短編小説 『隙間人情シリーズ』未来の最後の晩餐
寝る前に、たった5分の人情話はいかがでしょうか。
かつて、最後の晩餐を食せる者は少なかった。多くの人間は、病などに体を蝕まれ、食事らしい食事を摂ることができずに死んでいった。あるいは、今日が人生の最期だということに気づくことなく、事故や事件に巻き込まれて突如一生を終えてしまっていた。しかし今、時代は変わり多くの人間が最後の晩餐に好きなものを食べられるようになった。
医療の発展、技術の進歩によって、人の寿命は100歳になった。勘違いのないよう言っておくが、これは平均ではなく決められた数である。人々は、事故や事件に合わない限り、100歳まではなんの不自由もなく生き、100歳と共に施設に運ばれ、永眠させられるようになっていたのだ。
そんな超健康体が保証された男の一家は、地方の公園にバーベキューをしにきていた。90歳になる男の運転の元、5歳下の妻、65の息子、40の孫、20のひ孫が公園に集まり、老いない身体を存分に楽しみ、皆大学生の頃そのままに、大騒ぎをしていた。
お酒が入りすぎたこともあっただろうか。帰りの車内では男の息子と孫の口論がエスカレートして取っ組み合いになった。止めに入ろうとした妻だったが、息子に押しのけられ、バランスを崩し、そしてその妻の手が、運転席の彼に当たり、物凄い衝撃とともに男は目の前が真っ暗になった。
男はしばらく病院のベッドの上で意識を失っていたが、痛みなどは全くなく、すぐに身体を起こすことができた。医者曰く複数の内臓が破損していたそうだが、いとも簡単に技術で治ったようだ。
しかし元の姿に戻れたのは、男だけだった。事故の詳細はというと、ぶつかったのは夜間に地方へ向かう大型貨物車。男たちの乗用車とは、あまりにも重量に差があり、運転していた男以外の全ての家族は、酔ってシートベルトもしていなかったため、即死だったそうだ。男はこの時代に珍しく、家族を一瞬にして失ってしまった。
それからの男は、何度も自殺を試みようとしたが、決してそれは実行に移せなかった。国民に公表されてはいないが、国は国民が医療の進歩、技術の進歩に貢献し続けるため、死ぬことすら管理していたのである。不慮の事故こそ防ぎようがないが、死にたいという欲を持った瞬間、脳に信号を調整され、その気持ちはスッと収まるようになっており、それと引き換えに清々しい気持ちが脳に生み出され続けるよう構成されていた。男は何度も自殺欲求を繰り返すうちに、強制的に心を穏やかにさせられ、そのうちに、何もできず笑っているだけの人間になっていた。
そのまま約10年の月日が流れ、男はいよいよ100歳を迎えることになった。夕方を過ぎた頃、通常より早い時間に管理者が男の前に現れた。
「本来であれば、家族に尋ねてもらうものなのですが、ご存知のようにあなたは身内がいらっしゃいません。そこで我々が、最後の晩餐として、なんでも好きなものをあなた様に作って差し上げます。いかがいたしましょう」
男は、日頃何を考えても穏やかになってしまうため、何も考えないように生きていたが、一つだけ決めていたことがあった。それはこの最後の晩餐で、何も食べないという選択肢をすることだった。
「何もいりません。初めての空腹を味あわせててください。」
管理者は一瞬困った顔をしたが、すぐにかしこまりましたと男を車に乗せ、施設に運んだ。国民が勝手に死なないよう健康を維持させるということは、絶対に食事をさせることでもある。つまり国民は必ず3食以上空腹前に食事をするように脳に組み込まれており、お金が無い人間には配給でそれを賄わせていた。
23時が過ぎた頃、男に生まれて初めて空腹がおとずれた。それはこれまで100年味わったことのない者には想像以上に辛く、痛みすら伴うものだった。しかしその痛みこそ、男の求めていたことでもあった。ようやっと、死んだ家族に近づけたような気がしたのだ。あの時家族は、最後に食べたいものを食べることもできずに死んでいる。救急車が来るまでに亡くなったとはいえ、その痛みは想像を絶するものだったはず。そう考えた男は、最後に自分に苦痛を与え、あの世で家族と共に、この空腹を埋めようと決めていたのだ。
24時00分、男は苦しみから解放され、永眠した。その時の顔は、10年前からずっと強制的に作らされた笑顔とは大きく異なり、かつて家族でバーベキューをしているときのような、優しくて頼り甲斐のある、若い頃そのままの笑顔だった。
短編小説 『隙間人情シリーズ』未来の最後の晩餐