黄泉帰り茸

黄泉帰り茸

 信州の山奥にきれいな町がある。
 山奥になぜこんなに栄えている町があるのだろう。決して広い町ではないが、瀟洒た家並みが続き、人通りも多く活気がある。町のはずれには丘を背にして外堀、内堀に囲まれた城がある。火野城である。堀には透き通った水がなみなみとたたえられ、蓮の大きな葉が重なりあっている。大きな城ではないが、かなりの目利きが作ったのであろうと想像できる、骨太で繊細な作りの天守閣を擁している。

 火野城の天守閣、主人の部屋から大きな声が聞こえてくる。

「ええい、かまわぬ、掘り出せ」
「しかし、殿、二目と見られぬようになった姫様をごらんになって、殿がどうなるか心配でござります」
「大丈夫じゃ、夢にでてきたのじゃ、姫が外に出たがっておると」
「殿、お考えをお変えになってくだされ、是非ともおあきらめを、姫が亡くなって、もう半年、そのお姿は殿の悲しみをますます強くするに違いありませぬ」
「爺のいうことはよくわかる、じゃが、夢に姫がなんどもでてきたのだ」
 その城の城主、山之内名水の一人娘、桃姫が拐かしにあった。母親の篠里(しのり)と供を八人もつれた遊興の最中であった。篠里は旅が好きで、名水もそれを許していた。屈強のものを五人と、身の回りを世話する奥のものを三人つれた念を入れての旅である。何度となくそのようなかたちで出かけていたが、それまで何一つ危ないことに遭ったことはなかった。
 それは突然のことであった。旅先の旅籠で、五つになったばかりの桃姫をのぞき、みな毒に当たって死んだのである。篠里や供の者も死んだのだが、じつは旅篭に泊まっている他の客もすべてが毒にあたり死んだ。味のしない強力な茸毒が夕食に入れられたのである。酒にも入れられていた形跡があった。ところが姫の食べたものだけには毒がなく一人生き残った。姫の食事が別に用意されることを知っていた者の犯行である。
 ところが生き残った桃姫はさらわれてしまったのである。後に千両の要求があった。千両はこの火野城の主にとってどうってことはない金額である。すぐ手配をして言われたところにもっていった。だが姫は帰らなかった。次にきたのはまた千両である。それも払った。その間、城では犯人を突き止めようと躍起になっていたのにもかかわらず、とうとう五回目になってしまった。そのときは期日になっても払わなかった。その代償が死体となった姫の帰還であった。
 父親である名水の落胆ぶりはあまりにも激しかった。食事もせず部屋に引きこもった、葬式を三日後にだすまでなにも食べず、おそらく眠りもしていなかったのだろう。紫色になった唇には狂気すら宿っていた。
 華美にならない心のこもった葬式であった。その後、犯人からはなにも連絡もなく、ただ城の者たちも晴れない気持ちで過ごしていた。
 もともと民に慕われていた領主である。町をあげての犯人探しも行われたが、全く解決しなかった。
 そして一月がたち、殿の狂気も消え、またいつもの冷静沈着さがもどってきた。
 ところが半年後、急に殿が姫の墓を掘り起こせと言うようになった。これには家来たちはとまどった。家老の橋左衛門が殿を鎮めるのに躍起となっているわけである。
 とうとう家来たちがおれた。
 満月の晩、臨時に雇われた墓もりたちが、目隠しをして姫の墓を掘った。月の光に照らし出されて棺が現れたとき、立ち会っていた橋左衛門と二人の家来は殿の顔を心配げに見た。領主の顔には強い期待が現れていた。
 さすがに桧の上等な木を用いた棺である。半年ではなにも変わるところがなく、しっかりと形を保っていた。
