短編小説 『隙間人情シリーズ』ワークライフアンバランス
寝る前に、たった五分の人情話はいかがでしょうか?
冴えない毎日、ねじ曲がった感情、失った童心。
社会人生活10年目を迎えた私は、すでに自分の人生を見切っていると周りから思われているのかもしれない。成長成長うるさい同期は着々と出世し、それ以外の幸せ固執マンたちは愛する家族とかいうものを手にいれたが、私は別にそんなものに興味はない。目の前の幸せや成功なんざ、自分の未来がランタンで明るいと思えるような奴らが手に入れればいいのだ。
「寺谷さん、今日営業部のメンバーで飲むんですけど、一緒にどうですか?」
「あぁ、、悪いな。今日は予定があるんだ」
誘ってきたのは、後輩の松岡だ。こいつは私より年次は一つ下だが等級は上だ。おまけに早くに嫁を作り、息子はもう5歳になる。こうして後輩ズラこそしてはいるが、心の中では私のことを見下しているのだろう。
「寺谷さんまたっすか? たまには付き合ってくださいよ。」
「大事な予定なんだよ、すまんな」
社蓄共を尻目に、私は会社を後にした。そしていつものように、最寄駅向かいの雑居ビルの4階へ向かった。エレベーターを降りると、先生は笑顔で私を迎えてくれた。
「こんにちは、寺谷さん。ギリギリですよ?」
少し意地悪そうな顔で私を見つめるその目が、私をなんとも言えない気持ちにさせた。
「先生、ごめんなさい。電車が遅れていて」
「またそれだ。遅延情報ないですよ?」
先生は意地悪そうに、SNSで遅延情報と検索した結果を見せてきた。こういうところが、なんというか会話をしようとする気持ちが伝わってきて、嬉しいのだ。
「そう言えば、今日は寺谷さんの他にもう一人生徒がいるんです。」
「え? 」
予想外の言葉に耳を疑いながら先生の目線の先を見つめると、そこには見るからに偏差値の低そうな青年が立っていた。全身黒に金髪頭、耳にはピアスが二個ずつなんて、バカのデフォルトのような見た目だ。
「すいません、、 彼元々土曜日コースなんですけど、振替での他の講師がどうしても空いていなくて、、」
一瞬取り乱して帰ろうかとすら思ったが、こういう状況を受け入れるのが大人である。社会とはそういうことを学ぶ場所なのだから。
「二人の方が、学べることも多いですよ」
私は先生に、いいお客様代表選抜があればスタメンで出られるような返事をした。しかしこうしてスムーズに状況を受け入れようとした私に対して、バカのデフォルト青年は対照的だった。
「俺やだよ、みやちゃん。こんなおっさんと一緒にやるの。」
コイツめ、なんて空気を読めない野郎だ。しかしそれ以上に私は、先生をと親しげに呼んでいることが許せなかった。
「ほら、Q、そんなこと言わないの」
そして先生もまた、バカデフォを謎のアルファベットで呼んでいることも許せなかった。いったい名前のどの部分を取ればQになるのだろうか。彼が坂本でない限り、納得のできない呼び方だ。
「はい、じゃあ二人とも、私についてきてください。アメンボ赤いなあいうえお。毎度懲らしめるマイコラス。姫路をしめじでベシベシ」
私たちは先生に繰り返すまま、ナレーションの練習を進んでいく。レッスンは終盤に差し掛かり、セリフ読みの時間になった。先生から台本が配られると、今日のテーマは20年働いた社員が合併によっていとも簡単にリストラをされそうになり、社長に土下座をしてクビを免れようとするシーンだった。5分ほど自分でセリフを読み込み、その後先生の合図でセリフを読み合わせるのだが、今日は生徒が二人いるため私はまずQのセリフを聞いて待つ時間になってしまった。
「勘弁してください。家族がいるんです。社長っ、社長っ」
「Q、それじゃダメだね。声に臨場感がない。」
