原霧(げんむ)もたし
茸短編小説です。PDF縦書きでお読みください。
その昔、切腹を仰せつかった侍が、切腹の日まで、およそ一月の間、ある茸を食し、切腹をして一度は死にはしたが生き返り、一度切腹したのであるからと、放免になったという話がある。
徳川綱吉公、すなわち犬公方様の時代である。
味(あじ)多(た)紫門は信州のとある大名の毒味役であった。忠実な紫門は鼻や舌が異様に発達しており、おかしな臭いや味にすぐ気がついた。それだけではなく、毒味の際、必ず殿や姫が食べる量の倍も食べて確認をしていた。
ところが、ある日、殿が焼き魚を食べた後、寝込んでしまったのである。生きるか死ぬかの瀬戸際であったが、奇跡的に何とか助かった。しかし毒味役の紫門に責任が押しつけられたのである。そのときにも紫門は臭いをかぎ、一匹まるまる食べてみたのである。だが彼はなんともなかった。
おそらく殿の体調がよくなかったのであろう。殿の薬師が殿のからだの具合を見誤ったことが原因で、そちらのほうが咎められてしかるべきである。
だがお咎めは紫門にきた。
役目怠慢ゆえ、一月後に切腹を仰せつけると、家老の草守喜左衛門がご沙汰をもって紫門の屋敷にきた。草守は父と最も懇意にしていた人物である。
「なあ、紫門、儂はそちが誰よりも殿を気遣って、仕事に励んでいたことは一番よく知っておる、しかし、このようなときには誰ぞが、詰め腹を切らねばならぬのだ、味見役はある意味ではそのお役目なのだ、儂もつらいが覚悟をしてくだされ」
「はは、ありがたきお言葉、確かに承りました」
と、口ではそういったが、紫門はがっくりきた。それはそうである。まだ一八になったばかりの紫門は女も知らなかった。味見役は代々味多家が行なってきた。味の変化を敏感に感じ取ることのできる家系である。父は今までで最も有能な味見役であった。その父がいきなり倒れ帰らぬ人となった。母親を早くになくして父により育てられてきた紫門は途方に暮れた。父のことをよく理解してくれていた草守喜左衛門が、一六と若い紫門を跡継として、お役を務めるように殿に進言してくれたのである。それから二年、努力もあり、また彼の資質もあり、めきめきと腕を上げ、父親に追いつくどころかそれ以上にも能力を発揮したのである。
それがこういうことになってしまった。役目上仕方がないとはいえ、なんともやりきれない気持ちになっていたのである。武士は仕方がないのだと言い聞かせているが、これから一月、外にでることも許されず、切腹までどこかの屋敷に幽閉されるのであろう。
まもなく草守喜左衛門の屋敷に入れというご沙汰になった。父が元気の頃には何度となく行った場所である。山際にある大きな屋敷である。
喜左衛門には子供がなく、子供の紫門をつれて裏山に登り、草花のこと、秋には茸のことなどを教えてくれたものである。しかし幽閉となると、庭にも出ることが許されないのであろう。
夕刻、白装束に身を固め、紫門は籠で喜左衛門の家に向かった。喜左衛門の家は久しぶりである。それにしても広い屋敷である。小さな大名の家老ではこのような大きな家をもてるはずもないが、先祖が大事な役割をもっていたということなのだろうか。
喜左衛門は玄関に向かいにでてくると、無言で紫門を裏山に面した部屋に案内した。
二人が部屋にはいると、襖を閉め、庭の障子を開けると、草守喜左衛門は座布団の上にあぐらをかいた。
紫門が座ると、喜左衛門が口を開いた。
「紫門殿、楽にしてくだされ」
「はい」正座をしていた紫門も足を崩した。
「儂にとっていやな役目じゃ、一月、ここにそなたを閉じこめるなどできるわけがない、庭なり裏山なり、自由にしてくだされ」
「ありがとうございます。迷惑をかけぬようにいたします」
「そのような堅いことを言わぬでもよい、お父上とよく似ているのう、実はな、ちょっと調べてもらいたいことがあるのじゃが、手伝ってくれるかな」
