視界科

なんてこの世界はくるっているのだろう。
私が、壊してあげなくちゃ。
正してあげなくちゃ。
さもなければ、窒息してしまう。
息ができないのは、嫌でしょう。
さあ、壊してあげなくちゃ。

ねえ、聞いて!

私、やっとこの日が来たのよ!

新しい眼球を手に入れられる日が来たの!

お母さんは朝早く病院に運ばれたわ。

ああ、うれしい・・・!

私、本当に嬉しいの!

早く、手術終わらないかな・・・

待ち遠しいな、本当に。



あなたはもう知ってるでしょうけど、

この世では、子供から大人へと成長していく途中、

一生に一度だけ、古い目から新しい目に

取り替えなくてはならない時期が来るの。

古い目は緑色で、新しい目は青色。

世間では一般的に

「緑色の目は子供の目」「青色の目は大人の目」

って呼ばれているわ。

古くなった緑色の目は徐々に白く濁って穴から外に落ちる。

そうして私達は自分の目の交換する時期を確認するの。



新しい目は母親のお腹の中で、

私達が産み出された日と同時に成長を開始するの。

私達がお母さんのお腹から取り出された後、

胎盤から枝の様なものが伸びてきて、

その先端に丸い眼球が出来上がっていくのよ。



遅い人では23年。

早い人では17、8年で成長が完了するんですって。

でも、中には母親のお腹の中で腐って、

そのまま吸収されてしまう眼球もあるらしいの。



まあ、私の眼球はそんな風にならなくて済んだけど。

何でも、話によれば、眼球がそんな風に腐るのは、

母親が抱えているストレスに関係があるんだって。

色々大変よね。



で、話の中心的な部分に入るのだけど、

これは、まあ、少し複雑な話なのよね。

何故って、母親のお腹の中でできた眼球は、

母親のお腹を切り開いてでしか、取り出す術がないのよ。

つまり、帝王切開。

殆どの人は大丈夫らしいんだけど、

たまにその手術に身体が耐えられなくなって、

死んでしまう人がいるそうなの。

まあ、そうなる確率はたったの0.1%にも満たないらしいし、

日本の人口から換算すると×××人ぐらいのものだから、

そんなに大袈裟に構える必要もないのだけれど。



私も女だから関係ないとは言えないけれど、

いざとなったら、子供なんて産まなければいい話だし、

そんなに深く考える事でもないと思うわ。



何より、私は嬉しいの!

大人の眼球を手に入れられるんだから!



ところで、これは余談なんだけど、

この世の中には、

せっかく新しい眼球を手に入れたとしても、

一度はめたきりで、恐ろしくなっちゃって、

その後すぐに自分でそれを捨ててしまって、

無眼のまま一生を過ごす人もいるらしいわ。

その人達は、一体何を怖がっていたのかしら?

その人達は、無眼のままで、一生を満足していたのかしら?