「だって分かんねぇよ。クビになったことねぇもん」
「じゃあ、あなたはネコ型ロボットになれるの?宇宙人になれるの?超イケメンエリート御曹司になれるの?私たちの仕事なんて、大半がなれないよ?」
「うるせぇな、わかったよ」
普段は優しい先生が、珍しく厳しい言葉をQに対して重ねていた。歳が近いと、先生の対応もまた変わるのだろうか。それにしてもQは、気持ちを乗せることに苦戦していた。
「寺谷さん、お待たせしました、お願いします」
予想よりも待ち時間が長かったことからセリフが大体頭に入っていた私は、駄本を閉じ、先生を見つめて声を出した。
「勘弁してくださいよ! 私には、家族だっているんです。あなたにだっているでしょう? 同じじゃないですか、ほら、そんなこと言わないで、、ね? お、、お願いしますよ。もうね、ここしかないんですよ。ねぇ、なんとか言ってくださいよ! なんとか言ってくれよ! なぁ!!」
以降、気がつくと余計なセリフを沢山加えていた気がするが、私がセリフを読み終わる頃、二人は私に釘付けになっていた。
「おっさん、なんでそんなに上手いんだよ」
Qが少し落ち込んで台本を丸めながら、私に質問をした。
「なりそうだから、かな、、」
多分、最も正しい答えを私は言えたと思う。
帰り際、待合室に戻るとQがまだ落ち込んだ様子で椅子に座っていた。私は久しぶりに人より上であることを証明できたのが嬉しくて、そのお礼にと缶コーヒーを2本買い、彼に差し出した。
「ありがとう。なぁ、おっさんってさ、何の仕事してんの?」
「営業だよ。」
「よくわかんねぇけど、いつもあんなに謝ってお願いしてんの?」
「いつもじゃないけど、多いな」
つまらないことをしてるよな。と私は自分からうっかり口を滑らしそうになったが、Qの反応は違った。
「すげぇな、おっさん。俺そんなのできねぇわ」
別にこっちだってしたくてしてるわけではないが、なんだか自分の仕事を凄いと言われるのは不思議な感覚だった。
「おっさん俺な、声優になって、世の中のみんなをワクワクさせるような役をやって、彼女も幸せにして、金持ちになってモテたいんだ」
欲が入り混じりすぎている発言に、私は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。だが、Qの真面目な目を見ていると、何だか彼の夢をバカにしようとしている私がバカなのではないか、とすら思えてきた。
「いいじゃん、頑張れよ」
それくらいしか言えることが無かったが、久しぶりに人に頑張れと言った気がした。
「俺が有名になったら、おっさんもアニメに出してやるよ!クビになりそうな会社員の役で!それじゃあ、おっさん、俺行くわ」
「あぁ、またね」
その時は既に私はクビになっているかもしれない、と言うのが頭をよぎったが、彼の素直な優しさが、私には嬉しかった。こういう人間は今まで徹底的に陰で見下してきたが、案外関わってみると良いものだ、と私は思った。そんな気持ちの変化が起きただけでも、私がこのスクールに通ってよかったと言えるのかもしれない。
「ここにいたの? ずっと外で待ってたんだけど。あ、寺谷さんもまだいらしたんですか。」
私たちの前に、少し怒り気味の先生が現れた。
「ごめんってみやちゃん、行こう。おっさん、それじゃな!」
「失礼します。」
Qは愛想よく、先生は丁寧に頭を下げ、私の前から去っていった。窓から外を覗くと、二人は手を繋いで街灯照らす駅の方へと向かっていた。
今日はとてつもなくエロいDVDを借りて帰ろうと思った。
短編小説 『隙間人情シリーズ』ワークライフアンバランス
否定も肯定もない、ちょっとしたお話。皆様の明日からの活力や、疲れた心にちょっとでも影響することができれば、幸せです。