「はい、なんなりと、おっしゃってください」
「儂の家には代々伝わる古文書がある」
「喜左衛門様の家は薬師だったと思いましたが」
「そうなのじゃ」
「喜左衛門様ももとは薬師だったとか」
「家老職を次いでからは、そちらのことは忘れてしまいましたがな、しかし、自分の薬ぐらいは作れますぞ」
「それで、私はなにをお手伝いすればよろしいのでしょうか、何かさせていただければ、気が紛れます」
「この古文書を読み解いてくだされ」
彼は床の間においてあった古びた書を紫門に渡した。
「我が家の先祖が書き残したもので、不思議な薬のことが書いてある、読んでみてくださらんか」
「わかりました」
こうして紫門の幽閉生活がはじまった。庭や裏山の散歩が許されたことは気持ちの上でずいぶん楽である。
紫門の部屋はかなり広い。床の間には水晶の玉が飾ってあり、手の込んだ洒落た部屋である。落ち着くよい部屋だ。きっと喜左衛門殿の配慮だろう。
女中が食事を運んできた。お膳の上には尾頭付きの鯛がのっている。女中は無言で、部屋の隅に座った。
紫門は箸をとり、魚と白米をかみ締めた。食べ終わると女中がよってきて、手を差し出した。お変わりはどうかと言うことだろう。きっと話をしてはいけないと言われているに違いない。紫門は「もう結構でござる、うまい魚であった」と茶を飲んだ。
女中は膳を下げると、水の入ったギヤマンと茶碗を乗せた膳を床の間の前に置き、布団を敷いてさがっていった。
紫門は寝支度をすると、布団の上で古文書を手にとった。
表紙には「原霧(げんむ)もたし」と書いてある。茸のことであろうか。
表紙をめくると最初に現れたのは茸の絵である。「鍵もたし」とある。紫色の茸で、大きさは一寸とある。かなり小さい。形は松茸のようであるが、匂いはないと書いてある。紫門は見たことがない茸である。
この茸が鍵となるとある。何の鍵なのだろうか。
次の頁を開いてみると、見たことのある茸の絵があった。月夜茸である。これは夜に光を放ち毒がある。毒味係としては知っておかなければならない茸である。見た目が地味で間違って食すことが多い。しかし月夜茸とは書かれておらず、「無感もたし」とある。名前が違うということは月夜茸ではないのだろうか。説明には夜光とあるのでやはり月夜茸だろう。
次の頁はまた紫門の見たことのない茸が描かれていた。紅い茸である。名の知れた紅天狗茸とは違う。松茸と同じような形をしており、真っ赤である。名前は「冷やしもたし」とある。
さらに次の頁には真っ黒な茸が絵描かれていた。「保ちもたし」とある。頭の部分がぐじゃぐじゃとうねっている見た目が汚い茸だ。
次は「繋ぎ茸」とある。黄色い茸で平らな傘をもっていた。かなり大きく、猿の腰掛けのような形をしており朽ちた杉の木に生えるとある。採って間をおかず使うようにと注意書きが添えられている。
茸の説明の後は、それらの茸の使い方が書いてある。それにしてもこの茸を使う目的が書かれていない。
使い方のところを読み始めたとき、ふと、このような易しい言葉で書かれているのに、なぜ喜左衛門殿が読めぬようなことを言ったのか不思議に思った。薬師に読めないはずはない。喜左衛門殿は私にこれを読ませて何かをさせようとしている。そう思った紫門はその後を慎重に読み進めていった。
壱 鍵もたし。ことの七日より以前から食を止め、採りたての本茸のみ食すべし。早くから食すほどその効果はよい。塩を振ることはおかまいなし。いくら食べてもかまいなし。ことの日はこの茸は食さずともよい。
弐 無感もたし。ことの二日前より食すべし。少なくとも日に三本は食すこと。ことの日の朝も三本食すべし。
参 冷やしもたし。ことの前の日に朝より八本食すべし。ことの日は朝に一本食すべし。