まあ、そんなこと考えたって、

私には知る由もないんだけど。



そういう訳で、今日は私のΝEWEYEDAY。

お母さんの身体の調子も万全だし、天気も快晴。

何の心配もせず、手術は終わりそうね。

ああ、早く、新しい眼球を手に入れたいな。



私はベランダで、一人足をブラブラさせながら、

母親が車で帰宅して来るのを、待ち望んでいた。



天気は相変わらずもの凄い快晴。

午後2時頃。玄関の扉の開く音。

ガチャガチャ。キー、ガチャン。

「×××ちゃん。眼球、取り出して来たわよ。」

手術を終えたばかりのお母さんが帰って来た。

玄関で靴を脱ぐ為、あくせくしている。

最近の医療技術って凄いのね。

お腹を切り開いたって、半日で退院できるもの。

私は急いで、玄関までお母さんを迎えに行った。

だって眼球を手にするのが待ち遠しかったから。

「お母さん、眼球は?」

やっと靴を脱ぎ終わったお母さんは、

少し怪訝そうな顔をして私を見た後、

自分の右手に持った黒い袋の中から、

ガサゴソと探ってそれを取り出した。

それは、眼球を保管する為の、赤褐色で四角い木の箱だった。

私はいよいよ興奮して、思わず叫んだ。

「お母さん、ありがとう!!」

そして、

すぐにお母さんからそれを奪い取って、

二階の自室まで駆け上がって行ったの。



その日の夜。午前2時頃。

私は暗闇の中で一人きり。デスクライトの前でにやにやしてた。

机の上には、お母さんに貰ったばかりの保管箱が置いてある。

私は、これからの未来についての空想を、ぼんやりと考えた。



今日の学校の授業の中で、「視界科」と云うものがある。

その中で、新しく眼球を手に入れたばかりの若者達が、

新しい眼球のはめ方と取り扱い方、

そしてその後の対処の仕方を学ぶ。

全ての授業が終了した時、私達は教師に先導されて、

新しい眼球を、空いた穴の中にはめることができる。



私は、その時が来るのが楽しみで仕方がない。

だって、そうじゃない?

何も見えない世界なんて、嫌だから。



キーンコーンカーンコーン。

学校のチャイムの音。校舎中に響き渡る。

×年生の教室の右端。そこに理科室がある。

昨日、新しい眼球を手に入れた生徒達は、

年齢問わず、一堂に理科室に集められた。

ごちゃごちゃと騒ぐ若者達。

おどおどして落ち着かない、内気な面々。

様々な人達が、この理科室に集められた。

全校生徒の顔は大抵、覚えている私でも、

ちらほらと知らない顔を目の隅に捉えた。



目の無い私達は、皆機械をつけている。

それは特殊な機械で、人間が造ったものとは違う。

世界が生まれた時からそれは人の数だけ存在していて、

見た目は球体の形をしたガラス玉のように見える。

けれど、内部には暖かい数多の光が宿っており、

それが感覚を刺激して、視野を見るのに役立つ。



昔話や神話では、男女の二人の偉大な神様が、

地面の下でこれを掘り出したと云う話だけれど、

本当のところは、誰も知らず、全く定かでない。

それは、いつの間にかそこにあって、そして、

当たり前のように、私達の生活に浸透している。



最初に義眼を発見した先祖の方々は、

さぞ喜び、義眼に助けられた事だろう。

例え短期でも、無眼で毎日を過ごすのは苦労する。

更に、現代の様な医療技術のなかった昔では、

子供に大人の目を与えて自立させる為に、

母親は自分の命を犠牲にする必要があったらしい。



赤ん坊の時に政府から義眼を授けられた私達は、

子供の目が濁って外へ落ちるまでそれを保管し、

そして現在、それをはめた状態で暮らしている。

だけど機械に宿る光は、8千時間経った時点で、

灰の様に燃え尽きて効力を失ってしまうから、

長い期間、義眼で生活し続ける事は不可能だ。



使用済みの義眼は、時間を経て徐々に回復していき、

光を取り戻すと同時に別の人間の手に渡され、

延々と子供達の間で循環し、使用され続ける。



この話は、小学校低学年の時に教わる、常識である。



今回の「視界科」の授業は、

年に12回行われている。

多くの若者が大人の目をはめて、

そして新しい世界を手に入れる。



そして、私も今日、

それに加わるのだ。



長く回想していたらしい。

教室の中を見渡してみる。



教室の内部は騒々しかった。

周囲を見渡す生徒も多かった。

教師はまだ来ていなかった。

時間より随分遅刻していた。



ざわざわと騒ぐ若者達。

おどおどと竦む若者達。



何してるんだろう?

私は、歯をギリリ、噛み鳴らした。



何故か、

無性に腹立たしかった。

無性に苛立たしかった。



こんなに待ち望んでいるというのに。

早く、違う世界が見たいと思うのに。

教師は今、何処で何をやっているんだろう?

