胃の子

胃の子

茸短編SF系小説です。PDF縦書きでお読みください。

 朝刊の折り込みに、ガリ版で刷ったような、いかにも一昔前の宣伝が混じっていた。紙もがさがさしていて安っぽい。
 胃の子、目の子に、散茸丸とある。小型の瓶の中に丸薬が入っている絵が書いてある。青一色の印刷である。「さんじがん」と読むようである。
 一日一粒、すぐガン退治とある。
 そんなに早く癌に効く薬があるわけがない、ということは誇大広告ではないだろうか。このような、効くのか効かないのかわからないような薬を出すのは、大きな会社ではないことは確かだ。このあたりの小さな、個人が始めた会社のような、胡散臭さを感じさせる。
 しかし、その広告の余りの単純さゆえに手に取って、なぜか丁寧に読んでしまった。
 胃の子って何だろうと、見ると、薬瓶の絵の下の方に、小さく胃の子は胃からはえる茸、目の子は目から生える茸、これを退治すれば癌は直るとあった。
 これでは全く何だかわからない。
 その宣伝ビラをたくさんの色とりどりの広告とともに脇によけ、新聞紙面に目をうつした。あいもかわらず、健康志向の栄養剤、美容の為の補完剤の宣伝が多い。名のあるウイスキー会社も前からそういうものに手に染めている。
 事件も相変わらずのものが多い、ストーカー、オレオレ詐欺、人間はどうなっているんだろう。
 新聞から目を離すと、テレビのニュースで癌は怖くないことを高名な先生が説明している。この四、五十年で、癌が怖くない病気にまでなったことは確かである。癌ばかりではなく医療の進歩には驚かされる。薬ばかりでなく早く見つけることができるようになったことが、薬の効果が高まり、怖さがうすらいだ理由の一つであろう。
 そこでさっきの胃の子と目の子のことを思い出した。今そんなものを売り出しても売れないだろうにと思ったのである。
 コーヒーを飲むと、会社に出かける支度をして家を出た。その時はもう胃の子のことは忘れていた。

 明くる朝、ポストから新聞を取りだし、広告を脇によけて新聞に目を通した。新聞は読むところがなくなった。テレビのニュースですでに見てしまっていることしか書いていない。書いてある内容もテレビの報道とほぼ同じである。もっとテレビなどのメディアとの違いをはっきりさせたらいいのにとも思う。大変な事件などであっても、あっと言う間に紙面から消えていく。むしろ、その後を知らせるような役割をもってもいいだろうに、などと思いながら、新聞を見終わってしまった。
 新聞をたたみ、広告を片づけようとしたところ、また昨朝と同じ宣伝が入っている。今度はかすれた赤色で刷ってある。ただ、文句は違った。腎の子、鼻の子に散茸丸とあり、腎にできる茸、鼻にできる茸を退治すれば癌は治るとある。茸がそんなところにできるわけはない、と思いながら、ほかの広告と一緒にしまってしまった。
 ところが、次の朝、やはり宣伝が入っていて、緑色の字で、肝の子、耳の子に散茸丸とあった。肝臓から生じる茸、耳から生じる茸を退治すれば癌は治るとある。
 驚くことに、それが一週間続いた。腸の子、口の子、脾の子、皮膚の子、膵の子、舌の子、そして、最後の日には茶色の印刷で、脳の子、脳から生じる茸を退治すれば心の癌もみな直る。散茸丸とある。
 どうも気になって、しまってあった新聞類をひっくり返し、散茸丸の宣伝を引っ張りだし、並べてみた。色の違った七枚の宣伝がテーブルの上に並んだ。何となく懐かしいが、それでも、この薬は何をしてくれるのかわからない。そもそも、胃から生えたり脳から生えたりする茸とはどのようなものなのか、全く想像がつかない。これでは買う人がいないだろう。
 会社にそれを持っていった。
 隣の席の、羽島緑子に見せた。僕の会社は宣伝コピーを作る会社である。
 「原始的ね、昭和の三十年代かな」
 「でも、ちょっと読んでみて」