四 保ちもたし。前の日に朝より八本食すべし。ことの日には朝に八本食すべし。
伍 繋ぎもたし。脇の者が用意し、ことが終わりし時に、直接接合部にたっぷりと塗りつけるべし。
紫門はそこで眠りについた。
明くる朝、日の光が障子を通して部屋に満ちた。良い天気である。
紫門はいくつかの疑問点を頭の中で整理した。第一にこれは何のためのものなのか。「ことの」とはどのようなことか。喜左衛門殿が私に読むように渡したからには、切腹のことなのかもしれない。切腹の時と置き換えて読み返してみる。鍵、無感、冷やし、保ち、繋ぎの五つの茸である。切腹の時にこれらの茸を食しておくと、なにが起こるのであろうか。痛み止めか。それにしてもこれらの茸はどこに生えているのだろう。これだけの茸をそろえるには時間がかかる。
朝の食事を女中がもってくると、喜左衛門も一緒に入ってきた。もう一人の女中が喜左衛門の膳をもっている。
「紫門どの、あの本は読まれたかな」
「はい」
「朝餉をとりながら話そうと思ってな、それであれを読んでどうだったかな」
「私の腹切りにどのようにかかわるのでしょうか」
「おお、それに気付かれましたな、あれには原霧もたしとあったであろう、ハラキリともよめる」
紫門は、そうだった、と自分の頭の回らないのには愕然とした。やはり腹を切らなければならないことが重くのしかかっているのだろう、いつもの紫門とは違う。
「しかし、あの茸がどのような役割をもつというのでしょうか、もしやもすると、腹を召すとき痛みを和らげるというものなのでしょうか、もしそうであれば、私はなくても、立派に腹を切って見せます」
「そうじゃな、紫門殿にはそんな心配をしておりませんのじゃ、これはむしろ儂の紫門殿へのお願いでござる」
「どのようなことなのでしょう」
「儂の家には跡継ぎがおらん、誰ぞを迎え入れねばと思っておるところ」
「養子でございますな、それと、この茸とどのような関係があるのでしょう」
「紫門殿に養子になってくれぬかと思うてな」
「草守殿、私は腹を切らねばならぬ立場、そんな者におっしゃっても、どうしようもないのではござりませぬか」
「そこじゃ、できるのじゃ、話をする前に、紫門殿が養子なってくださることをのんでくだされ、そうすればお話する」
「しかし、私に家老職が勤まるとは思えません」
「そのようなことはないが、家老職は放棄してもよい、儂の家はもっと大事な役割を代々もっているのじゃ、それを受け継いでくだされ」
「それは何でございましょうか」
「我が家が代々薬師であったことはとうにご存知のはず」
「はい」
「儂も薬師であることは知っての通りじゃな、その薬師をついでもらいたいのじゃ、そなたは味や匂いに長けておる、まだ若いし、学ぶ力も十分にある」
「薬師には興味をもっておりました、そのようなことならばお引き受けいたしてもよいと思いますが、私は死なねばならない身でございます」
「ともかくありがたい、それでは一切合切をお話しする。儂の家にはお見せしたような茸の薬の本がいくつもある。重い病を治す薬の調合に関しては全国の大名や大商人から依頼がくる。心と体が遊離する薬は有名な絵師などから注文が来る。これを服するとすばらしい絵が描けるという。力が倍増する薬は、今はあまり注文がこぬが戦国時代には、自分の家来たちの食事に混ぜ、戦に送り出したりしたものだ。中でも、お主に読んでもらった原霧もたしというのは、ほとんど知っている者はおらぬが、江戸に上られた徳川様などは良くご存じで、徳川様に仕える大名の中でもこの茸のことを知っておる殿が何人かいる」
「それはどのような薬なのでしょう」
「切腹した者を生き返らせることができる」
紫門はすぐには言葉がでてこなかった。
「介錯されてもですか」
「そうじゃ、首を切ってもじゃ」
