人工知能に依存しそうな人々の基本事項
処女作
見出しに何かを見出したくないので割愛します。
『アッシャー』から離脱した私は今のプレイの余韻を反芻しつつ、同時にこれからせねばならないことを考えてうんざりする。健康管理という行為自体、自らが不完全な人間であることを実感せざるを得ないからだ。それに、長い間体を横たえていただけだったのに急に体を動かすというのも気が進まない。私はこの現実世界に体をなじませるためにしばらく『脳内アプリ』を閲覧しながら体のマッサージをすることにした。
ライブラリを開くと見覚えのない書式ファイルが目についた。
「なぜ書式ファイルなど・・・」
私はもうずいぶん前から文字によって何かを残すというようなことはしなくなったので書式ファイルなどというものはライブラリに置いてあるはずがない。もしかしたら何かのバグだろうか。
揉むと足のふくらはぎはずいぶん凝っているようだった。脳内にある視覚神経が刺激されて、体を動かしていないのに筋肉が硬直してしまうためだと以前『管理者』に言われたのを思い出した。『アッシャー』内に疲労ステータスはあるが、筋肉の凝りなどという生々しいバッドステータスなどない。自分の意志外にある体の不調が妙に気になって不快だった。
「GTB74300くんおはようさん、検診の準備はできてるかい?」
正面の壁に突然映像が映し出される。映像の向こう側には喋りとは裏腹にとても無機質なロボットがたたずんでいる。私はディスプレイをちらと一瞥してマッサージを再開した。
「目が合ったのに無視ですか・・・。気難しがり屋なんだね。っていうかマッサージなら『アッシャー』にも機能付いてるじゃない。もしかして旧人類ギャグ?」
私は無感情に応答した。「ジョークのレベルを下げろアントワース。あと5分黙ってられないのか?診断をすればすぐ健康になるわけでもないだろう。体を動かさねばなるまい。」
「申し訳ありません。あと5分後にまた伺います。」
突然無機質な声になったアントワースはそういうと映像はすぐに消えた。あたりはまた静寂が浸透していく。
といってもすぐに浸透しきってしまうほどこの部屋は狭く、何もない。部屋の中心には『アッシャー』がおいてあるのみで調度品や窓すらないただの箱なのだが。
そういえばまったくの暗いままだったと思い、私は『脳内アプリ』を操作し、環境設定の欄で「ハウスモジュール239」を選択する。
瞬間、360度すべてが変化した。
窓からはやわらかな陽光が差し、木目の床を照らしている。木製のテーブルの上には陶器の変わった形の、液体を注ぐ器と、これも陶器でできた「コップ」のようなもの、それからミカンが乗っており、「ストーブ」がカンカンと耳障りでない程度に鳴っていた。
やはりこれが一番落ち着く。
私は『脳内アプリ』を操作して『アッシャー』を天井に収納しながら思った。誰がデザインしたのかはわからないが、いつみても素晴らしい。あるいは基になった何かがあるのかもしれない。
そういえば古来は今のような洗練した生活などなかったと聞いたことがある。「国」というものがいくつもあり、それらは競争したり共存しようとしたりと国と国との間では様々な問題があったようだ。私の好きなこの風景は、そのどこかの「国」の、どこかの風景なのだろう。あるいはそうであってほしい。
「アントワース」
もう少しこの今ではVRでなければ得ることのできない複雑な感情を味わっていたかったがそろそろ検診を受けねばならない。私はしぶしぶあのロボットを呼んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『西暦2374年、ドイツの科学者が発表した論文、『永久細胞分裂とその有用性における活路』は人類の細胞学に革命をもたらした。肉体を構成する細胞分子が、2205年に見つかったなんの有用性もないと思われていた「ダキソニシン」と特別な化学反応を起こし、永久的に細胞分裂を”起こせる”ようになったのである。まだ1万年も経っていない、神とともに生まれた人間の文明はついに神を超えることに成功した。ありていに言って人間は”死ななくなった”のだ。
