サクラノベル
まだ完結はしていません
10万字くらいを目指す予定です
それを見つけたのは俺が一人屋上で昼食を取ろうとしていた時のことだった。
「なんだ、この封筒」
屋上のいつも俺が座っている丁度その場所にそれはあった。ボタンの付いている、紐を解いて開けられるようになっている封筒。大きさはA4サイズより少し大きいくらいか。
「誰かの忘れ物…じゃないよな」
屋上は校則では立ち入り禁止になっているのだが、俺が高二になってすぐの頃。一人になれる場所を探して彷徨っていた時に、偶然屋上の扉に鍵がかけられてない事を知ったのだ。
それから今日まで、一年が経つが屋上に俺以外の者が来たことなど、一度も無かった。少なくとも、俺が昼食を取っている時には。
それに…
「なんでこの場所なんだ」
そう。なぜ場所なのか。この広い屋上でわざわざ俺がいつも座っている場所に置く理由…
「俺宛のモノなのか?」
そんなこと事を言いながら、俺は少し屈んで恐る恐る封筒に右手を伸ばした。
「重いな。何が入ってるんだ?」
予想より重く、分厚い感触。
それから体制を戻し、封筒を確認してみたが、どこにも差出人の名前は入っていない。
少し迷ったが、とりあえず、封筒を開けてみる事にしてボタンに掛られている紐を解いた。
見ると、中には十数枚の紙となぜかピンクの紙が一枚。気になったのでそれを一枚だけ抜き取り見てみると…
『家に着いてから一人で居る時に見る事!』
思考を読まれたような感覚に驚き一瞬息を詰まらせ、封筒を落としてしまい、反射的に首を左右に振って誰もいないはずの屋上で人影を探してしまう。
俺は人影がないことに安堵し胸を撫で下ろした。
…「初めから封筒に書いとけよ」
はぁ間抜けかオレは…先の一連の行動を恥じて溜息をつく。
「ん?」
落とした封筒を拾おうとした時ある事に気が付いた。封筒から少し見える幾つかの緑のマス目。
「これ…原稿用紙か?」
何が書いて…は!
封筒から原稿用紙を取り出そうとしたところでさっきの事を思い出し手を止めた。
それに…
「帰ってから見るか」
「はぁ」
俺は自室のベットで仰向けに寝そべり溜息をついた。
白い天井をしばらく何も考えずに見てから、もう一度溜息をつき、肘をついてゆっくり起き上がろうとするが体に力が入り少しよろけてしまう。
南向きの部屋には窓際にベット、ドアの反対側に、ベットにくっつくようにして焦げ茶の学習机が置かれている。後は茶色のカーベットの上に乱雑にゲーム機が散らかっているくらいだ。
そんな味気ない部屋を見ていると、まるで今の自分を映しているようで、なんとも言えない、すごく空しい気持ちになる。
「…暇だな」
高校に上がってからずっとこんな具合だ。
たまにゲームをやってみても、一人では一時間も続かない。一人っ子ではないが、一つ下の弟は野球部に入っているので、いつも帰りは遅い。四つ上の姉もいるが仕事で帰りは遅いし、まぁ居たとしても一緒にゲームはやらないが。
なので、普段する事といえばスマホで動画を見たり、音楽を聴いたり、寝たりする事しかやる事がない。勉強は嫌いだし。
「暇なら勉強でもしなさい」
俺の呟きが聞こえたのか、部屋のドアを開けながら母さんがお決まり文句を言って入ってきた。
「ノックぐらいしろよ」
「そんな事よりあんた弁当箱出してないでしょ、ごはん作る前に洗っちゃうから早く出してちょうだい」
「いや、いつも部屋に入る前につけて……あっ、そうか」
「え、何?」
俺は言いながら今日の昼の事を思い出した。
あの封筒を片してからスマホで時刻を確認にたら後十分程度しか昼休みがなく、しかも他の生徒や教師に俺が屋上にいる事がバレないよう、いつも早めに教室に戻っているため、時間が無くて半分残したんだった。
