茗荷の舌 第2話ー蛇苺

茗荷の舌 第2話ー蛇苺

子狸の摩訶不思議なお話。PDF縦書きでお読みください

   
 
 今日ももうすぐ日が落ちる。
 家の外をみると、夕暮れの空をパタパタと蝙蝠が飛んでいる。急降下して何かを咥えたと思ったら、咥えたはずの虫が、すーっと蝙蝠から離れて逃げていった。失敗したのだ。
 蝙蝠はまた舞い上がると、急降下をして、何かを咥えた。でも、また逃げられたようだ。全くへたな蝙蝠だ。
 鴉が珍しくゆったりと飛んでいく。蝙蝠が急上昇した。と見ると、鴉の尾っぽに噛み付いた、鴉はびっくりして振り返った。鴉は飛びながら尾っぽを振った。蝙蝠は落ちまいとしがみ付いている。
 しかし、しまいに振り落とされ下に落っこちてきた。
 「とて」と音がした。僕が見に行くと、玄関先の土の上に蝙蝠が転がって目を回している。
 「大丈夫か」
 声をかけると、蝙蝠はよったっと立ち上がり、玄関脇できれいな実をつけていた蛇苺の赤い実をぱくっと咥えた。
 羽のついた両手で赤い実を持ち直すとかぶりついた。
 蝙蝠の口の周りが赤くなった。
 吸血鬼のようだ。
 蝙蝠は深呼吸をすると、さっと空中に舞い、すうーっと上空に上って、急降下し、前の家の屋根の上で様子を見ていた鴉の背中にかじりついた。
 鴉はからだを激しくゆすって蝙蝠を落とした。
 蝙蝠は再び玄関の前に落ちてきた。
 「とて」
しばらく気絶していた蝙蝠は、目を開けると、玄関脇に這っていって蛇苺の実をかじり始めた。よほど蛇苺が好きなのだろう。
 蛇苺はバラ科なので、普通の苺と同じ仲間ではあるが、遠い親戚程度である。毒苺といわれることもあるが、全く毒はない。しかし食べるに絶えられない味だという。物好きにもジャムを作った人もおり、工夫すれば何とかなるのだろう。
 蝙蝠は実を三つかじると、元気が出た様子で空に舞い上がった。あたりは暗くなり、鴉もいなくなっている。
 蝙蝠はしばらく飛び回ると、どこぞへと消えていった。
 蝙蝠を見送って、玄関先からさあ家に入ろうと門柱に目がいくと、脇に小さな茶色の動物がこっちを見ていた。猫ではないし、狸のようにも見える。神社で泣いていた狸の子供だろうか。
 その日の夕食は白いご飯に白菜のキムチと醤油椎茸をのせ、茶をかけて、韓日茶漬けというのをこしらえた。そのような味のする茶漬けである。

