いつかの宝物は君に
支え続けてくれている多くの人へ。
あなたたちはたくさんのことを教えてくれた。
たったひとつの感謝と共にこの作品を綴る。
愛している。
――皇島氷湖
0.原風景
記憶の原初の映像は、色とりどりの花が咲く公園の景色。
大好きな両親と、2人の仲良しな姉たちと一緒に歩いている。
末っ子だったぼくは当時4歳、いつも何かに集中し、そして何かを観察する。
観察している間は、自然と意識が周囲に向かないため、大人たちが抱く印象は『静かな子』だった。
観察だけでは飽きてしまうため、いつもとりとめのないことばかりを想像して膨らませていた。
例えば花。花を見る時、必ず花の形・色・匂いと、花とあまり関わりがない何かを繋げていたのを覚えている。
「――ひろとくん」
誰かの声が直接響いて聞こえて、ふと周りを見渡した。
でも両親はベンチに腰掛けて笑い合い話しているし、
姉2人は芝生の上にひいたビニールシートの上でお菓子をつまんでいる。
ふと、ぼくは空を見上げる。
移り変わっていく雲――形が常に変化し続ける。
あるときは犬、あるときはヨット、あるときは三角形のおにぎり。
その形状の時間的な変遷を、ぼくは絶え間なく感じ取っていた。
1993年5月、ぼくたち家族は海が一望できる、地元の人気スポットの公園に来ていた。
黄色い蝶々がひらひらと舞い、その軌跡を眺めたり、実際に少し追いかけたり。
「ひろと、ご飯たべよう!」
姉たちに呼ばれ、両親も集まり家族みんなで揃って昼食を取る。
そのときに、みんながワイワイ話している姿ににんまりしながら
ぼくは5歳なりに素直に抱負を語る。
「ぼくね、大きくなったら、でーーーっかいおうちたてるの!」
両親と姉は、そのぼくの抱負を聞いて、微笑ましく笑う。
「ひろとにはいっぱい稼いでもらわなくちゃね!」
上の姉が調子よくそんな事を言う。
「んー大きい家かぁ。わたしも住もうかしら」
下の姉が少し思案しながら便乗しようとそんな事を言う。
「わたしが結婚するよりひろとが先に結婚しそうで怖い」
「どんだけ先の話よそれ!あーでも、なんだかそんな気がしてきた……」
将来に対する不安に塗れる2人の年の離れた姉をよそ目に、
母がそそくさと鞄の中から手のひらに何かを差し出した。
「これってなんだろなんだろな~?」
「チョコレート!やったー!」
嬉しさのあまり、ぼくは歌を歌いだす。
「カバンの中にはチョコレートが3つ♪
もひとつ叩くとチョコレートが8つ♪」
姉2人と両親が不思議そうに聞いてくる。
「なんで8つなんだ?(なの?)」
ぼくはチョコレートを片手に地面に文字を描いて伝える。
「『2』つの耳で聞いている♪
向かいあったらハートだよ♪
向かいあうのはハートだけれど♪
くちぶえふくのは3~♪でしょう♪
『3』ははてさてどうなるか~♪
向かいあったらちゅーをして♪
2人の間はきっとひかりかがやく♪
反対向いて背中をあずけ♪
つたわったら~広がる歌の輪♪
3と3が重なって~♪
重なったら~ひびき合い~♪
『8』になって褒められよう♪
8になったらどうなるか~♪
もひとつ輪っかをあげましょう♪
そしたら3つの輪になって~♪
1がまっすぐお団子だ~♪
ぽんぽこな~♪」
「また始まったぞ、例の歌」
「何言ってるかさっぱりわかんないけど、遊んでいるのよ」
「誰が教えたんだろうな。まったくひろとにはかなわん。ははは」
「ささ、ご飯も食べたし休憩したらちょっと海まで行きましょう?」
平凡でありふれていてどこにでもある家族団らん。
最古の記憶は、そんな絵に描いたような幸福な記憶でした――。
木で羽を休めるカラスの目は、じっとその家族の風景を捉えていた。
そんな幸せは長くは続かない、そう知っていたならなにか変わっていたのだろうか。
その答えは今はまだ誰も知らない。
1.収穫祭
西暦1994年11月24日。
東北の周囲を田畑に囲まれたとある田舎町。
家から下った先には桜並木があり、春には祭りで人が賑わいを見せる。
下った先とは反対の方角にある山々では、今は黄色、赤色、オレンジ色の見事な紅葉が眺められる。
そんな自然豊かな山の麓に建つ見晴らしのいい一軒家。
その2階で、白くなっていくカーテンから朝陽が差す。
この国――日本の『王子』と呼ばれる子が目を覚ましていた。
