女森(めもり)
樹木になった旅人のユウサク。なぜ樹木に。その秘密とは?
ユウサクは朝起きて、樹木になっていた。老女は、枝が人の指のようだわ、とにんまり笑った。背後に、若い女たちが今か今かと待ち構えていた。
ヨットで海を旅していたC国の男が孤島に流れ着いた。何も知らない男は、浜から岸へ上がった。奥深いジャングルを進んで島の中心部を目指し、村に辿り着いた。見る人、みな女ばかりだ。幼い女の子、少女、若い女性、中年女性、熟年女性、老女。女性しかいなかった。怪訝に思った男は、村のはずれを通りかかった老女をつかまえて、訊ねてみた。幸いなことに、言葉は世界共通になっていた。
「あの。ユウサクと申す旅人ですが」
「よその方ですか? 久しぶりだわ……。ここへは何をしに?」
「世界を放浪して、各国の文化を見て回るのが目的です。ここには女性しかいないのですか?」
「そうです。ここA国には、女しかいないんです」
ジェンと名乗る老女は数寄なA国の暗い歴史を語った。二十一世紀末に打ち上げたロケットで、国の男はすべて残らず、食糧を求めて地球から五光年離れた惑星Qへ移住した。当然、女や子どもを呼び寄せるつもりだった。が、到着後、ロケットの燃料が漏れ出て、帰れなくなった。それ以来、国には生身の男が途絶えた。地球の温暖化で二十二世紀の環境は激変。A国は、草木が生い茂り、獣の闊歩する未開の孤島になった。町は荒れ果て、たったひとつの村だけが残った。女たちは石塀を築いて引き籠もった。老女は、それから、と一息ついた。
「それから、大変な事態になりました」
「何が起きたんですか?」
「A国は孤島です。男衆がいなくなり、戦乱が続きました。力士のように太った女番長が戦に勝ち、実権を握って統治するようになったのです。その際、絶対服従の女性独裁憲法を作りました」
「女性独裁憲法?」
「はい。女の、女による、女のための憲法です。A国は民主主義とは程遠い軍事政権です」
「そうなんですか」
ユウサクは気後れがしてきた。ジェンはなおも話を続けた。
「この国を統治する女番長はデュラという名ですが、俗に『スケ貴妃』と呼ばれております。デュラは高度な科学を進歩させ、国を発展に導きました。因みに、この村のことを女に森と書いて、『女森(めもり)』とおなご衆は称します」
女森、軍事独裁政権、スケ貴妃デュラ。いったいどういう国だろうか。ユウサクは戸惑いと不安を隠しきれなかった。ジェンはそれを見て取り、安心させるような言葉を並べた。
「独裁といっても至って平和です。よそから攻撃を仕掛けるような事態はいちどもあった試しがないんですから。それに」
「それに?」
「よそからのお客様は、特別な活動をなさるのが習わしになっておりますので」
特別な活動。なんだろう? 話が見えてこない。とりあえず疑問は横に置き、ユウサクは訊ねたいことをぶつけた。
「女の人はみな満足しているのですか?」
「ええ、それは、それは。楽しみがありまして」
「楽しみとは?」
「毎年の十月、五番勝負の大会を行います。年齢制限はなく、A国民なら誰でも応募できます。『料理』、『着付け』、『舞踊』、『歌唱』、『おもてなし』で決します。よそからの方は、随時、リョッカツにも取り組まれております」
各種目は、昔の本で読んだ、遠い島国の風習のように思えた。ユウサクはその国の名が思い出せなかった。リョッカツ? 耳慣れない言葉が引っ掛かった。
「リョッカツとはなんですか?」
「それは、実際にユウサク様が体験なさったらよいかと」
彼は何かの活動だろうと思った。それはさておき、オレも「おもてなし」を受ける立場にあるのか。ユウサクは喜んだ。長旅で空腹のユウサクは、喜びの余り、リョッカツの大切さを甘く見ていた。化粧を整えたキレイな着物の女将が姿を現し、特別に接待してくれる。ジェンの口ぶりから、きっと素晴らしい饗宴が繰り広げられると想像した。ただ、太った女番長デュラの存在だけが気掛かりだった。
