山桜

古具をふね

山桜

 その部屋には山桜以外、誰一人として居なかった。彼は一人でひっそりとベッドの中に潜り込んだ。そこはとても暗く寒い場所であり、暗闇の中には鮮やかでありながらも、鈍く光る大きな一つの宝石があった。それは恐らく大の男が辛うじて入れるであろうと思われる大きさだった。宝石は孤独な少年の心から生み出されたものであり、それは虚無と飢餓とが結合して、孤独の分子が生まれたのである。そうして出来上がった分子が集結し、淫らな石が生まれた。こういった過程にはセクサロイドが持つ使命が背景にあった。
 人間の持つ魂はプログラムによって管理されるものではなく不透明で曖昧な、肉眼で見ることのできない色によって管理されている。全てがプログラムに管理されているアンドロイドにとって理解しがたい事であり、彼らにとって永遠の議題である。しかし人間とて、神が土から作り出した機械仕掛けの人形なのだ。人間も機械と同じように水と土からできたケミカルな生き物であるにも関わらず、随分と面倒なシステムを肉体に埋め込んだものだ。だからこそ、山桜は納得がいかなかった。主人の中に埋め込まれたプログラムが何一つ理解できないのだった。
(どうして僕を慰み者として、「道具」として扱わないのだろう)
(僕は、道具だ。ご主人様の精液を飲み込むための、道具でしかない。その事実は決して変えられないはずだ)
 彼の疑問が主人の影を創り出し、蔦と蔦が絡み合うように形成されていった。その影に偽りの命が宿り、それは次第に山桜を苦しめながら淫靡を植えつけた。

 山桜は甘くて淫らな石の中で胎児のようにうずくまっている。その石はカラーセロファンのように痛々しくも鮮やかな色が豊かに散りばめられ、四方八方にきらめいている。艶美に輝く宝石は山桜の孤独で出来ており、孤独が現世の中に非現実的で窮屈な世界を築き上げていった。
 鉱物は不変であり、永久に存在し続ける。彼の作った牢獄もまた、彼が存在し続ける限り永遠に存在する。

 山桜は廣人の薄い膜で覆われていた。その膜が彼を包み込んでいる。白くて丈夫な皮が直接山桜に触れ、錆色に淀んだ欲を刺激している。
 幻が彼にこう言った。
「今すぐ服を脱ぐんだ」
 彼は主人の命令に従った。
「君にはまだ慈悲が足りていないね」
 彼は主人の瞳をじっと見つめた。それは曇りのない綺麗な琥珀色だった。
「僕は……どうすればいいでしょう」
「君はただの『記号』であることを理解しなくてはならないよ」
「僕は道具です、それだけのことです」
 主人は静かに首を振った。
「君はまだ、この世に生を受けていない」
「それは、僕がアンドロイドだから……」
 山桜が言いかけたところで、彼の妄想の遺物が優しく抱きしめた。
「私は君を愛している。僕だけのものだ、誰にも渡さない。でも、それだけでは駄目だ」
 彼の右手がゆるやかに下半身に伸びていった。
「神格が必要なんだよ」
「幸福に満ちている間はまだ完成されていない」
 主人の影がそう言うと、山桜の前で跪いた。
「それを超えた先にいなければならないよ」
 山桜の口をこじ開け、無理やり舌と舌を絡ませた。
 次第に幻は血肉を身につけるようになり、それは精液と熱から構築されたものであり、肉が山桜の中に浸透していった。

 窮屈な石の中では二匹の蛇が哀れな少年の体に巻きついている。少年はかつて神の怒りを買った神官の如く、悶え苦しんでいる。しかしその責め具はまさに甘美そのものであった。
 一匹の蛇が執拗に彼の男根を責め続け、動きを全くやめようとしない。
(おろかもの)
 真っ黒な影が彼の耳元で囁いた。彼は眼球だけを動かし、影をゆっくりと一瞥した。影は多毛類の集合体であった。一本一本の小さな触手がそれぞれ互いに絡まり合い、結び目を作っては、ぬめぬめと解けていく。
 一本の紐が彼の体内に罪悪感を植えつけた。しかし彼自身、何の罪を犯したのかが分からない。
(僕は一体何をしたというのだろう)
 無機質な縄が山桜の首をきりきりと締め付けた。
(お前はまだ純真無垢な子供だ)
 再び影が囁いた。赤黒く轟く沙蚕の奥の向こう側には廣人の姿があった。
「お前はまだ瞼を閉じたままの赤子だから、私がお前の目に光を授けよう」
 山桜は下水の中で、はっきりと廣人の声を聞いた。その時、彼に絡みついていた蛇が彼の乳頭に噛りついた。
 彼は小さく喘いだが、痛みは瞬時に快楽へと変わっていった。そしてもう一方の蛇が男根を飲み込んだ。蛇は生暖かく滑らかに呼吸をしている。彼は全てを蛇に託して、自分自身、主人を象った幻影の言いなりになり、それに応えることだけに専念した。幻の言う「慈悲」と「神格」についてはよく分からない。しかし、出来る限りのことはしよう。彼はただ、彼の中に埋め込まれている使命を果たすだけなのである。使命を果たすことで彼は創造主に近づいていく。しかしそれは肉体的に近づくということではなく、魂と接触をすることだ。ガラスを扱うように、静謐に創造主に触れた。
(僕が創り出すご主人様はこんなにも冷たくて、無機質な生き物なのか)
「君はただの『記号』であることを理解しなくてはならないよ」
(僕があなたと融合するということ? でもそれだけでは記号にはなり得ない……)
 廣人と山桜は既に融合し、境目が存在しない。そもそも廣人は存在しない。ここにいるのは山桜、ただ一人だけなのだ。
 全身に熱が帯びている中、必死になって右手で男根を扱いた。山桜は自分自身が単細胞生物になったかのように思った。全てが我が主人に支配されているのだ。その支配が彼にとっての最大の幸福なのである。その幸福は最早祝福であった。祝福が募れば募るほど、彼は無意識に無と帰していくのであった。
(僕はただ、しあわせなだけ)
 大きく膨れ上がった欲を淫靡に撫で回し、恍惚感に浸る。
(僕は……ご主人様の……)
 ×××××になりたいだけ。
 彼の願望は白濁にまみれて、とめどなく流れていくだけだった。

