短編小説『隙間人情シリーズ 』こどもヤクザ

寝る前に、たった五分の人情話はいかがでしょうか?

「遅いのうワレ、何分待たせるんじゃぃ」

 開口一番、のりお君は聞き慣れない口調で時間通りに待ち合わせ場所に着いた僕を睨みつけて言った。ブカブカの柄シャツにサイズの大きいグラサンをつけたのりお君は、つま先からテッペンまで別人のようだった。

「どうしたん、のりお君。いかついな今日」

 僕はただの感想のつもりだったのだが、いかついという表現は、のりお君にとっては相当嬉しい言葉だったようで、サングラス越しにでもわかるほど目尻に横シワを入れながら、

「どこがやねん、こんなんで驚いとったら、大阪の街で生きていかれへんぞ。おら、乗らんかいクソガキ」

 といつも通り僕を自転車の後ろに乗せて、鬼ごっこをしている公園に向かった。公園に向かうと、おそらく別の小学校の子供たちがキックベースをしており、校庭の4分の1くらいしかない公園の広場は、既にほとんどが占領されていた。

「どうしよ。帰る?」

「アホ抜かせ!! あのクソガキ供、ショボ代もロクに払わんまま、この公園占領しくさりやがって。痛い目みしたるわ」

「クソガキて、体格的にだいぶ上やで。てかのりお君、ショボ代って何?」

「お前、こんだけ生きとってショボ代も知らんのか。ショボ代言うんは、しょぼいやつらが俺みたいなやつに払う金のことやねん。昨日オトンと観た映画でも、しょぼい店のおっさんが主人公に払え言われて払っとったわ」

 僕はそこで初めて、のりお君が昨日観た映画によって現在に至っていることを知ったのだが、たった一本の映画で、ここまで強気になれるのりお君が僕はとっても羨ましかった。

「みとけよ、今俺がこの公園牛耳ったるわ」

 のりお君は一人でキックベースの輪に飛び込んでいくと、ピッチャーが転がしたボールを住宅街の方へ向かって思いきり遠くへ蹴飛ばした。僕は何度か体育でのりお君のサッカーをみたことはあったが、その時は常にクラスの偉い子にパスを回していたイメージだったので、のりお君があんなに思いっきりをシュートを打てることに驚いた。ボールは風に乗り、大きめの一軒家の塀を越え、ドンっと窓ガラスへ直撃した。

「なにすんねんチビ!」

 キャッチャーをしていた男の子が、大きな手でのりお君の肩をガッシリ掴んで怒鳴りつけるが、のりお君は自分より数段大きな相手に掴まれたにも関わらず、一歩もひるむことなく男の子の腕を払いのけ、

「やかましわ! ここは俺らのシマなんじゃ!」

 と一層大きな声を上に向かって張り上げて威嚇をした。取っ組み合いをしたら絶対に勝てそうにない相手に対して、何がそこまでのりお君をこうさせているのか、僕は正直分からなかったが、自分が唯一と言っていい友達の変化がとても頼もしくて、決して近づくことはできないが僕はその場にジッと立ってその現場を見つめていた。いよいよ取っ組み合いが始まるかという最中、僕の両肩が後ろにグッと引かれ、僕は地面に勢いよく転んでしまった。一瞬何が起きたのか分からなかったが、上を見上げるとさっきまで固まってのりお君と男の子のやりとりを見ていた別の男の子達が、僕を取り囲んでいた。

「俺らってことは、コソコソしてるけどお前もあのチビの仲間なんやろ?」

 真ん中の後ろ髪の長い男の子が、僕に詰め寄って問いかけてきた。普段クラスメイトともあまり話さない僕からすれば、自分より大きな男の子、それも数人に囲まれるなんて恐怖でしかない。お腹が段々トイレに行きたいときみたいになってきて、気持ち悪くて、どうしたらいいのか分からなくて、僕は返事に戸惑ってしまった。すると僕に話しかけた男の子は、

