おとしもの。

 _ここはどこだろうか。
私は人ごみの中、日当たりの悪い階段を上っていた。一体いつの間にかこんな場所に居るのだろうなどという想いにふけっていると、前を歩いている生徒のカバンからキーホルダーが外れ落ちるのを目にした。本来自分はあまり積極的に話しかけて行くようなタイプではないのだが、何せ中途半端にお人好しなもので、こういうことには一切の迷いがない。
「あの、キーホルダー落としましたよ?」
彼女はすぐさま振り向き、
「ありがと!」
とだけ言い残して去っていった。薄暗い階段なんだから誰か電気くらいつければいいのになどと想いながら、私もまた階段を上り始めた。

 _今私は何をしているのだろうか。
私は私で、それ以外の何物でもなく、「私の人生」を歩んでいるハズなのだ。それなのに、身体だけが自動的に動いていて、かなりの時間の記憶がすっぽり抜け落ちている。まさに今も、気が付いたときには最後にいた場所・最後にしていたことと全く関係のない状態だ。ただ、どうやら私はただ茫然と歩いて移動しているだけのようだった。まぁ、いつものことだし、時間が人よりも早く感じているのかと思うと少し寂しい。すると後ろから静寂を破るかのような高い声が聞こえた。
「ねえ!!」
振り向くと朝のキーホルダーの子がいた。どうでもいいことをたらたらと考えていたせいで言葉に詰まった。
「今ヒマ?ヒマだったらお昼一緒にどう?」
そう言われ、私はこの辺りで何となく違和感を感じ(何だこの絵に描いたようなシチュエーションは…)などと思ってしまった。断り方もうまく思いつかないので、せっかくお誘いを受けたのだからと取り敢えず彼女について行き、屋上へ向かった。
屋上へ着くとそこにはまばらに人がいるものの、全体として閑散としていた。ようやく冬が終わったばかりということもあり、まだまだ風は冷たい。あぁそうだ。まだ名前を聞いていなかったや。
「えぇと…あなたは?」
そう聞くと彼女は間を開けずに答えた。
「ユキ、ユキよ!私の名前!さっきはキーホルダーありがとね!」
「あぁー、いやいや、こちらこそそう言ってもらえると嬉しいよ。」
先ほど、私は中途半端なお人好しだと言った。しかしそれは厳密に言うと間違いだ。本当は全て自己愛の一種なのだ。とは言っても世間一般で言われている「うわ!わざわざこんなキーホルダーのために呼び止める俺イケてる~。」とか「ふっ、また注目の的になってしまうよ俺カッケェ。」といったいわゆるナルシストとは異なるタイプのものなのだ。他人や動植物、キーホルダーのような小物に至るまでの全てが自己と重なって感じるのだ。それ故に毎日たくさんの想いや感覚を同時に味わうので中々に苦労物だ。正気はともかく、意識をとどめておくことは難しい。だからこそ、大切にされてきたであろうキーホルダーが「そんなくだらないこと」で持ち主の下から離れてしまう、恐らく永遠の別れになってしまうかもしれないという様子が到底耐えきれるものではなかったのだ。なぜなら、それは「自分」の意識と同格のものだから。
そんなこんなで駄弁りながらユキさんとお昼ご飯を食べながら休み時間は終わった。彼女とは何故だか尋常じゃないスピードで打ち解けていき、挙句、今日は一緒に寄り道しようという話にまでなった。

 _あ、寒いな。
次に気が付いたときは、やたらに向かい風が強かった。状況の把握までしばらく時間がかかったが、どうやら高速道路でバイクに乗っているようだ。近くにはユキさんらしき人もいて、一体どこへ向かっているのだろう。とりあえず彼女に従いついて行った。最高に楽しいじゃないか。
しばらくして高速を抜け、山の方へ向かって行った。
「ねえ、これどこに向かってるの?」
「ついてからのお楽しみー!!」
「えぇ…まじかー。」
などという会話を続けること10分ほど。丘の一面に広がる大規模な畑のような場所についた。だが季節が季節なだけに、斜面いっぱいに茶色が広がっていて、他に人も見当たらなかった。ユキさんは、斜面の階段を上って頂上少し手前にある小屋まで行こうというので一緒に上った。
「私達、初めて会ってから1週間しかたってないのに、もうこんな遠くまで二人っきりで来れるまで仲良くなれたね。」
ん?一週間?寄り道をする約束をしてからまだ数時間しかたっていないのに何を言っているのだろう。この時私は妙な違和感を覚えた。
「私嬉しいんだ!またあなたとこうやって仲良くできる日が来るなんて。さ、小屋まで行こう!」
また?さっきから何を言っているのだろう。ユキさんに会ったのはあの時、彼女がキーホルダーを落とした時が最初じゃないか。そう考えている間にユキさんはいつの間にか駆け出し、小屋へと近づいていた。あぁ置いて行かれる。私もうつむき加減で軽く走り、上っていった。
ところが、小屋の近くにつくとユキさんの姿は見えない。どこに行ったのかと思い、小屋の近くにある断崖絶壁の方を向いたその時、体がぴたりと動かなくなった。向こう側にはユキさんが立っていて、こちらを見ている。直線距離にすると3メートル程で、決して遠い距離ではないのだが、どうやら向こう側へ行く道というものは無いようだった。動けない私に向かってユキさんは口を開いた。
「私ね、あなたとはもういられないの。」
「えっ、それはまたどうしてこんな急に?」
「急じゃないよ…急じゃないんだよ…」
そう言った瞬間、彼女の思考が私の頭の中にどっと流れ込んできた。彼女は小さいころから幾度となく不思議な_いわゆる超常現象に遭遇してきたようだった。いろんな人や霊との思い出が流れ込んでくる。そしてその中にはキーホルダーを拾って渡したときの私の姿もあった。誰かの記憶にはっきり残っているというのは正直嬉しいことだ。しかし、そのあと信じがたい光景が映っていた。何がきっかけでそんなことをしたのかなんて覚えていない。屋上から出て行こうとする私はふと歩みを止め、フェンスの方へ向かっていった。おおよそ1メートル程しかないフェンスを乗り越えてしまった。誰が止める間もなく。

 _ああそうか。本当におとしものをしたのは、ユキさんじゃなくて私の方だったんだ。この身を、この命というおとしものを。さよなら、ユキさん。

おとしもの。

おとしもの。

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更新日
登録日
2018-06-12

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