無言と笑顔

勢いで書いてしまったので読みづらいところなど多々あるかと思いますが、ご感想などツイッターの方にいただけたら、なんて思ってます。

とある高山に小さな、村とも言えぬ集落があった。四方を山に囲まれたひっそりとした集落である。そこにある建物と言えば七つの小屋ぐらいのものである。七つの小屋には家庭があり、そこには子どもが一人ずつ住んでいる。子どもたちには住民票に記載されるような名前が付けられていない。彼らはそれぞれ『石並べ』『網隠し』『くちばし売り』『三角形見習い』『山揺らし』『音守り』『不幸呼び』と呼ばれる。それはあくまで肩書きのようなもので、彼らがこの村で与えられた役割を表す呼称であった。
彼らは基本的に家族で暮らしているが、不幸呼びの少年だけは一人で暮らしている。それでも集落ではお互いに物資を助け合って生活しているので不幸呼びの少年が特別不便な思いをすることはなく、皆、遊牧民のような暮らしをしていた。
今日も子どもたちは、だだっ広い草原に集まって無邪気な遊びを始めようというところである。
「今日は徒競走をしようよ」
くちばし売りの少年が言った。くちばし売りは好奇心旺盛でこの集落での遊びのほとんどが彼の発案によるものであった。
「徒競走か。今回で二百二十七回目の開催になるな」
手帳の記録を見ながら石並べの少年が言った。しっかり者の彼が七人の子どもたちの統率を取っている。
「僕、今日は朝から膝の調子が良くないから転びそうだなあ。転んだら痛いんだろうなあ。傷になって、そこからばい菌でも入ったら大変なことになるよなあ。嫌だなあ」
弱音を吐くのは三角形見習いの少年である。彼は何事に対しても過度に慎重な面がある。
「三角形見習い、そう心配するな。おまえが今までの徒競走で転んだのはたったの三回だ。そしていずれも傷は化膿せず、一週間以内には完治したと報告書に書いていある」
そう石並べが言った。彼には何かにつけて記録をつけたり書類を提出させる几帳面さがあるのである。
「でも、次はどうなるか分からないじゃないか。悲劇は幸福が当たり前だと思っている時に限って起こるんだ」
「三角形見習い、何を訳の分からないことを言っているのだ。それは余りにも非論理的だ。もっと事実に基づいて考えるべきだ」
一人暮らしの少年、不幸呼びはくちばし売り、石並べ、三角形見習いの三人から少し離れた位置で彼らに背を向けてしゃがみ込み、彼らの話し合いに加わる気はないようである。
「まあまあ、二人とも。議論ばかりじゃなくて実際にやってみたら早いじゃないか。そうだろ?」
くちばし売りはそう言ってなだめるが、実のところ早く徒競走がしたいだけなのである。
このようにこの集落には様々な性格の子どもがいるのだが、自分の信条を曲げないという強情とも言える一面については皆一致しているところがあるのだ。
「ようよう、おはようさん。今日は何して遊ぶんだい? 競馬? それともポーカーかい?」
ここで遅れてやってきたのは、網隠しである。そしてすぐ後ろに音守りの少年がくっついて来ている。網隠しは体が小さいが、口が達者であり、七人の子どもたちのたちの中では最も狡猾でいたずら好きのいわば、「悪がき」である。そんな彼の後ろにいつもついて回るずんぐりとして、網隠しの二倍はあろうかという巨体の少年は、音守りである。音守りは網隠しとは対照的で、嘘をついたり誤魔化したりすることができない。無口で網隠しの命令に従順な、いわゆる木偶の坊である。これは網隠しの一家が音守りの一家に対していつも大きな態度をとることのできる事情が関係しているのだが、子どもたちはその辺りのことはよく理解していない。親の振る舞いを子どもたちは見ていてその通りの関係性が体現されているに過ぎないのだ。
「網隠し、遅いぞ。今日は十二分三十一秒の遅刻だ。始末書を書いて提出するように」
「いつもいつも細かいやつだな。昨日の花札で俺に負けたからっていがむなよ」