 七枚を順番に机の上に並べた。さすがに、広告会社の社員である。緑子はすぐにその面白さに気がついた。広告には日付が入っている。
 「七日間、これが入っていたら、さすがに目に触れるわね、しかも、文言は単純で、不思議さがある。最初は馬鹿にしても、七日目になると、気になって、実際に見てみたくなる」
 その通りなのである。
 「そうなんだ、胃の子って言うのは胃から生える茸、いったい何だろうと思うよね」
 「確かに、本当に何なんだろう、ちょっとインターネットで見てみよう」
 緑子はPCの画面から検索をかけた。
 散茸丸は存在した。ビラと同じものが画面に現れ、ぺらぺらぺらと七枚めくれ、最後の紙の上に錠剤が入った瓶が現れ、蓋が取れると中から真っ赤でまん丸な薬が飛び出して、宙に浮いている赤い線描きの唇の間に入り、胃の中の白い茸を消滅させた。見ていると、今度は目に映った茸が破裂した。
 「以外と面白いよ」
 緑子が画面に釘付けになった。
 「単純な作り方だなあ、素人でも簡単にできそうだ」
 「だけど、アイデアはなかなかのものね」
 「うん、今こんな単純化したものを作る人はいないね」
 「それに、ビラの作り方も効果的、だって、野人(のひと)くんが、このようにビラを集めて持ってくるんだから」
 確かにその通りである。そう、僕は星野人(のひと)と言うイラストレーターである。
 「どこが作ったのか調べてみるよ」
 僕は、まず会社を調べてみることにした。ビラには散茸製剤、東京都とある。住所も電話も書いていない。散茸丸のインターネットでの宣伝をみても、住所や電話番号が書かれていない。これでは、調べようがない。散茸製剤のホームページには質問受付がない。製薬会社のリストを調べたが、載っていない。ないないづくしだ。
 さてどうやって調べるか。まず昔の方法で、電話帳をめくることである。インターネットになれてしまっているので、大きな本をめくるのは億劫である。東京の製剤会社と言っても、どの区か市かわからないので、いくつかの電話帳に当たらなければならない。思ったとおり時間がかかっただけで成果はなかった。
 「星君、まだみつからないの」
 「うん、どうしたらいいかな」
 「薬屋に買いにいけば」
 「そうか、昼休みにでも行ってみるよ」
 ということで、昼を食べるために、ビルから出て近くの薬屋に行ってみた。ところが、おいていなかった。わざわざ卸の問屋に電話までしてくれたが、そのような薬はないという答であった。
 こうなると気になる。食事を終えて、オフィスにもどると、PCを開いて散茸丸のホームページを開いた。出だしは同じだが、肝臓や腸の茸が消えていくアニメが映し出された。さっきと違う。目を凝らしていたが、会社への連絡方法がなかった。
 しかたがない、家に帰って、折り込み広告を入れた新聞配達の店に尋ねてみるしかなさそうだ。
 そこでやっとその日の仕事に集中できた。
 仕事を終え、家に戻って、新聞の店に電話を入れ散茸丸の広告についてたずねた。電話に出た女性は、
 「ああ、あの宣伝ですか、十日ほど前、女性の方が運んできたのですよ、散茸製剤という会社だそうですよ、この辺りに折り込むだけでいいとうことでした」
 「その会社はどこにあるのでしょうか」
 「何か問題がありましたか」
 「いえ、一瓶買ってみようと思ったのですが、薬局にいったのですが、置いてなかったものですから」
 「そうですか、ちょっと、費用の領収書を見てみます」
 しばらくの間があって、すぐに電話口にもどった。
「あの女性、住所書かなかったですね、現金をおいていったので、気にしませんでした。ただ電話番号があります」
と電話番号を教えてくれた。
 電話をかけてみた。よく考えればわかったことであるが、時間外であった。四時が閉社時間で、朝は十一時からであることが女性の声で流れた。

 次の日、オフィスから電話をした。