無意識に、足が忙しなくガタガタと動いた。

待ち切れなかった。



ガラガラガラガラガラガラ。

教室の扉の開く音。

現れたのは、男性。

勿論、それは教師だった。

「視界科」の教師だった。



歪む視界。機械の義眼のままでは、

大人の姿を正確に捉える事はできない。

絵の具を混ぜている途中の様な、

何とも言えない、異様な色彩感。

輪郭だけがぼんやりと型取られて、

奇妙な色をした影の様にも見える。



すぐに授業は開始された。

皆一様に黙り、教師の話を傾聴している。

私は頬杖を突きながら退屈そうな顔で、

黒板の前で教鞭をとるその様子を眺めた。

(瞳は非常に乾燥に弱く・・・・冬などは特に気を配る必要が・・・・

眼に虫が入った等したら・・・・太陽は絶対に直視しては・・・・)

基本の話から技術的な話まで。

(機械の義眼の外し方を・・・・眼球と神経の繋ぎ方は・・・・

保護膜の塗り方とは・・・・故障した時の対処の仕方は・・・・)

全ての講義が終わった頃には、

時刻はすでに午後4時を回っていた。



再び、騒々しさを取り戻しつつある教室。

その中心で、黒板の前に立つ教師は言った。

「では、生徒諸君。

君達は晴れて、青色の大人の眼球の所有者だ。

が、決して侮っていたらいけないよ?

そうしたら、大変な目に逢うことになるから。」

上から目線の教師、ムカツク。

私は鋭い視線で、教師を睨み付けた。

早く、眼球、取り付けたいのよ。

貴方の警告なんか要らないから、早く終わらせてよ。

私の思いを受け取ったのか、どうなのか。

教師は、顔の中に不気味な笑みを浮かべ、

(私には歪んだ影にしか見えなかったけど)

ゆっくりと両手を挙げながら、言った。

「それでは生徒諸君。眼球、取り付けていいよ。」



がちゃがちゃと作業に取り掛かる生徒達。

私も当たり前の様に、例外ではなかった。

待ち望んでいた大人の目がある、目の前に。

待ち望んでいた青色の目を付ける、嬉しい。

心臓の高鳴っている音が聞こえた。

思わず、周囲を見回してみる。

皆の額にも汗が滲み出ていた。皆一様に険しい表情であった。

私は、心底から微笑んでいた。微笑みながら、作業を続けた。



嬉しかった。興奮していた。

初めて感じる気持ちだった。



眼球を握る手の指に、汗が滲んだ。

ゆっくりと、慎重に、眼球を保管箱から取り出す。

その時だった。背後から、前の席から、左右から。

様々な心情が、呟かれ始めたのは。



どくどくと心臓が波打つ。

私は背筋がぞわっとした。

隣の若者を覗き見てみる。

驚愕の表情が浮いていた。



教室の何処かで男性の若者が言った。

「俺・・・・・今までの身体と違う・・・」

教室の何処かで女性の若者が言った。

「私の姿・・・周りからどう見えてるの?」

次から次へと、呟きはこだましていく。

「僕の手はこんなにごつごつじゃない!」

「私の足はこんなに太くなんかない!」

鎖のように繋がり繋がって、やがてその声は、

教室中に響き渡る大音響へと変わっていった。

「何?私、こんなに肌の色濃くないわ!」

「俺の体、どうして皆より毛深いんだ?」

「あの子のにきびの量半端ない、きも。」

「髪の毛の質が前と変わっちゃったし。」

「僕ってこんなに血色悪かったのかな?」

「足も手も前と形が変わっちゃった・・」

「俺よりお前の方が随分格好いいんだな」

「理想通りの世界なんかじゃないじゃん」

若者達は、次々とそんな事を呟いた。



髪を掻き毟る生徒がいた。

涙をぼろぼろと零す生徒がいた。

手当たり次第、物を投げ壊す生徒がいた。

椅子に蹲り、黙々と独り言を呟く生徒がいた。



教室の中は、今や動物園のような有り様になった。



私はそんな中にいて、至って平静としていた。

私の心は、氷みたいに冷め切っていた。

掴んだままだった眼球をふと見つめて、

ああ、はめなきゃ。何故だか曖昧にそう思った。



片方の指先で義眼を強く掴み取り、

抉る様な感覚で、私は義眼を外へと出した。



その空いた穴へと眼球を近付けて行き、

何の躊躇もせずにぐりぐりと押し込み、

カチッと音が鳴るまで、押し込んだら、

私は、眼球を装着することに成功した。



ぼんやりと霞む、乳白色の視界。

所々見える、灰色のシルエット。

痛むように感じられる、強力な光。

チカチカ散らばる、花火の様な光。



やがて世界は、急激にどんどんと開けていって、

霧が晴れたかのように、明確なクリアになった。



ああ、形が捉えられる。

あれは・・・・・・何?



