宗教上の理由、さんねんめ・第七話

まえがきにかえた作品紹介
 この作品は儀間ユミヒロ『宗教上の理由』シリーズの一つです。
 この物語の舞台である木花村は、個性的な歴史を持つ。避暑地を求めていた外国人によって見出されたこの村にはやがて多くの西洋人が居を求めるようになる。一方で彼らが来る前から木花村は信仰の村であり、その中心にあったのが文字通り狼を神と崇める天狼神社だった。西洋の習慣と日本の習慣はやがて交じり合い、村に独特の文化をもたらした。
 そしてもうひとつ、この村は奇妙な慣習を持つ。天狼神社の神である真神はその「娘」を地上に遣わすとされ、それは「神使」として天狼神社を代々守る嬬恋家の血を引く者のなかに現れる。そして村ぐるみでその「神使」となった人間の子どもを大事に育てる。普通神使といえば神に遣わされた動物を指し、人間がそれを務めるのは極めて異例といえる。しかも現在天狼神社において神使を務める嬬恋真耶は、どこからどう見ても可憐な少女なのだが、実は…。
(この物語はフィクションです。また作中での行為には危険なものもあるので真似しないで下さい)
主な登場人物
嬬恋真耶…天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子に見えるが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。家庭科部所属。
御代田苗…真耶の親友で同級生。スポーツが得意で活発な少女だが部活は真耶と同じ家庭科部で、クラスも真耶たちと同じ。猫にちなんだあだ名を付けられることが多く、「ミィちゃん」と呼ばれることもある。
霧積優香…同じく真耶と苗の親友で同級生。ふんわりヘアーのメガネっ娘。農園の娘。部活も真耶や苗と同じ家庭科部。
プファイフェンベルガー・ハンナ…真耶と苗と優香の親友で同級生。教会の娘でドイツ系イギリス人の子孫だが、日本の習慣に合わせて苗字を先に名乗っている。真耶たちの昔からの友人だが布教のため世界を旅しており、大道芸が得意で道化師の格好で宣教していた。部活はフェンシング部。
宮嵜(嬬恋)希和子…若くして天狼神社の宮司を務める。真耶と花耶は姪にあたり、神使であるために親元を離れて天狼神社で育つしきたりを持つ真耶と、その妹である花耶の保護者でもある。
池田卓哉…通称タッくん。真耶のあこがれの先輩でかつ幼なじみ、元家庭科部部長。真耶曰く将来のお婿さん、だったが最近破局を迎えてしまった。
岡部幹人…通称ミッキー。中学時代は家庭科部副部長にして生徒会役員という二足のわらじを履いていた。ちょっと意地悪なところがあるが根は良いのか、真耶たちのことをよく知っている。
宮嵜雄也…希和子の夫で、村の職員。天狼神社の所蔵品も多く展示されている村の史料室に勤めていたことが縁で結婚。この夫婦は夫の姓を名乗っているが、希和子が神社を離れられないので彼のほうが嬬恋家に住むマ◯オさん方式をとっている。
(登場人物及び舞台はフィクションです)