ぱっちりと開かれた目に、長いまつげ、薄い眉。
その子供の名は、笹川優人(ささかわ ひろと)。
家族からはひろと、親戚にはひろちゃん、学校ではひろくんと呼ばれている。
実際の年齢は3ヶ月ほど前に6歳になったばかりだが、
とある事情から7歳になったことにして、4月から小学校に進学していた。
「ふぁ……」
欠伸をすると同時に小鳥のさえずりが窓を叩いて耳朶を打ってくる。
それは朝が弱い優人にとって脳を目覚めさせるのに丁度いい音量だった。
「ひろとー!降りてきなさい!ご飯だよー!」
母――笹川彩音の声が家中に響き渡る。
いそいそと服を学校用に着替え下の階のリビングに降りると、
姉2人――笹川ひとみと笹川しずえが出発の準備をしていた。
「おねえちゃんたち、朝はやいよぉ…」
「「わたしたち部活の朝練あるから!じゃ!」」
ひとみは8歳上の早生まれ、しずえは7歳上の姉である。
年が離れているがゆえに優人のことをマスコットのようにかわいがっている。
しかし今日は部活の朝練のために、7時に家を出発するらしい。
「ひとみおねえちゃん、みんなで買ったお守り忘れてるよ!」
「あー!ひろと!ありがとう!行ってくる!」
「あ、これしずえおねえちゃんのリップクリームじゃない?」
「あー!ひろと!ごめんありがと行ってくる~!」
「朝から騒がしいわねまったく!」
彩音はため息をつくと、優人の分の目玉焼きを焼き始めた。
「……俺のぶんも早くな」
父――笹川忠男が朝食を待ちくたびれたと言わんばかりの表情で新聞を読んでいた。
―――――――
優人は登校の集合場所である神社の前に早めに到着した。
「おはようございまーす!」
優人が元気よく先に集まっていた、登校が一緒のメンバーに挨拶をすると
「おはよー!」
同学年の利発な女の子――山口あかりが元気よく挨拶を返す。
「ひろくん、今日は収穫祭だよ!」
「そうだねえ…」
「ひろくんは収穫祭で作るものなにかちゃんと覚えてるよね?」
「覚えてるよ~!カレーとけんちん汁でしょ?」
「よろしい!」
「お母さんみたいなこと言わないでよぉ」
「わたしひろくんのお母さんじゃないんだけど?」
語気を強めて言うあかりに、優人がたじたじになる。
「ご、ごめんね……」
「うふふ、ゆるしてあーげない!」
そんな様子を見ていた上級生の女子が人知れず、
「この2人尊い…」などと言っている間にメンバー全員が集まり、
元気よく登校を始めた。
山口あかり――優人の家から更に麓に下った最初の家に住んでいる女の子。
時々、優人がいようがいまいが笹川家に上がり込み、ババロアや洋菓子をご馳走になる。
ひとみとしずえからの信頼も何故か?厚く、まるで家族のように笹川家では扱われている。
身長は同学年の女の子としては低く、そのかわり思い立ったらすぐ行動するタイプである。
―――――――
優人たちが学校に到着すると、もう収穫祭の準備が始まっていた。
「すごい、体育館の外にあんなに大きな鍋がある!」
「あ、お母さんたちだ。頑張って作ってる!」
優人が目を輝かせていると、
「まだかなまだかなー♪美味しいけんちん汁まだかなー♪」
「あかりちゃん、食べることだけだね…」
「さ、ちょっと手伝いに行くよ!一緒に来て!」
「はーい…」
仲良し?の2人をやはり教師たちは微笑ましく見つめるのであった。
――やがて昼食の時間になり、食べ終えた頃。
「もうすぐ下級生は帰る時間だけど、あかりちゃんも一緒に帰る?」
「ごめん、今日はちょっとその…親戚の人が送ってくれるから……」
珍しく歯切れの悪い返答に、優人は違和感を覚えた。
しかしまだ6歳の優人には、その違和感が何か分からなかった。
「わかったー!じゃあ先に帰ってるね!」
「うん……、気をつけてね」
「お母さんに挨拶してくる!お母さーん!」
「あら、先に帰るの?片付けが終わらないから先に歩いて帰れる?」
「うん、大丈夫!」
「はーい、気を付けて帰るんだよ」
「うん、わかったー」
そのまま教室に行って荷物を取り、校門から優人は歩いていく。
11月にしては無風で日照りの強い日だった。
校門を出て最初の曲がり角に差し掛かった時――1台の黒塗りの乗用車が歩く優人の隣に止まった。
左側のパワーウィンドウが開き、そこからサングラスを掛けた中年の男性が声をかけて来た。
「あんちゃん、乗っていくか?」
