落ち零れダディーとヤンキーマミーの舞台裏

妻との出会いから始まり、訳あり同士の再婚。子供達の喧嘩、そして兄弟愛。広島から九州の離島へと引越して始めた商売の失敗に不安を憶える妻。
夫婦・家族に関わる様々な人達の暖かさ・冷たさ・厳しさ・儚さなど数々の経験の中で翻弄されながらも強い意志を貫き通す家族愛。
インスタントに出来た六人家族があっと言う間に七人家族、大きな愛・抱える問題・壁を乗り越える絆はどこにも負けない家族。
裕福ではないけれど笑いと涙に満ち溢れ、貧乏を脱出しようと足掻きながら秀太郎と麗子は貧乏ならでわの楽しみ方を味わっている。
家族を舞台にした実話ををもとに描かれた喜劇でもあり悲劇でもあり、それは捉える見方次第で変わる物語です。

   序章  人生劇場開演

 バツイチ、子持ち、再婚、無職、それが今の私です。
 どうしようもない男を想像される事でしょう。
 ですが、私には大切な家族があり、夢もあり、返さなくてはならない恩を受けた恩人達が、回りにたくさんいます。
 その昔、テレビの学園ドラマで言っていた有名なセリフで、
『ハイ、皆さんいいですかぁ?人という字はぁ…。』
というのがあり、今でもよくバラエティー番組などでモノマネされたりしていますけど、アレ本当にそうです。支え合ってこそ人なんです。
 私は、四方八方から支えられて生かされています。
 はじめに申し上げたように、ダメ人間な私を支える家族の物語です。

    第一章  浮気発覚秘話

 もう十年も前のことです。
 わたくし、原田 秀太郎は31歳。
 携帯電話という便利な物を手にした私は、当時は普通のマイホームパパで、回りの同性からも異性からも羨ましがられる生活をしていた。
 仕事は、長距離のトラック運転手をしていて、週に2回しか家に帰れず一週おきに週末は石川県の金沢に泊まりだった。
 そのままでいれば、人生も変わっていたのだろうけど、それは全く後悔していない。
 便利と思っていた携帯電話が私に罰を与えたのだ。というか、馬鹿です。
 1人になる時間が多くなると、つい魔がさして携帯をポチポチ。ご想像どおり出会い系サイトです。浮気と言えば浮気ですけど、浮気に対しての価値観は人それぞれでして、前妻の言い分は私のしたメール遊びはセックスに匹敵するという事で、私は相手と会った事もなければ、ましてやセックスなど…。
 必死に謝り弁解を繰り返し、なんとかやり直す方向で考えて話し合ったのですが、根本からの考え方の違いや、私も若かったので何とかなるだろうと離婚を選んだ。
 ここまでの話では、ドロドロ展開みたいだが、お互いによく気の合う前から知っている友達みたいな感覚で接すると、割と楽しい家庭内別居を続けていた。
 そこで、問題になったのは、子供の事。
 そんな家庭環境で子供たちを育てるのは、良くないと判断した私たちは、本当の別れを決意し子供たちを並べて、あまりショックを与えないようにオブラードに包みながらも、
まだ幼い子供たちに残酷な選択を迫った。
 兄の宏次(こうじ)は八歳、弟の拓哉(たくや)は六歳で泣きながらも、私を選んでくれた。
 経済的にも、それは間違いではなかったと今でもずっと自分に言い聞かせている。
 しかし、困ったことに家を留守にして子供たちだけにするわけにはいかないので、トラックに乗り続けるのは不可能、だが何か仕事をしなくてはと、探していると友人からアルバイトを募集している居酒屋を紹介され、面接に行くため履歴書を書いたのだった。
 幸い、私は自分でいうのもなんですが、料理が得意だったのもあり、家から近いのがなんと言っても決め手だった。
 すぐに面接をしてもらい、事情を説明してその日から働かせてほしいと店のマスターに頼み込むと、その意気込みを買ってくれて快く働く事を承諾してくれた。
 後に、このマスターとの遊びが私の人生を大きく変えたのだ。
  
  第二章  凄惨結婚生活

 同じく10年前、少し離れた場所に不安を抱えながらも明るく元気に人生を楽しんでいる女性がいた。
 彼女も私と似ている境遇にいて、バツイチ子持ちだった。
 波乱に生きてきた彼女の物語です。
 私は槇本 麗子、女盛りの30歳です。
 私は、子供の頃から体が弱く、喘息を患っていたので、両親には大変心配をかけてきました。
 頭も要領も良い姉とは何かと比較され、ヤンチャをしていた地元で少し有名な兄の影響もあり、中学に入った頃から徐々に非行に目覚めてきました。
 当時の私には、怖いものなどないと言っていいほど、無茶をしては警察のやっかいになったり、父を怒らせ母を泣かしていました。
 高校に上がるもすぐに辞めてしまい、16の夏には家も飛び出しました。まだ世間はバブル状態で景気もよく、今ほど法律も取締りも厳しくなかったので、家出をした未成年の少女が高収入を狙って働くには、水商売くらいしかありませんでした。
 私は、同じように何もせず遊んでいたいた友人と街をブラブラしながら、手当たり次第夜のお店のドアを開けてまわりました。
 見るからにガキだと門前払いする店や、暗がりの中にピンクの照明、いやらしい女性の声や酔っ払いの叫び声が聞こえる、瞬間にヤバイとわかる店など、怖かったぁと言いながらも笑いながら友人と街を練り歩きました。
 仕事探しというよりも途中からは、もはや遊びに変わっていたが、アレは忘れもしない9軒目のドアを開けた時でした。
 店内は明るく広くて、お客さんもいっぱいで賑わっており、店の外まで響き渡る笑い声に溢れていました。まさしく、これまで回って来た店とは明らかに雰囲気が違っていました。
 そこへ、カウンターの奥からお世辞にも夜の蝶と言うには程遠い、デップリとして、髪はパンチパーマが少し伸びたような金髪で厚化粧の昭和のおばちゃんが、
『いらっしゃ~い。入って入ってぇ。』
と、1番奥のボックス席へと私たちを促しました。
 それが、私の第2の母となる奈美ママとの出会いでした。
 もう私たちは雰囲気とママに圧倒され、冷やかしの態度も言葉も出ずに、ただプロのマシンガントークを聞いてるうちに、声をあげて腹筋がちぎれるほど笑い、いつの間にか緊張もほぐれていました。
 奈美ママは、私たちの事を少しも子供扱いせずに接してくれて、こちらから何も言わずとも大体の事情を察していたらしく、働くことを了解してくれました。
 そういう娘が何人も働きたいと店を訪れたそうですが、話をする時の私の目が人を引き付けるものを感じる、今までの娘とは何かが違うという曖昧ではあるが、とても嬉しい言葉をくれました。
 しかし、働くには条件をつけられ、それをクリアしないといけませんでした。
 その条件とは、一応まだ世間を知らない未成年ですから、両親に会わせる事と奈美ママに責任を持って預ける事を了承してもらえないと駄目よってことでした。
 その時点で、気の早い私はもう働ける気でいたし、奈美ママと一緒に仕事したくてたまらないぐらいまで、気持ちは昂っていたのです。
 問題なのは、頑固一徹な父と人一倍心配性の母を説得できるものかと、期待の反面私は半ば諦めていました。
 が、奈美ママは本当に凄い人でした。街からは少し離れた田舎に住む両親のもとへ、わざわざ出向いてくれ、話の途中涙を流しながら説得に力を入れてくれたのです。
『大事に育てた娘さんだというのは、充分存じております。私のような水商売をしている女を信用してもらえるとは思っていませんが、私に麗子さんを預けてくれませんでしょうか。私は店を構えている以上、逃げも隠れもしません。責任をもって麗子さんを一人前にしてみせます。娘のように厳しく可愛がらせて下さい。どうかお願いいたします。』
と、話を続けていると、母も泣き出すし、父も好きにしろっ!と、目を赤くして席を立ちました。
 奈美ママの演技とは思えない必死な勢いに私も、号泣しながらお願いをしました。
 母は奈美ママに、
『どうか、この子をお願いします。』
とママの手をきつく握り、声を震わせながら言いました。 
 父とは親子という長い付き合いなので、ハッキリと言葉にはしなかったけど、背中に気をつけろ、いつでも帰ってこいよ。と語っているのが私には、突き刺さるようにわかりました。
 その夜からお店に出た私は、華やかなイメージの想像とは違って、酔った大人の男の人との会話は弾むわけがなく、シドロモドロで泣き出しそうなのを我慢するのに精一杯でした。
 あるお客さんが、
『ウイスキーをロックで頼むよ。』
と言ってきたのですが、水商売の経験もなくお酒の知識もない私に、そのお客さんが追い討ちをかけるように、
『まだぁ?まさかロックを知らないの?』
 この一言に、負けず嫌いである私の目頭にあるストッパーが勢いよく外れたのです。
 見かねた奈美ママの取った言動はさすがプロでした。
『ゴ~メンね、今井ちゃ~ん。この子はねぇ、マレーシアから来たばかりで日本語はまだ勉強中なのぉ。名前はルーシーっていうから、可愛がってあげてね。でも、変な事したら私がただじゃおかないからねっ!』
と、眼光の鋭い笑顔で念を押していました。
 その日から私は、マレーシア出身のルーシーという18歳の女の子に生まれ変わり、お店を辞めることとなる3年間は外人で通すはめになりました。
 私は20歳を境にこれからの人生を見つめ直そうと就職を考えました。
 奈美ママは私を気持ちよく送り出してくれて、一緒に働いていたホステスのお姉さん達、常連のお客さんを呼んで、こんな小娘のために盛大な送別会をしてくれました。
 2時間が経った頃には、送別会というよりも、ただの飲み会に変わっていて、まだ皆が盛り上がっている中、奈美ママが私を店の入り口の方へ手招きして呼んだのです。
『麗子ちゃん。もう皆酔ってきてるし、あなたも疲れたでしょ。キリのいいところで上がっていいわよ。じゃ、これが麗子ちゃんに渡す最後のお給料ね。』
と言って、私の手に2万円を握らせ、お金が皺くちゃになるほど私の手を強く暖かくギュッと握ってくれました。その手は小刻みに震えていたのを今でも憶えています。
『いや、ママ、これは駄目です。私のために開いてくれた会だし、今日は仕事もしてないし、お客さんも呼んでないし、どっちにしてもこれは多すぎます。こんなに…。』
 まだ言ってる途中、奈美ママはさらに強く握りしめて、
『麗子ちゃんも私の性分をもうわかってるでしょ。私は出した物を引っ込めない。間違ったお金の使い方をしない。だからこのお金も間違ってない。ここにいる人達はあなたがわざわざ呼ばなくても、あなたに会いにきたのよ。今は皆酔ってるけど、心の中にあなたの思い出はずっと残っているわ。心配しなくても、麗子ちゃんに渡した以上に今日は儲かってるから。私は商売のプロよ。』
と、言いながら私の手の甲をパンパンと2回叩きました。
 深夜12時を過ぎたぐらいだったのと、次の日の朝が初出勤で早起きしないといけないのを考慮してくれて、
『さぁ、いいからもう行きなさい。朝も早いんでしょ。気をつけてね、いつでも遊びにいらっしゃい。』
 奈美ママはそう言って私の背中を押しながら、店を出ると同時に私のお尻を優しくパツンと叩いてくれました。
 翌朝6時には目を覚まし、軽く朝食を済ませ化粧をして、スーツに着替えると足早に家を出ました。
 生まれて初めて迎える社会人として、大人の朝といった感じで、とても清清しい第一歩でした。
 私の決めた就職先というのは、実家からもう少し山手にあるリゾートホテルで、当時は隠れ家的避暑地を売り文句に、たまにコンサートを終えたアーティストが訪れることも、しばしばでした。
 働き出して2年が経ちました。仕事も慣れてきて、私はチーフマネージャーという責任者に抜擢され気を引き締め直した頃に、ある男性と恋におちました。
 同じ職場で働く彼は、副支配人という役職に就いており、容姿も今で言う『イケメン』というのでしょうか、職場の女の子たちにもお客様からもスマートな接客、優しいエスコート、おまけに甘いマスクでモテない訳ありません。
 私もいい感じの人だなぁと少し気があったけど、付き合いたいと思うほどではありませんでしたが、その彼の方から告白されたから私は舞い上がってしまい、お付き合いをはじめる事になったのです。
 その後は、若かったのもありアクセル全開フルスロットルで話が進み、後戻りできなくなった状況の中で結婚ということになったのです。
 彼の実家は、瀬戸内海に浮かぶ小島にあって、島内でも名家と言われている家でした。
 私はその時すでに身籠っており、普通に嫁いだままでいれば、お金で苦労する事は一生なかったと思います。
 しかし、勢いだけで若さゆえの結婚生活は夢に見ていたものとは程遠く、辛く淋しく悲しい日々を送った方が多かったのです。
 島という独特の環境で、古くからのしきたりや嫁というものに対しての厳格な義父、亭主の言動に何ひとつ口答え出来ない島育ちの義母、なのに甘やかされて何不自由なく育ってきた義理の姉妹に当時の主人。
 自分の実家に帰る事も許されず、誰よりも早く起き、床に就くのも一番最後。臨月間近で妊婦の私がですよ。
 人目を避けて泣きながらの生活していた私にトドメを刺すべく悲報が届いたのです。
 誰よりも私を心配して愛してくれていた母が危篤状態にあるという知らせでした。
 私は土砂降りの雨の中、ワイパーをマックスで一心不乱にアクセルを踏みましたが、こみ上げる涙まではワイパーでは拭えませんでした。
 病院に駆けつけた時には、すでに父と姉と兄は病室で母を囲んでいました。
 母は全員揃うのを待っていたかのようで、私の方を見て小さく手招きをするので涙を堪えながら近づくと危篤とは思えないくらい強く私の手を握り締め優しい声で、
『麗ちゃん、幸せになるんよ。お母さんは、お父さんに出会えた事、あなた達を産んで育てられた事、世界中の誰よりも幸せやったからね。麗ちゃんは幸せになる為に生まれたんやからね。ありがとう…。』
 そう言うと、今度はパンパンに張った私のお腹を優しく擦りながら、
『ごめんね。婆ちゃん、抱っこしてあげれなくなっちゃった。』
と言うと、一粒の大きくて今まで生きてきて見たどんな宝石よりも綺麗な涙をこぼしながら、静かに全身の機能を停止しました。
 母は私の結婚生活の一部始終を見抜いていたのかと思うと、もう耐えきれずに狂ったように泣きました。子供用のビニールプールがいっぱいになるんじゃないかというぐらい泣いたのではというくらいです。
 全身の力も気力も抜け、姉と兄に支えられながら、病院を後にすると少しだけ落ち着きを取り戻し、母の言った言葉【幸せになるんよ。】が頭の中で、除夜の鐘のように響いてきて私を奮い立たせてくれたのです。
『この悲しみに比べれば、これ以上のものなんかない。耐えてみせる。負けない。お母さんのためにもこの子のためにも、絶対に幸せになってみせる。』 
と決意しました。
 通夜・葬儀も終わり、父を一人にする事に後ろ髪を引かれながらも私は島へ帰り、無事に出産を済ませ、元気な男の子を授かりました。
 目まぐるしく、いろんな事があった中で産まれたので、どんな困難も吹き飛ばすようにとの想いを込めて、名前は嵐士(あらし)と名付けました。
 両家にとって初孫になるので、嵐士はとても可愛がられました。
 私の父は、亡くなった私の母の生まれ変わりかのように可愛がってくれるのはもちろん、島の方では、長男の子で男の子なので跡取りができたと、それはもう自分たちに長年待ってできた子供のように可愛がってくれましたが、それは義父と義母だけで父親となる主人は、さほど嵐士に対して興味を注ぎませんでした。
 お金持ちの家に嫁ぎ、優しい義父に義母、愛してくれる主人に可愛い子供、不自由のない幸せな家庭…。いえ、私にとってはこれからが本当の地獄でした。
 私よりも2つ年下だった主人は、20歳そこそこでまだ遊びたい盛りのお坊ちゃん。
 仕事の都合上、勤めていたホテルの社宅に入る事になったのですが、ご飯を用意してもアレは嫌い、コレはまずいと食べてくれないし、夜遅くに友人を連れてきては大騒ぎ。
 隣の部屋で寝ている嵐士が、その声にビックリして泣き始めると、『うるさいっ!黙らせろっ!しらけるから外に行けやっ!』と言われ、冬の寒い夜中に嵐士を毛布に包み、外であやしつけた日も何度かありました。
 ギャンブルに狂い、女遊び、それでも私は見ぬふりをして、耐えようとしました。
 耐えながらも不可能に近い幸せな家庭を夢に見つつ、嵐士の笑顔に励まされながらの生活の中で、二人目を妊娠しました。
 すでに、この頃から夫婦の愛はないに等しい感じでした。
 辛い事ばかりではなかったけど、決して楽しいとは言えない月日が経ち出産を迎え、もう産まれそうっていう時、主人はパチンコ屋にいました。
 付き添ってくれていた姉が一応連絡をとると、ダルそうにやって来て、病室のベッドに横たわる私を一瞬だけ見て傍にいる赤ん坊を見ると、こう言ったのです。
『また男かぁ?パチンコ、休憩とっとるけぇ戻るわ。』
 そう言うと、来る時とは違って帰る時は足早に小走りでした。病室を出る時に小さくですが、私にはハッキリと舌打ちが聞こえました。
 この子には颯爽と生きてもらいたいと、颯太(そうた)と名付けました。
 二人の子を連れて島に帰っても同じで、アラシは相変わらず可愛がられるものの、ソウタは見向きもされません。
 私はソウタを抱きしめ、毎日のように
『母ちゃんだけは、味方だからね。』
と言って聞かせてました。
 社宅に帰り、休むまもなく家事と育児に追われながら、辛いと愚痴をこぼす暇なく生活していた、ある日の夕方の事でした。
 職場でのトラブルやストレスとかで、ムシャクシャして私にあたる事は頻繁にあったのですが、事もあろうかパチンコで負けたところに嵐士の鳴き声が耳障りだと、ぬいぐるみを嵐士めがけて投げつけたのです。
 私は怒りとも恐怖とも言えない感覚に体は震え、例えて言うと全世界の灯りが一瞬で消え失せ暗闇に支配されたかのように、目の前が真っ暗になり少しだけ残っていた希望というものが完全になくなりました。
 私が耐え抜いたとしても、このままでは子供たちはきっと幸せにはなれないと、離婚を決意した瞬間でした。
 正式に離婚が決まって、私は父が一人で暮らしている実家へと帰りました。
 何かと器用な父は、老いを感じさせず快く私たち三人を迎え入れてくれました。
 いつまでもクヨクヨしていても駄目だ、元気で明るく強い母ちゃんじゃないと、って仕事はもちろん遊びも我武者羅にしました。
 アラシとソウタを連れて、いろんな所へ出かけ父親がいない不安を感じさせないように必死になって、昼も夜も働きクタクタに疲れきって帰宅しても笑顔を絶やさない努力は惜しみませんでした。
 母の死が、かなり影響あって厳しかった父も尖っていた兄もすっかり角がとれて丸くなっていました。
 私の周りで大人の男性という存在が、この子達から見て、父と兄だけだったので、
『母ちゃん、爺ちゃんと結婚すればいいのにぃ~。』とか、気にかけては顔をみせてくれて子供達とキャッチボールをしてくれる兄の事を、父親だと勘違いしていた時期もありました。
 怒って泣いて笑ってと、忙しく過ごしながら月日が光の速さで経ち、私も30歳という大台に乗りました。
 当時流行っていた、携帯電話のコミュニティサイトにいくつか登録して、友達作りや感じのいい人と出会っては恋をしたり、子育ても仕事も遊びも両立は大変だったけど、生きている事を思いっきり楽しんでいました。
 現在、世に蔓延る悪質サイトや出会い系サイトを利用した性犯罪なども少なかったし、気軽な感じで楽しんでいました。
 あるサイトに、【期間限定!1週間したら退会しま~す。今しかないですよ!】
と、タイトルをつけてお気に入りの写メを貼り付けると、まぁどうでしょう。
 来るわ、来るわ。秒刻みで下心見え見えの狼たちから怒涛の如くメールが入ってきました。
 最初のうちは、律儀に目を通していたのですが、返信するのも馬鹿馬鹿しい内容の山にげっそりしながら、削除してもしても追い着かないんです。
 着信音もうるさいので、マナーモードにしていたのですが、鳴り止まない連続バイブで携帯がテーブルの端から端まで移動するのを見て、驚いたくらいです。宙に浮くんじゃないかしらと思ったと言えば大袈裟ですけど。
 もう、いい加減我慢が出来なくなり、1週間を待たずに退会しようと携帯を手に取り、
その時ちょうど届いた書き込みを開いて見て終わりにしようと決めました。
 何も期待せず携帯を開き、決定ボタンを押して内容をみると今まで届いたメールにはなかった文面に目が止まり、何故か返事を返したくなったのです。
『まだ間に合いますか?僕は居酒屋で修行中です。バツイチで二つのコブ付きですが、メールだけでも相談相手になってくれると嬉しいです。お返事待ってま~す。』
 よくある内容みたいですけど、その時の私は何かを感じたのです。
 相手は28歳と年下ですけど、私は少し鯖を読み26歳で登録していたから、相手の人は年下だと思っているんだろうなと小悪魔的に笑いながら、 
『まぁ、男なんてどうせ一緒よぉ。遊び目的なんだろうし、このまま26歳で通して怪しいと思えばバイバイ。これを最後に携帯遊びはやめよう。馬鹿馬鹿しい。』
と呟きながら、返信メールをカタカタと打ちました。 …ハイ送信。

    第三章  馬鹿野郎誕生

 秀太郎は、三人姉弟の末っ子で長男として広島県の呉市という地で産声をあげました。
 八つ年の離れた一番上の姉とは気が合っていたが、気の強いすぐ上の姉とは昔から何かとぶつかっていた。
 父は自衛隊の幹部を務めていたので、とても厳しくよく叱られては、母がいつもかばってくれていたが、優しいだけではなく怖い面もあった。
 小学生だった頃のある日、上の姉が父の飲み干したウイスキーの空き瓶いっぱいに貯めていた1円玉を靴下に詰め込んで、まるでサンタクロースのように肩に背負い地元のよく行っていた駄菓子屋へと行った。
 子供ながらに金持ちになった気になり、手当たり次第にお菓子をかき集め、
『おばちゃん、コレちょうだい。』
と言うと、お店のおばちゃんが、
『秀くん、おつかい?』
『ううん、違うよ。僕が買いにきた。』
と言ってレジのある台の上に1円玉をジャラジャラーーーっ!
 後ろめたさも悪気も何もなく、ただ気持ちのいい豪遊気分だった。
 が、冷静に考えても100円分の買い物をしたとしても1円玉を100枚数えないといけない。記憶が曖昧だが、確か200円分近くのショッピングだったと思う。
 と言うことは1円玉を200枚……それは、おばちゃんもたまったもんじゃない。
 狭い町で、みんな顔見知りだから、ウチの母とも仲のよかったおばちゃんは、電話で母を呼びました。
 血相変えて駆けつけた母は、
『迷惑かけて、ごめんねぇ。アンタも謝りんさい。』と言いながら俺の頭を押さえつけて、
『ホラッ、帰るよっ!』
と、おばちゃんに再び一礼して引きずるようにして家へと連れ戻された。
 俺は、お金を払ってお菓子を買っているのに、なぜ怒られる?1円玉だったから?1円だってお金じゃないか!昔から1円を馬鹿にしてたら、そうやってお母ちゃんが教えよったじゃないか!お菓子をお金も払わずに取ったっていうなら怒られるのもわかるけど。
 …取った? …ハッ!
 町を練り歩くうちに自分のお金と勘違いしていたが、思い出した。姉ちゃんの金を黙って取っていた事を。
 お母ちゃんは、何よりもそれを怒っていたわけで、押入れからロープを持ってくると俺の上半身にグルグルと巻きつけ、井戸へと突き落とすように井戸の淵に俺の体を押し付けた。
 足が震え、泣きじゃくりながら謝る俺にお母ちゃんは、
『このロープは、いつでもここにあるんじゃけんね!次は本当に落とすよ!』
 本当に落とすわけがないのは、分かりきっているけど、その日からしばらくは何気なくお母ちゃんが押入れに近づくと、やましい事はなにもないのにビクッとしたものだ。
 今から思えば、臆病な俺を作ったのはお母ちゃんのせいだ!
 中学、高校と進みこれといって真面目でも不良でもない結構楽しい学生生活を送り、タバコが見つかり停学には3回なったが、3年間で卒業することはできた、ギリギリで。
 母の知り合いの旦那さんの勤める自動車整備工場を紹介してもらい、就職したが二年ほど勤めたある休日の昼間に、ちょうど遊ぶ相手が見つからず暇を持て余しながら、ボーッとテレビを見ていたら古い映画をやっていた。
【トラック野郎★望郷1番星】だった。
 自由に束縛されずに全国を走り回る男気満載の、名優・菅原文太が演じる星 桃次郎に一目惚れしてしまった。
次の日から、ギンギラギンに飾ったトラックを転がしている自分を想像してはニヤけて夢を膨らませていたのだった。
 少しばかり妄想癖のある俺は、すでにトラックの運ちゃんになったつもりでいたが、高校を出てすぐに一人暮らしをはじめた俺の安アパートに、高校の時の悪友だった勇次が夜な夜な遊びに来ていた。
 コイツは、いい奴だけどずる賢い不良で、
車は日産のセドリック430フルキット、ノーサスシャコタン、内装は金華山張りとヤンキー車に乗っていた。
 一方、俺は勇次のより新しい型のセドリックY30前期ⅤIP3000仕様、フォルテクスのワイヤーホイールとシンプルかつオシャレな車に乗っていた。
『お~い、秀。街へ出ようでぇ。ワシの車じゃ誰も乗ってくれんけぇ、お前ので行こうでぇ。お前のY3じゃったら、絶対に間違いないけぇ。』
 いつものセリフと手口でやって来る。要はガソリン代をケチっているのだ。
『ワシもあんまり油はいってないでぇ。』
そう言うと、すかさず勇次は、
『すぐに引っ掛けるけ、そしたら2台に分かれよう。』
 運転が嫌いではない俺は、上手く乗せられていつもはめられる。でも、憎めないのが勇次のキャラクターだ。
 そうやって、週に3度はナンパに繰り出した。そういう自信を持っているだけあって、勇次の乗ってくれそうなターゲット発見率は 
90%で、そのうち乗せてしまうトーク爆笑率は95%、乗ってくれたのが二人組の娘なら自分が狙った方の娘を連れ去る獲得率は99%と大概、成績がいい。
 おかげで、楽しい思いをさせてもらった事はあるが、ガソリンを入れてもらった事は1滴もない。
 ある日いつも通り勇次がやって来て、いつものセリフを吐くと俺の車を出した。
『今日は飲み屋の姉ちゃんを行こうでぇ。』
 勇次は軽く言う。 …余裕だぁ。
 深夜1時を過ぎた頃、ライバル車がうごめく繁華街を2周ほどした時、
『秀っ!バックしてから今ん所、右っ。』
『了解っ!』
 こんなやり取りをしながら、ギヤをバックへ、そしてハンドルを切った。
 そこへ、店を終えたばかりのお姉さんが二人いた。勇次が体を窓から乗り出そうと、パワーウインドーのスイッチに手をかけた時、
『お兄さん、お兄さん。乗せて、乗せてぇ。
わぁ~二人共、男前じゃ~ん。』
 このパターンは、初体験だった。先手を打たれて、勇次と顔を見合わせ呆然としていると、彼女達はすでに後部座席に座って、
『出発ぅ~。』
と陽気にそして無邪気にはしゃいでいる。
 しばらく、ブラブラしながら四人で楽しい時間を過ごし、打ち解けてきた頃に勇次が、
『ワシ、今から仕事じゃけ、行かんといけんけぇ、悪いが会社まで送ってくれんか?』
 そうすると一人の娘が、
『ええーっ!休めばいいじゃんかぁ。今からって、仕事は何しよる~ん?』
『え?休めんよぉ。トラックにもう荷物積んどるもん。じゃあ一緒に行くぅ?』
『わぁい、トラックぅ? イクイク~~。』
 そうです。勇次はトラック乗りだったのです。俺の憧れているトラック乗り!
 綺麗な娘の方は勇次のトラックへ、可愛い娘の方は俺の車に残った。
 どうして、そういう組分けになったかというと、簡単。次の日の朝、用事があるから可愛い方は帰らないといけないそうだ。
『ごめんねぇ、送ってくれる?』
 仕方なく俺は、その子を家まで送り届けると口説くわけでもなく、何かするわけでもなく、でも勿体無い事をしたとかの後悔も勇次に対しての腹立だしさもなく、ただただ羨ましい!よし、俺もトラックに決めたっ!
と決意し、朝日を浴びながら誰も待っていないアパートへとY30セドを走らせた。
『ふぁあぁ。眠い。今日は休もっ。』
 俺は、運送会社に入ったが夢と現実は全く違ってて、昔に比べ違法改造の取締りも厳しいのと、改造車を嫌う荷主が多いと言う理由で、トラックを飾るのは御法度になっていたのだ。
 しかも、夢とは果敢無いもので違反行為の積み重ねから、免許取消処分になってしまった。
 免許を持たない人間は、運送屋にしてみれば、エンジンのない車、声の出ない歌手、オチンチンを取ってしまった男、以下の扱いにまでなってしまう。
 実に、2年半という短い夢物語で初のトラック人生に幕を降ろした。
 それからは、貯金もないし両親は九州の離島・対馬へ帰郷していた為、地元の呉へ帰り1番上の姉夫婦の家へ居候させてもらうという大変、肩身の狭い生活をする事になる。
 義兄の勤める設計会社に就職させてもらっていたが、なんせ俺もまだ若い。
 週末は友人が爆音響かせ、迎えに来ては遊びに行き、酔って朝帰り。平日もナンパに繰り出し遅い帰宅。
 義兄も苛立ちはあったみたいだが、俺に直接言う事はなく、
『お前の弟をなんとかしろ!』
と、俺のいない所で姉を責め、
『秀太郎も、子供の面倒みてくれたり、ご飯の支度や後片付けしてくれよるし、ちゃんと話すけぇ、許してやって。』
と、かばってくれてたりしたそうだ。
 後から聞いたが、俺が原因で喧嘩になる事もよくあったそうだ。今更だけど、
『姉ちゃん、ゴメン。』
 そんな事もしらないで、やんわりと姉ちゃんに注意を兼ねてお願いをされたので、遊びを自粛していた頃に、大手自動車メーカー本社設計部へ派遣社員として行かないかという話を持ち掛けられ、
『しめたっ!いい機会だっ!』
と、多分俺も義兄も同時に思った事だろう。
 それは、姉の家から通える距離ではないため、やむを得ずというか思惑どおり、姉の家を出て派遣先の近くに部屋を借りることになるのだ。
 晴れて一人暮らしに戻ってエンジョイライフ!と言いたいとこだが、意欲を持っての派遣ではなく動機が不純だったため、もちろん仕事は面白くないし我慢していた遊び心が、弾けてしまいました。
 俺が酒を飲みに行くのは、綺麗なお姉ちゃんがいる店を探して行っていたが、メンズ・バーなどには興味がなく、男相手に酒飲んで何が楽しい?しかも、金払ってまで。という感覚でいたが、派遣先の本社で知り合った気のいい奴が、
『夜、飲み屋でバイトしよるんじゃけど、遊びにきてよぉ。』
と言ってきたので、友人の家に飲みに行く感覚で行ってみた。
 カルチャーショックだった。
まぁぁぁぁ面白い事、面白い事。女の子の揃う店とは違って変に気を遣わなくていいし、話術が上手い。
 腹から笑って、こりゃ、金を払う甲斐はあるなと感激を受け、メンズ・バーにはまるようになった。
 二、三度通った時マスターに、
『マスター、僕も使ってくれんかねぇ?』
訊ねてみると、申し訳なさそうな顔をして、
『秀くん、ゴメンね。今は人が足りとるけ、
どうしても働きたいんなら、他の店にも聞いといてあげるけぇ、連絡先を教えとって。』
と言いながら、箸袋とボールペンを差し出してきた。
 まだ、携帯電話が今ほど普及していない時代の話なので、自宅の電話番号を書いてマスターに手渡した。
 1週間が過ぎて忘れかけた時に、会社から帰って部屋のドアを開けると同時に電話が鳴り、切れる前に慌てて受話器を取ると、
『あぁ、秀くん?お疲れさん。俺、俺、マスターです。募集しとる店があるんじゃけど、
どうするぅ?』
 俺は、忘れていたのもあり興奮気味に、
『えっ、ホンマにぃ!行くッ!何処っ!マスター、ありがとっ!』
 おれの勢いにマスターは少々たじろいだ様子を窺えたが、連絡先を聞くとすぐさま受話器をとってプッシュボタンに人差し指を置いた。  ………プルルルッ、プルルルッ、プルルルッ、プルガチャッ。
『ありがとうございますっ!ヒップスですっ!』  
 少しかすれた甲高い声で勢いのある早口が耳に飛び込んできた。その声のバックでアメリカンなフィフティーズ・ロックの曲が流れているようだ。
『浪漫飛行のマスターに紹介されたんですけど、面接してもらえますか?』
『あぁ、聞いとる聞いとる。面接っていうか、すぐ働けるんなら今日からでも来れる?』
 なんてアバウトなんだと思いながら、俺は了解の返事をしスーツを脱いでジーパンとTシャツに着替えた。
 免許も車もまだない俺はリサイクル屋で買った愛車のママチャリに跨ると以前、勇次とよく回ってた繁華街へと飛ばし、教えてもらったビルを探した。
 道行く人に尋ねながら、ようやくビルを見つけて二階の奥、HIPSの文字が光る看板の下にあるドアを開いた。
 中は黒を基調にした店内で、照明は薄暗く
七人掛けのカウンターにスポットライトが当っている。白い壁には、マリリン・モンローの大きなタペストリーが垂れていて、隅にある収納ボックスの上にピンク色した、キャデラックの置物があった。
 イメージ通りの店の厨房の奥から、小さい男が出てきて調光式照明のダイヤルを回し、
店内を一気に明るくすると、
『はいはい、秀くんね。座って。』
と言われ、少し話をした。この人がここのマスターで、ノブさんだ。
 会話の所々が関西弁で、面白い人だった。
 俺の打ち解けやすい性格も関係して、すぐに仲良くなった。
 ノブさんは豪快にして面白い人で、連日連夜のように二人で羽目を外して楽しみながら仕事をした。
 人間というものの大半が楽しい方へと流されるもので、二足の草鞋を履くというのが無理だった俺は、もちろん夜の男を選び、昼の会社を辞めた。
 自由になった俺は週三だったバイトを毎日にして、毎日酔っ払っていた。
 こんな事もあった。
 普段どおり朝の8時くらいまで呑んで、店の片付けを済ませると、
『おい、秀!ガンちゃんと道後温泉に行くでぇっ!』          
『はぁ、行ってらっしゃい。』
 俺は酔ってるし、帰って寝たいので半笑いでそう言うと、
『アホかっ!お前も一緒に決まっとるやろがぁ!早うせんかい、行くでっ。』
『はぁぁぁぁぁっ?わしも?嘘やん!』
 決めた事は強行突破のノブさんには、俺の事情とか体調とか問答無用なのだ。
 ガンちゃんとは、ノブさんが1番仲のいいマスター仲間で【RAMSA(ラムサ)】の店長。ウチの店にもチョクチョク遊びに来ていたが、この二人が一緒にいると、下手な漫才師よりも面白いので、それを見て笑っていると、ノブさんによく叱られたものだ。
『秀っ!お前がなんで客になっとんねん!お客さんを楽しませるのが、お前の仕事やろ!ええ加減にしなさいっ!』
と言って、俺の後頭部をペチン。
 そういうやりとりを見てお客さんが楽しんでくれるので、いつの間にか自然と俺のボケにノブさんのツッコミという形が出来上がってしまった。
 そんな楽しい昼夜逆転の生活にピリオドを打つべき時がやって来た。
 俺目当てではないけど、以前から店に来ていた女性と仲良くなって、ご飯を食べに行ったり買い物に付き合ったりと、遊ぶ日を重ねていくうちに、あれよあれよとトントン拍子に結婚しようという事になった。
 そうなると、フラフラしている場合ではないと、ちゃんとした会社に勤めなければいけないと決め、ノブさんに相談すると、
『あぁ、ほうかぁ。まぁ、頑張れよ。』
と、あっ気ないと言えばあっさりいていたけど、変に引き止められるよりは、楽だったというのが正直な気持ちだった。 
 俺は再び免許を取り、高校の時に同じクラスで成績もワースト1・2を争い、停学仲間の文博に電話した。
『もしもし、久し振りじゃのぉ。ちょっと聞くんじゃが、お前んトコで使ってくれんかのぉ?』
 文博の実家は親の代からの運送屋で、家にもよく遊びに行っていたので、社長(文博の親父)やオバちゃんにも可愛がってもらっていた。
『はぁん?お前飲み屋どしたん?辞めたん?ちょうど、もう1台トラック買って運転手募集しようか思いよったトコよぉ!来てくれやぁ。大型に乗ってくれぇ。』
 大型免許は持っていなかったので、4トン車で地場の仕事をしながら、自動車学校に通い大型免許を取り、免許取得後は大型トラックで長距離に出るという契約で、再びトラック野郎に舞い戻ったのだ。
 真面目に働き続けて1年後、夢の大型トラックに乗る事が出来るようになり、北海道と沖縄を除く日本全国津々浦々を駆け巡った。
 大きな事故も起こさず八年と少しが過ぎるまでに、宏次・拓哉と家族が増えたのだが、俺は長年使っていたPHSを水没させてしまったので、いい機会だから携帯電話に変えようとショップに行ったのがこの時期だった。
 機能最小限のピッチに比べ、初めて持った多機能の携帯電話に興奮し、
『スゲェ、スッゲー。うわっ、こんな事も出来るんかぁ!』
と、面倒臭がりな俺は説明書も読まずにいろいろ操作して時間の経つのを忘れた。
 トラックに乗って一人でいる事が多かった俺が、そんな事をしているとそれまで感心も存在すらも知らなかった、出会い系サイトに辿り着くのは時間の問題だった。
 出会い系サイトと言っても、数年前から今現在までに急増している即エッチとか、サクラばかりの悪質サイトではなく、メル友探しレベルのサイト遊びです。
 顔も知らない、声も聞いた事がない日本各地の人とメールだけで友達になれて、いろんな方言を楽しめて、それはもう動物園生まれの猛獣が檻からジャングルに解き放たれたような世界観だった。
 年上の会社員・年下の学生、主に男中心だったが掲示板を見ていると、やはり女の子にも興味がいった。 そりゃ、健全な男の子ですもん。
 少しぐらい、と送ってみると他県の女の子から返事が返ってきて、お互いに方言講座をして何回かのやりとりをした。
 今では当り前のカメラ付きなどではなく、
飽きっぽい俺は、
『もうそろそろ、やめとこっ。嫁さんにバレたらマズい。』
と理性を振り絞ったのだが、その時はもう遅かった。 …事件が起こった。
 要領が悪いというか、詰めが甘いというかサイトを退会していればよかったのだが、仕事が終わり家に帰ると急にお腹が《キュルルルル、グリュグリュゥ》と鳴り、
『ヤッベェ!』とトイレへ駆け込んだ。
 便座に座りホッとしていると、向こうの部屋で聞き覚えのある電話の着信音。
 何も気にせずにいると、数秒たって近づいて来る足音。まだ、気にしていない。
 ズボンを上げて出ようとドアノブに手をかけた時に、トイレのドアを隔てて嫁さんのメールの内容を読み上げる声が聞こえてきた。
 絶句。トイレの流れる水の音が、全身の血液を頭の先から吸い込んでいるように感じるようだった。
 血ぃではなく、俺が流されてしまいたいと思いつつ、また便座に腰を下ろした。
 2度目の便座はホッとしていない。フルマラソンを全力疾走したぐらいに心臓がバクバクしている。
《このまま心臓発作で死ねっ、俺っ!》
と心の中で呟いた。
 そう簡単には、死ななかった…。
 いつまでも立て篭もるわけにはいかないので、言い訳も思い付かないまま下を向いたままトイレから出た瞬間、気が付くと俺は不自然に右を見ていた。
 いや、見たのではなく向かされたと言う方が正しい。
 嫁から無言の右フックが繰り出されたからだ。
 その後、俺は正座して何時間も説教されて
話し合い、とりあえず許してもらえたようだったが、完全に許されたわけではなかった。
 前の章で述べたように、浮気に対しての価値観に相違があるのは男女の永遠のテーマではあるが、目には目をという嫁の性格も関係していた。
 生活していく上で、ギクシャクしてきて夫婦・男女の関係より、男気を持っている嫁とは友達感覚で話せるようになった。
 もちろん夜の性活もなくなるわけだが、その頃ちょうど同じ時期に嫁と俺の共通の友人で、龍司という奴も離婚して家を出たが行くトコがないというので、
『ウチに来いやぁ。』
と声をかけると、遠慮のない付き合いをしていた龍司は二つ返事で、
『んじゃ、しばしの間だけ世話になるわぁ。』
こんな感じで、俺と家庭内別居の嫁とコウジとタクヤ、そして居候リュウジの奇妙な五人共同生活がしばらくあった。
 リュウジは宮崎県出身で、各地でヤンチャを繰り返し広島に辿り着いた男で、縁があったのか、妙に気が合い家族ぐるみで遊んでいた。
 そんなリュウジを含めた暮らしの中で、夫婦関係がない俺は嫁に遠慮なく、リュウジと出会い系遊びをしていた。
『おぉっ、リュウジ!コレ見てみっ!可愛い思わんかぁ?』
『ん?どれ?はぁぁぁぁ、こんなんがタイプなん?コッチんが、ええじゃろ。』
『お前、ロリコンか!』
『余計なお世話じゃっ!』
などと、馬鹿な二人は楽しんでいた。
 時折、サイト内で
『この子、ええじゃん!』と意見が合う時は、
お互いに口説き文句を考え、向かい合った状態で携帯を差し出し、2台並べると声を揃えて、
『せぇのぉ、ハイ送信。』
と、どちらの携帯に返るのが早いかなど競ったりしていた。
 馬鹿野郎たちが少年のように無邪気な暮らしをしている一方、時間が経つと月日も経つわけで、下のタクヤも小学1年生になった。
 仕事をしながら、遊びながらも行くあてを探していたリュウジも出て行くというので、
リュウジを除いた四人で家族会議を開いた。
 この不自然な家庭環境はこの子達に悪影響なのではと、悪影響の張本人が思い、
『離れて暮らそう。』と提案すると、嫁は納得してくれて次は子供達の事だ。
『どっちかしかないんなら、俺は父さん。』
コウジは泣きじゃくりながら、そう言った。
『タクは、コウくんと一緒でいい。』
あまり理解できてないタクヤは、キョトンとした顔で言った。
 どう答えられようが、兄弟を離れ離れにする事を我々は少しも考えておらず、どっちについても責任を持って育てるのを前提にした話し合いは、父子家庭成立という形で決定した。
 文博に事情を話し、トラックを下りると居酒屋で働き、そこのマスターに仕事も遊びも教えてもらった。
 店では、父子家庭という事もあり皆から、
父ちゃんと呼ばれていた。
『父ちゃん父ちゃん、面白いサイト見つけたけどURLを送ろうかぁ?』
 包丁を握るとメッチャかっこいい職人のマスターも、携帯を握るとタダのエロマスター
に変わる。
 包丁の研ぎ方・火加減の調節・料理の盛り付け・魚の捌き方・和食・洋食・中華風・そして新しいサイト、いろんな事を教えてもらって、俺の感謝する人リストの5本の指に入る存在の人だ。
 URLを送信してもらい、早速サイト登録すると暇をみては厨房の奥で携帯を開いた。
 縦にスクロールしていくと、《ん?》と目が止まり、親指をボタンから離すとスクロールも止まった。
【期間限定!1週間したら退会しま~す。今しかないですよ!】
 男というか人間とは、《限定》とかっていう文句に弱く、《今しかない!急がなくてはっ!》と思わせる、人の心理を上手く突いた内容の書き込みであり、読み続けていくと県内の子でプロフィールを見ても趣味が合い、貼り付けてある写メが、メチャクチャ壷にハマるタイプだった。
『どうせ冷やかしじゃろうなぁ。まぁええわぁ。駄目もとじゃあ!』
と、1番自信のある写メを貼り付け、歳を誤魔化し送信した。
『まだ間に合いますか?僕は居酒屋で修行中です。バツイチで二つのコブ付きですが、メールだけでも相談相手になってくれると嬉しいです。お返事待ってま~す。』
 忘れもしない12月1日の、冬にしては暖かめの日の夜の事だった。