結局、誰にもバレずに済んだのだが、その後の授業は空腹で殆ど覚えていない。時間があれば後で食べようと思っていてそのまま忘れていた。
俺は、母さんの言葉を無視して立ち上がり、勉強机に置いてある鞄のファスナーを開けた。
「あら、あんたそんな手提げなんて持ってた?」
俺は素っ気なく答えた。
「今日コンビニで買った」
母さんは怪訝そうに訊いてくる。「何が入ってるの?」
「別に何でもいいだろ、プリントとか色々だよ」
俺は適当に返事をして弁当箱を母さんに渡す。
「あら、中身入ってるじゃない」
「ちょっと今日食欲なくて少し残したんだよ」
「食欲ないって、熱でもあるの?今日ごはんいるの?」
「いるよ!晩ごはん抜かれたらマジで死ぬから!」
「あんた、言ってる事めちゃくちゃよ?本当に大丈夫?」
「いるって言ってるだろ!もういいから出てけよ!」
「ってあんた弁当半分も残ってるじゃない」
「今はもう大丈夫になったんだ、もう勉強するから」
そんな事を言いながら母さんを部屋から押し出した。これ以上話してたらボロが出そうだ。
はぁっちょっと無理があったか…
「…..」
「…今は俺一人だし出してみてもいいよな」
母さんが居ない事をもう一度確認してみる。キッチンで洗い物を始めたようだ。俺の部屋は一階にあるため、部屋のドアを開けて顔を出せばリビングとキッチンを見張らせる様になっている。俺はドアを閉めて、勉強机にあるコンビニで買った手提げから封筒を取り出し机に置いた。
「よし、じゃー開けるか」
封筒を開けて用紙の束を出し、ピンクの『家に着いてから一人で居る時に見る事!』とマジックで書かれた用紙に目をやる。
昼間はこれにやられたな…俺は思わず苦笑を漏らした。
ピンクの紙は机に置いて、原稿用紙に目を向けた。
「あぁ、もう限界だー」
俺は原稿用紙二枚を読み終えたところで用紙を机に置き、椅子にもたれて大きく欠伸をした。
眠気に誘われるまま、重くなった目を閉じる。
普段本を全く読まない俺には原稿用紙二枚は眠くなるのに、十分な量だった。原稿用紙にびっしりと書かれた文字の羅列。一枚読むだけでも一苦労だ。
「俺なんでこんな事やってるんだっけ?」
そうだ。俺は何でこんな事をしているんだ?
封筒なんか拾わなかったらよかった…いやあんなとこにあったら拾うよな、普通。そういえば…
俺はそこまで考えたところである疑問が浮かび、椅子から起き上がる。
誰が書いたんだろうか…
誰…が何のために…俺なんかに…
机に目をやると白い紙の下に見えるピンクがある。何となく捲ってピンクの用紙をみる。
『家に着いてから一人で居る時にみる事!』
「………」
「どうせ暇だし晩飯できる前に片付けとくか」
『トントンッ』
俺は原稿用紙を全て読み終わり、整えて持ち直した。
「これ、自作の小説だよな」
「まだ全然最初だけど」
「というか、結局名前書いてなかったな」しかも、こんな事だけ書いてあるし…
原稿用紙の最後にはこんな事が書いてある。
『最後まで読んでくれてありがと。まぁこれまだ一割分だけどね。あ、それと返却場所だけど、屋上の君が座ってるところの反対側にでも置いといてよ。あんまり長く書くのも面倒だから、じゃーね』
「何がじゃーねだよ。名前も俺にこれを読ませる理由も書かないで」
ホント…こいつは何がしたいんだか。
「そういえば…」
俺は持ったままの原稿用紙を数えてみる。十五枚ある。
「確か一割って書いてたから…一五〇!!」
俺が原稿用紙を見ながら目を丸くしていると、俺の待ち侘びていた言葉がドアから聞こえた。
「まことーごはんできたわよー」
「あ、あーわかった、今行くよー」
俺はとりあえず原稿用紙を手提げで隠してから椅子から立ち上がり扉を開け部屋を出た。
夕食と風呂を終えて部屋に戻って、椅子に座った。