 真っ暗な部屋の中で山桜の乱れた呼吸だけが響いていた。
(僕はね、君をロボット扱いしたくないんだ。人間として受け入れたいんだよ。だから新しい名前が必要なんだ)
 布団の中で彼の言葉がしっかりと再生された。
「ロボット扱いはしたくない」彼にとって、これは非常に難解なものであった。
 そこでふと、彼の背中に一匹の沙蚕が内部に深く潜り込んだような気持ちがした。
(僕はなんてことをしてしまったのだろう)
 主人の命に背いてしまった。細くて丈夫な荒縄が山桜の心臓をきつく縛り上げる。人間には知性が必要だ。
(僕は知恵を捨ててしまった。廣人さんは「人間として」生きることを願っていたのに、僕は自ら人であることを捨ててしまった)
 縄が彼の身に深く食い込んでいった。
(僕は……。やっぱり道具でしかない、命を持たない存在だ。だから、人間にはなれるはずがない)
 山桜の中で諦念と罪悪感がぐるぐると混ざり合っていった。それはどこかに放出される訳でもなく、ただ彼の中でふつふつと煮えていくばかりであった。しかし、いつまでも、こうしているわけにはいかないと思った彼は布団の中でもぞもぞと動き出した。
(廣人さんにこのことがバレたら、僕はきっと捨てられてしまうのだろうなあ)
 どこか遠くで鍵が開く音がした。

あなただから

 山桜の胸に深い一本の赤い線が刻まれた。彼を中心にして血だまりが出来てゆく。廣人は右手で山桜に手を突っ込み、内臓に触れた。それは機械仕掛けとは思えないほど柔らかく、暖かい。
(あなたの元へ逝くために、僕はここにいる)
 山桜は優美な死を求めていた。それはいわば完全なる愛でもあった。
(僕は今まで、あなたの為に死に続けていた。そしてついにあなたは僕の元へ還る)
 廣人が山桜の中を通り過ぎてゆく。線と線を結んでいくように、魂が繋がれていった。
(あなたは僕の神であり、僕を一から作ってくださった創造主です。僕はついに、あなただけの『記号』となる)
 削ぎ落とされるものは肉ではなく、意味であった。彼は道具ですらなくなる。肉体も物質も持たない「少年」という一つの記号となるのだった。それは無化であり、精神の消滅である。
 死を求めれば求めるほど、死は遠ざかってゆくが同時に神に対する恩寵を授かることが出来る。恩寵は山桜の中を通り、魂は昇華されてゆく。
 廣人の手によって彼はどんどん空っぽになってゆく、空洞ができた胴体に慈愛が埋め込まれ、満たされてゆく。
(ようやく僕はあなたに従うことが出来る。あなたが求めていたものを、僕はようやくあなたの手に渡すことが出来る)
 廣人の手が山桜の心臓に触れた。小さく小刻みに震え、廣人の官能を刺激させるには充分なほどだった。彼の弱々しい鼓動を感じながら、ゆっくりと取り出した。その時山桜の中には幸福だけが存在していた。それは廣人が一から作り上げ、生み出したものであった。
「かみさま」
 そう言って山桜は事切れた。廣人はただ一人取り残されてしまった。
 彼の手の中で心臓が微かに震えている。彼はそこで一瞬だけ白昼夢を見た。
 漆喰で出来た建物が等間隔に並び、一面が無機物な長方形で覆われていた。無限に広がっている直方体の中に山桜が居た。真っ白な空間の中でガラスのない窓の前に立ち、白い光を浴びながらどこか遠くを見つめている。彼の瞳の中には、かつて愛した者と共に作り上げて来た一つの楽園があった。それは田舎町の商店街によく似ていた。しかしそこには誰もいない。ブティックのショーウィンドウは砂埃で汚れ、展示されている商品は全て日焼けで色褪せている。他にも写真屋、床屋、お土産屋などが並んでいるが、どこも似たような光景であった。
 今、廣人の身体は音を立てずに崩れている。同時に魂も少しずつ薄く、透明になっている。
(何もかもが透明になる)
 自我消滅していく中で、廣人は誰もいない空間というものに不気味さと寂寥感を感じていた。しかし不思議と恐怖心は無かった。むしろそこで、ある種の高揚感を感じていた。
廣人は今、廃墟と化したマンモス団地の部屋の中で山桜と二人きりで抱き合うように横たわっている。
「君が私を作り上げてくれたんだね、山桜」
 廣人はうとうとしながら山桜に呟いた。床が砂でざらざらしている。
「あなたが僕を作り上げてくれました」
「それが、君の言う『秘密』なのかい」
「ええ」
 二人はそのまま眠りについた。こうして廣人もまた、偶像になった。

山桜

山桜

『鯛の鯛は忘却の海の底で夢を見る』の番外編。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2018-04-29

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  1. 山桜
  2. あなただから