家族の日

 現在大学生で、短編初投稿です。できれば、感想を頂けるとありがたいです。

家族の日

登場人物
 狭霧レナ  私。高校2年生。
 小柴アカネ レナの親友
 大島カオル アカネの幼馴染
 


 梅雨時の昼下がり。私たち二人は、食堂で昼食を食べ終わって、談笑していた。
「それで、前から聞きたかったんだが――」
「あ、屋上へ涼みにいきませんか」 私はとっさに話を遮り、私は左の肩のあたりを右手でさすった。そこには、戦争で怪我をした切り傷がまだ残っていて、緊張したときは、そこをさするのが癖になってしまっていた。
「ほら、前に雨上がりの景色が好きだって言ってたじゃないですか! 今なら雨が止んでますし」
「・・・・・・いいけれど」
 本当は、小柴さんが、私の身の上話を持ちだそうとするのではないかと恐れて、話を逸らしたのである。小柴さんに出会ってからの2ヶ月間、私はそれを話そうとはしなかった。小柴さんは今まで何度も聞こうとしていたようだが、私は、いつも話を逸らしてきた。私はかつて、それを話したがために嫌な思いをしてきたし、もう同じ思いをしたくなかったからだ。
 それで、私たちは屋上へ上がることにした。その前に、私は図書室に本を借りに行かなければならなかったので、小柴さんにも付き合ってもらうことにした。図書館は、食堂のすぐ隣にある。私たちは入口に入ってカウンターへ向かった。
「すみません、3日前に本を取り寄せたんですが」私は少し急ぐように早口で言った。
「ええと、お名前はなんと言いましたか?」
「狭霧レナです」

 校舎の端っこにある、幅が人二人分位の、薄暗く冷たい階段を、私たちは無言で昇った。2階と3階の間の踊り場で、前を歩いていた小柴さんが突然止まった。私は考え事をしていたせいで、一瞬動揺し、危うく小柴さんにぶつかりそうになった。小柴さんの頭越しに階段の先を見てみると、右足が義足の寺沢先生が、こちらへ降りてくる最中だった。小柴さんは右の壁によけ、私もそれにつられるように、壁に背中を引っ付けた。寺沢先生は、ありがとうと言って。ゆっくりと、右足をかばうようにして降りていった。
 屋上の階段小屋からでると、意外にも空気は温かかった。でこぼこのコンクリートの地面には、まだら模様のように水たまりができていた。排水溝に雨水が落ちる音と、それが金属パイプを流れ落ちるこもった音もかすかに聞こえた。私たちは、海岸線の見える方の手すりへ、水たまりをさけながら進んだ。一息ついて、海の方を見ると、一面の曇り空と、水平線がくっきりと分かれているのが分かった。湾の向こう側の陸地もかすかに見えるが、それは、空と海を隔てる一本の太い線にしか見えなかった。
 私はようやく心が落ち着いた。というのも、1階から4階までの階段を、息を切らしながら昇ったときも、水たまりに落ちないように屋上を横切った時も、私は考えに夢中になっていた、というよりも、無意識になっていた。風も音も景色も、いつの間にか感じとっていた。手すりに背中からもたれ掛かっている小柴さんの右手に、缶コーヒーが握りしめられていることも、私は全然知らなかった。恐らくここへ来る途中に、屋上小屋の中にある自動販売機で買ったのだろう。
「なあ、どうして話してくれないんだ」ようやく胸の鼓動が収まってきたと思ったそのとき、唐突にその言葉が聞こえてきて、今度は心臓が止まるかと思った。彼女はもうすでに気づいていたのだ。いつも話をはぐらかしていた私の、その奥に隠されている物の存在を、彼女はとっくに探り当てていた。そして、彼女はその中身を知りたがっている。それに小柴さんは、当たり障りのない言葉を投げかけつつ、慎重に相手の内面を探っていくようなやり方はしない。単刀直入に切り込んでいくのだ。2ヶ月も彼女と接していて、小柴さんには、そういう男っぽくて、大雑把なところが多々あることは感じていた。しかし、そういう所が、私はとても好きだった。
 だが、この言葉に、私が面食らったということには変わりない。鼓動が自分の耳でも聞こえるくらい激しく、早くなり、背中から汗が吹き出る感じがした。そして、いつもの左肩の傷をさわる癖。
 とうとう喋らなくちゃいけないか――私の激しく動揺する心の、わずかに冷静を保っている部分が、そうささやいた。そして、私は乾ききった口を懸命に動かして、喋り始めた。