「いがんでなどいない。それに昨日はイカサマをしたからおまえは勝つことができたんだ」
「言いがかりはよせよ、見苦しいぜ全く。それこそ、論理性に欠けるね」
網隠しは人を小馬鹿にした言い回しが得意なのである。その方面にあっては天賦の才を持っているとも言えるだろう。
「だけど」とくちばし売りが口を挟んだ。
「今日は徒競走だから網隠しもイカサマはできないよ。さあ、早く位置について、さあさあ」
「ふん、どうせ石並べは頭でっかちだから、運動なんててんでできやしないのさ。何の心配もないね。だよな? 音守り」
音守りは黙って頷く。これほどの巨体であるにも関わらず、空気に溶け込んだような存在感の薄さである。
「よし、やってやろうじゃないか。僕が頭でっかちではないことをこの徒競走という、人間の速力を計測する上で最も単純で明確な実践的手段によって証明してみせよう」
ところで、不幸呼びはやはり彼らの動きなど気にもせず、しゃがんだまま遠くの雲が流れていくのを眺めているようだ。
「待って」
一番最後に小屋から歩み出て来た山揺らしが言った。
山揺らしは七人の中では唯一の女子であるが、髪が短く目つきが不健康であるため、それほど可憐な印象を与えない。むしろ周囲に人を寄せ付けない攻撃的な印象を与えるのだ。
「山揺らしお前も遅刻か。後で始末書を書いて提出するように」
「お断りね」
山揺らしはほとんどの会話を一言で済ませてしまう。そのせいで誰も彼女の本心に触れることはできない。
「よし、これで全員が揃ったね。それじゃあ改めて……」
くちばし売りはわざとらしく、みんなの注目を集めるための一呼吸を置きます。
「今日は徒競走をして誰が一番速いかを決めることにするよ。日程については石並べから説明するよ」
「うむ、まずは向こうに見える大木まで走り、着順を競う。その後、昼休憩を挟み、表彰式を行う。なお、競技中に不正が発覚した場合はその場で失格とする。いいな? 網隠し」
名指しで牽制された網隠しの顔は「そいつはどうかな」と言っている。
「それじゃあ早速始めよう。みんな位置について」
くちばし売りの一言で七人は横一列に並んだ。
「公正を期すため、大木に留まっているあの鳥が飛び立った時が合図だ」
石並べが言う。彼は前傾姿勢で鳥が飛び立つ瞬間を見逃すまいと身構える。臆病な三角形見習いは、瞬きの間に鳥が飛び立つのを恐れ、目を見開いたままなので、涙が溜まってしまっている。一方音守りはどっしりと構えている。元々、勝負事には消極的な性格であるため、欲がない分堂々としているように見えるのだ。
山揺らしは余裕だ。それには理由がある。これは他の六人は知らないことであるが、彼女には超自然的な力が生まれつき備わっていて、鳥が大木から飛び立つように、あるいは飛び立たないように、いつでも仕向けることができるのだ。
そうして、山揺らしが軽く念じると、鳥は蒸気機関車が鳴らす汽笛のように何の前触れもなく、それでいて力強く飛び立った。
もちろん山揺らしは誰よりも早く動き出し、誰よりよも早く自らの足を速く回転させることができた。そして山揺らしに続いて出発したのはくちばし売りだ。次に網隠しと石並べがほとんど同時に走り出している。三角形見習いは涙を拭っている間に鳥が飛び立ったため、大きく遅れた。音守りはそれよりもはるかに出遅れた。しかし、依然、走り出さない者がいる。不幸呼びである。彼は、話を聞いていなかったために、出走の合図はおろか、徒競走をすること自体を理解していなかったようだ。
不幸呼びは走っていく六人の姿をみて、何かを思いついたように付近に転がっていた石を投げ始めた。四つほどの投石を済ませると、大変満足したようでそのまま草原に寝そべってぼんやりと空を眺めた。
一方、競争は半分ほどの距離を走り終え、依然山揺らしが先頭、そこから大きく間隔を空けてくちばし売り、すぐ後ろに石並べと網隠しが続く。三角形見習いと音守りはもはや勝負にはならない。