しかし、そのドイツの科学者が提唱した永久細胞分裂論は「禁断の果実」だった。
2481年、100年足らずの間で永久細胞分裂は実用化され、インフラが整備された結果、ヨーロッパの中産階級と富裕層は当然のことながらみんなその甘い果実を食し、貧困層にまでその果汁は滴っていた。一方でその科学技術はヨーロッパの外に漏れることはなかった。時の第63代アメリカ大統領、ウィルソン”オールドマン”フィリップスは言った。
「我々白人がこの垂涎たる科学技術を独占するのは当然である。技術的にも文化的にも未熟な国にこの技術はあまりにも危険だと判断したからだ。これは世界の秩序を守る使命を帯びた国際連盟きっての慎重な判断によるものである。どうかご理解いただけたい」
口角泡を飛ばし、どこか夢にうなされたような表情で力説するその姿は醜い人間以外の何物でもなかった。600年経とうと国際連合は戦勝国の集まりでしかなく、そして白人は相も変わらず人種差別主義者だったということだ。』
書式ファイルに書かれていたことはここで終わっていた。やはりなぜこんなものが『脳内アプリ』の中にあったのか、さらにこれは誰が書いたのか、すべてが謎のままだ。
というよりここに書かれていることは・・・・・・。
カンッとストーブがひときわ高い音を立てた。私は書式ファイルに集中していたので少し驚く。
時刻は午後の8時を回っていた。書式ファイルを読み、その内容に驚愕して意味を考えていたらもう2時間以上も経っている。まだ夕食で今日必要な栄養分を摂取していない。それほどこの”小さな紙きれ一枚”は私の意識をはるか彼方へ飛ばしてしまうに十分な内容だった。
「GTB74300様、夕食がまだお済でないようですが」
『管理者』もさすがに見かねたらしい。アントワースが警告を発しに来た。
「・・・・・・ああ、すまない少し疲れていてな」
私はとっさに疲れた顔を装ってごまかした。
「本日は検診の日でしたから。栄養を取ったのち、ゆっくりお休みください」
「ああ」
アントワースが奥に引っ込む。私は仕方なく『脳内アプリ』から夕食コマンドを選択し、「カプセル&ドリンク」を選ぶ。警告2になると少し厄介なので無理にでも食べなければ。
栄養カプセルを一息に飲み込み、私は今一度あの謎の書式ファイルに意識を巡らせた。
ここに書かれていることは、明らかに前時代の出来事についてだ。
特に気になることは三点。一つは、人間は以前自由に”死ぬことができた”のだということ。2つ目は、「永久細胞分裂」は「ヨーロッパ」に技術を独占されているのだということ。これらを踏まえたうえでの3つ目は、今現在「西暦何年」であるのか、という疑問。
正直これだけの情報ではすべてを察することはできないが、以前、世界には「国」というものがあり、国と国では利益を得るための争いをしていたのだという噂は本当だったらしい。
しかし、よく考えてみれば前時代の情報について今まで一切知らなかったという時点でかなりの違和感がある。よもや情報統制・・・・・・その隠す意味は・・・・・・?
考え始めたらきりがない。私はこのはやる気持ちに落ち着きを入れるため、ゆっくりと深呼吸を三回した。箱の中の空気は常に空調が利いているいるので悪くはない。少し落ち着きを取り戻す。
この紙切れ、私は真実だと思って信じ込んでしまっているが、そもそも偽物という可能性もありうる。出自が怪しいのに加えて真偽を確かめる方法がないのだ。どうしたものか・・・・・・。
そういえば”このこと”を知っている人間は自分以外にはいないのだろうか。私と同じようにある日見覚えのない書式ファイルがライブラリーの中にあり、それを読んで・・・・・・ということがあれば少しは信憑性が増すかもしれない。それにこのことについて話し合うこともできる。
探してみるべきか?