    第四章  父子母子対面

 秀太郎と麗子は、これが運命と気付かぬまま、メールのやり取りをしていた。
 一般的に男女が出会った時に軽い感じで、
『これって、運命だねぇ。』
とよく言われるが、運命など誰も分からないし、どう発展するか、どう躓くのかすらある程度の予測はできても、完全なる結果は誰も知る術がない。
 したがって、この時点で秀太郎と麗子も、
『こりゃあ、絶対運命じゃね!そう思わん?麗子ちゃん!』
 駄目もとのつもりで送った書き込みに対して、もうサイト遊びをやめようと最後のメールに決めた麗子も、
『うん、そう思うわぁ。ただの偶然だけじゃないと思うよぉ!』
と、二人して興奮していたが数々の偶然が重なり、軽く思っていた運命だったが大きく人生を左右する波乱万丈な運命へと変わっていくのである。
 どんどん惹かれ合う二人は同じ携帯会社だったので、番号を交換すると無料通話時間帯を利用して会話する事も増えてきて、お互いの心は急接近していった。
 麗子は、少しハスキーボイスで色っぽい声の持ち主だ。そういった声が秀太郎は凄く好きで、会ってみたいなぁという気持ちを押さえられそうにないほどだったが、
《焦ってはならん!焦っては!》
と自分に言い聞かせていた。
 そのように感じていたのは麗子も一緒で、
《簡単に会いたいって言うて、軽い女に思われたくないし…。》
と思いながら、どこかで後ろめたさも感じていた。
《この人に逢ってみたい。でも、早く言った方がええよなぁ。どうしよう。駄目になるなら逢う前、早い方がええなぁ。次の電話でちゃんと言おう。》
 麗子は、ある事をそう決意したのだった。
 秀太郎は居酒屋の厨房にいた。麗子とのやり取りを始めるのをキッカケにサイトを退会し、遊びをやめようと決めた秀太郎は、いつもオーダーがストップすると厨房にしゃがみこんでは、携帯を開き麗子からのメッセージがないかをチェックしていた。
 営業中はマナーにしていたので、忙しくしていてもポケットの携帯がブルブル震えて、体にバイブレーションが伝わって来ると、自然にニヤケ顔になっていた。
 その日は週末でもあり、開店から店仕舞いまでお客さんが途絶える事無く、携帯のチェックをする時間がなかったのでイライラしながら片付けを済ませると、家に帰るまで待てずに売上げ計算をするマスターの隣で、携帯を開いた。
 麗子から何件かの未読メッセージが届いてあり、秀太郎は最新の物から見たい衝動を抑えて、ストーリーが崩れないよう時間の早い順に受信ボックスを開いていった。
 1件目【秀くん、お疲れ様。今日も忙しくなりそうですか?ははっ、分かんないよね。私は、仕事が終わって帰って来たとこです。忙しかったら、無理に返信しなくていいからお仕事がんばってね。】
 イライラしていたのも忘れてニヤケ顔。
 それに気付いたマスターは電卓を叩く手を止め、俺の方を口を半開きにさせ呆れた顔で見ていた。
 視線を感じて横を見ると、マスターと目が合ったが、
『気にせんとって。』 
と言い、再び携帯を見る。マスターも電卓を打ち始めた。二人共、作業再開である。
 2件目【焦らすわけじゃないけど、返信がないって事は忙しいのかな?秀くん、ファイトっ!私は夕飯の支度を済ませて一段落ついたトコだよぉ。秀くんの作った料理を食べてみたいなぁ。】
 3件目【何回もごめんなさい。一人でいると、いろいろ考えてしまって…。秀くんの声が聞きたいな。無茶な事言ってゴメンね。何時でもいいから、お店が終わったら電話ください。後もう少し頑張ってね。】
 この時点ですぐに電話したかったが、次のメッセージで最後みたいなので、それを見届けてからする事にした。
 4件目【お疲れ様です。秀に今すぐにでも逢いたいよぉ。秀にちゃんと言いたい事があったんじゃけど、今日は疲れていると思うから、電話はしなくていいからね。おやすみなさい。】
で終わっている。
 最終メールからまだ30分も経ってないから、まだ寝てないやろと思いマスターに、
『お疲れっしたっ!帰ります!』
と言うと、
『はぁ~い、おつか』
マスターの言葉を、最後まで聞かずに店を出て愛車のママチャリに跨り、携帯の電話帳から麗子の文字を探し出して、急いで通話ボタンを押した。
 ワンコールで麗子のハスキーな声が聞こえて来てホッとしたが、すぐに出るという事は
電話しなくてもいいと言いながらも、俺からの電話を待っていたのが伝わった。
 喜んでばかりはいられない。何よりも気になっていたのは、麗子の《言いたい事》とは何だろう?という事だった。
 その日までのやり取りや、本日のメールの内容を振り返って思い出しても、嫌われるようなことは何一つ心当たりがない。
 麗子の声は俺に喜びと不安をよぎらせたのだが、俺は普段通りに、
『もしもし、お疲れ。今日はマジ忙しかったぁ。ごめんね、メールには気付いて読むのは出来たけど、返す暇がなかったんよぉ。ホンマごめんね。麗ちゃんの言いたい事いうのが何じゃろうか気になって。もう寝るトコ?』
と、精一杯元気そうに話した。
『ううん、いいんよ。私の方がゴメンね。何回もメールして来て、しつこい女じゃのぉって嫌われたかなって思いよったけぇ、電話がかかって来て、秀の声を聞いたら安心した。でも、本当に嫌われるかも…。秀に言わんといけんことがあるんよぉ。それで、私の事が嫌になったら諦めるけん。』
 大体、話があると言って始まり方としては予想していたどおりだが、予想通りにしてもいろいろ考える。
 本当は結婚していて旦那がいる?広島に住んでいるというのが嘘?写メと同一人物ではなく、人前に出せない面構え?実は男ぉぉぉぉぉぉぉっ? …いろんな思いが頭の中を何周も駆け巡った。
『何よぉ?ワシは少々の事じゃあ驚かんけぇ言うてみ。何を聞いても絶対嫌いになるような事はないけ!』
 本当はドキドキしながらも強がってそう言い、そこまでの会話が終わる頃には、家に着き玄関に入っていた。
 家の中は、悪ガキ二人が暴れ倒して悲惨な光景が広がっている。あまりにもヒドイ時は夜中でも叩き起こして片付けさすのだが、今はそれどころじゃない。
 押入れの上の段、下の段に布団を敷いて寝ているコウジとタクヤを見て舌打ちすると、
何事も起こってないように麗子との会話を続けた。
『うん、ありがと。実は謝らんといけんのんじゃけど、嘘をついてた。私、秀よりも三つ年上なんよぉ。どんどん好きになって来て、なかなか言い出せんで。でも、もし逢って、もっともっと好きになった時にバレて嫌われたら秀も傷付けるし、私も立ち直れんかもしれんけぇ、逢う前に言うとこうと思った。騙しててごめんなさい。』
 俺はあんなに緊張していたのが馬鹿馬鹿しく思えて、コタツに下半身を突っ込んだ。
 俺は歳なんかあまり気にするようなタイプじゃないし、今までも好きになった女性は年上が多く、別れた嫁も年上だった。年上に惹かれていまうのは、お母ちゃんと姉ちゃん二人という女系家族の中で育った環境も因果関係があるかもしれない。かと言って、マザコン・シスコンの類では絶対ない。
 写メが最近の物で本人というのが嘘でなければ、二廻りぐらい上でも俺には全くと言っていいほど問題はなかった。
 逆に、年上と聞いて喜んだのも束の間、俺の頭の中で数字が浮かんで来た。
 麗子は26歳。だったはずだが実際は俺の3つ上。そう言えば俺は、28歳で登録していたので、麗子がそれを信じてるのならば、麗子は現在31歳。俺も誤魔化していたから、実際は32歳。結局、麗子は年下なのだ。
『麗子ぉ、正直に言うてくれてありがとう。ワシも麗子に言わんといけん事がある。ごめんね、麗子は年上じゃないよ。わしの1つ下になるわぁ。』
 二人共、初めからあまり数字にこだわっていなかったが、麗子は騙しているという罪悪感から開放され、俺はそんな事を気にもせずに忘れていた事、思い詰めさせた事に少しだけ罪悪感を感じた。
 真実を打ち明け合って緊張感も解けた二人は、いつものように今日の出来事や子供の事など笑い話を朝方まで続け、以前よりも心の距離が近づいたのを実感し、麗子の次の休日に逢う約束を交わして電話を切った。
 俺の働いている居酒屋の定休日は月曜日だったので、麗子とは休みが合わなかったが、
麗子がなんとか逢える日を作ってくれた。
 約束の土曜日がやって来て、新幹線に乗ってくると言うので俺は広島駅の裏口ロータリーで待っていた。
 俺は広島市内、麗子は広島と岡山の県境に位置する福山市に住んでいた。新幹線を使うのには二つ理由があって、福山・広島間なら40分足らずで着くので、少しでも早く逢える、少しでも長く一緒に居られるという理由と、麗子は免許も車もあるがとんでもなく方向音痴らしく、広島市内なんて絶対迷う自信があるという理由だった。
 到着予定時間が訪れ、俺は車から降りてまだ見ぬ麗子を探す事にした。通勤時間帯は過ぎていたので、人もまばらで探し易そうだった。
 携帯電話でお互いの位置や目印を確認しながら、二人は徐々に距離を縮めていき受話器から聞こえる声と、実際の耳に入ってくる声が側頭部周辺で一致してきた。
 俺は振り向くとそこには、少し恥じらいながら微笑み、左手に携帯電話を持っている細身のスレンダーな女性がアジアンテイストなワンピースに茶色の革の上着を羽織り、膝までのロングブーツを交差させて立っている。
『はじめましてぇ、麗子でぇす。』
 想像していた感じとは若干違っていたが、俺なりに点数をつけたら、100点だった。
 昼の3時には仕込みに入らないといけないので、時間は限られている。二人にとって居場所は何処でもよかった、ただ二人でいられたら。
 お互い溜めていたものを吐き出すように、いろいろ話した。電話で話すよりも、やはり顔の表情を見ながら話すのは新鮮だ。
 俺は麗子を連れて行きたい所があって、
『麗子、占いは信じる?面白いトコがあるんじゃが、行ってみる?』
『う~ん、良い事を言われたら信じるけど、悪い事は気にせんようにするぅ。』
 大体、皆そうだと思う。
 ウチの近所にあるお好み屋さんなのだが、
オバちゃんが占いも出来る、そしてよく当るという評判で地元のローカルなテレビ番組や新聞の地方記事の欄に取り上げられたお店なのだ。
 それをマスターに聞いた事があって、面白そうだなと過去に1度だけ行った事があり、
その時、言われた事が9割がた当たっていたのだ。
 麗子を連れてお好み屋に着くと暖簾をくぐり、店内に入った。わりとお客さんがいて賑わっていた。麗子は焼きそばの肉玉シングルを頼み、俺はお好みそば肉玉のダブルを注文した。
 周りの人達の会話や鉄板がジュージューと音をたてる中、麗子には俺の俺には麗子の声しか入って来ず話しに夢中だった。
 注文したものがほぼ同時に二人の前に来たので、麗子は割り箸を割って俺に渡すと、自分の割り箸を割ってオバちゃんの方を見て、
『いただきま~す。』
と明るく言った。ここで言っておかなければいけないのが、以前来た時も感じたのだが、この店のお好みは不味いとまでは言わないが、美味いというものでもない。
 客として来る人の殆どが占い目当てで、現に今俺たちの周りの客もとっくに食べ終えてオバちゃんの手が空くのを、まだかまだかと待っているのが手に取るように分かる。
 俺は満足いかないお好みと、メチャクチャ腹が減っていたので、
『オバちゃ~ん、中華そばちょうだ~い。』
と言うと、麗子は目を点にして俺の方を唖然とした顔で見つめ、ようやく手が空きそうなオバちゃんに仕事を与えたので、周りから冷たい視線を浴びた。
 他のお客さん達も占いをみてもらって帰っていったので、店内は静かになった。
 俺も麗子もとりあえず、お腹もいっぱいになって帰ろうと勘定を済ませると、オバちゃんの決まり文句が出た。
『見ようかぁ?』
 麗子と顔を見合わせて『うん。』と頷くと、オバちゃんはまず麗子の両手を手に取り、耳たぶやらを見て口を開いた。
『お姉ちゃんは気が強いねぇ。自分っていうもんをシッカリ持っとる。今までいろんな事があったじゃろうけど、アンタの持って生まれた性格が乗り越えさせてくれとるよぉ。子供の事を心配しよるみたいじゃけど、大丈夫よぉ。アンタが強い人じゃけ子供達も強く育つから心配せんでええよぉ。それから…』
 麗子はオバちゃんに子供の事なんか話してないから知るはずもないのにって驚いた。
 実を言うと麗子はアラシとソウタの事で、深く悩んでいたのだった。
 一通りの話を終えるとオバちゃんは、
『はい、次お兄ちゃん手ぇ出して。』
 麗子にしたように俺の両手を見て、耳たぶを触ってから話し始めたが、前来た時に俺を占ったのを憶えてない様子で、前回とほぼ同じ内容を聞かされた。見て貰う度に違う事を言われるより、それは、それで凄い事なのかもしれないが何か損した気分でもあった。
『お兄ちゃん、それから…』
 麗子の時と同様、俺にも《それから》を付けてきた。これは、前回なかった。
 何を言われたかというと、麗子には
『アンタ、不倫癖があるみたいじゃけ、そこらへんを気をつけて。』だった。俺には、
『アンタ、この先性病にかかるように見えるから気をつけてね。』だった。
 初デートの日には、聞きたくない内容の占いで締めくくりやがった。二度と来る事はないだろうと俺は思い、麗子を見ると目が笑ってなかった。
 占いはなかった事にして、二人は歩いて俺のアパートまで帰ってきた。部屋に入り、コタツのスイッチを入れ、並んで座るとなんだか急に緊張してきた。
 仕込みに行く時間も迫って来ているし、コウジとタクヤもそろそろ学校から帰ってくる時間だ。
 沈黙があり、掛け時計のチクッチクッチクッという音だけが聞こえていたが、そのうち音がドクンドクンドクンに変わっていた。
 いても立ってもいられなくなり、麗子の方へ顔を向けると、しばらく前から麗子は俺の方を見ていたようだった。見つめ合う二人はどちらからともなく抱き合い、初めてのキスをした。
 時計に目をやると14時50分。もう時間だと麗子と体を離すと、麗子は言った。
『私、コウジとタクヤに会ってみたい。留守番しててもいい?私が今帰って、あの子たちが二人だけになる思うたら胸が痛い。帰れんよぉ。』
 しかし、麗子にも待ってる子供達がいるはずで、
『ワシはええし、そりゃコウもタクも喜ぶ思うけど、アラシとソウタはどうするんやぁ。こっちがよくてもアイツらが可愛そうじゃないかぁ。』
 俺は居て欲しいという気持ちを必死で押し殺しながら、そう言った。
『うん、そう言ってくれて嬉しい、ありがとう。でもあの子達にもちゃんと話しとるし、実は、お父さんにも今日は友達の所へ泊まりになるかもしれんけぇお願いっ!て言うて来たんじゃあ。子供達も納得して行ってらっしゃい!って言うてくれたけ大丈夫よ。』
と照れながら、肩をしぼめてみせた。
 なんと計画的お泊りだったのかと、俺は喜びを隠し切れずに、
『そういう事なら、じゃあ頼むね。ワシもう行くけん。』
 俺は言いながら玄関に向かい靴を履こうとした。振り向かなくても麗子がすぐ後ろで俺の後ろ髪を引っ張っているのが分かるが、思い切って振り払った。
 玄関のドアを閉める時ハスキーな声の、
『行ってらっしゃ~い。』
が聞こえた。
 店に向かいながら、コウとタクの驚く顔・いつも二人だけなのに大人が傍にいてくれるという安心感に満ちた顔を想像しながら、自転車をこいだ。
 久し振りに仕事へ身が入らず、ニヤニヤとしていつもと違う俺の雰囲気に、マスターもパートで来ていた麻美さんも、仲良くなった常連のお客さんも、
『どしたん?父ちゃん、なんか機嫌よさそうじゃん。何ええ事があったんよぉ?』
と100%冷やかし文句を言われ、
『別にぃぃ~。』
と、明らかにいい事があったのを隠し切れずに、いい事があったのをアピールしまくっていた。
 時間が経つのがとても遅く感じる一日だった。1時間は経ったかなと時計を見ると、30分くらいしか経っておらず、イライラしていると携帯がブルブル震え開いてみると、麗子からだった。
 麗子が作ってくれた晩御飯をおいしそうに食べているコウとタクを写した写メだった。
 本当に久し振りに見る物凄く楽しそうな安心しきった二人の笑顔が飛び込んできた。
 俺もそれを見たら安心して、残りの時間は仕事に集中する事ができて、あっという間に片付けの時間になった。
 その日は、これまでにないほどの最速で片付けが済んだ。ソワソワしている俺を見て、マスターも気を利かせてくれて、
『父ちゃ~ん。もういいよぉ上がってもぉ。』
 いつもの俺なら、
『いや、いいッスよ!最後までやります。』
そう言うのだが、今日は違う。
『はいっ!お疲れっしたっ!』
 店を出て、【終わったよ。今から帰るね。】
とメールを打ち、麗子の待つ家へ帰る事だけを考えてペダルを踏んだ。チビ達も寝ている筈、大人の時間だぁぁっ!と玄関の前に来るまでムフフ顔であったが、ドアノブに手をかける時には真顔になるよう顔を作っていた。
 それまでに麗子からの返信はなかった。電気が点いているのは外からわかったが、家の中は静まり返っている。
《はぁぁ。どうやら疲れたみたいじゃのぉ。
待ち切れんかったかぁ。》
と、溜め息を1つ吐いて少しガッカリしながら、そーっとドアを開けた。
 そうすると、玄関口に右からコウ・麗子・タクが正座をし麗子の合図で、
『父さん、お帰りなさ~い。』と合唱した。
 驚いたのと、嬉しいのとで感激した俺は、目の前にある幸せを確信したのである。
 家に入ると、仕事に出る前と帰った時とで妙な違和感がある事に勘付いた。住み慣れた家なのに、何か落ち着かない。しかし、何故か心地よいのである。新築の他人の部屋に見慣れた家具がある。そんな感じなのだ。
 そう、俺が帰るまでに片付けてビックリさせようと三人で頑張って掃除・整理整頓をしていたそうだ。
 常日頃から、俺なりに片付けていたつもりだったが、女の目から見ると我慢ならんかったと、本音で話してくれた。
 次の日は学校も休みなので、夜更かししても大丈夫とコウもタクもいつもと違う雰囲気に興奮して眠れないみたいで、四人で朝方までトランプをしたり、しりとりなど幼稚な遊びをして盛り上がった。
 もともと夜行性のコウもタクも慣れない掃除に疲れたのか、限界まで頑張ったがそのままコタツに潜り込んで、いつの間にか寝息を立てていた。
 その寝顔を見ながら、俺はまだ見ぬアラシとソウタが気になって仕方なく、逢ってみたいという気持ちは強くなった。
 さすがの俺も限界が来て、麗子を見るとちょうどアクビをしていて、視線に気が付くと照れたように微笑んだ。
『もう寝よっか?今日はありがとね。』
『うん、私も楽しかったよ。』
『今度はアラシとソウタも連れて来てあげんにゃあ、いけんよ。可愛そうなけぇ。』
『うん、わかった。ありがと。』
『じゃ、おやすみ。』
『はい、お疲れ様でした。おやすみ。』
 最後にこんな会話を少しだけすると、軽くキスをして二人共横になり、意識がなくなるまでは秒殺だった。
 昼過ぎまで俺は仮死状態だった。鉛のような体を気力だけで起こすと、俺の両脇には小さい死体がまだ二つヨダレを垂らして転がっている。
 コタツの上には、程よく焦げたトーストと目玉焼き・粗挽きソーセージのモーニング定番メニューが三セット用意されてあり、小さなメモ用紙に、
【おはよう。黙って帰ってごめんなさい。でも、やっぱり子供達が気がかりなんで帰ります。子供達に逢いたいって言ってくれて、本当に嬉しかったよ。近いうちに連れてくるからね。P・S・料理人相手にこんな物しか出来なくて、恥ずかしいっ!】
と書かれてあった。
 読み終えたところで、しばらくジーンと感動に耽っていた俺は、麗子の顔を思い出しながらトーストを手に取り、一口ほお張って思った。
《麗子に決めたっ!》
 しかし麗子と付き合うにしても、まだ打ち明けていない重大な問題が俺にはあったし、
お好み屋のオバちゃんに言われた、
『子供は心配いらんよぉ。』というのは、幼いアラシには父親の思い出が殆ど無いのと、特に弟のソウタは、ある事件に巻き込まれる過去があり、少し人間不信、大人不信、それも男性に対してなっていると麗子から聞かされた事も気になっていた。
 まだ短い付き合いだが、麗子という女性は思い立ったら何事に対しても早い、直感即決慎重行動派みたいだ。初対面の時にもなんとなく感じたが、それを確信させたのはアラシとソウタに逢える日をすぐに段取りしたと報告があった時だ。
 そういう俺は、短時間の少しの会話で大体どんな人間か判るという客観的人間観察派である。
 日曜日の朝方まで話して、俺が目覚めた時に麗子はもう居なかった。仕込みに入る前に電話をしてみたが、5回コールしても出ないしかけ直しても来なかったので、落ち着く場所に帰って深い眠りに就いているのだろうと思った。
 開店時間直前、仕込みも終わりタバコを一服した後、暖簾を出している時に電話から、ポップな着信音が流れてきた。夕方の5時まではマナーモードにしていない。
『おはよう。電話、気がつかんでゴメンネ。もう店を開ける時間よねぇ。大丈夫ぅ?』
 気を遣って電話を切ろうとしているみたいだが、切りたくないという想いの方が強いのは、鈍感な俺でも話し方で分かった。
『いや、ええよぉ。開けたばっかりじゃし、お客さんが来るまでは大丈夫。』
『ほんとにぃ!よかったぁ!家に着いたら死んだように寝てしもぅて、ついさっきまで目が覚めんかったぁ。んで、秀の都合もあるじゃろうけぇ、早く言うとこうと思って。明日の朝から子供ら連れて行ってもいい?無理ならいいんよぉ。』
『ええっ!いや、ワシはいいけどぉ、って言うか来てほしいけど学校はぁ?』
『一日くらい休ませてもええよぉ。子供らにも、明日もしかしたら学校休んで広島の友達の所へ行くかもしれんよぉ。って、さっき言うたら喜んどったし。じゃあ、行ってもいいん?』
『そりゃあ、勿論オッケーよ。アッ!らっしゃいませっ!』
 本日の1組目のお客さんが入店してきた。
 耳に当てていた電話を一旦腰の後ろに隠して、マスターと声を揃えて客を迎えると、厨房の中でしゃがみこみ電話を耳に戻すと、
『麗子ぉ、ゴメン!店が終わったら又電話するけぇ。』
『うん、わかった。頑張ってね。』
 麗子の声を聞き終えると俺は電話を切り、仕事モードに気持ちを切り替え、麻美さんがとってきたオーダーの伝票に目をやった。
 比較的、日曜日というのは前半にファミリー・カップルみたいな客層であり、後半は周辺の美容院関係の若い子が来るというパターンで、店仕舞いがスムーズに終わるのだが、この日もそうだった。
 1週間が終わったのと明日への期待で、清清しい気持ちのまま家に帰ったが、玄関のドアを開けると声になるほどの溜め息が出た。
 綺麗に片付いた部屋はわずか半日で雪崩に襲われたように崩壊状態になっていた。
 電話を取り出し、麗子にかけると待ち合わせの打ち合わせをして手短に電話を切った。
 布団を蹴散らかし押入れの上下にある無邪気な寝顔を確認すると、片付けは朝にしようと決め、電気を消しコタツに吸い込まれると眠りに就いた。 
 翌朝、携帯電話のスピーカーから機械的なアラーム音が設定時刻になった事を告げて来た。月曜日から金曜日は7時にセットしてあった。
 寝起きの一服を済ませ、コタツの上にあるリモコンを手に取るとテレビに向けて、赤外線ビームを発射した。朝の情報番組の芸能ニュースと星座占いを三人で見るのが日課だった。
 そろそろかな。隣のベッドルームに行くと寝起きの悪いタクから声をかけ、コウを起こした。
『おい、今日ぉ学校休むかぁ?昨日のオバちゃんが子供連れて遊びに来るけぇ、お前らも一緒に遊ぶぅ?』
 眠たそうにしていた二人だったが、急に目を輝かせ、タクは黙ってニンマリとしコウが言った。
『うん!休むぅ!でも父さん!オバちゃんはひどいんじゃない?お姉ちゃんじゃろ。』
『ハイハイ、そう。オネエチャン。』
 コウは機嫌を取るのが上手い時もあるが、糞生意気な時もある。
 朝飯の仕度をしていると、麗子からメールが入った。
【おはよう!今から家を出ます。高速バスで行くから着いたら電話するね。】  
【了解しました!】
短めの返事にした理由は、この荒れた大地の開拓をしなければいけないという、大きなミッションがあったからだ。
 手際よく片付けたというか、とりあえず見えない所に詰め込んで隠したという方が正しいのかもしれない。
 とりあえず麗子がキレイに片付けてくれていたのと近いカタチにはなったので、ホッとしていると、もうすぐ着くというメールが届いたので迎えに行く準備をした。
 二人も付いて来ると言ったが、定員オーバーになるので、留守番をさせ車に乗り込むとエンジンに火を点けた。
 バスセンターに到着すると、目印にしていたオブジェのある場所に麗子は立っていて、俺の姿に気がつくと手を振って微笑んだ。
 麗子の顔を見て、その左右下の方へ視線を落とすと、もどかしそうにしている子供が二人、当時流行のポータブルゲーム機を持って立っていた。

    第五章  決意九州遠征

 麗子は眠りの浅いタイプで、次の日に楽しみにしている事があると早く目が覚める習性だった。
 離婚後、父親が一人で暮らす実家に舞い戻った私は、家事・育児・学校行事・昼夜掛け持ちの仕事と忙しい毎日を繰り返し、オーバーヒート寸前になる事もたまにありました。
 厳格だった父も、母の死後は人が変わったように穏やかで、孫のアラシもソウタも分け隔てなく可愛がり、私の事も心配してくれていました。
『麗子ちゃん、あんまり無理しなさんなよ。たまには、体を休めんと。』
『大丈夫、大丈夫!お父さんこそ気をつけてよぉ。もう歳なんじゃけぇ。無理せんとってぇなぁ。』
 互いを思いやり、そんな会話をよくしていたものです。
 月曜日の朝、まだ薄暗い6時頃に目覚めた私は、7時前には出勤する父の朝食を用意して、素早く身支度を整えるとアラシとソウタの布団を剥ぎ取りました。
 お兄ちゃんのアラシは朝が強い子で寝起きはいいのだけど、甘えん坊のソウタは愚図っていました。
『ほらっ、二人共起きてっ!広島に行くよ!はい、仕度して。』
 目をこすりながら、夢遊病患者のように二人は着替え始めました。
 アラシは着替えながら頭も覚醒したみたいだけど、ソウタは学校の制服を着ようとしているではないですか。
『あぁ、違う違う!ソウタぁ、シャキッとしてっ!コレコレ、コレを着てッ。』
 いつもより慌ただしい朝の仕度に、二人は戸惑いながらも準備を終わらせ、家を出る頃には期待感を隠せない笑顔を見せていたのを憶えています。
 秀太郎にメールを送り、調べていた高速バスの発車時刻を再確認して、
《よし!予定通り、完璧!後は子供達同士が仲良くなってくれたら、ええんじゃけど。》
 私は、それが1番の心配だったけど、コウとタクと半日過ごしてみて、
《大丈夫、大丈夫!秀の子とウチの子じゃけぇ、絶対に大丈夫!》
 そう願い、そう言い聞かせ、なんの根拠もないけど何故か私には自信があったのです。
 バスの停留所で5分ほど待っていると、待機していたバスが目の前にプシューッと音をたてて停車して、ピーッと自動扉が開き、女性の声のアナウンスが流れてきました。
 乗客は少なめで、ゆったりと座ることが出来て車酔いの事も考えると、念のため中央付近の席をとったのだけど、1時間半ぐらい揺られ続けた時に、緊張のあまりかアラシの顔色が蒼ざめてきたのです。
『どしたん?アッ君、気分悪いん?』
『………うん。』
 か細い声を絞り出し、小さく頷くアラシに前列席の後ろポケットにあるビニール袋を手渡し、背中を擦ってあげました。
『アッ君、もう少しじゃけぇね。頑張って。』
 アラシを励ます私の膝の上で、ソウタはゲームに夢中でした。
 家を出て2時間ほど経つ頃、バスは高速道路を下り、市内に近づいていくほど交通量も増えていくのを見て、
《車で来とったら、絶対迷子になっとったかもしれん。いや、なったわぁ。》
 私の地元は割りと交通量も少なめで車の運転も穏やかに走行できる、つまり田舎です。
 目的のバスセンターに到着する頃には、アラシも落ち着き、バスを降りると秀から聞いていたオブジェを探しました。
 バスセンターから少し歩き、辺りを見渡すと目印のオブジェを見つけて、三人並んで手を繋ぐとソウタはしっかりと握り返してくれましたが、アラシは笑って手を振り払うのです。
 もう照れ臭く感じる年頃なのかと、内心寂しく思ったけど元気を取り戻したみたいで安心しました。
 もう間も無く秀も来てくれるだろうけど、初めて会う大人の男性にアラシは、特にソウタはどのような反応をするのか、秀はこの子達を受け入れてくれるのだろうかと不安と心配があったのも本心ではありました。
 秀は、昭和50年代の古いマツダのポーターという深緑色した超レトロな車に乗っていて、マニアにはたまらないが馬力が弱くマイペースな走りしかできないので、秀はこの車を【亀吉】と呼んでいました。
 最近の静かな車とも爆音を轟かす改造車でもない、独特な今にも止まりそうなマフラー音に、白煙を撒き散らす【亀吉】が目前にやって来ました。
 私はアラシとソウタの存在を一瞬忘れて、車から降りて来た秀に手を振った後、ふと我に返り、アラシとソウタを見ると、ソワソワして落ち着かない様子でゲームをしていました。
 まだ、ようやく歩き始めた頃のアラシは憶えていないだろうけど、別れた父親が感情的に当ったり、子供のオモチャを投げつけられたりした事もあったのですが、最も心配なのはソウタの方でした。首が据わる時期に別れたソウタの記憶には、父親という思い出は全くないまま育ったけれども、小学校に上がる前の年に悲劇が起こったのです。
 日頃から仲良くしていた私の友人の子供達兄弟とアラシとソウタの四人で自転車に乗って遊んでいた時の事です。友人宅の近所で遊んでいたのですが、まず1番年上のショウちゃんが安全を確認し道路を渡ると、続いてショウちゃんの弟のユウちゃんとアラシが渡って、後ろを振り返りました。遅れをとった1番年下のソウタは措いて行かれまいと、ペダルに足をかけ踏み出した時です。
『ソウタっ!来るなっ!止まれっ!』
三人の声が響いた。が遅かったのです。
 ドンッ! …鈍い音がした。
 道路には血を流しているソウタが倒れているけれど、ソウタを轢いた車は無情にも逃げ去ったのです。
 普通の大人でも、このような事故に直面すると動揺するだろうのに、ましてやアラシ達はまだ子供。動揺しない訳がありません。
 しかし、ショウちゃんは1番年上という責任感からか冷静さをすぐさま取り戻すと、ユウちゃんとアラシに『ここを離れるな!』と指示をして自宅へ帰り、母親に事情を話すと私の携帯に連絡をくれました。
 連絡を受け電話を切った私は、なかなか状況を飲み込めずにいましたが、信じたくない事実に現場に着くまでの行動を今でも思い出せません。
 救急車で病院に運ばれ、12時間にも及ぶ大手術の末、峠は越しましたがICU(集中治療室)に移送されたソウタは、麻酔のせいでまだ意識は戻っていません。
 手術は成功という医師の報告に安堵した後に、沸々と込み上げてきた物があります。
 そう、轢き逃げ犯に対しての怒りです。
ICUで寝ているソウタを見るたびに怒りと悲しみと言葉にならない心情で体が震えたものでした。
 不幸中の幸いか、事故直後に現場を通りかかった会社員の方が、車のカラーとナンバーの1部を憶えていて通報してくれたお陰で、
翌日には犯人逮捕の報告を警察から受け出頭して来てほしいと電話がありました。
 私は、どういう気持ちで逃げたのか、今はどう思っているのか聞きたい思いはありましたが、その間にソウタが目を覚ましたら傍にいてあげないと余計に不安と孤独に襲われると思い、病院を離れる事が出来ない事を警察官に伝えました。
 事故処理とか事情聴取やらで、すぐに来てほしいと言う心無い警察官と感情が昂っている私は口論になったが、意識が戻るまでは待ってもらえる様にしてもらいました。
 術後は順調に回復し、後はソウタ本人の精神面の問題です、と医師から言われ意識が戻ったソウタはICUから個室に移りました。
 時間が少し経ち落ち着いた様子のソウタには、まだ笑顔が戻らずベッドの上で虚ろにしている。
 警察へ行って話しをしないといけない事を傷ついたソウタに刺激を与えないよう言葉を選びながら説明すると、間を置いて納得してくれたけれど、ソウタの目は微かに潤んでいました。
 警察署に着いた私は入ってすぐの受付で、事情を話すと担当の警察官を呼んでくれました。形式的な調書を取ると事故の内容を話し始めました。
 逮捕された犯人については、高齢のお婆さんだったそうです。ソウタを轢いた事についてはどう思っていたのか尋ねると、【何かカンカンかゴミを踏んだと思った。】と言ったそうです。急に涙が溢れてきました。
 車を運転していて人に気付かず(ハッ!)とする事は誰でもあると思いますが、轢いた事に気付かなかったという言い逃れ、最愛の息子をゴミ同様に扱った事に対して許せない気持ちでいっぱいになりました。
 それに付け加え、身内に代議士か何かいるそうで不祥事を表沙汰にしたくないと、お金で解決させようとした事に対しても怒りを押し潰すのに精一杯でした。
 生まれて初めて芽生えた感情は、《殺してやりたい!一生許さない!地獄に堕ちろ!》でした。
 それからも長引いた裁判の末、後は保険会社を通しての話という事になったのは、止むを得ない結果でした。
 ソウタの事を考えての事でもあり、起こった事実は消せない。ただ、1日も早く体も精神的にも回復してほしかったので、長引かせるのは悪影響と判断したのです。
 退院してからのソウタは、怖い思いをした事・嫌な思いをした事情聴取・自分は死にかけたのに逃げた大人、となかなか立ち直れずに不安を抱えての生活が続きました。
 夜に電気を消すと、私の隣で寝ているソウタは私の胸元に潜り込んで来て乳首を加えるとチュウチュウ吸ってきて、普通なら笑ってしまうかもしれませんが、それをされる度に無意識の状態でも不安なんだと、ソウタの頭を抱え込んで泣きました。
 オマケに、事故前には止まっていたオネショが毎晩続いたのです。込み上げる悲しみは言い様もありません。
《ソウタぁ、母ちゃんがずっと守ってあげるけんね!》毎日毎晩、心の中で呟きました。
 秀と知り合うまでに、この人いいかなぁという人に知り合っても、最初のうちはいい事ばかり言うけど何回か会った時に決まってこう言われたのです。
『いっつも、子供が一緒じゃないないかぁ。たまには、子供抜きで逢えんのかぁ?』です。
 三人で1つの私は、このセリフを聞くと、
《あぁ、この人も駄目だぁ。結局は体だけが目的かぁ?私に手足を捥いで来い言うんか!》
と冷めてしまうような思いをしてきました。
 だから、そんな過去を持つソウタに秀はどう接するのかという不安があったのです。
 秀はニコッと微笑み近付くと、私には目もくれず、両脇にいる子供達の頭に手を乗せ軽く揺すると、
『お前がアラシで、お前がソウタかぁ!よぉ来たのぉ!アレ見てみ。おいちゃんの車、シッブイやろ!ほな行くでぇ!ワッハッハ!』
と一人づつの顔を見た後、豪快に笑ったのです。
 家に着くまでの車中も『クイズ出してやろうかぁ!』とか『シリトリするか!』って、子供達ばかりを相手にして私の問い掛けに対しては、軽い相槌だけ。
 子供たちは当り前のように可愛いけど、私の中に嫉妬心みたいな感じがあるのと、こんなにこの子達をかまってくれた男の人は初めてで嬉しいという複雑な心境でした。
 秀と子供のやり取りをずっと見ていると、
私の機嫌を取るためではなく秀が子供達の目線に合わして、というよりもともとその目線しかないのか秀が1番楽しんでいる様に見えました。
 子供達にまだ笑顔はありませんが、今まで遊びに連れて行ってた時とは違った変化が、
二人にはあったのです。
 手に持つゲーム機からはサウンドが流れているけど、上下左右に動かしていた指がいつの間にか止まっているのです。
 もう1つは、亀吉の後部座席から身を乗り出して、秀の方を珍しそうに見つめている目が、唯一心を許している私の父と兄を見る時と同じ輝きで見ているのです。
 この短い時間にこの子達をそうさせた秀の特殊な能力に感心しました。
 ようやく家に着き、コウジ・アラシ・タクヤ・ソウタの初顔合わせで緊張しましたが、
玄関の前に立つと予想していた通り、中では
ドッタン!バッタン!ワーワーキャーキャー
聞こえています。
 秀は少し焦ったように、
『チョ、チョット待ってね!』
と私達に言うと、玄関ドアを開けて、
『あぁぁぁぁぁっ、もぉぉぉぉぉっ!散らかさんように、ええ子にしとけ言うたじゃろうがぁ!』
と怒っていましたが、コウとタクはヘラヘラ笑っています。日常茶飯事の事で慣れているのでしょう。
『まぁ、ええじゃん。あんまり怒ってやらんとってぇ。ね、秀。』
私がフォローを入れると、コウとタクが声を合わせて、
『あっ!おばちゃ~ん。いらっしゃい~!』
と強い味方をつけたかのように秀を見て笑っています。
『チェッ!もぉぉっ。』
と秀は子供のように不貞腐れた顔をしていたので、
『よぉっ!コウ。タク。おばちゃんトコの子供も連れてきたんじゃけど、遊んでくれる?』
と言うと、コウとタクは純真無垢な笑顔で、
『いいよぉ!俺はコウジで、こいつはタクヤって言うんよ。よろしくっ!』
とコウが代表して言い、隣でタクはニヤニヤ笑っています。
『はい、次あんた達の番よぉ。』
と背中をポンと叩くと、ホームグランドで好き放題のコウ達に圧倒されて、
『俺、アラシ。』
『ソウタ…。』
と、二人は軽い自己紹介をしました。
『アッ君、ソウタぁ。近くに公園があるけぇ行こうやぁ!』
と、コウが靴を履きながら言いました。
 この状況からコウはすでに、リーダーになったつもりのようでした。
 アラシとソウタは、《どうしよう?行ってもいいん?》という感じで私を見上げていたので、靴を履き終えたコウの手を掴み、
『駄目ーぇ。お部屋を片付けてからぁ。ホラッ、おばちゃんも手伝ってあげるけぇ。』
と私は少し意地悪そうに笑って言いました
 渋々靴を脱ぐコウとそれを見てニヤリとしているタクを家の中に押し戻すと、目の前に広がる光景は、
《この家だけ地震が起きたのか?家の中が1回ひっくり返ったのか?》
以前来た時が震度3なら、今回は震度7強って状況です。
 【手伝う】と言った発言に少し後悔しながら、秀と顔を見合わせて同時に溜め息を漏らしました。
 前回ほどチカラを入れずに、ある程度見れるぐらいまで片付けると、五人が靴を履き始めました。 …五人? …秀もです。
『チョ、チョット、秀!どこ行くんっ?』
慌てて聞く私に、秀は不思議そうな顔をしながら、
『えっ、公園。麗子行かんのん?』
と尋ね返してきました。
『少し疲れたし、チョット休みたい。二人でゆっくり話そうよぉ。』
と甘えてみせると秀は、
《あっ!いけねっ!》みたいな表情を一瞬見せて顔を引き攣らせていました。
 離婚後、私の出会ってきた男達のセリフを今は私が言っていると気が付いたのと、子供のような秀にプッと笑ってしまい、秀もつられて笑いました。
 家の中に入ると、一度目の時にコウから台所の勝手を教わっていた私は、コーヒーを二つ入れコタツに二人で並んで座りました。
 一緒にいるだけで、いろんな話をしているだけで、子供の事を受け入れてくれているだけで、私は幸せを感じていましたが、話す途中途中で秀は時折しょんぼりと悩みでもある表情を浮かべるのに気付いていました。
 人は大なり小なり皆悩みを持って生きていると思いますが、秀のチカラになってあげたい、でも言いたくない悩みもあるだろうし、それは私を苦しめる事で悩んでいるのだろうかと頭の中でいろいろ考え、聞くべきか聞かないでそっとしておくべきか躊躇した結果、
『ねぇ、秀ぇ。なんか様子がおかしいよ。言いたくない事なら聞こうと思わんけど、なんかあるんなら言ってよ。』
 私は秀の顔を下から覗き込んで言うと、私の目を見て、大きく息を吸い込むと、
『麗子、実は…。』
と話し始めました。
 秀の一番上のお姉さんが、広島市内から車で一時間くらいの所にある地元の呉市で小さな居酒屋をしているそうなのです。
 お姉さんは秀が居候していた時のご主人と離婚し、再婚相手と自分達のお店を持ったそうです。
 夫婦二人でやっていたので、秀が店休日の時は子供達を連れて手伝いに行っていたらしく、店のマスターに教わった料理や新メニューなどの提案などもしていたそうです。
 そのお義兄さんが思いもよらぬ遺産を相続する事になり、海の幸豊富な秀の田舎である九州の対馬に店を出すという計画を練っていたそうです。
 そこへ、タイミングよく料理が出来た上に離婚して父子家庭、両親が傍にいるなら丁度いいだろうと、お義兄さん夫婦は秀に、
『秀、対馬の店を任せるけぇ、お前行ってくれんかぁ?ええトコじゃし、コウとタクにも絶対にええ環境じゃあ思うんじゃけどのぉ。どうなやぁ?』
と持ち掛けられていたそうで、その計画が出た頃には、まだ私と出会っていなかったのです。
 話は進んで行くし、一旗揚げたいという男の夢や子供達にとっての環境を考える一方、
私への想いも大きくなり後戻り出来ない気持ちになっていて、夢を捨て私を選ぶか私を諦め対馬に行くかの、どちらかを選択しないといけないんだと打ち明けてくれました。
 秀はそれから下をむいて黙り込み、顔を上げるとコタツの上の冷めたコーヒーを一気に飲み干しました。
 そこまで私の事で悩んでくれているのかと思うと、私はなんだか嬉しいのと申し訳ないという想いで、横から秀に思いっきり抱きつき、その勢いで倒れた秀の上に私も倒れ込みその私を秀は、強く優しく抱き締めてくれました。
 目と目が合いキスをしそうな場面になった時、外から賑やかな聞き覚えのある子供の声が近付いて来たので、咄嗟に二人は体を離して座り直しました。
 出て行く時は、二つの笑顔だけでしたが帰ってきた時、笑顔が四つになっていたので、
子供同士の順応力には驚き感心しました。
『おかえりぃ~。楽しかったぁ~?』
四人の顔を見たら聞かなくても判る事を、敢えて聞きました。
『アッ君、メッチャすげぇ~んよぉ。』
『あのブランコんとこのが凄かったなぁ、コウくん。』
 アラシとコウの興奮冷めやらぬ会話と、ゲームを見せ合って笑っているソウタとタクを見て、秀と私にも笑顔が戻りました。
『よぉ~し、おばちゃんと御菓子買いに行く人ぉ、この指止まれぇぇ~!』
 右の人差し指を差し出すと、餌を見つけた猿山の子猿のように私の指めがけて4匹が飛び掛かって来ました。それはもう、指を折られるんじゃないかと思える勢いだったので、恐怖を感じたほどです。
『秀はぁ?どうするぅ?』
『ん?じゃあ、行こっかぁ!』
 六人で手を繋ぎ、歩いて近くのスーパーに行きましたが私の頭からは、さっきした秀の話と心境が離れませんでした。
 楽しい時間の終わりは高速で訪れ、帰りたくなさそうな二人を説得していると、
『アラシ。ソウタ。もうすぐ冬休みじゃけ、
今度は泊まりに来いのぉ!おいちゃんらも遊びに行ってええかぁ?』
と、秀が言ってくれました。
『うん、来てもいいよぉ!』
 アラシが笑顔で言うと、
『アッ君、ソウタ、また来てね!』
 コウが言いました。
 帰りのバスの車中、疲れきった二人は天使のような寝顔で、それを見ながら私はある事を決意しようとしていました。
《秀の選択肢をもう一つ増やす事になるかもしれんけど、私…私も対馬に行くっ!》