隠してあった原稿用紙の下にあるピンクの紙を取り裏返す。
そして、俺は先ほどリビングから拝借してきたマジックでささやかな犯行の言葉を書いた。
『お前は誰だ!』
「お前、来た時から思ってたけどなんか臭くね?」
「ちょっとね最近ゲームにハマっちゃってもう4日も風呂入れてないんだ」
「え!!…」
そんな事を言い放った男に周りから一斉に声が向けられる。
3年になって三日目の朝。俺がいつものように寝たふりをしていると、俺から少し離れた席からそんな聞きたくもない話が聞こえてきた。
なんだかしらんが…今のやつ終わったな。
「深津…それはやばいだろ」
「大丈夫、大丈夫今日帰ったらちゃんと洗う予定だから」
深津と呼ばれた男は自分が言った事が一般の高校生から大きく逸脱しているという事をわかっていないらしい。
まぁ、俺には別に関係のない話だが。
それに俺とてこいつと似たようなものである。いや、あいつの方が周りと話せているだけ幾らかマシかもしれないとも思える。
昼休み以外の休み時間は誰とも話さず寝たふりをしているし。そもそも高校に入ってから友達どころか同級生ともまともに会話した記憶が無い。
『なぜ』と訊かれると、それは俺が周りを意識的に避けているからだろう。
中学頃はそんなことはなかったと思う。少なかったが普通に話せる友達もいて、それなりに楽しい学校生活を送っていた。
だが、高校に入り俺の中で今まで自覚していなかったモノが表面化し始めた。中学とは違う少し大人に近い者達が出す異様な雰囲気と、生々しい視線を感じた。最初は話せていたはずなのに、日に日に自分をみる周りの表情と言葉の違いに言葉数は減り、一年の6月頃にはもう誰とも話すことはなくなっていた。自分が歩いているだけで向けられえる、好奇と嫌悪が混ざったような視線に人生を十五年も生きてきて自覚していなかった事を今更ながら自覚する。『自分は障がい者なのだ』と。
まぁ今となってはそれも必然の事だったと割り切ればどうってことはない。周りと話さなくても別に死ぬわけではないし、逆に言えば、高校という煩わしいコミュニティから解放されたと思えばそれほど悪い事でもない。
一人そんな思考に浸っていると、教室のドアが引かれ、無精髭を生やし髪のはねた中年の男性教師が気だるそうに入ってきた。このクラス3D担任の島月だ。
ネクタイこそつけているが、なんというか、全体的に緩んだ服装をしている。
まぁ、お堅い感じでないのは良いのだが、その眠そうな顔はもう少しなんとかならないものか。何だかこっちまで眠たくなる。これで体育教師と言うのだから驚きだ。
「席つけー、ホームルーム始めるぞ」
教卓に立ち生徒が席に着いたのを確認して、今日の予定等々を説明してから一つ咳払いをして切り出した。
「お前ら席替えしたい?」
頭を軽く搔きながらそんな事を言う教師に一瞬疑問符を浮かべる者もいたが、一人の男子が「したい」と言ったのを皮切りに、他の生徒も同じように賛成の意を示す。
元々、今の席は3年の登校日にとりあえずという事で、出席番号順に座っただけの席だったので、どこかで来るだろうなとは思っていた。まぁ俺の場合誰が隣でもさして変わりないからいいのだが。
その様子を少し眺めてから、島月は手を叩いて騒ぐ生徒達を制すと「よし、わかった」といい真ん中の列の一番前。自分から一番近い男子生徒に視線を向けて言った。
「ちょっとそこのお前、えーっと…」
「岡崎っす」
「そうか。じゃー岡崎ちょっと職員室行って番号の書いた紙入れてある箱があるから取ってきてくれるか?」
「了解っす」
そのやり取りをみて俺は溜息を漏らした。
それから数分後。
教卓に置かれた箱の前に大きな人だかりができていた。
どうするかな…何となく、というか確実にこうなるとは思っていたが。