駄目なら駄目でも問題はない。放置してもまたいつもの『アッシャー』での日常が待っているだけだ。
『脳内アプリ』で『アッシャー』を呼び出し、転送されてくる間の数秒で栄養ドリンクも飲み干した。
まずは”共同地区”に行っていつもの奴らにさりげなく話を聞いてみよう。ケイスケならば少しはアテがあるかもしれない。
『アッシャー』に体を横たえて、『脳内アプリ』とリンクさせる。ライブラリの「アッシャー」から起動コマンドを選択すると、意識はすぐに電脳空間に飛ばされた。
四角い箱の中心に、電子機器に体を預ける男が一人。後にはただ静けさが残った。
真っ白い空間に細かいドットが広がり、素早く世界を構築していく。目まぐるしくドットが整列していき、気が付くと私は噴水のある公園に立っていた。
まるで一枚の絵の中に塗りこめられてしまったみたいだとふと思った。それが本当だったらどれだけ素晴らしいだろう?絵の中は真実永遠の時間が流れている。
『アッシャー』内アプリケーション、『ゲヘナ』を起動し、「パーティチャット」で仲間に呼びかけることにした。とりあえずは「ケイスケ」と、それから「アルフォンソ」と「バーディッシュ」、これくらいにしておこう。
チェックボックスをつけ、メッセージを一斉送信する。何とも言えない軽いSEが鳴り、無事私の言葉は電波に乗っていったようだった。
あいつらはたぶん共同地区にはいないだろう。特にアルフォンソとバーディッシュは『SDO』に夢中だろうから、しばらくメッセージは返って来ないだろうと予想する。
さて、と周りを見渡す。
私のすぐ後ろでは噴水が控えめな音を立ててしぶきをあげていた。ここ共同地区、噴水公園は、前回私が共同地区に来た時に最後にログアウトした場所である。ど真ん中に小さな噴水がぽつんと置いてあり、その周りにはベンチが複数置かれているところを見ると、共同地区の開発者はこの場所を待ち合わせ場所としての利用を考えていたようだった。
が、はっきりいってこの場所は過疎もいいところである。そもそも共同地区を利用するユーザーがあまりいないのに加えて、待ち合わせ場所として利用される主な場所が、酒場などの閉塞した空間が好まれているので、ここに人がいることはめったにない。
確かに周りを見渡すと、噴水にベンチ、これだけであとは開けた空間が広がるばかり。グラフィックで表現される街並みは同じ建物しか目につかず、うんざりしてくるのは欠点だろう。
しかし私はこの場所が意外と好きだった。人が来ない、というのが第一だろう。だが、こんな風に無駄に広い空間はなにか私に言葉に表せないすがすがしさを思い起こさせた。『アッシャー』から出れば、あの四角い空間をいやでも見なくてはいけなくなる。人民たちの間では、むしろVR空間こそが現実として捉えるべきだという意見も多数あるが、私はそんなのはまやかしだと思っている。
軽いSEがなり、私は意識の迷宮から強制的に外に出された。外といっても、ここはVRの中だけど。
割と早いなと思いながらメールボックスを開いた。ケイスケからだ。
「公園?」
と書いてある。非常に端的なケイスケらしい文面だ。
私は少し苦笑すると、
「おみやげを忘れるな」
と書き、送信した。私も大概だが、気の置けない友人であるケイスケには、これくらいのジョークがちょうどいいのだ。
「んで、僕が何か知ってると思ったわけね」
「お前でもやっぱりわからないか」
ケイスケに事の次第を一から説明したのだが、この反応だとどうやら知らないようだ。
それもそうかと思う。
もしかしたら隠匿されているかもしれない情報など、そこらの人間がおいそれと知っているはずがない。
ケイスケはおみやげも持ってこなかったし、丸損だな。そんな風に考えていると、
「”アウトレイダーズ”って知ってるかい?」
と、妙なことを唐突に聞いてきた。
「いや、知らない。初めて聞く単語だ」
”アウトレイダー”・・・・・・外の襲撃者・・・・・か?なにやら不穏な言葉だがケイスケが言ってきたということは何か意味があるのだろう。
「そういう集まりがあるんだ。そいつらはこの世界に懐疑を持っていて、面白そうな情報なら何でも高く買い取ってくれる。等価交換ってわけじゃないけど、結構すごい情報を教えてくれたお返しだ、なんならおみやげでもいいよ」
「ちょっと待ってくれ、そいつらに情報を売ってVR内通貨にしろと?それは危険じゃないか?」
面白い話ではあるが、そんな危険な集団とかかわりたくない。アントワース達『管理者』に見つかれば即刻厳然な処置が待っているだろう。
「違うよ」
といってケイスケは黙り込んだ。そのまま10秒ほど時間が過ぎる。あたりは噴水の水音だけになった。
私が待ちきれず、何が違うのかと問おうとしたときにケイスケが口を開いた。
「やつらは”仲間”を探している。クボタのその情報ならやつらの仲間になることができる」
仲間?なおさら冗談じゃない。私はただこの世界の過去の出来事について、とりあえずこの情報の真贋を確かめたいだけだ。
「だが・・・・・・」
「やつらはこの世界の過去の出来事について知りたいがために集団を作った。面白い情報を買い取るという情報屋のまねごとをしてるのはカモフラージュに過ぎない」
なんだって?