    第六章  年末集団移動

 麗子に不安が無いと言えば嘘になる。
 対馬という島がどんな所か、何処にあるのか、これを【つしま】と読むというのさえ知らなかった。秀太郎から、
『九州の人間でも知らん奴おるでぇ。』
と聞いていたし、島には秀太郎の親戚や祖母がいるらしいが、麗子にとって知る人は秀太郎だけになる。
 子供達は環境の変化に耐えられるのだろうかという不安に襲われながら、悩み闘っていた。
 それに麗子は、島というのにも過去の経験から若干の抵抗を感じていた。葛藤しながらも大丈夫だ!と、自分を信じ奮い立たせていく日々が暫らくあった。
 そんなこんなで子供達にとって待ちに待った冬休み、約束の日がやって来た。
 勿論それまでに麗子と秀太郎は連絡を毎日とっていたが、二人の計画は冬休みの前半は秀太郎の家で過ごし、正月は麗子の家で過ごすというものだった。
 対馬に行くと言う麗子の決意はまだ秀太郎には告げていなかったし、了解も得ていないので完全に独断だ。
 もし、断られたらという心配は微塵もしていない様子だった。
 麗子は何日か分の荷物・着替えをバッグに詰め、アラシとソウタのリュックサックを押入れから取り出すと子供達の着替えを用意した。その中にはソウタの小児用紙パンツも入っていた。
 麗子は子供達を起こして言った。
『アラシぃ~、ソウタぁ~起きてぇ。コウくん達の所へ行くよぉ!ゲームとか持って行くモン自分で詰めてぇ。』
 前夜から、子供達も楽しみにしていたからアラシは勿論だが、あの寝起きの悪いソウタまでも笑顔で起きて来た。
 今日は麗子の車で出かけるのだ。麗子は国産の軽バンに乗っていたが、当時流行だったワーゲンバス仕様に改造していた。
 ソウタが事故に遭った時に一緒だった、ショウちゃん達兄弟の両親が個人経営の車屋さんで、オーナーの父親がハーレーやその類の改造を専門とした腕のいい職人だった。
 ボディーの色・パーツ・内装・小物にまでこだわり、麗子もオーナーも納得のいく一台を完成させた。
 麗子はセンスのいい女で、しかも流行の最先端を行っていると自分でも満足そうに言っていた。
『今でこそ、ワーゲン仕様車よう見るけどコレ作った時は、まだ廻りに一台もおらんかったんよぉ。雑誌で見て可愛い~って思って、知り合いの車屋に言うたら、パーツの取り寄せも難しかったくらいじゃけぇ。私が作ってその後増えて来たんよぉ。珍しいけぇ皆振り向くし、写真撮らせて下さいってよう言われたわぁ。』 
 麗子が自慢そうに話すと、秀太郎はからかうように笑いながら、
『ほんまかいのぉ?』と言うので、麗子もムキになって、
『ホンマよぉ!子供ん時にもカルピス飲んだ時にこれがシュワシュワーってなったら美味しいのにって思いよったら、カルピスソーダが発売されたんよぉ!』 
『ほぉぉぉぉ、麗子がカルピスソーダの発案者じゃったんかぁ!ワシゃあ、凄い偉い人と付き合いよるんじゃあ?』 
『もうっ、信じてないじゃろ!』 
 麗子が不貞腐れて不機嫌そうに言うと、
『怒るなよぉ、ゴメンゴメン。信じとる、ワシは麗子の事全部信じとるけぇ。じゃあ、車の写メを送ってぇ。』 
 毎日、限られた時間だけ出来るそんな他愛もない秀との会話が、麗子にとっては心休まる癒しのひと時だった。
 写メを送ると、秀太郎が見たいと言うので麗子は自信がなかったが、自慢したいという気持ちもあったので車で行く事にした。
 荷物を車に載せ、興奮気味のアラシとソウタを後部座席に座らせ軽快に出発した。麗子が大好きな矢沢永吉率いるキャロルの【ファンキー・モンキー・ベイビー】が車内に流れていた。
 秀太郎の待つ広島には思ったよりもスムーズに着いたが、長い道程の運転は久し振りだったので麗子の腰と肩はパンパンになっていた。
 事前に話していたが、その日は丁度月曜日で、夜は呉の店に皆で行く事になっていた。
 秀太郎の身内に初めて会うというので、麗子は少しだけ緊張をしていたせいもある。
 玄関の前に立って呼び鈴を鳴らすと、勢いよくドアが開き、
『あっ、おばちゃ~ん。お~い、タクぅおばちゃんが来たでぇ!ねぇねぇ、おばちゃん?アッ君たちは?』
 奥の部屋からタクが駆け寄ってきて、それから秀太郎が姿を現した。
 秀太郎がコウとタクの服を引っ張り後ろへ引くと、
『お前らは、ええんじゃけ!片付けの最中じゃろうがっ!おぅ、いらっしゃい、疲れたじゃろ。』
『ううん、大丈夫よ。車ぁどこに停めよっかぁ?』
『あぁ、そうそう車、車!見せて見せて!』
 秀太郎はサンダルを履き、外へ駆け出すと
一目で判る麗子の車に近寄り、
『おおおおおっ!可愛いじゃ~ん!』
 そう言って秀太郎が振り向くと、すぐ真後ろに誇らしげな笑みを浮かべる麗子が立っていた。
 秀太郎はアラシとソウタに挨拶をして、家に上がるよう促し麗子を誘導すると、車をアパート側のブロック塀スレスレに停めさせたのだが、明らかに路駐だ。
 家に入ると、すでに子供達のワンダーランドと化していた。秀太郎がコーヒーを入れ、麗子に差し出すと一口飲み、ようやくホッとする事が出来た。
 暫らくの間、はしゃいでいる子供達を放って置いて、秀太郎と麗子は互いに溜めていた物を吐き出すように語り合った。
 時計の針は、いつの間にか4時を回っていた。麗子と秀太郎にとって一日24時間では足りないくらいだった。
 ふと子供達に目をやるが、全く疲れていない様子だ。子供達は大人以上に時間を求めて いるのかもしれない。
 日が暮れてからの予定だったが、駐車禁止の路駐も気になったし、子供達も家の中に飽きてきているようなので、気分転換にドライブも兼ねて早目に家を出る事にした。
 麗子にとって呉とは少し縁があって、姉の信子は独身時代に中学校の教諭をしていて、
呉の中学校に勤めていた。そして秀太郎の生まれた町を挟んだ隣町に住み通勤していた。
 麗子も若い頃、何度か信子のアパートに遊びに来て泊まって帰る事もしばしばあったので、秀太郎が運転するワーゲン仕様車が、呉に入ったくらいから車窓に映る景色を見て懐かしむ表情を見せた。
 亀吉に比べワーゲン仕様車はゆったりと乗れるのだが、四人乗りの軽自動車というのには変わらず、助手席の麗子の足元にソウタをしゃがませた。
 秀太郎は姉夫婦に麗子の事も話してあり、店に着くと、麗子と子供達を快く歓迎した。
 秀太郎の姉・由香里も義兄の伸司も気さくな人柄で、とても初顔合わせという雰囲気ではなく、麗子にとっても居心地が良かった。
 秀太郎は前掛けをして厨房に入ると、葱を刻みキャベツを千切りにしたり、鰹節と昆布で出汁を摂ったりしている。
 流石とは言えないが、なかなかの包丁捌きである。そんな姿を初めて見る麗子は秀太郎の事を感心して見ていた。
『秀ぇ、落ち着いたらチビ等になんか作って食わしてやれやぁ。』 
 伸司が生ビールを二つのジョッキに注ぎ、
一つは秀太郎がいるまな板の上に置き、もう一つは自分の口に運びながら言うと、
『アンタ等だけ飲むんねっ!麗ちゃんと私のはっ!あんた等も食べたいモンあったら、遠慮せんと父さんに言いんさいよぉ。』
 カウンターに麗子と由香里が並んで座り、由香里が伸司に突っ込んだ。
『ヘイヘイ。麗ちゃん何飲む?』
 伸司がもう一杯ジョッキに生ビールを注いで、由香里に手渡しながら言うと、
『ん~、私は烏龍茶で。』
 麗子は日本酒が好きだったが、帰りの運転もあるし、さすがに初対面で酒を呑む勇気はなかった。
『俺、オムライス!』
『俺はカレー!』
『僕、焼きそばがいい。』
『…何でもいい。』
 子供達が順番に好き勝手を言うと、秀太郎は冷蔵庫を開けてみたり厨房を見渡して、
『カレーに決定!』
 ご飯が炊けてあったし、前の晩からのカレーがたんまり残っていたのである。
 カウンターに座る子供達の中から、
『っしゃー!』
と言う声が聞こえる。そこには勝ち誇ったようにニンマリ笑うタクの顔があった。
 子供達はペロっとたいらげ、注文を却下されたコウ以外は皆満足そうだ。
『みんな食べたぁ?じゃあ父さん達は仕事じゃけぇ、おばちゃんの家に行っとこうかぁ?
お姉ちゃんとお兄ちゃんがおるけぇ。』
 由香里がそう言って店から出ると四人を車に乗せて走り去った。
 由香里が舞い戻ってくるまでの間、三人で話しているとポツリポツリと常連の客がやって来た。営業時間は22時までだったが、21時過ぎには客が引いたのと子供達が気になるのとで、早目に店を閉め姉夫婦の家へと向かった。
 家に着くと子供達はあちらこちらで寝ている。特にアラシとソウタは疲れていたのだろう。
 秀太郎と麗子が四人を起こそうとすると、
『もう遅いし、起こすの可愛そうなけ泊まっていきんさい。麗ちゃんもええじゃろ?』
 由香里が優しく問いかけると、麗子は
『アラシはいいんじゃけど、実はソウタが・・・』
と、簡単に事故の事とオネショの事を話し始めた。泊まるつもりで来てなかったので、紙パンツを持ってきてなかったのだ。
 秀太郎は酒も入っているし、身内の家で遠慮がないので泊まりたいが、麗子とソウタの事も考えてやらなければならない。
『ええよぉ、そんなん気にせんで。ウチの娘は四年生までオネショしよったよぉ。時期が来たら自然に止まるけぇ。ハイ、泊まり決定ね!』
 由香里の言葉に麗子はホッとし、感謝の気持ちで好意を無駄にするまいと決めた。
 秀太郎と伸司が隣で対馬行きの話をしている。麗子は決意を完全に固め、二人の会話に割って入った。
『あのぉ、お兄さんいいですか?対馬の話は少し聞きました。ねぇ秀、私も行っていい?
一緒に行って私も手伝いたい。』
 3秒くらいの間があっただろう。
『えええええええええええええっ!』
 三人で驚いた。
『そりゃあ、ワシは嬉しいけど、マジ?ええんかぁ?』
『うん、もう決めた。』
 麗子の顔に強い意志が浮かんでいた。
 伸司も由香里も驚いた後、嬉しそうに麗子の顔を見つめている。勿論、秀太郎もだ。
 荷造り・引越し・対馬の店の準備と予想できない大変さを覚悟して、四人は改めて缶ビールで乾杯をしたのだった。
 また日を改めて話し合う事にし、伸司と由香里は寝室に、秀太郎と麗子は子供達が散らばっている部屋の空いている場所に横になった。
 ソウタが心配な麗子は並んで横になり、秀太郎も二人を見守るようにソウタを挟んで横になった。
 二人はすぐ眠りに就く事が出来ず、少し話をした後黙って見詰め合っていると、二人の間で何やら布団がモゾモゾしている。
 麗子は口の前に人差し指を立て、秀太郎に微笑みかけている。その顔は、獲物が今にも罠に掛かりそうだから逃げられないように静かにしといてね。といった感じの小悪魔的な悪戯っぽい笑顔だった。
 布団の中をソーっと覗くと、間も無くしてソウタが麗子の上着に手をかけ、捲くりあげるとブラジャーを強引に押し上げこぼれ出た乳房と乳首を手探りで確認した。
 続いてノソノソと這い上がって来ると、右の乳首をパクっと口に含みチュウチュウと二回ほど吸った。
 秀太郎と麗子はそれを見てクスクスと笑っていると、二人に気付いたソウタが薄っすら目を開け、秀太郎と目が合った。
 ソウタはバツの悪そうな顔をして、ゆっくりと麗子の服を元に戻すと、またゆっくりと布団の中に消えていった。
 まるで、冬眠から醒めた小熊が洞穴から出て来た時、ハンターの存在に気付きゆっくりと穴に戻って行く様な感じだった。
 朝がやって来てコウとアラシの話し声で目が覚めた麗子は、まだ寝ているソウタのズボンに手を当てると安心した。
 ここの所毎日だったのに、奇跡的にセーフだったのだ。
 伸司と由香里以外のみんな起きたので、秀太郎が後で連絡すると言い黙って帰る事にした。気持ちのいい冬の朝だった。
 秀太郎のアパートに着くと、やっぱり我が家が一番!と言わんばかりの顔をして、麗子は六畳の部屋で大の字に倒れ込んだ。
『なぁなぁ、父さん。外に行ってもいい?』
 子供は疲れないのかと思いながら、何か違和感を感じた。
 声が違う。言葉も話し方もコウではない。
 麗子と秀太郎は一瞬だが、唖然として笑った。そこには、照れたようにアラシが笑って立っていた。
 広島の山口寄りの方では、人を呼ぶ時や語尾が、【ねぇ】とか【のぉ】を付けるが、岡山寄りでは、備後弁になり【なぁ】になる。
 コウとタクに吊られて思わず出たのか、意識して言ったのか、アラシの照れ笑いの真相は分からない。
 秀太郎は、動揺を悟られないように、
『おぅ、ええけど車に気ぃつけろよ。』
とアラシに言った。
 それに便乗してか調子に乗って、
『ねぇねぇ、母ちゃん母ちゃん。いいトコあるけぇ連れて行ってあげよっかぁ?』
コウが言ってきた。
 麗子も空気を読み、コウに合わせて、
『う~ん、母ちゃん疲れたわぁ。またね、ありがとっ。』
と優しく言った。
 秀太郎は子供達に一言も再婚するかもとか言ってなかったし、麗子も同様、子供達に呼び方を強要していなかったのでこの自然な成り行きに、秀太郎と麗子は戸惑いながらも嬉しさを隠し切れなかった。
 二人だけを残した部屋で今後の事を真剣に語り始めた。
 時間が過ぎ、店に出る時間が迫ってきていた。隣で麗子は寝ている。
 起こさない様、頬に軽くキスをして秀太郎は家を出た。
 五時を過ぎて夕日が落ちた頃に、子供達の帰ってきた声で麗子は目を覚ました。秀太郎の勤める店は、30日まで開けると言っていたので、壁に掛かったカレンダーを見て指を一本づつ折っていった。
【秀、ごめんね。寝てしまってた。起こしてくれればよかったのにぃ。私も今から買い物して晩御飯を作ります。頑張ってね、愛してるよぉ!】
と秀太郎にメールを送り、子供達と買い物に出掛けた。
 アンケートをとった結果ナポリタンスパゲッティーに決定した。 
 年末になると店は忙しく、入れ替わり立ち替わりで客が入って来た。
 秀太郎はオーダーの合間を縫って、トイレに行くとメールチェックをした。
【新着メール1件 添付あり】
件名・お疲れ様。
本文・今晩は、超簡単イタリア料理。なんちゃって(笑)みんな美味しいって食べてくれたよぉ!
 画像には、四人が顔を揃えてズルズルとスパゲッティーを啜っているのが写っている。
 癒された秀太郎は、《この幸せがいつまでも続きますように。》と祈りながら、トイレから厨房へと戻った。
 12月30日、今年最後の仕事を終えて家に帰ると、ソウタとタクは寝ていたが、麗子とアラシとコウが起きていてテレビを見ていた。福山へ帰る仕度は済ませているようで、
荷物は既に車へ積まれていた。
 戸締り・ガスの元栓をチェックして、まだ軽いタクとソウタを秀太郎は抱きかかえ、麗子ははしゃいでいるコウとアラシに『シィィィーっよ!』と言い聞かせ玄関の鍵を掛け、ワーゲン仕様車に乗り込んだ。
 焦らずのんびり行こうと、高速道路を選ばずに二号線で帰ろうと提案したのは秀太郎だった。
 夜中の国道は空いていて凍結もしていなかったが、六人と荷物を載せた軽バンはチカラを発揮できず、2時間半ほど掛かった。
 麗子の家に着いたのは3時前だったので、
父の由紀雄は眠りに就いていた。
 静かにドアを開け、麗子を先頭に秀太郎はソウタとタクを抱いている。車から降りた時に一度試そうとしたが、四人を抱えるのは力自慢の秀太郎でも不可能だった。
 麗子達の部屋がある二階に上がると、麗子は布団を敷き始めた。最初に敷いた布団の上にソウタとタクを下ろし、秀太郎は車に戻った。
 二人ならいけるだろうと、秀太郎はアラシとコウの腰に手を回すと気合一発、なんとか両肩に乗せる事ができたが、勢い余ってダブル・バック・ドロップ状態になりそうなのを
《父ちゃん、頑張れっ!フンッ!》と、踏ん張り直した。 
 二階に全員揃えると秀太郎と麗子は疲れた体を横にして、広島・呉で過ごした日々を振り返った。
 朝になり、麗子と秀太郎は一階の由紀雄に挨拶をしに下りた。由紀雄は毎日の習慣で早起きである。
『お父さ~ん、お父さぁ~ん。』
居間にいないので、外に出て麗子が呼び掛けると、
『ハイ、ハイ。』
と庭の草木を手入れしていた由紀雄がやって来た。
 麗子の後ろについて来た秀太郎は、麗子の前に出て、
『おはようございます。初めまして、原田と言います。お邪魔してます。』
『あぁ、はいはい、どうぞゆっくりしてって下さい。』
 秀太郎と由紀雄は堅苦しくない挨拶を交わした。由紀雄は70を過ぎた初老だが、現役で未だ建設会社で働いている為、日に焼けた褐色の肌、肉体も歳を感じさせない若々しさを保っている。
 麗子から聞いていた話で怖い頑固親父のイメージを持っていた秀太郎は少し拍子抜けしたのだった。
 表情は穏やかで、物腰も柔らかく話してみても、善人を絵に描いたような生きた仏様みたいな人物だったからだ。
『麗子ちゃん、外は寒いけぇ中に入ろ。さぁさぁ。』
と、由紀雄は笑いながら麗子と秀太郎の背中に手を当てて、家の中へと押し込んだ。 
 秀太郎は麗子から亡くなった母・和江の事は聞いていたので、居間の奥にある仏壇の前に座り、線香をあげて手を合わした。
《お母さん、お邪魔してます。これからも、よろしくお願いします。》
 心の中で、和江に語り掛けた。
 その晩、由紀雄の計らいで寿司をとり、麗子と秀太郎三人で酒を酌み交わした。反対されるとは最初から思っていなかったけれど、秀太郎一家に対して由紀雄の受入れ態勢の良さには麗子も驚いていた。
 これと言った問題も起こらず時は過ぎ、秀太郎達が帰る日がやって来た。
 別れるわけではなく、離れるだけなのに直情型の麗子は我慢できそうになく、
『お父さん、ごめん。悪いけど私ら、また広島に行って来るわぁ。学校が始まるまでに帰って来るけ。』
 由紀雄はもう慣れてるようで無言の笑顔で頷くだけだが、秀太郎は毎回麗子の行動力に驚かされるのだった。
 1月3日、夜の9時頃には家を出たが出発の時間も遅くなったという理由で、山陽自動車道で帰る事にした。
 福山東インターから乗ったワーゲン仕様車は、相変わらず【キャロル】の曲を流し、軽快に走っていた…途中までは。
 広島東インターを通過した辺りで異常が発生した。時速80キロぐらいで走っていたのだが、急に失速してきた。
 アクセルを何回も踏み直すが、スピードメーターの針はカウントダウンするばかり。
 目標の広島インターまでは後一区間だが、どうやら持ちそうに無い。奥屋パーキングエリア入口まで後500メートル、《頑張れワーゲンちゃん!》二人の想いも虚しく手前で完全に止まり、何か警告ランプが光った。
 ハザードランプのスイッチを入れ、路側帯に寄せると背後からパトランプが回転しながら近付いて来た。
 パトカーはハザードを焚きワーゲンちゃんの前方に停車し、中から二人の警察官が降りて来た。
『こんばんわ、運転手さん、どうされましたか?』
 一人の若い警官が尋ねて来たので、
『いやぁ、急にエンジンが止まってしもうたんですぅ。』
 免許証の確認をとったりして、やむを得ずJAFを呼ぶ事になったのだが、
『ここでは危ないので奥さんとお子さんは、パトカーに乗ってそこのパーキングで待機しましょう。申し訳ないですが、お父さんは車で待っていてもらえますか?』
『えっ?あぁ、はぁ。』仕方ない。
 警官隊に定員オーバーの事は指摘されなかった事に胸を撫で下ろしたが、エンジンが止まっているから、ヒーターも効かない。秀太郎は着ていた革ジャンを麗子に貸してTシャツ1枚。JAFが来るまで2時間くらい待った。
 それは、それは雪が散らつく、とっても寒い冬の日の夜中の事でした。

    第七章  歓迎対馬上陸

 春の訪れがもうすぐだというのに、この年は例年にない寒さだった。
 3月に入り春の新たな出発に向けて、世間でも慌ただしさを見せているが、秀太郎一家と麗子ファミリーも例外ではない、というか考える事・やるべき事が人一倍あった。
 二人とも連絡を取り合い、子供達の編入手続き・住民票の移動・荷造り・引越し屋の段取りと他にも沢山あったが、希望と夢とで楽しみながら作業ははかどった。
 麗子はただ由紀雄をまた一人にするのが、心苦しかったが由紀雄は心配しながらも気持ち良く送り出す姿勢で、寂しさを見せない気丈な男だった。
 一方、秀太郎も仕事の合間や休みの日に、学校に役場に打ち合わせの為、呉へと走り回ったりしていた。
 まだ両家の挨拶をしていなかったので、広島を離れる前にしておかないと。と、秀太郎の両親は焦っていた。
 秀太郎はマスターに事の流れを前もって話していたので、期限が来た勤務最終日には送別会を開いてくれた。
 翌日、秀太郎は両親と子供達を連れ大きな雌雄の真鯛を2匹と日本酒・麦焼酎一升づつ持って、麗子のもとへと向かった。
 麗子の家では、由紀雄を始め姉の家族・兄の家族達も待っていた。
 親同士の挨拶をし秀太郎も改めて由紀雄に頭を下げた。和やかな雰囲気の中、秀太郎は台所に立ち、大鯛を捌いていた。
 1匹の片身は刺身に骨は荒焚き、もう1匹は頭を落とし身は骨蒸しに落とした頭でお吸い物にと腕を振るった。
 調子に乗った秀太郎は皆が揃う場に戻り、由紀雄の為に用意した焼酎を一人で空けてしまった。
 再開した子供達と、麗子の兄・姉の子供達とで大運動会を開催している。
 夜遅くまで続いた宴会もそろそろお開きにしようと、別れを惜しみながら取り合えず原田一家は引き上げた。
 遠距離恋愛のうちはよかったが、二つの家族が一緒になるという事は、移動手段の車を何とかしなければならなかった。
 秀太郎は楽天的性格で貯金もなく、車を買い換える余裕などなかった。麗子と相談したが、無駄な利息を支払うローンを嫌っている麗子は、それまで汗水たらして貯えた預金をはたいてファミリー向け1BOXカーの購入に踏み切った。
 男気というか見栄とプライドの高い秀太郎は、女に金は出させん!と言いたかったが、
現実はどうしようもなく、すんなりと麗子の男気?女気に甘えてしまう。
『私、車の事は詳しくないけぇ、秀に任していい?秀がいいってのがあったら教えてね。』
 そう言って、予算を付け加えて言った。
『それと、一つ我が儘を言ってもいい?私のワーゲンちゃんには、凄い思い出と想いが詰まった最高の作品なんよぉ。一緒に連れて行ってもいいかなぁ?二台あった方が便利じゃと思うしぃ…。』
 秀太郎はそんなの全然我が儘と思わなかったし、ましてや車一台購入させて麗子の意見を却下する権利は全くなかった。
 秀太郎が以前共同生活を送ったリュウジに連絡をとった。リュウジというのは根っからの遊び人で、多方面に交友関係が広く車関係の友人も中にはいたからだ。
『もっしぃ、龍司お久ぁ~、元気かぁ?チョイ相談なんじゃが、お前いい車屋知らん?』
『車屋ぁ?あぁん、おるよぉ。ワシのツレで小さい店じゃけど、よぉしてくれるよ。どしたん、車買うん?どんなんがええか言うとったら、ええの引っ張って来てくれるしぃ。』
 当分の間、連絡を取っていなかったので、簡単にこれまでの経緯とこれからの事をリュウジに話した。
『え!マジでっ?広島から出て行くんかぁ。連絡先は変えんとってよぉ。んじゃあ、車屋の名前はねぇ……』
と、リュウジは店の紹介をし始めた。 
 秀太郎は教えてもらった場所の近辺に着くと、道路沿いに黄色いテントの小さなショップを見つけた。
 店に入ると若い店長らしき男がいたので、
『こんちわぁ、リュウジに紹介されたんスけどぉ。』
『ああ、聞いてます聞いてます。原田さん…ですよねぇ?早速ですが、どういったお車をお探しですかぁ?』
 同年代か少し下っぽい店長は腰が低く、なんとも爽やかな営業スマイルを振舞った。重要視するのは、勿論定員数と予算。格好・メーカー・速さ・機能・色などは二の次、どうでもよかったのだ。贅沢を言えば、年式は新しめの方がいいに決まっている。
 話し合って、条件にはまる候補が二つに絞られた。トヨタのエスティマとホンダのステップワゴンだった。パソコンのディスプレイに写る二台を見比べても両者共に捨てがたいほど綺麗だ。車に拘りがない分、余計に迷った。
 麗子は秀太郎に任すと言ったが、一応その場で麗子に電話してみた結果、車検の長さでステップワゴンが勝利した。
 店長が納車まで手続きは全て任して下さいと言うので、お願いすると何から何まで広島と福山を往復してくれた。
 おかげで、予定よりも早く納車日が決まっり、車庫証明をとった麗子の家に納車する事になった。これで車の件はひとまず安心だ。
 伸司の話によると、対馬の店舗工事も着々と進んでいるらしい。秀太郎は仕事が終わると家に帰って、新店舗でのメニューをリストアップしたりもしていた。
 終業式の日に子供達も仲の良かった友達に別れを告げ、四人ともそれぞれ色紙に寄せ書きを書いた物を持って帰ってきた。
 麗子は引越し業者を呼び荷物をトラックに詰め込み、ステップワゴンに子供と小荷物を載せて、トラックを見失わないように後続して行った。目的地は呉の伸司の店だ。
 呉から対馬までの運送は、秀太郎の同級生で以前世話になっていた文博に頼んでいた。
 待ち合わせの時間に秀太郎・麗子・文博が店の前に集結し、手際良く積荷を済ませた。
 伸司の店で食事をしてから出発する事になっており、文博はトラックで2時間ほど仮眠をとって出ると言っている。
 ステップワゴンには秀太郎と小荷物を詰め込んで高速代を抑える為、運送経験を生かし国道で行く事にし、道に自信のない麗子は子供達を乗せたワーゲンちゃんを山陽自動車道で行く事になった。
 冬に故障したワーゲンちゃんは、呉の整備工場で修理していて秀太郎が預かっていた。
 亀吉はというと、もともとは伸司のものを借りていたので、ワーゲンちゃんが直ったのとステップワゴンの購入をきっかけに返却していた。
 仮眠をとる文博を措いて、麗子と秀太郎は伸司と由香里に別れを告げると、呉を後にして広島の廿日市インターを目指した。
 ここが2号線から高速に上がるのに、一番近くて見易いインターだったからだ。二台は手前のコンビニに立ち寄ると、道中が長いので子供達のおやつと自分達のコーヒーを買って、子供達を先に車へ乗せると、
『麗子ぉ、飛ばさんと行けよぉ。焦らんでええけぇ。気をつけてのぉ、愛しとるよ。』
と秀太郎は言った。
『秀もよぉ。休み休み行くんよ。迷いそうになったら電話する。私も愛しとる。』
 陰に隠れて二人はキスをした。
 二人はそれぞれの車に乗り、麗子は高速の入口の方へ道を反れ、見届けた秀太郎はそのまま2号線を真っ直ぐ走りながら思った。
《迷ったらって、広島から九州までの高速一本、麗子は何処をどう迷うんなぁ?もし迷ったらどんだけ方向音痴なんなぁ。》
 麗子の別れ際の言葉に、若干の不安を感じながらステップワゴンは走った。
 目指すは博多の築港だ。トラックで何度も九州に来ている秀太郎と文博は安心だが、麗子に関しては幼児が一人で海外旅行みたいな感じなので、30分おきに連絡をしながら何とか関門大橋を渡ったとの報告で安心した。
 次の待ち合わせは3号線に合流している福岡の手前、古賀インターを下りた所だ。
 合流した時、麗子の目からは出発の時にあったキラキラとした輝きはなく、死ぬ間際のような顔をしていて、四人の子供達は完全に息をする死体になっていた。
 秀太郎と再開した麗子は、無事に逢えた事にか単に運転が辛かったのか瞳が微かに濡れていた。
 文博に連絡してみると、さすがプロドライバー、
『はぁ?古賀ぁ?ワシゃもう博多に着いとっとばい。なんしよっとぉ?』
『変な九州弁使うなやぁ。もうチョイ待っといてくれぇ。』
 九州弁がうつるほど待たしたつもりはないと秀太郎は思った。
 朝日が昇る頃、築港の駐車場で落ち合い、フェリーの時間までファミレスで時間を潰した。出来るだけ移動代を抑える為、文博とトラックと二台の乗用車は貨物フェリーで、秀太郎達六人は高速フェリーで先回りして待つという作戦を立てていた。
 六人が揃う事で麗子には笑顔が戻り、子供達は遠足気分で走り回り、引越しというよりもチョットした家族旅行を楽しんでいた。
 だが…文博は違った。この日は生憎、海が大荒れで上下に3メートルは揺れたらしい。
 秀太郎一家は楽しい二時間の船旅だったのだが、文博にとっては地獄の四時間を戦っていたのだ。
《この仕事、断ればよかった、マジで。》 
 文博は心からそう思った。
 【歓迎】【ようこそ対馬へ】【国境の島】
そんな言葉が書かれた看板が秀太郎一家を迎え入れた。
 対馬は九州本土と韓国の中間に位置する島なので、ハングル文字も沢山見られた。
 店舗は秀太郎の叔母夫婦の土地にあり、すぐ近くに住まいを借りる段取りは出来ていたので、秀太郎と麗子は話し合ってまず荷物を入れて落ち着く事にした。
 島の中でも中間地点に位置する、賀谷という土地で海と山に囲まれる、自然豊かな環境
に店と家はあった。
 秀太郎も子供の時に来た事はあるが、記憶に残っている面影はなかった。
 家は叔母夫婦の親戚が所有する物件で、部屋は四部屋あったが、炉端焼き屋として営業をしていた店舗付き住宅だった。
 新居にするには、かなり古かったが家賃も二万円と格安だし、店まで歩いて行けるなど条件を考えると贅沢を言えなかった。
 家の横の空き地にトラックを停める様に、秀太郎は文博を誘導した。普通の家に比べるとかなり特殊だったので、思ったよりも手こずり取り敢えず大きい荷物だけ入れて、残りと細かな整理は翌日に持ち越す事にした。
 文博も三日はゆっくりするつもりだったので、その晩は簡単な食事と酒で秀太郎と文博は深夜まで語り合った。
 翌朝、目覚めると早速引越し作業を開始した。大きな荷物の部屋への移動は秀太郎と文博が担当して、麗子は部屋の掃除・小物の整理を受け持った。子供達は邪魔にならない様に大人しくしている…わけがない。
 ヤンチャ盛りの男の子、四人も揃えば怖い物なしと、未知の世界を探検に出掛けてしまった。
 さんざん遊び倒して、お腹が空いたのか子供達はドロドロになって帰って来て、
『父さ~ん、母ちゃ~ん腹減ったぁ~。』
 四人が声を揃えて大合唱した。
 しかし、食事の仕度が出来るような状況ではないので、非常食用のカップラーメンを食べるように軽くあしらった。
 店舗の形が残っている家には、カウンターもあったので麗子はお湯を沸かすと子供達の前に一個づつ用意してやった。
 子供達も初めての土地で食べるカップラーメンを、新鮮そうにハフハフとすすっていたが食べ終わる頃、外からコソコソ話し声が聞こえて来た。
 それにいち早く気付いた麗子は、外から家の中を覗く三人の子供達を窓から見た。
『どうしたのぉ?』
 麗子が笑顔で問いかけると、無邪気な三つの顔が駆け寄って来た。歳は自分達の息子と同じぐらいだろうと思った。
『どっから来たとぉ?』
『引越ししよっとぉ?』
『一緒に遊ばんね?』
 子供達は次々と聞き慣れない九州弁を投げ掛けて来て、麗子は一瞬戸惑ったが対馬に着いてから初めて耳に入って来た方言と、躊躇なく話しかけてきた子供達の可愛らしさに、思わず『プッ。』と噴き出した。
『うん、そぉ引越ししよるんよぉ。おばちゃん達は広島から来たんよ。ウチの子らと友達になってくれるぅ?』
 麗子は優しく答え返した。
『うん、今から遊んでもいいとぉ?』
『いいよぉ。ねぇねぇ、アンタらぁどうするぅ?』
 麗子は振り返り、アラシ達に呼び掛けると話を聞いていた四兄弟は、すでに玄関で靴を履いて、
『行く行くぅ!』
と駆け出して行った。その一部始終を見ていた秀太郎と文博は呆然と立尽くしている。
 大方の片付けが終わり、店舗も覗いてみようと三人は歩いて行った。店舗は予想していたよりも大きくて綺麗だった。
 秀太郎達が対馬に来るまで焼肉屋として営業していたらしく、店舗工事と言っても外から見た限りでは、あまりイジる所はなさそうだった。
 伸司から鍵を受け取っていたので、中に入る事が出来た。直接ではないけど、自分達の店かと思うと秀太郎と麗子、二人にとって緊張の第一歩であった。
『うわぁ、大きい店じゃねぇ、秀ぇ。』
『おぉ、綺麗じゃん。』
 興奮気味の二人だった。
 中に入った二人は隅々まで見て回ったが、文博は座敷に座っている。
 トイレ・座敷・厨房と探索した中で、秀太郎は特に厨房が気になった。
 頭の中で調理している自分、料理を受け取って運ぶ麗子などをイメージして、小さく呟くように言葉を漏らした。
『アレをこうして…ココはこうで…う~ん、少し改造せんと不便じゃのぉ…。』
 厨房用品はある程度揃っていたが、焼肉屋と居酒屋では勝手が違うので配置替えや、厨房と客間への麗子の負担と時間短縮など、少しの時間にいろいろと考えた秀太郎だった。
 取り敢えず家に戻る事にした三人は来た道をまた帰って行った。
 玄関を開けっ放し状態で出てきた家に近付いた時、家の中に人影を見た。入ってすぐの部屋に座り込む人影を。
 秀太郎と麗子は顔を見合わせた。鳥肌が立っていた。二人の後ろから文博が、
『ありゃあ、誰なぁ?』
『ワシも知らんっ!』
 恐る恐る家の中に入って人影に近付いてみると、全く知らない人だ。島には来たばかりなので知り合いなわけがない。
 70を過ぎたぐらいの男がボーっと天井を見つめて座っていて、秀太郎達に気付いた老人は三人の方を見て、
『だいぶ片付いたとですねぇ。あそこん店はお宅らがやっとでしょ?まぁ、頑張らんね。』
そう言って、老人は消えて行った。
 外に出て老人の姿を追うと、店の裏の民家に入って行くのが見えた。どうやら近所の人みたいだ。
 先程の子供達といい今の老人といい、島での生活は前途多難だと予感した秀太郎と麗子であった。

    第八章  誕生姫様潤華

 普通にとはいかないが、ようやく生活はできるくらいまでにはなった。
 文博も『頑張れよっ!』と一言残し、トラックのエンジンをかけた。  
 ここから家族六人の本当の生活がスタートしたのだった。
 4月になっても、まだ肌寒い。九州というだけで暖かい楽園をイメージしていた俺と麗子は、冗談抜きのマジな話で海・山だけの環境に、南の島でパラダイスというよりジャングルでのサバイバルに気持ちを変えて行かざるを得なかった。
 店の使い勝手をよくする為に、改造箇所を伸司に相談すると地元の大工を手配してくれた。
 工事を任せている間もする事は山ほどあったが、まず片付けないといけないのが子供達の学校だ。いつまでもバケーションさせてはいられない。
 叔母から聞いて、俺と麗子は子供達を乗せて小学校へと向かった。
『うわぁ、緊張するぅ。』
『ドキドキするなぁ。』
『あの子達も同じ学校なんだって。』
『何人くらい、おるんじゃろぉ?』
 それぞれの想いを後部座席でワクワクした顔で口にしている。
 対馬市立美津島北部小学校の校門をくぐり抜け、ゾロゾロとカルガモ一家は校長室へと行進して行った。
 校長は少し年配の女性で優しい笑顔の持ち主だった。俺はお辞儀をして名乗ると、
『あぁ、どうもぉ。待ってましたぁ。原田さんが来っとを皆して喜んどったとですよ。人口が減って新学期から複式学級になるトコやったですが、お子さん達が来てくれてしかも四人も。それで、単式になったとですぅ。みんな、よろしくね。』
 そう言って子供達の頭を撫でてまわって、
本当に喜んでいる様子だった。
 と言う事は、家に遊びに来た子達も不法侵入の老人も校長も、凄いスピードで俺達の事は噂で聞いていたのだろう。
 始業式に持って来る物とかを聞いて帰る事にした。登下校はスクールバスで私服の学校と子供達にとっては楽しくなりそうな予感がしていた。
 学校は安心出来そうと麗子も喜んで、次は店だ!と車を走らせた。
 大工は近所に住む一人親方で腕のいい職人と聞いていたが、俺のイメージ通りに手際よく完成させていた。
 看板を掲げオープン当日を迎えた。予想以上に忙しく蛸の手も借りたい位の大盛況!と言いたいとこだが、人口が減っていく島の田舎で歩いている人もいなければ、走る車も疎らだ。
 確かに対馬に着いてから、店のオープンまでに見たのは年寄りと子供ばかりで、同年代クラスの若衆は数える程度だった。
 新しい店が出来たと、近所の人がポツリポツリやって来たぐらいだ。
 しかし、住む土地が変われば文化も違う。この賀谷という地区は漁師も多く何処の家庭でも魚を捌けるのは当り前、海で獲れる物は金を払ってまで食うもんじゃない。という考えの人ばかり。
 基本的に地域柄開放的でいい人が多いが、こっちは商売だから金を貰って食べてもらいたいのが本音である。 
 店に来る人は、獲れた魚介類で市場に出せないからとか、たくさん獲れたからとか、スーパーで買うより安く売ってあげるよ、と商売しに来る人までいた。
 九州で、島の人間で、漁師となると大酒呑みかというと、中にはやはり底無しの人もいるが、大抵そういう人は家でシコタマ呑んで尚且つ呑み足りないが、ヘベレケになって来るので酒もあまり出ない。
 食べ物屋を商売としてやっていくには、非常に厳しい環境だと気付くまでに時間は掛からなかった。
 17時から24時まで開けていたが、この辺一帯夜の20時には闇に包まれ、灯りと言えばウチの店がポツーンと点いているだけで、人も車もない。
 何とかしなくてはと、遅い時間に決まってくる人もいたので、22時までは開けるとして時間を短縮し、昼のランチタイムも始める事にした。 …が、結果は変わらない。
 俺に任せると言ったものの、売上げが上がらないのでオーナーである伸ちゃんもイライラして来て、毎晩店を閉めると電話報告していたが、口調が変わってきた。
 暇だったと言うと最初のうちは、
『おぅ、ほうか。まぁ頑張れ。』と笑っていたが、段々と、
『あぁ、今日もかぁ。いけんのぉ。』
『はぁ、対馬はどうなっとんなぁ。』
『あああんっ?またかぁ!お前ちゃんと仕事しよるんかぁ!どうにかせいやっ!』
 俺がどう足掻いても島の人口が増えるわけが無いし、この島をハワイや沖縄のような観光スポットにする力も持ってない。
 俺と伸ちゃんの意見はぶつかり始め、間の麗子と由香里は胸を痛めていた。
 少ない客の中にも、俺が用意していたメニュー・作った料理を、
『マスター、コレ上手いっちゃねぇ!こんなん食べた事ないったい。こういうモン出す店が対馬んには無いちゃけん、頑張ってくれませんね。』
 と応援してくれる客もいたし、子供達の通う学校の校長も教頭も先生たちも来てくれていた。
 都会の学校では、父兄の目を気にしてあり得ない事だと思った。
 伸ちゃんと気まずくなっていく中、我が家に重大なニュースが飛び込んだ。
『ねぇねぇ、父さぁん。出来たかも…。』
 麗子の口から知らされて、喜びを抑えきれずに、
『ほんまか母ちゃん!念の為じゃっ!判定薬買いに行こっ!』
 俺は男でも女でも、どちらでも嬉しかったが、麗子は妊娠した事と俺が本当に喜んでいるのが嬉しかったみたいだ。
 店の方にも変化があり、由香里の息子でつまりは俺の甥っ子である伸弘が対馬に送り込まれる話になっていた。
 伸弘の事は赤子の時から見ていたが、すっかり成人になっていて、料理屋さんで少し働いた経験もあったのだが、仕事が長く続かないのと折角だから親の手伝いをするという事だった。
 麗子が妊娠で今までのように動けないという事から、叔母の友人の娘で幸江がアルバイトで来てくれるようになっていた。
 伸弘は店の裏にある八畳ほどの休憩部屋へ住み込みで寝泊りしていたが、こんな田舎に来て一人ぼっちで何の楽しみもないのは可愛そうと、お腹の出だした麗子が、
『父さん、今日は仕事が終わったらノブくん連れて、呑みに行ってくればいいのに。私はしんどいけぇ留守番しとくよぉ。』
 そう言ってくれたので、
『あぁ、ほうじゃのぉ。でも、母ちゃん大丈夫かぁ?』
『私は大丈夫。なんか変わった事あったら、電話するけぇ。』
 俺と伸弘は、仕事を終えて【対馬の銀座】と言われていた、唯一の繁華街で港町・厳原にやって来た。
 知ってる店など勿論なく、適当な店を選んで入る事にした。
 俺は店の宣伝に、伸弘は誰か友達が出来たら、という思いを胸に俺はドアに耳をそっと当てた。中からは、流行りの曲が流れていて若い子の声でカラオケを歌っている。
 歩き回るのも面倒臭いんで、
『ここで、ええのぉ?』
『うん、何処でもええよぉ。』
と、他を探さず一軒目に決定した。
 マスターらしき若い男の子と20代前半の女の子が三人いる店で客層も若かった。
 普通に呑んで楽しんで帰るつもりだったのだが、事件は翌朝起きた。
 伸弘も盛り上がって楽しそうだし、俺も若いマスターと意気投合して久し振りに呑みに出たというのもあり少し調子に乗って呑み過ぎてしまった。
 酔いながらも意識はあったのだが、途切れ途切れの部分の記憶の中で、
『マスタ~ぁ、また来て下さいよ~ぉ。携帯に番号を入れとくちゃけね。』
と、店の女の子がカウンターの上に置いてあった俺の携帯を取って、勝手に登録していた。名前まで入れて。
 俺は『ダメダメぇ。』と言いながら取り返して、後で削除しようと思っていたのを微かに憶えている。
 深夜2時を過ぎ、閉店と同時に俺達も退散する事にした。車のエンジンをかけ、目をこすり直し走り始めた。
『秀兄ちゃん、大丈夫?』
 ノブが聞いてきたので、
『おぉ、大丈夫、大丈夫。』と言って5分もしない内に限界が来た。
 飲酒運転自体が間違っているが、無理をして事故をおこすわけにはいかないので、目の前の閉まっているガソリンスタンドに停まってシートを倒した。
『30分、30分だけ目を瞑るわぁ。』
起きれるわけがない。二人共熟睡してしまって明るくなった7時頃、ガソリンスタンドの従業員に不機嫌そうな顔で起こされた。
 俺は冷ーっとした。目の前にある従業員の不機嫌そうな顔にではなく、頭の中で母ちゃんの顔がドアップで映っていたからだ。
 アクセル全開で車を走らせ、ノブを店で下ろすと家に帰り、ゆっくりと玄関のドアを開けた。
 子供達は学校に行っていて靴はない。麗子も寝ているだろうと、部屋のドアをそっと開けるとそこに正座をして俺を睨んでいる麗子の姿があった。
 俺は《あちゃあ、調子に乗るんじゃなかったぁ!もう少し頑張って帰りゃよかったぁ!あん時寝るんじゃなかったぁ!でも、やましい事は何もしとらんけ堂々として、朝帰りした事だけ謝ろっ。》
と思っているのが、挙動不審な動きになっていた。俺は子供の頃からそうで、今から怒られると思うと挙動不審になり、あらぬ疑いをかけられる事がよくあったので、こういうシチュエーションは苦手である。
 今回の事件もタイミングが悪かった。
 呑みすぎた事・寝てしまって朝帰りになった事・麗子の着信に気付かなかった事、ここまでならまだ良かった。
 携帯の登録を消し忘れた事・帰る途中ポケットの中の誤作動でその子に発信しているのに気付いてなかった事・その時間が家に入る少し前だという事。
 俺が罪人になる条件がキレイにすべて揃っている。証人はノブだけしかいないが身内なので信憑性がない。これが裁判だと100%有罪確定だ。俺の味方となる証人はもう神様しかいなかった。
 しかし、俺も男だっ!この断崖絶壁に追い詰められた形勢不利な状況で身の潔白を主張しながら言い訳もせず…謝った。ひたすら謝った。ただ謝るしか出来なかった。土下座して誤り続けた。
 母ちゃんは、身内のいないこの島で不安と孤独と妊娠とでイライラMAXだった。
 一方的な喧嘩の後に、母ちゃんは許してくれた。しかし、許してくれたのと信じてくれたは同じ意味ではなく、俺の言う事を信じてくれたわけではなかった。
《取り合えず、神様ありがとう。》
 月日は流れ、空白の朝帰り事件もオブラードに包まれつつあった。
 あれから、呑みに出る事もなくなり穏やかな日々を過ごしていた。
 自分達が育った環境も子育てに対しての考え方も違えば男と女の違いもあり、たびたび衝突する事もあった。
 コウは明るくお調子者で面倒臭がり屋、ポジティブな面とネガティブな面の差が激しい。大飯喰らいで肥満気味な子である。ムードメーカーではあるが、口が過ぎる事もある。
 アラシは几帳面なシッカリ者で、基本に忠実、勉強も運動も持って生まれた才能がある反面、自己主張が上手くなく損をする事もある。一番キレやすい。
 タクは我が強く、四人の中で一番怖い物知らずだが、一番泣き虫だ。物への執着が余り無くて、物をよく忘れてきたり無くしたりする。強いのか鈍いのか判らないとこがある。
 ソウタは内弁慶で家族だけだとひょうきん者だが、外では笑われる事を嫌い非常に大人しい。好奇心の塊で気になる物があると止まらない。いや、止められない。
 それぞれ個性豊かで、事件の起きない日はなかった。
 まず、コウとアラシの対照的な性格だが、
大きな喧嘩はしないが、小さな小競り合いは毎日のようにあった。しかし、この二人の息が合う時がある。弟虐めの時は最強タッグを組んで泣くまで容赦しない。
 その二人が珍しく大きな声を出して店の外で喧嘩している。
 子供達の晩御飯は俺が担当していて店で食べてから家に帰らすという生活だったので、
俺は厨房で皿を四つ並べて用意していた。
 麗子は二人を呼んでそれぞれに事情聴取を執り行なった。
 子供の喧嘩の理由とは、得てして些細な事が発端になるもので、いちいち気にしてたらキリがないものだ。今回もその類だ。
 そして放っておいたら、いつの間にか仲直りして遊んでいる。
 俺は、その間にテーブルへ晩飯を用意すると外に出て、毎日叫ぶ。
『お~いっ!飯ぃぃぃっ!』
 ソウタとタクは、『ハァ~イ!』と元気に飛び込んで来て、その後を不貞腐れた顔をしたコウとアラシが入ってきて、そのまた後ろを疲れた顔した母ちゃんがいる。
 家に一人でいるのは寂しいと、久し振りに母ちゃんは店に出てきた。 
『いっただ~きまぁ~す!』
 食卓を見た母ちゃんが血相変えて厨房に入って来ると、俺に向かって、
『父さんっ!いっつもご飯はああなんっ!』
 何を怒っているのか訳が判らず、
『う、うん。まぁ、だいたい、こんな感じじゃけど、何?どしたん?』
『父さんはコウが可愛ぅて、アラシは可愛くないんじゃろっ!なによぉ、あの差はっ!』
『はぁぁぁ?なんの事よぉ?』
 そう言いながら、子供達のいる食卓を覗いてみた。いつもと変わらない。
『コウに食べさす御飯はあっても、アラシに食べさす米は惜しいんっ?』
 確かにコウは丼に大盛の御飯でメインのおかずも大きめなのに対して、アラシは茶碗の半分ほどの御飯に小振りなおかず。
 客観的に見ると確かにこの差は、贔屓しているか意地悪しているかの状況だが、これには訳がある。
 大飯喰らいのコウはこれがいつもの普通サイズなのだ。
 俺は出された飯は残さず食え!の方針なので、最初はアラシもコウと同じくらい出していたら、
『父さん、いつも多いよぉ。俺こんなに食べれん。』
と、少食なアラシの訴えに、
『じゃあ、今度から少なめに注ぐけぇ、足らんかったらおかわりせぇのぉ。そのかわり、おかわり言うてそれを食べれん、残す言うたら怒るでぇ。』
『うん、お願い。それでええよ。』
と二人の間で契約を交わしていたのだ。
 一日おきに交代で食べたい物を聞いて、リクエストがあればなるべく平等に応えるようにするという母ちゃんの知らない食卓ルールがあったのだ。
 それを説明すると、アラシも
『母ちゃん、そうなんよ。父さん、いつも多いんじゃもん。俺、今ぐらいで丁度いいよ。』
と笑いながら言ってきたので、
『父さん。 …ごめんね。』
 母ちゃんは謝ってきた。母ちゃんは直情的で行動力があるが、言い換えれば早とちりでオッチョコチョイで勘違いが多いのだ。
 そこに持って来て俺が言葉足らずで、突拍子な事を思い立ったら後先考えずにやってしまうので、誤解を生むというエピソードはこれまでも何度かあった。 
…これからも、あるのだろう。
 このように家族が揃う夕方は賑やかなんだが、子供達が帰った後の座敷は静まり返って厨房でノブと幸江の三人で馬鹿話をして時間を潰し、たまに客が来ると仕事をするという
日が多かった。
 午前中は俺とノブの二人でやっていたが、体調のいい日は母ちゃんも店に散歩がてら来ていた。この日もそうで昼が過ぎて、
『母ちゃん買出し行かんといけんし、帰ろうかぁ。』
 そう言って家に向かって歩いていると店の前、少し行った所に川が流れているのだが、小さな物体が二つある。
『お前等そこで何しよるんなぁ?』
『サンショウウオ捕りよるぅ。』
『絶っ対に持って帰って来んなよっ!』
 ソウタとタクだった。俺は爬虫類系が苦手なので、念を押して言った。
 家に帰るとアラシが友達を連れて来ていて
楽しそうにゲームをしている。
『あっ、お帰りぃ~。』
 俺達と入れ違いでコウが出て行こうとしている。
『んで、お前は何処行きよんなぁ?』
『ん?ヒサヨシくんトコぉ。』
『宿題したんかぁ!』
『帰ってするぅ。』と言って、いつもしない。
『にしても、お前は裸の大将かっ!』
 コウは白いTシャツに七分丈の迷彩柄ズボン、スーパーの袋にゲームソフトを詰め込んで俺の下駄を履いている。
 母ちゃんと二人で笑った。
『街の方で暮らしよったら、こんな光景は見れんかったじゃろうのぉ。』
『うん、ホンマ子供が子供らしゅう真っ直ぐ育つには、ええ環境じゃね。』
 相変わらず店の売上げは伸びず、伸ちゃんとの険悪さは増す一方で、対馬の様子を見に来ると言い出した。
 俺も試行錯誤、寝る間を削ってメニューの考案・宣伝・仕込みとしていたので、状況が見えてない者からの文句にいい加減温厚な俺も、キレる寸前まで我慢していた。
 ストレスも溜まり、家に帰っても酒ばかり飲み、レンタルビデオを借りて来ては洋画を朝まで見る現実逃避の日が続いた。
 もともと洋画は好きだった俺は、一人で集中して見たいタイプなので、賑やかなのが好きな俺もこの至福の時の雑音は何事も許さなかった。
 子供達も母ちゃんも、ストレス抱えてビデオを見ている俺の顔色を窺いピリピリした空気の中、声を殺していた。
 母ちゃんも寂しくて話しかけたりして来たが、ちゃんと話し相手にもなってあげないといけないと思い、ビデオをSTOPして話を聞き、会話が終わるとPLAY。
 聞き逃したなと思うと巻き戻して、と俺もそれなりには気を遣っていたが、とうとう
『もうイヤッ!父さんは私の話よりビデオの方が大事なんじゃろっ!子供らも父さんがビデオ点けたら、ウルサイ!黙れ!言うけぇ、ビクビクしとるんよっ!』母ちゃんがキレた。
『じゃけぇ、話は聞きよるじゃないか!話が終わったし、お前も寝た思ぉたけぇ見始めよんでぇ!ただ聞こえんかった所があったけぇチョット巻き戻しただけじゃろうが!ワシにも一つくらい楽しみがあってよかろうがっ!』
『そういう行動の一つ一つが厭味なし、私の話を面倒臭い、でも聞いてやらんとうるさいし、ぐらいでしか聞きよらんじゃろ!ホンデ早く寝ろ、早く寝ろ、ワシはビデオが見たいんじゃあって、どうせ思っとんじゃろっ!』
『そんなん思ぉてないわ!あぁ寝たな、じゃ見よか。ぐらいで、早く寝ろとか思ぉてないし、言うた事もないじゃろうが!』
『言葉にしては言うてないけど、顔と態度に出とるんよっ!』
『ええ加減にせえ!もうええわっ!』
 俺は気分を変えようと家を出ようと腰を上げると、母ちゃんは腕を掴んで、
『ちょっと待ちんさい!何処行くん!』
 俺が腕を振り払った瞬間、その勢いで母ちゃんは30センチくらいの段差から落ちた。
 お腹を抱えて蹲る母ちゃんに駆け寄り、背中を擦りもう片方の手をお腹に当てた。
『母ちゃん、ごめん。大丈夫か?もうワシ、ビデオ見んけぇ。ごめんの。』
『痛い、痛い。』
 お腹は大丈夫そうで、母ちゃんは転んだ時に打った太腿を擦っている。
思うように行かない営業と伸ちゃんからの圧力に悩む俺と、島での生活に不安を抱えながら妊娠中でイライラしている母ちゃんは、喧嘩そして仲直りの繰り返しをしていたが、未入籍だったのでお腹の子が産まれる前に済ましておきたいという話もしていた。
 明るい戦争が巻き起こる毎日が過ぎ、店に出ている俺に電話がかかって来た。
 具合が悪いからと病院に行っていた母ちゃんからで、声を震わしながら言った。
『父さん、来てくれる?早産しそうなみたいなんじゃけど、島の病院じゃあ対応できんけぇ、長崎の大村ってトコに医療センターがあるんとぉ。そこに搬送するって言われて、先生から父さんに話があるんと。父さ~ん、私行きたくない。』
 涙声の母ちゃんの訴えだった。俺は、店をノブに頼みすぐさま車を走らせた。
 母ちゃんの我が儘も聞いてやりたかったけど先生の話では出産するまでじゃなく、落ち着いたら帰って来れるというのを母ちゃんに言って説得した。
 空港まで行く途中、母ちゃんはずっと泣いていた。空港には自衛隊のヘリコプターが、
既に待機していた。
 隊員の指示に従い、俺達はヘリコプターに乗り込むと、
『父さ~ん。私、はじめてヘリコプターに乗った。』
 そう笑って言うと、母ちゃんは白目を剥いて意識を失くした。
『ワシも。』
 と言いながら、暇な時に作っていた竹蜻蛉を母ちゃんの手に握らせた。
 救急車に乗り換え医療センターに着くと、先生から話があった。
 個室に入った母ちゃんは、赤ちゃんの為だと諦めて覚悟したはずだったが、
『帰りたいよぉ。』
と着いたばかりなのに言う。
 母ちゃんも心配だが、叔母に預けた子供達も心配だったのでその晩は傍にいて、翌朝帰る事にした。
 大村での入院は思ったよりも短く正常に戻ったという事で、母ちゃんはすぐに島に帰って来れた。
 俺と母ちゃんは再会して抱き合ったが、決して予断を許す状態ではなかった。
 順調に月日が経ち、母ちゃんのお腹も限界に来ていた。しかし、胎児の成長が小さくてまだ出すわけにはいかない。と、先生も母ちゃんも頑張っているが、俺は何もしてやれなかった。ただ、祈りながら傍にいるだけだ。
 何時間が経っただろう。先生から、もういいだろう。と、GOサインが出たが普通分娩ではなく帝王切開になるらしい。
 俺も三度目だが、緊張していた。ドラマのワンシーンのように待っていると、
『オンギャアっ!』
と院内に響き渡る産声が…聞こえて来ない。
 変わりに先生が出て来て、
『ご主人、手術は成功です。奥さんはまだ休んでいます。赤ちゃんは小さかったので、今は保育器に入ってます。安心してください、可愛い女のお子さんですよ。』
と言った。
 母ちゃんの顔を見て頭を撫でながら誉めてやった。
『母ちゃん、よぉやった。偉かった、頑張ったの。ありがとう。』
『…うん。』
 疲れていた母ちゃんは、言葉少なめに頷くと静かに目を瞑って一粒の涙を流した。
 俺は子供の居場所を看護婦さんに聞くと、
新生児室に向かって歩き出したが、気持ちは全力疾走していた。
 新生児室の隣の部屋に保育器が三つぐらい見えた。近くにいた看護婦さんに着替えるように言われ青い割烹着みたいなのを渡され、帽子とマスクを着けて消毒液で手を洗った。
『こちらです。』と進められた俺は、保育器の前に立った。そこには、何本もチューブを体に付けられた小さな子猿がいた。
 名前は、母ちゃんが前から女の子が生まれたらどうしても付けたかったのがあって、俺も気に入っていた。
『お父さん?名前は決まっとると?』
 少し年配の婦長さんらしき人が聞いてきたので、そちらには目もくれず子猿に釘付けのまま言った、
『ジュンガぁ、お父ちゃんでちゅよぉ。』