 穴の中から棺が持ち上げられ台車の上に置かれた。家来が布で棺桶の泥をきれいに拭った。墓守たちは返され、殿と橋左衛門と二人の家来、それに女中の朱乃(あけの)が残った。殿がその場で蓋を開けると仰せられたからである。
 二人の家来が棺桶の釘を抜いた。
「殿、よろしゅうございますか」
 と橋左衛門が聞いた。
「大丈夫じゃ、早よう開けよ」
 殿の声で家来が蓋を持ち上げた。
「あ」思わず橋左衛門が声をもらした。
 殿も
「お」っと、眼を見張った。
 棺桶の中には赤、黄、白、紫、色とりどりの茸がびっしりと生えていた。
「姫様がおりませぬ」
 橋左衛門が叫んだ。
「やはりな」と殿はうなずいた。
「これを、城に運べ、このことは口外するでない」
 そう言った殿の声は落ち着いた自信に満ちたものであった。
 城に運び込まれた棺は地下の一室に安置された。
「じい、この茸をとって布の上に広げよ」
「はい」
 橋左衛門が棺のそばに寄った。
「まてまて、じい、その茸は姫の生まれ変わりかも知れぬ」
「そうでございますな、とすると、女子の手によるほうがよいかもしれませんな」
「そうじゃな」
「朱乃にさせますが、よろしゅうございますか」
「それがよい、朱乃は姫のよき相手であった、これから姫を捜す手助けもしてもらわねばならぬ」
 朱乃が呼ばれた。
「はい、橋左衛門さまなにをお手伝いいたしましょうか」
「棺の中の茸を採って、布の上にならべてくれぬか、姫の生まれ変わりかも知れぬ」
「まあ、姫様の」
 茸は棺の底の板からしっかりと生えていた。
「とってしまってよいのでしょうか」
「よい、だが、傷つけぬように頼む」
 朱乃は指で茸をもった。
「暖かい、人の肌の暖かさでございます」
 そう言うと、一つ一つゆっくりと引き抜き、布の上にならべた。
 百八つの色とりどりの茸は、布の上で眠っているように横たわった。
「おいたわしや」
 朱乃は茸の柄に布をかけた。
「これで寒くありません」
「どうじゃ、朱乃、この茸が何の茸かわかるか」
 殿が尋ねた。茸の素性を明らかにすることが姫の居場所を知る手がかりとなると考えたからだ。
「申し訳ございません。私は茸のことはよく存じません、私の育った山奥には茸を知り、茸を使い祈祷する老人がおりましたが」
「どこのであったかの、朱乃の国は」
「信州のはずれの山の中でございます」
「そうか、その老人は健在か」
「私が国をでましたのが十二の頃、ここに奉公した年でございます。今二十二になりますのでもう十年前も前のこと、そのころ七十を越え、八十に近くなっておりましたから、命あったとしたら九十近い年でございます」
「どうじゃ、一度国に帰って様子を見て参らぬか、その老人でなくともよい、草片に詳しいものがいたら連れてまいれ」
「はい、ありがとうございます」
「この茸はどうしたらよいであろうな」
「私がお姫様のお布団に寝かして差し上げます」
「そうじゃ、それがよい」
「朱乃に任せる、頼むぞ」
「はい」
「棺はどういたしましょうか」
 橋左衛門が殿に伺いを立てた。
「棺も姫様とこの世をつなぐものかもしれませぬ、姫様の布団の枕元においておくのがよろしいと思います」
 朱乃の言葉に殿も橋左衛門も大きくうなずいた。
「朱乃、茸は女中たちによく言い聞かせてまかせよ、明日国に発つようにせよ」
「はい、そういたします」
 朱乃は女中たちを呼び、茸を姫の部屋に運ぶよう指示した。
「じい、路銀を惜しむでない、それに籠を用意してやれ」
「はは、わかりました」
「朱乃、もし、その老人が元気でおったら、連れて帰るのじゃ」
 こうして朱乃は夜が明けるとあわただしく生まれた村に向かった。
 
