五月晴れ

今回は、私の人生のある日のことを話させてください。そしてどうか、笑って欲しいのです。馬鹿だなぁ、と。

その日は、前日の土砂降りが嘘のような見事な快晴でした。さらに詳しくいうと、その日は月曜日で可燃ごみの日でした。
たったそれだけ。そう、ただそれだけのどこにでもありふれた普通の日だったのです。
私がごみ出しを終えてしまうまでは。


何故、そんな普通の日が私に少し特別な意味を持ったのかを話す前に少しだけ私の友人の話をさせてください。友人の名は、そうですね仮にSさんとしましょう。
彼女は私の中学時代の友達でした。彼女は背が高くいわゆる美人で、おまけに成績優秀で運動も得意でした。そんな私と正反対の彼女と私はあることをきっかけに仲良しになりした。彼女はどうだったか分かりませんが、当時の私は彼女がとても、とても好きでした。彼女とは小学校の頃からの知り合いでしたが実際に仲良くなったのは中学二年生の時でした。寒い、冬のことでした。
月日は流れて、私たちは中学三年生になりました。そして皆さんもご存知の通り中学三年生の大きな行事といえば高校受験がありますね、例に漏れず私たちもそれをすることになりました。私たちは学力の違い、自分に合った校風の違いなど、様々な理由の結果別々の高校を受験しそこに受かりました。どんなに仲良しでも、学校が違えば頻繁に会うことは難しくなります。それに彼女はそのうち引っ越すというじゃないですか。
まだまだ未熟で愚かだった当時の私は彼女とはもう二度と会えないものだと信じ込み、結果としてそれは正しかったのですが、友人だった記念として卒業式の日に半ば無理やり名札を交換しました。
私は今でもしっかりとその会話を覚えています。

「ねぇ、それちょうだい。」

「なんで?」

「いいじゃん。みんなやってるよ!だから、ちょうだい?代わりに私のあげるからさ。ね?」

彼女は苦笑いをしながら、小さい四角形をした白いアクリル版に彼女の名字とその下に赤い一本線が引かれたそれを交換してくれました。今考えてみると、彼女にしてみたら私のそれなんて要らなかったのでしょう。それでも私はその日の戦利品を今日まで大事に大事にとっておきました。


さて、私の昔の友人の話が長くなってしまいましたが本題に戻りましょう。
何故、その日が少し特別な日になったかでしたね。
私はの日に彼女からもらった名札を捨てたのです。私は今二十歳ですから、中学の卒業式、つまり十五歳の時にもらった、五年もの間大事に大事にとっておいたそれをごみ袋に入れて捨ててしまいました。それはもうあっさりと。まるで食べ終えたお菓子の袋を捨ててしまうかのように。


ここでお話を終えてもいいのですが、もう少しおつきあいくださいね。あと少しで終わりますから。
私は確かにその日までちゃんと名札をとっておいたのです。何故なら私は彼女が大好きだったからです。いいえ、好きというよりももはや執着していたと言えるかも知れません。我ながら気持ち悪いとは思いますが、そうしてしまうほど彼女という存在は私の人生の中で大きな意味を持っていたのです。
ですがどうでしょう、彼女にとって私なんて存在はそこら辺の友達と変わらなかったのです。学校が離れたらそれで、ハイ終わり。その程度の友人だったようです。それでも私は愚かなことに彼女を心のどこかで諦めていなかったのです。その証拠に、成人式の時にもしかしたら会えるかなと少し期待していました。結果だけいうと、別の友人、同級生には会えましたが彼女にはだけは会えませんでした。また、私の高校二年生まで過ごした実家は私の家族が引っ越してしまったため今はもうありません。私自身も大学の関係でもと住んでいたところから電車で片道三時間というところに引っ越してしまいました。連絡先だって中学校を卒業してガラケーからスマホに変えた時に聞きそびれてしまったため知りません。つまり、どんな手を尽くしてももう彼女と会うことはできないのです。

私はその日の前日、一人暮らしをしている部屋の掃除をしていました。なにしろ、その日の前日は土砂降りですることがなかったのです。そして、雨の日というのは実に静かで考え事に適しています。だから、掃除をしなが考えていたのです。掃除中に偶然見つかった彼女の名札と彼女について。
そうして、こんな不毛な片想いみたいなことは大人になった今、いい加減にやめるべきだと思ったのです。

そうです、彼女と私の関係はその日で終わりました。
ようやく私は彼女から、過去からさえも解放されたのです。
その日、彼女が今、幸せに生きてることを祈りながら私は思い出と一緒に彼女の名札をごみに出しました。
なんて、嘘はいけませんね。
本当は彼女に対する怒りと失望、そのような負の感情を綯交ぜてこれ以上私が嫌な人間にならないように捨てたのです。だって名札を見ると彼女を思い出して、彼女に対しての文句が津波のように押し寄せてくるのです。挙句の果てには誰もいないのにその場で叫びだしたくなるのです。彼女へのあらゆる罵詈雑言を、あるいは本当はもっと仲良くしていたかったなどというような浅はかで幼稚な願いを。
そのような哀れな人間にはいくら愚かであると自負している私でもなりたくはなかったのです。

だから、捨てました。


その日は月曜で、溜まった我が家の可燃ゴミを出さないといけない日ということを除いてはごく普通の日でした。空はとても青く澄み渡っていて、まるで蒼玉のようでした。風も心地よく吹き、太陽は燦々と輝いて、私の住むアパート、囀る鳥たち、眠そうに自転車を漕ぎながら学校へ向かう女学生、風になびく木々、昨日の土砂降りのせいで少しだけ嵩を増して流れが早くなっている川を爽やかに、同時にギラギラと初夏の日差しのごとく照らしていました。



そんなありふれた美しい日常の一コマの中、
黒くドロドロとして醜いのは
私ただ一人でした。


これでおしまいです。どうでしたか?
きっと呆れて物も言えないと思います。あるいは、嫌悪したでしょうか。
でもどうか知っていてほしいのです。
愚かの度合いは違いますが、あなたもわたしも同じ人間なのです。
私は自らの愚かさ故に幾度となく失敗してきましたがそれでも、わたしはそんなどうしようもない愚かで哀れな私を愛しています。

五月晴れ

不毛な話でした。月曜のゴミ出しって大変だと思うのは私だけでしょうか。というか、早起きが苦手です。 五月の話だったので五月晴れにしました。

五月晴れ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-14

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