すると、目の前に白衣を着た男の姿が見えた。

・・・誰だろう?

ぼさぼさの黒髪。

閉じられた目蓋。

その顔に深く刻まれている、数々の皺。

どうやら、若者ではないらしい。

紛れもなく教師。私は気付いた。



教師は片手を肩の高さまで挙げて、

その細い、瞼の線を三日月型へと変化させ、

優しく微笑んで、私に向けて言った。



「×××ちゃん。どうですか?この世界は。

素晴らしいですか?私もそう思います。

実は昨日、お母さんからお電話頂きました。

×××ちゃん、大人の視界が、欲しいって。

全然、恐れてる様子が見られないんだって。

お母さんの方が、心配していましたよ?

家に帰ってから、

聞いといた方がいいんじゃないですか?

「お母さん、身体、大丈夫?」って。

ところで、皆さん、崩壊してしまいましたね。

まあ、毎年のことなので、気にしませんけど。

大人になる為には、誰でも通り抜ける壁です。

かの言う私だって、同じでした。

×××ちゃん。

そんなに急いで大人にならずとも、

良いんじゃないでしょうか?

少なくとも私は、未だに子供のままですよ。

それでは、これで、失礼します。

教室の鍵、皆に代わって、閉めといて。」



ガラガラガラと、扉を開いて、

そう云った教師は、

颯爽と、教室を後にした。



独り、その場に取り残された私。

周りには一面、崩壊する若者達。



私は突然訳も分からなくなって、

成り振り構わずに、鋭く叫んだ。



きあああああああああああああああああ

ああああああああああああああああああ!!!!!



周囲の誰にも、気付く者はなかった。

皆誰もが、パニック状態だった。



時は過ぎ、午後六時半。下校途中。

涙を零す私、独りきりで帰宅。

寂しくて、複雑で、悔しくて、

夕焼け空眺めたら、握られる様に、痛む胸。

(このままじゃいけない。)

何故か確信的に思った、瞬間。



その日の夜。

夕御飯の前。

ダイニングにて、母親と向き合う私。

恥ずかしさで身体がムズムズして、

それでも私、正直に立ち向かいました。

大丈夫。お母さんが見守っている。

胸の底から、精一杯、力振り絞って、

「お母さん、眼球と私のこと、生んでくれてありがとう。」



余談。

放課後、授業終わりの職員室にて。

同僚の教師と、視界科の教師の会話の抜粋。



「先生の瞳って、閉じられてますよね?もしかして無いんですか?」

「うん、そうだよ。思春期の時、抉っちゃって。」

「苦労するでしょう?色々と。」

「いいや、そうでもないよ。」

「そうですか?」

「うん。周囲の人が普段、聴こえない音も聞こえるし、

感じないことだって、感じるようになったし。」

「先生って、強いんですね?」

「強くなんかないよ、みんな。」

ずるる、と、右手に持ったお茶を飲んで、視界科の教師は笑った。

視界科

ああ
なんて丸くなってしまったのだろう。

この世界は、ほんとはこんなじゃないのに。

でも、まあ。別に、いっか。
もう少し崩れてしまえば、
もう少し逸脱してしまえば、
きっと、世界は、 連結するだろう。

視界科

基地外な少女と、基本の間違った世界との間に起こる、歪みやひずみ。 それを取り巻く周囲の大人や、生徒達。 「普通」の世界の中の、尋常でない「普通」の出来事。 それが、この作品の特徴です。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-18

Copyrighted
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