 なぜ姫の遺体がなくなり、茸が生えていたのか、あまりにも奇妙な出来事であるが、城主は気にしていないようであった。むしろ、吉兆と、じいには笑顔を見せるようになり、毎日のように楽しい宴会を行った。
「殿、なぜ、そのようにはしゃいでおられますのか」
「うむ、じい、夢の中で、姫は生きていると言っておった。ただ、遺体は探さねばならぬ、その鍵を握るのが朱乃の連れてくる茸の祈祷師であろうとおもうぞ」
「それはどのような」
「儂にもわからぬ、朱乃の言う老人がいるとよいが、居ないとまた振り出しに戻るが、わしにはいるような気がする。ともかく朱乃が戻るまであれこれ考えても仕方がなかろう、だから宴じゃ」
 その七日後、朱乃は茸の賢者であり祈祷師の老人を連れて帰ってきた。
「ただいま戻りました」
「おお、ご苦労であった、おぬしの言う茸の老人がおったそうじゃな」
「はい、幻爺(げんじい)と申します、年老いてもまだ元気でおりました。もう九十二になるそうでございます。茸の選り分けもしておりますが、妖幻師として村では大事にされておるとのことでございます」
「妖幻師とはなんじゃ」
「占い師に近いものとお考えいただければよろしいかと存知ますが、草木獣たちの声を聞くことができる術者にございます。
 村の草片の妖異、草木や動物の妖怪たちを追い払い、村の暮らしの安全を守ることをしております。それだけではなく、草木をつかって村人たちの病を治し、祈祷なども行うそうでございます」
「うむ、それはありがたい、大事な客として迎えることにする、朱乃おまえが面倒をみるように」
「はい、向こうの部屋に控えさせております」
 殿様自ら隣の部屋にはいると、幻爺はあぐらをかいて目を閉じていた。口の周りの白い髭が腹のところまで延びている。横に橋左衛門がいた。
 殿が目の前に現れると、幻爺は目を開け足を組みなおし正座をし、床にひれ伏した。
「よく参られた、朱乃に聞いておる、手助けをいただきたい、よろしく願う」
「ははー、私にできますことなら、何なりとお申しつけくだされ」
「見てもらいたいものがある、すぐでもだいじょうぶか」
 幻爺は体を起こすと殿をみた。顔には深い皺が刻まれているが、茶色の目がとても九十二に見えないほど明るく澄んでいる。旅の疲れなどつゆもみられない。
「はい、すでに草片の声が聞こえまする」
「なんと、そうか、姫の部屋にまいろう」
 幻爺はしゃんと立つと、老人とは思えない足取りで階段を上った。
 天守閣の三階に姫の部屋がしつらえてあった。姫の布団には百八の茸が寝かされ、棺がその脇に置かれている。
 殿自ら掛け布団をはいだ。
 布団の上にはみずみずしい茸が、その姿のまま横たわっている。
「お、これは」と幻爺は目を見張った。
「これに似た茸はございますが、全くはじめて見る茸ばかりでございます。この茸たちは殿の役に立つためにここにきたようでございます。ただの茸たちではございません。黄泉の国に生える茸の胞子がこの世にもちこまれたのでございます。黄泉に帰らねばならぬ茸、蘇りの働きを持つもの、この茸を粉にして死人にかければ茸は黄泉の国に、死人はこの世にもどりまする」
 殿がそれを聞くと歓喜した。
「なんと、そのためにはどうすればよい、なんでもいたすぞ」
「私がこの茸を蘇りの粉に変えまする」
「薬師も手助けをする、ぜひ頼むぞ」
「はい、ただご遺体が必要でございます」
「それが問題だ、まだ、拐かしの犯人を捕まえておらん」
「茸の毒を使ったと朱乃から聞いております。その毒は残っておりますでしょうか」
「どうじゃ」
 殿が家来に聞くと、一人の家来がすすみでた。
「そのときの酒はとってあります、もしかしますと毒が残っているかもしれません」
「よくとっておいた。すぐもってまいれ」
「はは」
「それではこれから黄泉帰りでもあり蘇りでもある薬を作ります」
「朱乃をつけておくが、人手がほしければ申せ」
「はい、若い薬師を一人お願いできますでしょうか」
「橋左衛門、たのんだぞ」
 家老は大きくうなずいた。
「わかりました、城下に二代で開業している薬師で、評判のよろしき者がおります。使いをやりますので今しばらくお待ちください」
 その薬師は白庵といい、息子の朱庵とともによい薬を調合し、安く民衆に与えるという、城下の人々に慕われている医者であった。