1

 近代以降、建築に関する天狼神社の記録類は非常によく整理されていて、年ごとにどこをどういじったかが克明に記録されている。西洋式の図面も作られており、また増築や補修の記録を年代と場所の両方から追えるような索引も作ってあり、必要な情報が簡単に探し出せるようになっている。
 先日も、社務所の天井から雨漏りが起きたので出入りの大工が調べたところ、竹を半分に割ったものが屋根裏に傾斜をつけた形で吊り下げられていて、その片方から水がジャブジャブ流れ落ちていた。何の目的で作ったものかが分からない代物なので、早速社務所に保管されている、天井裏と記された記録帳を取り出し調べてみた。
 それによると、戦時中にも社務所で雨漏りが発生したのだという。だがなにぶん資材も男手も不足していた時期である。そこで雨漏りのしている場所の下に、余っていた竹材を雨どいがわりにして水を受け、その先の壁を貫通させて外に捨てていたことが分かった。
 そして戦争が終わり、物資にも余裕が出てきたので雨漏りを本格的に直すことにした。貫通していた壁は埋めたが、竹の雨どいについてはどうせ天井裏で見えない。だから無駄な作業は省こうということで、壁に合わせて切るにとどめた。
 だがさらに時代が下り、社務所に電話線を引くことになった際にその雨どいが邪魔となった。無論なぜそれがそこにあるかの経緯を知るものは当時の神社にはいない。だが一連のてん末がこれまた当時の記録からわかったので、それを途中からぶった切って配線をしても問題ないと分かった。
 そして先日、以上の経過の記録を一通り見た大工は、雨漏りの場所からして戦後に直した雨漏りが再発したと判断が付き、事実かつての竹の雨どいと雨漏り箇所は一致していたのだった。
 そこで、わざわざ撤去する必要もないからということで残っていた竹の雨どいを活かしつつ、その切れ端の下にひとまわり太い塩化ビニルの雨どいを設置して流水を受け、配線を避けつつ伸ばした雨どいは、かつて貫通させた箇所にまた穴を開けて外に端を出す。これで雨水を逃がす仕掛けを復活させたのだ。
「屋根自体古いからな、直してもまた雨漏りするだろうからこういう応急処置が一番無難かもしれん。しばらく様子見といてくれ。悪いが次押してるんで失礼するよ。神様と神使様によろしくな」
大工はそう言うと、希和子に渡された缶コーヒーとお茶菓子を持って帰っていった。希和子は図面と日誌に修理箇所と内容、大工のコメントを記録すると、本棚にそれらを戻した。
 かくも、天狼神社の建物に関しては克明な記録と管理がされているのであるが、なんでも昔の宮司が近江を旅したとき、その地で宣教師がさまざまな事業を行い、医薬品の製造販売や建築物の設計に携わっていることに影響されたようだ。これは神道も変わらなければならない、神官はただ祈祷だけやっているのではなく、さまざまな事業や学問に精通しなければならない、と考えたその宮司は建築を独学で学び、自ら本殿や社務所の建築を図面に再現し、その改築記録を克明に残したのだった。

 一方、神社のしきたりに関する記録の無秩序ぶりと言ったら無い。社務所の本棚に収まっているもの・いないもの。製本されているもの・いないもの。保管場所とて神社の中にあるとも限らず、村内の民家の蔵から突然見つかることもある。
 それら散逸したり未整理だったりする史料を調べるのは希和子だけでなく、その夫であり村の資料室で働いている宮嵜と、大学の卒論に木花村の歴史を選んだ現中学教師で真耶達の担任、渡辺史菜の仕事でもあった。神社の歴史を紐解くことは村の歴史の大事な部分を明らかにしていくということとイコールでもあり、彼らの仕事は重要なものと言えるが、しっちゃかめっちゃかになっている史料というパズルを解く作業は決して楽なものではなかった。
 もっともそれは、整理された記録が無くても、それといった混乱もなく神社を運営して来られた証拠でもある。だが建物の場合、図面や改築履歴がハッキリしていないと修繕も遅々として進まない羽目になる。建物は自分の記憶を話せないから。
 一方、さまざまなしきたりというのは人々が口で伝えていき、教わった者が帳面に備忘録として付けたり、何か特別印象的なことがあれば日記や日誌という形で文書に残す。そんな不規則な記録の仕方でも、無事実行できればあとは問題ない(本来は、みんなが出来ているからマニュアルなんて要らないだろう、というわけにはいかないのだが、少なくとも現代の組織においては。手引書は教科書であると同時にやるべきことを規定するものでもあるから、必要とする人のいるいないにかかわらず、アタリマエのことでも文書化されるのである)。社務所にも公的な記録はあるがそれは年表程度のものでしか無い。それで問題が無かったというのは、ルーチン通りのことをこなせば何も起きないシステムが確立しているいうことでもある。
 しかし今回はそうは行かない。昔風に言えば元服してもいい年頃の神使が、次なる神使を迎えることが出来ずに未だその職務を辞せずにいるという事態は、子だくさんが当たり前の頃には基本的に起き得なかった。少なくとも今いる関係者の誰もが、その例にぶつかることがなかった。
 起きたことを記録するだけでは不測の事態に対応できないのだ、常に最悪の事態を想定してプランとは作っていくものなのだ、などと仕事論をぶっている場合ではない。ことは深刻で、早いところ真耶を神使の職務から解放してあげねばならないと、宮嵜も渡辺も必死だった。過去の史料はある。だがそれらがまるで整理のついていない状態であるので、掃除と整理から始めることがほとんどだったが、それでも真耶を救ってあげられれば苦労も報われる。