ここで網隠しが仕掛けた。やはり彼は小細工を仕込んでいたようで、彼の前を走っているくちばし売りと石並べが小さな二本の木の間を通り抜ける時、見えないように地面に設置されていた手綱を引くと、瞬時に罠が作動し二本の木に繋がれた縄が迫り出し、石並べとくちばし売りの足を引っ掛けた。全速力で駆けていた二人は突然の障害物により揃って転倒し、網隠しは悠々と抜き去っていった。これに対し石並べが不平を必死に叫んだが、網隠しは知らないふりで終着点の大木へと一直線である。
こうして着順は一位から、山揺らし、網隠し、くちばし売り、石並べ、三角形見習い、音守り、不幸呼び(棄権)となった。
「網隠し、おまえやっぱり不正を働いたな」
大きく息を切らしながら石並べが言った。
「何のことだい? 俺にはさっぱりだな」
「とぼけるな。同じような着順で走っていたおまえが何故転ばない? おかしいだろう」
「おいおい、たったそれだけの理由で俺を疑うのかい。だったら一位の山揺らしも疑うべきだろう」
「やってない」
山揺らしは議論に参加する気はないという態度を示した。
「くちばし売り、おまえはどう思うんだ?」
石並べが問う。
「僕はただ徒競走がやりたかっただけだから、着順には興味がないな。それよりもさっさとお昼ご飯を食べようよ」
「だめだ。そうはいかない。不正に関しては白黒つけさせてもらう」
「ちょいと待てよ、石並べ。おまえ、自分で言ったんだぜ?『競技中に』不正が発覚した場合『その場で』失格にするってな。だけど今は競技中じゃない。もし俺が不正を働いたって言うのなら、競技中に止めればよかったじゃないか。それを自分が負けたからって後から不正だのと騒がれたら世話ないぜ」
こう言われた石並べは、押し黙るばかりであった。彼の信条として、全てにおいて公平さが何よりも優先するという考えがあったからだ。確かに自分の言葉を解釈すればその通りであると納得するしかないと感じたのだ。
しかし、ここで問題になっているのは、不正を働いた網隠しのずる賢さでも、石並べの公平さへの過度な執着でもなかった。それは三角形見習いの勇気なのであった。彼は網隠しの不正の一部始終を後ろからはっきりと見ていたのだから。もちろん音守りも見てはいたが、彼が網隠しの腰巾着である以上、網隠しに不利な情報の開示などする訳がない。だが、三角形見習いは違う。彼が善良な魂を持つ人間であるならば、この場で網隠しの不正を告発し、石並べに助け船を出してやるべきだろう。
結局、三角形見習いは網隠しの報復を恐れて何も言い出せなかった。この臆病な選択が彼をさらに臆病にさせるのである。そのことは三角形見習い自身がよく知っているところだった。
「すまなかった。公平さに欠けていたのは僕のようだった。明日、謝罪文を掲示板に貼っておくから許してくれ」
「いや良いのさ。疑われるのは慣れっこだからな」
「よし、じゃあお昼ご飯にしよう。午後は表彰式だからね。それじゃあ解散」
三角形見習いはそれぞれの小屋へと散っていく皆の姿を見て、悪い夢の中にいる心地だった。本当は別の結末があったはずなのに、そう思った。
しかし、そう思えば思うほど、この結末の良し悪しは自分にしか分からないことなんだという優越感が込み上げて薄ら笑みさえ浮かぶほどだった。彼は自分の弱さ故の不作為が招いた、誰にも気づかれない悲劇でしか笑うことのできない寂しい人間なのだ。
そしてそんな三角形見習いを目を見開いて見ていたのは不幸呼びであった。彼は三角形見習いの後ろから君が悪いほどに純粋な顔で見ているのだった。

午後になり、昼食を済ませた子どもたちはそれぞれの小屋から出てきた。
「それでは、表彰式を始める」
石並べが皆が横一列に並んだのを確認すると、彼らの前に立って進行し始めた。
「まずは第七位、網隠し」
「かあ、どべかよ」