    第九章  兄弟分裂戦争

 暗闇の中に明るくてとても暖かな光が差し込んで来ました。
 私はどれくらい寝てたのだろう。ハッ、赤ちゃんは?あっそうか、保育器に入ってるって言ったっけ。
 病室のベッドで目が覚めた時、私は一人でしたが不思議と不安とか孤独感は余り無く、達成感と疲労感の方が強かったです。
 しばらくボーっとしていたら、少しづつ寂しいという気持ちも沸いて来て《父さぁん》
と心の中で呼び掛けると、スーっとドアが開き父さんが入って来ました。
『あぁ、母ちゃん。目ぇ覚めた?どんな?大丈夫か?』
 そう言われたら麻酔が切れてきたのか、お腹の傷口がチクチクと痛みました。
『うん、ちょっと痛いけど大丈夫。ジュンガは?父さん、もう見たぁ?』
 早くジュンガに逢いたい。ジュンガの事を見てみたい。私が命を懸けて産んだ子なんだから。その一心でした。
『あぁ、見てきたよ。小さかったけど大丈夫じゃ言いよったよ。』  
 父さんがそう言うので、動けない今は信じて待つしかありませんでした。
 三日は安静にしていました。先生から許可が出てジュンガの待つ部屋へ父さんと二人で行きました。チューブを繋がれたジュンガを見て涙が溢れて来ました。
《ジュンガ、ごめんね。頑張ってね。》
 父さんが肩を強く抱いてくれてました。
 私の退院は決まりましたが、ジュンガと一緒ではありませんでした。私は毎日、父さんと二人でジュンガに逢いに行き話し掛け、保育器に手を入れ触ってやったり、写真を撮ったりして決められた日には凍らせた母乳を持って行っていました。
 私はジュンガという名前を父さんと出会う前から気に入っていたのですが、アラシとソウタ男の子が二人だったので付ける事ができなかったという話をしていました。
 父さんは私が妊娠した時に、
『母ちゃん、この子には母ちゃんが付けたかった潤華を付けようね。もしも、男じゃったら華じゃなくて我にして潤我ってのはどお?まぁでも心配すんな。絶っ対、女じゃけぇ。』
と言ってくれてたのです。
 私も二人続けて男の子だったし、父さんも男の子二人だったので、お互いに女の子は産めない・作れない体質だと思っていました。
 家に帰った時に息子達へ姫誕生の報告をすると、
『よっしゃあー!』
『もう男はいらんよぉ。』
『名前決まっとん?』
『俺が名前つけるぅ!』
と四人全員が興奮していました。
 そして、ジュンガを連れて帰れる日がやっと来ました。
 父さんの運転する車で、本当はいけないのですが、病院では離れ離れで抱いてあげる事が出来なかった私は、助手席でジュンガを抱いて語り掛けていました。ひとときも離れたくなかったのです。父さんも信号に引っかかる度に、『ジュンガぁ、ジュンガぁ、バア。』
と声をかけてチョッカイを出し、信号が青に変わると『チッ!』と舌打ちするのを見て、私は笑いました。ふと下に目を下ろすと、ジュンガも笑っているように見えました。
 しかし、そう笑ってばかりもいられなかったのです。
 私とジュンガの出産祝いも兼ねて、呉のお義兄さんとお義姉さんが対馬に来る日が近付いていたのです。
 お義兄さんも、あれこれ父さんに無理な注文を投げ掛けてきていたのは知っているし、
経営者として見るとお義兄さんの言う事も間違っていない所がありました。
 父さんは、任せると言われていたという言い分で、父さんなりに宣伝したりお客さんとの付き合いをしたり、昼も夜も店に出てオーダーを捌きながら子供達の夕飯を食べさせ、家に帰るとお腹の大きな私を労わって、洗濯なども協力してくれて本当に寝る時間がありませんでした。
 売上げがあっても無くても生活できるくらいは保障すると言われていたので、私達二人は甘えていたのも確かです。
 お義兄さんも任せるとは言ったが、続く赤字で『そこには居酒屋メニューしかないんよぉ!ワシはそんな居酒屋を作りたかったんじゃあないんでっ!ここでないと食えんていうもんを作れやっ!』と、弟という見方ではなく従業員でした。
『文句があるなら、数字として結果を出してから言うて来いっ!』
とまで言われ焦る父さんは半分ノイローゼ気味で、酒に溺れ毎日ビデオばかり見ている時期がありました。
 精神的に参っているのも判っていたけど、仕事でいない、帰っても酔ってビデオばかりの父さんに当っていました。
 お義兄さんは、対馬に来た観光客をターゲットにしろと、旅行会社や対馬市役所の観光課の課長を店に寄越したりしました。
 父さんも頑張って料理を作りましたが、
『う~ん、こんな物しか出せんと?どこでん食べられったいねぇ。期待して来たやちゃけど、残念ばい。これは!ってのが作れっとになったら、また連絡くれませんね。』
と出した料理は残さず、小馬鹿にした言葉を残しお金も払わずに帰りました。
 料理評論家でもなければ、有名なグルメリポーターでもない、ましてや料理が出来る訳でもない人に言われた事は父さんは勿論ですが、私も腸が煮えくり返りました。
 そんな理想の予定通りに行かない状況や、父さんとお義兄さんの喧嘩やら、若くして単身こんな僻地に来て孤独だった、甥のノブくんも無断欠勤する日が続いたのです。
 いろんな悪い要因が重なって、爆発寸前の父さんが頭を抱えてストレスMAX状態の時に、お義兄さんとお義姉さんが対馬にやって来たのです。
 その晩は早めに看板の灯りを落とし、お義兄さんが交流を持っていた対馬在住の各ジャンルの人を呼んで、ミーティングをしたのです。
 ミーティングと言えば聞こえがいいですけど、意見交換の場ではなく寄って集って父さんを攻撃するものでした。父さんはテーブルに手を掛け、今にもひっくり返しそうなくらい鬼のような表情を浮かべていたので、
『父さん、落ち着いて。我慢して、お願い。』
と横にいた私は小声で言いました。
 お互いにムシャクシャが残るまま、お開きとなり結局何も見い出せませんでした。
 ただ、私の中では父さんを助けたいという想いと、家族の生活を守るために給料としてお金を貰っている以上、我慢しないといけないという葛藤と闘っていました。
 お互いに譲り合う事の出来ない性格の二人は、いい話でまとまる事なくお義兄さんも黙って車に乗り込み、父さんも見送る事無く別れる感じになりましたが最後にお義姉さんが私の所に来て、
『麗ちゃん、大丈夫?無理せんのよ。何かあったら、私に電話してくるんよ。』
と優しく声を掛けてくれたけど、
『いや、ごめんなさい。私からも父さんには冷静になるように言うときます。』
としか言えませんでした。
 お義兄さん達と別れたその日は、父さんも怒りの興奮が治まらずに少々不機嫌そうでしたが、決して私や子供達に当る事はしませんでした。
 店の方は、台風が去った後のように静けさを取り戻しましたが、我が家は相変わらず毎日お祭り騒ぎです。
 息子達が学校などでいない時、ジュンガがいる事で私は精神的にも落ち着きをみせていました。
 コウとアラシは久し振りの、タクとソウタは初めての赤ちゃんになるので、ジュンガはお兄ちゃん達のいいオモチャです。
 定休日になる度に、島内冒険ドライブをしていた私達一家は、対馬の最北端・鰐浦という所に展望台があって晴れた日は韓国が見えるらしいので、行ってみようと話しました。
 子供達もドライブは好きで、いつも興奮して盛り上がりますが、今までと大きく違うのは潤華の存在です。
 お兄ちゃん達の歓声に驚いて、ジュンガが泣き、それを見てお兄ちゃんが笑う。そして父さんに怒られ、私が宥めるというパターンの繰り返しになります。
 この日も、どうせ見るなら夜景がいいと夕食とお風呂を済まして晩に出発する事になりました。
 夜八時、父さんの出発合図で車に乗込み、島の中心を走る国道382号を軽快に北上して行ったのです。
 地図で見ると一本道で迷いそうにもないのですが、実際に走ってみると結構曲がりくねっていて、未知の土地なので時間が思ったよりかかったし、灯りも車もないので感覚的には相当なものでした。
 辿り着くまでにお兄ちゃん達はひとりづつ眠りに堕ちていき、私もジュンガのスヤスヤ顔を見ていると睡魔が襲って来ました。
 運転している父さんを一人にするわけにはいかないと頑張っていたけど、
『寝とってええよぉ。着いたら起こしたげるけぇ。』
とそんな時はいつも言ってくれました。
 ようやく着いたのは深夜23時頃で、私の肩をゆっくりと揺らしながら、
『母ちゃん、着いたでぇ。』と、小声で言った後、後部座席に向かって大声で、
『おぉい、みんなぁ、着いたでぇ。起きろよぉ。韓国についたでぇ!』
と父さんは叫びました。
 ソウタ、コウ、タクと一人づつ目を擦りながら、車から降りて行きます。
 しかし、寝起きがいいはずのアラシが揺すっても何をしても起きないのです。
『アラシぃっ!起きんのか?寝とくんかぁ?父さん等は行くでぇ。』
と父さんがアラシに言うと、
『う~ん、うん、おるぅ。』
と言うので、具合が悪い感じでもないし、ただ眠たいだけみたいなので、
『父さん、アラシはええよ。もう寝かしとこっ?帰りが遅ぉなるけぇ、はよぉ行こっ。』
 私が言うと、一応ドアはロックしてから展望台へと行きました。
 展望台にある双眼鏡を覗いて見ると、韓国の街の灯りが小さく見えます。今自分達のいる島は殆ど光というものがないのに、レンズの向こうに広がる異国の地はキラキラしていたのです。
『うわぁ、スゲェ!』
『ねぇねぇ!韓国の車が見えるよっ!』
 子供達も外国が見えると思ったら、興奮していましたが父さんも長い運転に疲れてるみたいだし、アラシも気になったので、
『はぁいっ!みんなぁ、帰るよぉ!』
 来るまでに迷いながら慣れない道で約3時間、単純に計算しても家に帰るのは3時過ぎになりそうなので父さんと二人で、
『学校は休ませよう!』と決め、子供達も
『おおっ!、休むぅ!』と賛成意見です。
 展望台を離れて30分くらい走った時に、疲れて眠ってる皆と入れ違いでアラシが起きると、
『父さん、まだ着かんのん?』と言うので、
『ハ?もう見て帰りよるでぇ。アラシ、何回起こしても起きんし、寝とくかぁ?って聞いたら寝とくいうけぇ。のぉ、母ちゃん。』
『ほうよぉ、滅多に来れんけぇ思ぉて、何回も起こしたんよ。』
『なんで、起こしてくれんのんよ!』
 アラシは泣きながら、怒りながら訴えました。
『じゃけ、起こしたけど起きんかったんは、お前なんじゃっ!』
 父さんも半ギレ気味に返すと、アラシはシクシクと言いながらも寝ていました。
 四人の息子の中でも一番負けず嫌いなので起きれなかった自分に悔しかったのでしょうが、認めたくなかったのだと思います。
 帰宅できたのは、2時半くらいでした。布団を敷いたりする体力も残っていなかったので、居間に雑魚寝することにして七人が六畳の部屋で一塊になりました。
 朝がすぐにやって来て、電話の音で目覚めました。みんなまだ寝ています。
 多分、学校からだろうと思い、出てひと言休みますと言えばよかったんでしょうけど、 
居留守を使い二度寝してしまったのです。
 次に家のチャイムで目が覚めたのは私と父さんでした。
 玄関でなにやら話し声。アラシの姿が見当たりません。
『アッ君、行こう、ネっ。他のみんなは寝とっとぉ?アッ君だけでも、ホラッ。』 
 アラシとコウの担任をしている林田先生の声でした。 
 どうしていいのか分からず呆然としているアラシの腕を掴む林田先生は、そのまま連れ去って行きました。
 唖然として息子の後ろ姿を見送りながら、私と父さんは顔を見合わせて、
『母ちゃん、アラシには今日ズル休みするの言うてなかったっけぇ?』
『う、うん、たぶん。他の子に言いよる時、あの子は寝とったかもしれん。』
 …《アラシ、ゴメン。》二人は言葉にしないで、そう思いました。
 まぁ学校に行く事は悪い事ではないわけだから、まぁいいかぁ。っていうのと、広島で通ってた小学校では、そこまで熱心になってくれる先生を見た事ないので、ビックリしました。
 ひとりひとり起きて、ズルだから外遊びは出来ないと、それぞれ布団の中でゲームをカチャカチャやっています。
 父さんはパソコンに向かってカタカタと、お品書きとかパンフレットを制作していましたが、昼の出勤時間になったので着替えようと立ち上がると、好奇心の塊ソウタがいつの間にかパソコンの所に座っていました。
 大切なデータとかCD―ROMとかが置いてあるので、ソウタの存在に気がついた父さんが振り向きながら、
『ソウタぁ、そこにあるモン勝手に触…』
触るなよ。と父さんは言おうとした時には、
 泣きそうな顔をして父さんを見つめるソウタの手元には、CD―ROMの真ん中の穴からニョキっと人差し指が出ています。
『言おうとした矢先かっ!』と言ってソウタの頭をパッツーンと叩いた瞬間にスポンと指は抜け、ホッとしたソウタは少し赤くなった人差し指とニラメッコしていました。 
 その姿はまるで、
《じゃけぇ、やめとけって言うたじゃろ!》
《だって、入りたかったんじゃもん。》
《入ったら抜けんようになる思っとった。》
《なら、言えよ!》
とソウタと指が会話しているようで、おかしくなって笑ってしまいました。
 ソウタに関しては、そんなエピソードが山ほどあります。
 父さんが食材を整理する為にとっておいたダンボール箱も、
『そのダンボールは…』って時には、くり抜いてキャタピラー遊びをしていたので、パッツーン!
『父さん、味見してあげよっかぁ?』
と、つまみ食いをしたいだけなのに、
『こっちにあるのはええけど、そっちにある唐揚げは…』
って時には、口の中に唐揚げが…で、
パッツーン!まだまだありますが、私はそんなソウタに対して心配していた事があったのです。
 事故とその後遺症もですが、アレルギー性の喘息もあって発作で苦しむ姿を見るのは、私も喘息持ちなので胸が痛かったのです。
 しかも父さんと知り合う前、友人に付き合って姓名判断を診てもらった事があるのですが、ソウタの事故の事は言ってないのに、
『未だにこの子が生きてるのが不思議なくらいあまりよくない画数ですねぇ。』
と言われたことが、ずっと心の何処かでひっかかっていたのです。
 それから、父さんと一緒になって苗字が変わったからなのか喘息の発作もオネショも、治まってきていたのは事実です。対馬という自然に囲まれている恵まれた環境での生活にも、影響はあったと思います。 
 私は、子供達がみんな元気に育ってくれればいい、家族が仲良く幸せでいれたらそれでいいという思いが最優先でしたが、次に父さんの店、仕事、兄弟関係が心配でした。
 相変わらず、呉に報告の電話をすると喧嘩までは発展しないものの、緊迫した冷戦状態でした。
 父さんの不眠の努力も虚しく、このご時世に離島での経営は想像以上に厳しく、私は父さんを励ましながらも不安で目覚める事が、この時期たびたびありました。
 私の悪い予感は当っていたみたいで、呉のお義兄さん夫婦は父さんにある決断をさせる為に、再度対馬にやって来るのでした。
 ちょうど一年前の今頃は夢をいっぱい語っていたね。と父さんと話している時に、それを伝える電話が鳴りました。
『秀太郎、アンタも強情を張らずに伸ちゃんの100%言う通りにしてみんさい。伸ちゃんは売上げよりも秀が言う事聞かんのを腹立っとるだけで、言う事だけ聞いてくれたら何も言わんともう少し様子を見るって言い寄るんじゃけぇ。』 
と、お義姉さんからでした。
『言う事を聞くもなにも、ワシは聞いてきたつもりでぇ!あそこに行け言われたら言ったし、メニューにアレを足せって言われたらメニューも変えたし、誰かに会えって言われりゃあ会って嫌な思いもしたし、結果結果いうのも判るけどこの立地条件で今すぐ結果を出せって言うのは絶対無理よぉ!』
と父さんも言い出したので、隣で私は落ち着くようにジェスチャーしていました。
『もう電話で話しよっても埒があかんねぇ。
来週の月曜日にそっちに行くけぇ、伸ちゃんとじっくり冷静に話してみんさい。』
 そう言って、電話は切られました。
 この時、私はただならぬ悪夢を予感しながら父さんを見つめていました。
 2月7日の月曜日、父さんはいつも通りに昼の仕事を終え、晩の仕入れの買出しに走りました。
 お義兄さん達は挨拶回りをして、夕方から店の方へ顔を出すと言っていました。
 買出しから帰って来た父さんは、朝からずっと険しい顔をしていたけど、ジュンガの顔を見ると笑顔になってくれました。
 夕日が完全に沈んで看板に灯りを燈しました。この日は、開店早々お客さんが入って割りと忙しい始まりとなって私もお店に出てお義姉さんと話をしていました。
 オーダーが休み無く入り、ようやく落ち着いたのは21時を過ぎていました。お客さんもいなくなったので、片付けは後にして話そうと座敷に呼ばれました。
 私とお義姉さんとノブくんは厨房にいて、お義兄さんと父さんでまず話して、拗れそうになると出て行こうと打ち合わして様子を見ていました。
『秀ぇ、まぁ少し冷静に話そうのぉ。前来た時から今日までで、いい結果が出とる日は何日ぐらいあるんな?ずっと赤字で来とるじゃろうがぁ、ワシも言う事を聞いてくれんのにホイホイいつまでも金を出せんでぇ。お前も判るじゃろうがぁ。のぉ?』
『うん、そりゃあ伸ちゃんの言いたい事は判っとるよ。ワシも売上げが伸びるように、客が増えるように考えてしよるし、対馬には無い料理じゃ言うてくれる人もおるし。』
『おぉ、でもそれで、これから先やっていけるんか?赤字を出さん言えるんか?』
『それは、はっきりと赤字を出さんと言い切れんけど、この島でこの土地ですぐのすぐには誰がやっても無理じゃ思うよ。』
『言い切れん、無理じゃ言うんなら、お前の意思を捨てて従えやぁ!』
 段々二人の表情に冷静さが無くなってきているようなので、お義姉さんが間に割って入りました。
『じゃあ、秀ぇ。こうせんかいや。お前が今までのように口答えしてワシの思うようにしてくれんのんなら、金は出さん。お前のやり方で売上げを出して、それでやって行けぇやぁ、店は貸してやる。その代わり、お前が心を入れ替えてすべて従うなら、お前等家族の面倒はもう少しみてやるで。さぁ、どうするなぁ?』
『…。』父さんは、どちらにも答えられないでいたら、お義兄さんが、
『麗ちゃん、ちょっとこっち来てくれる?』
 私はジュンガを抱いて父さんの横に座りました。
『麗ちゃんはどう思うよぉ?秀のやり方でその売上げで食っていく自信ある?』
と聞いてきたので、私は思ったことを正直に話しました。
『それはお義兄さんの言うとおり、今のままで自分達だけじゃあ食べてはいかれんと思います。でも、父さんの頑張りよる姿は毎日見とるし、お客さんに出す料理も接客の仕方も間違っては無いと思うんです。私は、最終的に父さんが決めた事に付いて行こうと思います。』
 すると、お義兄さんは言いました。
『秀が頑張っとるのはちゃんと分かっとるんよぉ。でも、結果が出んのんじゃあ意味がないんよ。ワシ等は数字でしか判断できんき。綺麗事じゃないんよぉ。のぉ、秀。お前目の前でコウとアラシが溺れよったら、どっちを助けるんやぁ。』
 私はその質問に《えっ?》と思いました。
『何が言いたいん?んで、ワシに何を言わしたいん?ワシはどっちも助ける!どっちかじゃ言われても二人共助けるわぁっ!』
 お義兄さんの言葉に耳を疑いましたが、父さんはそう言い返しました。
 その後お義姉さんもノブくんも交えて話しましたが、長い時間が経って父さんが、
『もう少し考える時間を下さい。』
と頭を下げました。
 私はまだ父さんとはそんなに長い付き合いではないけど、父さんの性格は分かっているつもりです。
 頭を下げている時の秀は、家族の生活の事だけ考えて、私の事を考えて、下げたくない頭を下げている。言いたいことはいっぱいあるのを堪えて、精一杯プライドを捨てて、とっても悔しいだろうな。と思いました。
 家に帰って、父さんは『金の前に無力だった』と酒を煽りながら悔し涙を流していました。
『父さんが決めた事じゃったら、何処へでも付いていくけぇ、私の事は考えんでええよ。
父さんの苦しむ姿見たくないもん。どうなってもこの家族はずっと一緒じゃけぇ。』
 私が父さんの背中に寄り添って言うと、しばらくの沈黙の後に肩越しから、
『麗子ぉ、ゴメン。理想のようには行かんかったぁ。考えさせてくれ言うたけど、さっきの質問をされた時に決めとった。ああいう考え方をして見るんなら付いては行けん。ワシは、もう辞める。麗子ぉ、広島へ帰ろう。』
 父さんにそう言われて、私も何だかホッとしたような肩の荷が降りたような感じで、向かい合った二人は互いの決心を確認し合いました。

    第十章  奮闘故郷帰省

 秀太郎と麗子はその日、眠る事が出来ず朝まで話した。二人で広島に帰ろうと決めたものの今後どうして行くのか具体的に話し合わなければならなかったからだ。
 仕事については、この島で探すより広島に帰った方が間違いなくあるだろうから、そんなに心配はしていなかった。
 二人が一番心配していたのは、やはり子供達の事だった。環境をコロコロ変えるのはいかがなものか?都会から田舎への転校はすんなりと受け入れられたが、逆になるとどう影響があるか?と頭を悩ませた。
 秀太郎は悩み抜いて一番いい方法を探していたが、女・子供は強かった。
『父さん!広島に帰って何か仕事を探す言うても、なんか悔しいじゃん!対馬に来てからの一年が、全部じゃないけど無意味じゃん。私は父さんと店がしたかったけど、妊娠して出産してで殆ど一緒に出来んかったけ、広島で自分等だけの店をしようや!』
 もともと麗子は気が強く負けず嫌いな女なので、何としても自分達の結果を出したかったのだ。
 子供達も引越し・転校を繰り返すのは嫌がると思ったが、
『え?店辞めるん?』
『また広島に帰るん?』
『それって、いつ頃ぉ?』
『嘘じゃないよねぇ。ホンマにぃ?』
 それぞれ思った事を口にした後、揃って
『っしゃーっ!また広島じゃあっ!』
てな感じで、心配御無用であった。
 人生を楽観的に生きてきた秀太郎も、何とか成るやろ、成る様にしか成らんと決めたら突っ走るタイプだった。
 こうして広島への帰省は勢いであっさりと決まった訳だが、その後の打ち合わせをしなくてはならない。
 この時点で決まっているのは、店を辞める事、住んでいる家を出る事、対馬を離れて広島に帰ろうとしている事…だけだった。
秀太郎は、引越しの段取りをするため業者に電話して見積もりを依頼したが、予想以上に高くなりそうなので麗子と検討した結果、  
駄目で元々ある所に電話した。
『あぁ、もしもし、久し振りじゃのぉ。今、ええかぁ?』
『おぅ、ええけど、どしたんなぁ?元気にしとるんか?お前から電話あるいう事は、嫌な予感がするんじゃが、なんやぁ?まさか、引っ越す言うんじゃなかろうのぉ。』
『ん~ん…ビンゴっ!広島に帰る事にした。
詳しい事はまた話すけぇ、取り敢えず今日は引き受けてくれるか聞かせてくれぇ。なるべくお前の都合に合わせるし、ちゃんと金もはらうけぇ頼むわぁ。』
 秀太郎は対馬に来る時に頼んだ、親友の文博に頼んでみた。
 文博は何とかしてやると言って、料金も船代と燃料代、高速代だけでいいと気持ちよく承諾してくれた。
 秀太郎は常日頃から子供達に、友達は大切にしろ、親を裏切っても友達は裏切るな、もし裏切られた時でも自分が許せるのなら許してやれ、許せないのなら付き合いをやめればいい、仕返しを考えるな。と教えている。
 この時も思った。《やっぱ、持つべきモンは友じゃのぉ。》と。
 お互いの都合がいい日をなるべく早めに調整するという話で連絡を取り合う事にした。
 一方、麗子は広島に帰ってからの住まいを段取りする手配をしていた。麗子の兄・文也に店舗付き住宅という条件で物件を探してもらっていた。帰る場所を今度は麗子の親族がいる福山にしようと決めていた。それは、秀太郎の楽観的冒険心も働いていた。
 兄・文也も麗子と同様、行動力のある人物で仕事が速かった。
『麗子ぉ、ええなぁいうのが五件ぐらいあったんじゃが、家賃やら場所やらぁを考えて二件に絞ったでぇ。おみゃあ等も、ぎょうさん言うてったら選ぶんが大変じゃ思うけなぁ。その二件の間取りFAXしとくなぁ。』
 文也は妹想いの兄であり、麗子と秀太郎にとってはよき理解者だった。特に秀太郎は女兄弟ばかりで兄という存在に憧れていたし、二人の義兄と噛み合えなかったので、余計に信頼していた。
【ピーガガガキューピーキュルキュル】
 けたたましい機械音がなった。麗子は送られて来たFAXを手に取り1件目を見る。
 市街地から遠過ぎず近過ぎずの場所で、一階にカウンターのある店舗とダイニングキッチン、風呂・トイレがあり二階に二部屋あった。家賃も妥当な感じだ。
 もう1件の方を見てみた。似たような物件ではあったが駅に近く立地条件としては良かったが、その分家賃が高めだったし店舗部分に何もなかったので、却下された。それには秀太郎も同意見で、
『お兄ちゃん、忙しいのにいろいろとゴメンね。ありがと。最初に送ってくれた方、私も秀さんも気に入ったけぇ、そっちで話を進めてもらってもいい?帰ったら、ちゃんとお礼はするけぇ。』
『礼なんかはええわいのぉ。おみゃあ等がええようにいったら、それでええんじゃけぇなぁ。秀さんにも気ぃ遣わんように言うときぃよ。じゃあ最初ので手付け打っとくけぇ、気ぃつけて帰ってこいよぉ。』
 麗子と秀太郎は心から感謝した。文也も今はネットビジネスや保険代理店をしたりで忙しい身ではあるが、以前は測量士やホームクリーニングなど知識・経験も豊富なことから家の掃除もやってやると言ってくれた。
 次に子供達の学校の問題になった。自由気儘に自然の中で伸び伸びと出来る環境から、街の学校に移るのは不安ではないかと思っていたのは秀太郎と麗子だけで、子供達はいつなのか?まだなのか?と期待しているようだった。
 一人っ子だと嫌がるのだろうが、コウとアラシ、タクとソウタ同じ学年に二人づつなので心強いみたいだ。
 対馬の学校は子供達も居心地が良かったみたいで一年間の間、学校や友達が嫌で行きたくないという日は一日もなかった。
 過疎地で生徒数も少なかったこの学校は、PTA会長を一年交代で六年生になる子の親が務めなければならなかった。翌年度はそれが秀太郎の所に回ってくる予定だったが、地域の人にはまだ事情を言ってなかった。
 ちょうど父兄が集まる集会があったので、
その時に公式発表する事にしたのだった。
『えー今日はお忙しい中、お集まりいただき有難うございます。まぁ、毎年の事やけんど決めんといかんばってん、チャっチャっと終らせたいと思ぉとおです。でぇ、来年度のPTA会長の件やけど…』
 前会長の簡単な挨拶が済み、話を進行させようとした時に秀太郎が挙手した。
『あのぉ、もっと早くに言えばよかったんじゃろうけど、急に決まってしもうて申し訳ないんですが皆さんに言わんといけん事があるんです。』
 その言い出しに、いい事ではないなと察知した前会長が、
『どうぞぉ、原田さん。どうしたとぉ?』
『実は、一身上の事なんですが広島に帰る事になったんで、会長の件はちょっとぉ…すんませんが。』
 3秒くらいだったかなぁ?多分、いや確か3秒くらいだった。 …沈黙は。
 一瞬静まり返った部屋にざわめきが起こった。
『えーーーーーっ!原田さん、ホントですかっ?店はどうすっとぉ?なしてまたそんな急にぃ?子供等も全員一緒に帰っとですか?』
 《当り前だろ。》と思いながらも、秀太郎と潤華を抱いた麗子は申し訳なさそうに頭を下げた。
 確かに大家族が引っ越してきただけで集落の大ニュースだったのに、それがまた居なくなるというのはもはや大事件だった。
 だが、致し方ない事と皆諦め会議を進めたが、その場に秀太郎夫婦がいる意味のない内容だった。
 一時間ほどで会議は終わり、労いの言葉と冷たい視線を同時に受けて家路に就いた。
 帰宅して少し落ち着くと、秀太郎は最も厄介な問題を解決せねば先に進めなかった。
 呉の伸司に自分達の決意を伝えなければならなかった。秀太郎は受話器を取り電話をかけた。
『もしもし、伸ちゃん。ワシも麗子もよぉ考えて、対馬にこのままおっても伸ちゃんの想いに応える自信がないし、一年やってみてから思うけど、ここで商売していくのはワシは無理じゃ思う。伸ちゃんも前に言うたようにワシ言う事聞けんけぇ辞めるわ。伸ちゃんの思う店にして。お世話になりました。』
『あぁ、ほうかぁ、分かった。それでええんじゃのぉ。それからどうすんなぁ?』
『それは、まだ決めてない。二人で話し合って決める。』
 秀太郎は二人で決めている事を全ては話さずに電話を切った。
 話が終るまで麗子は何も言わずただ傍で見守っていたが、息子達に潤華の子守りを頼んで荷造りを始めた。
 何日かして秀太郎と潤華を抱いた麗子は、厳原港のフェリー乗り場へ来ていた。日時の打ち合わせをしていた文博がやって来る日だったからだ。
 時刻通りに貨物フェリーが着岸し、懐かしい白いキャビンの大型トラックが最後尾で出てきた。
『今回は揺れんかったどぉ。』と、文博は運転席から降りて笑いながら歩み寄ってきた。
 秀太郎は用意しておいた缶コーヒーを渡して、
『すまんのぉ。まぁデッカイ乗用車で海外旅行に来た思ぉてくれ。アンニョハセヨぉ。取り敢えず、家に行こぉかぁ?』
 秀太郎の車に文博は続いて走った。文博が前にも停めた空き地にトラックを置くと、
『なんか飯でも喰ってからにするかぁ?』
と秀太郎は言ったが、
『いや、フェリーん中で喰ったけぇワシはええでぇ。お前がええんなら、もう荷物積まんかいやぁ。』
 疲れているにも関わらず文博は積み込みを急いだので、予定もあるのだろうと思い、作業に取り掛かる事にした。
 いらない物は島で処分し、荷物を最小限に抑えて移動しようと麗子が荷造りしていたので、作業はスムーズに進んだ。
 予定では荷物をトラックの荷台3分の2までに積んで、ワーゲンちゃんを空いたスペースに乗せるつもりだ。
 積み込み作業が終わり、みんな疲労感たっぷりだったし、翌朝のフェリーの時間が早い為この晩は軽くビールで乾杯して寝る事にしたのだった。
 朝早く家を出てフェリー乗り場にトラックを置き、後はワーゲンちゃんを載せるだけだった。
 文博も対馬に来る事はもう無いだろうし、待ち時間もあったので少し観光でもしようとステップワゴンに乗り込み、秀太郎達も行った事のない豆酘(つつ)の美女塚山荘へと車を走らせた。 …のが間違いだった。
 ガソリンの残量を見ずに出てしまい、それに気付き次のガソリンスタンドで入れようとしたが、走っても走っても山の中。少し開けたかと思うと民家がポツンポツンとあるだけで、すぐにまた山の中。人に聞こうにも人も出歩いてない。秀太郎が泣きそうになった時にとうとう燃料警告ランプが点いてしまったのだ。
 進むべきか、引き返すべきかを迷っていたら、《おおおおっ、神様ありがとう!》人がいたのだった。
 秀太郎は神様とも言えるその人にガソリンスタンドを尋ねると、
『こん先にあっちゃけんどぉ、今日は休みやちゃ。家ん隣がスタンドやちゃけ、ピンポン鳴らしておらんかったら、駄目やなかろうかねぇ。』
と、暖かいような冷たいような答えが返ってきた。
 今から神様仏様の存在を信じますから!という思いで、直進するとガソリンスタンドの看板が見えたけど言われたとおり、営業している気配が微塵もない。隣の家の呼び鈴に指を置き、全神経を集中させて押した。
 家の中に聞いた事のあるメロディーが鳴っている。が、反応が無い。 …終った。
 そう思いながら車の方へ歩いていると、背後で【ガチャっ】という音がして、
『はぁい。どちら様ですかぁ?』
と、玄関のドア越しにオバちゃんが顔を出している。
 事情を話すと休みのところを気持ちよく給油してくれた。秀太郎と麗子はしつこいぐらいにお礼を言い、《さっきの通行人が神様じゃない!神様はこの人だぁ!》と思いながら、お腹いっぱいになったステップワゴンは、美女塚山荘を目前にしてフェリー乗り場へと引き返したのだった。
 フェリーの時間には間に合ったが、ワーゲンちゃんを載せなければならないので、こんな事になるなら先に載せて出ればよかったと三人が思った。
 トラックのウイングを開け、フォークリフトでワーゲンちゃんを持ち上げて荷台に載せようとした時、
『ちょ、ちょっと待ってぇ!』
 秀太郎が声を上げた。少し余裕を持たせたはずだったのに、20センチほど入らないのだ。時間が迫っている、急いで積み直ししなくては!と秀太郎と文博が手際良く積荷の修正をした。これは、長い付き合いでの絶妙なコンビネーションプレイだった。
 なんとかギリギリ載せる事が出来たが、移動中に暴れないようにラッシングしないといけない。
『おい、秀ちゃんよぉ。どこにバンドするかのぉ?ここじゃったらバンパーが凹むかもしれんしのぉ。』
 もう時間がない。港湾関係者もまだかまだかと焦っている。見かねた麗子が、
『文ちゃん、バンパーなんか少々ええよ!時間がない!気ぃ遣わんと適当にでええけぇ!』
と声を張り上げた。文博は、
『わかったぁっ!』と遠慮なくバンドをガチャガチャ締め上げた。 …積み込み完了!
 ウイングを閉めてトラックと文博は貨物フェリーの中へ消えて行った。
 秀太郎達一家も時間をずらして、旅客フェリーターミナルへと向かった。
 乗船券を買い荷物と人数を確認すると、フェリーに乗込んで行った。家族揃ってデッキに立ち船出の銅鑼がなるのを待っていると、
『コウちゃーん、アッくーん、タクぅー、ソウちゃーん、元気でねぇーっ!バイバーイ!』
と、色とりどりの紙テープが飛んで来た。
 下を見下ろすと、あのアラシをさらった林田先生とそのクラス全員が見送りに来てくれていた。時間は授業中のはずなのに、勉強なんかよりも大事な物というのを対馬に残る子供達にも離れて行く子供達にも、林田先生は教えてくれた。
 都会では考えられないであろう、感動的な涙・涙の別れだった。
 秀太郎・麗子・宏次・嵐士・拓哉・颯太達六人も、みんなの姿が見えなくなるまで大きく手を振り続けた。 
 秀太郎と麗子は前日からの疲労と広島へ帰れる安心感とで、客室で横になると自然に意識が遠のいた。帰省の時期でもない平日だったので、フェリーの利用客も少なくゆったりと場所を確保できたのだ。無論、子供達は海賊にでもなったかのように船内の冒険に出掛けていた。
 対馬を出航して、壱岐に立ち寄ると乗船客がドッと乗込んできたので、子供達は慌てて秀太郎達の下へ非難してきた。流石に疲れたのか退屈なのか、一人づつ秀太郎と麗子の両脇で堕ちていった。
 博多の築港を目前にした時だった。
【ゴゴゴゴゴーッ!】と大きな音と共に船が横に大きく揺れた。驚いた麗子は飛び起き、秀太郎の体を揺すった。
『父さん。父さんっ!凄い音がして揺れたんじゃけど、大丈夫なんかなぁ?』
『う?うん?んん。まだじゃろぉ…。』
 駄目だ、完全に寝惚けている。秀太郎は歯軋りを掻いてまた眠りだしたが、麗子は不安で目が完全に覚めてしまった。
 2005年3月20日、午前10時53分。
 震度6弱を記録する福岡県西方沖地震が起こっていたとを、この時まだ誰も知らなかった。
 麗子が揺れを感じた後、何もなく築港に着岸したので、秀太郎を起こし人込みを避けるため一番最後に船を降りる事にした。
『父さん、スンゴイ音がしてゆれたんよぉ!全然気がつかんかったん?』
『ん?マジで?いや、全然。』
 地震・火事・強盗などが深夜に起こった場合、この人は家族を守れるのだろうか?目覚めるのだろうか?逆に肝が据わっているのだろうか?と麗子はいろんな事を考えていた。
 秀太郎は携帯を取り出し、文博と落ち合えるように連絡を取ろうとした。
『只今、電話が大変混み合って掛かり難くなっています。もう暫らく…。』
 何度電話をかけても、女性アナウンスの決まり文句が流れて来るだけだった。秀太郎は地震の事をまだ知らない。
『駄目じゃわぁ、文ちゃんと繋がらん!どしたんかいのぉ。もう着いとるはずなんじゃがのぉ。』
 言いながら秀太郎は車を取りに行き、麗子は潤華を抱き四人の息子を引き連れ、築港ターミナルの正面玄関前で秀太郎が来るのを待っていた。
『麗子、今日帰って来るんじゃろ?地震は大丈夫じゃった?ニュース速報見て、そう言えば麗子、今日じゃなかったっけって思って、電話しても繋がらんし心配したんよぉ。まぁ無事じゃったんならええけど、気をつけて帰っておいでねぇ。』
 待っている間、麗子は父や姉に電話してみたが秀太郎同様繋がらなかったが、奇跡的に着信があったので慌てて通話ボタンを押し、耳に入って来たのは、麗子の昔からの親友で唯一帰郷する事を知らせていた典子の声だった。
『うん、ありがとね典子ぉ。ちょうど船ん中でビックリしたけど、もう博多に着いたけぇ大丈夫よぉ。みんな無事。そっちに着いて落ち着いたらまた電話するねぇ。』
と言ってる所に秀太郎がやって来た。
『母ちゃん、駄目じゃぁ。文ちゃん繋がらんわい。まぁ、アイツの事じゃけぇ大丈夫よ。もう福山に向かって走りよる思うけぇ、ワシ等も行くでぇ。っていうか、なんかエライ道が混んどるのぉ?』
『あっ、父さん!近くのコンビニに寄ってぇなぁ。』
 麗子は長い道程になると思い、タバコを買うのと息子達を黙らす為に、御菓子とジュースを用意しようとした。
 十分ほど掛かって、やっと大通りに出ることが出来た時に秀太郎が、
『ウワッ!何じゃこりゃぁ!母ちゃん、見てみい!地震でもあったんかのぉ?』
 博多の街は、建物の瓦が落ちガラスも飛散してレンガの壁も崩壊している。歩道のインターロッキングも地割れしている所や盛り上がっている所があった。
『・・・・・・・・・・・・・・。』
 麗子は秀太郎の遅過ぎる反応に呆れて言葉が出なかった。
『麗子ぉ…なんか、怒っとるぅ?』
『…別に。』
 機嫌を窺う問い掛けに、冷たい返事が返って来た。
 買出しを済ませた一家は長居は危険と九州を少しでも早く立ち去る事にした。阪神・淡路大震災の事が頭を過ぎった秀太郎は、高速道路に載って、もし崩れたらいけないと国道から帰ることを選び、勿論のこと高架の下は走らないように警戒しながらハンドルを握っていた。
 順調に進んで行き、麗子は船で寝れなかったので助手席で潤華を抱いたまま寝ている。子供達もリクライニングを倒して熟睡している。まるで、霊柩車の運転手になったかのように秀太郎は思っていたが、北九州市に入った時に秀太郎は問題にぶち当たった。
 問題とは、関門海峡をどう渡るか避けては通れない道だった。 
 ①門司から高速に載って橋を一気に渡ってそのまま福山まで帰るか?でも、渡る途中に橋が崩壊して、あっこから落ちたらまず死ぬな。じゃ、トンネルか?
 ②トンネル抜けて下関から高速にのるか?
でもトンネルん中は一車線じゃし、真ん中あたりで壁が崩れて海水が入り込んできたら、まず死ぬな。意識があるまま溺れ死ぬのを想像するだけで苦しいのぉ。確か橋の上は三車線あったけぇ、うまい事すりゃあヒュンヒュンって避けれるかもしれんし。やっぱ、高速じゃっ!
と、一人でアホな事を考えながらブツブツ言っていたのだった。
 悩んでいる最中はどちらの選択肢にしても通行止めだったが、門司に着く頃は解除になっていたので、門司港インターから高速に載った。 
 高速に入ったと同時に文博に電話してみると、やっと繋がったので、
『おぉ!お前、世話なかったかぁ?今どの辺まで行っとるぅ?』
『おぉ、ワシもフェリー降りて何回も電話したが繋がらんけぇ、待たんと走り出したで。
今、えーっと岩国を過ぎてもうすぐ広島に入るでぇ。飯喰って、チョイ寝てから行こう思うんじゃが、何時ごろ福山に着きゃあええかのぉ?』
『あぁ、もうそがぁなトコまで帰っとったんかぁ。ワシ等はさっき関門渡ったけぇ、ほうじゃのぉ…ワシ等が福山に着くの7時くらいになる思うけぇ、お前はお前のペースでええでぇ。』
 そう言って電話を切り、文博に追いつくようアクセルに載せた足を少し踏み込んだ。
 何時間か前に見た博多の無惨な光景や、本気で悩んだ選択やらが嘘だったみたいに、穏やかな風景が流れて静かに夕陽が落ちかけていくのを横目に見ながら、一家を乗せたステップワゴンはスムーズにそして軽快に走り続けたのである。
 秀太郎達が広島県に入る頃には、ヘッドライトを点けて走る車も増えて来て、右手に拡がる懐かしい広島市街地の夜景がとても美しく見えた。
 交通量の多い時間帯だったが、東広島の西条インターを過ぎるとかなり車も減り、山の中を走る高速道路は辺り一面真っ暗闇だ。
 尾道を過ぎたくらいから、また前方の赤いテールランプとバックミラーに映るヘッドライトの数が増えてきた。秀太郎にとっての地元ではないが、福山という文字が書かれた標識を見るとやけに懐かしく感じた。
 福山東インターまで後500mの看板が見えた時に、麗子の体を軽く揺さぶって声を掛けてみた。
『母ちゃん、母ちゃん。福山ぁ着いたでぇ。』
『ん?え?もう着いたぁ?』
 麗子は片方の乳房を思いきり放り出して、潤華はコバンザメのように張り付いて眠ったまま乳をチュウチュウ吸っている。
 そのままの状態で麗子はゆっくりとシートを起こした。
 時刻はちょうど7時を回ったトコ、文博に告げた予定時刻にピッタリだ。
《さすが、俺っ。》と秀太郎は密かにニヤリとした。
 麗子の実家までは、時間帯によってインターから20分もあれば着くのだが、どうやら車の量が多いみたいなので30分は掛かるだろうと覚悟した。
 秀太郎は運転手人生が長かったので、目的地到着の予定時刻を割り出すのには自信があった。7時半に実家に着いて車から降りたところで、文博から連絡があった。
『あぁ、もしもし。後30分くらいで福山東じゃけど、降りたらどう行きゃあええんな?』
 秀太郎は家までの道を簡単に説明すると、文博もプロなので理解が早かった。
 電話を切り、子供達を起こし分担して荷物を手渡した。家に入ると、父・由紀雄と姉・信子が待っていた。
『おかえりなしゃい。』
由紀雄の優しい声と笑顔、そして
『おっかえりいぃーっ!』
と、居間の置くから信子が小走りでやって来た。
 子供達はよく寝ていたので元気な様子で、荷物を放り投げるとバッグの中からゲームを漁り出して、それぞれがもう夢中になっている。まったく現代っ子だ。
 麗子と秀太郎は、由紀雄と信子を目の前にし、安堵の表情を浮かべながら、
『ただいまぁ。帰って来ました。』
と声を揃えて照れ臭そうに挨拶した。
 秀太郎と麗子の話したい事、由紀雄と信子の聞きたい事は後回しにして、秀太郎と麗子は真っ直ぐ仏壇へと向かい二人並んで座ると手を合わした。
《お母さん、ただいま。無事に帰って来たよぉ。ねぇ見て、潤華よぉ。ウチの姫です。》
《お義母さん、ただいま帰りました。福山で頑張る事になったんで、どうかこの家族を見守っていて下さい。》
 二人して、それぞれ胸にある想いを亡き母に報告したのであった。