 息子の朱庵が城によばれ、すぐに幻爺のもとで働き始めた。
 朱庵は幻爺とともに姫の棺桶に生えていた黄泉の茸を薬に調合し、みなを殺害した毒が入っていると思われる酒の分析を始めた。
 その作業は城の地下で行われ、幻爺は一本一本の茸の声を聞き、それにそって集めた草を加えるとともに茸を粉にしていく。最後にはすべてを混ぜ合わせるのである。それにはかなりの時間がかかる。
 一方、酒の中の茸毒は、幻爺がなめ、酒に含まれるかすかな味から、毒茸を特定しようとした。幻爺にかかればたやすいことであった。ところが幻爺が首を傾げながらもはっきり言った。
「毒など入っておらん」
 朱乃は家老を通じて殿にその言葉を伝えた。
 殿は幻爺と朱庵を呼んだ。
「毒は入っておらぬということだが、どういうことだ」
「殿、恐れながら、茸の毒がはいっていたということは誰が言ったのでございましょうや」
「橋左衛門、どうじゃ」
「はは、旅籠の主人が死ぬ間際に申したのを、その場に参りました見回りの者が聞いたそうでございます」
「そ、それは」と幻爺はいい淀んで、「殿、早急にお願いたしまする」
「何じゃ」
「お亡くなりになった奥方様を始めご家来衆、お女中たちを掘り起こしていただきたく存じます。それに、死んだという旅籠の者たちや客も掘り起こしくだされ」
「どうしてじゃ」
「あやかしかもしれませぬ、もしそうであれば、旅籠の者たちの死体はないものと思いまする」
「なんと、あやかしかもしれぬとな、よし、すぐにかかるように伝えよ」
「はは」
 橋左衛門は家来たちに下知をくだした。
 まず、奥方の墓と付き添っていた家来と女中の墓が暴かれた。奥方の泥だらけの棺が開けられた。その中には死んだばかりとしか思えない奥方の姿があった。もう一年もたつのにである。殉死した家来たちの棺も開けられた。やはり同じように変わり果てた様子はなく生きているようであった。
 幻爺はそれを見てうなずいた。
「この通りでございます、棺を城の地下にお運びくださるようお願い申しあげます、それに早くに、旅籠の墓をお調べくだされ」
 家来たちは旅籠の主たちの墓を掘った。
 主人夫婦と、番頭、男衆五人、女中十人の大きな旅籠である。その墓は旅籠の近くにあった。棺桶を取り出し早速蓋をあけた。
 棺桶の中にはなにもなかった。どの棺桶の中も空っぽで、入り込んで死んでしまったネズミの死骸が一つ見つかっただけである。
 その報告を聞いた幻爺は殿に言った。
「あの旅籠はあやかしが営んでいたものでございます」
「どのようなあやかしなのじゃ」
「茸の毒と申したそうですので、茸を食している獣と思いまする」
「そのような生き物はたくさんおろう」
「はい鼠から熊までたくさんおります。ただ。あやかしとなる獣は想像がつきます」
「何じゃ」
「川獺(かわうそ)かと思います」
 橋左衛門が口をはさんだ。
「川獺は魚などの動物を食らうておるではないか、茸などを食するのか」
「仰せの通りでございます。ただ、信州、諏訪の湖に人知れず生きている川獺は茸を好みにいたしております。そのあたりの川獺は三百歳まで生きると死ぬことはなくなり、妖怪となるとの言い伝えがございます」
「そんな川獺がおったのであるか」
「はい、諏訪川獺は絶滅したとも言われておりましたが、どこやで群れてひっそりと暮らしておるのではないかと思います」
「それで、なぜ川獺がこのようなことを行ったのであろう」
「何かを訴えておるのではないでしょうか」
「ふむ」
「ともあれ、姫様がおられる場所も諏訪の湖にしぼられましょう」
「しかし諏訪の湖は広い」
「はい、その中でも川が流れ込み、その上流には茸に適した場所があるところを探せばよいかと思います」
「そうか、では、手分けして探させようぞ」
「私にはいくつかの場所が頭の中に浮かびます。そこをお探しください」
「それは助かる」
 ことの次第が少しずつ見えてきた、そのとき、新たに犯人からの要求があった。
 姫の遺体に千両と書いてあった。その紙をみた老人は紙を左手のひらに乗せると、右手の中指で押さえ込みグリグリとつぶした。すると紙は一枚の葉になった。手のひらの倍もある大きな葉である。
「おお、こりゃあ朴の葉でござる、しかもこれが生えているのは諏訪の北面しかござりません」
 これをもとに諏訪川獺の住む場所を特定することになった。