「なんとか言えや!」

 と僕の胸ぐらを掴んで、開きにくいタンスの引き出しを開けようとするかのように、強引にぐわぐわと揺らした。怖さと気持ち悪さを同時に味わった僕は、段々とわけが分からず視点が覚束ない状態になっていたのだが、右を見ると、のりお君が男の子とまさに取っ組み合いをしていた。のりお君の服は半分破れ、サングラスはボロボロに割れていたが、それでものりお君はまだ、今日ののりお君だった。僕は自分がすぐに友達だと返事できなかったことが情けなくなり、僕の胸ぐら付近の相手の手を掴んで、声を出した。

「やめろや! ここ使うんやったらショボ代出せや!」

 生まれて初めて、僕は相手に攻撃的な言葉を吐いたと思う。きっと僕のあのお母さんが聞いたら、下品だと泣くのだろう。でも、自分の気持ちを思いきり声に出した初めての瞬間はとても気持ちが良かった。だが、その開放感は身体の緊張をも緩めてしまい、僕はさっきまでお腹に感じていた不安すらも解消、開放してしまった。僕の中で今の自分は、時代劇か何かの主役になったつもりだったのだが、途端に男の子たちは僕を見て指差しては大笑いをした。

「お漏らし! こいつ漏らしてるやん! 久しぶりに見たわ。だっさ。言葉も間違えてるし。なんやねん、ショボ代って。ショバ代やろ、言うなら。頭も悪いんかコイツ」

 僕は痴態で顔が真っ赤になるのを自分でも感じ、同時にのりお君には今まで自分が勉強をほとんど教えてあげていたのに、今日ののりお君に流されて知らない言葉をそのまま使ってしまったことも恥ずかしくてたまらなくなった。

「汚いなぁコイツ、近寄らんとこうぜ」

 僕の有志など気にもせず、僕を黴菌を見るような目で離れていこうとすることに悔しくて涙が浮かんできた最中、右側からキャーという大きな悲鳴が聞こえた。のりお君に何かあったのではないかと急いで右側を見ると、意外にものりお君は立っていて、むしろ倒れているのは大きな男の子の方だった。僕から離れて歩み寄る男の子達の後に続いて近づくと、男の子の周りには血が大量に流れていて、のりお君は呆然としており、その右手からは、いや正確にはのりお君が右手に持った大きめの石から、流れ落ちるように血が垂れていた。

「あきのり! あきのりしっかりして! ねぇ!」

 大きな男の子を、知らないおばさんが名前を泣き叫んで抱きしめていた。おばさんの横にはさっきのりお君が蹴飛ばしたサッカーボールが転がっていたところを見ると、先ほどのりお君がボールを侵入させた家は、この男の子の家だったのだろうか。

「救急車を呼んでください! 救急車を!」

 後ろを振り返ると、知らぬ間に多くの人が僕たちの周りに集まっていた。後ろからは複数の声やシャッター音が聞こえ、中には笑い声も聞こえていたが、そんな声も全て聞こえなくなるほど、救急車がこれまで聞いたことのないくらい大きな音を出して、僕の目の前に止まった。二人が去っていくのを見たのりお君は、僕の方を見ると震えてその場にしゃがみこんでしまい、真っ青なパンツは、地面についている分だけこちらからは真っ黒に見えた。僕はというと、終始のりお君に近づくことができず、ただただ震えていた。


 夏休みが明けたとき、のりお君の席はクラスから無くなっていた。先生は始業式の朝礼で流れ作業的にのりお君が転校したことを伝えたが、のりお君の話はそれきりだった。僕がしばらくしてのりお君に会えたのは、それから3年後、中学1年生のときだった。元々親同士の交友はあったため、僕のお母さんにはのりお君のお母さんから連絡があったらしいが、お母さんはしばらく僕にのりお君のことを教えないようにしていたらしい。それでも、僕が度々のりお君のことを訪ね続けるのを見兼ねたらしく、連れていく決心をしてくれたようだった。