    第十一章  仰天博徒覚醒 

亡くなったお母ちゃんへの報告を終えた俺は、はしゃいでいる息子達に向かって、
『おいっ!ゲームよりお前等も婆ちゃんにチンせぇや。』
 一人づつ正座して、【チン】【チンチン】【チーン】【チーン、チンチン】。リンの鳴らし方もそれぞれの個性が出るもんだなぁと思った。
 腰を下ろして落ち着いたと思うや否や、文博から近くまで来たと連絡があったので表に出て待ち、文博の到着と同時にお義父ちゃんから聞いたトラックを停めれる空き地へと誘導した。
 最大の難問から片付ける事にしようと、ウイングを開けワーゲンちゃんを見つめた。
 積む時はフォークリフトがあったけど、ここには無い。悩んだ挙句、空き地と道路に一メートル程の段差があるのを利用し、足場板を掛け降ろす事にした。いや、それしか方法が無かった。
 もう暗く灯りは何一つ無い山の中で、幅20センチの板2枚を使っての車の移動は、慎重な作業を要した。
 高さ1メートル、落ちても死ぬ事はないだろうが、責任重大なため三人共躊躇ったが誰かがやらない事には作業が終らない。
 文博は他人の車なので万が一の事を考えて拒否、もちろん麗子にはこんな目隠しをしての綱渡りみたいな芸当は絶対に無理だ。
 …俺しかいない。
『そのまま、そのまま。あぁ、ちょっと右。そうそう、ああっ!駄目っ!切り過ぎ!ハンドル少し戻してっ!はいはい、それぐらい、ゆっくり、ゆっくりでぇ。』
 文博のナビに従い、なんとか若干2メートル程度だが決死の綱渡りを終えたのだった。
ワーゲンちゃんを降ろすのに思ったよりも時間が掛かったのと、既に9時前だったので作業は中断、翌朝早くから再開する事にし家に一旦帰った。
 信子姉ちゃんが近所のスーパーマーケットで、つまみになるような惣菜を用意してくれていたので、お義父ちゃんと文博の三人で酒を酌み交わした。
『行く時も帰ってくるのも、手伝ってくれたそうでぇ、疲れたでしょう。まぁ、一杯呑んでゆっくりしてってくだしゃあ。』
と、お義父ちゃんが優しい笑顔で言う。
『いえいえ、お気を遣わずに。世話の掛かる同級生を持つと大変ですよぉ。もう昔っからコイツには…』
と、文博が憎たらしい顔で余計な事を言う。
『ハイハイ、分かった。カンパ~イっ!』
話を逸らすように俺はビールの注がれたグラスを前へ差し出した。
 久し振りの再開だったが、お義父ちゃんも朝早くから仕事だし、俺も文博も長時間運転で疲れていたので大瓶二本空けたぐらいで、目がショボショボしてきた。
『もう文ちゃんも今日はダウンじゃろ?みんな明日の為に早ぅ寝ようやぁ。私はもう駄目じゃあ。』
と言いながら麗子は座卓の上をパパッと片付け、布団を敷きに二階へと上がって行った。
『じゃあ、ウチも帰るわぁ。秀さんも文さんもゆっくり休んで下さい。麗ちゃ~んっ、ウチ帰るけぇなぁっ。』
 信子姉ちゃんは俺達に言った後、二階に向けて叫んだ。
『ハイハ~イっ!姉ちゃん、ありがとなぁ。』
 麗子も返していた。その後の記憶は殆ど無く眠りに就いていた。
 対馬でもそうだったが田舎の朝は何と言っても空気が澄んでいて気持ちがいいもんだ。
 麗子は一番に起きて朝食を用意していて、   
軽くお腹を満たしてから作業にとりかかったのだった。
 麗子の実家には使っていない離れの部屋があったので、取り敢えずはそこに荷物を入れる事にしていた。
 翌日から、お義兄ちゃんが手配してくれた店舗付住宅の掃除に入ってくれると言っていたので、邪魔にならない荷物を少しづつ入れて行くという段取りだ。
 文博も本業の予定があるので、あまり足止めさせる訳にもいかず素早く荷物を下すと、
『じゃあのぉ。もう引越しすんなよぉ。』
と言い残し帰って行った。
 離れに荷物を入れてしまうと、たちまちする事も無くなったので、俺達七人家族は久し振りに福山の街をブラブラする事にした。
 一年離れている間に大型百貨店や有名ディスカウントショップ、大手の家電量販店の進出に驚いた。中でもコンビニの数、一つの通りに何軒もコンビニ各社が立ち並んでいる。
 対馬には厳原に一件だけあったが、地域の特性上24時間営業ではなかった。
 ひとしきり街を巡回して、買い物を済ませると家路に就いた。
 次の日から忙しい日が続いた。新しい家に着くと、もうお義兄ちゃんは掃除に入ってくれていた。プロの業者が使用するような洗剤や道具を用意して、手際よく作業を進めている。
『お兄ちゃん、お疲れ様ぁ!ごめんねぇ、早ぉから来てくれとったんじゃなぁ。』
『おぉ、お帰りぃ。みんな長旅、疲れたじゃろぉ。まぁ、少しでも早ぉに片付けんと、店を始めるんが遅ぉなってもいけんじゃろ思ぉてなぁ。』
『お義兄ちゃん、おはよ。何から何まで有難う。手伝う事あったら言うてね。無かったら邪魔にならんように荷物入れていくけど。』
『あぁ、そうじゃのう。大けなんは後回しにしてもらおうかぁ。人手がいるようなんは掃除が落ち着いたら、ワシも手伝えるしなぁ。小さいんから入れよぉても、コッチは大丈夫でぇ。』
 という訳で、まずステップワゴンとワーゲンちゃんの二台で運べる小荷物をフル回転させて運び入れ、冷蔵庫や箪笥など大荷物はトラックをレンタルしてお義兄ちゃんと運ぶ事に決めた。
 俺と麗子は実家に帰り子供達を上手に使って手伝わせ、荷物の詰まった段ボール箱をバケツリレーの要領で積み込んだ。
 二台で並んで走り、それを二往復で小荷物運搬は終わり掃除済みの二階の部屋の隅に積み重ねた。
 お義兄ちゃんの掃除も台所回りだけになったので、俺はレンタカーを借りに行きお義兄ちゃんと二人で大きい荷物を積みに帰った。
 その間、麗子は出来る荷物の整理をしておくと家に残り、段ボールのテープを全て剥がした。
 荷物の配置を決めて据え終わると、お義兄ちゃんも仕事があるからと帰って行った。俺はやるべき事がまだまだあった。
 店舗側には以前カレー屋さんだった時のカウンターしか無かったので、居酒屋風に改善したかった。
 洋風のカウンターに少し手を加え、大変だったのが座敷を作る大工仕事だった。
 そこで、大活躍してくれたのはお義父ちゃんだった。お義父ちゃんは、長年に渡り建設会社勤務をしているので、建材関係・内装関係など幅広い信用があったし、お義父ちゃん自身も知識と技術を持っていた。
 仕事の合間に材料を持って来てくれたり、仕事が終ると、ウチに来て夜遅くまで大工作業をしてくれて、実質半分以上はお義父ちゃんのおかげで店が完成した。
 麗子の方も大よそ片付いていて、最低限の生活が出来る形にはなった。小学校転入の手続きも済ませ、不安というよりも短い期間での引越し・転校を楽しんでいるかのように子供達はワクワクしているみたいだ。
 オープンの日を決め、メニューの作成・買出し・仕込み、自作のチラシを新聞屋さんで印刷してもらい新聞の折込みに入れて配達してもらえるように頼みに行ったり、俺は飯を食うのも忘れるほど忙しかった。
 対馬では俺が子供達の御飯とかをしていたが、それをしていたら、オープンに間に合わなくなるので、
『父さんは店の事に集中してくれていいよ。家の事や子供の事は私がするけぇ。どうしてもいう時は頼むけぇ。頑張ってね。』
 麗子もそう言ってくれたので、非常に助かり作業が思うようにはかどった。
 準備も整い、いよいよオープンの日がやって来て暖簾を出し看板に灯りを燈した。
 事実上、自分達の店というのは初めてなので、俺は緊張していたが女は強い。
 まだ小さい潤華の面倒をお兄ちゃん達に頼むのは心配だったので、麗子は潤華をおんぶして店の入口を《最初のお客さんはどんな人じゃろう?》とウキウキして眺めている。
 店の名前は【憩喰館・華秀(いこいくうかん・かしゅう)】。
 これは対馬の店を始める前に伸ちゃんが、
『秀ぇ、店の名前決めとけよ。』
と言われ、俺の名前の秀と麗子が好きな潤華という名前の華を取って付けた名前だった。
 そして潤華が生まれ、この名前には俺と麗子の店と娘に対しての想いが詰まっていたので、対馬に置いて行く訳にはいかなかったし暖簾も俺のお袋がお祝いで作ってくれたものだったので、俺に権利があると思って持ち帰って来たのだった。
 その暖簾が今、福山の俺達の店の前に掛かっており、最初のお客さんを誘うように風にそよいでいる。
 陽が沈みかけ、薄暗くなって来た時に自動扉が開いた。
『いらっしゃいませっ!』
 俺と麗子は声を合わせてお客さん一号を迎え入れた。が、『来たよぉ。』と信子姉ちゃんファミリーだった。
 《なぁんだぁ。》と正直言ってガッカリしたけど、緊張を解すには丁度よかった。
『麗ちゃん、今日は客で来とるんじゃけぇなぁ。お金もちゃんと払うんじゃけぇ、ジャンジャン持って来てよぉ。お腹ペコペコじゃけぇ、秀さん頑張ってよぉ!』
と、いつも陽気な信子姉ちゃんが言った。
 信子姉ちゃんの勢いが福を呼んだのか、初日は近所の人も珍しいと足を運んでくれて、割と忙しい一日だった。
 落ち着いたのは、22時を過ぎていておれはクタクタだったし、麗子も隙を見ては息子達に風呂へ入るよう言ったり、背中で泣く潤華をあやしたり奥の部屋に行って乳をやったりして、ヘトヘトになっていたが二人共充実しており、忙しさを楽しんだ。
 この辺はさすがに対馬ほどではないが、競合店舗が無くどちらかというと住宅街だったので、近所の人には街の方まで出なくてもいい、こんな居酒屋が近くに出来て良かったと嬉しい意見も頂いた。
 俺達の目論みとしては、市営福山競馬場の近くにあったため競馬関係者や競馬を当てたお客さんが立ち寄ってくれるのではと思っていたが、理想と現実のギャップは厳しかったのである。
 それは日にちが経つにつれ徐々に判ってくるのだが、全くのゼロではないけど限り無く競馬関係の客は少なかった。
 藤堂敏春は親父の代からの競馬野郎で、中学生の頃から騎手を目指していた。
 敏春はお母さんと伯父の瀧本さんと一緒にやって来た。敏春は俺より二つ年下で、初対面にも関わらずよく話しかけてきた。
 俺は、だいたい地元の人間ではないのでローカルな話は付いていけない。その点、麗子は話を合わせる事が出来ていた。
 俺は調理に専念するように見せて、少し避けていた所があった。というのはこの敏春、
とにかく若いのに親父ギャグを連発するのだが、完成度のレベルの低さはこれまで出会った事がないほどで、愛想笑いに顔が引き攣ってしまうからだ。
 ペースとしては、週一ペースで来店してくれたが敏春の地獄ギャグに慣れるには、かなりの日数が必要だった。
 いつも決まってこの三人でとても中のいい身内で、お母さんはマイペースで酒は弱いが好き、いつも焼酎をグラスの5ミリほど入れて水を並々と注ぎ足す飲み方をする。ほとんど水で酔う事が出来るのか?と思って見ていると3杯目ぐらいでウットリしてくる。
 ウットリしても、決して色っぽい訳ではないオバちゃんだ。
 瀧本さんは、酒が強く無口で優しい笑顔でいつも敏春親子の会話を聞いている。麗子がおんぶしている潤華の事も自分の孫のようにいつも見守っている。
 俺と麗子の二人きりになると、瀧本さんの事を【仏の瀧ちゃん】と呼んでいた。 
 この三人は、紳士的な楽しい飲み方で人間的にもいい人達でいい付き合いが出来ていたのだが、酒が進み敏春ワールドの入口が開くと麗子に任して、俺は厨房に逃げたが麗子の助けを求める冷たい視線を感じていた。
 福山というこの土地は公営の競馬場があるのと、人口のわりにパチンコ屋の店舗数が多い街でギャンブルを愛する人も多い。
 敏春一家もそうだった。三人はスロット派で、敏春親子は大都技研の吉宗で瀧ちゃんは山佐のキングパルサー一筋だった。
 俺はパチンコをした事が無い事もなかったけど、若い時に半年に一回三千円くらい打つ程度でもう十年近くパチンコ屋に入る事すらなかったし興味もなかった。
 麗子は十代の頃に一時期スロットにはまっていた時があったらしいが出産・育児で俺と同じく十年ぐらい遠のいていた。 
 敏春親子の会話を聞いていても、話し掛けられてもパチンコ用語ばかりでチンプンカンプンだったので、必死に話を逸らしたり適当な相槌を打っていた。
 無口で穏やかな瀧ちゃんもこの話題になった時は、熱くなっていたもんだ。仏の瀧ちゃんは俺達に、
『マスターもママもパチンコもスロットもせんのぉ?』
と聞いてきたので、
『昔は、たまに行きよぉたけど当分行ってないけぇ、話を聞きよっても全然ついていかれん。ワシが知っとるのって、大工の源さんが最後じゃもん。』
 俺は笑いながら瀧ちゃんに言うと、
『あぁ~ん、せん方がええよぉ。マスターとママはこの店で儲かるように頑張ってなぁ。
ワシは応援するけぇ、ギャンブルにはまったら駄目よぉ。』
と言われてしまった。
 瀧ちゃんとはよく話をするようになり、店に来る時は必ずと言っていいほど、寿司とか焼き鳥とかの手土産を持って来てくれて、
『ママぁ、ここの寿司美味しいんよぉ。後でマスターと食べんさいねぇ。』
『コレ買ってきたんじゃけど、子供等ぁに食べさせてやってぇなぁ。』
と、普通なら食べ物屋に食べ物を持ち込むなんて非常識な!と思うけど純粋に俺達の事を想ってくれている本当に優しい人で、知り合えただけでも嬉しかった。 
 川端正志と清美夫妻も常連の仲間だった。
 清ちゃんは九州・五島列島の生まれで、少々気が強い感じの綺麗な子で、正志は頭の切れそうなインテリ風の容姿をしているが、話してみると中身はチャラい。
 俺より一回り若かったが、第一印象としては生意気な感じがしたのは今だから言える。
 この正志は、かなり口が上手く女の子を気持ちよく楽しませる話術を持っていたし、男友達も大事にしていたので、各方面に顔が広くウチの店に何人もお客さんを連れてきてくれた。
 若い時にはパチンコ屋に勤めていたらしく機種情報など、やたらと詳しくその当時一緒に働いていた同僚達を連れて来て飲みながら話す内容には、俺と麗子は全く意味が分からない物だった。
『今日、北斗が噴いて連チャンが止まらんでなぁ。最初BIG引いた後、次天井まで登ってBARよぉ。粘ってから追い金五千円入れたトコでまたBIGが来て後は閉店まで出っ放しでなぁ。ありゃあ設定6間違いないっ!データ見る限りあの台は多分明日も出るで。』
 麗子には少~し分かるみたいだが、俺には目の前で外人がカジノの話で盛り上がっているようにしか見えなかった。
 基本的に麗子は、ギャンブル嫌いでもなく負けず嫌いなので、この頃から少し興味を持ち始めていた。
 そんな正志が一度パチンコ屋時代の同僚である女友達を連れて来ている時に、嫁の清ちゃんが来た事があって、一瞬空気が張り詰めたが俺達から見ても本当に下心のない関係だったし、正志も言葉巧みに言い聞かせていたので、オープン初の修羅場になる事もなかったのだが、数日して二人して店に来た時に、
『マー君、誤解は解けたんかぁ?清ちゃん、あん時の子はマー君と何にもないでぇ。一人でも来るし彼氏ともラブラブみたいじゃし。』
 俺と麗子で清ちゃんの機嫌を取ろうとしたが、清ちゃんが、
『マスターは、そうやってマー君の方を持つんやろぉ。あん時の子はそうかもしれんけどね、ちょっと聞いてくれるぅ?コイツ、詰めが甘いというか間抜けというか、【昨日はお前と焼肉食いに行っとった事にしとってくれぇの。清美にはそう言うとるけぇ、頼む。】ってメールをね、友達に送って履歴の削除をしてないってんならまだ可愛いよぉ。何を血迷うたかそのメール、ウチの携帯に送られて来たけぇねぇ。それ見たらウチとしては、ハァッ?としか思わんじゃん?信用できる?マスターはどお思う?』
 隣で下を向いて、やっちゃいましたみたいな顔をしている正志に俺は言った。
『正志ぃ…お馬鹿。お前が悪い。』
 それ以外に言葉が思い付かなかった。
 忙しい日、暇な日とどちらにせよ働き詰めだったので、たまには息抜きでもしようと俺と麗子は歌でも唄いに行こうと片付けを翌日に残して店を閉め、息子達がぐっすり眠っているのを確認して潤華と三人で家を出た。
 かと言って、街の繁華街に出るつもりは無く、街の外れでオバちゃんがやってるような一杯飲み屋を探した。
 車で30分くらいブラブラして、落ち着けそうな小さい店を見つけたので、ここにしよう。とドアを開けた。
 思った通り、オバちゃんが一人カウンターの中にいた。
『いらっしゃい。まぁ、可愛らしいお客さんが来たなぁ。』
 歳は六十を過ぎているだろう、酒焼けした声で俺達を迎えた。
 カウンターには完全に出来上がっている初老の男性が一人と、ボックス席に麗子と同年代か少し下っぽいスナックのママらしき女性とそのお客らしき中年男性がいるだけの流行ってなさそうな店だ。
 潤華は夜鳴きも殆どしない手の掛からない子で、困らす事はなかった。俺は生ビールを頼み麗子は烏龍茶を注文してグラスを合わせて、
『お疲れ様。』と乾杯した。
 この店のママは俺達が初めての客なので、事情聴取のようにいろいろ質問をしてくる。
 まぁどお見ても近所の爺さん婆さんしか来ないような雰囲気の店なんで、俺達ぐらいの歳の客は珍しかったのだと思う。
 他人にアレコレ聞かれるのが嫌いな俺が、そろそろ鬱陶しいなと感じ始めた頃、麗子はボックスのお客さんをやたらと気にしているようだった。
『どした?母ちゃん知り合いかぁ?』
『うん、多分。間違いないとは思うけど…。父さん、ゴメンちょっと待っとって。』
 そう言って麗子はボックス席の方へ颯爽と歩み寄って行った。
『あのぅ、間違ってたらすみません。もしかしてアキオさんじゃないですかぁ?』
『あん?おぅ、ほうじゃが。 …アンタ誰かいな?ワシは知らんでぇ。』
『あぁっ、やっぱりぃ。アキオさんは憶えてないかもしれんけど、昔【サザンクロス】で働いてて何回かお世話になった事があるんですぅ。』
『サザン?おぅおぅ、よう行きよったけど。んんん?お前おったかいのぉ?あそこは女の子いっぱいおったけぇ、憶えてないわぁ。』
 その男性は小奇麗な身形をしていたが、サラリーマンには絶対いない鋭い眼光に物怖じしない態度と話し方。カウンターから遠目に見ても明らかに一般の人より指が少ない。
 スナックのママらしき同席の女性は、不機嫌そうな顔をする事もなくキョトンとしている。俺は五分ほど放っておかれたが、麗子が帰ってくると説明を始めた。
 アキオさんは、この福山では有名人でその昔ヤンチャをしていた人間なら知らない人はいないくらい。苗字の城嶋の頭文字【J】から通称J君で恐れられていた人物らしい。
 数々の武勇伝を持つ不良少年が、大人になっても立派な不良を続けているのだと言う。
『おぅっ、ママぁ。そこの二人にビール出してやれぇやぁ!』
 そう言われて歳のママが瓶ビールを二本持って来て、
『アキオさんからね。』
と俺の前に置いた。
 俺は一本を手に取り、アキオさんのいる席に行って、
『はじめまして。原田と言います。ウチのが昔可愛がってもらったそうで。遠慮なく頂きます。』と頭を下げると、俺の手からビールを取り上げ、
『世話ぁ言うてもあんたの嫁さんには指一本触れてないけぇ誤解するなよぉ。ワシ指が少ないしのぉ。あんた等がええんなら、グラス持ってこっちに来いやぁ。』
 ついさっきまで店を出るつもりだったが、とても帰れる状況ではなくなった。
『サザンクロスはもう無くなったよのぉ、今は何をしよるんなぁ?』
『今は父さんと、この先少し行った所で居酒屋をやってますぅ。この間、長崎から帰って来たばっかりで知ってる人にあったのアキオさんが初めてですよぉ。』
『ほんまかぁ。じゃあ近い内に寄ってみるわい。まぁ飲め飲めっ。』
 アキオさんはグラスを空にしろと言わんばかりにビール瓶を突き出してきた。
 もう三時になろうとしている。息子達を七時には起こさないといけないので、最後の乾杯をして俺達は脱出に成功した。
 勘定を済ませて車に乗ると同時に麗子は、
『父さん、ごめんねぇ。私がアキオさんに話し掛けたけぇ。こんなに遅くなるとは思わんかったぁ。ごめんっ!』
と、両手を合わしウインクしている。
 まぁ、アキオさんは威圧感があるけど面白い人で俺もそこそこ楽しんだから別に不機嫌にもなってなかったし、麗子が謝る必要はなかったのだ。
 家に帰ると疲れていたので寝たかったけれど、麗子は懐かしい人と偶然に会えた事、俺が不機嫌ではない安心感からか、あんな事があったこんな事があったと話が止まらない。
 今度は俺が麗子の機嫌を損なわないよう適当に相槌を打っていたのだが、眠気が覚めてきて話に付き合おうと腹を括った朝5時頃、
『父さぁん。もう私、限界。寝ようよぉ。』
 2時間で起きる自信もないので、寝ないつもりで布団に入り、
《女という生き物は…。》
と思いながら、麗子の寝顔を暫らく恨めしそうに見ていた。
 夕方、仕込みも終わり暖簾を出して開店準備を整えると、客が入りだす7時くらいまでに夕食の支度をして息子達に飯を喰わす。
 喰った者順に座敷を離れて行くと、自動扉が音を立てて開いた。
『ああああっ!い、いらっしゃいませっ!』
 アキオさんの近い内というのは、次の日の事を言うのだろう。 
 アキオさんは、昨日一緒にいた女性と同伴して来た。行きつけのスナックのママだと紹介され、歳は麗子と同い年で自宅もウチの店の近所らしい。全然気取っていないし、色気をムンムンさせている訳でもない。歳の割りには仕事柄若く見える、綺麗というより可愛いタイプで話してみると見事な天然ぶりだ。
『ママぁ、マスター来ちゃったぁ、ハハ。もうアキオさんが焦らすけぇ、足をぶつけてしもぉて、スッゴイ痛かったぁ。見てぇコレ。』
 ママは左足を出してスカートの裾を膝まで捲り上げて見せると、
『あぁ~あ、痛そう。ママ大丈夫ぅ?痣になっとるじゃーん!』
 麗子が自分も痛そうな顔をして言う。
『メッチャクチャ痛いんよねぇ、ここ。アキオさん、ここの事を何て言うか知っとるぅ?私、この前覚えたよぉ!』
 俺は聞いてて、この前?知らなかったの?と思っているとアキオさんが、
『なんやぁ、お前ホンマに知っとるんかぁ?じゃあ言うてみいやぁ。』
『アキオさん知らんのんじゃろぉ。ここの事はねぇ、【ケンベイのウチドコロ】って言うんよぉ。』
と、アキオさんを小馬鹿にしたように指を指して笑っている。
 俺はすぐに突っ込みたかった。前も後も違うと。しかし、アキオさんの連れだしママの事をどんな人かも分からないので、気を悪くさせたらいけないと思い我慢した。沈黙があり俺がウズウズしていると、アキオさんが溜め息をつきながら口を開いた。
『ママ、そこは【弁慶の泣き所】!お前はあんまり人前で喋んな。』
 んんんんっ!俺が突っ込みたかったあっ!
 ママは恥ずかしそうに照れ笑いをして、話題を変えようとしていた。なんとも面白い人だと思い、俺と麗子は大笑いをした。
 30分ほど飲み食いをして、ママの出勤時間になったので『また来る。』と言って二人はママの店へと言った。
 23時を過ぎて、今日はもうないかなと思っていると、ヴィーンと自動扉がスライドして、
『まだ、いいですかぁ?』
と若い二人組みの男が入って来た。
『あぁ、いらっしゃい。朝までええよぉ。』
と俺がいうと、笑いながらカウンターに座った。勇造と大吉との出会いだった。
 大吉はヒップホップ系の日本人離れした顔立ちだが腰の低い気を遣ったような話し方をして来る。
 勇造は好青年っぽく顔つきも甘い感じで、話し方もおっとりしているから初めは、チョットあっち系?と思った。
 本当にそう思っていた。これから長い付き合いで分かってくるのだが、とってもヤンチャな悪ガキ達だった。
 いろいろと話してみると、やはりこの二人もパチンコ・スロットが好きな人種で、特に大吉の方は頭が賢く回転が早い。スロットに関しては機種・スペック・確率・演出ありとあらゆる情報がインプットされていて、プロ並みに稼いでいるらしい。
 勇造は知識はそこそこだが、持って生まれた天性というか博才があるみたいで、この二人の話に俺はさっぱりだが、眠れる獅子が叩き起こされたように麗子は仕事を忘れ、身を乗り出して質問している。
 話に入れない俺は話題を変えようと、
『ウチに入って来るのって勇気がいったぁ?前に入りにくい雰囲気があるって、他のお客さんに言われた事があるんよぉ。二人はどうじゃったぁ?』
『あぁ。マスター、気を悪くせんでくださいね。正直言うて中の様子が見えんけぇ、どうなんじゃろう?どんなモンを出す店なんじゃろう?って思ったんスけど、この前を通る度に気にはなっとったんス。んで、今日は入ってみようって僕が言うたんスけど、勇ちゃんがヤメとこうって言うのを無理矢理に連れて入ってみたんス。いや、でも入ってよかったっス!料理も美味いし、マスターもママも面白い人じゃったけぇ。の?入ってよかったじゃろ?』
と大吉が勇造の胸を軽く裏拳で叩いた。
『いやぁ、入りにくいですよぉ。怖かったもん。俺は、やめといた方が絶対ええって入るギリギリまで言ってましたもん。いや、でもマジで来て良かったわぁ。大ちゃんが入る言わんかったら、一生来てないかもしれんかったですよぉ。』
と勇造がニコニコして言った。
 勇造と大吉は店と俺達を気に入ってくれたみたいで、『またツレを連れて来ますっ!』と言って帰って行った。
 歳を聞くと俺より十歳若く、初対面から憎めないいい奴等だと麗子と感じていた。
 店のシャッターを下ろし、電気を消して二階に上がる前に麗子と二人で話した。
『しかし、福山の人間ってパチンコ好きじゃのぉ。ワシゃあ話に全然ついていけんでぇ。』
『私もぉ。昔と全然違うみたいじゃし、よぉ出るみたいじゃねぇ。話が分からんけぇ、客と会話が出来んのが辛いねぇ。父さん今度の休みに社会勉強いう事で、チョットだけ覗きに言ってみるぅ?』
『おぅ。会話が出来んのがのぉ。どんなんか見て少しだけ打ってみようかぁ。まっ、多分ワシ等はハマる事はないじゃろ。』
 次の休みの日に出掛けた。俺と麗子は見事にハマッたのだった。

    第十二章  爆笑巨漢登場

 秀太郎と麗子はどの店がいいかなど全く分からなかったので、適当に近くの綺麗な店に入ってみた。
 二人は十数年ぶりの騒音に一瞬は圧倒されたが、すぐに慣れ期待感満載だった。基本的に秀太郎は仕入れの時以外はお金を持ち歩かないので、麗子と離れずにいた。
 麗子はもともとスロットしかしていなかったので、一目散にスロットコーナーへ向かったが秀太郎はパチンコしかした事がなかったので、何をどうしていいのかさっぱり無知だった。
 知らない機種が並ぶ中、ジャグラーとパルサーの名前ぐらいは秀太郎も聞いた事が辛うじてあった。
 麗子はジャグラーは面白くなさそう、パルサーなら少しはパターンを憶えていると適当な席を二台取り、両替に行って来てその一台に座ると、
『父さん、隣に座りぃ。』
と自分の右隣の椅子を指差した。
 麗子はブランクがあるものの身体が憶えているようで秀太郎に千円札を十枚渡すと、足を組み煙草に火を点け千円札を投入口へ流し込んだ。ジャラジャラァァっとメダルが勢いよく出てきて、右手で何枚か拾い上げるとチャリンチャリンとメダルを入れ、左手でレバーをスコーンと叩くと右手の親指でポンポンポン。
 煙草の灰を備え付けの灰皿にトントン、その作業をリズミカルにこなしている。
 秀太郎がポカーンとして麗子の方を見ていると、
『父さん?どしたん?はよ打たんと時間が勿体無いよぉ!』
と言われてしまった。
 秀太郎は慌てて千円札を入れ麗子の真似をしようとするが、ぎこちない動きからかメダルは落とすわ煙草の灰を落とすタイミングが掴めずズボンに落とすわで面白くなさそうにレバーを叩いている。
 秀太郎は大体が飽き性でこの時点で止めたかったのだが、その時麗子が秀太郎の肩を叩き、興奮しながら言ってきた。
『父さん!入ったぁ。来たよぉ!』
 次の瞬間、麗子がポンポンポンすると、リールが左から【7・7・7】と揃った。
 麗子はニンマリ笑って、払い出されるメダルを掻き出している。
 一方、秀太郎は千円札を何枚も入れ続けレバー・ボタンの作業を繰り返している。スロットの原理や仕組み、設定やらパターンなどを全く知らないのだから、この流れ作業が退屈で糞面白くなかった。麗子が隣で出しているから尚更だった。
『母ちゃん。ワシ素質ないのぉ。パチンコの方へ行ってみるわぁ。』
と秀太郎は席を離れてパチンココーナーへと消えて行った。
 秀太郎は何台か替わりながら相性のいい台を探した。初めて見る機種で訳が分からなかったが、演出が面白かったので《ここだっ!》と決め腰を据える事にしたのだった。
 明らかに言えるのは、秀太郎の知っている昔のパチンコより音響も電飾も派手すぎるほど派手になっていた。
 さっきまで打っていたスロットとは違ってパチンコの方が秀太郎は面白いと感じていると、激熱の長い演出からリーチになって、大当たりを引いたが惜しくも通常。と思いきやボーナス中に確変(正式名は確率変動)に昇格、その後は怒涛の18連チャンとなった。
 秀太郎は麗子の様子を見に行くと、麗子もプロのようなオーラを出しながら背後にドル箱を積んでいる。
 この頃はまだ欲を出すというのを知らなかったので、連チャンが止まった時点で即ヤメを互いにした。知らない方がいい物は知らないままがよかったと後で後悔するとはまだ思っていない二人だった。
 笑顔で店を出た二人は換金して成績を計算すると、5時間ほどで6万円の勝ちだった。
『父さん!父さん!やったねっ!お腹すいたぁ、何か食べに行こうよぉ。』
『おぉっ!何でも好きなモン喰えっ!母ちゃん、こんなん毎日続いたら働くのアホみたいじゃのぉ。』
『そんなぁ。たまたまよぉ。そんないっつも上手くいく訳ないじゃ~ん。』
『分っからんでぇ。んじゃ、明日もきてみるかぁ?』
『明日になってみんと分からんよぉ。』
という麗子のニヤリ顔は、既に行く気満々の微笑みだった。
 潤華はどうしていたのかと言うと、当時は今ほどうるさくない店があって、交代で抱っこして打っていた。後に、パチンコに夢中になる馬鹿親が急増し、炎天下の中で幼児の車内放置による死亡事故が多発するという痛ましい事件が相次いだ為、どの店も厳しくなってきたのだった。
 息子達が学校から帰る前に家に着き、秀太郎は仕込み・開店準備・夕飯の仕度、麗子は洗濯物の取り込み・風呂の仕度・潤華の世話と忙しい時間帯に突入した。
『おぅい、お前等ぁ!今日はステーキ喰わしてやるけぇなぁ!』
 こういう時にいいモン食べさしてあげようと、麗子が買い物をしてから帰ろうと言ったのだった。 
『やったぁ!』
『マジでぇ?』
『どうせ嘘じゃろぉ?』
『なんで急にぃ?分かったぁ!給料が入ったんじゃあっ!』
『アホかっ!誰が給料をくれるんなぁ!お前等ぁ、ええ加減にせぇよぉ。そんなん言うて信じんのんなら、キャベツの千切りだけにするどぉ!』
『イヤッ!俺達は父さんと母ちゃんを信じてます!』
『もう、ホンマあんた等ぁは調子ええねぇ。』
 楽しい家族の会話だ。人間、思いもよらぬお金が入ると自然と笑顔になるもんだ。
 この日の来店一号は敏春親子と瀧ちゃんだった。秀太郎は昼間の興奮を早く話したかったが、まずは仕事。オーダーを捌いて少し落ち着いたと思ったら、また誰か来た。
『あぁ、いらっしゃ~い!』
と麗子が明るい声で迎えたのは、大吉勇造と仲間達だった。
 小さな店だったので、後三席で満員御礼という状況になり話どころではない、軽いパニック状態に陥った。
 秀太郎は客間に出る暇も無く、目の前に並んだ伝票を頭の中で整理しながら、刺身を盛り付けていた。
『いらっしゃ~い!ちょ~っと狭いけど奥でいい?ゴメンネェ。』
 麗子のその声が耳に入った時に秀太郎の手が止まった。軽いのから重いパニックへと変わったからだ。
 秀太郎は盛り付けた刺身を持って麗子に手渡すと、恐る恐る客間を覗いた。
 正志が友人を連れて来ていて、カウンターも座敷も活気で満ち溢れている。
 秀太郎に気付いた正志が、
『マスター、今日は何事ぉ?大繁盛じゃん。』
『ハハっ。』と秀太郎は苦笑いで返した。
 普通なら儲けだ儲けだと喜ぶのだろうが、秀太郎は今にも泣き出しそうな表情だった。
 ここに来る客は8割がた、秀太郎や麗子と話をしに来るのが目的で、自分の前にある程度の料理が並ぶと、
『マスター!はよぉこっちへ来いやぁ。』
『マスター、一杯飲めやぁ。』
と秀太郎の顔を見ると足止めしようとする。
 悪気がある訳じゃぁない有難い事だが、
『ちょ、ちょっと待ってねぇ。』
と言いながら、秀太郎は心の中で
《客はオメエだけじゃねえんだぞ!この状況を見たら分かれよ!》
と叫ぶ事があった。だから、気心の知れて来たこのメンバー達には、
『敏春ぅ!コレでも喰って、お前はチョイ黙って待っとけ。殺す気かぁっ!』
『正志ぃ!後で隣に座ってやるけぇ、母ちゃんの相手をしてやってくれぇ!』
『勇造ぉ!ワシ疲れたぁ。2分休憩させてくれ!それから母ちゃん、こいつ等の今からの注文はゼロを一個増やして伝票につけといてくれ!』
 こんな感じの営業スタイルだったが、みんなそれを笑って楽しんでくれていた。
 そんなこんなで、この日やっと最初の落ち着きタイムがやって来た。
 麗子も潤華を背負ってのテンヤワンヤだったので背中が汗でびしょ濡れになっていた。
 しかも、この騒がしい中で潤華は汗を掻きながら泣く事も無くスヤスヤとぐっすり寝ているので、
『父さぁん。もう肩と腰が砕けそうなぁ。ジュンを寝かして、私はチョット着替えてくるわぁ。汗でもう気持ち悪い。』
『あぁ、少し休んどってもええけぇな。』
と秀太郎は麗子を二階へやると、
『ハァ~イ、皆さん。お待たせしましたぁ。もう、しばらくの間オーダーは飲み物だけにしてくれぃ。取り敢えず、カンパ~イっ!』
とビールの入ったジョッキをみんなに向けて突き出した。
『カンパ~イ。マスターお疲れさ~ん。』
と皆もそれぞれのグラスやジョッキを突き出した。
 秀太郎は、やっと昼間の出来事をこのギャンブラー達に話せると思い、
『チョイチョイ、聞いてくれぇ!今日の昼、母ちゃんと久し振りに…』
 秀太郎は話し始めた。聞いてくれれば相手は誰でもよかったのだ。
 麗子が最初にBIGを当て秀太郎がスロットからパチンコに替わり、大当たりを引いてこれからがクライマックスだという所を語ろうとした時、背後からもっと興奮した声が飛んで来た。
 麗子は大吉と勇造の前に立ち、
『今日ねぇ、今日ねぇ、行ってきたよぉ!久し振りにパルサー打ったんよぉ!四千円でBIGが来て80回転くらい回したんよぉ。そしたらねぇ、…』
と、本日の成果を話し終えた時に、
『パルサーはパターンが覚え易いもんなぁ。でもママぁ、そんなんで興奮しよぉたら吉宗を打って当ったら気絶するでぇ。711枚はデカイよぉ!まぁ、変な台に座ったら深いけどね。』
と正志が言うと、
『いやぁ、連チャンで言うたら北斗じゃろ。吉宗は怖いって。ママ、吉宗は止めときよ。』
と清ちゃんが言ってきた。
【吉宗】 ?【北斗】 ?秀太郎と麗子は、次々と出てくる新しいキーワードに戸惑いながらも興味を持った。
 この場にいる皆、わりと知識豊富だがその中でも大吉が最も詳しかったので、秀太郎と麗子は食い入るようにして聞いた。大吉は簡単に一通り説明した後で、
『いゃ、でもママ。吉宗とかはホンマに怖いっスよ。手ぇ出さん方がええ思いますよ。』 
と付け加えた。
 ギャンブルで痛い想いをしてきた人間を見てきての麗子達を思いやる大吉の言葉だったのだが、それがいけなかった。
 麗子の闘争本能に火を点けてしまった。火に油を注ぐ結果になったのだった。
 秀太郎と麗子は翌日、子供達を学校に送り出すと潤華を託児所に預けて、闘争心剥き出しで出勤した。出勤と言っても言うまでも無いパチンコ屋だ。
 麗子は他の機種には目も繰れずに吉宗の台を探した。予想以上に人気機種のようで、二十台ある吉宗コーナーは満席だった。
『母ちゃん、どうする?他の台見てみる?』
『いや、私は空くの待っとく。』
 秀太郎はこういう状況を待つのが嫌いで、よそに移動かもしくはパチンコの方へ行きたかった。
 その時の麗子の目は、もはや獲物を木陰から狙う猛獣のようだった。
『じゃあ、ワシ玉の方を見て来るけぇ空いたら電話して来てぇ。』
と言って秀太郎は店内を徘徊し始めた。
 適当に空いた台に座って打ち始め煙草に火を点けた時、麗子からメールが届いた。
【父さん、調子はどうですか?隣があいたけど来る?】
 秀太郎は出るのであれば何を打ってもいいというタイプだが、麗子は勝つにしても負けるにしても秀太郎と並んで打ちたいタイプだった。しかも、麗子は一台に対して一途に打ち続け、この台で取られた分はこの台で取り返すという、悪い言い方をすれば一台心中型だった。
 秀太郎はまだ当たりを引いていなかったし多少の興味もあったので、麗子の許へと向かったのであった。
 麗子はまだ出していないようでレバーを叩いていた。左隣の台の受け皿には麗子のセブンスターが置いてあった。
 その席に秀太郎が座り、セブンスターを麗子に返し、メダルを入れて吉宗を麗子と並んで打ち始めた。
 まず麗子がBIGを引きジャラジャラとメダルを掻き出している。麗子は今まで見た事のない多彩な演出の虜になってしまい、自分でも驚くほど興奮している。
 間を空けずに秀太郎も大当たりがやって来たが、どうもスロットは性に合わないみたいで全く面白く感じず、ボーナスが終った時点で出たメダルを麗子に渡して、
『やっぱりワシは玉の方に行って来るわぁ。』
そう言って席を立った。
 秀太郎はスロットの仕組みを全く理解していなかったので、天井とかチャンスゾーンとか知らなかった。麗子が、
『父さん、勿体無いけぇ、193回転ぐらいまでは回してっ!』
と言う意味が分からなかったし、何よりも片手で済むパチンコに比べ両手を使うスロットが、面倒臭がりな秀太郎にとっては苦痛だったのだ。
 麗子の調子が良かったのは最初だけで、面白いのと悔しいので深追いしてしまった結果この日は大きく負け越した。
 一方、秀太郎はパチンコに乗り換えたのが幸いしたのか、辛うじて勝ち組に入る事が出来たが、オイシイ思いというのは長続きする事なく、この日から五連敗してしまう。
 その点、女は強い。負けず嫌いで基本的に博才のある麗子は、前日の負けを取り戻すべく意気揚々と出撃し、見事に吉宗を討ち負かしたのだった。
 それから大勝ち小勝ちトータルで勝ち続けたので、秀太郎は麗子に頭が上がらない日が続いたのだった。
 関係が有るのか無いのか分からないが、有ると言えば有るだろうし無いと言えば無いだろう。多分、間接的には有ったのだろう。
 勝ったり負けたりのパチンコ通いに嵌まりだして、段々と店は暇な日が増えて来た。
 開店の準備をしてから息子達に夕飯を食べさせて客の来るのを待ちながら、麗子と秀太郎は退屈しのぎにしりとりをしたり、携帯ゲームをしたりして時間を潰していた。
 しかし、いい歳をした二人はそんな幼稚な遊びが長続きするはずもなく、話をし始めたが結局パチンコの話題に辿り着く。
 暇な状況でパチンコの話をしていると、
『父さん行ってみる?な~んてね。』
 明らかに冗談で言ってる目ではない。秀太郎の出方を確かめているようだ。
『んん~、行きたいのぉ。母ちゃんだけ行っておいで。勝って来いよぉ。』
 意地の悪い秀太郎は麗子が一人では行かないのを知っていて、次の出方を覗っている。
『父さんが行かんのんなら、我慢する。』
『じゃあ、チョットだけ行ってみようかぁ。』
 結局、二人共我慢出来ずに出かける事にした。
『ちょっとぉ、あんた等ぁ。お小遣いあげるけぇ、ジュンを見よってくれるぅ?チョット出掛けて来るけぇ何かあったら電話してきてぇ。』
と息子達を呼んで麗子が言った。
『うん、オッケー!いってらっしゃい。』
 五百円づつ受け取った息子達は、二人を気持ち良く送り出した。本当にいい子達だ。
 これで、必然的に二千円プラス日当分を稼がなくてはならなくなった。
 秀太郎はパソコンに向かい何やらカタカタと打って、プリントアウトしている。
『よっしゃ、これでえかろう。』
【ご来店、誠に有難うございます。
 誠に勝手ではありますが都合により、
 臨時休業させていただきます。
 明日は通常営業いたしますので、
 よろしくお願い致します。
         憩喰館 華秀】
 そう書かれた貼り紙を降ろしたシャッターにテープで貼り付けて、戦闘に出向いた。
 秀太郎にとっては不幸中の幸いというか、いい所を見せる事がなかったが麗子の執念がそれを救ったのだ。
 今日だけ。のつもりだったが、勝てば調子に乗るし、負ければムキになる。の繰り返しでチョクチョク店を閉める日が多くなった。
 ギャンブルをしない人でも、する人ならなおさら分かる事だが運任せだと勝つ時より、
勿論負ける方が断然多い。
 パチンコ攻略と言ってる詐欺業者も蔓延しているが、騙される人も後を絶たない。パチンコを打っていれば、こんな演出があればこれぐらいの確率で当たりが来るというのがある程度判るが、スロットに関しては設定があって1~6の6が最も高設定で演出やBIGとレギュラー、ボーナスの振り分け等で多少の設定判別が可能らしいが、どちらも必ず勝てるという攻略など存在しないのだ。
 それらを全て知っていても、好きな人はなかなか止められないものなのだ。
『最近全然ダメじゃのぉ。腹立つわぁ!』
『父さん。最近ホンマにヤバイよ。チョット真面目にやらんとお客さんが逃げるよぉ。』
『マジで、当分行くの止めるでっ!』
 二人で誓い合ったが、止めるのは当分であって絶対という勇気はなかった。
 六月に入り、ジメジメした鬱陶しい雨が続く梅雨がやって来た。
 ツイてない時はとことんツイて無い物で、
梅雨に入ると同時に絶好調だったエアコンに寿命が来たみたいだった。
『困ったのぉ。この蒸し暑さは客も帰るで。母ちゃん、どうするや?』
『どうする?って言われても、何とかせんといけんじゃろ。もう古そうなし、直すより買った方がえかろう。』
 引っ越して来た時から備え付けられていた物で、前の住人が残していった型の古いタイプだった。
 家族用なら我慢するのだが客室用だから客に我慢させるという訳にはいかず、購入する事に決めたが時間が遅かったため、この日に取り付けというのは無理だった。
 秀太郎は汗を掻きながら仕込みをしているが、麗子も汗だくで背負われている潤華も滝のように汗を流している。
『こんちわぁ。やっとるぅ?』
 自動扉が開いて、声が聞こえると秀太郎と麗子は反射的に
『いらっしゃい、どうぞぉ!』
と声を投げ掛けた。
 二人はこのサウナ状態の中、出来れば今日は客が無い方がいいぐらいに思っていた。
 入って来た客を見ると、二人組の男で一人は小柄で色黒の中年男性、もう一人に秀太郎は驚いた。
 頭は五厘刈りの坊主頭で背丈は180センチくらい、体重も100キロは余裕で超えているだろう巨漢、まさにハッキリ言って【デブ】だ。
 パッと見は危ない感じにも見えるが、青白のボーダーポロシャツにダブダブ七分丈のデニムズボン、コンバースのバスケットシューズという服装に、眉毛を細く剃りあげているが童顔な顔つき、政弘との出会いだった。
『生ビール二つちょうだい。マスター、なんか暑いなぁ。』 
 そりゃそうだろう。普通でも暑苦しい体型をしているのに、サウナみたいな所に入って来たのだから人一倍暑いに決まっている。
『すんませ~ん。エアコンが急に壊れたみたいで、扇風機を持って来るけぇ、辛抱してもらえるぅ?』 
 秀太郎は生ビールと付き出しを出しながら笑って言うと、
『仕方ないなぁ。まぁええわぁ。マスターもビール飲んで!乾杯しようや。』
 秀太郎にそう言ってきた政の体を見て、悪気もなく自然に
『あぁ、どうもぉ。ごっつぁんです。』
と言ってしまった。
 中年男性は競馬場で働く厩務員らしく、政に対して説教染みた物の言い方で横柄な態度だった。
 政は話してみれば二十歳の若者で秀太郎と麗子から見てもまだまだ子供、見た目と話す内容の幼稚さにかなりのギャップがあった。
 政はこの店が気に入ったのだろう。汗だくになりながらも夕方六時から十一時まで帰らなかった。普通の一見の客ならとっくに耐え切れず、帰ってもおかしくないほどの蒸し暑さだった。
 この二人が帰ろうとした時、中年男性は先に店を出て自分の息子ほどの若い子の政が財布を開いていた。秀太郎と麗子からすれば考えられなかった。
 まぁ、事情やらあるだろうから立ち入らない事にはしていた。
 それから、政は三ヶ月くらいほぼ毎日のように来るようになるのだが、最初のうちはこのオッサンといつも来ては政が奢っていたので、秀太郎は見かねて、
『政ぁ、いっつもお前が奢りよるけど、何でなぁ?別にお前の金じゃけぇ、ワシがとやかく言うもんじゃないけど、あのオッサンお前に礼も言わんし、偉そうな事ばっかり言うじゃないかぁ?お前がよくてもワシは見よって胸糞が悪い!利用されんなやぁ。』
と言った。
『ホンマよぉ!たまに政が奢る言うんなら分かるけど、逆じゃろ!って言うか、オッサンが金出した事ないじゃん!』
 麗子も怒り心頭だった。
『うん、でも俺が飲みに行こうって誘ったけぇ、誘った方が払わんといけんじゃろ。』
 んんん、確かに政が言っている事も間違いではないが、それは同年代とか同等の地位・レベルの人間での話だと思うのだ。
 付き合っていくとわかって来たのだが、政はただ単に背伸びしたいだけで、金を払うのが大人だと、大人という意味を履き違えていた。
 政は負けず嫌いなのか、変な対抗心を秀太郎一家に対して持っていて、来る度におかしな数々の伝説を残した男だった。
 まず、秀太郎達が七人家族だと知ると、
『俺は、六人兄弟の3番目だ。』
 家族構成を聞くと、
『親父は公務員で、オカンは学校の先生をしよる。一番上の兄貴は東京におる。すぐ下に17の双子の妹がおる。他の兄弟はバラバラになって今は何処におるか分からん。』
 彼女は?と聞くと、
『ヤキモチ焼きで、うるさいんじゃあ。面倒臭いけ、家で大人しゅう待っとけって言うとる。【ピリリリリ、ピリリリリ…】アッ、女からじゃ。いちいち電話してくんなって言うとんのにぃ。』
と言いながら電話を持って店の外に出る。
 客は政しかいないのだから、別に外に出る必要はないのだ。
 電話を終えて店内に帰ってくると、
『おい政ぁ、彼女には優しゅうしたれぇや。
彼女の写メはないんかぁ?連れて来んのんなら、チョイ写メを見せてくれぇや。』
 怪しく思った秀太郎は意地悪く言った。
『仕方ないのぉ。これがワシの女。全然可愛いないよ。ブサイクじゃけ。』
と言いながら、携帯の画像を見せてきた。
 携帯の画面には、アイドル級の可愛らしい女の子が映っている。
 他にも喧嘩した話、大金を手にした話など数多くの武勇伝を語った。
 …それら全て真っ赤な嘘なのだ。
 政はアホなのか、ある日自分の従兄弟を連れて来たのだが、会話をしていると政から聞いた話とどうも噛み合わない。
 その日は、おかしいな?と秀太郎と麗子は思いながらも突っ込まないようにしてやり過ごした。
 何日か経って、政の従兄弟が店にやって来て、政と待ち合わせだと言った。政は仕事で少し遅れるらしい。
 気になっていた事を今しかないと鎌を掛けて、いろいろと聞いてみると次々とボロが出てきた。
 従兄弟だから勿論家族構成やらは知ってるはずだし、嘘は言わないだろう。
 兄弟は地元に兄貴だけいるらしい。当然、妹の存在など架空の者で、双子なんて以っての外だ。
 親父はガソリンスタンド勤務の平社員、オカンは看護婦さん。
 これは彼女の話も嘘だなと思ったが、そこまでは従兄弟も分からないと言った。
 従兄弟は何でそこまで政の事を聞いてくるのだろう?ってな感じで不思議そうにしているが、そこへ政がやって来た
『おぉ、ゴメンゴメン。マスター、生ちょうだい。』
 秀太郎と麗子は笑いを堪えながら、しばらく真実を知らない事にして政で遊んでやろうと意地悪く思っていた。
 それから、一週間ぐらい経った時に麗子の姉・信子が遊びにやって来た。
『麗ちゃん、昨日ちょっと御飯を食べに出掛けたら、いっつもここに来る体の大きい坊主の子がおるじゃ~ん。あの子が彼女みたいな子とおったよぉ。私には気付かんかったみたいじゃけどぉ。』
 麗子と秀太郎は体の動きが止まった。
《なんだ!このジャストタイミングな話題はっ!》
と二人して顔を見合わせそう思った。
『で?どんな子じゃった?小柄な可愛い子じゃった?顔を見たっ?』
 襲い掛かるように問い詰める二人に、信子は一瞬たじろいだが、
『いや、あの子と一緒におったら大抵の子は小柄に見えるけど、普通に見たらそうでもないんじゃない?少し横に大きいおデブちゃんじゃったよ。顔は言うたら悪いけど…』
と言いながら、人差し指で自分の鼻を押し上げた。
 ストライ~ック、バッターアウトォォッ!
 これでハッキリした。彼女の話もデタラメだという事が。恐らくあの写メは何処かのサ
イトで、自分の理想の子を見つけて画像だけを拾って来ていたのであろう。
 しかし、政は何故そんな得にもならない嘘を並び立てるのだろうと、秀太郎と麗子は不思議で堪らなかったが、別に傷付けられた訳でもないし損害を被った訳でもないので腹は立たなかった。ただ、不思議だった。
 作り話でも話題を膨らます事とお金を使う事で人との繋がりを保ちたいのだろう。
『マスター。鹿児島の黒豚和牛を貰ったんじゃけど、店で使ってぇ。ええ肉でぇ。』
と言って持って来たが、
『牛か?豚か?どっちな?お前が言いたいのは黒毛和牛じゃろうが。』
 秀太郎がそう言っても自分の間違いに気付かず、キョトンとしている。しかも、その肉は恐らく自分で買って来たものだと秀太郎と麗子は思っていた。
 暫らく政で遊ばさせてもらったが、嘘だと分かって聞いているのも疲れてきたので、少し突っ込んでいくと流石にヤバイと思ったのか、それから店に来る回数が減っていきとうとう顔を見せなくなった。
 麗子と秀太郎は、チョット勿体無い事をしたかなと思ったのは、政は嘘吐きではあったけど実際に店の売上げには、かなりの貢献をしてくれていたからだ。
 相変わらず、いつものメンバーが顔を揃えるのと稀に一見の客が入るぐらいで、売上げが伸びずにこのままではヤバイと麗子と秀太郎は頭を悩まし、節約できるところは切り詰めていた。
 人間とは、努力しても成果が出ない時に誰かの若しくは何かのせいにしていまうモノである。
『母ちゃん、場所が悪いんかのぉ?』
『う~ん、ここは裏通りじゃもんねぇ。人が通らんもん。もう少し飲み屋街に近けりゃ、同伴とかアフターに飲み屋の子が使ってくれるんじゃろうけどねぇ。』
 秀太郎と麗子は場所のせいにして、自分達を慰めていたが、たまに秀太郎の料理に問題がある、麗子の接客に問題があると喧嘩にもなったりした。
 そんな話を頻繁にしている時に、大吉と勇造がやって来た。
 客達は秀太郎と麗子の事を喧嘩もしない仲のいい夫婦だと思っているので、
『そんな事無いよぉ。子供の事やらパチンコの事でも、よぉ喧嘩するよぉ。お客さんが来んのも私の接客が悪いとかマスターの味付けが濃いとかでも喧嘩するし。大ちゃん?勇ちゃん?場所が悪いと思うぅ?』
 追い詰められ気味の麗子が参考意見を求めると大吉は、
『マスターの料理は何を喰っても美味いし、ママも綺麗で接客も全然問題ないっスよ。確かに場所はよくないと思いますよ。 …すんません。』
と、申し訳なさそうに言った。
『イヤイヤ、大ちゃん謝らんでええでぇ。やっぱり場所かのぉ?』
と秀太郎が腕組みをして渋い顔をすると、
『あっちの大通りにテナント募集の店があったよぉ。前は焼き鳥屋じゃったけど、閉めたみたい。』
と勇造が言ってきた。
 秀太郎と麗子は声を揃えて、
『勇ちゃん!それどこっ?場所はっ?』
と食いつき場所を勇造から聞いた。

