小さく冷たい手
最近参加させて頂いている小説レッスン教室で、ランダムに思い浮かんだ3つの単語を使って短い小説(三題噺)を書くという練習をしました。
それが思った以上に面白くて、持ちネタも増やせるということで、試しに家でも挑戦してみました。
今作は「キャラメル」「着物」「フード」の3つの単語から連想した青春・恋愛の短編です。
今日は成人式の日だ。スーツ姿の俺――蓮也――は鏡を見ながら少しねじれていたネクタイを正した。昨夜はなかなか寝付けなかった。高校を卒業した後、地元を離れ上京した俺は、二回生に上がると講義やバイトに追われて、ゴールデンウィークや盆といった大きな休みでも地元にずっと帰れないでいた。だから、地元のみんなと会うのはちょうど一年前の正月以来になる。自分の存在を忘れられてないか少し不安だったのだ。
会場である地元の中学校の体育館に着いた俺は、受付で、自分の名前とあの頃よくつるんでいた仲間の名前を探した。出席表に目を走らせていると、誰かに背後から肩をポンと叩かれ、振り向いた。
「よお、蓮也。久しぶり!」
がっちりした男が歯を見せてこっちを向いている。
「康太――」
隣の眼鏡をかけた秀一も小さく手を上げた。
「蓮也、元気にしてたか?」
「秀一まで……」
俺はふと秀一の隣に立っていた女性を見た。なんと、莉子だった。着物姿の莉子は髪を明るく染めて一年前に比べてさらに垢抜けて少し大人びていた。
「よお、莉子」
俺は莉子に向かってぎこちなく手をあげた。
「蓮ちゃん、久しぶり」
莉子は微笑みながら応えた。
莉子との関係は、俺の父がたまたま莉子の母と同じ建設会社に勤めていたことから始まった。幼い頃から、連休になると家族ぐるみでよくバーベキューをしたり花見をしたりした。小学校は六年間同じクラスだったが、中学は別々のクラスになり、やがて別々の高校へ進学――と、莉子との距離は離れていった。ただ、それは物理的な距離であって、頻繁にメールや電話でやりとりしていたし、たまに、同じ小学校の幼なじみの康太や秀一とも一緒にボーリングに行ったりしていたので、気持ちの距離は離れていないと思っていた。だがこの一年は、慌ただしい大学生活の中で連絡を取るどころか、昔のことを振り返る余裕さえなくなっていたのも確かだった。でも、こうして一年会ってなくてもすぐに打ち解けられるのが不思議だった。俺はほっと息をついた。が、すっかり変わった莉子を見て一つ気になったことがあった。
――あれから莉子に彼氏はできたのだろうか。
別に彼氏が出来ていたとしても、俺は莉子の父親でもないし、莉子に恋愛感情を抱いているわけじゃない。小学一年生の時に出会った時からずっと莉子は俺の友達であり信頼できる仲間のひとり、それだけだった。ただ、もし出来ていたとしたら人生初の彼氏になるはずだ。素直に祝ってあげたいとも思った。それに、俺にも合コンで知り合って、ちょうど一年前から付き合い始めた彼女がいた。だが、やたらと束縛してくる彼女にどこかしっくり来ずにいた。
「おい、どうした蓮也。行くぞ」
三人と自分との間の空間をぼんやり見つめていた俺の肩に、康太がやや雑に腕を回してきた。
「あ、ああ」
前のめりになりながら俺は応えた。俺とその三人は互いに近況報告や他愛の無い話しをしながら会場へと入っていった。
成人式を終えた夜、莉子から一通のメールが入っていた。
――明日、みんなで集まる前に二人でお茶でもしない?
何の要件か分からない、というより要件があるから会う仲でもない。
――分かった。何時にどこで?
時間と場所を決めてスマホを閉じた。何でもないメールなのに、俺は妙にそわそわした。
次の日の夕方、地元の喫茶店で莉子と落ち合い中に入った。蓮也はキャラメルマキアートを莉子はカフェオレを頼んだ。店員が持ってきた二つのコップを俺と莉子の前に置いた。俺のコップから甘くて香ばしい匂いが漂ってきた。一年も会っていないとお互いの状況も分からず、どんな話題から切り出していいのか迷った。しばらくの沈黙の後、微笑みながらぽつりと莉子が口を開いた。
「蓮ちゃん、うちのお母さんが作ったキャラメル大好きだったよね」
「キャラメル……?」
「蓮ちゃんが歯にくっつけちゃったやつ」
「あ、ああ。小学校の頃、莉子の母さんがよく作ってくれてたよな」
「思い出した? あの時はごめんね。お母さん初めて作ったものだからすごく堅くなっちゃって……」
「いいって別に」
蓮也は口大きく開けて笑った。
そんな大昔の些細なことを謝ってくるなんて、どこか抜けていて優しいところは変わっていない。それから、話の内容は小学校から遡り、中学、高校、それから大学へと進んでいった。窓の向こうの空が藍色に変わり始めた。この後にある、地元の小学校の同窓会に向かうのにちょうどいい時間になった。喫茶店を出た俺たち二人は、目的の居酒屋のある商店街の方へ歩いていった。大学でのサークルやバイトでの失敗談で笑い合えるほど莉子と打ち解けていた。が、居酒屋の入口で俺は思い出した。
――しまった。彼氏がいるのか聞くの忘れてた。
扉を開けて中に入ると、店員に宴会席に案内された。障子を開くと、俺と莉子を除いて八人みんな揃っていたようだ。俺と莉子は、隣り合っている別々のテーブルの空席に着いた。俺の隣と真向かいには康太と秀一が居て、秀一がメニュー表を渡してくれた。康太が乾杯の音頭を取って、会は始まった。
俺は他の二人と、康太がラグビー部のレギュラーになってモテ始めたという自慢話、秀一が映画サークルでサークル長を任された苦労話、を呆れながらも楽しく聞いていた。俺たちの会話が落ち着いたので、ふと莉子の方を見遣った。小学校は別クラスだったが中学で一緒になった仲間四人と盛り上がっている。その仲間の一人の女が楽しそうにスマホの画面を莉子以外の三人に見せていた。三人から矢継ぎ早に質問された莉子は、困った表情を浮かべた。
――え……? 彼氏がいるのか?