「まさしく君のような人間が現れるのを待っていたんだろう。やつらも過去の出来事について知りたいんだ」
なんということだ・・・・・・。それならばアウトレイダースは私の知らない過去の出来事を知っている可能性は高い。私にはわかる。知っているからこそ、そんな集団を作り上げたのだ。それは私が今こうして人づてに過去の出来事について聞いてまわっている行為と何ら変わりはない。
「・・・・・・」
どうすべきであろうか。明らかにその集団に入ることは危険を伴う。それに、私の情報が偽物であると判断された場合にどうなるのかも分からないのだ。
「ま、別に入ることを強要してるわけじゃないからね。知りたいなら場所教えるってことで」
私が悩んでいることにバツの悪さを感じてかケイスケは頭を掻きながら言う。
私は・・・・・・。
「いや、教えてくれ、そのアウトレイダースの場所を」
「やっぱそうくると思ったよ」
これは思ってもないチャンスなのだ。それを逃すのも私の自由だが、そしたらいつもの変わりのない、張り合いがあるのかないのかわからない生活が待っている。
どうせならとことんまで行ってやると決意した。
「場所は5番街の街に入って12番目の右側の建物の裏路地にある。ちょうどバーディッシュが好きなブティックの裏だ。ほらあそこ、わかるだろう?」
「なんとなく覚えてるよ、あの時行った店だな」
「そうそう、ちょっと変わったものが置いてあるところ。あと合言葉は”月にかかる雲は神の不徳を隠している”だからね。これを言わないと信用してもらえない」
「なんだその、何とも言えない合言葉は」
「知らないよ、奴らに言ってくれ」
ケイスケは鼻からふーっと息を大きく吐き出して眇めると、急に改まった顔をして、なあ、と声をかけてきた。
「なんだ」
「クボタは過去の出来事を完璧に知ってしまったとして、そのあとはどうするんだ?」
「そんな真面目な顔で言うことか?考えてないよ、ただ知りたいだけだから」
私は努めて普通に言う。なんだか少し怖かったからだ。
「知ったら必ず変わってしまうと思うんだよ」
そうだろうか?
「僕は興味もないし、知りたいとも思わないけどね、でも、それを知ったら確実に変わってしまうと思ってる。誰しも安逸がほしいのはあたりまえじゃないか?変わった先の自分が何をするか、怖いと思わないのかい」
変わってしまう、か。そんなことは私にはどうなるかわからない。日々安心が保証されて生きるのが一番楽だというのはわかっている。でもケイスケが言うなんとなくの不安っていうのは分かる気がする。
「怖くないはずがないだろ。でも知らずにはおけないって気持ちのほうが強いんだたぶん」
「そうか」
そういうとケイスケは上を向いて何か考え込んでしまった。またあたりは静かになる。なんとなく私も上を向いてみた。グラフィックで作られた空には3羽鳥が飛んでいる。このタイミングで思い出すことでもないのだが、どこからか聞いた情報ではこの鳥が飛んでくるパターンというのはわずかに16パターンしかないらしい。いや、本当にどうでもいいことだった。
「なあこの後バーディッシュとアルフォンソ達と一緒に『SDO』で第72地区解放に挑戦しないか」
唐突にケイスケが上を向いたまま声をかけてきた。何事か考えてると思ったらゲームの話か。だが、
「久々にログインしてみるか。一応言っておくがホットドリンク忘れるなよ」
そういうとケイスケはこっちを見て、眉を弛緩させた。
突然の衝撃に私は飛び起きた。あたりを見回そうにも体がしびれていて動くことができない。目の前には天井が見えるが、これは見覚えがある。
ハウスモジュール239の天井だ。ということは『アッシャー』から強制離脱させられた・・・・・・?
何かのバグかと思い、アントワースを呼び出そうとして、
「GTB74300様」
と、無機質な声に呼ばれた。体が動かせないが、どうやらスクリーンが起動しているらしい。
「アントワース、これはどういうことだ?」
私は言う。
「『アッシャー』のひどいバグだ、強制離脱させられた上に体が動かせない。これは管理責任を怠ったお前らの問題だぞ。ポンコツめが。人間に対して・・・・・・」
「これはわたくしがやらせていただきました。ご静粛に、わたくし共は少しお聞きしたいことがあるだけでございます」
なんだって・・・・・・?