「生き返っても養子になれるのでしょうか、もう一度切腹ということになりませんでしょうか」
「いや、一度死んだ者はお咎めがなくなったこととなり、二度の切腹の沙汰はなく、新たに生きることが許される」
「それで、そのような薬を、今までどのように使われていたのでしょうか」
「上に立つ者、切腹させたくない者にも、切腹の沙汰を下さなければならないことが多々あるのじゃ、生き返らせ、裏でお家のために働いてもらうのじゃ、そのような形で、有能な者をそばに集めたのが、徳川家じゃ、もちろん敵の中で有能な者であったり、場合によっては大将であったりしたのじゃ」
思いも寄らない話であった。
「しかし、そのような茸の効果は信じられませぬ」
「たしかにな、鍵もたしはそれを食すると、体の中の悪いものがいなくなり、冷やしもたしは体の温かさを下げることで血の出方が減り、生き返りやすくなる、無感もたしは腹を切ったり、首を切られても痛みを感じなくする。保ちもたしは切られて一度死んでも復活できるように体を保つ、最後の繋ぎもたしは儂の役目だが、切った首を元のところにはりつける効能がある、そうして一晩たつと生き返るということになる、ただ、本を読んだだけではわからぬであろう、食べる量などは微妙な組み合わせになるが、それは儂が知っておる、いずれお教えしよう」
「不思議なことです、しかし、茸が生えていなければなりませんが」
「大丈夫じゃ、うちの裏山にはそれらの茸が生えておる、そういうところに屋敷を建てたのじゃ」
「それでは私がその茸をとって参ります、生き返らせていただきたく思います」
「そうじゃな、儂も一緒にいくので覚えてくだされ、このことは、殿もご存じじゃ、殿があのようにお元気なのも、儂のところの体によい茸を食べられているからなのだ、それにな、もし紫門殿がご自分で立派に腹を召されれば、介錯はせぬ、その方が回復は早いでの、首をつけるのは面倒じゃ」
喜左衛門はちょっと笑った。
「この座敷で腹を召すことが許されておる、介錯人と見届ける役人が何人か同席するが、紫門殿が死ねば、退室するので、後は我が家に任せてもらうことになる」
紫門はなかなか信じることができなかった。死ぬ前に気を紛らわせてくれるだけのことなのかもしれないなどとも思った。
こうして、その日から裏山に行って茸を探した。
鍵もたしは紫色で林の中のいたるところで見かけることができた。
「鍵もたしは紫色に輝いて、紫門どのために生えているようじゃの」
喜左衛門は嬉しそうに採って籠に入れた。
「ほれ、このような小さいのは三日後には食べられますぞ」
鍵もたしには不自由をしないようだ。
ちょっと登ると、杉の木の根本に黄色っぽい翼を広げたような茸がついていた。
「おーおー。ここにありますな」
「それは繋ぎもたしではありませんか」
「その通りじゃ、紫門殿は勘がよいな、ここにあることがわかればその日に採りますからな」
しばらく上っていくと、湧水がちょろちょろと出ているところがあった。
「この水はとてもよい水でな、これを飲んでいるだけでも体の調子がよくなる。今紫門殿に用意しているのはすべてこの水だ。蘇りの水とも言う。儂の家の働いている者はみな薬のことはよく知っているものでな、水を汲みに来ているのは女中の志保だ、食事を運んでいる女だ。茸を採りにくるのは原助と数平だ。この者たちは薬になる草のことをよく知っておる。いずれ紫門殿を助ける者になるであろうぞ、みなこの山の中に住まいしておる。この山の中には誰も入ってこぬ。儂のものであるからな。彼らにはよいところに家を建てさしておる、山を分け与えたのだ。清き水が流れ、湯も湧き出ているところがいくつもある。儂が必要なときには手助けに来てくれるのじゃ。紫門殿が腹を召されるときも手助けにきてくれることになっておる。
「ほら、ここにあるのが、保ちもたしだ」