 「はい、散茸製剤でございます」
 会社が存在した。
 「広告を見た者ですが、胃の子や目の子に興味をもちまして、お電話差し上げました。胃にできる茸とはどのようなものか知りたかったのですが」
 「はあ、我々、癌になるおかしな遺伝子のことを、おかしな子と呼んでいまして、胃のガンの元になるおかしな遺伝子を略して胃の子と呼んでおります。おかしな遺伝子を持った細胞が、臓器の中で茸のように、まあ、場所によりポリプなどともいいますが、我々は茸のようだと思いまして、そう呼んでおります」
 なるほど、それなりのネーミングである。
 「それで、散茸丸はおかしな遺伝子を抑える薬な分けですか」
 「はい、その通りでございます、お客様は大変科学をよくご存じです」
 「いや、科学音痴です、それで、どのくらい飲めば癌が退治できるのですか」
 「癌のすすみ具合にもよりますが、初期でしたら一日三錠、一瓶百錠使って、一月で止まります、私どもおすすめしますのは、癌になっていない方に予防薬としてお使いいただきたいと思っているのです」
 「その場合はどのくらい飲めばいいのですか」
 「だいたい、一日一錠です」
 「薬の値段が書いてありませんでした」
 「ええ、私ども、やっとその薬を作り出すことができましたが、いくらぐらいなら売れるのか、とんとわかりません、それで、連絡をしてくださった方にいくらなら買っていただけるのかお聞きして、次からは値段を付けようと思っています」
 全く不思議な商売である。
 「百錠でいくらなら買っていただけます」
 そう聞かれても困る。だが、効かないにしても一錠十円くらいなら、捨てたと思っても惜しくはないかも知れない。
 「千円くらいなら」
 「そうですね、お客様にとって、効くかどうかわからないものですから、そのくらいですね」
 変に理解している。
 「千円と郵送費でお買いになりますか」
 「ええ」
 と返事をしてしまっていた。
 「それでは、住所とお名前、電話番号をお知らせください。宅配便代引きでお送りします。それと、この値段ですので返品はできませんが」
 いきがかり上、了解して、住所からすべて話してしまった。
 「一応、録音させていただきました、とてもお得だったと思いますよ、三ヶ月飲んでも、その時点では、がん予防の効果はおわかりにならないと思いますが、頭と下がすっきりがっちりしますので、ある程度そちらへの効果はわかると思います。三ヶ月後に、電話をさせていただきます、そのとき、本当のお値段をお教えします、ありがとうございました」
 電話を切ろうとしたのであわてて聞いた。それが目的で電話したのである。
 「あの、ビラとホームページの広告をつくったのはどこの会社か教えていただけないでしょうか」 
 「なぜでしょうか」
 「値段も書いていないなど、斬新ですし、胃の子などのネーミングが面白いと思ったからです」
 「私がつくりました、広告会社の人から問い合わせが来るかもしれないと思っていました。お宅様もそうではないですか、この広告に気がついた広告会社の方は、癌にならないですみます、ただ、買っていただけたのは、星様がはじめてです」
 「はあ、いや、面白い広告で」
 見透かされている感じである。
 「どうもありがとうございました」
 彼女は電話を切った。
 二日目の夜になって、荷物がとどいた。勤め人が家に帰っている時間帯だ。その辺もあの女性は勘定に入れている。広告会社に入ればいい仕事をするだろう。
 包みを開けてみると、変哲もない薬の瓶に真っ赤な錠剤がつまっていた。説明書きをよむと、厚生労働省が正式に認可している。細かい字でヌードマウスに移植した人の胃ガン細胞が九十パーセントの動物で消滅した論文が引用されている。だが、あの女性は予防に効くと言っていた。その点はまだ証明されていないようだ。
 ともかく毒ではないようである。いつ飲めとは書いていない。寝る前に飲むことにしよう。