 はずだったのだが、まったく逆のことを指し示す史料を渡辺は見つけてしまったのだった。

2

 「真耶ちゃん、遠慮しないで行きたいときは言ってよ? 本当に。へたに我慢とかすると身体壊しちゃうよ?」
真耶の身体はすでに思春期を迎えており、身体のラインが男子のそれに近づきつつある年齢。そこで年齢相応の女子が持つ出っ張りとくびれを、あくまで控えめにではあるが、特注の体型補正ボディスーツでこしらえている。この下着は上下一体になっており、体型の調整は背中にある紐を締めることや、あらかじめ任意のサイズにおさまるような位置でホックを締めることなどで行う。そのため、着脱には時間が掛かるし、一人では着ることも脱ぐことも出来ない。登校前と下校後は花耶か希和子にやってもらえばいいが、外ではそれ以外の者が着脱を補助してくれない限り着っぱなし状態になる。
 もう梅雨の季節も半ばを過ぎており、いくら高原とはいえそれなりに気温は上昇し始めている。通気性よりも身体の固定を重視した素材は熱と湿気を溜めるし肌触りも決して良くない。そして「理想的な」身体のラインは立ったり椅子に座ったりしているときを前提としているので、体を曲げたりといったアクロバティックな動きにはほとんど対応できない。その上ギチギチに締め上げられているので、着ている本人は身体が休まることがないどころか、苦しさすら感じているはずだ。
 それよりも、最大の問題は別のところにある。下着には出来上がった身体の形を崩さないように、一切の開口部が用意されていない。つまり、一度着用したら脱がない限り用が足せないということでもある。だから友人たちがしきりに真耶にトイレにいくことを薦めても、着脱の苦労を友達にさせたくない真耶は一向に首を縦に振らない。下着を着たまま済ませられるように、オムツをしている。
 「それにしたって、せいぜい一回か二回くらいしか吸わないでしょ? そのあとはどうするの? 我慢するの?」
そんな詰問めいた問いにすら、真耶は躊躇なくうなずく。だからこそ周囲は心配になる。いつか真耶が身体を壊してしまうのではないかと。耐えかねた優香が、お手製の吸水性の良い素材でできた座布団を真耶の椅子に付けてあげたくらいだ(事実、それは何度か役に立った)。

 このしきたりは、過去からしっかりと伝わってきているものだ。数え年で十五歳を迎えた神使で、その性別が男子である場合はなるべく早く外見上女子と等しい見栄えを作り、自分では解けないようにしなければならない、という記述が神社の文献に明示されている。
 誰もが着物を着ていた昔なら難しくなかったであろう。女の子用の着物を着せて、帯に固結びの紐でも付けて脱げないようにしておけば条件を満たせる。しかし洋装が当たり前になった現代にこの決まりを適用するといまの真耶のように大変なことになる。
 そもそもこの決まりが作られた昔に、それが本当に実行されたかも怪しい。数えの十五歳、すなわち満年齢でおおよそ十三歳まで職を勤めた神使は数名しか確認できておらず(それですら現在の真耶より歳下だ)、また歴代神使の記録の困ったところは、神使は女子であるのが当然という建前の元、真の性別が明記されていないところだ。せめてそれがわかれば、この決まりをどの程度まで忠実に再現すれば良いのかも分かるというもの。
 負担の大きい宗教儀礼には抜け道がつきもので、例えばイスラム教の断食月だって日没してしまえば食事をしても良いのだし、日本の寺でも可動式の塔を一回転させるとそこに収められた経を皆読んだのとおなじご利益にあずかれるという物もある。だが天狼神社の場合、思春期の神使をどのように扱ってきたかの記録がないからどの辺を緩めて良いのかがわからないのだ。
 わかっているのは、神使が「神使職」からしりぞくことでこれら拷問のようなしきたりからは解放され、無理に女子を演じる必然性がなくなるということだけだ。