今までで一番、長い時間をお母さんとドライブをしたのではないだろうか。朝早く起きて出発したにもかかわらず、到着時刻は昼の12時を過ぎていた。

「ここよ、行ってらっしゃい。1時間くらいしたら、また迎えにくるから。」
「1時間だけなん?」
「夕方になったら、のりお君外でられへんから」

 あまりよく分からなかったが、お母さんに案内されたのは、自分が住んでいる住宅街とは到底似ても似つかぬ田舎街の小さな家で、その家の前にのりお君は立っていた。中学になって、ポロシャツを着るようになった僕とは対照的に、のりお君は3年経っても服装は昔のままで、TシャツにGパンだったが、シャツの文字の刺繍はほとんど剥がれ落ちて、ただの無地になっていた。

「遅いのうワレ、何分待たせるんじゃい!」

 僕はそのセリフを聞いて、びっくりして立ちすくんでしまった。服装からして、てっきりあの時ののりお君は、引退したのだと思っていたからだ。

「まだその話し方なんやね、のりお君」
「おかんの前で使ったら暴れるから、学校とお前のときだけやで。特別サービスっちゅうやつや」
「何して遊ぼっか、ゲームとかする?」
「ゲーム全部なくなってんな。あと、おかん今人に会われへんらしいから、ここで話そうや」

 僕たちは家の前や近くの空き地で、いつも通りのボール遊びをした。大きなボールを使って素手でキャッチボールをしていると、のりお君がいきなり

「、、、、、、ごめんな! ごめんな!」

 と泣き崩れてしまった。僕はのりお君がどうして泣いているのか分からなかったが、大泣きしているのりお君を見て、僕も大泣きしてしまった。ずっと浮かんでは消えていたあのときの公園での涙が全部溢れてきたような、そんな感覚だった。僕はずっと、怖かったのだろう。あのときの出来事が怖かったということもだが、何か大切な感情を奥に押し込んで、自然と消えていくことが、怖かったのだ。だから僕は、のりお君に負けないくらい大声で泣いた。あの公園だったら誰か人が駆け寄って来るのかもしれないが、ここでは僕たちの声は森を抜けて響き渡り、ブーメランのように返ってきてくれた。

「次、いつ会えるかな」

 帰り際車に乗る前に、僕はのりお君に訪ねてみた。以前までは明日も必ず会えることが分かっていてバイバイをしていたが、こうして片方が車に乗った別れ方は初めてだったので、なんだか最初で最後のような、そんな感覚がしたからだ。

「いつでも、おいでや。ありがとう」

 空き地で大泣きして以降、のりお君の口調は昔の話し方に戻っていた。僕はあの時公園で大柄な上級生に立ち向かっていたのりお君を、確かに頼もしいとは感じたが、やっぱり今こうして、昔の口調で優しく笑うのりお君の方が好きだと思った。

「ありがとう、また来るね」

 僕は車に乗り込み、のりお君の家を後にした。あれから僕は、のりお君に会っていない。中学受験の前に、一度進路を聞こうと一人でバスに乗ってのりお君の家に向かったが、家の前には売り物件の看板が立っており、それ以降の居場所に関しては僕のお母さんも知らないとのことだった。とはいえ僕は、小学生の思い出を同級生に聞かれると、未だにのりお君の話をするし、その度にのりお君がヤバイ奴と認定されると、僕はのりお君の何気ないときの優しい笑顔を思い出し、嬉しくなる。

短編小説『隙間人情シリーズ 』こどもヤクザ

否定も肯定もない、ちょっとしたお話。皆様の明日からの活力や、疲れた心にちょっとでも影響することができれば、幸せです。

短編小説『隙間人情シリーズ 』こどもヤクザ

子供よ、大人のおかげでバカであれ。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-11

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