普通に考えるなら普通に並んで取りに行くか、友達に取ってきてもらうか、最後の方に行くかだが、最後の方に行くのは逆に目立つから無しとして。あの人だかりの中に入ってバランス崩してコケても嫌だしな。かといって、俺、友達いないしな…どうしたもんか…
俺が一人動けないでいると人込みをかき分けてこちらに一人の女子生徒がやってきた。
またか。
「一瀬君あの…もし、困ってたならなんでけど…これ一つ貰ってきたからよかったら…」
俺を少し困ったように見ている顔。少しだけ茶色がかった髪色と少し幼くみえるツインテール。右目の下に泣きぼくろが特徴の女子。
名前は確か…星川とか言ったか。
俺が昼食を屋上で取るようになった原因の殆どがこの星川にある。
2年の時、屋上を探し出す前までずっとこの星川が食堂で俺の隣に座ってきて、俺が黙々と食事をする中、何も言わない俺に対して、なんでかはわからないが、5分置きぐらいのペースで話しかけてくるのだ。他にも色々あるのだが、まぁとにかく。その困った表情と少し幼いながらも整ったルックスからうちのクラスの男子達の間で密かに人気の星川に当時、いや、今もだが、目立ちたくなかった俺は、食堂で食べるのを諦めた。それから何日か後に屋上を見つけたのである。
それにしても何でまた、俺なんかに構うかな…とは言っても今の俺にはありがたい。ほかの選択肢も思いつかないし少し尺だが貰っとか。
「あ、ああ。貰っとくよ」
「う、うん」
受け取ってから星川は何故か少し嬉しそうに俺の番号を訊いてまた人込みをかき分け黒板に番号を書き込んでくれた。黒板をみると俺は教室の一番奥の列の一番後ろだった。しかも俺は班の中でも一番後ろの席。
これはいい。後ろならあまり目立つこともなく高校生活が遅れそうだ。
「私も一瀬君と同じ班なんだ…斜め前の席。初めて同じ班になれたね…」
星川はさっきと変わらぬ少し困った表情の中に少し笑顔を浮かべて俺に言ってくる。
「そうだな…よろしく。後…その…」
「え…何」
「いやなんでもない」
俺は星川に訊かれて言いかけた言葉を無かった事にする。
「あ…うん、よろしくね…それじゃ私一回席に戻るから…また後で…」
「ああ、後で」
そう言って星川は自分の席に戻っていった。
関の移動は元々一番後ろだったので、苦労することなく、運ぶことができた。その後は特に変わった事もなく、席替えは進み三十分程度でクラスの席替えが終わった。結果は正直言ってあまり良いとは言えない。何故なら俺の前の席に少し厄介なのが来たからだ。
そいつは俺が新しい席に座るとすぐに話かけてきた。
「君と同じクラスになるのは初めてだね。夏休みまでよろしくね一瀬君」
当然のように俺の名前を言ってくる。まぁいつもの事だが。
「ところで、いきなりなんだけど君ゲームとかするのかい」
刺激臭とまではいかないもの、何とも言えない臭いを纏い上半身を俺の方に向けてそんなことを訊いてくる男子生徒。
俺が臭いを我慢して何も言えずにいるとそいつは忘れてたと言わんばかりの表情をして尚も一方的にしゃべりかけてくる。
「あ、そうか。僕まだ名前言ってなかったっけ」そういってそいつは俺の方に椅子を引き寄せる。
俺は鼻呼吸するのを止めて、口呼吸のみにする。
「僕は深津信二。好きな事はゲームと…まぁスポーツ以外の娯楽なら全般好きかな。でさ一瀬君はゲームとかするのかい」
深津。そう言って俺に自己紹介してくるこいつは、先ほど教室を凍り付かせた張本人である。
でもまぁ、前科持ちとはいっても、こんな俺に対して気さくに話しかけてくるあたり悪い奴ではなさそうだが…とはいっても前科は無視できない。あまり仲良くしておる目立ちするのも嫌だ。それに何よりこの臭いに耐えながらこいつと話すメリットがない。