 なぜ思春期を迎えた男子の神使がより厳しい掟に縛られるかといえば、その男子らしさが表に見えることを防ぐために他ならない。にもかかわらず男子の身体を持った神使がわざわざ天から送られるのは、地上が乱世の状態である場合だと言われている。それに対応するために男子の強靭な身体が必要だというのだ。にもかかわらず神使は女子でなければならないという決まりも厳然として存在する。この矛盾したふたつの神様の思し召しを両方実現するために、男子でも女子として育てることがなされてきた。
 理不尽だ、余りに理不尽だ、現代の基準からすれば。自分の意志とは関係なく、男子でありながら女子として育てられ、しかも女子の神使より厳しい決まりに縛られる。しかしだからこそ、それだけ厳しいなかを耐え抜いてきた男子の神使には、特別なご褒美が用意されているはずだ。
 それと思われる史料を、渡辺が見つけたわけなのだが…。

3

 「こんなこと…本当にやってたんですか?」
「やってた…というか、対象者が本当にいたかどうかってのは、その制度の有無とは別だぞ? 法律や条例だってそうだろ? その町や村で災害が起きるかもしれないし、起きないかもしれない。でもハザードマップは作る、って言ったら分かりやすいかな。ちょっと違うか?」
「いや、分かりますよ。転ばぬ先の杖を持っていた人がずっと転ばなかったとしてもその杖には意味があるってことですよね」
宮嵜と渡辺が、公民館の貸し会議室で頭を抱えつつ相談している。机の上には大量の史料。最近この二人は、こうやって集まっては天狼神社に関する古文書やら史料やらを読み解いては嘆息する日々が続いている。
 「やっぱり、やらなきゃダメなんですかねえ」
「やりたいわけないでしょ、誰だってこんなの。でもこれに限って例外事項が見つからないから、こうやってなんとか探し出そうとしてるんじゃないの」
給湯室からお茶を持って来た希和子がため息混じりに言った。神社の責任者である希和子も勿論この集まりのメンバーの一人。
「で、やっぱ酒屋さんも知らないって」
古文書の読解が出来る宮嵜や渡辺と違い、希和子の強みは嬬恋家の親戚関係や交友関係を隅々まで知っている点。だが昔のことを知っていそうな親族や知人に連絡をとっては空振りに終わるの繰り返しに、少々疲れてきている。
しかも今日は神社とは縁の深いところに話を聞いてきたあとだけにつらい。神道において酒と神様は切っても切れない関係なので、祭りのときには酒屋から酒を寄進してもらう。そこの隠居した百歳近いおじいちゃんが知らない、というのだからこれはかなり有力な証言者へのアタックも空振りに終わったことになる。
「もう、あと三人もいないわよ、確認とってない人。そこを当たってもダメだったとしたら、私の方はもうゲームオーバー」
「それを言うなら、こっちはダンジョンの出口が見えないよ。史料の在りかはほぼ把握できたから、探索範囲の広さは大体分かるんだよ。ただ目的の物がどこなのか、もしくは、果たしてあるのか…」
「不吉なこと言わないでくれ。ゴールはなきゃ困るんだってば。しかも、タイムアタックになってきてるし…」
宮嵜のボヤキを、渡辺がそれだけは勘弁と言った調子でたしなめた。追い詰められると冗談でも交えなければやってられないというのは大人の仕事ではよくあること。だから渡辺は冗談めかしてタイムアタックと言っているが、実際このミッションには期限がある。
 じつは、数えで十六を迎えたときから、段階を追ってしなければならない一連の儀式があることは渡辺によって発見されていた。中三で満年齢現在十四歳の真耶は既にこの年の正月に最初の行事を行っていなければならなかった。ただこれを含めて幾つか連続する行事は何らかの理由で実施が遅れても構わない、という逃げ道までは発見することが出来た。この史料が見つかったのは今年になってからだったので、当然時間をさかのぼることは出来ないわけであらゆる行事が先送りとなった。
 この儀式は、十五歳という男子が女子として神使を続けるには一番精神的苦痛が大きいであろう一年間を乗り切ったことに対する、あくまでご褒美として授けられるもの。本来なら喜ばしいこと。
 しかし、当の神使にしてみれば、心身ともに更なる痛みを与えるものでしかない。なぜそんなものがご褒美になるのかはいざ実行段階となれば自ずと明らかになるのだが、その実態を彼らは文章で知ってしまった。だからこそ必死になって回避手段を探していたのだが、先延ばしにした行事は年の真ん中には必ず清算しなければならない。つまり、六月三十日にはこれらの儀式を一気に行わなければならない。しかもさすがにこの最後の清算儀式については回避する方法が見つからない。まあ今まで飛ばしてきたものをいっぺんにまとめてやれ、という指示に対して無かったことにしてくれ、とは行かないだろう。それは皆分かっている。それでもダメ元で儀式をやらずに済む手段を探しているということは、よっぽどやらせたくないことを神使にさせろ、いや、褒美として授けよ、と史料は命じているのだ。