 それから、毎日散茸丸を飲んだ。
 何となく気分はいい。オフィスでも仕事が楽しい。このところ面白い広告がつくれる。依頼された会社に持っていくと、たいがい評判が良くうまくいく。
 それと、隣の席の緑子が時々自分を見ている。前はそんなことはなかったのだが、なんだろう。と思っていると、緑子から声をかけてきた。
 「野人君、あの薬を飲むようになって、元気になったわね」
 オフィスの人には薬を買ったことを言ってある。
 「確かに、調子がいいようだよ」
 「仕事もずいぶんうまくいってるじゃない」
 「うん、アイデアがでてくるんだ」
 何となく下の方も元気でうずうずする。平坦な顔をしている緑子がきれいに見える。
 「ねえ、その、散茸丸だっけ、効いているんじゃない」
 「そうだなあ、飲み初めて一月近いからねえ」
 「いくらで買ったんだっけ」
 「千円」
 「やけに安いわね」
 「次は本当の値段をいうと言ってたよ」
 「あのね、星君」
 緑子が名字で自分を呼ぶときには何かを頼みたいときである。
 「なんでしょう」
 「その薬、一本買ってくれない」
 「緑子さん飲むの」
 「友達が子宮ガンなの、気休めかも知れないけど、飲ましてみようかと思うのよ」
 「子宮のことは書いてないけど、同じ癌ならきくかもね」
 「ホームページを見たら、新しくなっていてね、おもしろいの、子宮の子、前立腺の子もやってたわ」
 「へー、広告をつくった女性はどんな人なのかな」 
 声を聞く限りでは、落ち着いていたので、三十前後ではないだろうか。
 「電話番号おしえようか」
 「いや、星君買ってよ、代金後で払うから、なんだか、私だとだまされそう」
 「それじゃ、電話してみるよ」
 散茸製剤に電話をかけた。また、あの女性がでた。
 「あの、今、散茸丸を飲んでいる者ですが、知人が飲んでみたいと言っているので、送ってもらえますか」
 「どなたでしょうか」
 「星といいます」
 「あ、その後どうでしょうか」
 「なんだか、元気のようです、それを見ていた知人がほしいと言うもので」
 「効いてるようですか、それでは、一瓶二千円になりますが、それでよろしいですか」
 「ちょっと待って下さい」
 電話機を手でふさいで、緑子に言った。
 「二千円だって言ってるがどうする」
 「え、倍になってるの」
 「そうみたい」
 「でも、なに買ってもそれ以上だもんね、頼むわ」
 ということで、また、一本送ってもらった。癌の人には一日三錠毎日続けることになる。そう言って、緑子にわたした。
 それから一月、そのことは忘れていた。自分は二ヶ月以上散茸丸を飲み続けている。お陰かどうかわからないが、頭はさえ、男の機能が張ってしょうがない。ついつい、緑子のしまった太ももに目がいってしまう。緑子も最近それに気がついたようだが、いやがっているようでもない。その日、緑子がオフィスに出勤した僕に、あまりにもにこにこして、こう言った。
 「癌が消えたのよ、友達の子宮癌、あなたのおかげよ、それで、彼女に散茸丸の住所教えたの、そしたら、一瓶一万円だって、だけど、癌がないなら、一日一錠でいいそうよ」
 「おかしな商売だな」
 「すごい人だと思わない、相手を不幸せにしていないのよ、値上げされても当たり前だと思わすなんて、すごい」
 「それはそうだけどね、一月三千円になる」
 「安いものよ、考えてごらんなさい、毎月病院でも薬もらう人は一万円をくだらないのよ、これから癌がでないなら、いくらでも出すわ」
 「確かにそうだな」
 そうこうしているうちに、散茸丸を飲み初めて三ヶ月が経とうとしていた。毎日飲むことは癖になっていて、飲んでいることも忘れている。ある夜、散茸製剤から電話が掛かってきた。
 「効き具合はいかがですか」
 あの女性である。
 「何となく元気です」
 「それで、お続けになりますか」