2.交通事故
「あんちゃん、乗っていくか?」
左側の前座席から顔を覗かせた中年の――いかにもヤクザのような顔つきの中年男性が、優人に声をかけて来た。
突然の声かけに優人は少し驚き、言葉を詰まらせてしまった。その時浮かんだのは、恐怖よりも疑問であった。
学校で近頃不審者が声掛けをしているというのは担任の教師から聞いていたが、まさか自分が的になるとは。
しかしそれ以上に気になったのは、中年男性の表情である。
まるで優人の中の何かを試すかのような、少しニヤついた挑戦的な表情をしていたのである。
後部座席を見ると、1人の女の子が乗っていた。まるでお人形のようなくりくりした顔の、黒髪のおかっぱ頭の女の子。
こちらを少し見て、目が合ったのもつかの間、その同い年くらいの女の子はまっすぐ前方に視線を移した。
少し間が空いたため、中年男性が声をかけてくる。
「で、どうするんだ。乗るか?乗らないか?」
「自分で歩いて帰れます。だいじょうぶです」
はっきりと遠慮する旨を中年男性に言うと、
「そうか、なら大丈夫だな。わかった」
中年男性は車のパワーウィンドウを閉じて、車を発信させる。
優人はさらなる疑問を感じた。
(ならいいってどういうことだろ…?)
『そうか、なら大丈夫だな』ということはまるで乗ることを拒否されて納得したということ。
はじめから拒否されることを望んでいたかのような、そんな口ぶり。
(なんかへんだなあ。だれなんだろあの人…)
考えながら優人が歩いていると、すぐに横断信号に差し掛かった。
信号が赤だったため、横断歩道の前のスペースで優人は止まる。
先程声掛けをした黒塗りの(おそらく高級車であろう)乗用車も右側の停止線で停まっていた。
空は今日も雲がとりとめもなく形を変えて、何かを悠然と語っていた。
「おい」
呼ばれる声がして、後ろを振り向くと、1人の少年が立ってこちらを見ている。
色白の、整った綺麗な顔をした少し長めの髪をした、優人よりも少し背が高い少年で、何故か優しく笑っているように見えた。
『だれですか?』と聞く前に、黒塗りの車から女の子が勢いよくドアを開け、横断歩道に飛び出した。
「えっ」
女の子の視線の先には、いつの間にか横断歩道を歩いている黒猫がいた。
「まさか、ネコを助けるために飛び出した?」
と思ったのもつかの間、突然、赤色のワゴンが、左側の住宅地で見えないゆるい曲がり角の奥から飛び出してくる。
時速90Kmは超えていただろうか。恐ろしいほどエンジン音が唸りを上げている。
「まずい!」
後ろの先程声をかけた少年が声を上げる。
優人は女の子を助けるため地を蹴り走り出した。
優人のほうが横断歩道側にいたため、少年よりも早く足が出た。
「危ない!逃げて!」
「えっ」
女の子は黒猫を抱きしめながら驚きと恐怖のあまり動けない。
優人はぶつかるであろう時間よりも早く女の子を突き飛ばす。
幸いにも、その勢いで優人自身も横断歩道の半分より向こう側まで行く。
勢いをつけて走っていた車は、その後急ブレーキをかけ停車した。
「だ、だいじょうぶ?」
「え……あ……」
恐怖から開放された衝撃で、うまく女の子は話せない。
気が緩んだのか、女の子の黒猫を抱きしめる腕の圧迫が弱まり、黒猫は近くの木の向こうへ逃げていく。
「けがしてない?痛くない?」
「う…、うん。だいじょうぶ…」
「よかったぁ…」
ホッとした表情で優しく笑う優人。
「きみ、けが、してる」
変な体勢で横断歩道の半分より先にスライディングのような形で突っ込んだため、
左足の内側という普段怪我しないであろう部位をズボン越しに擦りむいていた。
「血、でてる…」
「だいじょうぶだよ、いたくない。へっちゃらだよ」
大変な目にあったのにニコニコとよく笑う子だな、と女の子は優人を見て思った。
2人の間に沈黙が流れる。
「おい、だいじょうぶか!?」
先ほど優人の後ろにいた少年――こちらは優人よりも年上だろうか――が駆けつける。
「うん、君が叫ばなかったらボーッとして気づかなかったよ」
「警察に電話しないと…。あ、そこの乗用車の人に頼もう!」
少年が乗用車に向けて走り出そうとしたその時。
「バンッ」
赤いワゴンから、私服姿の人たちが勢いよく車から降りた。
私服姿のいかつい顔をした男3人。1人はナイフ、1人は金属バッドを持っている。