 あくる朝もいい天気だった。玄関を開けると顎髭を生やした鴉が門柱の上に止まっていた。背中に蝙蝠がしがみついている。
 鴉が僕を見ると言った。
 「離れないんだ、なんとかしてくれ」
 蝙蝠は強くしがみついた。
 「いやや、離れたくない」
 なんだ、内輪もめか。
 「違うんだ、この蝙蝠、勘違いしてるんだ」
 鴉は黒い目で僕を見た。
 「何の勘違いだい」
 「この蝙蝠、ポーの詩を読んだんだそうだ、それで大鴉にとり憑かれたんだ、俺がその大鴉だそうだ」
 「どうしてだろう」
 「ほら、この顎鬚だ」
 「でもどうしてそれが大鴉なんだい」
 「大鴉ってやつは、ワタリガラスのことで、喉のところに毛がふさふさ生えているのさ。俺のは顎鬚だがな。俺は大鴉じゃないと言ってるのだがだめなんだ」
 「誰が訳した大鴉を読んだのだろう」
  そうたずねると、蝙蝠は「日夏耿之介」と言った。
 「あんな難しい古い言葉、よくわかったなあ」
 蝙蝠はこっくりした。
 文学少女の蝙蝠らしい。
 「それで、この大鴉に何をしてもらいたいのだい」
 僕が聞くと、蝙蝠はつぶらな目をして鴉を見た。
 「あの世に連れてって欲しい」
 そうか、これには鴉はこまっただろう。死ねばいけるよとは言えないだろう。
 「あの世ってなんだか知っているかい」
 「きっと、お空の上にあるの」
 夢見るように蝙蝠が言った。それを聞いた鴉のお腹がぐうと鳴った。
 「朝ごはんは食べたのかい」
 僕はちょっと聞いてみた。
 鴉は首を横に振った。
 「こんな調子で食べる事もできないよ」
 「どうだい、茶漬けなんか」
 「喰った事は無いが、腹へって死にそうだ、何でも喰うよ」
 ということで、文学少女の蝙蝠がかじりついた顎鬚鴉は我家に入ってきた。
 ちゃぶ台には朝ごはんの用意がしてある。
 鴉がちゃぶ台の前に行儀良く座った。蝙蝠は背中にかじりついたままである。
 「今日は蛇苺の葉っぱで作った佃煮でお茶漬け」
 僕が言うと、蝙蝠も鴉の背中から降りて、ちゃぶ台の端に座った。蛇苺がよほど気に入ったのだ。
 鴉にはどんぶりを、蝙蝠には湯飲茶碗を用意した。
 白いご飯をよそうと、蛇苺の佃煮をのせ、マムシ草で作ったお茶をかけた。このお茶は、知り合いのお茶の先生、九(く)茶(ちゃ)路子(ろこ)さんがつくったものだ。何でもお茶にしてしまう。
 鴉は珍しそうに嘴を伸ばした。
 蝙蝠は首を突っ込んだ。
 僕もさらっと口に入れた。うまい。この蛇苺の葉の佃煮は子(し)木子(きね)堪能(たんのう)という料理研究家に作ってもらったものだ。何でも佃煮にしてしまう佃煮料理の天才だ。彼の作った佃煮はどのようなもので作ってあってもうまい。
 鴉はあっという間に平らげてしまった。
 「もう一杯どうだい」
 鴉は恥ずかしそうに頷いた。
 「うまい」と、一言言った。
 もう一杯作ってやった。
 蝙蝠も、湯飲茶碗一杯平らげて、もっとほしそうだったので、作ってやった。
 「おーうまかった」
 「おいしかった」
 鴉と蝙蝠は二杯もお茶漬けを食べた。
 僕は蛇苺のシャーベットをデザートで出した。これも堪能が作ったものだ。
 鴉と蝙蝠は大喜びで蛇苺のシャーベットを食べた。
 蝙蝠は空になった皿を僕の前にさしだした。もっと欲しいということだろう。
 それで、もうないものだから「ネバー モアー」と言ってやった。
 蝙蝠はそれを聞くとはっとして、あわてて、鴉の背中によじ登ろうとした。
 そうしたら、鴉が「ねばー もあー」と言ってからだをよじった。きっと、もうやだーと思ったのだろう。
 蝙蝠ははね飛ばされてひっくり返ると鴉を見上げて、
 「かっこいい」と驚嘆の声を上げた。
 なんてことはない、ポーの大鴉の唯一のせりふだ。
 「もう一度言って」
 蝙蝠は鴉に要求している。
 鴉は「ネバー モアー」と本気で言った。
 「大鴉さんは詩人ねえ」
 蝙蝠は鴉を穴があくほどを見つめている。
 「奥さんにしてえ」
 と甘えた。
 鴉はびっくりして、
 「あんたは哺乳類、俺は鳥」と言った。
 「わー詩的な言葉、あんたは哺乳類、俺は鳥、意味深ねえ」
 何が意味深なのだろう、そのままじゃないか。
 蝙蝠が聞いた。
 「哺乳類ってなあに」
 「おっぱいあるだろう」
 鴉が蝙蝠をじろじろと見た。
 「あるけど、小さい」
 「それが哺乳類ってんだ、鳥にゃない」
 鴉がまた蝙蝠の胸元をじろじろと見た。
 「見ちゃいや」と蝙蝠が翼で胸元を隠した。
 「吸血鬼みたいだ」
 鴉は翼で包まった蝙蝠を見るとつぶやいた。
 僕はどうしてよいかわからずただ見ていた。
 「帰ろう、ほら、神社の仲間のところに連れてってやるよ」
 鴉が蝙蝠に言った。この鴉はやさしい。
 「あい」蝙蝠は鴉の背中に乗った。
 「ごちそうさま」
 こうして、一匹がくっついた一羽は玄関から飛び去った。
  
夕方、玄関の前に籠に山盛りになった蛇苺がおいてあった。
 茶色の毛が一本、籠にからまっている。狸の子だ。きっと蛇苺のシャーベットが食べたかったのだ。何処からか鴉と蝙蝠が食べているのを見ていたのかもしれない。友人にもう一度シャーベットを作ってもらおう。


「茗荷の舌」所収、自費出版33部 2016年 一粒書房

茗荷の舌 第2話ー蛇苺

茗荷の舌 第2話ー蛇苺

蝙蝠が大鴉に一目ぼれ、追いかけて背中によじ登ろうとするのだが、振り落される。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-06-01

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