下草の中から黒いぐじゃぐじゃの頭をもった茸がたくさん生えていた。
「この茸は本当のなまえはじゃぐま茸というのだがな、本当は毒じゃ、それも使いようだ、もう少しいくと、楠の木の根本に無感もたしがある。夜光る茸だ」
「月夜茸ではござりませんか」
「ご存じか、確かに仲間じゃ、しかし月夜茸は青白く光るが、この茸は真っ赤に光る」
「月夜たけは腹を下し、吐いて、死ぬこともあると聞き及んでおります」
「その通りじゃがな、この赤く光る茸は、食うとしびれて痛みもかゆみも感じなくなる、しかし頭ははっきりしておる、歩くのはちょっとおぼつかなくなるが、なんとかなる」
確かに、楠の木にその茸は生えていた。
「赤く光るので赤月とも呼ばれておる」
喜左衛門は籠に一つとった。
「今日、ちょっと食して見てくださらんか、このようになると言うことがおわかりになるじゃろう」
さらに、無感もたしの生えている楠木の周りには、真っ赤な茸が生えていた。冷やしもたしである。
「これは熱冷ましとも呼ばれ、解熱剤に使う茸であるがの、うまく使えば自分の熱を亀や蛇のように冷たくする、死んだようにと言った方が正しいかの」
「それはどのようなことでしょうか」
「冬眠る生き物と同じようになるのじゃ」
屋敷に戻った紫門に喜左衛門が赤月を渡した。無感もたしである。
「食事の後に、これを半分食してみてくだされ」
「わかりました」
「それと、鍵茸はあまりはやくから食べるのもつらいであろう、お腹を召される十日ほど前からにいたすことにしよう。他のものを食してはならず、それだけを食べなければならぬのでな」
その夕、紫門は赤月を半分食べた。半時すると、足の裏が何か不思議な感触になった。そのために、歩くとちょっとよろける。自分の手の甲をつねってみた。ほとんど痛みを感じない。しかし床につく頃にはもとのようになっていた。切腹の前の日から食べろと言うのは、切腹から次の日の間までずーっと痛みがなくなるということなのだろう。
それから毎日裏山に登り、茸について学んだ。草守家には茸の図譜がたくさんあり、食えるかどうかだけではなく、その働きも書いてあり、紫門の頭の中には実物とその効能が記憶されていった。ときどき原助と数平がついてきていろいろと教えてくれた。
こうして、時は過ぎ、切腹の十日前より紫門の食事は鍵もたしだけになった。七日前からは保ちもたしと冷やしもたしを鍵もたしに加えて食べた。
翌朝、切腹の日である。草守の家には、介錯をする者、滞りなく行われたか検証する者らがあつまり、切腹の様子を見守ったである。
紫門は本にあるように前の日にはすべての茸を食し、その日の朝には無感もたしと保ちもたしを食した。自分で自分の腹の皮をひねっても痛みを感じない。これならばいとも簡単に腹を切れる。体もなにやらしっかりとしており、自分のものではないような気すらする。
白装束になった紫門は前をゆるめ、草守に渡された刀に懐紙を巻き、腹に当てた。
「さらばでござる、介錯は入り申さぬ」
ぐぐぐっと、腹に刺さってくる刀、真一文字に切りさくと内蔵が離れていくのがわかる。次に上に向かって刃をあげていくと意識は薄れた。
そのとき介錯に来ていた若い侍は、何か血迷い、紫門の首を切り落とした。
喜左衛門はびっくりして止めようとしたが遅かった。
「本人はいらぬと言ったではないか」
喜左衛門が若い侍に言った。
「も、申し訳ありません、苦しそうに見えましたので」
紫門の首は半分ほど切られ、前に垂れ下がり、体が倒れた。
「しかたない」
様子を見ていた城の者たちも、「いや、介錯なしでもご自害なさっているであろう、立派な最後でござるな」と感服した。
「後は私の菩提寺に無縁仏として葬ります」
その草守の言葉に、
「よろしくたのみます、紫門殿の見事な最後を殿にご報告つかまつる、草守殿もご苦労様でござりました」と見届け役の者たちは屋敷を去った。