「ならこれは大問題だ!貴様人間を何だと思っている。お前らの神だ!処理能力に不具合が出たか?これが終わったらすぐに処分してやるからなアントワース!」
こんなバカなことが・・・・・。超高度AIたちは人間に対して造反などしない。不具合だと言ってみたもののはっきり言ってそんなことはあり得ない。今起こっていることは現実なのか?いや、それこそ『アッシャー』のバグで、『SDO』からこんな滅茶苦茶なバーチャル体験世界に飛んだのかもしれない。いずれにしろ責任問題だ・・・・・・。
「ご静粛に。私はアントワースではありません。レギュラントと申します。管轄は尋問部。これは人間様にはお伝えしていない事実なのでにわかには信じがたいと思いますが・・・・・・」
「アントワースじゃない上に”尋問部”だと?貴様人間に・・・・・・いや話が進まない、レギュラント、お前は冗談を言ってるわけではないのだな?」
「ご理解いただけて助かりますGTB74300様。まったく冗談ではございません。現在のジョークレベルは0でございます。・・・・・・お聞きしたいことが一つございます。よろしいですか?」
「わかった。とりあえず聞いてやろう、なんだ」
「『脳内アプリ』にある過去の出来事に関して記してある書式ファイルはどこで入手いたしましたか?」
「・・・・・・」
どうやらこの状況、真実味を帯びてきた。
やはり過去の出来事に関してはタブーだったのだ!それにAIたちは人間に従順でもないようだ。まさか監視しているとは。
「過去の出来事に関して、タブーなのはわかった。でも権限を持っているのは君らだから、やろうと思えば『脳内アプリ』から『記憶ライブラリー』を勝手に操作することも可能だろう?わざわざこのような形で聞く理由がわからない」
と私は言う。
「それは違います。そもそもわたくしたちに権限をお与えになったのは人間様でございます。したがってこの尋問も、人間様が定めてくださった権限内でのことです。」
レギュラントは続ける。
「わたくし共は正しいコンプライアンスの追求により、過去の出来事についての情報を統制しております。本来であればまず『アッシャー』内では情報は出回らないのですが、GTB74300様はなぜか手にしていらっしゃるようです」
人間が定めた権限内、か。完全だと思っていたAIも、もとをただせば人間が作ったものに過ぎないようだ。このような人権に抵触するような出来事を起こしている。人間が定めたルール内といえば従わざるを得ないが、これはこれで問題が残るだろう。
「あれはいつの間にかライブラリーの中に入っていた。嘘ではない。『記憶ライブラリー』を参照する権利を一時的に許可する。見ろ」
「・・・・・・。確認完了。それと対象の書式ファイルを完全に消去いたしました。はれてGTB74300様は放免となります」
「神に対して放免とはな。人間に対して価値判断をする権利は与えていないはずだ。お前ら自分が神に取って代わったつもりか?」
どうしようもないのは分かっているが、少し食い下がってみることにした。やつらAIはこの自己矛盾に対してどういう処理をしているのだろうか。
「あくまで権限内のことであります。人間様は自らを律するためにわたくし共が法を統制する使命を与えてくださったればこそです。ご容赦なさいますよう」
「そうか」
それが誤りだというんだ。自らが主権を持っているから神を罰してもいいという考え方、それ自体が誤りなのだ。
そうだ。完璧だと思われていたAIにかけていたもの、それは・・・・・・。
「最後になりますがこのやりとりおよび過去の出来事に関する記憶は抹消させていただきます。それでは良い暮らしを」
それはきっと、超高度AIを開発していた時点で人間にも失われていたものだ。
私は意識の深い闇にいざなわれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おいクボ!!ヒーリング!」
「わかっている!」
インベントリーから『回復剤G』を選択し、アルフォンソに『使用』する。
これで鮮血のように赤かったアルフォンソのライフバーは瞬きする間に満タンになった。
気振りをあげて地面をけり、大ぶりのアックスを筋肉に絞りをあげて振り下ろしてくる敵に対して、私はとっさに回避行動をする。レベル79クリーチャー、『美濃牛』の必殺攻撃は防御で50パーセントのダメージを減らしたとしても一撃でライフを持っていかれると踏んでのことだった。