 犯人の要求は前と同じように千両箱を指定された場所に置くことである。城下のはずれの小さな流れにかかる橋の袂に千両を置いた。そこに朝まで人は近づくなと言われている。
 捕り方たちが朝になりその場に行くと千両はなくなっていた。道の要所には捕り方を配置しておいたが怪しい者は通らなかった。
 橋の袂に行った幻爺が千両箱の置かれた跡をみた。
 川縁の土手の芦がたおれている。
「ほれ、水の中から川獺が千両箱を取りに来て引きずり込んだ跡じゃ」
「確かだ」
 水の流れに乗って川獺が千両を取りに来たのだ。
 千両がとられたのはいいとして、またもや姫の遺体が戻らなかった。
「うむ、金は惜しくはないが、姫をなぜ帰さぬ」
「恐れながら、申し上げます」
「なんじゃ、幻爺」
「川獺のあやかしは金がほしいのでございます。その金が集まるまで続けることと思います。十分な金が手に入れば姫様もやがて帰ると存じます」
「ふむ、そうも考えられるが、もしそうであったら、どのようにすればよいのじゃ」
「いくら必要なのかこちらから聞くのがよいと思います」
「どのように連絡すればよいのだろう」
 それには橋左衛門が答えた。
「ふれを出しましょうぞ、看板を立てるのでございます」
「そうか、橋左衛門にまかす」
 こうして町のあちこちに告知が出された。
 それから程なくのことである。五千両の要求がきたのである。全部で一万両になる、さすがに大金であるが、借金をしてさえもよいと思っている名水には、無理な金額ではない。
「今度は大丈夫であろうか」
 金を指示された川岸に置いて、殿が気をもんでいるところに、
「姫様がもどりました」
 と朱乃が知らせに来た。
「姫様のお部屋で棺に寄り添っておりましたら、いつの間にか棺の中に姫様がおられました。ただ息をなさっておりません」
「おお、幻爺、薬はできてるのか」
「はい、茸を黄泉の国に帰すだけの薬は出来ております。それをかければ姫様は蘇ると思われます、奥方様やお家来衆は戻りません、何か他の方法を考えねばならぬと思います」
「そうか、まず姫を蘇らせてくれ」
 幻爺は朱庵とともに、調合した黄泉がえり茸の粉末を姫の遺体にかけた。
 姫の白い顔に赤みが差し、ふっくらとしてくると、やがて眼を開けた。
 殿の目に涙が浮かんだ。
「おお、姫、姫がもどった」
 殿が姫を棺桶から抱き上げた。
「桃姫、よくもどった」
「父上、とても楽しい旅をして参りました」
「そうか、どこにまいったのじゃ」
「ヨミノクニでございます。鬼や仏が皆遊んでおりました。私もいっしょに遊ばせていただきました」
「そうか」
「そのうち、閻魔様という小さな鬼が、おまえはそろそろお帰りといいました。お城に行っている茸たちをもとにもどさねばならぬと言われました。そうして帰って参りました」
「ほう、ヨミノクニでは茸はなにをしておったのじゃ」
「鬼や仏と遊んでおりました。茸は至る所に生えておりました。とてもきれいで、おいしくて、時にはいっしょにお話などもしてくれました」
「よかったのう」
「幻爺、礼を言う、内の者も何とかしてくれぬか」
「明日、奥方様方を生き返らせるよう試みてみます」
「たのむぞ、皆戻った暁には何でもよい、褒美を取らせる」
「ありがたいおことばでございます」
 幻爺はひれ伏した。

