仇討
茸短編小説です。PDF縦書きでお読みください。
今日はわが主人、澤野頭(とう)衛(え)が一年前切腹を仰せつかった日です。
家臣たちは何故(なにゆえ)、殿が腹を召されなければならないのか、誰一人として分る者がおりませんでした。あまりにも道理がみえず、家臣たちも誰を恨んでいいのやら途方に暮れていたのです。
ところが、命じた城の殿様さえも何故切腹させたのか覚えておりませんでした。
しかし、それを命じた書状があるはずです。家老が我が殿を城に呼び、見せたはずですが本物がありません。それを包んだと思われる、「頭衛へ」という紙が残っているだけです。家老はわが殿に渡したと申されており、殿は納得して切腹したことは確かです。亡くなった殿しか理由を知らないのです。何でもそれを読むなり、殿が喰ってしまったという話もありますが定かではありません。
わが殿も家中の者に理由らしきものを一言も申されなかったのです。
お城でのなんらかの出来事がそうさせたのであろうと考えられます。しかし、殿の落度のことなど一度も耳にしたことはありません。今まで特段におかしいと思われる出来事など一つもありませんでした。
一度、お城での園遊会の折に、殿が刀を抜いたことがあります。もちろん人を傷つけるためではありません。それはお城の殿様と一緒に刀の話をしていた時のことです。誰かが我々の殿が最近手に入れられた刀が大層立派なつくりで、よく切れる優れたものであることを、お城の殿様に申されたということです。お城の殿様もすばらしい刀をお持ちで、家来たちによい刀を持つようにいつもおっしゃっていたのです。
お城の殿様が刀を抜いてみよと申され、わが殿が刀を鞘から出してお見せしたようです。それを手に取った城の殿様は大層喜ばれて、皆もこのようなよい刀を持つようにと申されたそうです。
お城の池の辺に小さな真っ赤な茸が顔をだしていました。
お城の殿様は我々の殿に赤い茸の頭を刎ねてみよと仰せであったそうです。
わが殿は言われるままに、刀を抜くやいなや、さっとひと振り、赤い茸の頭はぽーんと飛び上がり、すとんと落ちて、お城の殿の頭の上におちて、それもちょこんと乗ってしまったとのことです。その様子はかなりおかしかったようで、周りの者たちは笑いをこらえるのが大変だったそうです。わが殿はひれ伏してお謝りになったそうですが、お城の殿様はそんなことは全く気にせず、「みごとじゃ」とお褒めの言葉をわが殿に申されたそうです。この出来事が切腹の原因になるようなことはないと思いますが、このことしか思いつくことがないという状態です。
本当はどうなのか。誰しも知りたいところで、ある家中の者が知り合いの祈祷の婆さんにそんな話をしたところ、違う世界を見なければ解決できないと、言われたそうです。そこで私はそのばあさんを屋敷に呼びました。
私は澤野家の家老です。
ばあさんは屋敷のみなの前で言いました。
「家老さん、殿様は悪くなかったのです、お城のお殿様も悪くなかったのです、悪いのは運です、今、ここにそのときの様子を映し出しますのでご覧ください」
ばあさんは座敷の真ん中に座ると、床の間に向かってひれ伏し、前に置いた火鉢の炭の上になにやら粉をまきました。煙が立ち上り、床の間になびいていきます。
もごもごと我々には聞き取れない言葉をつぶやくと、白い煙が床の間に広がって、やがて、煙のなかに景色が現れました。そして物語が始まりました。
それは朝早いお城の池の畔でした。水面は波一つなく、アメンボの作る小さな水の輪の動きが逐一伝わってきました。池の畔の石と石の間の土の中から赤いものが顔をだしました。それはどんどんと伸びると、赤い小さな茸になりました。
どこからか声が聞こえてきました。「茸の姫様がご誕生でございます」、どうも土の中から声がしているようです。
「久しぶりの誕生じゃなあ」
「ほんとに、このあたりは茸など生えないところ、大事にせねば」
「そうだよ、大きくなっていただいて、たくさんの胞子をまいて、子孫を増やさねばならん、わが一族の繁栄のためにな」
「そうだな、楽しみだ」
どうも、土の中の細い白い糸の固まりが話をしているようです。
祈祷のばあさんが言いました。
