もうすぐ描いた春が来る

もうすぐ描いた春が来る

まどろ

こぼれ落ちていく記憶

「あなたがその……宇都宮さんですか?」
扉の前に立っている男性に声をかけた。
「そうですよ。僕が宇都宮です。あなたは?」
「私は……石川沙耶です」
「あなたが沙耶(さや)さんですか。じゃあ、どうぞ」
そう言って宇都宮さんは私を家に招き入れた。
「じゃあ…荷物はその辺に置いといてください」
指を指したその場所はしっかりと整理整頓されていた。
家から持ってきた荷物を降ろして、部屋を見回した。…今日からここに住むのか…。
「じゃあ、今日からよろしくお願いします。沙耶さん」
「はい。よろしくお願いします」

なんで私が見知らぬ男性の家に住むことになったのかというと、父がそうさせたからだ。
朝食を食べているときに突然父から紙を渡された。その紙には住所と名前が書いてあった。
「宇都宮……楓……?何この紙」
「明後日からその紙に書いてある住所で、その男と暮らせ」
「え?あ、男の人なんだ…」
いきなり言われたが、そんなに驚きもしなかったし、なぜか嫌な気もしなかった。
「うーん…いいんだけど、なんでまた明後日から?」
「楓くんの事情だ。とりあえず明後日からな」
「あ、お父さんは楓さんと知り合いなんだ」
「……当たり前だろ。俺のしらん男の家に明後日から住めなんて言わないだろ」
父は少し残念そうな顔をした。なんだかんだで寂しいんだろうなと思った。
「じゃあ、とりあえず。行ってきます」
「おう。あ、夕方の6時半以降にな」
そんなこんなで今に至る。

「ここまで結構あっただろうし、疲れましたよね?コーヒー入れたんで、どうぞ」
そう言われながら、目の前にコーヒーが置かれた。いい具合の湯気からいい匂いがする。
「……いただきます」
「どうぞ」
宇都宮さんは微笑みながらまたキッチンに向かった。
「……!う、うまい…」
正直コーヒーは好きじゃなかったが、このコーヒーなら飲める。私でも飲めるほど甘いコーヒーだ。
「お口に合いました?」
コーヒーを持って現れた宇都宮さんは相変わらず微笑んでいる。
「はい!びっくりするほど美味しかったです」
「それは良かった」
そう言いながら席に着き、コーヒーを啜った。
しばしの沈黙が流れる。耳をすますと外の音がほんのり聞こえた。
「そういえば、お父さんは元気ですか?」
宇都宮さんが言った。
「はい。とても元気です」
「そうですか。元気ならよかった」
「……宇都宮さんは父とどういう関係なんですか?」
「あー……まぁ、腐れ縁、ですかね」
そう言って笑った。
「腐れ縁……ですか」
「そうです」
「あ、そもそもなんで私は、宇都宮さんの家で暮らすことになったんですか?」
「話すと長いんですが、沙耶さんのお父様の意向ですよ」
「父の……」
「そうです。とりあえずこれから、よろしくお願いします」
そう言いながら手を前に差し出した。私はなんのためらいもなくその手を握った。
「色々とわからないことはあるけど、よろしくお願いします」
宇都宮さんは相変わらず微笑んでいる。
「それじゃあまずは晩ご飯の食材を買いに行きます」
「はい!支度します」
「あ、一緒に行きますか?」
「あ、えっと……はい。行きたいです」
「分かりました。じゃあ、一緒に行きましょ」
そう言いながら別の部屋に向かう宇都宮さんの背中は、どこか嬉しそうに見えた。

支度をして数分後、入ってきた玄関を出て、スーパーに向かった。
冬の残寒が部屋から出たばかりの暖かい体に刺さる。冬から春にかけての温度変化が辛い。学生の頃をこんなことなかったんだけどなぁ…。
公園で遊ぶ子供達を見てそう思った。
「公園、好きなんですね」
「え?どうしてですか?」
「あー……微笑んでいたので」
「好きです。公園。子供の頃からずっと好きで、特にブランコが好きでした」
「そうなんですね。じゃあ、帰りにちょっと寄って帰りましょう」
「え!?いいんですか??」
「おー、すごい食いつきですね。もちろんです」
そう言って宇都宮さんは笑った。私はがっついてしまったのが恥ずかしかった。
「宇都宮さんも公園が好きなんですか?」
「そうですね。僕も好きですよ」
「へぇー。気が合いますねー」
「…そうですね。帰りが楽しみです」
「あれ?今照れてました?」
「はい。すこし」
「なんかすいません」
「あはは、いいんですよ謝らなくても」
そんな会話をしているうちにスーパーについた。
「今日は何を作るんですか?」
「そうですね……。沙耶さんが来た歓迎会も兼ねて、鍋にしましょう」
「鍋!やった!!私鍋好きなんですよ」
「ほんとですか?それはちょうど良かった。じゃあまだ夜も寒いですし、キムチ鍋にしましょう」
「はい!キムチ鍋食べます!キムチ鍋大好きです!」
「沙耶さんはすごい元気な人ですね」
そう言われて我に帰った。テンションが上がりすぎて大きな声でずっと喋っていた。
「は、はい!すごい元気です!」
私が強がってそういうと、宇都宮さんは笑った。