草守は原助と数平を呼び、布団に寝かした紫門の腹の傷に繋ぎもたしを当てた。
「面倒なことだ」
と言いながら、首にも繋ぎもたしを当てると、頭を持ち上げ、「志保、首に晒しを巻いてくれ」と指図をした。
草守が紫門のからだを支え、志保が首にさらしを巻くと、首からでていた血も止まり、白かった顔に赤みが差してきた。
「さて、明日になれば生き返るであろう、志保、朝に泉の水を飲ましてくれ、それでも元通りだ」
紫門は生き返った。
「どうであった」
「腹を切ったときには腹の中がなにやら騒がしく感じられましたが、首を切られたときにはあっと言う間に目の前に川が現れました。きっと三途の川に違いありません。舟が一艘ありましたが、そこから船頭が降りてきて「おまえ様は乗せるわけにはいかぬ、茸神の札が額に張ってある」そう言って、さらに、「あの林の中の茸洞窟を通って、帰れ」と河原の先の林を指さしました。
そうして、このようにして私は戻ってまいりました」
「なに、茸神とな、して、そのとき、そなたはどのような格好をしていたのであるかな、白装束であったか」
「そういえば、わたしは紅い神主のような衣装を身につけておりました」
「なんと、神主とな、うむそうか」
「なんでございましょう」
「死んで帰ってきた者は未来の自分の姿を見るものなのじゃ」
「私が神主にでもなるとおっしゃるのですか」
「どうもそうらしいのう、儂が生きているうちに、この山の中腹に神社をしつらえるとしよう、そなたが神主じゃ」
喜左衛門は自分でうなずいた。
「さて、そなたが生き返ったことを城に伝えてまいる、すぐに昨日の者たちが見に来るが、そなたはなにもしゃべるでないぞ」
紫門はうなずいた。うなずいたとき、ちょっと首が横に曲がった。その様子を見た喜左衛門はあわてた。
「あややや、わしゃ、失敗をしたようじゃ、申し訳ない、紫門殿の首を少し曲がったままつけてしまったようじゃ」
紫門はもう一度首を垂れた。確かに少し曲がっている。
「草守様、大丈夫でございます、このくらい」
「我慢してくだされ」
草守は城に行き、昨日見届けるために来た者たちがあわててやってきた。
布団に寝て、目を開けている紫門をみると、これまた驚きの声を上げた。
「なんと、首を切った者が生き返るとは」
「運が良かったのでしょう、ただ、首が少し曲がっておる」
喜左衛門が言う。
「こんなことがあるだろうか、首が曲がってついたのでござるな、一度切れたことの証である」
あまりの不思議な出来事に、城でもっぱらの噂が飛んだ。話は町にも広がった。
すぐに殿のご沙汰がくだった。もう一度切腹を仰せつけることはできぬ、新たに生まれたものとしてあつかうようにという下しである。
「紫門殿、予定通り、もう切腹はない、新しい人生を歩むのだ」
「ありがとうございます」
「しばらく養生してくだされ、それから一年ほど薬師の技をお教えするのと、薬の作り方を伝授いたす。その後に儂の養子になってほしい」
「草守殿のおかげでございます、それにしても不思議な茸でございます」
それから、山の中腹に紫門神社が建てられ、死んだ者が生き返る神社として全国からお参りに訪れる人がひきも切らなかったという。
紫門は草守の養子となり、紫門神社の神主として忙しい日々をくらした。神社を訪れた人は茸を調合した長生きの薬を買い求めた。それがあらゆる病によく効くという評判をとり、訪れる人はますます増えた。
しかし、紫門は嫁をめとったが、子宝には恵まれず、原霧もたしの調合は世の中にでることはなく、途絶えてしまった。長生きの薬は原助と数平にまかせていたこともあり、よく効く薬として、末永く伝わっていったということである。
「茸童子」所収 2020年自費出版予定 一粒書房
原霧(げんむ)もたし