網隠しは頭を掻きながら恥ずかしそうに言った。
「続いて第六位、くちばし売り」
「なんだか、ぱっとしないなあ。でも徒競走ができただけでも僕は満足だよ」
「続いて第五位、山揺らし」
「どうでもいい」
「第四位、音守り」
音守りは黙って頷くだけだ。
「次に、第三位の発表だが、ここからは表彰状が用意してある。呼ばれた者は前に出てきて、受け取るように」
一同が少しざわつく。
「皆、静かに。第三位を発表するぞ」
静けさと緊張が一同を包む。
「第三位は、石並べ。僕だな」
「何だよ、おまえじゃねえか」
網隠しが腰を抜かしたふりで言った。それに合わせて一同が笑ったが、山揺らしは不機嫌そうにしていて、不幸呼びはどうして皆が笑っているのか分からず、道に迷ったように首を動かして一同の顔を見るばかりである。
「すまない。無駄に緊張させてしまったな。しかし、これも公平さを保つためには仕方のないことだった。許してくれ」
「石並べは本当に真面目だね。代わりに僕が表彰状を渡そう」
そう言って、くちばし売りは表彰状を恭しく石並べに手渡した。
「ありがとう。では、第二位の発表をしたいと思うが、同時に一位も確定するため第一位の発表をもって第二位の発表に換えさせてもらう」
一同はこれを了承した。
「それでは第一位の発表をする」
再び緊張が訪れる。と言っても緊張する必要があるのはまだ名前の呼ばれていない三角形見習いと不幸呼びだけなのだが。
三角形見習いは緊張の代名詞のように胸の前で両手を強く組んで祈っているが、不幸呼びは遠くの森に潜むうさぎや大空を周遊する鷹の姿を目で追っているだけだ。
「第一位は、三角形見習いだ。おめでとう」
三角形見習いは小さくなっていた体を風船が弾けたように大きく開いて笑顔になった。山揺らしと不幸呼び以外の子どもたちはどよめいて三角形見習いを取り囲み彼の勝利を祝福し始める。もはや第二位の不幸呼びのことは全然気に止めようとしないし、不幸呼びもそれについてこれといって不満気な様子もない。見かねた山揺らしが、騒動の外に落ちている踏まれて汚れた第二位の表彰状を拾って、泥を大まかに払い、不幸呼びのところに持っていった。
「ほら。あなたのよ」
不幸呼びはまた純粋な顔をして山揺らしの顔を眺めている。
「気味が悪いわ」
山揺らしが強引に表彰状を握らせる。不幸呼びは何も言わずにただ、表彰状を握りしめ、山揺らしの具合の悪そうな顔を見ていた。

このように七人の子どもは毎日色々な遊びで競い合うが、決まって午後に行われる表彰式では、午前の競技結果に関係なく、必ず同じ順位が発表されるのである。だから、翌日の縄跳びもその次の日の早食いでも、またその次の日の相撲でも三角形見習い、不幸呼び、石並べ、音守り、山揺らし、くちばし売り、網隠しという順位は不動なるものなのである。石並べの小屋にはこれまでに獲得した第三位の表彰状が、三角形見習いの小屋には第一位の表彰状が、そして不幸呼びの小屋には、山揺らしが毎度拾って握らせてやった汚れた第二位の表彰状が蓄積されているのである。それにも関わらず七人の子どもたちは結果発表に対して文句も言わず、毎日新鮮な気持ちで競技に臨んでいるのである。彼らはとても奇妙な子どもたちである。

ところがある夜、いつもとはすこし違うことが起こった。山揺らしが不幸呼びの住む小屋のベルを鳴らした。山揺らしが自分から他の子どもやその家族に関わることはほとんどなかった。ましてや不幸呼びが相手ではなおさらである。
「夜分にごめんなさい。ドアを開けてくれるかしら? あなたに頼みたいことがあるの」
不幸呼びはそれを聞いて玄関のところまでやってきた。ドアを開けると隙間から注がれる月明かりに照らされて、彼の顔は一層不気味に光った。彼は小屋の中へ彼女を無言で招き入れた。不幸呼びが誰かを小屋にに入れたのはこれが初めてのことだった。
不幸呼びの小屋には明かりが灯っていなかった。