それから早くキムチ鍋を楽しみたい私は、驚異の探知能力で食材を次々に見つけて、締めのチーズ各種も買った。
「チーズいいですよね。僕も好きです」
「チーズはいいですよね。神ですよね。正直」
「そうですね。僕も買おうと思っていたので、先に買われて驚きました」
「ますます気があっちゃいますね」
「その通りですね」
こっちを見て言われた。それに少しだけ、照れてしまった。
「さっきのお返しができたみたいですね」
そう言って宇都宮さんは微笑んだ。

会計を済ませてスーパーを後にした私たちは、行くときに約束していた公園に向かった。小屋のベンチに食材を置いて、滑り台、ジャングルジムを満喫した。
そして、最終目的であるブランコに無事搭乗した。
「あぁ……これですよね。一瞬無重力ぽくなって、加速して落下してを繰り返す…はぁぁぁぁ…」
楽しい。この歳になってもブランコは楽しい。きっと私は一生ブランコを嫌いにならない。おばあちゃんになってもこうして揺られていると思う。
どれくらいそうしていただろう。元から暗くはなっていたけど、いつの間にか本格的な夜が訪れていた。
「……すいません私、本気で夢中になってました」
申し訳なさそうに宇都宮さんを見たが、彼は相変わらず神様のように微笑んでいた。
「いいですよ。ブランコに乗ってる沙耶さん、可愛かったです。本当に楽しそうでした。そんな横顔を眺めていたら、いつのまにかこんな時間になっていました」
「な、何を爽やかな顔で言ってるんですか。素直に照れちゃう……じゃなくて、照れます」
「あ、敬語いいですよ。なんなら僕も抜くね。本当は苦手でさ。敬語」
「ほんと??いいの??私も大嫌い……」
「じゃあ、敬語やなくて、タメ語で」
「タメ語で!」
おーっと拳を上げた私たちは、その勢いで手を繋いで帰った。玄関の鍵をバックから取り出すまで全く気がつかなかったが、よくよく考えて見たらすごいことをしたなと、キッチンで思った。

「できたあああ!」
時刻は21時を少しすぎてしまったが、夜食のキムチ鍋が完成した。
久しぶりに歩いて、公園で遊んだから、お腹はペコペコだった。
「じゃあ、お腹も空いてたし食べよっか」
「うん!いただきます!」
そうして30分もしないうちに食べ終わった。

「はぁ、お腹いっぱい」
そう言いながら横になったソファはすごく柔らかくて、すぐに寝てしまいそうになった。
「よかった。じゃあ、僕は締めのチーズリゾットを作ってくるね」
「いいの!?」
「うん。ゆっくりしてて」
そう言って宇都宮さんはキッチンへと消えた。
不思議だなぁ。時間がゆっくりと……でも早く動いてる。宇都宮さんといると心地いい。ずっとずっと前から知ってる人みたいだ。
不思議な人だなぁ。そう思いながらいつの間にか私は眠った。

✳︎

余ったキムチ鍋のスープに炊いていたご飯を入れて、一煮立ちさせる。一旦火を止めて、沙耶が好きなチーズを入れる。いつもの沙耶なら、もっと濃い味が好きだから胡椒を入れる。これが最後の隠し味。
少しだけ混ぜて、余熱で仕上げる。
このチーズリゾットを考えたのは沙耶だ。
3年前の君が作った最後の料理。

忘れもしない3年前のあの日、君は僕にこう言った。
『出会った頃の初々しい私たちなら、別れることはなかったのかもね』
そして時が流れ、君が出て行った2年後の春。原因不明の健忘症とともに君は帰ってきた。

もうすぐ描いた春が来る。もう一度やり直せるんだろうか。

もうすぐ描いた春が来る

もうすぐ描いた春が来る

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-06

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