ジェンに案内され、正面にそびえる館へ入った。ジェンのあとをついていき、大広間に通された。新種の四次元空間パネルでは、来月にB国の首脳がA国を表敬訪問する文字ニュースが、途切れなく左から右に流れていた。ユウサクは周囲を見回した。建物は、高いドーム状の天井に大理石の床だ。
しばらくして、泥鉄砲の余興が始まった。群衆はざわめき出した。なにかが始まる予感がした。黄金色に光る金属装置が広間に登場した。タイヤのついた装置は自走を始め、猛スピードで動き、上面に着いた円筒から泥団子をビュンビュンと噴射した。泥鉄砲は動きの鈍い女性らを狙い、泥団子が当たった女性は後ろへ下がった。参加者は赤ヘルメットに青の盾でよけ、泥団子をよけて動き回った。
「さあ、一緒に余興をやりましょう」
ジェンに促され、ユウサクはいわれるがまま参加した。縦横無尽に高速で動き回る装置に素早く反応し、盾で凌いだ。女性らは次々と泥の餌食になり、退いた。参加選手は一人減り、二人減り、気づくと、二人のみが残っていた。
スケ貴妃デュラとの対決となった。これがデュラか。金色の、怒髪天を衝くように逆立った頭髪。顔は真っ赤。でっぷりと太ったいかつい体。こいつと対戦するのか? ユウサクは溜息を漏らした。館内は黄色い声に包まれ、熱気は絶頂に達した。
デュラに勝てば、オレはA国の支配者になれるのか。そう思うと俄然やる気が出た。必死に動いては泥団子をよけ、デュラの背後に回り込んだ。しめた。この女を盾にすれば。慢心した。デュラは体型に似つかない身のこなしで瞬時にバック転を決めた。あっと叫んだ。見上げた途端、彼に隙ができた。装置は左に回り込み、泥団子がユウサクに命中した。銅鑼が打ち鳴らされ、余興は終了した。
「フハハハハ。わたしに勝とうなど、十年早いよ。男なんかに負けるもんか」
優勝のデュマは、決め台詞を吐いた。デュラはジェンに意味深な合図を送った。汗をかき服が汚れたユウサクは、別室に連れていかれた。
おもてなしの宴が始まった。白い着衣に着替えると、八角形の間に移動した。赤い絨毯の上にテーブルがあり、それぞれに趣向を凝らした豪華な料理が載っていた。箸と皿を給仕に手渡され、立食で食事を楽しんだ。大きな開口部には庭が見えた。庭では、月明かりを浴びた踊り子たちが優雅な東洋風の調べにのせてゆったりと舞いを演じていた。これが本物のもてなしの時間か。ユウサクは堪能した。
その晩、客室に泊まった。寝る前、女中が水差しを持ってきた。喉の乾いていたユウサクは一口含み、床に入った。
樹木になる最悪の日、夢見心地で朝を迎えた。昨夜の余興と饗宴を思い返そうとした。が、なにをしたのか思い出せない。頭のメモリ(記憶)が空っぽになった。女森、めもり、メモリ……。めもりとは、はて、なんのことだったか……。そう思ったが最後、気づいたときには手遅れ。顔全体が小さく縮み、頭頂部は先細りし、尖り出す。頭髪や体毛は見る見るうちに伸びて繊毛に、手は葉っぱに、足は根っ子になった。ユウサクの体は小さな樹木へと変身してしまった。
起きましたか? ジェンが顔を出し、ニヤリと笑って舌を出した。ジェンは女中を呼び、短刀で樹木の幹を削り取らせた。露出した切り口に、「M―y8635」と赤ペンキで識別番号を書いた。ジェンは樹木を蹴り飛ばし、森の中へ運べ、と命じた。その日の文字ニュースは、A国の緑化政策推進により、地球温暖化の緩和に役立っているとB国外相が国際会議で称賛する発言を流していた。A国の取り組むリョッカツとは、訪問者の忌避不能な「緑化活動」のことだった。
樹木はいまも、人気ない森の一画にひっそりと植わっている。ジェンはデュラに耳打ちした。もうすぐ森で、「子孫の実」が成りますよ、と。
〈了〉
女森(めもり)