「あなたはいつも明かりを点けないの?」
真っ暗な中、不幸呼びが無言でいるため彼が一体今どの辺りにいるのか、どんな顔をしているのか山揺らしには分からない。
やっとの思いで、山揺らしは手探りで電灯のスイッチを見つけた。
「電気、点けるわよ」
返事はなかったが、彼女はスイッチを押した。
明るくなった瞬間山揺らしは珍しく大きく声を上げて驚いた。それは不幸呼びが余りにも近くにいたからだ。彼はわずかに笑っているようでそれがまた不気味でもあった。
落ち着くと二人は寂しげな椅子に机を挟んで向かい合って座った。
「私、この集落を出て行きたい。あなたはどう?」
そう山揺らしが切り出す。しかし不幸呼びは答えない。まったく何を考えているのか分からない顔でいる。
「この集落にいては、いつまでもあなたは誰にも相手にされない。私だってこんな毎日が同じ退屈なところ、早く抜け出したいの。あなただってきづいているんでしょう
このおかしな集落のシステムに。でもこのまま何もせずに明日が来たらまた同じように集まって、競技をして同じ結果が発表されて何事もなく一日が終わってしまう」
不幸呼びは左右に体を独特の調子で動かしながら聞いていた。山揺らしは構わず続ける。
「あなたに話すのが適当なのかは分からない。でも他の奴らではダメ。あなたなら何かある気がしたの。こんな毎日を壊すためには、いつもとは丸っきり違う何かが必要だと思う。その何かを生み出すことのできるのがあなたよ、不幸呼び。私はね、あなたがああやって誰からも相手にされないでいるのが可哀想でもあるの。だから一緒にこの集落を出て行きましょう? きっとこの山の下には刺激的であなたにとっても、感動的な暮らしがあるはず」
性に合わず熱弁を奮う山揺らしの姿が無感情に見える不幸呼びの心を動かしたようだった。不幸呼びは静かに頷くと、立ち上がり彼女の肩を抱いたのだ。山揺らしは意外にも温かな不幸呼びの胸の中でひっそりと泣いた。すると彼女の額にも涙がぽつりと落ちて来た。山揺らしは何だか不思議な感覚を覚えたのだった。

翌朝、一同はその言葉に凍りついた。
「今日はフリスビーをしましょう」
子どもたちが集まるなり言い出したのは不幸呼びだった。こんなことは初めてである。彼は競技の提案はおろか、今まで発言すらしたことがなかった。つまり、このとき六人は初めて不幸呼びの声を聴いたのだ。もしかすると不幸呼び自身も自らの声を聴いたのは初めてかもしれない。
「さて、今日は何をして遊ぼうか? 缶蹴り?」
くちばし売りが、不幸呼びの提案は聞かなかったことにして言うが、彼が動揺を隠しているのが一同には伝わった。好奇心旺盛で新しい物好きの彼が動揺するくらいなのだから、不幸呼びが言葉を発すると言うのはこの集落においてとても大きな意味を持っているようだ。
「フリスビーです。僕はフリスビーを投げて誰が一番遠くに飛ばせるかを試してみたいんです。」
ここまではっきりと意思表示をされては、聴こえないふりなどもうできない。
「すまないが、不幸呼び。競技の提案は毎回、くちばし売りが行っている。我慢してくれないか?」
石並べが極めて落ち着いた声色で言った。
「ダメです。今日はフリスビーをやります。くちばし売りさん、フリスビーは今までやったことがありません。やってみたくはありませんか?」
「確かに。でも、フリスビー地雨ものが何なのか僕たちは知らないんだ。一体どうやるんだい、それは」
「これがフリスビーです。やり方は簡単、手に持ったこのフリスビーをこまを回す要領で、手首を効かせて空中に放ってやるだけです。」
「なるほど、空中に? それは面白そうだね。やってみようじゃないか」
山揺らしは、ここまでの展開を目の当たりにし、確実にこの集落において何らかの変革めいたものが起きつつあるのを感じていた。
「そんな。やったこともない競技をいきなりやるなんて危なくはないかな? 例えばそのふりすびいというものが誰かに当たったりして……」