第十三章  夫婦決裂危機

 翌日、私と父さんは勇ちゃんから聞いた場所へ買出しのついでにやって来ました。
 大通りに面して小さな店があり、入口の開き戸に【空店舗 入居者募集】と書かれたアクリル板が貼ってありました。
 店舗はというと、看板は外していましたが有名焼き鳥チェーン店の雰囲気を残したままでした。
 入口のガラスに父さんと二人で顔を付けて中の様子を覗いてみました。カウンター、テーブル、椅子、ほぼ営業していたままの状態でした。
 この店は、福山に帰って来た時に一度だけ来た事があったので中の様子は初めて見る訳ではありませんでした。
 アクリル板に書かれた連絡先を父さんはメモに取り、一先ずは買い物に行きました。
『ええか悪いかやってみんと分からんけど、今の店がある所より場所がええのは間違いないよのぉ。』
『うん、ただ店だけの事を考えたらええと思うけど、住まいは別になるよねぇ。ここを借りるんなら家も探さんといけんよぉ。帰ってからよぉ考えようやぁ。』
 選択に悩んだ時にはプラス思考に考える二人なので、私も父さんも移転する方向で話しを進めていきました。
 父さんはメモに取った連絡先に電話して、店内を見せてもらえるようにお願いをしました。いざ、中に入ってみると焼き鳥屋の造りのままでは、座敷がなかったし厨房への出入りやら食器棚、ビールサーバーの置き場など現状では難しいと言っていました。
 店内での動きは主に父さんだし、確かに座敷のない居酒屋ではお客さんも落ち着かないだろうと言うのは私も同意見でした。
 父さんは契約を交わし、頭の中で店内改造をイメージしていたが、私は出来るだけ家賃が安く部屋数があって、店から近いという条件に当て嵌まる物件を探していました。
 事がスムーズに進む時には進むもので、いい物件を早目に見つける事が出来ました。
 引越しをまたする事になったのですが、専属引越し業者・文ちゃんに父さんは電話をしました。
『はぁぁ?マジでか!お前何回するんなぁ。んで、いつやぁ?そりゃあ行っちゃるけど、美味いモン喰わせよ。』
『おぉ、ご馳走したるけぇ、頼むわぁ。美奈ちゃんにもよろしゅう言うといてぇの。』
 文ちゃんも親の代を受け継ぎ社長として忙しい身のはずなのに、男の友情っていいなぁと私は素直に思いました。父さんの言う美奈ちゃんとは文ちゃんの奥さんで父さんも昔からよく知る仲だそうです。
 コウとアラシは既に中学校で引越し先も学区が変わらないので問題なかったけど、タクとソウタはもう一度転校しなくてはならなかったのですが、二人共渋々ですが了解してくれました。これが最後の転校だと思います。
 店も住まいも契約を済ませ、文ちゃんの助けもあったので、引越しも段取り良く片付き父さんも店の大改造を同時進行で取り組みました。
 私の兄も手伝いに来てくれて、座敷を造るのに父も駆けつけ大工や内装業者を手配してくれました。
 前の店は狭い店だったので改装にも限度がありかなり妥協したけど、今回は一回り広くなったのでもう少し理想に近い形に手を加える事が出来ました。 
 保健所への届出に厨房器具の配置やカウンターの改造など、大掛かりな工事になってしまい父さんは忙しく動いていました。
 私も手助けをしたいのですが、かえって邪魔になりそうなので、
『父さん?何かする事があったら遠慮せんと言うてよぉ。何かいるもん無ぁい?』
と、気を遣って言うと、
『う~ん、別に今はなんも無いのぉ。暇なんじゃったら、チョイ久し振りに勝負行って来いやぁ。その代わり絶対に勝てよ!』
 父さんはスロットに行きたいのを我慢している私にそう言ってくれました。
『いやぁ、父さんが店の事をしよるのに一人だけ遊びに行けんよぉ。』
『そう言いながら嬉しそうな顔しとるやないかぁ。しかも、誰が遊びに行けぇ言うたっ!仕事じゃ!稼ぎに行って来いっ。』
 図星です。気持ちはもうパチンコ屋に行っていました。
 夕方になって、キリがいい所で切り上げて店の様子を見に行き、
『父さん、父さ~ん。14000円勝ったよ。まだ出るかなぁ思ぉたけど、怖いけぇ即ヤメしたぁ。今度は父さん、行かせてあげるね。』
と、大勝ちではないが興奮して言うと、
『おぉ、ようやった!勝ちゃあええんよ、勝ちゃあ。今日の日当は出たじゃないか。』
と父さんは笑って迎えてくれました。
 父さんの遊びを我慢し、休まず寝る時間を削っての努力の甲斐あって開店の準備は整いました。あと気になる箇所も残っていたけど合間にチョコチョコやって、店を稼働させる事を急いだのです。
 オープン初日は、噂を聞いて前の店からのお客さんがお祝いに来てくれたのと、近所の住民が珍しい物見たさで立ち寄ってくれたので、幸先のいい始まりでした。
 お祝いの花輪や瓶ビールも沢山いただき、熨斗紙を剥がして壁に貼り付けました。その壁に並んだ熨斗紙の先頭に【城嶋アキオ】の名前があります。
 Jくんこと、アキオさんです。アキオさんの名前を知らない人はいないくらいなので、魔除けのような熨斗紙でした。
 開店2日目、早い時間に私達より少し年上っぽい夫婦らしき男女がやってきて座敷の奥に座りました。カウンターには馴染みの常連さんがいたので、父さんは料理をしながらカウンターの接客もしていて、座敷の方は私が気を配っていました。
 オーダーも落ち着いてきて、父さんはカウンターのお客さんに捕まり話し込んでいるので、私は座敷のお客さんに挨拶に行って、
『今日は、有難うございますぅ。お酒お強いですねぇ。お近くなんですかぁ?』
など、当たり障りない会話をしていると、
『あぁ、なんか店が出来よるのぉ思ぉて見よったんよ。近くにこんな店が出来たら、ワシ等は助かるわい。もう街まで出んでええけぇなぁ。もうワシゃ酔うたわぁ。帰るけぇ、お愛想して。』
と言われました。
 奥さんも気さくな人で話し易く、この夫婦との出会いだったのですが、結構深い仲になるとは、この時はまだ分かりませんでした。
それから2日後、夫婦はやって来ました。
『いらっっしゃいませぇ。あぁ、後藤さぁ~ん。お座敷にしますぅ?』
『ほぉぉ、名前憶えとったんか?今日はカウンターでええよ。焼酎ちょうだい。』
 注文を聞いて厨房に私が入ると父さんが、
『母ちゃん、名前憶えとったん?ワシ、聞いてなかったよのぉ。母ちゃん、感心感心。』
 お客さんの名前と顔が一致しない事がこれまでもあったけど、父さんがド忘れしても必ず私が憶えていて、その逆もありました。
 これぞ阿吽の呼吸だ!という状況が度々あったし、夫婦だけでなく店側とお客さんの関係もそう有りたいと願い、新店舗の名前は
【酔処 あ・うん】
と名付けていました。
 想いのこもっていた【華秀】の名前は捨てたくなかったのですが、常連のお客さん達から【憩喰館 華秀】というのは何か堅い感じがあって入りにくいイメージがあると、よく言われていました。
 父さんと平仮名3文字の名前にしようと、候補を何個か挙げたけど、意見がなかなか合わない時に、父さんが息子に国語辞典を借りて適当にページを捲ったところで、
『あっ、母ちゃん、【あ・うん】っていうのはどうや?』
『それねぇ、私も考えよったんよぉ!』
 初めて意見が合った名前で、二人して一発で気に入り即決定しました。
 後藤さん夫婦は店も私達の事も気に入ってくれて、毎日のように来てくれました。
 仕事は土建屋の社長らしく奥さんは看護婦をしていると言っていました。
 前からのお客さん、移転してからの新規のお客さんとこちらの店に移ってよかったね、と父さんと話す日が多くなりました。
 父さんと後藤さんは話していくと、やけに気が合ってプライベートでもよく会うようになりました。プライベートというのは、後藤さんも根っからの博打好きでパチンコはもちろん、競艇・競馬・麻雀・花札・ゲーム喫茶にも行けば、海外に行くとカジノと何でもする人だったので、朝から一緒にパチンコへ出掛けていました。
 父さんは基本的にギャンブルをしていなかったのですが、パチンコだけははまったようで、
『オッサン、今日は行かんのかぁ?』
と後藤さんから電話があると、
『親父はもう行っとん?今起きたばっかりじゃけぇ、もうチョイしたら出るよ。親父、今日仕事は?』
『朝から雨じゃけ、現場が中止じゃあ。ほな先に行っとくでぇ。番長におるで。』
 この頃、私がはまっていた大都技研の吉宗は検定切れの為、全国のホールから撤去されていき、後継機種の【押忍!番長】が爆発的なブームを生んでいました。
 スロットを好んでなかった父さんも、番長は相性がいいみたいではまってしまって、後藤さんと私と三人で並んでよく打ち込んでいました。
 歳の差を感じない楽しい関係だったのですが、一時期父さんと後藤さんは気まずい雰囲気になったのですが、私に言わせれば中学生レベルのつまらない喧嘩から始まりました。
 後藤さんはパチンコ屋さんで知り合いに会うと、その椅子を後ろに《カクンッ!》と引いて『おぅっ、出とるかぁ?』と声を掛けるのが癖で、父さんもよくやられていたのです。
 父さんは、それをやられると一々驚くのでヤメテくれといつも言っていました。が、ある日父さんにツキが無くかなり打ち込んでイライラしている時に、後藤さんがそれをして驚いた父さんがメダルを何枚か落としたそうです。
 それを見て笑っている後藤さんに父さんはとうとう腹を立てて、
『おいっ!親父っ!それはやめぇ言うたじゃろうが!ええ加減にせいよっ!』
と怒鳴ったが、後藤さんは
『まぁまぁ、そんなに怒んなやぁ。オッサン今日は一人かぁ?』
『…。』
『調子は?母ちゃんは来てないんかぁ?』
『…。』
『お~い、無視すんなやぁ。』
『…知らん。』
『ああ、分かった。ほうかぁ、そういう態度でおるんならもうええわいっ!』
と言って立ち去った。と、事の発端はこんな感じだったそうです。
 その日は、集中できずに負けて帰って来た父さんが私にパチンコ屋での出来事を話しました。
『で?その後は?』
『知らんよぉ。顔も見てないし、喋ってもない。』
『もうっ父さん。親父は友達じゃけど、お客さんじゃけぇねっ!毎日のように来てくれよるんは事実なんじゃし、来んようになったらどぉするん?父さんが大人になって、電話してみ。』
『知らんわ!なんでワシが電話せんといけんのや!来んなら来んでええわ!まぁ親父のことじゃけぇ、暫らくしたらヒョコって顔出すけぇ心配すんな。』
『そうやって意地を張って客を逃がしても、私は知らんけんねっ!』
 こうと決めたら曲げる事の出来ない頑固な父さんと、それに似た所のある私が険悪な雰囲気になり始めました。
 気分転換に父さんと二人で、たまには仕事が終って他の流行っているお店に勉強に出掛けようと話し、タウン情報誌に目をやりました。
『父さん、ここはどんな?雰囲気よさそうなよぉ。なんか流行るヒントがあるかも。』
『ん?どれぇ? …ほぅほぅ、あの辺かぁ。今日、行ってみようかぁ。』
 レトロなイメージの店内写真が掲載されている居酒屋に目をつけ、父さんは地図を頭にインプットしたみたいです。
 私達は【囲み家】という店の暖簾をくぐりカウンターに腰を下ろしました。
 遅い時間にも関わらず、お客さんが次々と入って来るお店で、大将も腰の低い柔らかい人でした。
 手が空いたようで、私達に話し掛けてきた大将は、
『どうも、はじめまして。放ったらかしにしてて、すみませんでした。お近くからなんですか?』
と言いながら名刺を差し出してきました。
『まぁ、近いと言えば近いですよぉ。忙しそうですねぇ。大将もよかったら一杯飲んで下さい。』
 父さんがそう言って、汗を掻いてる大将に飲み物を勧めると、
『ありがとうございます。お酒は好きなんですが、仕事中は飲まない様にしているんですよぉ。気を遣われなくても大丈夫ですよ。』
と笑顔で返してきました。ウチの父さんとは違うなぁと感心もしました。
 父さんは勧められなくても勝手に飲むし、勧められると余計に飲む人なので、お客さんよりも酔っている時が殆どでした。
 でも、父さんの凄いなぁと思える所は、どんなに酔っても仕事はちゃんとするし、料理の味も変わらない、接客もお客さんを楽しませているので、逆に酔っている父さんを楽しみに来るお客さんが多かったほどです。
 店内の様子や厨房でのスタッフの動き方、メニュー表を何回も見直してる普通の客とは違う感じの私達に気付いた大将は、
『失礼ですけど、間違ってたら御免なさい。もしかしたら、同業者の方じゃありませんかぁ?』
 私も父さんも宣伝をしに来ていると思われるのを嫌い、どこの飲食店に行っても自分達から名乗る事はしなかったのですが、そう言われて嘘をつく必要もないので、
『え?まぁ、似たような。でも全然暇で。感じのいい店を探して勉強に来たんですよぉ。お客さんも多いし、感じのいい店ですねぇ。同業って分かりましたぁ?』
 父さんがそう言うと、
『ありがとうございます。そんなに儲かってはないですよぉ、勉強だなんて。僕は、仕事柄というか人間観察が好きで、見てたら何となくそうじゃないかなぁって思っちゃって。どの辺でやってるんですか?今度、寄らさしてもらいますから。』
『いやいやぁ、そうなるから名乗りたくなかったんですよぉ。宣伝しに来とるみたいになるけぇ。 …この先の交差点を左に曲がってずーっと真っ直ぐ行ったら…』
 父さんは謙虚な姿勢の後ちゃっかり、しかも詳しく道と場所を教えていました。
 託児所に預けている潤華を迎えに行く時間になったので、店を出ようとすると大将が見送りに表まで出てきてくれたのですが、厨房が一段低くなっていたようで、間近にみると父さんと同じぐらいの大男でした。
 話しやすい大将と気持ちよく別れた私達は託児所で寝ている潤華を受け取ると、家に帰り布団の中で【囲み家】の真似じゃなく、いい所を取り入れようと話をしながら眠りに就きました。
 毎日だった後藤さんは相変わらず足が遠のいていたけど、大吉達は前の店より近くなったのと広くなったので来店の回数は増えていました。
 勇造は日増しに来なくなっていたけど、根が風来坊なので特に意味があるでも無いようなので気にしていませんでした。その代わり大ちゃんがどんどん友達に宣伝してくれて、お客さんを連れてきてくれてました。
 大ちゃんが所属するソフトボールチームの監督・山さんとメンバー達、小学校からの長い付き合いの不良仲間などかなり店に貢献してくれました。
 中でも、小林という通称コバ。コバはヤンチャを絵に描いたような子でした。小柄で目つきは鋭く、態度は大きい、父さんは第一印象から気に入らないみたいで、
『ワシはコバ嫌いじゃのぉ。アイツは来んでええわぁ。ああいうB型の一人っ子っていう男に碌な奴はおらん。』
と父さんの嫌いなタイプにピッタリ嵌る条件を持っていたからです。
 しかし、人間とは付き合ってみないと分からないもので、気の合っていた大ちゃんも勇ちゃんもB型らしく、コバに対しても見方が変わっていき、このグループの中でも父さんは一番コバと仲良くなっていきました。
 コバはインターネットの接続や通信機器の取り付けを請け負う通信会社に勤めていて、
社長の娘の彩ちゃんと友人の優子ちゃんをいつも連れてきていました。
 酒が進むと男達だけで盛り上がってしまうので、彩ちゃんと優子ちゃんは後半いつもカウンターに逃げて来ては、私と父さんに声を掛けにきました。
『ねぇねぇ、ママぁ、マスターとは、どうやって知り合ったん?』
『子供五人って大変じゃろう!』
とか、この二人に彼氏がいないというのが不思議なくらい見た目も性格も非の打ち所がないほど可愛らしい女の子達でした。
 彩ちゃんは事情があり一人娘を持つシングルマザーをしていたので、育児についてはよく話しました。
 そして、父さんに
『マスター、彩ねぇ、好きな人がおるんじゃけど、どう打ち明けたらええかねぇ?こうして酒を飲んでじゃないと話しにくいしぃ。年上の人なんよぉ。』
と恋の相談を持ち掛けたりしていました。
 その様子を見ていて私は思ったのですが、
父さんは彩ちゃんが相談している恋の相手は自分ではないかとどうやら思っているみたいで、私の方をチラチラ気にしていました。
 同時に優子ちゃんも同じような悩みで、
『告白しても相手にされない、振り向いてもらえないじゃったら、嫌じゃけ今のままでおった方がええんかなぁ?』
と相談されると、これまた勘違いをしているようで勝手に困ったといった表情でした。
《んな訳ゃねぇだろ!馬っ鹿じゃない。》
と思いながらも、私の女の勘は当っていたみたいでした。
 二人の仕草・見方・話し方などから、彩ちゃんのお目当てはコバで、優子ちゃんは大ちゃんのようです。
 二人に私の勘を言ってみると声を揃えて、
『えぇぇぇっ!なんで?どうしてママ分かったん?』
 若い娘や馬鹿な男とは、人生の年輪が違うのである。と言いたい所だが、この恋する乙女の行動を見ていれば誰でも判る。 …父さん以外は。
 真実が明らかになった所で、父さんは面倒な事にならなくてよかったという安心感と、少し残念という複雑な気持ちで顔が引き攣っているのがよく分かります。
『二人共、可愛いんじゃけぇ、大丈夫よぉ!若いんじゃし、悩んどる時間が勿体無いけぇ勇気出して言うてみんさい。駄目なら駄目でそれも早い方がええよ。』
『うん、分かった。ほうよね、言うてみる。ママとマスターに相談してよかったぁ。』
と告白する勇気を与える事が出来ました。
 彩ちゃんはシングルマザー、優子ちゃんは持病があり体が弱いというのが一歩踏み込めないと言っていました。
 そういう事で悩んだ時期が自分もあったと他人事に思えず、若いっていいなとオバサンになったと感じて少し淋しく思いました。 
 暇な日・忙しい日・パチンコに行って勝つ日・負ける日というのを繰り返す日が続いたけど、子育てに休みは無く家では毎日事件が起こり、声を張り上げていました。
 お兄ちゃん達四人はそれぞれタイプが異なり、しっかり者の嵐士・お調子者の宏次・頑固者の拓哉・天然者の颯太といい様に言えばこんな感じですが、悪く言えばしっかりし過ぎてセコイ・調子に乗っていい事を言うが何一つ行動が伴わない・頑固と言っても自分の非を認められずに謝らない・天然はいいけれど家族の中だけで外では殻を破れないという風になってしまいます。
 ですが、父さんと知り合うまでの育児方針や環境がお互いに食い違う部分があった為、子供の事で衝突する事もしばしばでした。
 要領よく悪さをする子、悪さをしてバレテも機嫌を取るのが上手い子、怒られている時に真剣に聞いている子、聞いているフリが出来る子とタイプも個性もそれぞれですが、中でもこの頃の拓哉は要領があまりいい子ではなく、どちらかというと損をするタイプでした。
 他の子と悪ふざけをしていても一人だけワンテンポ遅れて見つかったり、それがちょうど私の機嫌が悪い時に何かをしでかしたりして、一日拓哉が集中して怒られる出来事がありました。
 全てタイミングかもしれませんが、店の暇な日が続きパチンコで負けて生理が来て、父さんとのいろんな意見の相違があって最高にイライラしている時に、拓哉がやらかしたのです。
 家の鍵をなくす、潤華の三輪車で川に落ちて、ドロドロになったまま家に上がる、財布をなくす、遊びに夢中で一人だけ宿題をしていない、御飯の時にふざけていて溢したり、その他いろいろ重なったのですが、誰でもあるような事でそれらは大した事ではなく、ただ拓哉が他の子と違っていたのは、【ごめんなさい。】をすぐに言わないところです。
 いや、言えない子なのです。悪い事・間違っているのは分かっているのですが、小さい時から父さんに厳しく叱られたりした事で、怒られると思うと完全に固まってしまい、言葉が出ずに涙だけが出るのです。
 みんなの性格も把握していて拓哉の事もちゃんと分かっているのですが、全てがタイミングでした。
 店に出て、父さんと二人でお客さんが来るのを待っていたのですが、誰も来なくて何だかイライラしていました。
 父さんはお茶を沸かしたり、食材の小分けなどの仕込みをしていて、話し掛けにくい空気を出しています。
 ピリピリした空気の圧力に押し潰されそうなのと、体の内側から膨れ上がるイライラが爆発しそうで居た堪れなくなり、
『父さん、ちょっといい?』
『…あん?何?』
と、父さんの態度にも苛着いたのです。
 最初は、今後の営業スタイルや厨房内でのお互いの役割分担などお店の発展や向上について話していたのですが、段々と家での事やプライベートでの事、パチンコの事、お互いへの思いやりの事などでヒートアップしていきました。
 次第に過去の話やら子供の話に発展していき、ここ最近の拓哉の事に話題が移り、
『父さんからも言うてぇや!』
『ワシだって何にも言いよらん訳じゃないじゃろうがっ!言う時には皆に言いよるじゃないかっ!』
『父さんは甘いんよっ!私ばっかりが怒って嫌われ役じゃんかっ!タクはどうするんよ!
注意しても謝る事をせんし、あの子は悪いと思っとん?私をナメとるとしか思えんわっ!』
 そう言った時に我慢していたトイレに行こうとすると、私の背後から
『甘えとるトコはあるじゃろうけど、ナメとるとかじゃなかろうっ!母親が子供に言う言葉か!』
と父さんが言葉を投げつけてきました。
 私はトイレに入る瞬間に心にも無い事をつい言ってしまったのです。
『アイツがナメとんじゃろうがっ!』
【バタンッ!】とドアを閉めたその後です。
【ドン!ガッシャン!ドタン!ガチャーン!
ガラガラガラ、バッタン!】
 何やら厨房の方から激しい物音が聞こえた後、急に静かになったのです。
 トイレから出たら言い過ぎたと謝ろうとしていたのですが、嫌な予感がして慌てて飛び出しました。 
 床には沸かしていた鍋とお茶が撒き散らかされ、仕込み途中の生肉や野菜がばら撒かれて、座敷にはまな板や出刃包丁が投げられていて、店内はまるで竜巻が通り過ぎたように荒れ果てていました。
 私は一瞬、頭の中が真っ白に目の前が真っ暗になってしまいましたが、我に返ると家に電話をしました。
『もしもし!コウ?父さんがもうすぐ家に帰る思うけど、何を言われても家から出たらいけんよっ!ええねっ!みんな一緒に家におるんよ!母さんもすぐ行くけっ!』
 そう言って電話を切ると、現金を剥き出しにして店を空けれないので施錠して車に乗り込むと、急いで家に向かいました。
 玄関を開けて、
『コウっ!アラシっ!タクっ!ソウタっ!』
 私は叫んだけど返事は返って来ませんでした。私はソウタが事故に遭った時ぐらいに血 の気が引きました。 
《ダメだ!私、一人ぼっちになってしまう。あっ、潤華!潤華の所に!》
 父さんが息子だけ連れて、溺愛している潤華だけを置いて行く訳ありませんでした。
 潤華のいる託児所に向かおうとしたけど、気が動転しているし涙が溢れてきて前がよく見えずに、壁やらガードレールにあちこちぶつけながらも無事に辿り着きました。
 入口に入ると同時に、
『せ、先生!ジュン、ジュンガはっ!』
と私は祈る想いで先生に詰め寄ると、いつもより早い迎えと普通でない私に驚きながら、
『アラ。お母さん、今日はどうしたん?早いねぇ。何かあったん?』
 事情を知らない先生は冷静に言いながら、寝ている潤華を抱いて来てくれました。
 取り敢えずホッとすると、涙が止まらなくなったのですが、
『いえ、先生、ありがとうございました。何でもないんで、大丈夫です。じゃ、失礼します。』
と言い託児所を出ると、一旦家に帰って連絡がある事を祈るしか出来ませんでした。
 帰宅して呉とか後藤さんとか心当たりに電話してみましたが、父さん達の行方は分からず姉の信子に電話して事情を話すと、
『分かった、麗ちゃんは家から出んと待っときぃ!お姉ちゃん、すぐそっちに行ってあげるけぇ、待っとくんよ!』
と言ってくれました。
 私は姉が来るまで、潤華を抱き締め祈り続けました。

    第十四章  天然麗子炸裂

 麗子は秀太郎との暮らし始めて、今まで味わった事の無いほど時間を長く感じていた。
 姉の信子が到着した後、心配した後藤夫婦も駆けつけた。
 この喧嘩が起こる何日か前に秀太郎と後藤の親父はどちらからともなく自然に仲直りが出来ていたのだった。
 呉の義姉・由香里も心配して駆けつけようとしていたが、時間も遅いし距離もあるので
麗子は、
『由香里姉ちゃん、心配かけてゴメンね。ウチの姉ちゃんが来てくれたし、また連絡するけぇ、わざわざ来んでもええよぉ。電話しといてから悪いんじゃけど大丈夫じゃけぇ。ありがとね。』
と、来ると言うのを止めた。
 一方、秀太郎は麗子と何度か喧嘩をした事はあるが、ここまで怒鳴って暴れてと本気で麗子に対して怒ったのは初めてだった。
 麗子に怒鳴った後、目の前にある物を手当たり次第に投げ散らかすと何も持たずに店を出たのだった。
 何も考えずに、ただそんなに子供の事で苛着くのであれば、暫らく子供達と離れてみればいいじゃないかと、子供五人を連れて家を空けてやろうと家に向かった。
 秀太郎は家に着くと息子達を呼んで、
『おーい、みんなチョット来ぉい。チョイ出掛けるけぇ、仕度せえ。はよせぇよぉ、行くでぇ。』
 突然の事に子供達は戸惑いながらも、
『何処へ行くん?』
『母ちゃんはぁ?』
『お店はもう閉めたん?』
『ちょ、ちょっと待ってぇ!』
 訳も分からず、とにかく子供達は秀太郎に置いて行かれないよう家を出た。
 子供達を引き連れた秀太郎は、潤華のいる託児所へと足を向けて進み出した。秀太郎は麗子が先回りして待っているだろうと予想していたが、構わず歩き続けた。
 託児所に着き、ドアを開けると、
『こんばんわ。先生、潤華迎えに来ました。』
と秀太郎は言ったが、
『へ?今今、お母さんが迎えに来て帰ったばっかりよぉ。どうかしたん?』
と先生もただならぬ様子に、心配して聞いて来たが、何でもないと言ってその場を後にしたのだった。
 秀太郎は本気の家出をするつもりではなかったし、麗子と別れるつもりもなかった。ただ後先考えずに行動するという欠点がこういう時にハッキリと出てしまう。
 全くの手ブラだった。お金も携帯電話も煙草も本当に何も持って出てなかった。
 福山の街をブラブラ五人で話をしながら歩き、呉の由香里に電話してみようと、
『おい、誰かテレフォンカード持ってないかぁ?』
と息子達に聞くと、さすが嵐士、
『俺、持っとるよ。』
『チョット貸してくれるか?今度返すけ。』
『うん、ええよぉ。』
 秀太郎は嵐士からカードを受け取ると、近くの公衆電話ボックスに入って受話器を耳に当てカードを差し込むと、ボタンを押そうとした。が、指が止まった。
 携帯電話が普及して来て、当り前のように持ち歩くようになってから、電話番号を覚える事がなくなったので秀太郎の頭の中には、自分と麗子の携帯電話番号・少年時代に暮らしていた昔の家の番号・当時、初恋の女の子の家の番号ぐらいしか入ってなかった。
 受話器を元に戻し、電話ボックスを出ると嵐士にテレフォンカードを返して、また歩き出した。
『おい、嵐士。金持ってないかぁ?』
と聞くと、さすが嵐士、
『ん?持っとるよ。』
『チョット貸してくれるか?後で返すけ。』
『うん、ええよぉ。』
 秀太郎は嵐士に小銭を借りると、コンビニで煙草とライターを買い、夜の公園でひとまず一服した。
 子供達は夜の散歩にキャッキャッ、キャッキャッとふざけあっていたが、颯太が秀太郎の所へ俯いてやって来て、他の三人がその後ろで笑っている。
『父さぁん…。』
と上目遣いで秀太郎を見る颯太。 
『ん?どしたんや?』
 秀太郎が答えると、颯太はゆっくりと回れ右をした。
 背中一面、頭から踵まで泥だらけになっている。
『…ハァー。何してんの?』
 溜め息をつきながらそう言うと、拓哉が笑いながら、
『ソウタ、アホじゃけぇそこの噴水の所で足が滑らせたんでぇ。ヘヘヘッ。』
『…ハァー。何をしよるんなぁ~。』
と秀太郎が笑いながら言うと、怒られると思っていた颯太も安心して照れ臭そうに笑い、
嵐士も宏次も笑って、五人で笑った。
 勢いで出てきた秀太郎が履いていたのは麗子の小さめのサンダルで、結構な距離を歩き
続けた結果、両足の裏に激痛を感じていた。
 今ある様々なこの現状を考えて、
『よしっ!みんなぁ。そろそろ帰るかっ!』
『うんっ!』
 四人が笑顔でそう答えた。秀太郎はサンダルを脱ぎ裸足で歩き出し、その後をカルガモ一家のように息子達は並んでついて行った。
 秀太郎と麗子の二人が、頭を冷やし冷静さを取り戻すのには、丁度いいぐらいの時間だったと思う。
 麗子も信子と後藤夫婦が傍にいてくれているのと潤華の寝顔で平常心を取り戻しつつ、いろいろと振り返って考えた。
 麗子が暴言を吐いた時に、拓哉に対しての腹立だしさというものは余り無く、口論になった秀太郎に対して怒りをぶつけたつもりだったのに、言葉が行き過ぎてしまっただけだった。
 それは麗子も素直に反省し、秀太郎達の帰りをまだかまだかと待っていた。
 携帯から財布、免許証など何も持ち出していないので、秀太郎たちは間も無く帰って来ると麗子は確信していた。
『母ちゃん、母ちゃん。心配ないわぁ。あのオッサンの事じゃけぇ、金が無~い言うてヘラヘラして帰って来るわい。』
 後藤の親父なりの励ましであり、麗子も後藤の性格をよく知っていた。基本的に秀太郎と似ているからだ。
【ガラガラガラー。】
『ただいまぁ~!』
 玄関の扉が開く音と共に元気良くそう言いながら、大きい者順に子供達が家に流れ込んで来ると、麗子の涙腺の蓋が外れた。
 信子に後藤夫婦、涙を流している麗子にいつもと違う秀太郎、子供と言っても何と無く普通ではないと察知して、四人共すぐに二階へ上がりドタバタと遊んでいる。
 秀太郎は熱しやすく冷めやすい、いい所であり、悪い所でもある。帰って来るまでに怒りなど殆ど無く笑っていたのだが、ヘラヘラしていると、実際に怒っていたのも嘘っぽくなると思い、家の前で顔を作ってから入ってきた。
 正座している麗子は秀太郎を見上げて、言葉を捜したがなかなか口を開けない。秀太郎は何も言わずにただ立っている。
『おい、オッサン。何があったんなぁ?立っとらんと、まぁ座りぃやぁ。母ちゃんから、アンタが出ていったぁ。いうて電話があったけぇワシはすぐに帰って来る言うたんじゃけどなぁ。ほらのぉ母ちゃん、思ったより早い帰りじゃったじゃろうがぁ。』
 と後藤は笑って言った。後藤本人も遊び人で何回も似たような修羅場を経験済みで、全く動じず慣れているようだ。
『秀さん、心配したんよぉ。まっ、秀さんの事じゃけぇ大それた真似はせんと思っとったけど。 …何でこうなったかは詳しゅうは分からんけど、二人でちゃんと話をしぃ。麗ちゃんも自分が悪かったって言いよるし。話は聞いてあげれる?』
 信子は大人の部分と子供の部分を持っているが、亡くなった母親替わりでもあった事から、今はしっかり大人で中立の立場で空気を和ませている。
『ワシの事を言うのはええけどのぉ、お前の吐いた言葉は母親としてお前に任せられるか考える事を言うたんじゃけぇのぉ。ワシの言いたい事はそれだけよ。他には何も言う事はないっ!言いたい事があるなら言うてみい。』
と、秀太郎は麗子に背中を向けた。
 麗子は重く閉ざしていた口を開いた。
『…父さん。ちゃんとこっちを向いて。』
 2秒ほど間を置いて秀太郎が向き直ると、麗子は土下座の状態で畳に額を付けている。
『父さん、ごめんなさい。私、言い過ぎた。いや、言うちゃあいけん事を言うた。本当にごめんなさい。父さんが許してくれんでも、ちゃんと子供達に謝りたい。』
 秀太郎は決して立派な人間ではないが、言葉よりも行動、行動よりも気持ちだと思っている。しかし、気持ちは目で見える物ではないので、言葉と行動でしか判断できない。後はそれを信じれるか信じれないか、信じようとする気持ちがあるかではないだろうか。
 目の前の麗子の言葉と行動には、その気持ちを表現できていると秀太郎には見えているし、それ以前に9割は怒ったフリだった。
『秀さん?許してやってあげれるぅ?』
 秀太郎は信子に顔を向け、小さく頷いた。
『まぁ、犬も喰わんいうヤツよなぁ。二人でよぉ話しぃや。ワシ等は帰るでぇ。』
と後藤は秀太郎の肩をポンと叩くと、その場を立った。
『あぁ、親父ぃ。ごめんねぇ。』
『後藤さん、心配かけてすみませんでした。おやすみなさい。』
 秀太郎に続いて麗子も言うと、
『じゃあ、大丈夫じゃね?ウチも帰るなぁ。』と信子も出て行った。
 急に静かになった居間で二人きりになると何と無く気まずい感じがして、
『父さん、ちょっと待っとって。二階に行ってくる。』
 麗子は子供達の声が聞こえる二階へと上がって行った。
 30分ほどして麗子とパンツ一丁の颯太が降りてきて、
『父さん、颯太コレどしたん?』
と泥だらけの服とズボンを手に持って来て、秀太郎に訊ねた。 
 外での出来事を話すと、
『はぁ。アンタ何しよん?』
と颯太のお尻を軽く笑いながら叩いた。
『あぁ、それから母ちゃん。嵐士に五百円返しとってぇ。』
と言うと、
『なんでっ?』
と秀太郎の顔を見た。
 また外での出来事を話すと、
『ハァ。何をしよん?息子に金借りるなっ。』
 冗談ぽく言った麗子に秀太郎は、
『しゃあないやんけっ!』
と返した。
 その二人を見ている鼻を垂らしたパンツ一丁の颯太の滑稽な姿に二人は笑っていた。
 服を着替えさせ颯太を二階へ上げると、再び二人きりになったが、さっきので既に空気は和んでいた。
 麗子は二階で四人を並べて、今までイライラして感情で怒ったりしていた事を謝った事や、全然気にしてないよと許してくれた事を秀太郎に話した。
『母ちゃん。母親いうのは家の中で、太陽の存在じゃけぇの。曇ったり雨を降らしたり雷を落とす事もあるけど、出来るだけ明るく照らしておれるのんがええ。家ん中じゃあ父親の存在よりも母親の表情一つ一つの方が影響ある思うで。お前は太陽になれる女じゃ思うけ。あいつ等も個性がバラバラじゃけ、それぞれに接し方も叱り方も変えんといけん。ワシ等は覚悟して親になったんじゃけ、愛情もワシが100%母ちゃんが100%じゃあダメなんよ。100%を5人で割るんじゃのうて、それぞれに100%。
ワシ等が一人500%の愛情を持たんといけんのよ。一本の紐の端を結んで輪っかにするじゃんかぁ。それを三角にしても四角にしても丸にしても星型にしても面積は変わらん訳じゃけぇ。四角の子には100%の四角を、丸の子には100%の丸を。
三角の子に星型は当て嵌まらん。その子に合った叱り方、褒め方をせんと子供を潰してしまうじゃん。母ちゃんが出来てなくてワシが出来とるって言いよんじゃあないで。ワシも完璧じゃないけ、間違っとったら指摘してくれりゃあええ。お互いに気をつけてやっていこう。』
 秀太郎は子育てに対する想いを麗子に告げた。勿論、言葉で言うほど簡単なものじゃないのも母親の方に比重が掛かって大変なのも充分心得ている。
 麗子も分かっている事を秀太郎に言われたが、この日は初心に返って素直な気持ちで話を聞く事が出来た。
 原田家始まって以来の大事件は、こうして幕を降ろしたのだった。
 秀太郎は思う。人は誰かと喧嘩した時に言った方・やった方は、そんなに心へ残らないが言われた方・された方はずっと心に残ると言う。
 男のズルイところは、【そんなつもりはなかった】が多い。
 女のズルイところは、【女は思っても無い事を言ってしまう】だ。
 それで喧嘩両成敗になった時、どちらの立場で考えても納得のいかない話で、結局は妥協案だと思う。
 朝が来た時には、何事もなかったように清清しい笑顔が七つ揃って、いつもの慌ただしい一日が始まった。が、麗子は思い出した。
『父さん。お店どうする?』
『は?開けるでぇ。』
『じゃなくてぇ。あの状況。』
『…あっ!』
 麗子は昨夜、秀太郎に謝ったが全てを悪いと認めた訳ではない。それとこれとは別、《自分が散らかした物は、自分で片付けなさい。》という顔で秀太郎を見ている。
『ワシが行く。…んよねぇ?』
 そう言う秀太郎に麗子は、
『当り前じゃん!怒るのは勝手じゃけど、あんな暴れ方は別にせんでもええじゃろ。食材も無駄にして勿体無いし。』
 確かにもっともな意見であり、女の強さを見せ付けた麗子であった。
 そんな麗子も数々の伝説をもつ天然症候群で、その名も《ガッツ麗子》だ。
 【症例①】 店に来た客と話している時の事だった。紙幣の話題で、聖徳太子は何円札じゃったか?伊藤博文の次は誰じゃったか?五千円札の人物は名前が出てこない。千円札の人物は現在と前回、誰だったか?という話になった時に客の一人が、
『今は、夏目漱石じゃったかいなぁ。』
 その時に麗子が言った。
『違うよぉ!夏目漱石は一つ前で、今は野口五郎じゃ~ん。』
 麗子は間違いに気付かず、勝ち誇ったような顔をしていたが、秀太郎が突っ込むまでその場の空気を止めた。
 【症例②】 客同士で話が盛り上がって来た所で秀太郎に話を振られて来た。
『なぁなぁ、マスター聞いてくれるぅ?今日なぁ変なジジイがおってなぁ…』
と客と秀太郎が話していると、笑うような内容ではない所なのに後ろで聞いていた麗子が急に声を出して笑い始めたので、
『え?何?母ちゃん、どしたん?何がオモロイ? …まさか思い出し笑い?』
 秀太郎が言うと麗子は、
『いやいやぁ、ゴメンゴメン。ちょっと思い出した事があってねぇ、フフフ。昔ねぇ、十代の時に、いや二十歳になっとったかもしれんけど、そうそう、いや違う、ハハ。えーっとなんじゃったかいねぇ、へへっ。あの、アレアレ、えーっと、ハッハッハ。あ~あ、おもしろ。 …は~ぁ。』
 客の話とは関係ない事を勝手に思い出して一人で笑い、一人で納得して話を終らせ溜め息をついて気持ちよさそうな顔をしている。
 モヤモヤ気分のままの秀太郎は声を大にして言った。
『終わりかいっ!なんやねん!オチはっ!』
 麗子は笑い続けている。
 【症例③】 仕事が終わり家に着き、麗子は布団に入って携帯をいじっている。秀太郎はパソコンに向かって何やら入力していた。
『ねぇ、父さん。チョットええ?茶碗蒸しの作り方って父さんはどうしよるぅ?』
と麗子が訊ねてきたので秀太郎はパソコンを打ちながら答えた。
『何が正解ってないけど、ワシは卵を混ぜて濾すじゃんかぁ。出汁と味醂と薄口醤油を併せて…』
と詳しく手順をかれこれ三分ほど話した後、
『どしたん、母ちゃん。茶碗蒸し、作ってくれるんか?』
 そう言いながら麗子の方を見ると、携帯をポチポチしていた手を止め、秀太郎の視線に気がつくと、
『あぁ、ゴッメ~ン!何の話かいねぇ?』
と薄笑いを浮かべて言って来た。
『お前、なめてんの?人に聞いといて、一生懸命答えよんのに何の話?はないやろう。』
 秀太郎は言うが麗子は笑いながら寝てしまった。
 【症例④】 休みの日にドライブをして、
もうすぐ家に着くという時に麗子は助手席で眠たそうにしている。秀太郎も眠たかったけど百円ショップに行く用事を思い出して、
『あっ、母ちゃん。ワシ百円ショップ行ってくるけぇ、先に家で降ろしてあげるわぁ。』
 麗子を気遣って言うと、
『私も行くよぉ。一人になりたいなら私は降りるけど。』
 秀太郎が一人になりたい理由などなかったので、一緒に行く事にしたが百円ショップに着く手前で麗子が言った言葉は、
『父さぁん、トイレに行きたい。ここのトイレ汚いけぇ、家に連れて帰ってくれるぅ?』
 喧嘩をしたくないので秀太郎は心の中で叫んだ。
《じゃけぇ言うたやないかっ!ワシも眠たいんじゃっ!家で糞して寝ときゃあ、よかったじゃないかぁぁぁぁぁっ!》
 車をUターンさせて家に帰ったのだった。
 【症例⑤】 店に来たホストクラブの男の子を接客中、疲れが溜まっていたのか話を聞いてる内に、コックリコックリしている。
『…それから、昨日来た飲み屋の女の子が面白い事を言いよったんスけど、…』
 話の途中で麗子の異変に気付き、 
《…アリャ?ママ寝とる?》
と秀太郎に口パクで訊ねると、秀太郎も小さく頷くと、
《それで、話の続きは?》
と小声で会話を続けようとした。が、急に静かになった事に気付いた麗子は、いかにも寝てません、ちゃんと聞いてましたという顔をして、
『うんうん、それでぇ?』
と途中から話に加わろうとした。
『いやいやいやいやっ!お前寝とったやろ!そんなん手遅れで。寝る事にも、それを気付かれてないと思ぉとる事にも隠そうとした事にもビックリするわっ!』
『アハハハ。翔馬の話す声が子守唄みたいに気持ちがえかったんよぉ。アンタ、いい声しとるわぁ。』
『えええええええええええっ!』
 秀太郎と客の子は、麗子の天真爛漫なコメントに対しても驚かされた。
 常連のいい子だったので不機嫌にさせる事もなく、秀太郎の突っ込みと麗子の人柄で笑い話にはなったのだった。
 【症例⑥】 麗子はその日、昼間パチンコで勝ち、店も気持ちのいい忙しさで売上げがソコソコだった為、満足感から気分はハイテンションだった。
『ねぇねぇ、父さん。今日は良かったね。なんか興奮して目が冴えるぅ。父さんがしんどくなかったら、気持ちがええしドライブでもせん?いや、しんどかったら無理せんでもええんよ。』
 気持ちがいいのは秀太郎も一緒だったし、せっかく麗子がその気なので、
『ほうじゃのぉ。明日は日曜日じゃし、あいつ等もまだ寝てないじゃろ。はよ閉めてどっか行こうかぁ!』
 麗子は嬉しそうにしている。そんな麗子を見ると秀太郎も幸せだった。早目に店を閉めて、子供達を店まで呼んだ。
『うわぁ、久し振りじゃなぁ。』
『昼寝しとって、よかったぁ!』
『どこ行くん?』
『腹減ったぁ。』
と興奮気味の息子達を車に乗せ、潤華を迎えに行った。全員揃った所で秀太郎が、
『しゅっぱ~つ!』と言うと、助手席の麗子と後部座席の子供達が、
『進行ぉっ!』と前方を指差した。
 秀太郎のドライブはいつも計画が無く、行き先も決めていない。取り敢えず国道二号線を東に向かう事にした。
 託児所の傍にあるコンビニで飲み物を買って走り出したが、麗子は福山を出る前には既に鼾を掻いている。
 岡山に入ってから、子供達も一人づつシートに沈んでいった。
 備前市あたりで朝日が昇り出し、兵庫に入った所で交通量も増えてきたのと帰りの体力を考えると、この辺で止めておこうと秀太郎は思った。
 ここまで来たのだからと、世界遺産に登録されている別名・白鷺城で有名な姫路城に行き、城の周りを車で記念写真を撮りながら移動した。
 車から降りる事も無く帰路についたが、途中の岡山で麗子がトイレに行きたいと言うので、コンビニに立ち寄った。
 用を足すと潤華に乳をやりながら、鼾を掻きだした。
 福山に入り家の近くまで着いたので、
『お~い、みんな着いたどぉ。』
と秀太郎がみんなを起こすと、ヨダレを啜り上げて麗子が言った。
『えっ!着いた?何処?は?家?父さん、何処に行っとったん?』
 秀太郎はヘロヘロになっていたが、デジカメで撮った姫路城の画像を見せると、
『姫路に行っとったん!起こしてくれりゃあ良かったのにぃ。』
と笑いながら言った。
 言い出しっぺの麗子の記憶は、福山のコンビニと岡山のコンビニしかないようだった。
 家に上がり、《別に福山から出た意味なかったやんけ。》と思いながら重たい体を横にすると、その隣に麗子も寝転び、
『ふぅ、疲れたね。父さん、お疲れ様。』
と言って秀太郎の頬にチュってした。
 麗子なりの御機嫌取りなんだろうけど、五分もしない内にまた寝ている。
 秀太郎はその寝顔を暫らくの間、黙って見つめていた。
 麗子の大ボケ・小ボケは言えばキリが無いほど、まだまだ沢山ありごく一部の紹介である。
 そんな、泣いて笑って喧嘩しての毎日だったが、世の中の景気は回復する兆しも見せず秀太郎達の経営にも暗雲が立ち込めてきた。
 経営不振からの夫婦喧嘩もたまにあり、食べて行くのが精一杯の状態だった。
 勿論パチンコなんぞに行かなければ、計算上もう少しの余裕があるはずだが、二人共パチンコ依存症、言わば中毒患者になっていたので簡単には抜け出せなかった。
 秀太郎はこの頃から僅かながら覚悟を決めようかと思っていた。店内の雰囲気、サービス、メニューの見直し、ネット広告などあの手この手を尽くしてみたが、常連の客を繋ぎ止める程度で新規の客は当分なかったので、秀太郎は潮時を予感していた。
 秀太郎と麗子は自分達の味、メニュー、接客には自身があったので常日頃から、時代が違えば絶対流行っていたはずとお互いを認め合うというか、慰めあうというか、つまり負け惜しみを語っていた。
 覚悟を決めようとしている秀太郎とは違う考えを麗子は持っていた。
『父さん、このままじゃホンマにやっていけんよ。私がおらんでもええ時間が多いし、父さんがこの店で頑張ってくれたら私、また夜の仕事行こうかと思っとる。どう思う?』
『はぁ?お前を飲み屋に行かすんなら、ワシが何かコンビニでも新聞配達でもするわい。』
『出来る訳ないじゃん!父さん酒も入るし、お客さんが帰らん時は朝方まで店を開けとるし、どうやって掛け持ちが出来るん?で、いつ寝るん?』
『そんなん死ぬ気になりゃあ、どうにでもやるわい!母ちゃんが夜行くって言うんなら、ワシと別れてから行けや。』
『何でそうなるん?父さんは別れたいん?』
『別れたい訳ないじゃろうが!飲み屋にも行かせる気はない!なら、もう店なんか辞めんかい。』
『喧嘩したい訳じゃないけぇ、ちょっと冷静に話そ?私、店を辞めるのは悔しい。父さんに続けてもらいたい。私だって夜の仕事なんか行きたくないし、父さんと離れたくないもん。』
『じゃけぇ、ワシが独りモンとかワシと母ちゃんの二人なんなら、もうチョット無理してみようかとか思うかもしれんけど、奇麗事や意地で子供等を巻き添えに出来んじゃん。ワシは、店を閉めるの恥ずかしいとは思わんでぇ。生活がそんなに厳しいんなら、どこか会社に勤めて決まった日に給料を持って帰る方が母ちゃんもええじゃろ?』
『まぁ、そりゃあ計画は立てれるけど、もしも他の仕事をするんなら、父さんは何を考えとるん?』
『そりゃあ…まぁ。食い物屋に勤めるいうのは給料安いじゃろうし、営業はワシには出来んじゃろうし、歳が歳じゃし、頭脳労働より肉体労働になるじゃろうなぁ。体力だけには自身あるし、いい稼ぎを考えたら …やっぱりトラックしかないじゃろうのぉ。』
『ちょっと待って。父さんが長距離に出たらあんまり家に帰って来れんのんじゃないん?五人の面倒見ながら父さんの留守を守る自身ないよぉ!それにこの前もトラックに乗っとるお客さんが言いよったじゃん。大阪まで行って20万有るか無いかじゃって。私も、もう一回よく考えるけぇ父さんもお願いじゃけ早まらんでね?』
 二人は時間を掛けて話し合い、結局この話は保留となった。
 パチンコも控えめにして、仕入れも最小限に切り詰めて、その日その日を貧しくも明るく生きてきた。貧乏もポジティブに考えれば物を大事にする事や、食べ物を粗末にしない事、家族への思いやりが深まるなどいい事だってある。
 貧乏を恨んで、金持ちを妬んだ時がお終いだと秀太郎は思っている。
 しかし、貧乏を抜け出し金持ちになりたいと願う向上心も必要だと思っている。
 秀太郎と麗子は時間があれば、先の事について喧嘩にならないよう互いに言葉を選びながら話し合っていたが、迫って来る物は待ってくれず悠長な事は言っていられなくなっていた。
 この時、嵐士と宏次は中学二年、颯太と拓哉は小学六年、潤華は保育所に通い始めたばかりだった。
 まだ潤華はいいけど、兄二人の修学旅行や高校入試に、弟二人の中学入学準備と原田家は一回のイベントでも同時期にダブルの出費になる。
 そうこうしていると、あっと言う間に弟達の受験と潤華の入学も重なってしまう。
 四の五の言っている暇はもう無い。麗子は決心を迫られ、秀太郎は決心を固めつつあったのである。
『母ちゃん、もう決めよっ!店は辞める。少しでも稼ぎのいい仕事を探すし、家での手伝いをするように子供等にも言うし、ワシもなるべく出来る事はするけぇ、なっ。』
『…うん、分かった。やれるかどうか、まだ自身をあんまり持てんけど、私も頑張ってみる。このままじゃと、家族が壊れるもんね。』
 秀太郎と麗子は潔い店仕舞いという選択をするのだった。