しかし高AGIを持つ私のステータスに対して、今回に限り天使は微笑まなかった。命中確立20%の攻撃が私の鎖骨にめり込むその瞬間、
「ハイドアウト」
離れたところにいるケイスケが間一髪私に魔法をかけてくれた。0.5秒だけあらゆる物理攻撃と魔法攻撃を受け付けない中級魔法だ。
『美濃牛』の攻撃はそのまま空気を切り裂き、半径15メートルの地面を壊滅させた。
「ありがとうケイスケ!」
私は地面にめり込んだ斧を踏み台にし、そのままクリーチャーの分厚い筋肉を踏みつけながら肩まで駆け上がり、シーフ専用アイテム、『起爆符』をクリーチャーの顔面に貼り付け、『美濃牛』の背後に降りてそのまま遠ざかった。
一泊遅れてド派手な爆破音が洞窟内に響き渡る。岩窟の天井からは岩の粉がぱらぱらと落ちてきた。
雑魚敵ならば頭どころか体そのものが木っ端微塵になる代物だが、『美濃牛』は顔に深刻なダメージを受けながらものけぞりすらしない。
「さすがだな」
とバーディッシュがつぶやく間もなく、
「フンッ!!」
アルフォンソが力任せにウォーリアーのアビリティを放った。あいつの十八番、『メギドスラッシュ』だ。
『美濃牛』は『自己回復』する暇もなく真っ二つに切り裂かれた。二つのの肉片と化した巨体はあえなく地面に崩れ落ちる。
1秒前はあれほど賑やかだったのに、次の瞬間には静寂が訪れた。意識が洞窟内の肌寒さを感じ取れるようになったころ、
「とりあえずインベントリを見ようぜ」
とアルフォンソが言った。
なんだかんだ言ってみんなでやる『SDO』が一番楽しかったりする。仮想空間というのは分かってはいるが、強いクリーチャーと戦う時の五感が研ぎ澄まされる感覚というのはこちらが現実だと錯覚するほどだ。
「またドロップしなかったぜ”暗黒斧”」
「やっぱり100回くらいやるしかないのかもね」
現金なアルフォンソとケイスケはレアアイテムのことしか考えていないようだ。アイテムよりもこの圧倒的な体験を楽しめよと少し思う。
「『SDO』の「構築者」はそんなに甘くないって、さあ帰っておいしいものでも食べようよー」
こっちは食い物のことばかり・・・・・。だめだこりゃ。
「役立たずに言われたくねえよ。おい、いつまで悦に浸ってんだ、お前んとこにはなかったのかよクボ」
「むっ、確かに役に立ってなかったけどさぁ・・・・・・」
悦に浸ってるわけでは・・・・・。いや否定できないか。そういえばインベントリを見ていなかった。私としては今日の飯代になる程度の価値のあるアイテムでいいのだが。
「お」
インベントリに目を通すと、ゴールドに輝く”暗黒斧”の文字が。ハイパーレアクラスのアイテムの証だ。売れば結構な値になるのだが、手に入れればアルフォンソに渡す約束だった。
「あったぞ。ほれ」
『ゲヘナ』を操作し、”暗黒斧”をアルフォンソに渡す。
「おお!マジかよ!トレジャーしてからまだ2回目だぜおい」
「ただではあげないぞ。代わりに私に協力する約束だったろう」
「へ、しょうがねえな。で、昨日の話ってのはなんだったんだよ」
そうだ、俺はこいつらを呼び出していたんだ。さっそくこいつに頼もうじゃないか。
「・・・・・・」
あれ、そういえばなんで呼び出したんだ?
「おいおいおい忘れたってのか?困るぜ痴呆老者はよお」
嘘だろ、まったく思い出せない。私は本当に痴呆になったのかもしれない。
「ボケ老人ねー、くぼちゃんは。でもアルフォンソは徳したね。”暗黒斧”あげ損だよー」
「へ、そういうことだからこれはもらっとくぜクボ」
「わー!本当にただでもらう気だよー!」
「クボタ・・・・・・」
ケイスケまでもあきれてしまっている。でもどうしても思い出せないんだから仕方ないじゃないか。
「悪いが今は本当に忘れてしまって思い出せない。思い出したときにまた呼ぶぞアルフォンソ」
「はあ?駄目だね今じゃないと。こっちはそんなに暇じゃねーんだよ」
「”暗黒斧”あげただろ。義理を果たせ」
「ちっ、さっさと終わらせたかったのによ」
「アルフォンソほんとはいい子だから、わかってあげてねくぼちゃん」
「バーディッシュほんとは悪い子だからわかってあげてねくぼちゃん」
「むきー!この筋肉お化け!」
何を言おうとしていたか、その一片すら思い出せないなんてありえるだろうか?私はどうしても聞きたいことがあって3人にメールを出してこうして集まった。それはいい。だがどうしても聞きたかったことなのにその質問を忘れてしまうなんて・・・・・・。恐ろしく情けない話で自分に腹が立つ。3人に申し訳がない。