三角形見習いが口を挟んだ。
「問題ありません。このフリスビーの素材はプラスチックというもので、形も丸いので例え当たったとしても、怪我をする心配はないのです」
不幸呼びがすぐに答えた。
「そうなのかい? 確かによく見れば、安全そうだし、それならやってみてもいいかなあ」
「おいおい、間抜け。騙されるなよ。さっきから不幸呼びの野郎、適当なことを抜かしてやがるぜ。フリスビーだの、プラスチックだのと、そんなの俺は聞いたこともないね。信じられない」
今度は網隠しが割り込んだ。
「もしかして、網隠しさんはこのフリスビーをやって負けるるのが怖いのでしょうか? だったら心配ありません。本当に簡単にできますから。これができないという人は相当の運動音痴の馬鹿ではないでしょうか?」
不幸呼びがふふっ、と笑った。
「何だと! 俺ができないとでも言うのか? 誰が馬鹿だって? 冗談じゃない。いいさ、やってやろうじゃないか。貸してみな」
山揺らしは、今まで不幸呼びがただ漠然と一同の様子を見ていた訳ではなかったと気付かされた。彼は誰よりも他の子どもたちを観察し、その性格を知り尽くしていたのだ。そのおかげでどうすれば彼らを説得できるのか、その術もまた心得ていたのだ。
網隠しが説得できたとあれば、自動的に彼の腰巾着である音守りもそれに賛同したも同然である。
残るは、石並べと山揺らしだけである。
「君はどうですか?」
不幸呼びは白々しく、山揺らしに尋ねた。
「構わない」
山揺らしもどうでもいいふりをして答えた。
「多数決によると、賛成派が六人ですが、石並べさんはどうですか?」
この一言は、まるで神からの啓示のように石並べには聞こえた。彼は保守的ではあるものの、公平さにこだわる余り多数決の結果に対しては決して抗うことはできない。
「もちろん、フリスビーをやろうではないか」

フリスビーは、一人ずつ交代で投げていくことなった。記録の計測方法は、今までの自然物を目印にするやり方から、メジャーという計測器を用いるように改めることを不幸呼びが提案し、これを石並べが了承した。それから不幸呼びは全員に、ヘルメットを着用し、パズルのピースをという奇怪な部品を左手に持ち、小川にくるぶしを浸けて十分な水分を与えてからでないと、フリスビーの投擲は認められないというルールをも通過させた。
山揺らしの頭の中ではまるで、聴いたこともない音楽がごちゃ混ぜになり、新たな種類の音楽として流れているようだった。何もかもがかき回されて、不幸呼びという無秩序の象徴の元に原子配列のように規則的に配置されていく過程がそこにあると感じたのだった。
そして三角形見習いが、始めの投擲者として不幸呼びによって指名された。
三角形見習いは小川にくるぶしを浸けた段階で不安状態(きちんとくるぶしまで浸かっているかどうかが不安な状態)に陥り、投擲どころではなく、記録は五十センチメートルという惨憺たるものであった。しかし、皆それがどれほどの記録なのか把握し損ねている様子である。そもそもセンチメートルという尺度を持たない彼らにとってその単位が持つ意味を理解できていないのである。
彼らはこのような事態にいささか狼狽し、とても競技をするような状況ではなかった。特に網隠しにおいては、イカサマの効かない未知の状況ではその悪知恵の働く余地もなく、自分の背後に投擲をし『マイナス』というこれまた未知の概念を突きつけられるという苦々しい経験をするに至ったのである。
こうして不幸呼びと山揺らしを残して、他全員の投擲が終了しここまでの最高記録はくちばし売りの十二メートルであった。さすがは新しい物好き、それに対する順応はさすがのものがある。しかし、不幸呼びは少しも動揺を見せなかった。
「次の投擲者は僕です」