 昔、青森に住んでいた私は、中学生だった。父親は花火工場を経営していて。母もそれを手伝っていた。私は、衣食住に困ったこともなかったし、高校、大学にも進学してもいいといってくれた。ただ、その頃の日本の情勢は、かなり悪いものだった。というのも、政府への不満が募り始め、地方では、反政府勢力が台頭してきたからだった。もちろん青森でもそうだったし、何より、父がその反政府勢力の支持者だったのだ。私が中学に入ったばかりの頃に、花火の製造を禁止する行政命令が出されたのが、その理由だった。父は、やがてやってきた、反政府勢力の関係者に、自らの花火工場を、武器の火薬工場として貸し出した。私は、父が悪いことをしているとは思わなかったし、その町で父を非難する者は誰一人としていなかった。政府と、反政府勢力の衝突が各地で始まると、父は、工場から、手伝いで参加した私や母を追い出した。当然、工場が攻撃の対象になるからだ。
 そして、そのときがやってきた。海の向こう側、函館から発進してきた2機の戦闘機が、空襲警報とともに爆音を響かせてやってきた。F―4戦闘機はかなりの旧式だったが、工場1つ破壊するには十分すぎる物だった。警報を聞きつけて、私は工場の隣にある自宅から、100mほど離れた空き地へ、両親の言いつけどおりに全速力で走った。だが、その間、私は父と母の姿を見ることはなかったし、もう二度と見ることはなかった。
 空き地の防空壕は、地下に掘られた並の部屋程度の空間で、木材で四隅と壁を補強してある。中は30人くらいがぎゅうぎゅう詰めに入っていて、後からきた私は、地上に通じるはしごのそばでしゃがんでいた。入り口は正方形の鉄の扉で封じられていた。
 私が防空壕に避難してから5分くらいたった時、戦闘機のうなり声が大きくなって、遠ざかった。その直後、爆発音とともに壕は揺れ、土煙が立った。あまりの衝撃で、壕と外を隔てていた鉄板が壕の中へ押し込まれ、その端が、私の左肩に直撃した。壕は悲鳴と怒号で溢れかえっていた。血で染まった左腕を大人に治療してもらっている間、私は両親のことを考えた。あの爆発で生きているはずはないと、認めたくはなかった。
 1年後に戦争は終わった。私は、亡くなった両親の親戚に一時的に預けられることになり、東京へ引っ越した。転校した学校で、私は自分の体験を知り合った人に話すことがあったが、反抗した当然の報いだと、誰もが私の父を非難した。そのせいで嫌がらせを受けることもあった。私がどれほど嫌な思いをしてもそれは許せる。しかし、父や、父と一緒に逃げようとして工場へいった母――母があの時どうしていたのか、東京へ来る前に近所の友人に聞いたのだ――のことをそのように言うのは筋違いだ。私にとって、そこに政治的善悪の問題はまったくないのだ。誰でもいいから自分の悲しみを打ち明け、寄り添ってほしかっただけなのだ。幸いにも、その後すぐに北海道の叔父の所へ引き取られることになった。

 気がつくと、昼休みの終わりを告げる予鈴がなっていた。頬の筋肉が疲れていて、頭がぼーっとしていた。どうやら、順序立てて、誤解を与えないように喋るのに意識を集中しすぎていたらしい。その間、小柴さんは、首をかすかに振る仕草はしたものの、相づちらしい言葉も何もなかった。
 ふーん、と小柴さんは無愛想に言った。どこか、疲れたような顔をしていた。「そろそろ戻ろうか」彼女のその言葉に、はっきり言って私は拍子抜けした。もっと何か言ってもいいんじゃないか? しかし、少し安心もした。嫌われることを恐れていた私にとって、今までどおり小柴さんとやっていけるのは、この上ない喜びだ。小柴さんは、真上を見上げるようにして缶コーヒーを飲み干した。「あとで話したいことがあるんだ」彼女はそういって、私は、再び胸をえぐられるような緊張を覚えた。二人で階段まで歩く間、私は再び左肩をさすっていた。