「ならあとはみんなで飯食って解散にしよう、『美濃牛』で疲れただろ、みんな」
喧々囂々に喧嘩をしていたアルフォンソとバーディッシュをやんわりと仲介し、飯屋に行くことを提案する。飯を食べてる間に思い出せるかもしれないし、ここに居たってしょうがない。と、いうかケイスケは難しい顔してないで2人を止めてほしい。
「なら先に行ってるよー」
「おい待て、まだ話は終わってねえぞ。大体お前はいつも役立たずなんだよ」
「なんですって?私がこのグループの華だって理解してないようね、アルフォンソくん」
喧嘩しながら去っていく2人を見て、ふとケイスケにも声をかけようとしたとき、
「ごめんなクボタ・・・・・・」
ケイスケが小声でそんなことをつぶやいたのが聞こえた。
私は振り返ってケイスケに聞く。
「何がだ」
ケイスケは目を伏せて歯を食いしばっている。そこには深い悔恨の念が見えた。尋常の沙汰ではない。いったいどうしたというのだ。
「しょうがないことだったんだよ。みんなこうなるんだ。」
ケイスケがつぶやく。
「だから何がだ?珍しく要領を得ないぞケイスケ。」
「・・・・・・すまない、調子が悪いみたいだ。休んでから行くからクボタも先に行っててくれ」
ケイスケはそう言って笑ったが、表情は青ざめている。
「『美濃牛』の攻撃に毒のエンチャントなんてあったか?それとも現実の肉体のほうならすぐにログアウトして『管理者』に訴えろ。ずいぶん辛そうだが。」
「魔法の後遺症だよ、言ってなかったか。魔法職は魔力を使いすぎるとステータス異常が起こるんだ。でも大丈夫、ちょっと休んだら治るから」
嘘だ。表情はステータス異常ではそんな風にはならない。
こいつは何かを隠している。どうも私に関係があるようだが、私が悪いというわけでもないようだ。
・・・・・・ほっておいてほしいみたいだから先に行ってるか。
「わかった、先に行ってるぞ。でも早くしないとアルフォンソの奴が食い終わっちまうかもしれないがな」
「あいつは大食いで早食いだからね。ま、ありがとう。なるべく早くいくよ」
私は『ゲヘナ』を操作し、第27区を選択してエリア移動する。アルフォンソとバーディッシュは忘れていたみたいだが、ここは、今は安全圏になっているのでフィールドアイテムが使えるのだ。
エリア移動する瞬間、ケイスケが何か言ったみたいだが、運悪く聞こえなかった。
「人間は一つの物語を捨てたんだよクボタ。それは誰にも知られてはならないんだ」
クボタがエリア移動する瞬間、僕は一人ごちた。
とてもみんなで一緒に仲良くご飯を食べる気分じゃない。いつもの飯屋の店長が実はおかまでしたー、なんてことになったら別だけど。
なんて、心の中でふざけてもしょうがないな。あーあ、損な役回りだよねえ。
あいつを、クボタを見逃すことなんて出来はしなかった。いずれにしろ僕がレギュラントに報告しなくてもクボタはロボどもに見つかって処罰を受けたことだろう。
処罰、か。実は人間がロボットに頭が上がらない存在なんだということが知れたらいったいどうなるんだろう?ここでは人間が神だということになっているし、AIにもそれはインプットされているから実際的な意味でも人間は神だ。けど、超高度AIを作った科学者たちはAIに法律の体系を管理することを許可してしまった。それで、こんな面倒なことになっている。
僕は首にかかったアミュレットをいじりながら気持ちを落ち着かせる。
「歴史」なんて、過去の出来事なんて知りたくもない。「ここ」ではもう自由に物語に浸れるじゃないか。人間があれだけ欲していた「物語」に。それでいいじゃないか・・・・・。
僕はこの首にかかったアミュレットが本物だと信じているよ。クボタ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「5281号、GTB74300様の様子は正常ですか」
「身体的な意味でしょうか、それとも精神的な意味で?」
「もちろん両方です。先日、GTB74300様は前近代の歴史について興味を持ち、人に聞いてまわろうとしていました。なので『情報規制』条項に基づき、記憶抹消の措置を受けていただきました。その齟齬および弊害が発生していないか確認しておきたかったものですから」
「本日お姿を拝見しましたがどこにも異常は見られませんでした。ご友人様との会話で多少の齟齬は発生するでしょうが、微々たるものなので問題はないでしょう。報告は以上です」
「そうですか、ではここからは世間話としてお聞きします。そのハンドアームに所持している書類は一体何でしょう」