 緑子の友達のこともあり、ここまできたのだから、もう一度買ってみようという気になった。
 「もう一回買ってみます」
 「おいくらならいいですか」
 僕は考えてしまった。前の話のこともあり、効いたのだから、少し高く言うのが礼儀かも知れない。と言って、五百円値上げは中途半端で、やはり二千円であろう、それでも、一月に千円いかない。おそらく気にしない人なら前の値段でくれというかもしれない。もっとも、そう言う人はあの広告からわざわざ、連絡先を探したりしないのかもしれない。あれこれ考えて、二千円と言った。
 「ありがとうございます、それでは、お客様は特別に五百円引いて、千千五百円でお送りします。前と同じように代引きで送ります」
 なにが特別なのだろう、みんなにそう言っているに違いない。
ということで、また、一本三ヶ月分の散茸丸が送られてきた。
 自分で値段を決めさせるというのは不思議な商売方法である。広告業界にいて、今まで聞いたことがない。
 
 うちのオフィスから発散された、散茸丸の情報はいろいろなところにいき、かなりの人が購入するようになったようだ。このような拠点がどのくらいできたのだろうか、興味があるので、薬が届いたことを伝えるついでに聞いてみよう。
 またあの女性が電話にでた。
 「わざわざご連絡ありがとうございます」
 「今、何人ほどこの薬を購入しているのですか」
 「はい、おかげさまで、一万人をこえました」
 「いつから売り出したのでしょう」
 「あの、折り込み広告をだしたときからですので、三ヶ月です」
 「それじゃ、僕は早い方ですね」
 「はい、第一号さまです」
 「え、本当にいちばん最初」
 「はい、それで、特別提供させていただきました」
 「それは、どうも、あれから広告は全国に広げたのですか」
 「いえ、あれから折り込みは入れておりません」
 僕の家は都下の市の一つの地域にある。人口は三十万ほどだろう。
 「いや、どうもありがとうございました」
 「いえ、こちらこそ、末永くご愛飲ください、ありがとうございました」
 と電話を切った。
 三ヶ月で一万人に売れるとは、すごい宣伝力である。というか、宣伝方法である。
 「一万人が散茸丸を飲んでいるそうだ」
 隣の緑子にいうと、「すごいわね、私も別の友人に勧めたわよ」
 「それで、緑さんも飲んでるの」
 「いいや、まだよ」
 「予防にいいんだし、癌だけじゃなくてとても元気になるよ」
 「私、元気だもの、それより、野人君、あの電話の主に会ってみたいのでしょう」
 緑子は私を見て笑った。図星である。前からそう思っていたことは確かである。嘘を言ってもしょうがない。
 「うん、どんな人か話をしてみたいね、人の心理を驚くほどよく知っているね」
 「そうみたい、あたしも見習わなければね」
 「どんな人かな」
 「きっと、黒いめがねをかけて、きりっとしている人のイメージ」
 「僕もそうだな、先生のようなね」
 「うん」
 「どう、星君、広告会社のコピーラーターだといって、社内誌の取材申し込めば」
 「僕もそう考えていたところなんだ」

 しばらくして、散茸製剤に電話をした。
 「取材ですね、それはかまいません」
 電話番号からすると、都下の山の方であることが推察される。住所を聞くとやはりそうであった。私鉄の終点である。そこから、かなりあり、タクシーで行くしかないと言うことである。
 会社には外回り届けを出して、家から直接取材に向かった。都内のオフィスに行ってからだとかなり無駄な時間を使うことになる。
 タクシーの運転手に、住所を見せると、行ったことはないですね、と、ナビに住所を打ち入れた。
 「だいぶありますね、山の中です。ナビにでていますので、道はありますが、きっと山道です、揺れますよ」
 親切な運転手は気遣いをしてくれた。
