ぼんぼら-茗荷の舌4

ぼんぼら-茗荷の舌4


 天気のよい日が続く。青空にほんの少し雲が浮いているだけだ。もう暑い季節だが朝早いととても気持ちがいい。
 ものぐさで写真など撮る事はほとんどないが、今日はその気になった。
 カメラを肩に下げ家を出た。
 見ると、玄関先に葉っぱがきれいに並べてある。あの娘今まで家の前で遊んでいたんだ。子狸のやつ。こんなに早く僕が外に出てくると思っていなかったんだろうな。あわてて丘陵公園のほうに逃げて行ったに違いない。
 僕は家を出て丘陵公園とは反対側の清水団地のほうに向かった。その団地の下のほうには昔ながらの畑が広がっている。その辺は歩いた事がなく、一度行ってみたいと思っていたところである。
 清水団地を通り抜け、畑の広がるところに降りた。畑沿いの道を歩いて行くと、小さな社があった。中に石造りの地蔵さんが見える。古い地蔵でかなり朽ちており、顔の造作もほとんどわからない。
 お地蔵さんというのは菩薩の化身ともいわれ、閻魔様に顔が利くことはいろいろなお話に出てくる。小悪党が追われて逃げる途中でお地蔵さんに手を合わせ、その後つかまって処刑されてしまったが、地獄に行くとお地蔵さんが閻魔様に一声かけてくれたおかげで刑が軽くなったというものである。
 お地蔵さんはどこにでもあって、表情もそれぞれでとても楽しい。この地の守り神は僕にとってもとても愛着がある。
 お地蔵さんの写真を撮ろうとカメラを持ち上げたとき、脇に何かがいることに気がついた。みると、ひげもじゃらの爺さんが石に腰掛け酒を飲んでいた。薄汚れた橙色っぽいシャツに、茶色の半ズボンをはいて、片手にするめをもってカップ酒である。なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
 近寄ると怒られそうだ。写真を撮るのを諦めて前を通り過ぎた。振り返ると爺さんは変わらず酒を口に運んでいた。
 しばらく歩くと、道端の蛇苺の赤い実に緑色のシジミ蝶が止まっていた。首からかけていたミノルタSR7のレンズカバーをとり、蝶に焦点を合わせた。赤い実に緑のシジミ蝶がよく似合う。シャッターを押したとたん蝶は飛び立った。失敗だったかもしれない。
 シジミ蝶は道沿いにひらひらと飛んでいく。追いかけるようについて歩いて行くと、赤っぽいシジミ蝶が草の陰から舞いだした。赤と緑色のシジミ蝶が交錯しながら飛ぶ様はなかなかきれいだ。
 蝶たちはしばらくいくと、黄色い花をつけている木の葉の上にそろってとまった。レンズを向けてシャッターを押す。今度は逃げもせず、何枚か撮ることができた。
 さらに歩いていくと、またシジミ蝶が草陰から飛び出してきた。今度は普通の白地に黒の点々のあるシジミ蝶である。シジミ蝶はひらひらと僕の前を飛んでいくので、また付いていくことになった。
 暫く行った所でシジミ蝶の前を見るとさっきの地蔵が見えた。同じ所に出てしまったのだ。一本道のはずだがおかしな事もあるものだ。違う地蔵だろうと思いたかったが古びた社を見忘れることはない。しかも地蔵の脇で爺さんがコップ酒をしているのだから間違いなく同じである。
 なんとも不思議だが、と思っていると、爺さんと目が合ってしまった。爺さんが何か言った。「何ですか」と聞き返すと、歯の抜けた口を開けて、
 「ぼんぼら」と言ったのだ。
 なんだろう、全くわからない。
 爺さんは空になったコップを僕の前に差し出した。酒をくれというのだろう。
 「申し訳ありません、お酒は無いのですが、これはどうですか」と、もっていたチョコレートを見せた。
 爺さんは「ぼんぼら」と言って、首を横に振った。
 「では写真を一枚撮らしてくれませんか」と頼むと、にたっと笑って頷いた。
 カメラを爺さんに向けて一枚撮った。地蔵と爺さんの景色はなかなか面白い。
 爺さんはもっと撮って欲しそうにこちらを向いた。
 僕は角度を変えて何枚か撮った。
 礼を言うと、爺さんは「ぼんぼら」と言って笑った。
 家に戻る途中で写真屋により、フィルムの現像と焼き増しを頼んだ。デジタルカメラが普及した今、フィルムで撮る人がいないとみえて一週間かかるということだ。
 それでもよいとお願いをして我が家に戻り、夕飯の鮭味噌茶漬けをかきこんだ。
 
 一週間後、写真をとりに行くと写真屋の親父が変な顔をした。
 「またきなすったのか、さっき持っていったではないですか」
 「いや、今初めてですよ」
 僕はズボンのポケットに入れた引換券を探したがない。おかしい。
「そんなことはない、引き換え券を持っていたし、お金を払ってもらいましたよ」
 写真屋の親父はいぶかしげに僕を穴があくほど見つめた。
 何だろう、親父のまっとうな顔を見ていると、頷いて戻るしかなかった。
 だが、折角撮った写真が手元に無いのはさみしい。
 蝶の写真はもう撮る事はできないが、地蔵は撮り直しができる。もう一度行ってみることにした。
 家に戻りカメラを持って、地蔵のところに行った。
 そこでまた驚いた。地蔵の社の脇であの爺さんがコップ酒をしながら、写真を手にして見ているではないか。
 爺さんは僕に気がつくと、「ぼんぼら」と言って写真を僕に渡した。
 写真をみるとシジミ蝶をはじめ、どれもきれいに撮れていた。
 「えっ」と、爺さんを見ると、爺さんはあっという間に消えてしまった。
 やっと僕は気がついたのである。あいつだ、狸の子どもだ。
 写真を家にもって帰ってもう一度見ると、地蔵は写っているが、爺さんが写っていない。何枚か撮ったのだが、どれ一つとして写っておらず、地蔵とその脇に橙色の南瓜が写っていた。
 やっぱりそうかと思い、あくる日もう一度、地蔵のところに行くと、写真の通りに、地蔵の脇に少し萎びた南瓜が転がっていた。
 僕が近づくと、地蔵が僕を見た。尾っぽが生えた。と思ったら、あっという間に走り去った。自分の写っている写真を一枚持っていた。
 やっぱりあの子狸だ。あいつが写真屋に写真をとりにいったのだ。何の金を払ったのか知らないが、写真屋のレジの中には葉っぱか石ころがあるに違いない。
 驚いていると思って写真屋に行くと、写真屋さんはレジスターを開けたまま、きれいな葉っぱを持って、うっとりしていた。まあいいか。
 子狸のやつ、自分は地蔵に化け、かぼちゃを爺さんに化けさせたのだ。他のものを化けさすことも覚えたのだ。地蔵に化けたところを写真にとってもらいたくて、南瓜を爺さんにしたのだろう。
 家に帰って南瓜を辞書で調べたら、秋田の昔の方言で、「ぼんぼら」といったそうだ。あの狸は秋田の出身なのかもしれない。
 秋田のすじこで茶漬けを食った。

ぼんぼら-茗荷の舌4

私家版 子狸不思議物語「茗荷の舌 2016 一粒書房」所収
木版画:筆者

ぼんぼら-茗荷の舌4

お地蔵さんの脇でコップ酒をしているじいさんがいる。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-06-15

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