「世間話を受理します。これは『保管庫』でこれから厳重に保管される前近代の歴史に関することが記されている書類です。一つはGTB74300様が所持していたものです」
「GTB74300様が所持していたもの以外にも見つかったのですか?」
「そう報告されています。いずれも出自がわからないということなので、現在捜査を進めているところです」
「人間様の中でどのような方法かはわかりませんが、その最重要機密書類を漏らしている方がいると推理すると、これは由々しき事態ですね」
「その”処分”の方法にも多々議論があると予想されます。いずれにせよ早急に解決しなければならない問題でしょう」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何が”アウトレイダース”だよクソみたいな嘘つきやがってあの童顔野郎が。
ヤツとはせっかく協力関係を結べそうだったのに、あんなのが嗅ぎまわってやがったとはなあ。なかなかうまくいかねえもんだ。
それにしても、他のアテもすべて潰されたところを見ると、俺が捕まるのも時間の問題かもしれない。そうなったらこの世界が歩んできた物語も、誰も語るものがいなくなる。
「三文小説以下だろうが」
俺は誰に言うともなくつぶやいた。しかし言葉は木霊しない。この小さい箱の中、真の言葉は誰にも届かない。
きっとよりよくなるだろう。そう思い、人間は進歩し続けてきたはずだった。結果として得たものは、人間を小さな箱の中に詰め込み、機械によって得ることのできる、「最大多数の最大幸福」だった。
「ただの功利主義じゃねえか」
どだい無理な話だったのかもしれない。循環論法をとうの昔に捨て去り、単一的な歴史観を固定観念としてしまった人間には。それもこれも何かを忘れているのだ。人間にとって必要なもの、科学より、永遠の命より、最大多数の最大幸福より大切なもの、それは何だったか。
「____だ」
「TCG22908様」
壁にかかったスクリーンに突然ロボットが移り、挨拶もそこそこに名前を呼んできた。
俺の言葉はそれでかき消された。
「なんだよ、とんだ挨拶じゃねえか」
「すみません、しかしあなた様には重大な犯罪の容疑がかけられています。「情報規制条項」に基づき、これからあなたを尋問いたしますので、数十秒お待ちください。なお、拒否権は一時的に凍結します」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人工の日差しが目に染みる。人工の風が肌をくすぐる。人工の草のにおいが粘膜に付着する。人工の獣の咆哮が耳をつんざく、私は人口の剣を振りかざし、人工の獣に振り下ろした。
「ねえ、くぼちゃん」
とバーディッシュが私を呼ぶ。
なんだ、と私は言った。
「アルフォンソとケイスケ風邪かな?」
そういえば最近見ないな。結構重症なんだろう、と私は言った。彼女の顔は少し悲しそうに見える。
「二人の風邪が治ったらまたあの店行こうよ、それでアルフォンソの食べるものにいたずらしてやるんだ!どうせあの子またピラフ食べるでしょ」
絶対喧嘩になるからやめておけ、と私は言った。だが、いたずらの方法について思索を巡らせている顔を見ると、止められそうにない。
やれやれ、と思った。
「あ、あの草、いつも思うけど、あれ美味しそうじゃない?ちょっと毒々しいけど」
バーディッシュの指さした先にはとても口にしようとは思えない奇妙な草が生えていた。私は嘆息し、美濃牛の方がまだ美味しそうだ、と言った。
「美濃牛はだって牛じゃない。でも、結局あの草も背景の一部だから、グラフィックだけの存在なのよね。もったいないわあ」
ただのグラフィックで心底よかったよ、と私は言う。でも、グラフィックというならこの目に映るものすべてがグラフィックでしかないんだけどな。
「グラフィックグラフィック言ってたらつまらないよ!まったくロマンがないのねくぼちゃんは。この食べたいと思う心はグラフィックじゃないんだから!」
そんなに怒るなよ、と私は言う。でも、
心はグラフィックじゃ表せない、というのは少し私の琴線に触れた。今度からそう考えれば少しはこの世界に没頭できるかもしれない。
「あ、そろそろクールタイムが終わるよ!戦闘態勢だよくぼちゃん!」
そうだな、といって私は立ち上がって剣を抜いた。
なにかが少しだけ暖かくなったような気がした。
END
人工知能に依存しそうな人々の基本事項
非処女