「土の中の糸が茸を生み出すのじゃ、その糸達が話しているのだが、やがて理由がわかりますぞ」
私は床の間を見ておりました。
赤い小さな茸は少しずつ延びていきます。周りの石より少しばかり背が高くなったとき、キラリと光りました。その瞬間、赤い茸の頭が飛びました。刃が走ったのです。
「あ、殿の刀だ」
私はつい叫びました。
「そうじゃ、これからが問題じゃ」
煙に映し出される城の庭では、なにやらざわざわと、奇妙な空気が渦巻きました。
「姫の首が飛んだ」
「たいへんじゃ、皆に知らせろ」
その声で地面の中が異様に熱くなり、白い糸が庭中に張り巡らされたのです。
「姫の敵を討たねばならぬ」
白い糸は蜘蛛の巣より細かく土の中に網を張りました。
「だが、我々玉子茸だけでは無理ですな、だれぞに助っ人を頼まねば、我々の力だけではおよびませぬぞ」
「確かに、月夜茸殿に頼もう」
「それはよい考えだ、あの者達は光を発する毒茸」
白い糸は木の幹に張り付いていた白い糸に話しかけた。
「こう言うわけで我々の姫の首がはねられてしまった。仇討をしたいと考えておりますが、我々ではできません、なにとぞ、助人をお願いいたします」
「ふむ、我々の毒で試し切りを命じた城の殿と試し切りをした侍を退治するということかな」
「いえ、我々のかけがえのない姫の首を刎ねたように、この城のかけがえのないあの家来の侍の命を絶ちたいと考えておるのです」
「そうか、それでは、我々の毒ではうまくいかぬ、ちょっと不思議な奴がいる、そいつに頼んでやろう」
「それはどなたで」
「ふむ、迷い茸という茸でな、人の世界では知られておらぬ、人がそれを食らうと、頭の中に大きな迷いが生じてな、おかしなことをしでかすのだ」
「どのようにですかな」
「それは、迷い茸に、聞いてみるとよかろう」
玉子茸と月夜茸の土の中の糸は城の庭の角に潜んでいた迷い茸の糸のところに延びて行った
「迷い茸殿」
月夜茸の糸が寝ていた迷い茸の糸を起こした。
「うむ、だれじゃ」
「月夜茸でござる」
「お主、木に巣くっているのではないのか」
「頼みがあって参った」
「儂に頼みとは珍しいの」
「ここにきた玉子茸の頼みじゃ」
「初めてお目にかかる、玉子茸でござる」
「うむ、知っておる、綺麗な赤い茸をはやす御仁じゃな」
「その姫の頭が刎ねられてしまい、その仇討ちを月夜茸にお願いしたのでござるが迷い茸殿が一番よいとつれてきていただいた次第」
玉子茸の糸はことの子細を迷い茸に話したのです。
「ふむ、わかり申した、お力になろう」
「よろしくお願いしまする」
「ところで、城の殿様のことを教えてくれまいか」
「といいますと」
「なにを好んで、得意とするか」
「食に大変ご関心が高く、武よりも文の人にてございます」
「左様か、それで、首を切ってほしい侍はどうか」
「文武にすぐれ、忠誠心の大変強いお方です」
「それはもったいないの」
「しかし、仇でございます」
「しかたないの、では儂が殿に喰われよう」
迷い茸の糸からいくつかの小さな紫色の茸が頭を持ち上げました。だんだんと大きくなると、甘い密のような香りを放ったのです。城の庭には松茸より香ばしい、複雑な香りが充満いたしました。
「あの匂いは何じゃ」
城主はすぐにその匂いに気がつかれました。殿の住まいまで匂いが届いたのです。
「庭から匂おってくるようにございます、見て参ります」
御付の侍が庭に面した廊下に立つと、何ともかぐわしい香りがしてきました。どちらからかと見回しますと、紫色の見たこともない立派な茸が数本生えています。
殿は食したいと言うに決まっている。しかし毒を持つものかもしれず、うかつなことは言えない。
おつきの侍は食事どころの責任者にそのことを伝え、薬師とともに茸について調べておくように申しつけると、殿の部屋に戻りました。
「殿、珍しき茸から匂いが立ちこめております」
「そうか、この匂いは旨そうじゃの」
「今、調べさせております」
「おー気が利くの、儂もその茸がみたい」
殿は何人かを引き連れて廊下にお出ましになりました。薬師もきています。
「おー、もう来ておったのか」
殿様は庭の紫色の茸を見て、感嘆の声を上げた。
「見事な茸じゃ、食べられるものであろうか」
薬師は首を横に振った。