 レストランで、1人で夕食を食べた後、私はブラウスのポケットに入れていたメモ用紙を取り出して、書かれている住所を確認した。ここから近いところにある。私は紙をしまい、時計を見る、午後7時。店を出ると、まだ空は明るく、雨上がりで、いつもより肌寒かった。私は、濡れたレンガ舗装の道を、使い古したスニーカーで大きな歩幅で急ぐように歩いた。 黙々と歩いている間、私はいろいろと考え事をしていた。あの人(・・・)と会ったら、何をすればいいだろう、どうしたらいいだろう。考えが行き詰まるたびに、私は左肩をさすった。

 あの後小柴さんは――あれからもう1週間が経っているが――私にあることを話してくれた。それは、小柴さんの幼なじみで、大島カオルという人のことだった。1年前まで、小柴さんと大島さんは、ともに学校へ通い、食事をして、遊びに行くほど仲がよかった。ところが、ちょうど1年前、大島さんの家族が乗る自動車が、対向車線からはみ出してきた軍のジープ――乗っていたのは、本州からの帰還兵で、麻薬常習者だった――と正面衝突し、両親と大島さんの姉は、帰らぬ人となった。大島さんは、風邪で家にいたので助かったが、家族を失ったショックが大きかったようで、それからは家に閉じこもり、小柴さんの説得にすら応じないまま、こうして1年がすぎた。私が意外に思ったのは、小柴さんが大島さんの身をとても案じているということだった。普段は楽天的で、積極的な小柴さんが、私と同じように、人には話しづらいようなことを抱えていた。いや、あの時の私だったからこそ話すことができたのかもしれない。

 そして昨日、日曜日に、小柴さんから電話で連絡がきた。大島さんと私が会って、一言二言でも話してほしいというのだ。こりゃ困った。まさか、私が彼女を説得しろとでも? そう聞いても、小柴さんは何も言わなかった。代わりに、大島さんの住む場所の住所を教えてくれただけだった。

 しばらく歩くと、住宅街に入り、そこを抜けて、今度は町工場と空き地が点在する開けた地域へ出た。日は西に傾き始め、空は赤くなっている。
 ここだ。私は目的の家を見つけた。砂利道に面した木の柵に、軍需品調達のための、軍指定の工場を示す票が貼られていた。幅3mほどの庭の奥に、四角形の平凡な家が立っていた。2階立てで、屋根は黒、壁は白。その後ろには、トタン屋根のそれほど大きくない工房があった。小柴さんが言うには、ガラス工房らしい。私は少しどきどきした。また左肩をさわる。
 玄関側のインターホンを押す。数秒ほどで、出てきたのは小柴さんだった。
「待ってたよ、さあ、入って」私は何も言わず入った。入ってすぐ左の部屋の戸を開く。中はこぎれいで、物が少なくよく整頓されている。ソファが一対、1m四方の木のテーブルを挟むようにして配置されていた。その、奥の方のソファに、1人の若い女性が座っていた。肩まである黒髪がきれいで、色白で、白のブラウスに青のロングスカート姿だ。とても上品で、外の夕日が照らす、彼女の顔が、少し微笑んでいるようにも見えるのが私にはとても意外だった。もっと、血の気のない、死人のような人を想像していたからだ。
「こんばんわ」大島さんは落ち着いた声で挨拶した。私も挨拶を返した。小柴さんに、ソファに座るように言われ、私はソファの端、ちょうど窓際に座る大島さんの対角線上に座った。
「あの、私はどうすれば・・・・・・」
「ああ、私、ジュースとってくるから、しばらく話しといて」小柴さんはそういうと、部屋を出ていった。なんか他人事みたいだな、と私は思った。と、大島さんは、テーブルにあったコップに、瓶入りのオレンジジュースを注いで、「どうぞ」と言って私に渡してくれた。
「ありがとうございます」私は言いながらもらい、オレンジジュースがまだたっぷり入った瓶に違和感を覚えた。
「・・・・・・さて、どうしましょうか」
「・・・・・・とりあえず、私の話をしましょうか?」私は、例の話をすることにした。今度は、まったく緊張せずに話すことができた。相手が同じ境遇だからだろうか? すでに話してタガが外れたからだろうか? 大島さんは、悲しい表情で話を聞いていた、私の話に共感しているというよりも、自分の境遇を思い出し呪っている感じだった。
 一通りのことは話し終わった。何分経っただろうか? どこからか掛け時計のカチッカチッという音が聞こえてきて、突然気になった。うつむくようにして膝に乗せた腕の時計を見る。8時を過ぎていた。それにしても、小柴さんは遅過ぎやしないか? 
「私、大島さんのことは話に聞きました。でも・・・・・・」
「でも?」
「どうして、そんなにも出たがらないんですか?」
「それは、いや・・・・・・」
「すみません、でも、どうして」
「私にとっては、すぐそばの細道に出ることさえ出来ないんです。何というか、吸い込まれるような気がして、今度は、私が災難に巻き込まれるんじゃないかと・・・・・・」
「そんなことはない!」つい力んで言ってしまった。
「違うんです。・・・・・・あのとき、私も一緒に死ねばよかったんだ」
「どうして、そんなことを?」
「その日、父、ガラス職人の父は私に、自分たちの工房より大きなガラス工場へ行かせようとしていたんです。戦時中は、軍用車のランプグラス製造で忙しかったので、それが終わってから、私に職を引き継がせるために工場へ出そうとしたんです。家の工房は何人も働くには小さすぎるので、まず余所で経験を積んでから戻るように言われました。でも、親不孝な私はどうしてもいきたくなかった。そこで、私は仮病を使うことにしました。風邪だと偽って、その場はしのぎました。父と母、それと姉は、その工場へ詫びに行くために車で出て行きました。私が警察からあの報を聞いたのは、それから5時間後でした。私は悔しくて仕方がありませんでした。どうして私は行かなかったのか、どうして私は生きているのか、自分を責めました」