俺は会話を終わらせるため嘘をついた。
「ゲームはやらないんだ。悪いな」
深津は大袈裟に驚き、声のボリュームを上げた。
「ゲームをやらないなんてもったいないよ!」
「そうだ!今度僕の家にお出でよ、僕がセレクトした面白いゲームばかりだからきっと一瀬君も楽しめると思うよ」
嘘をついたのがまずかったか、話は俺のいってほしくない方に向かっている。
これは、まずい。
「いや、そのゲームは…」
俺がどう言い訳したものか考えていると、援護のように一限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
助かった…
「話してるやつ、前向けー」
「よーし。席替え全部終わってるな」
「とりあえず、夏休み終わるまではその班だからトラブルとか起こすなよ。面倒だから」
島月がそんな教師らしからぬ言葉を言う中、深津の背中を見ながら俺は肩をなでおろした。
それから5分休憩の後二時限目が始まった。
休憩時また深津に話しかけられないか心配していたが、島月の話が終わると俺と話していた事を忘れたかのように今度は前のやつに話しかけている。
なんというか。見た目は隠居そうな顔をしている割によく喋るやつだ。人は見かけに寄らない。と、まぁそんな訳で二時限目が始まり二十分程度が経過したが、今は平和だ。多分今日の中で最も静かな時だった。それを壊したのはまさかの俺自身だった。
授業を聞きながらウトウトしていると、西日が差して教室が明るくなった。それにつられて隣の席を見ると肩まで伸ばした明るい髪色の女子生徒がこっちを見ていた。
目が合う。驚いて俺は少し体を震わせてしまう。
こちらを見ている大きくパッチリとした目と長い睫毛。西日に照らされて輝く白肌。
桜色の形のいい唇が悪戯に少し吊り上がる。
「やっとこっち向いた」
囁いた彼女の声はその可愛らしい容姿と同じく可愛らしい声だった。
「………」
思わず黙る俺を気にせず彼女は続ける。
「さっき話しかけようとしたんだけど、深津君と喋ってたでしょ?」
「えっと…ごめん…俺達話したことあったか…」
やっとの思いで出た言葉はなんとも間の抜けた声になってしまう。少し悪戯な表情で彼女は言う。
「ううん、話すのは初めて、でも最初はみんなそうじゃない?」
彼女の言葉に少し違和感を覚えるが、今は置いておく。
「確かにそうだけども…」
何というか。
「いつもそんななのか?」
「そんなって?」
「うまく言えないげど、こう…誰でもそんな風に話すのかなって」
目の前の彼女のその表情は俺の十七年の人生の何処を探しても向けられたことのないものだった。見ていると少しくすぐったくなってくるようなそんな悪戯な笑みを浮かべている。
「どうかな?」
「私ね、君とずっと話してみたいと思ってたから」
彼女は俺を知っているようだが、俺は彼女の事などこれっぽっちも記憶にない。それに…
「何で俺なんかと?俺あんたの名前だってっと、君の名前だって知らないのに」
また笑って彼女は言う。「呼び方なんて何でもいいよ」
「んー、名前かー、まだ教えてないんだけどなー」
何を言ってんだ。だから今訊いて笑うるんだが。
「まぁいっつか」と言って窓の外、上に向かって指を差した。
「あれ。私の名前」
俺は彼女が差した方、彼女の頭の上辺りに目を向けた。
「桜?」
視界に広がる桜の景色。満開ではないが、薄ピンクの桜の花が西日に照らされとても美しい光景だった。
いつも見ていたはずなのに、彼女に言われて初めて気づいた気がした。
彼女は窓に向けていた体をこちらにもどして嬉しそうに笑う。
「そう。桜。ひらがなでさくらって書いて植野さくら」
「うえの、さくら」
俺が小さくつぶやくと彼女は尚も嬉しそうに続ける。