    第十五章 道楽稼業満喫

 俺は母ちゃんと決めた事を子供とは言え、家族である息子達に伝えなければならなかった。
 定休日の夜、飯を喰った後みんなを集め、
『おぅい、チョイみんなええかぁ?こっちに来てくれぇ。』
 子供達を目の前に座らせ、話し始めた。
『父さんと母ちゃん、もう店を辞めるけぇなぁ。父さんは、多分じゃけどトラックにまた乗ると思う。行く会社にも仕事の内容にもよるけど、帰って来れん日があるかもしれん。じゃけぇ、ワシの留守中は母ちゃんの助けをみんなで協力してやってくれぇの。母ちゃんは、ジュンの事だけでも手一杯じゃけ、頼むでぇ。話は以上!母ちゃんから何かある?』
『母さんも勿論、頑張るけど潤華にまだ手が掛かるし御飯とかも父さんみたいに手の込んだモン作れんと思うけど、みんなも協力お願いね。』
 俺も母ちゃんもダラダラと長話は嫌いなので、簡単に話すと息子達は、
『え?辞めるん?分かったぁ!』
と大人として親として大問題でも、子供達は実感が沸かないながらも了解した。
 そうと決まれば職業安定所にも行かないとならないが、店の閉店の知らせを客にしないとならないし、店の片付けや空け渡しとやる事は沢山ある。
 麗子と話して完全な閉店を一ヶ月後と決めて、チラシを作って店内に貼ったり世話になった常連さんに電話で知らせたり、来てくれた客にも直接伝える事をした。
 一番辛いのは、事情を知らずに来た初めての客が、
『ご馳走様でしたぁ。美味しかったです。前から気になってて、来てみて良かったです。
楽しかったぁ、また来ますぅ。』
というような言葉をくれた時だった。
『ありがとうございますぅ。そう言ってくれるのは嬉しいんですけど、実は…』
 俺と母ちゃんで説明をすると、
『えええっ!本当ですかぁ?せっかく気に入ったのに、残念ですぅ。じゃあ、終るまでにまた来ます。』
と言われて帰られる時には、こんな人達でずっと溢れていたらこういう結末にはならなかっただろうにと悔やんでも悔やみ切れない。       
 その代わりと言ってはなんだけどオープン当初と、この一ヶ月は儲けさせてもらった。
 廃棄する物は処分場まで持って行き、売れる物はリサイクルショップへ、開店準備の時に比べて閉店の始末は段取りよく終った。
 職業安定所にやって来た俺はパソコンの前に座りタッチパネルに指を当てた。
 検索を進めていき、目ぼしい会社の求人票を二件に絞りプリントアウトして家に持ち帰った。
 一社目は、全国的に有名な大手宅配会社の長距離路線ドライバーで、二社目は関西圏に重点をおく運送会社で大手宅配業者の下請けをしている会社だった。
 帰ってから母ちゃんに二枚の求人票を見せると、ざっと目を通し、
『私は運送屋の事は全然分からんけど、こっちの無名よりこっちの有名な方が保障とかもしっかりしててそうで、ええと思うけど実際に働くのは父さんじゃけぇ、父さんがええと思う方でええんじゃない?』
 母ちゃんはそう言ってくれたが、いろんな心配を抱える事になるトラックは気持ちよく賛成してくれていなかったので、それを押し切った俺はなるべく母ちゃんの望みを聞いてやろうとした。
 一社目はトラックも制服も見て知っているので後回しにして、先に二社目の方へ連絡を取り面接の日を決めてもらった。
 会社に行って担当者が面接をしてくれたのだが、その時点で俺はこの会社にきめていたのだった。
 理由は単純で、街でもよく見かける一社目の制服が黄色のポロシャツ緑のズボンに対して、二社目の制服は黒のポロシャツ黒のズボンだった。制服を着た時の自分をイメージしたら、似合うと思われたのが黒の方だったからである。
 入社したものの経験はあるが、ブランクがあるので、すぐには一人立ちさせてもらえずに助手を務めていた。が、助手をしている俺の相方は運送経験はあるけど雑貨を扱うのは初めてで、荷物の積み方・スピード・積荷をしての走り方・停まり方・ハンドルの切り方など、すぐに勘を取り戻した俺の方が上手かったので部長からは、
『原田君の方が少し後輩になるけど、仕事を教えてやってくれるか?』
と言われた。
 俺は仕事ぶりを評価され、割と早目に一人立ちさせてもらった。
 勘は甦ったものの、以前は二十代後半で体力バリバリだったが、もうすぐ四十代で予想以上に衰えた身体には非常に酷だった。
 居酒屋時代に暇な時間に喰って呑んでしていた俺は、急激に太って90キロを超えて背中から腰にかけて肉割れするほどだった。
 俺は興味の無い物には全く無関心で競争心も沸かないが、自分が得意と思っている事、遊び・酒・料理・トラックへの荷物の積込要領などに対しては、大人気ないくらい負けず嫌いだ。
 従って、死に物狂いで若い連中に負けるまいと必死になって汗を掻き、トレーニングと思って頑張った結果、入社一ヶ月で10キロのダイエットに成功した。11月下旬、季節は冬にも関わらず積込後はTシャツを絞れるほどの発汗量でトラックに乗り込むとクーラーのスイッチを入れるのは当り前だった。
 俺の仕事内容は兵庫県加西市にある中継センターで関東方面から集荷されて来た荷物を山口・下関の営業所へと配送していたのだがスケジュールとしてはこうだった。
 ① 山口便の時は加西で夜7時からの積込で夜中から朝方にかけて走り、荷物を下ろして福山まで空車で帰る。時間は夕方。
 ② 下関便の積込の為、家を夜に出て加西へ。積込は朝方で出発は昼前、夕方荷物を下して福山まで空車移動。帰宅は夜中。
 ③ 翌日の昼まで休みで山口便の積込の為に加西へ空車移動。ラッシュを避ける為、早目に出ているので、7時まで休憩。
 この定期便を三人三台のローテーションで回すのだが、毎日がバラバラの時間帯なので体内と脳のリズムが整わず非常にキツイ内容だったけど、その分給料は期待していた以上だった。
 初めての給料明細を持って帰った時には、
最初反対していた母ちゃんも、
『父さん!こんなにあるん!事故せんように頑張ってよぉ!店、思い切って辞めてよかったね。家の事は心配せんで、私に任せんかぁいっ!』
 と、喜んでくれて流石にこの晩はサービスがよかった。
 半年はこのパターンを続けたが、蓄積された疲労とたまたまの体調不良が重なったある日、山口便で加西を出たが高速に乗ってすぐに睡魔が襲って来た。どのコースも一緒だが特に定期便というのは時間厳守、停まって寝るなんて事は出来ないので、ブラックコーヒーを飲み頬を叩きながら走っていた。
 世の中だいたいの物に限界があるように、
この時の俺にも限界が来ていた。
 岡山県に入るまでは何とか頑張ってみたものの山口県までの距離と時間を計算すると、とても目がもちそうにない。
 山陽道の吉備サービスエリアに入り、中間点呼のついでに30分だけ仮眠を取ろうとシートを軽く倒し、携帯電話のアラームをセットしたが、会社へ電話し夜勤の当直に、
『ワシもアラームかけとるけど、30分しても電話が無かったら、掛けて来てくれぇの。
ワシが電話に出るまで鳴らし続けてぇな。』
と頼み、目を瞑るとすぐに意識を失った。
 これも念の為にとヒーターをMAXにしていたので、大汗を掻いて魘される様に目を覚まし携帯を見ると不在着信はなかった。
 よく寝たようだったので電話に気付かずに寝過ごしたかと思い焦ったが、安心してシートを起こすとゆっくりとサービスエリアを出ようとした。
 しかし、その時に目を疑った。メーターパネルにある時計を見ると、俺がセットしたアラームの時間を過ぎているではないか。
 トラックを走らせながら会社に電話をすると、当直員が慌てた様に電話に出て、
『あっ!お疲れ様です。原田さん、すみません。起きました?』
『なぁなぁ、お前電話して来たかぁ?』
 俺は優しい口調で訊ねると、
『いや、あの、ごめんなさい。忘れていました、すみません。もう出発されました?』
『お前のぉ、出発されましたか?じゃないわいや!何の為に当直でそこにおるんなっ?ワシはお前を信用して頼んどるんでっ!こんだけ延着したら大問題になるどっ! …まぁ、ワシの自己責任いうのもあるけ、お前ばっかりは責めんし済んでしもうたモンは言うても仕方ない。課長に電話して事情を話したら、営業所の方へ連絡入れさしとってくれ。』
 俺の長所でもあり短所でもあるのが、あまり怒りを持続できない所だ。
 命を除き、生きていて絶対に取り戻す事が出来ないのはただ一つ、時間だ。
 俺はアクセルを目一杯に踏んだが、速度抑制装置が付いているので九十五キロまでしかどうやってもスピードが出ない。
 こんな事で焦って事故を起こしても馬鹿馬鹿しいので、俺は諦めた。厳罰を覚悟すると流石に目は覚めた。
 案の定、山口店に到着すると所長がカンカンに怒ってて平謝りするしかなかったが、
『お前は二度と、この店に来るなっ!』
と出入り禁止を宣告されてしまった。
 あまりの言われように俺もカッとなって言い返しそうになったが、定期便を回している他の二人にも迷惑が掛かると思い留まった。
 会社に帰ると部長が待ち構えていたが当直員の過失もあったので、そこまで厳しいお咎めは無かったが当然のように定期便からは外された。
 下関店は扱いが良かったが、前々から山口店に対しての不満もあったので、そんなに未練もなかったが仕事が無くなるのは非常に困るので、直属の上司にいいコースがあったら走らせて欲しいと頼んだ。
『原田君も家族がおるから、稼がんとアカンよなぁ。加西からの九州便があるんじゃけど走ってみるか?山口よりも距離が少し延びるけぇ、給料もまあまあええんちゃうかなぁ。まっ、山口店の事はもう気にせんでええ。無理して事故を起こした方がアカンから。』
 そう言ってくれたのは、俺がこの会社で一番信頼できた須藤課長だった。
 便を変わった俺は九州便と言っても、行き先が固定の定期便と違って基本的にフリー便なので、九州への荷物が無かったら北陸・関西・四国・山陰とお呼びとあらば何処でも行った。
 とは言っても殆ど九州だった。と言うのが加西のホーム担当者の松本君(愛称・松っちゃん)が俺の事を気に入ってくれてたので、よそに走ってもらいたくない、九州を走って欲しいと俺をキープしてくれたからだった。
 松っちゃんは俺と同い年で話題も合っていたが、いつも言う口癖は、
『九州のドライバーはグウタラが多いねん。挨拶もろくに出来ひんし、めっちゃムカつきよんねん。嫌いやわぁ。それと俺、関西人も態度デカイから嫌いやねん。無神経やろ?あっ、俺がこないな事言ってたて誰にも言わんといてや。』
だったが、俺から冷静に見ても松っちゃんは生粋のミスター関西人なのだ。
 九州便は山口の定期便とは違ったパターンで超ハードだった。週末しか家に帰れず平日の平均睡眠時間は三時間程度、四~五時間寝れたら御の字だ。
 松っちゃんは好き嫌いの激しい人間で、
『あのドライバー、全然ホーム作業せえへんから後回しや。原田さんホームに着けよか。』
『原田さん、アイツの顔を見て何とも思わへん?なんか分からへんねんけどキモいやろ。
仕事やなかったらクチも利きたない。』
『あのボケ、俺にタメグチ利いてきよった。何様や思てんねん。絶っ対に仕事を回さへんねんからな。』
 もう言いたい放題だが、決まって後から、
『原田さん、今の誰にも言わんといてよ。』
と言って来る。
 関西のノリで面白い人間だが、俺が今まで生きてきて学んだ事は、俺に他人の悪口を言ってくる人間は他人に俺の悪口を言っているという事だ。だから、松っちゃんとは仕事上の話はするが、心からの信頼はなかった。
 仲のいいドライバー仲間から聞いた話で、
『原田さん、松っちゃんの事をあんまり信用したらあきませんよ。原田さんの事も言ってましたから。原田さん全然ホーム作業せえへん。って。アレは自分に得が無いと思ったら簡単に寝返りよる男ですから、気をつけて下さいね。』
と言っていた。
 松っちゃんが俺に言っていたのは、
『原田さん、寝てないんやろ?順番が来たら呼ぶから、それまでは前で寝といてぇ。』
だったので、この男は味方には出来ないし、かと言って敵には尚更してはならないタイプで、適当な距離をおいた関係でないと付き合えないと感じたのは言うまでも無い。
トラック生活に戻って一年が過ぎようとした頃、母ちゃんからの相談があった。
 それは、俺の稼ぎでも食べていくのには充分だったが、この先の絶対不可欠な出費・想定外の突然な出費を考えたら、もう少し余裕が欲しい。だから、母ちゃんも働きたいと言い出した。
 俺も女房を籠の鳥にして束縛するつもりは無いし、俺だけじゃなくお前も働け!という考えも持っていなかった。
 子供達がいない昼間、家でボーっとしてるのも暇だからとか、身体を動かしている方が気晴らしになるという理由で働きたいなら働けばいい、仕事なんかしたくない、家事・育児で働く余裕などないというなら働かなくてもいいと思っている。
 何かあった時に俺がすぐに掛け付ける事の出来ない仕事をしているので、どちらにせよ無理をしてくれなかったらそれでいいのだ。
 しかし、母ちゃんが選んだ仕事は以前にも口論となった水商売だった。働きたいという意思は認めたが、選択した仕事に対しては気持ちよく了承できないでいた。
 でもよく考えたら俺がトラックしか出来る仕事はないと言って、それを妥協してくれた母ちゃんが水商売しか出来ないと言えばそれを認めざるを得なかった。
 母ちゃんは飲み屋に行く事になって、俺達二人は擦れ違い生活を余儀なくされた。
 トラック乗りの利点は事故を起こさず時間を守りさえしていれば、ほぼ自由なので私用電話も自由・いつ飯を喰っても自由・煙草もすえりゃあ、運転する予定がなかったら昼間っから酒も飲める。そんな事から自由人には持って来いの道楽稼業を代表する一つでもある。
 母ちゃんと顔を合わせる事が少なくなった分、電話はよくしたが前にも言ったがタイミングが重要なポイントになる。
 母ちゃんのタイミングで掛けてくると俺が積込中や荷下し中、休憩を取って仮眠中やトンネルや山間部で圏外になる事が多かった。
 積込・荷下しの時は、汗で故障する恐れがあるのでトラックの中だし、仮眠は少ない貴重な時間なので邪魔をされないようマナーにしている。 
 山を切り開いて造られた高速道路は電波の受信感度が悪く、トンネルはメチャクチャ長いので全く繋がらない。
 逆に俺のタイミングで掛けると、トイレ・入浴・昼寝・来客・残業接客・営業電話とかで、なかなかゆっくりと話せない。
 そうすると、互いに余計な心配や想像でフラストレーションも溜まってしまい、せっかく繋がったのに刺々しい言葉が出たり雰囲気の悪いまま電話を切る事があった。
 表情が見えずに途切れ途切れの通話だから仕方ないが、週末になると顔を見て話せるので貴重な時間をつまらない喧嘩で潰したくないと、互いに思いやり仲のいい夫婦だった。
 だが、本当に俺はつまらない馬鹿で自分の事が嫌になるほど情けない男だ。
【我が人生に一片の悔い無し】 …と言いたい所だが、【後悔先に立たず】【あらゆる動物の中でも後悔をする生き物は人間だけ】まさにその通りである。
 会社の同僚・上司、他社のドライバー仲間や、加西・九州・其の他営業店の各担当者から、ある程度の信頼もあり仕事も順調で問題なく、自信をもってやっていたのでそれなりの評価もされていたと思う。文句を言わず、仕事も早いという事から須藤課長も俺の言い分は誰よりも優先して考えてくれた。
 それらから、割と思い通りに順風満帆な人生を歩んでいると錯覚・勘違いしていた俺はとんでもない事を、 …人の道を踏み外してしまったのであった。
 姫路の人間で気の合うドライバーがいたのだが、いつか時間が合ったら酒でも飲もうやぁと話していた。時期によって繁忙期と閑散期があって、この二人がたまたま欠車(荷物が少なく仕事が無い。翌日まで待機状態。)になって、
『ワシ、欠車じゃあ。』
『原田ちゃんも欠車になったんかいな!あきませんなぁ。どないするぅ?この後、何も仕事ぉ入ってへんのやろ?飲まんかいなっ!』
『そうしょうかぁ!じゃ、風呂に入って汗流してからね。』
『ほな、風呂屋でも行こかいな。トラックはあそこの広いコンビニに停めたらええがな。わしが後、乗用車で迎えに行ったるさかい。』
『分かった。着いたら電話するわぁ。』
 そんなやりとりで待ち合わせをすると二人で銭湯へ行った。
 その人は俺より年上だったし、幾多の武勇伝を持つ凶暴・凶悪な不良中年で俺は兄貴と呼んでいた。
 俺達の行った銭湯は、身体にお絵描きをした人達御用達の銭湯みたいで、勿論兄貴も立派なのが入っている。
 浴場もサウナも脱衣場もあっちもこっちもどこもかしこもで、綺麗な身体の俺の方が特殊みたいである。
 風呂から上がると食堂で生ビールを何杯か飲み、それから中華料理屋に行き適当に料理を頼むと、ビール・焼酎と結構飲んだ。
 店を出て兄貴の家に行くと、兄貴の友達と合流して今度は日本酒に切り替えて酒盛りをした。関西人同士の話は素面で聞いても面白いが酒が入ると抱腹絶倒で、俺は完全に聞き役に徹していた。
 夜も更けてきて居酒屋みたいな場所へ移ろうという話になって、家を出た。出なきゃよかったかもしれない。
 兄貴の友人は酔ったから行かないと言うので、二人で出掛けて適当な店に入った。
 完全に二人共出来上がっていたので、テンションMAXで話も盛り上がり、初対面の他の客とも打ち解けて話していた。
 そこで、隣のテーブルにいた若い女性客と意気投合して話していると仕事や俺の家族の話とかに興味を持たれ、いつしか電話番号を交換していたが俺と兄貴は午前中からのアルコール漬けで、かなり酔っていた。
 時間も遅かったし、翌朝からの仕事に遅れてはならないと俺と兄貴は店を出てトラックのあるコンビニに行った。
 そこで兄貴と別れ、俺はトラックの後部ベッドに倒れ込むと瀕死の状態でアラームをセットしたのを最後に記憶がプッツリと途絶えたのだった。
 それから何日かして、トラックを運転中に電話が鳴ったので、携帯ホルダーに目をやると居酒屋で合った女の子だった。
 ハンズフリーにしていたので、通話スイッチを押すと、
『あ、もしもし原田さんですか?』
『 …はい。』
『憶えてます?』
『あぁ、うん。酔おとったけぇ、細かい事は憶えてないけど話したのは憶えとるよぉ。』
 暫らくの間、話していたが電波状態が悪くなってきたので、
『もうすぐトンネルに入るし、しばらく繋がらんと思うけぇ、じゃあね。』
『あっ、はい。いろいろ話を聞いてくれて、ありがと。また電話してもいいですか?』
 一瞬、俺は迷ったが切れる前に
『出れる時と出れん時があるけぇなぁ。』
と言った所で、アンテナマークが圏外の文字に変わった。
 母ちゃんと家族の顔が浮かんだが、それまでに夫婦の間で解決しながらもいろいろあった事も頭を過ぎった。
 母ちゃんもそうだと思うけど、俺がトラックに乗る事も母ちゃんが水商売をする事も、一応は納得したような話はしたけど、心からの納得ではなかったのではないだろうか。
 以前の事だった。俺と母ちゃんと潤華の三人で買い物に出掛けている時に、母ちゃんのお客さんから電話が入り、相手の声は聞こえないので内容は分からないが、
『今ぁ?娘と買い物に出掛けとる。車の運転中じゃし、捕まったらいけんけぇ切るね。じゃ、また来てねぇ。 …ハイ。 …うん。頑張ってねぇ。』
と電話を切り何も言わないし、俺も聞くつもりはなかった。
 ただ、この仕事をしていない母ちゃんだったら、
【娘と買い物】ではなく【ウチの父さんと娘と買い物】と言う女のはずだ。
 明らかに俺の存在を消しているし、邪魔にならないよう俺は息を殺すような事が家でもあった事に、こんなんでええんかな?と疑問に思う時があった。
 母ちゃんが言うには、俺が気を悪くしないようにと客から電話が掛かってきても取らない、メールが来ても万が一俺の目に入ったら余計な心配をかけるから削除していると言う。
 いいように捉えれば気遣いだが、捻くれて捉えると俺には聞かせれない内容の話だから電話にでないのか?見られたら困るから削除なのか?と信用するしかないのだが、どうしても考えてしまう。
 出勤する時には指輪を外していたし、家では、ジャージにスッピンでムダ毛処理もしないが、店に行く時・客に合う時には美容院でセットし化粧もバッチリ、胸の谷間が見えるようなドレスを着て出掛ける。
 俺の頭の中には母ちゃんと出合った日に占いをするお好み屋のオバちゃんに言われた母ちゃんの【不倫癖に気をつけて】があった。
 俺以外の所では完璧に仕上げた母ちゃんを見せているが、俺には見せず存在まで消されていると思うと次第に不満が溜まっていった。
 そして、母ちゃんの休日に店の女の子と夜ご飯を食べに行って来てもいい?と聞かれたので俺は、行っておいで。と言ったのだったが、仕事を終え俺が歩いて家に帰っていると背後からタクシーが追い抜いて行き、家の前でブレーキランプが点灯したが、一瞬止まりすぐに発進してその先の交差点を曲がった所で停車した。
 俺はブレーキランプが点いた時に母ちゃんかなと一瞬思ったが違ったかぁ、俺の後ろ姿に気付かない訳ないよなと家に入ろうとした時に、さっきのタクシーから母ちゃんが降りてきた。
 俺は、何故そんな回りくどい帰り方をするのか不思議に思い、母ちゃんが帰って来ると不機嫌な感じで問い詰めた。
『父さんには一緒におった子に帰りは送ってもらうって言ったけど、その子に用事が出来たけぇ、私はいいよ。タクシーで帰るけぇ。って言うたんよぉ。父さんに気付いたけど変に思われたらいけんけぇ、通り過ぎた所で降りただけ。何も疚しい事はしてないよ。』
と言うが、
『なんでそんな事をせんといけんのや?普通のお前じゃったら、ワシに気付いた所でタクシー停めるじゃろうが!家まで五十メートルもないんじゃけ、それを話しながら一緒に歩いて帰りゃあええんじゃないか?ワシが変に思うって、お前の行動そのものが変じゃろうがっ!』
と俺は言って、母ちゃんは自分の浅墓な行動を認めたけど、俺はすぐには納得できずに予定より少し早かったが、
『もうええ。分かった。ワシは仕事に行く。』
と玄関を出たけど、今度は母ちゃんが納得できずに俺の後を追って来て、
『ちょっと待って、父さん!まだ話の途中じゃん!逃げんとってや!』
『はぁ?誰が逃げとるんや!ワシは仕事に行きよるだけじゃないか。もうええけぇ分かったっ、信用してやるしもう怒ってないけぇ、行かさしてくれぇ!』
と、作り笑いをして腕を振り払った。
『怒っとるじゃんかぁ!こんな感じのままで父さん運転させても心配なし、私も眠れん!もう少し話してからお互いに納得できて出て行くようにしてっ。』
 それから少しの時間、車の中で話をして、
『ワシもキツイ言い方をしたのは謝る。母ちゃんの事を愛しとるけぇ心配なし、腹もたっただけ。信用するしかないし、もう大丈夫じゃけぇホンマにワシ行くで。』
『私もゴメン。自分でも何であぁしたんか後悔しとる。父さんの機嫌を悪くさせたくないって咄嗟にした判断が間違っとった。父さんに愛されとるの信用しとるし、絶対に裏切らんけぇ、紛らわしい事をしたの本当にごめんなさい。じゃあ、気をつけてね。』
 母ちゃんは家に帰り、俺は会社に行きトラックに乗り込むと加西へと向かった。
 居酒屋時代の時も俺が女のお客さんと話して盛り上げていると不機嫌になり、二人になったら口論になったりしたので、後藤の親父に愚痴を溢すと、
『ハハハ、母ちゃんも男の客と楽しそうに話しよるじゃないかぁ。女ぁいうのは勝手なモンよぉ。』
と言われた。
 俺は、結婚してても異性の友達がいてもいいんじゃないかと思ったが、そんなのは母ちゃんには通用しないだろうから、姫路で出会った子の事は内緒にしていた。
 1~2度、連絡があって身の上話などを聞いたりして、俺の家族の事を羨ましく思ってくれて、自慢の家族を褒められたりすると俺も気分がよくなっていた。
 正直に下心はなく、相手もお兄ちゃんみたいと言うので、女とか友達というより妹のような存在に思っていた。
 彼氏との結婚に悩んでいると相談を持ち掛けられ電話では途切れ途切れになるので、今度またゆっくり話を聞いて欲しいと言われたので、俺は悩んだ末なんとか時間を作ってみると言ってしまった。
 母ちゃんの性格を考えて、そんな事を許す訳ないと、いや何処の嫁でも許さないかもしれないが、俺は母ちゃんに仕事だと嘘をつき休みの日にトラックで出掛けた。
 そして待ち合わせた場所で会って話を聞いて俺なりのアドバイスみたいな事ができたかなと思っていたが、指一本触れる事無くその日は別れた。
 疚しい関係でなくても、嘘をついた事は後ろめたかったので、母ちゃんにばれて変な事になる前に会うのは勿論、電話もやめておこうと次に電話で話した時に、その事を言うと
『うん、分かった。迷惑かけられへんから。』
と了解してくれて互いに電話帳から削除したのだった。
 それで安心したのが俺の間違いで、要領が悪いというか女の勘は怖いというか早い話、悪い事は出来ないという事だった。
 連絡を絶ってから1週間ほど過ぎた時に、家の居間で転がっていると、キッチンにいた母ちゃんが俺の所へやって来て、
『父さんチョットええ?これは何?誰なん?』
と俺の携帯を差し出して来た。
『は?何が?』
と言いながら携帯を手に取った。
 安心しきっていた俺は何の事だろうと思ったが携帯の画面を見てハッとした。姫路の子が映っていたのだった。
《な・なんで?消したはずなのに!》
 突然の事にシドロモドロしている俺に対して母ちゃんは、
『ちょっと、こっちに来てくれる。』
 母ちゃんの口調が少し強い物に変わった。
 画像を撮った日付から嘘をついていた事もばれてそれから延々と大説教を喰らい、二~三発気合いの入った拳の洗礼を受けた。
 俺は母ちゃんを騙していたという後ろめたさから避ける事もせず、見事に受け止め心から反省した。
 しかし、それでは終らないのがドロドロとした昼ドラみたいな物で、それまで携帯チェックなどした事の無い母ちゃんが俺の携帯を虱潰しに漁り出した。
 誰だったか浮気のばれたタレントがテレビで言っていたけど、
『携帯電話には不幸がいっぱい詰まっているから絶対に見てはいけない。』
 まさにそうだと、この時に思った。
 俺は通話とメールとインターネット接続くらいしか携帯の機能を把握していなくて、他にもそんな便利な機能があるの?ってほど、母ちゃんは、証拠となる物を次々と突き付けてきたのだった。
 履歴に残っていた出会い系サイトのURLだとか、予測変換でどういった内容の文章を打っているとか、全てをチェックされた。
 正直に、ただの話し相手だとか何を言っても言い訳だし、信じてもらえる訳もない。
 サイトの登録もお小遣いサイト経由で、掲示板に書き込みを入れるとポイントが貰えるものだった。遊ぶつもりも出会うつもりもなかったけど、もし母ちゃんが見てしまったら誤解するだろうし、上手く弁解する自信もなかったから削除したつもりだった。
 俺の中では完璧に近い状態でクリアしていたと思っていたのに、どうして?なぜ?
 怒りの治まらぬ母ちゃんの表情を見ると、俺は《もう駄目か…。》と【離婚】の二文字が浮かんできた。

    第十六章 絶望信頼喪失

 私は、父さんが昔トラックに乗っていたのは聞いていたので、ブランクがあるのに乗れるのかどうかは心配していませんでした。
 だけど、事故や給料はどれくらいかとかの心配はあったし、今までは毎日一緒にいたので寂しいのと、父さんが御飯の仕度や学校行事を助けてくれたのでやってこれたのが、母子家庭になって母親としてやっていく自信が正直言ってありませんでした。
 不安で寂しくて、でもやる事は山のようにありました。
 私も自分なりに一生懸命でしたが、息子達も凄く協力してくれて助かったのは事実でした。
 初めての給料は一か月分なかったけど、思っていた以上にあって、次の丸々一ヶ月分の給料明細を見た時に想像を遥かに超える金額で、《トラックって、こんなに貰えるんじゃあ》と驚きました。
 丁度、年末の忙しい時期でもあったし、確かに父さんも休む間もなく殆ど寝ずに走りっぱなしでした。
 家に帰って来るのも一ヶ月に一回か二回くらいと私は思っていたので、毎日のように顔を見れて安心しました。家に帰っても御飯を食べて風呂に入ると三時間ほど寝てすぐに出て行くだけで、ゆっくり話す事はできないけど、無事に帰って来た父さんを見るだけで、ホッとするのと同時に、あまり寝ないでの運転は心配でたまらなかったのです。
 私も子供達も半母子家庭生活に慣れてきた頃、父さんにコース変更となる事件が起こったのです。
 山口便から九州便に変わった父さんは、週末しか帰って来れなくなったのでした。
 言いようも無い不安感に襲われましたが、『仕方ない。父さんだって帰ってきたいはずなのに家族の為に頑張ってくれてるんだ。』と自分に言い聞かせ、
『父さん、ウチの事は大丈夫じゃけ、心配せんで事故だけはせんようにね。無理はせんとってね。』
と精一杯、気丈に振舞いました。
 ですが、私の不安は他にもありました。これから先、必要になるお金を計算して貯蓄をしておかないといけないという不安でした。
 以前、父さんに相談して却下されたのですが私は働こうと決めたのです。
 頭の中で計画を練ったのですが、私の性格上父さんに相談する前に行動に移しました。
 私は父さんに電話をして、
『もしもし、お疲れ様。父さん今いい?相談があるんじゃけど。』
『あぁ、ええよぉ。今は待機中じゃけぇ。』
『私ねぇ、やっぱり仕事をしようと思うんよぉ。父さんの給料だけでも食べていけるんじゃけど、入学・卒業・入試、他にもいろいろとお金がいるんよぉ。タクとソウタにも携帯を持たせてやりたいし、女のジュンには特に貯めとってやりたいんよぉ。働いてもいい?』
『まぁ、母ちゃんが働きたい言うのを働くなとは言えんけど。なんかしたい仕事があったん? …まさか飲み屋じゃないじゃろうの?』
『だって私、それしか出来んのんじゃもん。安いパートじゃお金は貯まらんし、タクとソウタが高校を卒業するまで。そん時お兄ちゃん達は社会人になっとるし、ジュンだけじゃったら父さんの稼ぎだけでも貯める自信あるけ、その時は辞める。もう歳じゃけ何年も出来んし、絶対に酔って父さんに心配かける事はせんけぇ。ええじゃろ? …ってか、もう面接してもらって決めてきたんじゃけど。それは、勝手にしてごめんなさい。』
『はぁぁぁっ?・・・・ちょっと考えて掛け直す!』
 そう言って父さんは電話を一方的に切りました。どうして分かって貰えないんだろう?私ってそんなに信用ないんだろうか?ただ家族の為、子供達の事を考えてなのに。と腹が立つより悲しくなりました。
 五分もしないくらいに電話が鳴り、
『もしもし、母ちゃん。さっきはごめんの。少し考えたんじゃが、ワシにも好きな仕事を母ちゃんは嫌がったのにさせてくれたけ、頭ごなしに反対するのは悪い思ぉてのぉ。じゃけど、母ちゃんが仕事を始めるのはええが、無理したり危ない目に合わんようにせえよ。』
 何を言われるかと不安に思いながら耳に受話器をあてたけど、そのように言われて安心しました。
『さすが父さん。ありがとっ!分かってくれると思っとった。子供等にもちゃんと言うとるけぇ、家の事も潤華の事も心配せんでね。』
『お前なぁ。相談いうてから段取りよおもう九割九分決定事項やないかいっ。後はワシを丸め込むのだけじゃんかよぉ。』
『エヘヘ。ごめんね。』
 潤華もそれなりに大きくなったし、兄ちゃん達に子守りを任せられる歳になっていたので、前以って子供達を集めて話しを済ませていたのです。
 出勤初日の日が来て、久し振りに気合いを入れて化粧をし変身を完了しました。
 華やかな世界に飛び込むにはかなりブランクがあったので緊張しましたが、お店に入ってみると先輩になる女の子は大体が二十代前半から後半で、少し浮いた存在でしたが私は気にもしませんでした。
 なぜなら、ここにいる若い子達と張り合うつもりは毛頭ないし、客を取ってやろうという気もなかったのです。やる気がないのとは違い、お客さんには心のこもった持て成しはするつもりですが体を張る気はないので、でしゃばらずにヘルプに徹して仕事をした分、しっかり給料だけを貰えればいいからです。
 ノルマは無く送迎付きで高時給だったので最初は私の年齢にも関わらず、接客姿勢を認められて待遇が良かったのですが、三ヶ月ほど働いた時に閉店後、店長に話があるから残るように言われました。
 何だろうと思いながら、他の女の子達が帰るのを待っていると店長にボックス席の方に呼ばれました。
 店長が言うには、私はヘルプでいいのに指名してくれるお客さんが増えてきたので、勤務時間を延ばしてみないかと言うのです。
 子供達の事もあるし、水商売にのめり込むつもりもないので私は今のままでいさせてほしいと断ったのですが、店長はしつこく説得しようとしてきました。
 断固として拒否し続けると店長はコロッと態度が変わって、
『その歳で若い子等と一緒に仕事しても限界があるじゃろうし、時間を延ばす気がないなら、短い時間でも今以上の給料を貰える仕事を姉妹店でしよるけぇ行ってみるか?もう歳なんじゃけ身体を張るしかないで。』
 私は悔しくて悔しくて怒りが込み上げてきて、
《おい!ふざけんなよっ!人をなめるなや!ワシはそんなすぐ触らせたり股を開くような安い女じゃないんじゃっ!ええ加減にせぇ!こがぁな店、辞めたるわいっ!》
と、若く怖い物知らずだった頃の私なら怒鳴っていたと思うけど、今この二人っきりで万が一の事があると、父さんや子供達に心配を掛けると思い軽く深呼吸をしてから、
『いえ、店長すみません。そういう話でしたら、私はもうここでは働けませんので辞めさせてもらいます。短い間でしたけど、お世話になりました。』
と逆上させないように言葉を選びながら話すと、颯爽と店を出て行きました。
 店を出た途端、屈辱に耐え切れずに涙が零れ落ちましたが気持ちを切り替えて父さんに電話しました。
『父さん。私、店辞めたけぇ。腹が立って、腹が立って!実はねぇ…』
と今あった出来事を話すと、
『おぅ、そがぁなトコは辞めて正解よぉ。じゃが、そんな状況で店ん中で二人っきりになんかなるなやぁ。もしもの事があったらどうすんな!今の時代、変なヤツが多いんじゃけぇキレたら何されるか分からんじゃろうが。母ちゃんがどんなに気が強ぉても、男の力には絶対負けるんじゃけぇの。頼むで。』
『ハァイ、ごめんなさい。』
 父さんとの会話で、《ほれ、みてみいや!》とか私を責めるような台詞はなかったので、傷付いていた私は暖かい物に包まれたようにホッと安心しました。
 が、負けず嫌いの私はコレぐらいの事でへこたれて専業主婦に閉じ篭るつもりは無く、他の店を探し始めました。
 不景気と言っても、本気で探せば仕事はあるものでしたが、それなりに妥協しなくてはいけませんでした。
 次に行った店は私の知り合いが女の子を探している店があると言うので行ってみると、ママもチーママも是非来て欲しいと言うので行き始めたのですが、最初は働き易かったです。
 客層も悪くなかったし、父さんが当然来たとしても恥じる事ない接客をしていたので、出来れば父さんにも見て貰いたいぐらいでした。
 それを話すと、
『じゃあ、この週末に誰か誘ってから店に行ったるわぁ。』
と父さんは言ってくれたのです。
 以前行った【囲み家】の大将と私達は公私共に親しい付き合いをしていたので、時間を合わせてきてくれました。
 長距離に出ている父さんは、ママと店の子にと手土産をぶら下げて来て、店の事は気に入ってくれたのですが、何週間かして今度はコバや大吉達を連れて来てくれました。
 その時から少しおかしくなってきたのですが閉店時間になり、お会計の時にチーママが多めに取ろうとして、それをママがそうしなさいと厨房で話しているのが聞こえたのです。
 雇われの身である私は何も言えなかったけど、せっかく父さんがお客さんを引き連れて来てくれたのに、その営業方法に腹が立ち、
『ほんま信じれん!馬鹿にしとるじゃろう!父さんゴメンね、せっかく皆を連れて来てくれたのに、コバ等怒ってなかった?』
 帰ってから父さんに言うと、
『あぁ、ええよぉ。アイツ等もそんなん気にする奴等じゃないし。大丈夫、大丈夫。』
 小さな事にこだわり、いちいち気にしない大きい父さんの言葉でした。
 しかし気が鎮まらない私は、父さんにもう来なくていいよと言い、私のお客さんにも営業しないようにしていたのですが、毎日毎日チーママが私が出勤して来ると、
『今日の予定は?誰かお客さん来る?電話して誰か呼んでね。』
と言うようになりました。 …毎日です。
 電話するフリをして営業拒否の姿勢を崩さずにいたら段々と露骨な厭味に変わってきたのです。女の厭味は本当に残酷です。
 胃に穴が開く寸前まで我慢したけど、この店をなるべく綺麗な形で辞めて次を探しました。
 求人を出している企業やスナックは沢山ありますが、自分に合う仕事というのはなかなかで、夜の業界では尚更でした。時給がコンビニのバイトぐらいだとか、給料の支払いが遅れるとか、風俗嬢寸前の接客を強要されたり、やっとやり易い店に辿り着いたと思ったら店を畳むと言われたり、永く勤める事が出来ませんでした。
 そして、その店を畳むと言うママが、
『ごめんねぇ、急で。他にいい店を紹介してあげるから。』
と言われ、あるお店に連絡してくれると、
『会ってみたいから連れていらっしゃい。だって。』
 私はママと一緒にその店に行き、経営者の洋子ママと会って話をしました。
 体験してみてから決めていいのよ、と言われたので私はその日一日取り合えず接客をしたのですが、私の事を気に入ってくれて是非明日からも来て欲しいと洋子ママに言われ、就職先は決まったのですが、ここが地獄の一丁目でした。
 今まで替わって来た、どの店もそうでしたが最初のうちは何処もいい待遇です。
 他の女の子達は時給なのに対して、私は何時間でも一日九千円で火曜・水曜・金曜・土曜の週四という契約で働く事にしてもらいました。要するに、短時間だと私は楽で得なのです。
 私の日常は朝六時過ぎに起きて子供達を声を張り上げて起こします。お兄ちゃん四人を学校へと送り出し、最後に潤華を起こして保育所へ連れて行きます。一旦家に帰って洗濯物をコインランドリーに持って行くのですが我が家は量が多いので干す場所も無いし、乾かないので、洗濯だけは家でして乾燥はコインランドリーでないと間に合わないからでした。
 乾燥させている間に買い物を済ませ、洗濯物が乾く頃に取りに行って帰ります。
 この時、大体11時くらいになっていて、コーヒーを飲みながら一息ついたら仕事の為に少し昼寝を3時くらいまでして、保育所へ潤華を迎えに行き、お風呂に湯を貯めて4時くらいには一緒に入っておきます。
 お兄ちゃん達もゾロゾロと帰って来て、潤華の面倒を見てもらってる間に髪を乾かし化粧をして、ドレスに着替えます。
 晩御飯は父さんみたいに手の込んだ料理は作れないし時間もないので、もっぱら弁当とか惣菜、インスタント物に頼っていたけど、
『いっつもこんなモンでごめんね。時間がある時は、ちゃんと作るけぇ。』
 誰一人として文句を言う子はいなくて、
『俺ここの唐揚げ好きじゃけ、ええよぉ。』
『俺はうどんよりそばの方がええ。』
と息子達は言ってくれて困らせる子はいませんでした。
 入店は八時からにしてもらっていたので、七時半には家を出るのですが、泣きじゃくる潤華を振り払うのはとても後ろ髪を引かれました。
 自転車に乗って店まで行くと、仕事が始まります。初めの一ヶ月は深夜1時過ぎには帰らせてくれていたけど、早い時間に売上げが伸びないとラストのお客さんを引っ張り、2時3時4時となる日が多くなってきました。
 どんなに遅くなっても翌朝の始まりはいつも同じで、帰宅し着替えて化粧を落としてたりしていると、寝る時間は三時間くらいで酷い時は30分の仮眠でアラーム音が鼓膜を突き刺して来ます。
 こういう生活の繰り返しでしたが、私は月曜日が好きでした。それは父さんが休みで私の休みと一緒でゆっくり話せるからでした。
 その貴重な時間は楽しい話しばかりしたいと思うのですが、そうもいきません。宏次がギリギリで入る事の出来た高校を登校拒否になりがちで、別にイジメに合うとかでなくただ単に勉強が嫌い・担任が面白くない・クラスメートに気の合う奴が一人もいないという理由からでした。
 学校を休みがちなのを父さんに言うと酷く怒ると思い内緒にしていたのですが、他にもいろんな問題が重なり、私一人での対応がしんどくなってきたので、思い切って相談しました。父さんは宏次を呼びつけ、
『まぁ、高校は卒業するのとせんのじゃあ、した方がええに決まっとるけど、行きとぉない言うモンに無理矢理行けぇ言うても無駄な時間じゃ思うでぇ。その代わり、遊ぶ奴を家に置いとくつもりはない。学校を辞めるんなら、すぐに仕事をせんと家から追い出すけぇのぉ。その覚悟は出来とるんか?』
 それで宏次の出した答えは、
『わかった。仕事はすぐ見つけるけぇ俺、学校辞めるわぁ。』でした。
 宏次と嵐士は高校入学を期に、お小遣い制を廃止する代わりに携帯電話代は自分で払えるようにアルバイトをさせました。嵐士はコンビニ、宏次はガソリンスタンドで二人共よく頑張っていて、問題の宏次は退学後ガソリンスタンドを引き続き今までより時間延長して働くと言っていました。
 宏次は年齢の関係もあって、この時点では無理でしたが正社員にさせてもらう前提で暫らくはアルバイト要員なのです。
 シフトは日によって違うけど、大体朝の十時から帰って来るのは夜の十時か十一時でした。休む事は無かったが、まだ遊びたい年頃で学生の友達と遅くまで遊んだり彼女と会っていて朝帰り。
 それでなくてもハードなシフトなのに、そんな生活は無理が出てくる、仕事に影響があるよ、気持ちは分かるけど休みの前の日にしなさい。と言って聞かせ続けましたが、遊び盛りの子で宏次の性格からして理解してもらえなかったのです。
 案の定、朝何回起こしても起きれず這うように会社に行っても寝不足の上、大切な事を後回しにする面倒臭がりの性格なので、当然のように給油ミスとか客の車の部品を壊したり、遅刻も多くなってきていたのです。
 ミスがある度に給料引きの罰金で、遅刻の多い宏次は少しでも遅刻したらその日の日当は要らないと自己宣誓を会社にしたのです。
 その決意・決心は男らしいのですが、悲しい事に実現できる子でなく、尋常でない労働時間に対して給料はどんどん減っていきました。
 家での生活もルーズでとにかくウチで一番の問題児だったので、ようやく言葉を覚え始めた潤華は私と父さんの毎日の怒鳴り声から最初に声を出した家族の名前は【コウ。】で、次に私を【おかたま】父さんを【おとたま】でした。
 潤華と一回り年が離れているのに同じぐらいに世話が焼けるのですが、私の機嫌を取るのが一番上手いのです。
 そういった宏次への悩みもありましたが勿論、他の子も完璧な理想の息子という訳ではないので、それぞれに対して悩みもありつつ店でのトラブル、女の子との対人関係や変な客など父さんには聞いて貰いたい事がいっぱいで、一週間分を纏めて話すのが月曜日だったのです。
 店でのトラブルと言っても、店のママや女の子と揉めたでも客と喧嘩したというのではないけど日増しに不満が溜まり、都合よく使われだした事にイライラしてそれらを父さんに聞いて貰うと少し解消されたのです。
 ママの洋子はお金にとてもシビアな…いや汚い女でお金の為なら何でもする、例え店の子が危険な目に合ってもお構いなしです。
 私は朝のスタートからハードなので、極力アフターはしないように、止むを得ない場合でも父さんの事を考えるとお客さんと二人きりになりそうなシチュエーションは避けてきたし、その営業スタイルを洋子に言うと、
『いいのよ。無理をしないで、家庭を壊さないようにね。貴女は旦那さんや子供の事をお客さんに話しているのに、それでも来てくれるお客さんがいるっていうのは貴女に魅力があるから。そういうのが理想の関係だから今までどおりでいいわよ。』 
と、この話では理解のあるいいママのようですが、料金設定も高級クラブ並みに高いわりにチャームは何日も前の腐ったような品や梅干・竹輪・キムチの三点盛りみたいなしょぼいものを出して二千円も取るボッタクリ。
 アフターしましょうと言って私とカモにするお客さんを誘うと、その人に散々たかった挙句に私と酔い潰れたお客さんを残して自分はサッさと帰るし、自分の連れ回したお客さんがよその店のお客さんと喧嘩になっているのに勘定もせずに放って帰った事もありました。
 店の女の子に対しても、変わった考えの持ち主で私が連れて来ているお客さんの所に私を付けずに自分や他の子をつけて、私には面倒臭い客や癖のある客の相手をさせたり、厨房で洗い物をさせたり、入った時から何ヶ月も一番お客さんを呼んで一番売上げを上げていた私は、納得できるはずもなく爆発寸前でした。
 私達夫婦の責任でもありますが、託児所生活をしていた潤華は遺伝かもしれませんが完全に夜行性で、私が仕事を終え家に帰ると起きて待っている事もあり、それはそれで癒されて嬉しいんですが朝が起きれなくて、泣きながら学校に行かせる日もありました。
 いろんな事が次から次へと私の中に詰め込まれていきました。
 その度に話を聞いてもらいたかったけど、父さんがトラックに乗っている時は、圏外とか睡眠中とか積込中などで、途中で途切れたり電話を切られたりでイライラが倍増するから、なるべく顔を合わせた時に直接話すように心掛けていました。
 頭では分かっているけど私の不満は容量をオーバーしつつあり、しないつもりで電話して言わないつもりで愚痴を溢してしまい、それはやはり父さんの声を聞くと、安心できるし愛しているから甘えてしまうのでした。
 しかし、大抵の男の人は女の愚痴は嫌うと思いますが、それは父さんも例外ではなかったようで最初のうちは、
『あぁ、ほんまかぁ。そりゃあ、母ちゃん間違ってないよぉ。放っておきゃあええ。母ちゃんの思うようにすりゃあいいよ。ワシは母ちゃんの味方じゃけぇの。』
と親身に聞いてくれていたのですが、
『うん。うん。あぁ、そうなん?あっ、そう言やぁ母ちゃん。さっき面白い事があってのぉ!』
と、私の言ってる事を聞いてくれてるのか聞いてないのか、それ以前に聞く気がないのか段々と話を摩り替えたり、何と無く冷たく感じていきました。
 そして、とうとう些細な事で口論の末、
『お前のぉ!大変なのも分かるが、ワシも眠たい目ぇ擦りながら走りよんでっ!話しもしたいし聞いてやりたいけど、電話してくりゃあ、コウがどうのタクがどうのママじゃあ客じゃあ、愚痴ばっかり言われてもワシにどうせぇ言うんなぁ!グズグズ言われても気持ちが暗くなるばっかりじゃし、こっちまでイライラしてくるんじゃいやぁ。たまには、ジュンがこうじゃったんよぉ、あぁじゃったんよぉみたいな楽しい話題はないんか?』
と父さんをキレさせてしまいました。楽しい事が好きで面倒臭い事が嫌いな上、寝不足とかでイライラしていたのも分かるけど、聞いてもらって私の大変さを本当に心から分かってもらいたいだけの私もつい、
『もういいっ!父さんには何も言わん!電話ももうせんけぇ!ゴメンネッ!』
と言って切り父さんの仕事中には電話をするまいと決めました。
 この頃お互い精神的にもいっぱいいっぱいだったようで、大変なのと一生懸命なのを理由に相手を思いやる気持ちが欠如していたのだと思います。
 そんな言い争いをした次の月曜日、待ちに待っていたはずなのに若干父さんとの空気に違和感が生じていました。
 このままではいけないと、お互いに思っていたはずです。
 その事とは別に、私は父さんの行動や表情とか言葉の一つ一つに何か言い知れぬ不安を感じていたのです。父さんは非常に判り易い人間で嘘をついても簡単に見破る自信が私にはありました。
 何かボーっと考えているようだし、心ここにあらずといった様子がしばしばあったからですけど、まだ原因は掴めてませんでした。
 何もない事を祈りながら様子を見ていましたが、ちょうど父の日が近付いていたので潤華と一緒にプレゼントを買いにいきました。
 そして、父の日が来たのですが私には一生忘れる事の出来ない最悪の日になりました。
 その日の朝方、九州から帰ってきた父さんは昼前まで寝ていたのですが、疲れているようで居間でゴロゴロしていました。
 私は潤華にプレゼントを持たせると、父さんの所に行って、
『父さん、いつも御苦労様!ありがとね。』
と言ってプレゼントを渡しキスをしました。
『あん?あぁ、ありがと。こんなん気ぃ遣わんでええのにぃ。』
と言いながらギュッと私と潤華を抱き締めてくれたのです。
 その後私は居心地のいいキッチンに行き、コーヒーを飲んでいると潤華が父さんの携帯を持って来て衝撃的な言葉を発しました。
『ねぇねぇ、おかたまぁ。このお姉ちゃんは誰ぇ?』
 潤華の言葉と私の不安から一瞬背筋に冷たい物を感じたまま、その携帯を受け取り目をやりました。
 その画像に映っている若い女性は芸能人でも親戚でも共通の友人でもない初めて見る人でした。
 私は父さんの所へ戻り冷静を装いながら答えによっては怖かったけど声を掛けました。
『父さんチョットええ?これは何?誰なん?』
 その後の父さんの動揺を隠し切れない反応を見逃す事無く、瞬間的に私の中で何かのスイッチが入ってしまったのです。
 キッチンに場所を移し向かい合って座ると話し合いを始めました。と言うよりも私の一方的な尋問でした。
 父さんは容疑を認め素直に謝罪をしましたが、この人だけは私を裏切らないという絶対の自信があったし、今まで必死に訴えていた私の大変さをやっぱり分かってくれていなかったんだと思うと、
『ごめんなさい。』『もうしないでね。』
と簡単には許せませんでした。
 世界一愛していたから世界一の憎しみになったのです。悲しみ・怒りを超えて、そう憎しみです。
 この時の気持ちは言葉や文字では表しにくいのですが、鎮めようにも鎮まらない怒りで私はおかしくなりそうで、どうしていいのか分かりませんでした。
 引き続き父さんから奪っている携帯をいろいろ調べていくと変なサイト登録やメール、怪しい電話番号と見たくない物がどんどん目に入ってしまい、情けなくなって父さんの前に携帯を放り投げました。
『この誰かわからん番号に掛けるけどいい?相手の女が出たら、私ぁ何言うかわからんけぇどうなっても知らんけぇなぁ!お前、覚悟しときぃよっ!』
と鬼のような表情になっているのは自分でも分かっていました。
『電波の届かない場所にあるか電源が入っていない為かかりません。』
とアナウンスが何回掛け直しても流れてきて全く繋がりません。
 電話を置き、また私は父さんを責め続け、父さんは弁解するでも逆ギレもせず、黙秘を通し必要以上は口を開きません。
若い不良時代の頃は頭に血が上ると人を殴ったり、蹴ったりとかありましたが、長い間そういった軽はずみな行動は封印していたのですが、気が付くと父さんの顔面に三発ジャブ・フック・ストレートを入れていました。
 父さんは謝り続けるだけで言い訳をしないので、私は怒りながらも許してしまいそうな複雑な心境で地獄の日が続いたのです。
 自分で分かっていながらも、無理な事を言って父さんを困らせました。

