二十七歳の誕生日。
目を覚まして、ああ、明日は誕生日なんだ、と、彼女はふと思った。
今年で二十七歳になる。
二十七歳というのはちょっとした年齢だ。おばさんというほどの年齢ではないけれど、でも、もう若いという感じじゃいな、と、ぼんやりと彼女は思う。
できることなら歳なんてとりたくない。自分がどんどん古くなっていくみたいで嫌だと彼女は感じる。だけど、それは避けようのないことだ。誰だって歳をとるし、それが嫌なら死ぬしかないのだから。でも、今のところ彼女はまだ死にたいとは思わない。
・・ただ、ほんのちょっと哀しい気がするだけだった。
せめて、今年もあのひとがとなりにいてくれたら、歳を取ることもそんなに苦痛じゃなかったかもしれないな、と、彼女は考える。くだらない感傷かもしれないけれど、彼女はそんなふうに思わずにはいられなかった。
彼女は別れた男のことを少し、思い出した。
その男とは約四年半付き合った。結婚するつもりだった。実際にそんな話もしていた。だけど、些細なことが切っ掛けで喧嘩になって、別れることになってしまった。それまでもよく喧嘩はしていたけれど、でも、今回の場合は、もう、元には戻らなかった。
だけど、そんな話はどこにでも転がっているし、少しも特別なことじゃない。わたしはたぶん、ちょっと大げさに悲しがっているだけだ。
しっかりしなさいよ、と、彼女は自分自身を叱咤する。わたしよりももっともっと辛い思いや、哀しい思いをしてるひとはたくさんいるのだから。何をこれくらいのことでメソメソしてるんだろう。バカみたいだ。・・ほんとにバカみたいだ。
でも、いくらそう言い聞かせても、少しも心は軽くならなかった。彼女は重たい心をひきずるようにして、無理にベッドから身体を起こした。
これから仕事に出かけなくてはならない。
彼女は大学を卒業してから植栽関係の会社で働いている。仕事は楽しいような、楽しくないような、曖昧な感じだ。特別大きな不満はないけれど、でも、今の仕事をずっと続けていきたいといような気持ちにもなれない。とりあえず今はいいとしても、これから先どうするんだろう、と、ときどきそんなふうに考えることもある。
だけど、その疑問に対して、はっきりとした答えを出すことではない。出せないから、ちょっともやもやとした気持ちになったりもする。
部屋のカーテン開けると、明るい太陽の光が、彼女が一人暮らしをしている狭い部屋のなかに溢れた。
浴室で顔を荒い、歯を磨く。それから簡単な朝食を作って食べる。トースト二枚と紅茶。服を着替えて、化粧をして、駅までの距離を少し歩く。そしてすし詰めの電車に三十分程揺られて会社にたどり着く。
・・いつもどおりの毎日が過ぎていく。
仕事を終えて彼女が家にたどり着いたのは、もう十時近くだった。今日はちょっと仕事が長引いて残業しなければならなかった。最近は毎日のように残業している気がする・・。
とりあえずという感じでシャワー浴びる。シャワー浴びたあとに遅い夕食を取る。これから料理をする気にはとてもなれないので、夕食は帰りがけに買ってきたコンビニ弁当だ。
テレビをつけ、それを見るともなくみながら弁当を口に運ぶ。弁当ははっきりいって、もう食べ飽きてしまったせいか、あまり美味しくない。ほんとうは食べたくはないのだけれど、でも何も食べないわけにはいかないから、無理に食べている感じだ。
テレビ番組は退屈で、そのうち彼女はうんざりした気持ちになってテレビを消した。テレビを消すと、とたん部屋のなかはひっそりとして静まり返って、彼女は息のつまるような孤独を感じた。何か音楽をかけてもいいのだけれど、何も聞きたいと思う曲が思い浮かばない。
彼女は諦めてまたテレビを点けた。テレビでは恋愛をテーマにしたバラエティ番組がやっていた。
テレビに映っている俳優が、どことなく、昔好きだった男に似ているような気がした・。
何となく部屋の空気が淀んでいるような気がして、彼女は部屋の窓を開けた。窓を開けると、夜の涼しい風が静かに吹き込んできた。微かに夏の匂いがした。
風と一緒にアパートの外の、様々な音が部屋のなかに流れ込んでくる。車の走りすぎる音、電車の音、近くにある公園の木々が風にそよぐ音、虫の鳴き声・・。風に吹かれながらそれらの音に耳を傾けていると、それまで沈み込んでいた心が少しだけ、穏やかになっていくのを彼女は感じた。
彼女はふと思いついて冷蔵庫の前まで歩いていき、その冷蔵庫のなかから缶チューハイを一本取り出した。そしてそれを持ってまた部屋の窓の前まで歩いていくと、窓の外に見える街の光をぼんやりと見つめながら缶チューハイを飲んだ。
気がつくと、いつの間にか部屋の時計の針は十一時五十五分を指していた。もうあとほんの少しで二十七歳になってしまうんだ、と、彼女は無感動に思った。
そして、彼女はふと思い出した。別れた男が毎年、誕生日、十二時きっかりに電話をくれたことを。
やがて時計の針は十二時ちょうどを指した。もしかしたら、と、彼女は期待したが、しかし、電話はならなかった。ケータイ電話を見つめる彼女の顔にそれとわからないほどの微かさで悲しみが広がっていく。彼女は軽く瞳を閉じ、何かが通り過ぎていくのを待つように少しの間そのままでいた。そして少したってからゆっくりと閉じていた瞼を開いた。
それから程なくして彼女のケータイ電話が鳴った。それは友人からの電話だった。彼女は五秒間程、ケータイのディスプレイに表示された友人の名前を見つめていて、やがて電話にでると、すぐに笑顔で話し始めた。
「ハッピーバースデー。」と、友人が彼女のためにお祝いの言葉を述べる。
「ありがとう。」と、彼女は笑って答える。
アパートの窓から風が入り込み、彼女の耳元をそっと吹きすぎていく。彼女は耳元を吹きすぎていく風の音を感じながら、これから訪れる夏を想う。そしてもう過ぎ去ってしまったいつくもの夏を思い出す。
夏の高くて青い空。照りつける熱い日差し。蝉の鳴き声。夏の濃い緑の木々。海と線香花火、みんなの笑い声。
それから・・。それから・・彼女は考え続ける。
二十七歳の誕生日。