俺は少し寂しいような気分になったがほっとした。それからというもの、俺は莉子の居る席に時おり耳を傾けた。が、さっきまで弾んでいた莉子の声のトーンが急に落ち、俯く回数が多くなった。
――もしかして、上手くいってないのか。そいつと……。
いつの間にか俺は康太達との会話もうわの空になっていた。
「蓮也。ぼけーっとするな、飲め、ほらっ」
顔を真っ赤にしてビール瓶を俺の方へ傾けている康太に気付いた。俺は慌てて空になったジョッキを差し出した。
会を終えて居酒屋を出た同窓会のみんなは、もうほとんどの店がシャッターを降ろしたアーケードの下をぞろぞろと歩いていた。アーケードを抜けて大通りに出てから、一人、また一人と手を振って別れるうちに、いつの間にか隣は莉子だけになった。二人は俺や莉子の家がある町を歩いている。莉子は俯いて黙り込んでおり、居酒屋に来る前に話していた人物とはまるで別人と思うほど暗かった。
――何があったんだろう……。
公園に差し掛かった時だった。パラパラと雪が降ってきた。
「天気予報じゃ晴れって言ってたのに……」
莉子は体を縮こまらせて震え始めた。街灯にうっすら照らされたひんやりした空気の中を無数の白い光の粒が流れている。ここから莉子の家までもうしばらく歩かないといけない。
「ほら」
俺は自分の羽織っていたダウンを脱いで莉子の背中にかけると、小さい頭にフードを被せてやった。その時、ある記憶が蘇った。公園の入り口で立ち止まった俺は想いを巡らせた。確か、小学五年生の冬のある日。昼間から急に降り始めた雪の中、俺と莉子は学校から家に帰っていた。俺は薄いパーカーに半ズボンを着ていて、莉子もブラウスにスカート姿だった。あの頃は俺も莉子も寒さなんて平気だった。夕暮れの中、この公園で道草してうっすら積もった雪を丸めてお互いにぶつけ合ったりして笑い合っていた。もちろん、莉子を寒さから守ろうなんて考えることもなく――。
セーター一枚になった俺は体をぶるぶるっと震わせた。立ち止まった俺に気付かずに、莉子は先へ進んで行く。距離のせいだけじゃない。あの頃は、同じ背丈だったはずの莉子がとても小さく見えた。とぼとぼ前を歩く莉子の後ろ姿は、とても寂しそうに思えた。
「莉子……?」
「……」
莉子に気付く気配はない。俺は、そのまま莉子が真っ白な雪の中に消えてしまいそうな気がした。そんな不安を振り払うように叫んだ。
「莉子!」
ようやく気付いた莉子は立ち止まった。フードをゆっくり脱ぎながら振り向いた。
「……」
俺は莉子の元まで駆け寄った。顔を歪ませた莉子の頬を涙が伝っていた。
「どうした、莉子」
俺は莉子の両肩にそっと手を置いた。
「蓮ちゃん……わたし」
莉子は手で鼻をすすった。
「もしかして……さっき居酒屋で喋ってたことか――」
「聞いてたの?」
「莉子ならすぐにもっと素敵な彼氏ができるよ」
――でも、俺って本当にそれを望んでいるんだろうか……。
その時、俺は自分の心の隙間に芽生えた想いを閉じ込めた。一つ息をついて言った。
「今は凹むだけ凹んだらいいよ」
「ごめん、余計な気を遣わせちゃって」
小さな声で莉子は言った。
「気にするな、ガキの頃から一緒だったじゃないか」
俺はわざとぶっきらぼうに言った。
あの頃は、お互い相手の気持ちを察することもせず、笑い合うことも多かったが傷つけ合うことも多かった。ただただ、無邪気だった。真冬の寒さに負けないくらい。でも、もう大人になった俺たちは、相手の気持ちを察し過ぎて本当のことを言えないでいるのかもしれない。もう一人で冬を越せるほど強くもないのに。
「もうあの角を曲がったら私の家だね」
莉子がぽつりと言った。
俺は自分の手の平に息を吹きかけると莉子のかじかんだ両手を包み込んだ。初めて握った莉子の手の平はただただ小さくて冷たかった。
(了)
小さく冷たい手
ここまで読んでくださりどうもありがとうございました。