    第十七章 最低最悪状況

 私は無理な事を父さんに押し付けました。
『ちょっと前から何かおかしいとは思いよったけど、私に嘘をついてまでこんな裏切りをしよるとは思わんかったわっ!どうすんよ今から!何を言われても信用できんけどのぉ!』
 もう構わず私はヤクザ口調です。
『ワシに出来る事は何でもする、すまん。簡単に許してくれるとも思ってないし償いをしたい。もう絶対こんな事はせん。』
『絶対なんかないんじゃ!絶対せんってどうして言い切れるんなぁ!アンタの事じゃけ少し月日が経って私が何にも言わんようなったら、またするわ!口ではナンボでも言えるんじゃ!私の目の前に絶対もう浮気をせんって信用できるモンを持って来てみいや!』
 父さんは考え込むように俯き黙ったままだったので、
『何とか言えぇやっ!』
とドラマで見る刑事ドラマの取調べのようにテーブルをドン!って殴った。
『償う方法をいろいろ考えるが、ワシには今からのワシを見てくれしか言えん。母ちゃんは何が望み?母ちゃんの絶対ってどういう事を言いよる。答えはワシが考えるけぇ、ヒントをくれ。』
『じゃあ、死んだお母さんを生き返らせて私の目の前に連れて来てくれたら信用してやるわっ!』
 私はそんな事を言っていました。
『母ちゃん。ワシは霊媒師でも魔術師でもないけぇ、それは出来ん。考える時間をもう少しくれんか?』
 正直言って自分でもどういう判断でどう決断したらいいのか迷い悩んでいたのです。それは、こういう状況にありながらも父さんの事は愛していたからで、許せないというのと嫌いになるのは一緒ではないのです。
 人は人を愛しすぎると怖く辛いものだと感じました。
『トラックに乗る言うた時に事故もじゃけど父さんの性格を考えたら、こういうのも心配じゃったんよ!楽しい方に流されやすいんじゃけぇ今回、あぁ、やっぱりねって思ったわぁ!どうすんよ?これでもまだトラックに乗れるん?まっ、そうするんなら離婚しかないけどね!』
『自分の弱さの責任じゃけトラックのせいにはせんけど、もうトラックには乗らん。会社は辞める。』
 父さんは会社を辞めてしまいましたが、生活していくには仕事をしないと収入がありません。でも私は、父さんを勤めに出さしたらほとぼりが冷めたら同じ過ちを繰り返すだろうと、信用できなかったので、
『仕事はどうすんよぉ。私はもう全てを犠牲にして働くのが馬鹿馬鹿しゅうなったし、それ以前に仕事をする気力も意欲も失せたわ!居酒屋ん時みたいに二人で何か始める事が出来たら、少しは父さんの事を前向きに見てあげれるかもしれんけど、外に働きに出て一人になる時間ができるようじゃったら、悪いけど信用できん、離婚じゃね!』
 私は父さんをドンドン追い詰めていきますが、誰よりも愛している事に変わりなく、好き過ぎると自分だけのモノにしようと愛している人を殺してしまうという人の心境が分かる寸前でした。
 私が離婚を踏み切らなかったのには、自分の複雑な気持ちが第一ですがもう一つありました。それは父さんが退職届を出しに行って家にいない時に、ちょうど息子達四人が揃っていたので男として大人として、今回の事を簡単に話し離婚するかもしれないと相談し、四人がそれでいいと言えば決めていたかもしれません。
 宏次は、
『俺はもう親父じゃ思わんし、母ちゃんの好きなようにしたらええんじゃない?』
 嵐士は、
『俺は母ちゃんがそうする言うんなら、どっちでもええ。』
 拓哉は、
『はぁ?俺は母ちゃんに付いていくよぉ。当り前じゃん!』
 そして最後の颯太は、
『…う~ん。俺は別れてほしくない。俺、父さん好きじゃもん。』
 正直言って驚きました。颯太の言ったこういう台詞は宏次が言い、嵐士と颯太は無条件で私に付いてくるって言うと思っていたので意外な感じがしたのです。
 颯太は事故に遭ってから大人の男性からの愛情を受けたのは身内以外でこの父さんだけで、この子が心を開けたのは父さんのお陰だというのは私も認めていました。颯太も含めてですけど他の三人が私の味方をしてくれたのは嬉しかったけど、それ以上に颯太の気持ちと言葉は倒れそうな私の身体と心をしっかりと支えてくれたのです。
 嫌な事は忘れてやり直せれるならと私も時には精神的に安定していれば、二人で前向きな話しをしてこれからの事をあれやこれや夫婦で出来る事を考えました。
 父さんは又食べ物屋をと、考えたみたいですけど世の状勢を考えると私は、
『飲食をやりたいんなら別れてから一人でやってね!』
と反対しました。
 それから、まず目を付けたのはコンビニ経営者募集の広告でした。
 セブンイレブン・ファミリーマート・ローソンとある中で、資本金やその他の条件からファミリーマートを選び、担当者を呼び話を進めていきました。
 これに希望を託し、共働きで僅かですが貯金できていたので、しばらくは冷静に考えながら慎重に判断して行動しても食い繋げる事は出来ると思っていたのです。
 話はどんどん進んでいったのですが、身内や仲のいいコンビニ店長の反応はあまりいいものではありませんでした。十年・二十年前なら儲かったであろうが現在の溢れ返す勢いのコンビニ業界では長い労働時間の割りに儲からない、潰し合いになるだろうから資金が無く力の弱い者は借金背負って夜逃げか、首をくくるのがオチだと言われました。
 しかし、私達には後が無いので懸けるしかなかったのです。しかし、ファミマ本部の方で、用意されていた店舗を任せるのを個人経営になる私達か法人でやっている業者に頼むかで天秤に掛けられ、長い間待たされた末に今回は見越してほしいと言われたのです。
 少しやる気を取り戻しつつあった私は、振り出しに戻され焦るばかりでした。
 次にチェーン展開しているスイーツ店のフランチャイズ加盟店募集の記事に目が止まって、父さんが大阪本社に問い合わせの電話を入れてみました。
 このスイーツ店は福山にはない店で、絶対流行る自信があり私はやってみたかったのですが、本社の広報担当者が電話に出て、
『あっ、どうもおおきに。わざわざお電話いただいて申し訳ないんやけど、広島の福山の方への出店が予定として入ってないんですわぁ。そやし、募集条件として法人の方のみっちゅう事になってますんで、この話しはすんまへんけど…。』
と言って電話を切られました。
 私達はまたもや振り出しです。と言うか断崖絶壁の崖に一歩一歩近付いて行ってるようです。
 父さんはパソコンに向かいいろいろ調べているようですが、私はもう考える気力も無くなってきました。
 そして今度は父さんがインターネットのネットオークションとか海外輸入のネット転売とかに食いつきました。
 寝る間も削りながらパソコンをカタカタやっていますが、私はあまり期待していませんでした。問い合わせはあるものの落札までにはいかず、父さんの顔にも毎日焦りがありました。そして、在庫を抱えないネットショップというのもやりましたが、一個は売れましたがそれからのアクセスというのがなく、時が経つばかりです。
 貯金は沸いて来る物でなく、使えば無くなる物で底が見えてくるのも時間の問題です。
 人間とは心に余裕が無く,焦るばかりだと正しい判断を誤る場合がありますが、この時の私達、特に父さんは目に付く事・良かれと思う事が見事に全て裏目に出ているようでした。
 私の姉・信子にもチョクチョク相談をしていたので、心配して電話をくれたのですが、
『あんた等どうなっとん?大丈夫なん?仕事は?もうどうしても麗ちゃんがいけんようじゃったら、秀さんと別れんさい。私が出来るだけ協力してあげるけぇ!』
と言ってくれるのですが、私は出来れば別れたくはないし何とか這い上がってみせたかったのでした。
『姉ちゃんの気持ちは素直に嬉しいよ。私もどうしてええんか分からんのんじゃけぇ、どうなっとるんか?どうするんか?って質問責めするのはヤメテっ!私が責められよるみたいじゃ!』
と感謝の気持ちとは裏腹に姉ちゃんへ強い口調で返してしまいました。
充実した日というのはなかなか訪れませんでしたが、明るいニュースもありました。嵐士が無事に高校を卒業して、いい会社に就職が内定したのでした。
 潤華も小学校に入学してから習い始めたピアノの発表会を控えていたので、デパートまでドレスを買いに行ったりと瞬間的にも嫌な出来事を忘れさせてくれました。
 嵐士は入社から一年間の寮生活が義務付けられていたので、スーツとか寮に必要な物を買い揃えに行ったりして、大きな物から少しづつ運び出し嵐士の部屋から荷物が減っていく度に悲しい気持ちになりました。
 息子が成長して自立し大人として一人立ちしようとしているのは、親として喜ばなくてはいけないのに、こんな今の私には非常に辛い重圧となって圧し掛かってきました。
 這い上がろうとすると突き落とされ、また歯を食いしばって這い上がろうとすると突き落とされの繰り返しでどうして私がこんな目にと全てを恨み、気が狂いそうになっていました。
 電話で喧嘩別れみたいになったけど、そこは血を分けた姉妹なので心配した姉ちゃんが近くまで来たついでと言いながら様子を見に差し入れを持って来てくれたけど、
『麗ちゃん、どんな調子?無理せんようになぁ。あっ、そうそう昨日面白いことがあってなぁ。家におる時に、ハッハッハッハ。』
と何かを思い出して甲高い声で笑っているのですが、情緒不安定でテンションが低空飛行中の私には鼻に付いてイライラしました。姉ちゃんの気持ちも分かっているつもりです。
 少しでも明るい話題で私の失った笑顔を引き出そうとしている事。ですが、
『私がこんな時によう笑えるねぇ!仕事も出来んくらい落ち込んで、父さんも仕事を辞めて収入がないし。でも次から次へ払いもんの請求が来て、必死なのに裏切られてボロボロになって!私が何をした言うんよ!姉ちゃんはお金で苦労した事がないけぇ、他人事みたいにそうやって冷静で笑えるんよ!』
『ちょ、ちょっと待ちんさいやぁ!心配して来とるのに何でアンタにそんな怒鳴られんにゃあいけんの!私がアンタに何をした?秀さんが悪い、秀さんのせいで苦しい言うんなら別れりゃええじゃない!アンタの事も子供等の事も私が守ってあげるわいねぇ!お金で苦労した事無いって、アンタが何を知っとるんよ。ウチだって苦しいのを乗り越えてきたわぁ!お金がないけぇ苦しいんか!お金があったら満足なんか!ウチもお金があり余っとる訳ないけど、お金でアンタの気が済むんならお金を置いて帰るよ!ナンボいるんね!十万ね!二十万ね!』
と言いながら財布からお札を数枚抜き出そうとしていました。
『もう何で私が怒られんにゃあいけんのよ!私生きとる意味が無い!一生懸命やっても酷い仕打ちをされるわ、怒られるわで死んだ方がましじゃあ!もう死んでお母さんの所へ行きたい!』
『何を言い出すんよ!アンタは馬鹿ね!死んで何が解決するんよ!子供等の事はどうするんね!何がアンタをここまで追い詰めとるんかっ?私が仇を取ってあげるわっ!』
 その場には父さんもいたので、
『姉ちゃん、ごめん!ワシが全部悪い!麗子も姉ちゃんも悪くない!みんな全てワシが悪いんよ!』
と私と姉ちゃんの間に入って来ました。
 この時の私は何かに憑かれたようになっていたので、
『おぉ!ほうよ!お前が全部悪いんじゃろうがっ!ウチが死ぬ時はお前の目の前で死んでやるわぁ!そしてお前は一生苦しめ!これからのお前に一瞬でも幸せなんか感じさせんけぇなぁ!』
そう言って、出刃包丁を手に取りました。
 死ぬのが本当に怖いと感じていなかったけど、父さんと姉ちゃんが押さえ込み私から包丁を取り上げると、急に全身の力が抜けその場に座り込みました。
『ハァハァ、姉ちゃんゴメンなぁ。興奮して姉ちゃんに当たってしもうて。せっかく気に掛けて来てくれたのに。私もホンマにどうしてええんか分からんのんよぉ。 …ホントにゴメン。』
 私が落ち着いたのを見届けると父さんに一言『秀さん麗子を頼むね。』と残し帰って行きました。
 その後、父さんと少し話したように思うのですが、あまり記憶になく疲れきって横になっていると何時しか眠りに就いていました。

    第十八章 専業主夫制度

 我が家始まって以来の大事件が起きたのは忘れもしない二〇一一年六月十九日の父の日だった。
 俺は辞めさせられた訳ではないが、会社を辞めざるを得なかった。
 キツイ分稼ぎのいい仕事だったが、俺が一人になると、『絶対また間違いを起こす。』と母ちゃんはトラックに乗り続けるなら離婚だと言う。それで、俺は離婚を望んでないと言うか別れたくないので会社に辞職願いを提出した。その時は勢いもあったけど、仕事の代わりはいくらでもあるが、家族の代わりは他にないと思ったからだったが、ここから厳しい日々が続くのであった。俺が可愛そうなんかじゃなく、麗子が鬼な訳でもない。一言で言うと絵に描いたような【自業自得】だ。
 生活をする為に収入がいるのは子供でも分かる事だが、家に帰れないトラックを辞めて毎日帰れる地場の仕事を探すと言うと、
『福山で工場勤務でもどっかの会社に勤めて毎日家に帰って来る言うても、浮気する人は何の仕事をしても何処におっても一人になったらするんよ!父さんなんかすぐじゃわ!』
と言うので、
『もう絶対に変な事はせんけぇ。』
『絶対ってどうして言い切れるんよ?絶対なんかないんよ!そう言うんなら私の目の前に絶対的なモンを持って来いって言いよるじゃろ!父さんは隙があったら絶対またするよ!』
《お前だって絶対を付けとるやないかい!》
と俺は心で思ったが、敢えてスルーした。
 情緒不安定の母ちゃんには俺の不始末もあるが、他にも理由があった。
 俺と知り合う前の話だが、育児に追われながら昼夜と我武者羅になって働きあまり子供達に構ってやれなかった時期があった。そして、嵐士が小学校に上がり颯太も手が掛からなくなった時に、
《私は、この子達に母親らしい事をしてやったか?仕事仕事ばかりで構ってあげてないのにこの子等は成長した。そして、いつの間にか私から巣立っていくのか?》
と考えるようになり、心に大きな穴が開いたような強烈な孤独感に襲われる様になり、鬱の症状が出て何ヶ月か入院していた事があったのだ。
 その症状というのは俺の目の前では見せる事が無かったのだが、死火山が噴火をするような事だった。
 俺は思うのだが、男も女も案外勝手な生き物であるが、それぞれの勝手の種類が違う。
 一概には言えないが、男の勝手は子供のような身勝手で女の勝手は矛盾しているのではないかと思うのである。
 よくある話だが、女というのは洋服の買い物に付き合わせ候補を二つ手に取り『どっちがいい?』と聞いてくるが、
その時点で自分の中で1位・2位を少なからずも決めているものだ。聞かれる側の好みで答えた時に自分の1位と一致しなかったら少々不機嫌気味になったりする。
 俺と母ちゃんが喧嘩になり、互いに結果が出ない時に俺は、
『どっちも間違ってない思ぉて言い合いのまま、結論が出んのんじゃけぇ、姉ちゃんでも兄ちゃんでも誰でもええわぁ。母ちゃんの味方をしてくれる思う人間に聞いてみいや!ワシが間違っとる言われたら謝るわっ。』
 母ちゃんは、呉にいる俺の姉・由香里に相談して少しでも自分を否定されるような事を言われると、
『相談するんじゃなかった!』
 自分の姉・信子にそうだんしても、
『結局は他人事よぉ!誰も分かってくれん!』
 今回の事も俺が、
『絶対的な証明出来るもんを持って来い言われても、そんな形としてワシは母ちゃんによう表されん。信じてもらえんでも今からのワシを見よってくれとしか言えん。携帯も持つな言うなら携帯もいらんし、ずっと家におれ言うなら家におる。この仕事ならええって言う仕事をするし、小遣いもいらん。家の事は何でもする。一人で遊びにも行かん。ずっと傍におるしか言えんわい。ワシは賢ぉないけぇ、どうして欲しいんか教えてくれ。』
『言うのは誰でも言えるんよ!悪いけど100%信用ないんじゃけぇなぁ!どうして欲しいか?じゃけ言うたじゃろ、死んだお母さんを連れてきてくれって!自分で考えて分からんのんなら【囲み家】の大将にでも聞いてみんさいや!あの人は賢いけぇ同じ状況になったら、すぐに何か用意するじゃろうよ!』
 俺は頭から煙が出そうなくらい考えたが母ちゃんの納得できる答えを出せずに情けないが大将に電話してみた。そうすると事情を説明した後、案の定ではあるが、
『うん、難しいですねぇ。でも、仕事をせんと困るでしょ。男ばかりの職場に勤めるっていうのは?』
『そうしても、誰かと連絡を取り合って何とか悪さをするって言うんよ。』
『じゃあ、携帯を持ち歩かないってのは?』
『携帯がなくても出会おうと思えばどうにでもなるし、今度は私の寝とる間にパソコンで出会いを求めるんじゃないんかって言うんよなぁ。』
『う~ん、無いですよぉ母ちゃんを納得させるもんなんて。謝り続けるか、別れるしかないでしょうけど、別れるのだけは何とか避けて欲しいです。また仲のいい二人に会いたいですもん。』
『まぁ、最悪の状況じゃけど、今はお互いに離婚の事は考えてないけぇ。貴重な時間をしょうもない事で潰してごめんなぁ。もう少し頑張ってみるわぁ。』
『いえいえ、役に立てんですんません。』
 そうして電話を切った。
 俺は母ちゃんに尽くして飯も喰わずに水だけ飲んで極限までやって倒れてみるかとか考えたりもしたが、それは俺の両親に対して恨むというか感謝するというか、俺は無神経なくらい非常に頑丈な身体の造りをしているので、どうも倒れそうにないようだ。             
 母ちゃんが『何て言われた?』って聞いて来たので、大将との電話の内容を話すと、少し期待外れのような表情を浮かべ、
『それで?味方が出来たぐらいに思ぉとるじゃろ!所詮は他人じゃけぇなぁ。大将はいい人じゃけど、それぐらいしか言えんわなぁ!』
《お~い。大将なら答えれるけぇ聞いてみろと、アンタが言うたんやでぇ~。》
 俺は悟られないように心の中で小さく叫んでみせた。
 母ちゃんは六月以来話をしている時以外は抜け殻のようになっており、現実逃避しないと嫌な事ばかり考えておかしくなると携帯アプリを取り憑かれたようにしていた。それは尋常でないくらい、朝起きて夜寝るまでずっとで携帯の色も形も変わる勢いだった。
 仕事を辞めて家にいる俺は、朝六時に起きて潤華を起こし朝飯を用意して息子達を叩き起こし七時半から八時には家から出す。
 それから、洗濯物を持ってコインランドリーに行き、買い物を済ませて帰る。
 俺が家に帰る頃に母ちゃんは起きて来てキッチンで携帯をしている。あまり会話もなく昼過ぎくらいまで俺はパソコンでネットショップの入力などをしているが、母ちゃんは二時過ぎくらいから夕方まで昼寝をする。俺もたまに一緒に横になったりしたが、夕方にアラームをかけて晩飯の仕度や潤華の宿題を見ながら、風呂に湯を入れる。
 母ちゃんはそれぐらいに起きて来て携帯を始める。目の前には自分のと俺の・息子の色とりどりの携帯が四台並んでいる。
 夜、みんなが飯を食い終わるとシンクを片付け、潤華を風呂に入れる。
 風呂から上がると潤華の髪を乾かせて暫らくパソコンをしたり、潤華の遊びに付き合い
十時くらいに寝かしつける。
 そのまま朝まで一緒に寝入ってしまう事も多かったが、母ちゃんをキッチンに一人にしていると不機嫌になるので、俺も母ちゃんが眠たくなるまで付き合う。
 母ちゃんは雑音のないこの深夜が好きだと言って寝るのは三時とか四時とかである。その間とにかく携帯をしているので、一日の内に母ちゃんは十六~七時間起きている間、十五~六時間ずっと携帯と睨めっこなのだ。
『なぁなぁ、母ちゃん?母ちゃんっ!』
と颯太や拓哉が声を掛けるが、
『…。』
 そうすると傍にいた嵐士が笑いながら、
『だめでぇ。母ちゃんが携帯しよる時は反応ないけぇなぁ。』
 そう言っているが母ちゃんは、
『…。』
 十秒くらい経ってから、
『ん?何?』
 こんな毎日であったが、話し合いをする事もあった。
 こんな時に限ってテレビを点けると、不倫をテーマにしたドラマや芸能人の浮気を取り上げた番組をよくしているもので、ウチの事件の発端を思い出して不機嫌になる。
 会話の最中でも、何かのキーワードが引っかかる事があり、例えば出会い系サイトという単語でも、
『私に嫌な事を思い出さすなや!』
と言うが、関係のない話しをしていても回り回って結び付けられる。
 【しゃもじ】とか生活の中で普通に使う言葉でも、そうなるのではないかと思うと会話は出来ない。
 俺が言葉を選びながら黙ってしまうと、
『黙っとったら何を考えとるんか分からんけぇ、何か喋ってや!』
 と言うし、機嫌がいい時に、
『私も完璧じゃあないけぇ、間違っとると思ったら遠慮せんと正直に言うてよ。今の私は普通じゃないけぇ。』 
と言うので、話している中で反論とか否定ではない俺なりの考えを述べると、
『ああ言やぁ、こう言う!どうせ私が悪いんじゃろ!そうやって私のせいばっかりする!』
《俺は黙ればいいの?喋ればいいの?違うと思っていてもお前は間違ってないと言えばいいの?言ったらいけないの?》と困った。
 しかし、母ちゃんも少しづつだけど話が出来るようになって笑顔の回数も増えてきた。
 だが…我が家には安息の時がなかなか訪れず、波打ち際の波のように次から次に、時には一つの事件が解決してないのに重なってやって来る。
 だいたい問題を持ち込むのが宏次で、巻き込まれるのが潤華、母ちゃんに言わせるとそのどちらもあるのが俺らしい。
 我が家には【原田家のルール】という特別でもない規則がある。
 それは、台所の洗い物・風呂、洗濯の決まり事・外泊について・飯時の決まり・掃除などなど三十項目近い規則である。
 三十も厳しいと思うだろうが、もともとは少なかったし、内容もほとんどが人として基本的な事ばかりである。
 例えば、出した物を投げっ放しにしないとか、ゴミはゴミ箱へとか、用意された飯はちゃんと喰えなど当り前の事だけど、それを守れないので段々と厳しくなっていった。
 その守らない者というのは、宏次がダントツで言っても言っても直らないでいた。
 学生とは違って、キツイ仕事をしているのも考慮して他の三人よりも割かし甘くしているにも関わらずだ。当然、与えている部屋はゴミ溜めになっているのだ。
 宏次としても会社でミスをして怒られて面白くない、帰ってからも怒られる。テレビを深夜遅くまで見たりパソコンをいじったり、友達や彼女と遊んで朝帰り、朝ぱらから俺に怒られながら起こされ遅刻して上司や先輩に叱られ、寝不足も関係してつまらないミスで客からも怒られ疲れて帰ってきては、繰り返し変わらない生活を送っていた。つまり悪循環・負の連鎖なのだ。
 嵐士も就職が決まったので宏次にも、
『お前のぉ、いつまでもアルバイトじゃあ男としてつまらん。今のミスの多いトコで正社員になるか他の自分を活かせる職場で正社員になるか、四月までに決めんと前から言いよるけど家から出すど!わかっとんか?時間も金にもルーズで家でも自堕落じゃけ、それが仕事にも表われとろうが!』
と言っていたのだった。
 宏次にストレスが溜まっていってるのは見ていて分かるが、それは他の兄弟も同じ条件だが要領よくやっているだけで、一人だけ甘やかして目を瞑る訳にはいかなかった。
 疲れて帰ってくるので、俺も母ちゃんも気遣って優しい口調で言って聞かすようにするのだが、不貞腐れて聞く耳を持たない姿勢を貫くので次第に俺もアドレナリンが上昇してくる。
 そうすると、宏次は返事もしないで俺を睨みつけて来たので、俺の闘争本能に火がついてしまった。
 宏次の胸倉を掴み玄関まで引っ張って行って、
『もうええわいっ!おどりゃあ、出て行け!』
と蹴つり出したが、母ちゃんがすぐに追いかけて連れ戻しに行ったこともある。 
 こんな事もあった。母ちゃんが乳癌検診に行き、結果は何もなかったのだが宏次が帰って来た時に、
『なぁ、コウ。母ちゃん、癌じゃった。』
と検診の紙を見せながら冗談で言った。
『あぁ、そうなん。ふーん。』
と冷たい感じで言ったのだが、母ちゃんはそれが気に入らなかったらしい。
『冗談で言うた私も悪いけど、あんな冷たい言い方をされる思わんかった!私は必要無いって事じゃろ?もういい!私、出て行くっ!』
と言いながら玄関でサンダルを履き始めたので、俺は慌てて止めて家の中に引きずり込んだ。冷静に俺から見ると、どちらも悪いのだが、母ちゃんが今度は、
『出させてくれんのんなら、今ここで死んでやる!私を裏切るお前等の目の前でしんでやるわい!』
と言いながら、いつも服用している抗うつ剤を手に取った。これは、大量に摂取すると命に関わるほど強力な薬らしい。
『もう、やめろっ!』
と俺は母ちゃんから薬を取り上げたが、頭に血が上って興奮している母ちゃんは手がつけられない状態だった。
 俺も冷静でいられなくなって、
『お前が死ぬ言うんなら、お前に薬は渡せられん!この薬が無かったらええんじゃろうがいや!ワシが全部飲んでやるわっ!』
と言いながら十四~五錠ほど一気に口の中に放り込み、お腹の中へと流し込んだ。
『父さん、やめてっ!』
と母ちゃんは必死に止めたが、俺は構わずにまだ薬を出そうとして、母ちゃんは俺の顔面を泣きながら殴って止めようとしている。
『父さん、ホンマにこの薬は危ないんじゃけぇ!父さんが死んだら残った皆はどうすんよぉ!母ちゃんの事は見捨てんって言うたのは嘘じゃったん?コウ!父さんを止めてっ!』
 しかし、宏次は黙って動かない。
『誰が見捨てる言うたっ!こんな薬なんかでワシが死ぬか!例え刺されても拳銃で撃たれてもワシは絶対に死なんっ!お前等残して何処にも行かんわい!』
と言った。
『コウ!お前は目の前で父さんも母さんも生きるじゃ死ぬじゃ言いよるのに、そうやって冷静でよういられるのぉ!お前はそれでも人間か!赤い血が通っとるんかぁ!』
と母ちゃんは俺を止めながら宏次に詰め寄った。
 癌だというのはいつもの冗談だと思い、宏次も冗談で返したつもりが、こんなに話が大きくなるとは思っていなかった、その後目の前で起こった出来事にはどうしていいのか身体が反応しなかった。と、後から母ちゃんには謝っていた。
 今回は、宏次生まれて初めての重大決心とも思われる事件が発生したのだった。
ある夜、就職の事をどう考えているのか、いつものグダグダな生活態度を改善しようとしないし、約束の四月も迫っていたので俺と母ちゃんと宏次の三人で遅くまで長い時間、話し合っていたが、宏次は理想論を語るものの現実的な決意表明をしないし、十時出勤というのもあって埒が開かないとこの日は休ませる事にした。
 壁に掛かった時計の針が四時を示そうとしているのを見て不機嫌そうに二階へ上がる宏次の後ろ姿を見届けてから、俺と母ちゃんも布団に入ったのであった。
 俺はいつものように六時半に目を覚まし、学生軍団を送り出し午前中の用事を済ませると、コーヒーを入れてキッチンの椅子に腰を下し煙草に火を点けると一息ついた。
 それと同じ頃に母ちゃんが起きてきて、俺の用意していたコーヒーに湯を注ぎ一緒にマッタリしていると、
【ピンポ~ン】
と呼び鈴が鳴り、こんな朝から誰だ?と二人は顔を見合わせた。
 俺が玄関の扉を開けると、宏次の会社の制服を着た若い子が立っていた。見覚えのある子で何度か話した事のある、感じのいい子で宏次の先輩になるのだが、
『あっ、おはようございます。宏次君は?電話しても出ないんで迎えに行って来いって所長に言われたんス。』
と笑顔で言う。
『は?今日は十時出勤って聞いたけど。九時じゃったん?』
と俺が訊ねるとその子は
『あぁ、はい。九時なんスよぉ。今日はイベントやってるんで人が足らなくてぇ。宏次君にも言ってたんスけどぉ。』
と申し訳なさそうに言うので、俺は二階に駆け上がり気持ちよさそうに寝ている宏次の布団を剥ぎ取ると、
『おいっ!いつまで寝とるんなっ!今日は九時からじゃ言うて会社の子が迎えに来とるでっ!はよ、起きて仕度せえっ!』
と怒鳴った。
 宏次はゆっくりゆっくり一階に下りてくると、玄関に向かい先輩に挨拶をすると、
『すんません。すぐに用意しますから、先に行ってて下さい。すんませんでした。』
と言って用意をし始めたが、どう見ても焦った感じではない。
 朝から説教するのもしんどいし、される方はもっと嫌だろうから、どんな出来事があっても朝はどの子に対してもなるべく気持ちよく送り出そうと、俺と母ちゃんは決めていたので、腹は立ったが何も言わずに出掛けて行くのを見送った。
 それから一時間ほどしてから、また
【ピンポ~ン】と鳴ったので、俺は母ちゃんに小さな声で、
『エライ今日は、客が来るのぉ。』
と言いながら玄関に向かった。
『はい。』と言いながら扉を開けると、さっきの子が立っていて、一瞬(デジャヴだ!)と思った。
『あん?どうしたぁ?コウならあの後出たでぇ。』
と俺が言うと、
『あっ、出ました?まだ会社に来てないんスよぉ。電話も繋がらないしぃ。 …分かりました、僕は戻ります。』
と、嫌な顔一つ見せずに立ち去ろうとしたので、
『朝の忙しい時間帯に何回もごめんなぁ。ワシ等も心当たりのあるモンに聞いてみたりするけぇ、連絡が取れたら電話を入れさすし行かすけぇ。こっちからも電話するけど、所長さんによろしく言うとってなぁ。ホンマごめんのぉ。』
 母ちゃんも玄関まで出て来て頭を下げた。
『いや、いいっスよ。』
と笑顔で帰って行った。
 俺はすぐに携帯を取り宏次に電話をしてみたが、呼び出し音が鳴り続けるだけで母ちゃんは、慌てて出て行って事故にでも遭ったんじゃないかと不安に思っていた。
しかし母ちゃんは次の瞬間、何か思いついたように二階へとダッシュした。女の勘、いや母親の勘は鋭いと思った。
『父さんっ!まさかと思ってタンス見たら、コウの下着とか靴下が無い!あの子出て行っとるわっ!どうしよ?』
と階段を下りるなり焦ったように俺の所へ言って来た。
 俺も宏次が可愛く無い訳ではないが、家の規則を守れないなら出て行けと言ったのは本気だったし、あの子を思っての事なので家を出るという覚悟に対して俺はさほど、うろたえる事がなかった。
 しかし俺が許せなかったのは、親にはまだいいけど会社や迎えにまで来てくれた先輩に連絡もなしに裏切っている事だった。
 心配した母ちゃんは信子や宏次が行きそうな友達・モトカノに連絡してみたが行方は掴めなかった。
 宏次は呉の由香里を慕っていたので、俺は電話してみたが呉にも連絡はなかったようだった。
 無闇矢鱈に探し回るより、金も着替えも持たず行く当ても無いだろうから、連絡がある事を待つ事にした。
 嵐士はこの時すでに入社を控え寮に入っていたので、拓哉と颯太と潤華の帰りを待ち夕飯の仕度をすると、俺と母ちゃんは潤華だけを連れて車を出した。
 宏次が小学生の時から一番仲が良く、何でも話せた親友の家を訪ねてみようと思った。
 近くまでは行けたが、家の場所が分からずにいたが、その親友の電話番号を母ちゃんが知っていたので電話したが、何も連絡はなかった、ウチにも来てない、居場所も分からないと言うので、
『ごめんねぇ、心配かけて。連絡がもしあったら、オバちゃんに電話ちょうだいね。じゃあ、お母さんにもよろしく言っといてね。』
 母ちゃんはそう言って電話を切り、俺たちは家にひとまず帰る事にした。
 家に着いて俺も母ちゃんも黙りこんで、あれこれ考えていると、呼び鈴が鳴り本日三回目になる宏次の先輩の姿があった。
『おぉ、今日は迷惑かけてごめんよぉ。連絡はまだないんじゃけど、 …どした?』
『いやぁ、僕も心当たりに当たってみたんスけど、宏次君と共通の知り合いに電話があったみたいで、なんか神戸にいるらしいっス。』
 それをわざわざ伝えに来てくれた事に、俺と母ちゃんは素直に感謝し、こんなにいい先輩を裏切っている宏次に対して、俺は改めて怒りが込み上げて来た。
 宏次にはもう一人の切っても切れない親友がいて、その子は進学で神戸に行っているのを聞いた事があった。
 その子の電話番号を嵐士から聞いて掛けてみると、未登録の番号からの着信に
『もしもし。』
 恐る恐るといった感じの声が聞こえた。
『あぁ、もしもし、洋介?宏次の親父じゃけど、そこにコウは行ってないかぁ?』
 俺はやんわりとした口調で問い掛けると、
『…あぁ…はぃ…いま…す。』
と言いにくそうに言うので代わってもらい、
『お前、そこで何しよるんなぁ!帰ってこんつもりか!もう家を出て行くんか!それならそれでも構わんが、回りのみんなにどんだけ迷惑を掛けて逃げ回りよるんな!お前の先輩は三回も家に来てくれたし、前の彼女も心配してくれとるんど!何よりも母ちゃんがどんな心境じゃったかわかるんか?あんな小さい潤華も、もうコウ君帰ってこんの?コウ君の笑顔がまた見たい。いうて言いよったんで!お前の筋違いにも程があるじゃろうがっ!』
と俺は宏次の声を聞くと興奮して怒鳴ってしまった。
『ごめん。このまま出ていくつもりはなかった。明日、面接の約束があるけぇ帰るのは帰る。』
 それを聞いて俺も、今電話で怒鳴ってもどうしようもないと冷静さを取り戻し、
『明日帰って来るんか?まぁ、お前を一つ褒めるとしたら福山におらんで、神戸なんかに行っとった事じゃのぉ。もし、ワシの手の届く所におったら引きずり回してシバイとる。帰ったら、会社にも先輩にも迷惑かけた人等にちゃんと謝れよ。お前もワシも頭を冷やすには丁度ええ距離じゃったかもしれん。気ぃ付けて帰って来いや。』
 そう言い渡して電話を切ると、気が気でない母ちゃんは、
『はぁ~、無事なんなら良かったぁ~。あの子にもしもの事があったらって思ったら足が震えよった。今日、居場所が分からんままじゃったら、私眠れんかったぁ。父さん、コウが明日帰って来てもあんまり怒らんでやってよ。でも、あの子神戸までよう原付で行ったもんじゃ。何時間くらいかかったんじゃろ?』
『ワシがトラックで高速じゃったら三時間くらい、下道じゃったら夜中で四時間ちょっとじゃろうけ、二号線を原付じゃったら七~八時間は掛かっとるんじゃないかぁ?』
と俺が計算して言うと母ちゃんは、
『ハァ~。』
と大きく溜め息をついた。

    最終章 祈願家族復活

 時は2012年、5月に入り外を歩く人達も半袖になるほど暖かくなって来ていた。
 宏次はプチ家出から無事に帰って来たけれど、スピード違反でキップを切られるというバチがしっかりと当たっていた。現在は自動車関係の会社に就職して、家から通っているが相変わらずの自堕落は直っておらず、毎日毎日秀太郎と麗子を悩ませていた。
 嵐士はキレ易かった性格も社会に出て少しづつ丸くなってきて、高卒の初任給なんか安いにも関わらず初給料はみんなに御馳走するからゴールデンウィークには時間を空けておいてくれと家族を喜ばした。秀太郎も麗子も立派になった嵐士の言葉に感動し、気持ちだけでいいと言ったが、嵐士本人が気が済まないようなので、甘える事にしたがこの時点で二人はもう胸がいっぱいだった。
 拓哉と颯太は同じ高校の二年に進級していたが、颯太はともかく拓哉は一年の時に、遅刻・欠席・早退・未提出物・成績不良と進級は九〇パーセント無理だったが、熱血ドラマのような担任のお陰で何とか進級できたにも関わらず、本人はイマイチ危機感を感じてないみたいで、
『余裕、余裕!』
とほざいている。
 颯太は昔からだが、外に出ると大人しいけど家の中、家族でいる時は一番のひょうきん者で、ある意味癒し系なのである。秀太郎と麗子が気まずい感じでもその場を和ませ、笑いを与えてくれる存在なのだ。半年暗い前から俺もアルバイトを始めると言いながら、本屋が開けるほど何冊も無料求人誌を持って帰っては行動になかなか移らなかったけど、ようやく飲食店に採用が決まった。
『やっと、決まったかぁ。』
と、秀太郎と麗子は喜びながらも何故か寂しくも思った。
 原田家のチビ姫・潤華も小学二年生になった。絆という物は血の繋がりが全てではないが、秀太郎も麗子も当り前のように暮らしていた家族であるが、考えてみるとみんなと血が繋がっているのは、潤華だけである。
 従って秀太郎・麗子・宏次・嵐士・拓哉・颯太それぞれの、長所短所を兼ね備えているのである。
 宏次の面倒臭がりで自堕落だが、怒られても打たれ強く機嫌を取るのが上手いトコ。
 嵐士の気が強くてキレ易い性格だが、家族想いで特に母親想いなトコ。
 拓哉の頑固でありながらノンビリしていて寝太郎であるが、自分より弱い立場の者に対して優しいトコ。
 颯太の内弁慶で外に出ると自分を出せずに本来の姿を分かってもらえないが、家族でいる時にはそれが100%出せれて、弾ける事が出来るトコ。
 結果としては、この姫が一番の問題児の可能性が非常に強いのである。
 波乱万丈・激動の約一年で麗子と秀太郎はこう話す。
『父さん。ウチ等、この一年で十歳くらい老けたと思わん?』
『確かにのぉ。でも、今から若返っていきゃあええんやないかぁ?』と。
 精神的にも病んでいた麗子は日々の暮らしの中で、一番に救われているのは子供達五人が小さな争いはあるものの、基本的に皆仲が良くこの五つの笑顔が暗闇の中に閉じ込められた麗子に希望の光を与えた。
 日に日に秀太郎との喧嘩も少なくなり、笑い話などの団欒も楽しめるようになりつつあった。
 秀太郎はというと、未だ無職で専業主夫をしている。今、この家族が生活できているのは、麗子が必死になって貯えてくれていたのと麗子の父・由紀雄や姉・信子の支えが大きく影響していた。
 しかし、秀太郎もまた苦しんでいた。天秤に掛けられない物を天秤に掛けなくてはいけないが、その最善の答えを見出せないまま時が過ぎ、家族崩壊の危機が迫っている恐怖と戦っていた。
 働かなくては収入がない。働く意欲も体力もあるが、働きに出ようとすると麗子が不安になり鬱状態になる。ある程度調子を取り戻して来ているようにも見えるが、まだ家に一人で居させられる状態ではないからだ。
 他人様はこんな状況で悩んでいる麗子に、
『別れた方がええんじゃないか?』
と言うが、麗子には別れようかという気持ちが生まれては消えの繰り返しで、どちらかと言うと別れたくないのだ。
 理由は一番はまだ愛している事だが、子供達の父親は秀太郎しかいない、子供達から見る父親像としては最高だと認めているからだった。
 本当に、今この家族があるのは麗子のお陰で、麗子自身が言う。
『相手が私じゃなかったら、父さんとっくに捨てられとるけぇなぁ。コウもタクも絶対に今よりまともな暮らしはしてないと思う。嵐士も颯太も勿論可愛いけど、私は宏次と拓哉の母親になれて良かったと思うし、私じゃないとあの子等は駄目じゃったって自身があるもん。』と。
 同じく秀太郎も麗子は素晴らしい女性だと認めている。結構気性が荒い所や矛盾した事を言うが秀太郎のような人間には麗子ぐらいの女が適していたし、厳しいだけでなく優しいトコも可愛い一面もあるからだ。
 秀太郎にも自身はあった。それはやはり麗子の性格を受け止められるのは、大きな器を持ってはいないが自分の柔軟さで和らげられているというのと、個性豊かな子供達の父親で居続けられるのも世界中探しても自分しかいないという自信だ。
 世の中には様々な形の家族というのが存在すると思うが、この原田家も特殊な形で形成されていた。ドラマが生まれて当然だが、私は思う。
 人としてどの時代に生まれても人生とはドラマである。
 短編で終ってしまう人も長編の人もオムニバスのような人生を歩む人だって、それぞれがドラマなのである。
 人生という舞台に立ち、誰もが主人公であり関わる人達は観客であったり、指導してくれたり見守ってくれている存在は監督であったり、大きな影響を与えて人生の岐路に立たされた時に導いてくれる人物は脚本家・演出家と考えられる。
 しかし、テレビドラマや映画では役者が役を与えられてそれに成りきって演じる事により、人々を笑わせたり、感動させて涙を誘ったりしてストーリーを構成させているが、自分が主人公になったドラマでは少し違う。
 舞台をどう動き回るか走り回るのか、間違った台詞を使わないか共演者をミスキャストしないかなど、あらゆる要因が関係するが喜劇になるか悲劇になるか、ハッピーエンドで終るかそうでないかは主に主人公が決めることである。
 原田家のクランクインしたドラマも、いつとは言えない毎日がクライマックスであって、秀太郎も麗子も主人公。
 子供達もそれぞれが主人公になってドラマを活躍しようとしている。
 秀太郎と麗子は、出会って良かったと語り合う事がよくある。出会っていなければ当然お互いの人生は大きく変わっていただろう。
 それが良かったのか悪かったのか、どんな人生になっていたかは誰も知る事はない。
 ハッキリ言える事は、この世に潤華という名を持つ天使は存在しなかった事だけだ。
 この先どういった形で幕を閉じようとも、秀太郎と麗子は別れなくて良かったという人生を共に手を取り歩んで行く事を深く誓い合った。
家族劇場はまだまだ続く。 

              終わり

落ち零れダディーとヤンキーマミーの舞台裏

高校を卒業後、幾多の転職をするが結婚、離婚、再婚をする。事情と流れで居酒屋勤務の後、自営で店を構えるが、失敗に終る。家族を養う為に過去に経験のあった長距離運転手をするが、自らの浮気と妻の体調不良が原因で離職。只今、無職・専業主夫・執筆中である。

落ち零れダディーとヤンキーマミーの舞台裏

裕福ではないけれど笑いと涙に満ち溢れ、貧乏を脱出しようと足掻きながら秀太郎と麗子は貧乏ならでわの楽しみ方を味わっている。 家族を舞台にした実話ををもとに描かれた喜劇でもあり悲劇でもあり、それは捉える見方次第で変わる物語です。

  • 小説
  • 長編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-17

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著作権法内での利用のみを許可します。

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