 真耶には、この内容は伝えていないが、儀式がある事自体は伝えている。いきなり抜き打ちで何かされたら心の準備が出来ないだろう。ただ、かなりつらいことをしなければならないことは告げたし、真耶自身覚悟もできていた。それでも、拓哉との失恋の痛手をまだ少しだけ引きずっていた真耶にとって、新しい何かに踏み出させることはちょっと酷かもしれない。

4

 少しずつではあるが、毎日の最低最高気温は上がってきていた。
 真耶への儀式はこのままいけば新暦の六月三十日になる。今や日本中で多くの神事が新暦で行われているのでそれが今回も自然だと言える。しかし今回ばかりは儀式の決行を旧暦でやることとし、時を引き延ばす案も出された。
しかし旧暦の六月末といえばもう夏の真っ盛り。いくら高原と言えど条件によっては暑いものは暑い。身体がそれに慣れきっていない状態でいきなり儀式をやることが、真耶にとって、より大きな負担をかけることを恐れ没になった。
 勿論儀式の実施日を引き延ばすことには、少しでも回避策を見つける時間を増やしたいという狙いもある。しかしもはやその可能性はほとんどゼロに近い、というところまで調べつくされていた。だから六月の末日を以て、真耶が儀式をほどこされることは、ほぼ確実になってしまった。
 「とにかく、大変なんでしょ? それはわかってる。でもこの神社の儀式ってぜんぶ大変じゃない。大丈夫、ガマンするよ、あたし。大変って言ったって、出来ないことまで神様が要求してこないってこともわかってるし。だてに十五年神使やってないんだよ?」
真耶はそう自信有りげに言う。そう、真耶なら出来る。それは誰も否定しない。ただそう思うからこそ、その過酷な儀式を行うことに抵抗があるのも確かだ。
「それに、神様からのご褒美なんでしょ? だったら、大変なこともガマンしなきゃダメだよ」
真耶はにっこりしながら言う。それが周囲の大人にとって、余計に痛々しかった。