 明くる朝、幻爺と朱庵の待つ地下の部屋に、橋左衛門を従えて殿が入ってきた。
「さて、幻爺、はじめてくれ」
「はい、黄泉の茸をもう一度この世に呼び寄せなければなりません」
「うむ、どうやればよい」
「誰かが黄泉の国に行き、その旨たのむことが一番早いと思われます」
「どんな意味じゃ」
「私ももう八百を過ぎました、わが一族の長として、そろそろ黄泉の国にいってもよい年でございます、私が行って閻魔殿に黄泉の茸を送っていただこうと思っております」
「なんと、八百と、お前は何者なんだ、妖術使いか」
「妖術ではございません、私は茸ともに生きてまいりました、この世の茸と黄泉の茸とつなげる役割を果たすことができるやも知れません」
「もう一度聞くが、そちの一族とは何じゃ」
「申し訳ありません。どのようにしていただいても、結構です、今申しましたように、私が死んで茸を送りまする」
「意味がわからぬ」
 殿が言うと同時に、幻爺から煙が上がり、年とった川獺が現れた。
 川獺はひれ伏して話し始めた。
「我々諏訪川獺一族も少なくなり、あと百名になりました。あの獣の川獺とは違い、あやかしの川獺でございます。大昔は水の豊かな日本国の至る所に住んでおりました。動物たちの頭領として、人と対等に渡り合える獣として、信頼されて生きておりました。人からはあまり見えぬように生きて参りましたが、時として水の中でつい気を許して魚を捕まえて喜んでいるところを見られたりして、河童などと呼ばれてしまうことがありました。
 ところが、近頃は水の濁り、自然にはない物が混じった水は我々の体に害を及ぼし、子供ができないような体になったり、おかしくなったりするものが多くでてまいりました。それは、金をとり、銀をとり、鉄をとるその汚れた水が川にあふれてまいったからでございます。
 我々は自分たちのきれいな水の棲家を作るべく探したところ、とあるところに大きな洞窟があるのを見つけたのでございます。
 そこの入り口はほとんどわからぬほど小さなもの、我々しか入ることはできないでしょう。奥の方に行きますと一つの村ほどの広さの洞窟です。そこにはきれいな湖もあり、魚を飼うことができもします。不思議なことにどこからともなく日の光が少ないながらに差し込んで参ります。
 我々はそこに村を作ることにしたのでございます。
 そこで、もう一つの食料である茸などの栽培をする必要があります。それには、栽培の場所を作らねばなりません。また、太陽の光を何倍かに増やす必要もあります。そのため。一万両いただいた次第です」
 殿はびっくりした。
「うむ、なんと言ってわからぬが、金はいいが、そちが死ぬと言うことになるな」
「はい、代わりに黄泉の茸を送りまする。朱庵があとのことはおこなうことができると思われまする」
「その一族の頭領はそちか」
「いえ、今は違います」
「頭領に会いたい」
「会ってどうなさりまする」
「そちらの食物である茸は人間にはどのような作用をするものであるか」
「毒でもあり、薬でもあります」
「何の薬じゃ」
「なににでも利きまする」
「どうじゃ、それを栽培して、わしらに売らぬか、そうすれば一万両は手付金じゃ」
「それは素晴らしいお考え、ほかにも川獺の薬で人にも利くものがございます」
「ほう、それはなんじゃ」
「長寿の薬でございます」
「それはよい、寿命はどのくらいのびる」
「百二十五ほどになります」
「なんと、今の三倍であるな、それを売ってくれ」
「はい、それは喜んで」
「しかし、その頭領にあわせてくれ、今後のこともあろう、今までのことは水に流す、仲良くやって生きたい」
「ありがとうございます、では頭領を呼びまする」
 幻爺が言ったとたん、隣にいた橋左衛門から煙が立ち、大きな川獺になった。
「爺、おまえも川獺か、我が城は川獺が守ってくれていたのか、しかも爺が川獺の頭領とは全く知らぬが仏か」
 川獺の頭領が言った。
「殿、申し訳ありません、わがあやかしの川獺族は人と仲良く生きようとしております」
「うむ、それで頭領どの、どういたすか」
「殿、とんでもございません、ただの家老でございます。これからも川獺族は殿の発展をお助けいたします」
「ありがたいことである、それでは先ほどの商談でよいであろうか」
「もちろんでございます。まだまだ珍しい薬もたくさんございます、すべてお教えいたします」
 幻爺が続けた。
「私どもはきれいな水さえあれば生きていけます」
「うむ、それでは、そなたが住んでいる一帯をわしの領土とすればよいのであるな」
「はは、そうしていただきますれば、大変幸せにございます」
「お主たちのすみたい場所は誰の領地じゃ」
「春寒(しゅんかん)でございます」
 隣の国の城主である。
「あの者は、問題はないのではないか、面白い領主であるぞ」
「はい、しかし、猟をすることを好んでおります」
「あそこの城はどうであるか」
「なかなかよい城でございます。こちらの城とよく似ており、敵が攻めにくく、すむには風通しもよいものでございます。
「よし、まずは、妻と家来を元に戻すことじゃ、しかし幻爺が死ぬのはまずい、誰か良い策はないか」
 朱乃が殿の前にでた。
「おそれながら、私がヨミノクニに参ります」
「おまえが死んでは桃姫が嘆くではないか」
「死にませぬ、朱庵様がお作りになった薬を使います」
「朱庵、なにをつくった」
「これも黄泉帰りの薬でございます、幻爺殿にお教えいただいた茸に、この世の月夜茸を混ぜましてございます」
「月夜茸は毒ではないか」
「はい、生き返らせる薬と毒の薬をうまく調合すると、一時死ぬ薬ができました。飲んでしばらくはヨミノクニに行くことができます」
「ほお、向こうにいる間に茸を送るのであるな」
「その通りでございます、幻爺殿の薬と異なるのは薬が効かなくなると、この世に戻るのでございます」
「よい薬を作ったものよのう、それで、閻魔をだまそうというのだな、閻魔だましの薬か、面白い」
「ただ、人間には利きません」
「なぜ、朱乃にきくのだ」と殿は言い、はっとした。
 朱乃のからだから霧が立ちこめた。
 そこには、小柄な川獺が現れ殿を見あげた。
「朱乃も川獺であったか、朱庵おまえもそうなのか」
「いえ、私も驚いております。しかし、父から昔は頭の良い川獺がいたものだと、聞かされておりました」
「そうか、橋左衛門、朱乃、人間の姿に戻って、儂の城を今まで通り守ってはくれまいか」
「殿がそうせよとおっしゃれば、命の続く限りお守りいたします」
 二匹の川獺は人間の姿に戻った。
「夢を見ているようじゃ、朱庵、閻魔だましの薬を朱乃に飲ませ、朱乃は黄泉帰りの茸を送ってくれ、奥と家来たちが戻ったら、今のこと改めて契約いたそう、どうじゃな、幻爺殿」
「ありがとうございます、喜んでそういたします」
 年老いた川獺も人間の幻爺に戻った。
 
