気になる木
ショートショート作品。愛した人が植物になるまでのお話を綴ります。
ショートショート作品。植物と鋏と花弁。
ピッピッと機械的な電子音が病院の一室に響く。白いベッドの上、寝かされていたのは二丁目の花屋で働く女性であった。
鼻や、口に。細長い管が装着されており、酸素を循環している。手首に繋がる管を辿れば、点滴スタンドに吊り下げられた緑色の輸血パックが目に入る。
ゆっくりと管を通って輸血される液体は「植物人間」状態の患者に処方される唯一の延命治療だ。
眠ったまま起きない彼女を眺めるのは一人の男性。彼はそっと彼女の手に触れると、なぞるようにして自身の指先を茶褐色の肌に這わす。ざらざらとした、木質の感触。時折、男の爪が木肌に引っ掛り、がりっと、木片が欠ける音がする。
ベッドの下、足元を取り巻く蔦は日に日に増え、彼女の身体が次第に「植物」へと変化している。
葉脈のように血管が浮き上がり、足先へむかうほど樹木と化し、シーツへ根付いた両足。
肌は柔らかさを失い、鱗のように外皮は硬く、粗雑であった。蔦が至るところから伸び、所々に芽を出し、葉をつけた指先からは暖かさを感じない。
男は未だ人の形を残していた頭を数回撫で、この姿になる前の彼女を思い返す。
一年ほど前の交通事故。男と待ち合わせをしていた彼女は、交差点を渡る途中、信号無視をした車に跳ねられた。
待ち合わせ場所でスマホの液晶画面を眺めていた男は、到着の遅い彼女を心配して迎えに行こうと思案する。道中、急に周囲が騒がしくなったと交差点付近に足を向ければ、しきりに安否を確認する声が響いていた。
事故があったのだろう、近付く救急車のサイレンが訳もなく焦燥を掻き立てる。なぜか、口内が渇いた。唾液を呑みこみ、野次馬を押し退けて、男は一抹の不安を胸にその光景を目の当たりにする。
風に散り、地面を這う花弁。踏み潰されたであろう花束は無惨にも元の姿を想起できないほど。そして、その中心で倒れていた彼女。
病院にて運び込まれた彼女は奇跡的に一命をとりとめた。ただ、そこで聞かされたのは「あの子は植物人間になるだろう」という、彼女の両親が悲痛な面持ちで告げる涙声であった。
それから間もなくして、ベッドに寝たきりの彼女の身体は、徐々に「植物」に成り代わっていく。
細胞が変化し、身体が作り替えられるように、彼女の姿は人とはかけ離れたものへ変貌する。
彼女の両親は、そんな娘の姿を受け入れられず次第に面会を避けるようになった。代わりに、男が毎日、彼女の容態を見ては報告をしていく。
――今日は穏やかな寝顔でした。手を握ってみたら蔦がからまってナースコールを呼ぶ羽目になったり、それと新しい芽が出ました。足のふくらはぎ辺、もう三日もすれば葉が開くでしょう。
――今日も彼女は生きています。
また半年ほど経った日には、
――彼女の身体が虫に食われていたらしく、直ぐさま手術となりました。摘出された虫は足から腕へかけて多く存在し、殺虫剤を含む点滴を施され帰ってきた彼女はぐったりとしており、顔色が悪く感じました。
――それでも彼女は生きています。
と、事細かに全てを記した。
最初は彼女の両親も男から話を聞くたびに泣き、癇癪を起こしては止めてと叫んでいたが、年月が経つにつれて、仕方なく受け入れるかの如く反応も大人しくなっていった。
男は備え付けのパイプ椅子に腰を下ろすと、ところどころにキズのある日記帳を取り出す。慣れた手つきでページをめくり、文字列が途切れた部分から隙間をとって、新たに言葉を綴った。次の日も、次の日も。毎日、毎日、彼女を記した。
そうして、二週間が経った今日。医師が厳かな声色で男を呼んだ。
促され、彼女の病室に入ると、そこには青々とした葉をつけ、他の医療器具やベットにまでも蔦を広げた植物が鎮座していた。
その幹の中心、頭があったであろう場所には一輪だけ花が咲いていた。今まで見たことがない、植物図鑑にも載っていないだろう不思議な花。
医師は何やら話掛けていたが、男の意識はその紅一点にだけ注がれている。やがて男の反応が無いのを仕方なく思ったのか、医師は白衣を翻し病室を後にした。残ったのは呆然と立ち尽くす男と、根を張った大木。
ふと、男が動き出す。
ゆったりとした動作で歩みを進めた男は、ベット横に備えられていたペン立ての中に紛れている鋏を取り出し、脈拍無く、唯一咲き誇っていたソレを切り落とした。
ポトリ、と。転がるようにして落ちる花は、差し出した男の手の平に収まる。
小さな花弁が密集した、仄かに紅色を綻ばせる花。男は長らく声に出さずにいた言葉を、震える喉から絞り出す。
「……綺麗な花を、ありがとう。祝ってくれて……、ありがとな……」
そっと両手で包み込み、囁く。男の手からは鋏が滑り落ち、金属音を響かせて床に転がった。
刃に付着した緑が、滴るように花の切り口からも零れていたのを、男だけが知っていた。
気になる木
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