不幸呼びは自らを指名すると、フリスビーを右手に持って、パズルのピースを左手で慣れた手つきで摘むと、何の造作もなく小川の川面を撫でるようにしてくるぶしを濡らし、軽い足取りで所定の投擲位置に立った。そこにいた誰もが、こいつは出来るなと思わざるを得ない振る舞いであった。
ふうっと息をついて肩を脱力させ、そのままの状態から、一見どこにも力を入れていないかのように、それでいてフリスビーが手を離れる一瞬前、素早く手首を効かせて空気を掻くようにしてそれを放った。すると不思議なことにフリスビーは他の誰の時よりも安定した姿勢でゆっくりと空気を裂いていった。網隠しが徒競走で罠を仕掛けた二本の木の間を通り、大木も越え、どんどんと小さくなっていく。この不幸呼びの無限とも言える投擲に一同はどよめきもせず絶句するしかなかった。
結局、不幸呼びの放ったフリスビーは集落のある山を出て、見えなくなってしまったので、記録はメジャーの計測できる最長距離として扱われた。
しかし、一同はまだ諦めていなかった。何と言っても次の投擲者は山揺らしなのだ。彼らは山揺らしが超自然的な力を持っていることは知らなかったが、どのような競技においても、毎度彼女が一人飛び抜けた成績を収めていることは知っていたから、彼女が最低でもメジャーで計測可能な最長距離を投げることができると踏んだという訳なのだ。そうすれば二人を同率一位として、いつも通りの『成績の処理』を午後までに完了させいつも通りの表彰式を行うことができるのだ。ともかく、不幸呼びが競技を取り仕切り、単独で一位になるなどということは前代未聞の珍事であり、この集落が長年保ってきた伝統や慣習に混乱と無秩序を許すことになるのであり、それだけは阻止しなくてはならない、というのが石並べを筆頭とした彼らの暗黙の総意であった訳である。
ただしその『彼ら』には今回、山揺らしが含まれていないというのが、やはりこの革命とも言える事態の色を濃くさせている要因でもあったのだ。
もちろん山揺らしが超自然的な力を使えば、不幸呼びの記録に並ぶことは容易であるが、彼女はそうしなかった。彼女にはそうする自由が与えられているのだ。そして彼女は初めて自分の身体能力のみで競技に挑んだのである。
一生懸命に助走をしようとした結果、足は絡まり、力んで振り回した腕は顎に当たる始末で、それはもう、目も当てられないほどの醜態であった。記録は計測に値しないことは誰の目にも明らかだった。
山揺らしは悔しさを露わにするでもなく、むしろ清々しい表情で言った。
「やっちゃった」
そこで『彼らは』いよいよ絶望し、騒ぎ立て始めた。こんなことはおかしい、あり得ない、認められない、認めて良いはずがない。誰もが現実逃避の言葉を叫んだ。石並べが鋭い怒りと動揺の矛先を不幸呼びに突き立てる。
「こうなったのも、全てはお前のせいだ! 訳の分からない競技で僕たちを幻惑したり、競技においてもイカサマをしたに違いない!」
「いいえ、僕は幻惑もイカサマもしていません。僕は僕のやり方で正々堂々とあなたたちに勝った。それだけのことだ」
「ああ、不幸が訪れるに違いない!」
三角形見習いが泣きながら叫んだ。
「ええそうよ。くだらない伝統を不幸呼びが打ち破ったから、今に化け物が出てきて何もかも奪っていくわ。土地も小屋も家族も愛も友も食料も金も本も壁に飾った嘘の表彰状もそして『音楽』も、何もかも全部よ!」
山揺らしは感情むき出しの無邪気な笑顔で言った。このような彼女の姿は事態の異常性を引き立てた。
山揺らしの『音楽』という言葉に反応した者がいた。音守りである。これは山揺らしの計算であった。
「音楽が奪われるだって?」
音守りが低く、うめくように言った。
音守りの一族は古くからこの集落にある音楽を奪う化け物から集落を守る役目としての任を負っていた。しかし、実のところ化け物の正体とは音守りの一族の方であり、網隠しの一族が架空の化け物の存在をそそのかし、架空の役目を与えることで、彼らの暴挙を抑えていたのだ。