子供3人の感覚に警鐘が鳴る。もしかしてこれは――。
あの人達もしかして、と子供たちが考える間もなく、
「このガキたちを全員殺せえええ!」
運転手らしきナイフを持った男が叫ぶ。
下校時刻だと言うのに、収穫祭の後片付けのため、
運が悪く保護者は誰も横断歩道の近くにはいない――。
少年は緊張しながら考える。
(男3人までの距離は目算30メートルほど。
しかも大人と子供の足の速さは桁違いだ。
逃げても十中八九殺される――。)
「殺せ殺せ殺せーーー!」
と男たちが叫ぶと、黒塗りの車から怒鳴り声が聞こえた。
「おい子供たちに何しようとしてんだ!」
勢いよくサングラスをかけたスーツの男の人たち2人が黒塗りの乗用車から降りると、
子どもたちに向かって駆け出した。
「ちっ!会の奴らか!」
「どうせ3対2だ!行け!」
子供たちの前にスーツの男の人達――おそらくは味方であろう人たちが立ちふさがる。
「おいお前っ!」
少年はとっさに優人と女の子に大声で言った。
「2人で逃げて助けを呼んできてくれ!」
「これ、どういうこと?」
優人が緊迫した空気を感じながら言葉を返す。
「どうもこうもない!これは交通事故に見せかけた『計画殺人』だ!」
「え…っ!」
優人は、自分たち3人が殺されそうになっていることを知った。
「じゃあ、君もついてきて!一緒に逃げよう!」
そういった瞬間、金属バッドを持った1人がスーツの男たちをかい潜って少年に襲いかかってきた。
少年は縦に振り下ろされたバッドに対し、横に飛んで間一髪避け、男と距離を取る。
「早く行け!死ぬぞ!」
「……っ!君、あそこのバスの停留所まで一緒に逃げよう!」
女の子の手をとっさに握り、2人で停留所まで逃げていく。
女の子は青ざめた表情で、しかし必死に優人についていく。
100mほど離れたバスの停留所まで走り、2人は中に隠れる。
優人は女の子に向かって、顔を近づけ、しっかりと目を見て言った。
「君は、あそこの家の人に助けをよんできて」
「えっ…。君は…?」
青ざめた表情から立ち直れない女の子は、震えながら言った。
優人は必死に逃げ回る少年を指差し、
「ぼくはあの人を助けなきゃ!」
「そんな…!死んじゃうよ!」
「でも、このままじゃあの人は死んじゃう」
「そんな……」
優人は女の子の肩を掴んで言った。
「おねがいだよ!助けを呼んでこれるのは君だけだ!」
「君も死んじゃう!」
女の子は叫ぶ。
「バッドを持ってた!殴られたら死んじゃう!」
叫びを聞いて、優人は無理やり笑いながら言う。
「だいじょうぶ。殴られて記憶がなくなったって、また君を守る」
女の子は自身が怯えて足がすくんでしまっていることに初めて気がついた。
(この子は、わたしを、落ち着かせようと必死になってる)
(いま、わたしにできることは――)
「……っ!わかった!呼んでくる!」
優人はその言葉を聞くとすぐさま道を戻ろうとする。
女の子は涙を浮かべながら、
「だけど…しなないで…生きて帰ってくるんだよ?」
「うん!もちろん!」
優人にはいつの間にか勇気が湧いていた。
停留所までの道を逆走する優人に背を向けて、女の子は民家に向かって走り出す。
(お願い!どうか助けて!)
優人が乱戦模様の現場に近づくと、
少年は息が上がってきた隙を狙われ、
ついに左腕を金属バッドで殴られてしまった。
「うああああああ!」
痛みにのたうち回る少年。そこに更に追い打ちをかけようと、
男が再度頭をめがけてバッドを振り下ろそうとする。
「させないっ!あああああっ!」
優人は走ってきて後ろから男のふくらはぎに思い切りの良いケリを入れた。
「いってえええぇぇぇ!」
男は予想外の奇襲を受け痛みに悶えた。
すぐさま優人は少年に駆け寄る。
少年は痛みを必死にこらえながら叫ぶ。
「おまえ!なんで戻ってきたんだ!」
「見捨てられないからだよ!」
「一緒に死ぬ気かバカ!」
「しなない!一緒に生き残る!」
優人は実際の男の殺意に恐怖を感じ、足が震えている。
しかしその目は、目以上に勇気を語っていた。
「早く逃げろ!おまえが来たって死ぬだけだ!」
バッドの男は立ち上がると、
「このガキッ!殺してやる!」
足を引き釣りながらバッドを振り上げ襲ってきた。
優人は全力で男に走って向かっていく。
(このバカは死ぬのが怖くないのかっ?)