 私は呆然としていた。私と同じじゃないか、親を失い、自分を見失っている。皮肉にも、違う形であれ、それは戦争によって引き起こされたことだ。もし戦争が起こらなければ、もし私の父が花火を作っていなければ、もしあの帰還兵がジープを運転していなければ・・・・・・。
「でも、そんなことを今嘆いたところで――」
「分かっています。分かっていますけれど・・・・・・そのことが頭から離れないんです! どうにもならないんです!」
「・・・・・・分かりました。じゃ、こんなのはどうですか?」ついに、自分の考えを話すときがきた。これが有効策か分からないが、やってみるしかない。
「1年に一回だけ、悲しむ日を作るんです」
「悲しむ日を?」
「そうです。言い方は悪いかもしれませんが、いつまでも過ぎ去ったことを悔やんではだめです。しかし、その悲しみを封じ込めてしまうのもいけない。だから、悲しむ日を作るんです。その日だけは、どんなに泣いても良い、苦しんでも良い。でもその日以外は、前を向いて歩かなきゃならないんです」
 彼女は、白い肌に一筋の涙を流した。うつむいて、すすり泣いたが、それもすぐに収まった。
「ありがとう、なんだか心がすっきりしました。そうですね、前を向かなきゃいけませんね。みんなの墓はここから見える丘に立てましたが、心の中ではそれを受け入れることが出来ていませんでした。心にも、墓というものが必要なのですね」よかった! どうなるものかと思っていたけれど、うまく行ったようだ。と、不意に私の後ろからガチャッという音と、ドアの軋むような音が聞こえた。振り向くと、そこには小柴さんがいた。小柴さんの涙袋のあたりは、少し赤くなっていた。なるほど、小柴さんもこの会話の行く末に、胸がはちきれそうになったに違いない。
「ずいぶん遅かったんじゃないですか?」私は皮肉を込めていった。
「それは悪かった。でもよかった。やっぱりレナをつれてきてよかった」彼女のように行動力がある人間でも、どうしようもないこともある。そして、それを私に託したわけだ。
「ああ、それと、もう1ついいですか」
「何でしょう?」大島さんは半ば放心していたようで、目を見開いてびっくりしたように返答した。
「私と、友達になってくれないでしょうか」
「ええ、もちろん! 親友ですよ!」
 

家族の日

家族の日

高校2年生の狭霧レナは、戦争での辛い記憶を隠したまま生きて来た。ある日、親友である小柴アカネにそのことを打ち明けると、今度はアカネの幼馴染である大島カオルに、一度会って欲しいというのだ。アカネの真意とはなんだろうか? 少し切ない青春ストーリー。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-29

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