雨上がりの虹 2章 マシュヒロトの手記 サブエピソード京都編2

京都編2

【数年後、杏子との再開 】

心配だった。よかった。と、杏子の足下に泣き崩れるハル。

杏子はなんだか照れたような優しげな目線でそんなハルをみていた。

杏子の右目は、普通の目に戻っていた。晶化は、大分緩和されていたようだ。羽根の色もほぼ白に戻っている。

「治ってホントよかった」ハルは杏子を抱擁した。

杏子も応じるようにぎゅっと抱きしめた。

「ありがと。あたしもハルくん、会いたかったよ」

京都編―

(ハルがはじめて京都支部に向かったとき)(杏子と出会ってから数年後。マシュは大学三年生)(マシュはこのとき、杏子を失ってからの傷心以降、初めて、真面目に付き合う女性に出会いかけていた)

杏子がいない所で、狐娘とハル。

「正直、想い人を追って京都支部にきた。と杏子から聞いたときは不安だったんじゃ」

狐娘は静かにいう。

「千年も人を見ていると、なんとなくわかるんじゃ。逢瀬を期待する者は泡のように消えてしまう」

曜子さんもそう言っていた。

ハルはなぜその話を俺に?と思った。

「けれど、関東支部で兄のように親しくしてくれた大切な人がいる、と杏子が懐かしそうに言っているのを聞いて、救われた、という思いがしたのじゃ」

「救われた…?」

ハルは怪訝そうに顔を潜めた。今は大分安定しているとはいえ、彼女を片方の瞳の色が変わるほど、あそこまで追い詰めたのは、他ならぬ自分自身であるはずだ。

「関東支部なら出逢う可能性が充分に残って居るからな。実際会うことが可能かどうかは別として、可能性が残されている。期待する余地があるのじゃ」

それは、大きい違いだ。と、小柄な狐娘は言った。

「それでは、まるで俺が恋人であるかのような言い方だけど……」ハルは少し不服そうな声色で言った。

俺は杏子に手を出すつもりはないし、彼女のマシュへの想いを尊重している。

俺自身は彼女をそんな目で見たこともないし、見るつもりもない。程よい距離を保つことを目指し、ある種の神聖さを保った杏子の間柄を、そういう関係に帰着させようとした老狐娘に不信感を持った。

狐娘はそんなハルの様子に気づいたのか、「ハァ……」と呆れるように息を吐いて、「これだから若いもんは」と言った。

「その関係が、愛だとか恋だとか、身体的な欲情を伴っているか、そんなことはどうでもいいのじゃ。重要なのは、大切に想い合っている人、というところじゃろ」

「大切に、想い合っている……」

妙な表現だと思った。

「けっして、ひとりにならない、ということじゃ」

「そういう意味なら、こちらでの仲間だってそうだろ?」

「心の奥底から、ということじゃよ」

ハルは腑に落ちない。

「ま、お主が若い男だから、そういう偏見で見られがちだがの」

狐娘はハルの方を向いた。

「それで何が困る?」

「えっ……杏子が複数の男に気を寄せるような娘だと思われたくないし、俺だって浮ついて手を出すような男だと思われたくない」

「最後の一つはお主の問題だからどうでもいいが、前一つについては違うぞ」

狐娘は嗜めるようにいった。とはいえ、決して険しい雰囲気ではなく、諭すような口調だった。

「杏子が周りからどう思われることと、杏子自身が、寄る辺を失い回復不能なほど傷つくことと、どちらが優先順位が高いと思ってるのじゃ」

「それは……」

ハルはたじろいだ。

「確かに、複数の男に色目をかける女子など、物語の登場人物としては美しくはないわな。一人の男を愛し、一生を塔の中に引き篭もって捧げている可憐な乙女はさぞ物語の存在としては美しかろう。

しかし、お主はそれでいいのか……?杏子は、物語の登場人物ではなく、今ここに生きている。その杏子が、観念的な美しさと引き換えに、人としての幸福を得る機会を失なってもいいのか」

「それは……」

「なら、そう思うのなら、もっと近づいてやれ。側で支えてやれ。なに、周りの目など気にするな」

周りの目がどうであっても、お前さんがたは素直にそれぞれの関係を築いたらいい、と言い残した。

「それだけ気にかけているなら貴方こそ、そうすればいいじゃないか」

「わしには資格がないんじゃ」

ハルは怪訝そうな顔をした。

狐娘は、はあと言って静かに口を開く。

「優しい、とは思われておるよ」

狐娘は横を向いている。遠い目をしていた。

「ただ、多くの人を救いきれずに見捨ててきた人、とも映っておろうな」

「……」

「まだわからないのか、お主じゃないと駄目、と言っておるのじゃよ」

「……」

ハルは答えなかった。杏子を守りたい。……だけど。

「好きになってしまうのを怖れている、じゃろ」

「……」

「若いもんのそんな気持ち、お見通しじゃ」 

「……」

返す言葉がなかった。何を勧めてくるんだこの狐娘は。

「もし仮に好きになったとして、何が悪い」

「俺には既に……」

「好きになったのは二人、実際に行動に移すのは一人、それでいいじゃろ」

「…………」

「長年しぶとく生き残ってきた長老の言葉じゃ。ありがたく受け取っておけ」

そう言って、狐娘は神社の母屋をぴょんと出ていった。

雨上がりの虹 2章 マシュヒロトの手記 サブエピソード京都編2

雨上がりの虹 2章 マシュヒロトの手記 サブエピソード京都編2

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-08

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