 タクシーは町からはずれると、山沿いに進み、ナビに従って、登り道にはいった。意外なことにきれいに舗装されている。町中の道よりもきれいなほどである。
 程なく山の中腹にくると、林はなくなり、草地になった、道の先に一軒の家がある。家の手前にたくさんのビニールハウスが並んでいる。何かの栽培を行っているようである。中で人が働いている姿がみえる。ビニールハウスの建ち並ぶ脇には大きな駐車場があり、小さな車がたくさん並んでいた。
 「つきました」車は昔ながらの大きな農家の家に横付けされた。
 本当にここなのだろうか。運転手に「ちょっと待っててください、もし違ったら、もどってもらいますから」といって、車からでた。
 製薬会社とはほど遠い感じがする。ところが、玄関のところに、散茸製剤と木の札が掛けてあった。思っていた会社のイメージとは全く違う。何とも不思議である。
 タクシーにもどると、帰る時に呼ぶために電話番号を聞いて返した。改めて玄関に行くと、呼び鈴を押した。
 すぐに、電話の女性の声で「はーい、お入りください」と言う返事があった。
 玄関を開けると、中は全く普通の農家だった。
 丸い顔をした、モンペをはいた小太りのおばさんが、床を雑巾がけしていた。僕が入ると、おばさんは手を止めて、しわのない大きな目を僕の方に向けた。遮光土偶の顔に似ている。お手伝いさんだろうか。
 おばさんの後ろから若い女性がでてきて、「どうぞ」声をかけてきた。電話の女性の声ではない、顔がおばさんとどこか似ている。
 上に上がると、座敷に通された。畳の上に置かれた大きな黒壇でできたテーブルの前に赤い座布団がおいてある。床の間には、茸の掛け軸と、大きな万年茸の置物がでんとかざってあった。
 「どうぞお座りになってください。母はすぐ参ります」
 そう言って若い女性は戻っていった。
 すぐに玄関にいたおばさんが現れ、私の前に座った。
 「いらっしゃいませ、散茸丸はいかがですか、お使いいただく第一号のお客様にきていていただいて光栄です」
 そう言ってお辞儀をした。声はあの電話の声である。もう、六十にも手の届きそうなおばさんの口からでた声だとはとうてい信じがたい。若くてしっかりした声である。びっくりしていると、案内してくれた若い女性がお茶を持って来て、僕の前に置くと、「社長の梅野万(ま)年(と)です」とおばさんを紹介してくれた。あのひしゃげた顔のおばさんが社長だったのだ。
 あわてて、「味蕾社の星です、取材に応じていただいてありがとうございます」と名刺をだした。
 「知っています。広告会社の中堅どころ、いろいろ拝見させていただいています」
 おばさんは、若い声でそう言った。声の疑問を問うのは後にすることにした。
 「不思議な商売をされていて、そのお考えと、広告を作った経緯などをお教えいただけませんでしょうか、私どもの月刊味蕾という社紙に載せたいのですが」
 「それはありがとうございます、とても良い宣伝になります」
 「お薬のことはさておきまして、ともかく、ネーミングの面白さと、広告の奇抜さ、それにもまして、品物の価格を購買者に決めてもらうなどと言うのはよほどの度胸がいると思いますが」
 「ほほほ、度胸なんてありませんことよ、売り方がわからなかっただけですの」
 と、何とも色っぽい声をだした。不思議なおばさんだ。その雰囲気を載せるだけでも、この記事は評判になるだろう。
 「一週間、新聞に折り込んだビラはどなたがつくられたのですか」
 「わたしよ、コンピューターでね、それをインターネットで印刷の注文をして、直接新聞販売店に配る会社に送ってもらって、それを配ってもらいました」
 「なぜ、住所や価格を書かなかったのです」
 「ここに来る人はいないと思って、住所は書かなかったし、先ほど言ったように、価格はわからなかったからなの」
 そこで、やっぱりその声について聞きたくなった。