「これからしばらくよろしくね、一瀬君」
俺は名前を言われて感情が冷めていくのを感じた。深津の時には感じなかった、感覚だ。
それが何なのか今の俺にはよくわからなかい。
「俺の名前やっぱり知ってるんだな」
俺の表情から何かを察したのか植野が怪訝そうな顔になる。
「え?何、私なにか悪い事言った?」
「いや、いいんだ」
俺は彼女に視線を戻してから膝に置かれたものに気付いて話を変える事にした。
「それ、小説か?」
「え、うん。そうだけど」
「それより君に私…」
言いかける植野の言葉を遮って俺は続ける。
「小説、読んでて楽しいか?眠くならないか?」
昨日感じた事を訊いてみる。
植野の瞳は不思議脳に俺をみる。
「眠くなんかならないよ」
「私ね読みだしたら寝るのも忘れて止まらなくなっちゃうから」
「へーすごいな」
俺には理解できない感覚だ。
淡々と言った俺に対し植野は少し怪訝な表情を浮かべる。
「本読まないの?」
「自分から進んで読んだことはないな」
俺が正直に言うと植野は少し俯いて、囁いた。
「………のかな」
「ん。なんだ。何か言ったか?」
「え。いやなんでもないの気にしないでこっちの話だから」
植野は顔を勢いよく俺に向け、慌てたように苦笑しながら両手を前にぶんぶんさせている。
表情豊かなやつだな。
俺が関心していると植野の目が一瞬大きくなり、何か思いついたように体の動きが止まった。
「そうだ、きっと読み方が悪いんだよ」
「読み方?」俺が訳も分からず訊き返すと植野はこちらに体を大きく寄せた。それに比例し、顔も近くなる。
「そう。読み方」
突然の出来事に俺は一瞬息を止めてしまう。
「君。漢字とかは得意な方?」
俺は植野の方を見ていられず、黒板の方寄りに目を向ける。
「いや、あんまり…というか全然」
「やっぱり。私いい事思いついた」
さらに体を寄せてくる植野に対して俺は耐えきれなくなり、視界を黒板に向けて言った。
「とりあえず、一度前向かないか」
俺の言葉で視線を黒板に向けた植野と教師の目が合った。
「あっはははは…そうだね」植野が気まずそうにから笑いした。
「ねぇ、さっきのことなんだけど」
俺に向けられる小さな声。
まだ5分くらいしか経ってないんだが…
「君どのくらい小説読んだ事あるの?好きな小説とかある?」
どうも、彼女は俺の苦手なタイプらしい。まず、初対面の俺に対して何を気にするでもなく、自分の思った事を言ってくるところとか。
「ねぇ?訊いてる?」
こちらの様子を伺いもせず自分のペースで話してくるところとか。
「ねえってばっ」
何より。
「顔が近い」
「そんなに近寄らなくても聞こえてるよ」
俺の方に体制を乗り出してくる植野。顔は少し怒っているだろうか。
「君が何も言わないからじゃん」
俺は大きく溜息をついた。
「あのなー。聞こえてないんじゃなくて、聞く気がないんだよ、なんでわからないんだよ」
「そんなのわからない、普通は聞かれたら答えるもんでしょ」
なんだよ普通って…俺は植野の方を向いて小声で言った。
「だいたい、さっき睨まれてまだ5分しか経ってないのに話しかけてくる方がどうかしてる」
植野はなんだ、そんなことか、という顔で
「それなら、私にいい考えがあるの」
振り出しに戻った…
「で、そのために、ではないんだけ、君どのくらい小説読んだことある?好きな小説は?」
もうこれ以上抵抗しても時間の無駄になる事を悟った俺は質問に答えることにする。
「さっきも言ったが、普段進んで読むことはないから、読書感想文書くのに薄いのを数冊読んだ程度だ。好きな小説は特にない。第一、読めない漢字が多くて内容が頭に入らないんだ」
植野は何故か得意げな表情浮かべている。
「さっき、君の話を聞いてて思ったんだけど、多分君が小説読めないのって漢字がわからない事もいくらか関係してると思うの。だからね」