「落ち着け音守り。そんな化け物がいる訳ない」
「騙したのか?」
網隠しがなだめようとするが無駄である。音守りはみるみる巨大化し、地面を叩き割り、小屋をひっくり返して回り、気を引っこ抜いて食べ散らかす。その光景はほとんど地獄と考えて差し支えないものだった。やがてどこからか火が起こり、暴風が吹き荒れ出し始めた。
その渦中で『彼ら』は泣き叫ぶことしかできない。一方、不幸呼びは相変わらずの不気味な笑顔で、まるで悪魔のような存在としてそこにいた。
集落を火の柵が囲み土地が崩れ出した頃、山揺らしはいつもの二倍ほど目を見開いて、一つの山に向き合って最後の仕事に取り掛かるところだった。彼女の呼び名の通り、山を動かそうと言うのだ。
山はゆっくりと巨大な亀が歩くように動き出し、まるで海が沸騰しているかのような音を響かせた。
左に、左に、左に。山揺らしはそう念じ続ける。すると山は極めて従順に左へ動く。それを見た『彼ら』はもはやこの世の終わりを実感するしかなかった。いよいよ集落のあった土地は完全に崩壊し、『彼ら』はその崩壊に飲み込まれていくのだった。山は完全に山揺らしによって完全に左隣りの山と重なり終えていた。今まで四方を塞いでいた山々の一角が消えたことによって目の前がすっかり拓けてしまった。
「ほら、山も土地も消したわ。私たちの力で」
二人は集落の残骸でできた、今にも崩れそうな崖の上に並んで座っていた。眼下には距離感を失うほど小さく見える森の頭が見える。崖は拓けた方角に向かって途方もなく長い下り坂になっている。
「見て。空から掛かった橋のようね」
山揺らしは笑顔で言った。彼女がこうも笑ったことは今までになかったことだ。もう彼女の目つきは不健康ではなかった。一方、不幸呼びはまた無口に戻っていた。
「私、もう超能力が使えなくなったみたい」
何も答えない不幸呼びに山揺らしは語りかける。彼女にちっとも苛ついた様子はない。
「ここからは」
そう言って山揺らしが立ち上がった。
「歩いて下るしかなさそうね」
不幸呼びの無言と山揺らしの笑顔しかそこにはなかった。
「きっとこの下の世界にはあなたが心から笑える沢山のことがあるはずよ」
強い山風が二人の背中を押すように吹き下ろすと、二人の子どもは手を取り合って崖を下っていく。不幸呼びは山揺らしに隠れて笑った。


不幸呼びが投げたフリスビーは山々をゆるゆると通り抜け、澄み切った空気を十分に切り裂いて少しずつ降下していく。森を出たフリスビーは不幸呼びと山揺らしに先駆け、まさに二人が目指すであろう街に入っていく。
そこでは、偶然にも先ほどまではるか上空の集落を囲んでいたのと同様の火の柵があった。ただしこちらでは、子どもだけでなく、大人までもが泣き叫んでいるのが特徴的だった。
今、一人のヘルメットを被った男が隊列の先頭に立って物陰から敵を長い銃で狙っている。男が掛け声と同時に引き金を引いた。男の放った弾丸は敵に向かって一直線だったが、そこにフリスビーが通りかかった。弾丸は乾いた音を響かせ、フリスビーは猟銃で撃たれた鳥のように弾け、反射した弾丸は向きを転換し男の率いていた隊列の中にいた、一人の若者の胸を貫通した。若者はあっという間に絶命した。
その後、弾丸を放った兵士の男はろくな検証や裁判もなしに、反逆罪で死刑となった。しかし、夫がそんな不幸な死を遂げたということを知らない彼の妻は、今も祖国で窓辺から見える果てしなく続く空に想いを馳せながら、彼の帰りをただ願っている。

無言と笑顔

無言と笑顔

七人の子どもたちが暮らす集落のおかしなルールとそれにまつわる変革の話です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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