「私も始めてみる茸でございます。紫色の茸など、どの書物にものっておりませんでした。そのような茸は食べぬ方がよいと存じます」
「そうか、惜しいのう、じゃが毒だかどうかまだわからぬのであろう」
「はい、しかし、お命を預かる身としてはおすすめできません」
「毒茸でも湯に通したり、塩に漬けたりすれば食すことができると聞いたことがあるがどうじゃ」
「確かに、そのような茸もございます、しかし、この際はお食べにならない方がよいと存じますが」
「ふーむ、おしい、松茸のように焼いて、食らってみたいが」
「毒味の者にさせますか」
「いや、無理にさせるのは、もし死んでしまうと、世も気分が良くはない」
「まずは、鳥にでも喰わせてみよ」
「そういたします」
結果はすぐにでました。刻んだ茸を飼っていたニワトリに与えると、喜んで食べ、何事もなかったのです。
「殿、鳥が喜んで食らいましたが、なにも起きませんでした」
「それでは、儂も食したい」
「いや、まだ、わかりませぬ、誰かが食してからにしていただきます」
「誰が食らう」
「別用で登城した澤野殿が食してみたいと申しておりますが」
「頭衛が言っておるのか、それはよかろう」
「そのあと、儂も一緒に食す」
殿は言い出すと、引かないところがあるのです。まず澤野殿が食し、大丈夫なら、殿に食べていただこうと、周りの者は、茸を焼く用意をはじめました。
庭の紫色の茸はすべて採られ、かごに入れられ殿の前に用意されました。
「頭衛、すまんな、あまりにもうまそうな茸でな、世が所望した。鳥が大丈夫なので、問題はなかろうと思う」
「はは、お呼びいただき、ありがたき幸せでございます」
きまじめな頭衛はひれ伏しました。
火をおこした火鉢の上に網が置かれ、女中が茸をその上に並べます。
甘い香りが部屋の中に充満してきます。
「おお、よい匂いじゃ、まずは匂いで、酒を飲むこととしよう。殿は酒を飲みはじめました。
「頭衛、焼けるまでに一杯やれ」、殿が銚子を頭衛にさしだしました。頭衛は「ありがたきしあわせと」大仰に杯を持っていざりよります。
その後はお女中の銚子をうけ、頭衛も気持ちがよくなってまいりました。
「焼けましてございます」
「ふむ、頭衛、食せ」
「はは」頭衛は焼きたての茸を醤油につけ、一気にかじりました。
「むむ、これは」
頭衛の顔色が変った。
殿が「頭衛、どうした、だいじょうぶか、危ないようなら、遠慮なく吐き出せ」と声をかけますと、頭衛は笑顔になって、
「殿、この茸はとんでもなく美味しいものにございます」
と、返事を返し、杯をあけた。
「なんと、大丈夫であるな、儂にもよこすよう」
女中が焼けた茸を皿に載せ殿の前に置きました。
「うむ、旨そうな」
醤油をつけ、口に運んだ殿様の顔には、満面の笑みが浮かんだ。
「これは旨い、思った通りじゃ、こんな旨い茸は今まで食うたことはない」
殿様は残りの茸をみんな食べてしまいました。
「この茸には名前がないということであったが、儂がつけよう、食えるか食えないか迷った末に喰った。迷い茸としようぞ」
というと、一同はははーあとひれ伏しのです。
その夜のことである。城の殿様は夢を見ました。その夢の中で。何かを命ぜよとお告げがあったのです。なにを命じなければならないのか、夢の中ではさんざん迷いました。翌朝目が覚める直前、切腹を命じなければならないことを思い出したのです。理由はわかりません。殿は起きると、手紙をしたためました。「切腹を、命じる」それを家老に持たせ、頭衛に伝えさせました。
一方、頭衛の方も夢を見ていました。その夢の中で、殿のために腹を召さねばならぬと、思うようになっていました。何故腹を切るのか、あれやこれや理由を考え、迷いに迷って、とうとう朝日が当たり、目が覚めてしまいました。頭に残ったのは腹を召さねばならぬと言う気持ちだけだったのです。
そうして、その日、城の殿様から、「頭衛へ」と書いた書状がとどきました。それを見た頭衛は頭の中がさっぱりして、切腹せねばならぬと思い、腹を切ったのです。
我々澤野の家臣は、殿の切腹の理由が分かり、城の殿様へお城の庭から迷い茸を駆除するようにお願いをしたのでございます。それが、我々のできる仇討でございました。
「茸童子」所収 2020年自費出版予定 一粒書房
仇討