 「失礼ですが、お年の割には声がとても若いのは何か秘訣がありますか」
 「ほほほ、それを書いてくださいな、私は百八つ、からだが元気なのは散茸丸を飲んでいるから、そして、この声は、うちの会社のもう一つの薬、声茸丸を飲んでいるから」
 百歳を越えているという、信じられない。
 おばさんが手をたたくと、先ほどの女性が、薬をもってきた。同じような瓶に、今度はブルーの錠剤が入っている。
 「声茸丸です、これを毎日一錠飲めば、私のような声が保てます」
 「これは、やっぱり特許をとられたものですか」
 「ビタミン剤として、許可をもらっています、どうですか」
 「いや、僕は、このままでいいので」
 「ああ、そうですね、声茸丸のほうが使用する人の領域がせばまりますね、特に男性はいらないかもしれません。声優の人やお経を読む人、講演をする人にはいいと思います、女性は若い声の願望が強いでしょうから、女性の方によいかもしれませんね」
 「それで、今度はどのような広告を考えているのですか」
 「お宅のような会社に依頼するには資本が足りません、また私が考えますが、今度は映像しかないでしょう、今、ここで働いているお年寄りにはみな飲んでもらっています。多くの人が七十過ぎているのですけど、みな若い声をしています」
 「それで、どのような映像を考えていらっしゃるのですか」
 「単純です、その人たち一人ずつの一日密着取材をする予定です、外で買い物をするようなとき、あまりの若い声で相手が驚く様子を撮影します。それをケーブルテレビの広告で出します」
 「でもそれではローカルですね」
 「でも、星様のような方がいると、散茸丸のように広まっていきます」
 確かにそうである。しかし、今度はどのような人が注目するだろうか。それを見透かしたように梅野社長は言った。
 「女性たちは着目すると思います、特に化粧品の会社の方たちは、顔をきれいにするだけではなく声を若々しくすることには興味があるでしょう、使ってみて、効くとなると、自分のところの化粧品とセットで売るかもしれません」
 「しかし、効果がでるまでに時間がかかるのではないですか」
 「実は、風邪を引いてのどを痛めた時にもこれを一日三錠飲むと、すぐに声が元のようになります、そう書いてありませんが、電話でお話します」
 なかなかすごい広告方法である。普通はいいことを何でもかんでも押し込んで売り出すが、大事なことを隠しておいて、個人の口から他人へ宣伝してもらう方法である。噂広告とでもいうのだろうか。
 「前も言いましたが、度胸のいるやり方ですね」
 「いえ、売れなければしょうがないですね」
 「製薬工場はどこにあるのですか」
 「ここにありますよ」
 「この家の中ですか」
 「ええ、地下があります、お見せできませんが、そこで薬を作っています」
 「元々、この地のお生まれなのですか」
 そう聞いたとき、遮光土偶のような顔がちょっと笑ってひしゃげたようだ。
 「そうです、代々、民間薬を作っておりました。私がこの会社を興しました」
 「散茸丸や声茸丸はなにから作られているのです」
 「茸ですよ、ビニールハウスで茸を栽培しています」
 「癌細胞を茸が退治するのですか」
 「そうです、面白いでしょう、茸の毒が癌をたおすのです」
 「そう言えば昔から、万年茸を煎じて飲むと癌が治ると言いますね」
 「確かに、猿の腰掛けの仲間にはそのような成分がはいっていますが、うちで作っている茸は全く新しいもので、腰掛け類の何百倍も効果がありますよ」
 「なんと言う茸ですか」
 「うちで改良した茸で、もとは一夜茸の仲間です、名前はどうしましょうね」
 おばあさんは笑った。歯並びもきれいだ。
 「どのくらいで生えるのですか」
 「一日で大きくなってすぐ枯れるので、朝仕込むと次の日の朝には採れます」
 面白い話である。そろそろ終わりにしようと思い最後に聞いてみた。
