璧な夏の日。
きっと忘れないだろう。
*
太陽の彼方に MOVIN' astronants
Songwriting LEE HAZLEWOOD
幻の楽園Paradise of the illusion(六)