 そして、何の策も見つからないまま、儀式の当日が来てしまった。 
 真耶たち仲良し四人組は、行きつけの喫茶店に来ていた。高原独特のログハウス風の外見ではあるが、なかは昔風のいわゆる昭和の喫茶店という風情をみせている。村名産のメイプルシロップとともに、角砂糖や、地球儀を小さくしたような外見の百円玉を入れると星座占いが出る器械がテーブルの上に置いてあるあたりも、いかにも昭和。
 このあたりは天狼神社を奥に構えるいわば門前の集落で、すなわち村の一番奥地な割には健闘している店。その古めかしく静かな雰囲気と、今時ちゃんとシナモンのスティックを付けたカプチーノを出してくれる丁寧さが常連客をつかんで離さない。店を切り盛りするのは若い女性。時々苗の今の自宅である「ペンションかみさまのすみか」で前に里子として預かられていた女性、通称「姉貴」またの名を「姉御」が店番をしているが、彼女は夫の収入がちゃんとしているし主婦業もしているので、このお店はあくまでヘルプ。店主は今日店番をしている寡黙な女性。店内は有線放送も無いので、その静かさに拍車がかかり、でもその空気に彼女はとても似合っているようにも見える。
 彼女は耳が聞こえないのだ。だがそんな彼女でも自立して商売ができるふところの大きさをこの村は持っている。勿論、一番奥地にあるお店にわざわざコーヒーを飲みに来る村人が障がい者への哀れみで来ているとか、そういう意味ではない。しっかり彼女は味で勝負している。
 コーヒーの注文を受けるたび、彼女は手回しのミルで豆を挽く。聴覚の代わりに手触りで挽き具合を調節するのだという。紅茶を頼まれると、しっかり砂時計で抽出時間を計る。そうやって丁寧に淹れられた紅茶に、高原産の新鮮なミルクをたっぷり使った「チャイ」。真耶は子供の頃からこの味のトリコとなっている。今日も熱いチャイをふーふー言いながら飲んでいる。
 でも、その幸せそうな真耶の顔を見続けることに、友人たちは耐え難いつらさを感じていた。
「なんでそんな楽しそうに飲むの…もう、これが最後になるかもしれないのに…」

 儀式は、六月から七月に月が替わる前に終えなければならない。つまり六月末日の夜半にはすべてが終わっていなければならないということ。なじみの喫茶店でのお茶の後は、家族水いらず、といっても妹と叔母とその夫しかいないのだが。
「まるで、さいごのばんさんみたいだね」
花耶がそうつぶやいた直後にしまったという顔をしたが、真耶はいいよいいよと花耶の頭を優しくなでた。その優しさがあまりに嬉しくて、でも同時にあまりに悲しくて、花耶は目に溜まってきた涙を必死でこらえていた。
「二人ともー、この唐揚げ美味しいよー、お肉屋さんで買ってきたやつをオーブンで焼き直したからこんがりだし香りもいいよー」
希和子が明るい声を精一杯張り上げておかずを薦める。真耶と花耶も、やったーとばかりに喜んで箸を伸ばす。夕げの食卓は、明るく和やかに進んだ。
 入浴は済ませていたので、歯を磨いて口を清める。きれいな身体になったところで、いよいよ、儀式が始まるのを待つのみとなった。

 儀式には真耶本人をはじめとして、宮司の希和子・神使の守り人である妹の花耶・何年も前から友人のよしみで夏の祭りを手伝っている苗と優香・それに今日は宗教の違いから本来は手伝いの出来ないハンナも立会人として参加している。立会人としては他に渡辺と希和子の夫である宮嵜・照月寺からも拓哉の父・神職を引退している曾祖父母も顔を見せている。
 「…」
希和子が祝詞を上げている。そう、あくまでこれはめでたい儀式。皆心配やら引き延ばしのための悪あがきやらをしていたが、名目としてはあくまでめでたい儀式であり、十五年の間神使の職を務め上げたことへの神様からのご褒美。
 これをもって、真耶は、真の「神の子」となる。

5

 嬬恋家には、宮嵜と希和子の結婚によって彼の使っている自動車がやってきた。儀式を終えて一晩明けた真耶は、その車で学校まで送られる手はずになっていた。
 軽のワゴンが校門脇に横付けされる。後ろのドアが助手席から降りてきた希和子の手によって開けられた。ペンション前でピックアップされ、後部座席に同乗していた苗が真耶を支えながら降りてきた。
 昨晩天狼神社で儀式が行われ、真耶は神使として、いや、「神の子」としてよりふさわしい姿にたどり着いたことは学校内にも噂として広まっていた。しかし、それがどのようなことを意味しているか、そこは誰もがわざと考えないようにしていたのだろう、車の中から現れた真耶の姿かたちは、予想のついたものとはいえ、驚きを与え得るには十分だった。