 こうして、朱乃はヨミノクニに行き、黄泉帰り茸を送ってよこした。幻爺と朱庵はそれを薬に調合し奥方と家来を生き返らせた。
 朱乃も戻ってきた。
「さて、もう一度、あやかしの川獺一族と、我が一族は永遠のちぎりを誓おうぞ、諏訪湖の北の場所に関しては、春寒との話も進んでおる、領地の取り替えは時間の問題じゃ」
「はい、これからも殿を支えてまいります」
「わしもあやかしの川獺一族を支えて参る」
「さしでがましくも、お願いがございます」
 朱庵が殿の前にすすみでた。
「なんじゃ、朱庵、今回の半分はそなたのおかげじゃ。何でも申せ」
「朱乃殿を私めの妻にいただけませんでしょうか」
「なんと、わしには答える道理はない、どうだ朱乃」
「ありがとうございます、私しでよければ喜んで」
「おお、それなら、めでたい。われわれと川獺、本当に強い絆ができた。二人から生まれた子供は、それは賢いこの世の指導者になるであろう、末永く幸せであれ」
 殿と朱庵は煙をあげて、狢(むじな)になった。

黄泉帰り茸

私家版第六茸小説集「茸童子、2020、一粒書房」所収
茸写真:著者 長野県富士見町 2015-9-24

黄泉帰り茸

死んだはずの姫の遺体は棺の中になかった。中にはたくさんの茸が

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-11

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著作権法内での利用のみを許可します。

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