言って自分の膝に置いてある小説を俺の方に見せてくる。
「これ、昨日私が買った小説で、もう少し読んじゃってるけど、君が小説読を楽しく読めるようになるために、最初から私と読み直して、わからない漢字は私が教えてあげるから」
えっと…「言ってる言葉の意味がわからないんだが」
植野は自分の机を俺の方に引っ付けると、椅子を俺のぎりぎりまで寄せてきた。
俺は本日何度目かの戸惑いを覚える。
「ちょっ、なにやってんだ」
「いいから」
植野は膝を寄せてきて、自分の膝の上で小説を開いた。
「これなら、先生からも見えないし、わからない漢字とかも、すぐに教えられるでしょ」
もう植野が言っていることの意味がわからない、確かにこれなら教師からは見えないが、他に色々問題がありすぎる。一体この女は俺の事を何だと思っているのか。
「色々まずいだろ、これは、教師はさておき、これじゃ横のやつから丸見えだ。変な勘違いされても文句言えないぞ」
俺が当然の事を言うと植野は飄々とした顔で答える。
「見られて何がまずいの?こっちの方が効率がいいし、勘違いする人が居たら私が説明するし、もし、それでもわかってくれなかったら、ほっとけばいいだけだし」
俺が植野の発言に唖然としていると、植野は勝手に話を進めはじめる。
「よしじゃそういうことだから君、自分のペースで読んでみて、私も読むけど君に合わせるから、わからないところあったら耳打ちしてね」
言って俺に読書を促す。
もう、俺が何を言っても無駄な気がしてきた。適当に読んだふりだけして時間が過ぎるの待つか。
そうして視線だけを小説に向けて数分。
「ちゃんと読んでる?」
そろそろページを進めた方がいいのか迷っていたところで、植野がこちらに視線を向け訊いてくる。
俺は嘘が悟られぬよう気を付けて答える。
「あ、ああそろそろこのページは読み終わりそうだ」
植野はこちらから視線を外さない。
「ほんとに?…なんか怪しい」
植野は俺を訝しむようにみつめてくる。数秒と持たずに俺は目を逸らしてしまう。
「うそだ」
「ホントだって」
俺は一度は逸らした目を懸命に植野の方に戻し精一杯平然を装う。
「じゃーこれ読んでみて」植野はすかさず開かれているページの一か所に指を押し当てた。
『髪を纏めた少女』「かみを………めたしょうじょ」
「やっぱり読んでなかったんだ」
「いやだって俺読書とか苦手だし」
言い訳をする俺に植野は低く答えた。「いいから読んで」
「はい…」
さらに数分後。
先ほど詰まったところまで読み終えて植野に視線を送ろうとするよりも早く答えが返ってきた。
「まとめる」
俺にしか聞き取れないほど小さい声。
だけどはっきりとした、透きとおった声。
数十分前に初めて話しかけられた時とはまた違う、なんとも心地の良い声だ。
それからもなぜか俺が訊くより先に、透き通った、心地の良い声が俺だけに聞こえてわからないところを教えてくれた。
結局、それから、一日の授業が終わるまで俺の横でずっと植野は、答えてくれた。
合間で前の奴がこちらを見ていた気がするが、今は何故か気にならない。
こんな感覚初めてだった。静かで少し暖かい。陽の光に包まれているような、ずっと浸っていたくなるような感覚。
ふと隣の席を見ると横で少し疲れたように溜息を吐く植野がいた。
ほんとうに、この少女は一日にどれだけ俺の心に踏み込めば気が済むのか。
ほんとうに……どうにも苦手である。
俺は芽生えたばかりの感情をしまって植野から目線を外した。
サクラノベル
このような未熟なものをもし最後まで読んでくださった方が居ましたらアドバイスなどしていただけたら助かります
小説家になろうでも載せてますのでよければみてみてください