 天狼神社に祀られている神様は「真神」と呼ばれる、もとは狼である。だから夏祭りのいち行事である「神宿し」では神使である真耶が狼の扮装をして自らの身体を依代として神様を宿す。つまり、天狼神社の神様は文字通り狼の姿をしている。真耶は長年神使を務めたことへのご褒美として、神の姿に近づく栄誉をあずかったのだ。

 苗は、学校での真耶のエスコート役を担当している。手にはペット用のリードが握られ、その先はグレーの大きな狼のぬいぐるみの首輪につながっている。ぬいぐるみと言ってもちゃんと四本脚で歩くし、まるで生きているようだ。
 それもそのはず。このぬいぐるみは神宿しのときに使用される神様の依代になる狼の着ぐるみ。そして本来ニホンオオカミの体毛は茶色いのだが、中に入る真耶の白人の血に合わせてヨーロッパオオカミの毛色を使用している。つまりこの着ぐるみは真耶専用。
 昨晩の儀式のさい、この着ぐるみが真耶に着せられた。これこそがご褒美の正体であり、より神様に近い姿かたちで日常を送る権利を授かったということ。神様に授かったものだから勝手にこの着ぐるみを脱ぐことは許されないし、二足歩行も禁じられる。そしてオオカミがイヌ科の動物である以上、人間社会ではつないで飼わねばならないので首輪とリードをしっかり装備された上で移動する。
 そして儀式用の着ぐるみは、中に入っている者の顔かたちがよく見えないようになっていて、四足歩行をすると完全に死角となる。その死角をいいことに、真耶の口にはギャグボールがくわえさせられ、人間の言葉がしゃべれないようになっていた。史料によれば、神は人語を解するが、神の子はそれをしゃべることが出来ないのが本来なのだという。
 真耶は、教室のいちばん後ろにつながれた。神の子だろうがなんだろうが義務教育は受けさせなければならない。教科書を前足で押さえ、ノートをするための鉛筆を肉球と肉球の間に挟み込んで無理やり書くのだが、ほとんど字にならない。もっとも狼が字を書けるのはおかしいのだから、より神様の姿に近づくという神事の結果としては成功ということになる。
 昼休み。給食は代金を支払っているのだから当然食べる権利があるが、箸などを使うことは許されない。このときだけ苗がギャグボールをズラしてやり、真耶は文字通りの犬食いをする。友人たちがスプーンで食べさせてあげようとするのだが、真耶は首を横に振る。実際の狼がそんなことはしないからだ。こういうとき、真耶は一切の妥協をしない。
 放課後。下校時は宮嵜が仕事に行ってしまっているのでバスを使わざるを得ない。すでに村には村営バスに「狼」が乗車することを承認してもらっている。ちなみに狼らしさの例外として、いわゆるマーキングだけはしなくて良いことになっている、というかそれはさすがに近所迷惑。着ぐるみの中のオムツはすでにびしょびしょになっているが、用足しを理由に脱ぐことは許されない。真耶は、吸収量の限界を超えた黄色い液体が両足の方へあふれ出しているのを感じながらも、垂れ流しを止めることができなかった。これはすぐに特注の大量吸収オムツに、これまた特注の外に水を漏らさないおむつカバーを合わせる形に改められたが、それでもオムツの中は生暖かい水がタップンタップンしている状態が一日中維持され続けた。
 一日一度、夜にだけオムツの交換が許されている。その係を買って出た花耶だったが、自らの姉のオムツを外しながら、シクシクと泣き始めてしまった。気丈な彼女はそれでもなんとかやり遂げたが、口を開けないはずの真耶が、ごめんねと言っているような気がした。本当は自分が一番つらいはずなのに…。

