明日の朝は必ず魅せます

飛行機が羽田を離陸して新千歳空港に向けて進んでいた。空はどこまでも青く、眼下には緑の山脈が広がっていた。わたしは水筒を鞄から取り出して、温かいコーヒーを飲みながら、客室乗務員の美しい白くて長い腕を眺めて、なにか、造形美を魅せられているような気がして、千円払う価値があるなと思った。たぶん、それは飛行機代に含まれているのだろうと、微かに口を歪めて笑った。隣の席に座っているマダムは真っ白な頭髪をしていて、気品に満ちた、優雅な衣服を着ていた。まるで血の色をした高価な服で、きっと、見積もって、五十万は下らないものであろうことが、婦人の所作で理解できた。わたしはユニクロのブルージーンズに鼠色のポロシャツで、ニューバランスのシューズを履いていた。しかしわたしの腕にはパテック・フィリップの高級腕時計をつけていて、札幌の住宅にはフェラーリが車庫でわたしの帰りを待ちわびていた。
美しい客室乗務員が飲み物を配っていて、わたしはリンゴジュースを頼んだ。ジュースを渡される時に、美しい指先に触れて、とても冷たかったことに、なんだか、彼女も生身の女性なんだなと思い、くすっと笑って、その客室乗務員に話かけた。
「とても冷たい手をしているんですね」
客室乗務員はなんと答えていいのかわからなくて、にっこりと微笑んだ。その微笑が、慈愛に満ちたもので、わたしは彼女のことがますます気にいった。わたしは小説家として、彼女に話しかけた。
「名前は何と言うんですか?」
「わたしですか?南かすみ、と言います」
「あなたのお名前を使ってもいいですか?」わたしは財布から名刺を取り出して、彼女に渡した。
「作家の練井恵さんですね。小説読んでいます」
「よかったら、今度、お食事でもしませんか?」わたしは断られることを承知で言った。
「ええ、是非ともお願いします。わたし、あなたの小説について知りたいことが沢山あるんです」
「お住まいは何処ですか?」
「東京都内です」
「来月の日曜日は空いていますか?」
「はい、日曜日は非番なので、大丈夫です」
彼女の陶器のような、美しい肌が輝いていて、わたしは素直に美しいと思った。
「よろしかったら、携帯の番号を教えてもらっていいですか?」わたしは鞄からペンを取り出した。彼女はゆっくりと携帯の番号を告げた。
「ありがとう、また会える日を楽しみにしています」わたしはにっこり笑った。彼女もにっこりと笑って去っていった。彼女の姿が消え去るまで、わたしは見送った。
飛行機が新千歳空港に到着すると、わたしは席を立って、南かすみの姿を探した。でも見当たらず、そのまま、飛行機から出て、彼女の残像を脳裏に明確に刻んでいたので、安心した。
快速エアポートで札幌駅まで行くと、そのまま自宅に帰らずに、居酒屋で酒をゆっくりと飲むことにした。ハイボールを注文して、焼き鳥と刺身の盛り合わせを食べて、心地よい雰囲気の店内に気分を良くした。
食事を終えて、札幌の街並みを自宅まで歩いた。まだ少し涼やかな風が心地よく、ほてった身体を冷ますのに都合がよかった。まだ観光客が大通り公園で涼んでいて、テレビ塔が七時十三分を指していた。
自宅に着くと、ソファーに座ってステレオでビートルズをながした。目を瞑り、これまで出版社で話し合った事柄を反芻して、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して、コップに注いで飲んだ。
南かすみのことを思いながら、彼女が特別な存在として、キャンバスに映し出された。まだ、彼女の外観しかイメージが浮かばなかった。彼女の内面は、南かすみの心はどんな思いで満たされているのだろう。そのことが知りたかった。
わたしはパソコンを起動して、小説を書き始めた。明日はきっと彼女に電話をするだろう。しかし、何を話せばいいのだろう?わたしは知った。それは、わたしが彼女の陶器のような美しい肌に吸い付くことを唯一の楽しみにしていることを知ったからだ。何を話せばいいのだろう。

明日の朝は必ず魅せます

明日の朝は必ず魅せます

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-30

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