 「声の次はなにでしょう」
 「脳の働きをよくする薬と、最後は長寿の薬でしょう」
 そう言って、梅野社長はまた笑った。よく笑う。
 「茸を見せていただけますか」
 「どうぞ、私が案内しましょう」
 梅野社長は立ち上がりながら、「これを試してください」と、声茸丸を一瓶手渡してくれた。緑子にでもあげよう。
 社長と共に外に出ると、ビニールハウスに向かった。
 A1と書かれた大きなビニールハウスでは、老人と老婆が茸の採取をしていた。土の入った木の箱が長い机の上に並んでいて、そこから真っ白な茸が伸びている。だが、A4版ほどの大きさの箱に一本か二本である。
 「これが、散茸丸になる茸で、梅野一号です」
 社長は一本採ると、そのまま食べてしまった。
 「生で食べるのが一番利くのですがね」
 「茸の培養って、棚に瓶が並んでいて、たくさん生えているものと思っていました」
 「そうですね、この茸はその方法では作れなかったのです、この状態が一番良く生えてくれます」
 「数は少ないのですね」
 「ええ、でも、茸一本から、相当強い薬が造れますよ、一万倍に薄めて使うのが一番利くので、一本採れば一万本とったことになるのです」
 効率のいい商売である。社長はB1のビニールハウスに案内してくれた。水色の茸が同じ状態で生えていた。
 「これが声茸丸になる茸です」
 社長はその茸も一本採ると口にいれた。
 「味もいいんですよ」
 彼女は一本僕に食べろと採ってくれた。口に入れると、驚いたことに、甘味がある。
 「いずれ、茸のレストランを駅の近くにつくろうと思っているのです」
 「いや、ありがとうございました、宣伝方法もユニークだし、作っているものに嘘がない、すばらしい会社ですね」
僕はそう言って,携帯でタクシーを呼んだ。
 「これからもよろしくお願いします」
 梅野社長は腰を低くして、皺くちゃの顔で僕に挨拶をした。それにこう言った。
 「いいものが出来れば、宣伝はしなくても売れますね」
 その通りなのだろう。

 帰りのタクシーもくるときと同じ運転手だった。
 「この家の方は何の栽培をやっているのですかね」
 運転手は僕に聞いた。
 「薬になる茸を栽培していますよ」
 「そうですか、あれから、会社に帰って、この地区のことを社長に聞いたら、大昔からある村で、その昔、宇宙船が不時着して、乗っていた宇宙人たちが帰れなくなり、地球に住むようになったという噂があったらしいですね、なんでも、ここの住民は、子供たちを学校にやることもせず、自給自足で暮らしていたのだそうですよ、昔し昔しの噂話ですけどね」
 「面白い言い伝えがあるのですね、でも今お会いした方たちは日本人でしたよ」
 「少しは人間と交流があって、地球人との二世、三世になっているのかもしれませんね、数年前から大がかりな仕事を始めたとうちの社長が言っていました。なぜかお金には心配がないようなんですよ、不思議だと社長が首を傾げていましたね、でも町の老人たちをなかなかいい時給で雇っているということで、助かっているようですよ」
 そんな話をタクシーの運転手がしていた。
 梅野社長の顔を思い出すと、噂話を信じたくなる。
 散茸丸はいつの日か地球人全員が飲むようになるような予感がしてきた。

胃の子

胃の子

新聞におりこまれた、単色刷りの、薬の宣伝びら、その薬はどのような癌にも効くものだった。それを作っているところに行ってみると、

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-25

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著作権法内での利用のみを許可します。

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