精神病棟
死の予感
自分の呼吸の音がやけに大きく聞こえる。
息苦しい。汗もかいている。シャツの袖で拭おうとして、異変に気付く。
――手首が縛られている。
慌てて起きあがろうとすると、強い力で引き戻される。胴体も固定されているようだ。
怖くなって必死でもがく。両足首も縛られているようだ。カチャカチャという音が部屋に響く。
「おーい」
恐る恐る声を出してみると、少し間が空いてチャイムの音がした。
――ピンポーン。「どうさレまシタカ」
歪んだ声に恐怖心があおられるが、勇気を出して要望を告げる。
「暑いので、冷房を入れてもらえますか」
絞りだした声はひどく掠れていて、自分でも聞き取れないほどだった。
「何言ってるかわかんねーな」
小声でつぶやく声が聞こえた。無理もない。咳払いをして言い直そうとする。
ところが無情にもプツンという音とともに通信は切れた。
再び訪れる静寂。朦朧とした意識は、暗い闇の底に沈んでいった。
無双
男は上機嫌でゲームに興じていた。
「フーンフーンフーンフフッフフッフー♪」
鼻歌交じりで愛用の武器を振り回すと、次々と敵を倒していく。
ナイス、ナイスと味方から次々と称賛の声が上がる。続けざまに三人の敵を倒すと、男は異変に気付く。おかしい。敵が弱すぎる。疑問に思いながらも、前進し、敵陣営に切り込んでいく。
前方に復活してきた敵の姿を認める。どうも様子がおかしい。よく見ると敵どうしが向かい合い、互いを攻撃している。味方には攻撃してもダメージが入らない仕様のため、同士討ちになることはない。
「しかし、異様な光景だな」
男は呟くと向かい合う二体の敵の側を通りすぎる。程無くして、敵の復活地点にたどり着く。そこでは、虚ろな目をした敵兵が虚空に向かって攻撃を続けていた。
「なんだこれは」
恐らくゲームの不調だろうと自分を納得させると、男はゲームをやめ、眠りについた。
バチュン。自分の操作するキャラクターが音を立てて弾け飛ぶ。
「ナイス!」
敵方から歓声が上がる。
バチュン。バチュン。バチュン。三連続で味方が敵に葬られる。今日はどうも調子が悪い。復活し、前線へと駆ける。前方に敵影を発見する。物陰に潜み、敵の接近を待つ。
「今だっ」
攻撃を仕掛ける。しかし、ダメージを与えることは出来なかった。敵も反撃に出る。だが、こちらにもダメージは入らなかった。
「おかしいな」
仕方がないので、別の敵に攻撃してみるが、やはりダメージは与えられない。途方に暮れた男は、場外に出て落下死することにした。――バチュン。
翌朝男が目を覚ますと、病院のベッドの上にいた。錯乱状態での飛び降り自殺未遂だった。
敵襲
ベッドの周りには、確かに敵が存在していた。
目視することは出来ないが、先ほどから透明な麻酔針のようなものを飛ばして攻撃してきているのを、僕は肌で感じていた。攻撃は肌が露出している顔に集中している。麻酔の効果だろうか意識が朦朧としてくる。しかし、僕は抵抗を諦めなかった。
口の周りに刺さった針を舐め取ると、咀嚼し唾液に混ぜ、敵に向かって吐き出したのである。不可視の敵が怯むのを感じる。どうやら上手くいったようである。僕は内心ほくそ笑み、満足感の中で眠りについた。
ザリザリザリザリ。奇妙な音で目が覚める。首を切られている。僕は直感的にそう思った。目を開けると、同時に音が止んだ。特に不審な物は目に映らない。
「今度は見えないノコギリか」
僕は胸の内で呟いた。頭を動かす――ザリ。不可視の刃は、固定されており、頭を動かすと首が切れる仕組みのようだ。不思議と痛みは感じなかった。先ほどの麻酔が効いているのだろうか。手足を動かしてみる。少し動かすと引っ張られる感じがした。掛け布団に隠れていて見えないが、どうやら手首足首を固定されているようだ。なるほど、敵は確実に殺しに来ているようだ。ふと体に違和感を感じる。僕の身長はこんなに小さかっただろうか。ザリ。体を見回すため首を持ち上げようとすると、見えないノコギリが首を切った。その時、脳内に電流が走り、不可視のノコギリ、掛け布団で見えない体、固定された手首足首が一本の線で繋がった。そうだ、手足は既に切断されているのだ。身長が縮んだように感じたのは、体をバラバラにされていたからなのだ。掛け布団の下には、四肢を失った体と固定された手首足首だけが残っているのだと理解した。ここで、ふと疑問が浮かぶ。何故切断された手首と足首の先が動くのだろうと。再び、手足を動かしてみる。確かな感覚があった。考えにくいことだが、切断された手足は、何かしらの力によって脳と繋がっているらしい。そうとしか考えられなかった。手足に力を込める。体が少し持ち上がった。……これは!失われた腕と脚が再生するのを感じた。この調子でいけば体を完全に再生させることも可能かもしれない。胸が踊った。手首を回す、足首を回す、手足を突っ張り体を持ち上げる、という動作を繰り返す。その度に体が再生するのを感じる。次第に
楽しくなってくる。手首、足首、体を上げる。手首、足首、体を上げる。
「ピーピーピーピピッピピッピー♪」
気がつくと、ゲームのBGMを口笛で吹きながら体を動かしていた。もはや、敵の姿は何処にもなかった。
目玉焼き
突然の揺れに目を覚ますと、まばゆい赤色灯が網膜を焼いた。慌てて目を閉じる。薄目を開けて状況を確認すると、そこはベッドの上ではなく、ガラス製の床の上だった。更にはその床は、臍のあたりを中心に回転しているようだ。起き上がろうとしたが体に力が入らない。程無くして、体が一周する。どうやら、壁の一つはガラス張りになっているようだ。外の様子はよく見えない。なおも体は回り続ける。
「すみません!」
大声を出して人を呼んでみる。返事はない。ここで、ふと体が熱を持っていることに気付く。そしてその熱は体が回るほどに高まっている。熱い。だんだんと体温が上昇していくのを感じる。正体不明の熱から逃れるため、必死に体を起こそうとする。だめだ、動かない。
「助けてくれ!」
喉を枯らして叫ぶ。声が虚しく反響する。あまりの温度に皮膚が泡立つのを感じる。半狂乱になって叫ぶが、もはや声にならない。
「――ッッッッ!」
――ピーピーピー。ガチャ。
「目玉焼き、チンし過ぎたみたい」
精神病棟