少年は驚いた表情で優人を刮目する。
「うりゃああああっ!」
「ぐぁっ!」
優人の気迫に一瞬押された男が、その隙を突かれて思いっきりタックルを食らう。
優人の体にもぶつかった鈍い痛みが走る。
男はぶつけられた箇所が悪かったのか、
優人が6歳にしては大柄なほうだったのが幸を奏したのか――男は蹲ったまま動けない。
優人は若干ふらつきながら少年に右手を差し出す。
「一緒に逃げよう!」
「おまえ…」
勢いに押されて少年が手を差し出そうとした時、少年は男が立ち上がるのを見た。
「危ない!」
少年は握った手を思いっきり引っ張り、優人を斜め後ろにぶん投げた。
「2人のガキはッ!殺すっ!」
金属バッドが少年に向かって思い切り振り降ろされた。
とっさに負傷した左手でガードするも、あばらまで衝撃が響く。
「あああああっ!」
少年が痛みに震える。優人は怒りに震えた。
「やめろおおおおっ!」
しかし優人は体に力が入らない。先ほど仕掛けたタックルのダメージが残っていた。
とっさに優人は戦うことを諦め、少年の側を向いて仁王立ちする。
「あああっ!バカッ!おまえ!やめろおおおおっ!」
少年は叫ぶが、優人は人を守る決意に溢れた目で、少年を見た。
「君は、生きて」
――その目は優しく笑っていた。
それは、死の恐怖を乗り越えた男の目だった。
「「「ガンッ!!!」」」
右側頭部から、鈍い音がして、優人が倒れた――。
「……」
「ははっ!やった!会の奴らが大事にしてるクソガキをようやく殺せたっ!」
「……………」
「はははははっ!ははははっははは!」
「……………………………おい」
「あ?なんだ?まだ生きてたのか?お前も殺してやるぞ、いますぐにな。」
残りの男2人は、スーツの男たちと交戦中のようだ。
「おまえ、ころしてやる」
そう言った少年の目は、悲しみとも憎しみとも言えない、無。
しばらくその少年と金属バッドを持った男の間に静寂が流れる。
「おいっ早く始末しろ!そのガキは生かしておくと面倒だぞ!」
ナイフを持った男が叫んだ。しかし、その叫ぶタイムロスは無駄だった。
スーツの男の1人が、残りの男のうち、ナイフを持っていた男のナイフを蹴り飛ばす。
そのナイフは何の因果か、少年の前まで回転しながら飛んでくる。
目の前で止まったナイフを見て、少年は暗い笑みを浮かべた。
「これで、ようやく対等だ」
ナイフを手に取り、フラフラと立ち上がる少年。
その目は――殺意を内包していた。
「な、なんだ…?悪魔…?」
「うあああああああああああああ!」
一瞬のことだった、負傷した少年のあらんかぎりのただの全力突進。
しかし、これが痛みと死の恐怖に負けた者と飼いならした者の差か。
刹那の交錯のあと、バッドを持った男の心臓部にナイフが深々と突き刺さっていた。
「あががあああああああああああああ!」
男は痛みにのたうち回り、しばらくして絶命した。
他の男2人もどうにかスーツの男たちが取り押さえたが、スーツの男たちも痣だらけだった。
「お前たち、何をしている!」
女の子が呼んだ民家の人が連絡したのだろう――交番のパトカーがサイレンを鳴らして向かってきた。
交番のパトカーから降りてきた警察官に、
我に返った少年は自分の痛みを耐えながらも棚に上げ、
ただ泣いて優人を抱えながら必至に叫んだ。
「こいつを助けてあげてくれ!お願いだ!!!」
ほどなくして救急車が到着し、2人の少年が病院に搬送された。
1994年11月24日。
クリスマスの1ヶ月前に貰った赤いプレゼントは――。
血塗られた赤い糸だったのかもしれない。
この翌日の新聞の片隅には、小さく見出しが記されていたという。
『小学1年児童1名、前方不注意のトラックに跳ねられ重体』
いつかの宝物は君に