 南国からは梅雨が明けたと見られるとの便りが届き始めた。対して関東は連日の雨。真耶の四本の足は雨水や泥で汚れてしまうので特製のゴム長をはいているのだが、それでも泥跳ねなどが毛に付くと、それはそれは丁寧に取り除き、綺麗な毛並みを保ち続ける。一方、着ぐるみを脱ぐことを一切許されない真耶そのものの身体は一度たりとも洗われることはなく、オムツ替えのときにお尻をふいてもらえるくらい。着ぐるみの中は汗だくになっているはずで、それに湿気も相まっていよいよケモノの臭いになってきたことは、神の子により近づいた証なのだろうか。
  「どこがご褒美だよ、ご褒美だって言うのは建前で実は神使が成長して男っぽくなったのを隠すためなんじゃないの? だいいち真耶だったら、十分外見女子で通用するじゃん」
珍しく苗が愚痴っているが、それが実は的を射ている説だということを、渡辺は否定できない。
 放課後の家庭科室。部活はとっくに引退した苗だったが、連日真耶の学校での世話をメインでやっているストレスを感じ取った優香とハンナが今日は役割をすべて引き受けてあげていた。だからといって急に身体の空いた苗とて家庭科部の活動に顔を出して見ることくらいしかやることが思いつかない。
「真耶先輩は、苗先輩の言うとおり、今でも全然女の子っぽいですよね。なんでしきたりになんて縛られなきゃいけないんだろ」
三年生の引退で、唯一の家庭科部員となった佐藤楓が首を傾げながら言った。彼女は中学生になってからこの村にやってきたので、ようやくこの村の不思議な宗教観に理解が追いついてきたと言ったところ。
「うーん、天狼神社の神使ってのは、幸せをこの世に振りまく役目を背負ってはいるんだ」
家庭科部の顧問としてここに居つつ事務仕事をしていた渡辺が顔を上げて口を挟んできた。
「だから、まず自分が幸せになることが大事。これも分かるな。で、今までより神様に近い外見になるってことは、今までよりワンステップ神様の姿に近づく名誉を得た、とも言える」
「ぜんぜん不名誉じゃん」
「人の話は最後まで聞きたまえ。名誉を得た人間にはそれなりの苦労もついて回るんだよ。そりゃ分かるよ、真耶の場合バランスがおかしいって。得るものに対して、課されるものが大きすぎるって。でもな」
渡辺が改めてその場の全員に向き直った。
「天狼神社の神使には、もう一つの大きな役目があるんだ」
渡辺は一息つくと、言った。
「世の中の不幸や災いを引き受ける、生ける身代わりでもあるんだ」

 天狼神社の夏祭りは、神様が地上に降りてきて、人々から預けられた不幸を幸福に変えてこの世に返していく、というもの。だが人の不幸や不運というものは一年中存在している。だからそれら不幸や不運はいったん神使が引き受ける。夏祭りまでそれを背負い続けるのが原則だが、普通に考えて背負うものがあまりに多すぎる。だから神使は夏祭りの暑さに耐えるのと同じように、普段の生活でも色々と大変な日常を送る。男子の神使の日常生活に過酷なものが含まれているのは、それをこなすことで同時に自分の身にこもった不幸を害のない形に変えているのである。
 だからこそ、神使は尊崇される。人々から、「神の子」として認められる。神使に課せられているものは、あまりにも大きすぎる。重すぎる。

宗教上の理由、さんねんめ・第七話

 真耶には書き手として相当無理や無茶をさせてきた自覚は当然あるんですが、今回は一番大変な目にあわせておりますし、早く続きを上梓して楽にさせてあげたいです(と、自分で自分に鞭打たないとなかなか遅筆は治らない…)。

宗教上の理由、さんねんめ・第七話

宗教上の理由シリーズ、ようやくの続きです。前回悲しい別れを経験した真耶にさらなる試練が襲いかかります。ドキドキしながら読んでみて下さい。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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