彼女の秘密と七面鳥
中田めぐみには秘密があった。
その秘密は誰も知らない。いや、確認したことがないからきっと知っているのは私だけだと思っているが、こっそり彼女は誰かにも教えているかもしれなかった。或いは、違う秘密を。
誰にもそれを勘付かせないくらいひっそりと事を進め、そして顔に微塵も出さずにいることぐらい、彼女にとっては朝飯前だっただろう。
中田めぐみは目立つ人だった。
お金がないといつも呟いている苦学生しか受け入れていないのではないかと思わせる大学では、一際目立つ存在だった。
明らかに値段のする服を身に纏い、全身から出る裕福なオーラが少しばかり鼻につく彼女には、女友達は少なく、しかし男友達は多かった。
私はそれほど仲が良いとは思っていなかったが、どうやら彼女の中で私は『親友』という称号が与えられていたらしい。
あるクリスマスイヴの20時。中田めぐみは、突然やってきた。
「寂しいあなたとパーティーをしようと思って」
断られるなんて可能性は微塵も考えていない。勝手に部屋に上がり込む無礼者に、帰れと一喝できなかった理由は彼女の持ち物から漂う香ばしい匂いだった。
丸々と肥った立派な七面鳥とこれまた大きなクリスマスケーキ。
七面鳥の皮はキツネ色でパリパリで、今しがた焼けたのかと思えるほど香草の良い匂いが一瞬にして室内を駆け巡った。
ケーキには選び抜かれた宝石のように輝く真っ赤な苺が乗っている。スポンジは真っ白のクリームに映えるきれいな黄色だった。あれはきっと卵色、というのかもしれない。
素晴らしいまさに夢のようなごちそうを前に、姿勢を正し深々と頭を下げた。
「ようこそ、我が家へ」
彼女は楽しそうに笑った。
七面鳥は皮はパリパリで、身は柔らかい。どうしたらこんなに美味しくなるのかと考えるよりも腹に詰め込むのに忙しい。
黙ったまま咀嚼していても、テレビが何かしら音を発してくれるおかげで部屋に静寂は訪れない。
特に話すこともないので、七面鳥の美味しさを噛み締めながら、しかしケーキの分は胃を空けておかなければならないと思っていると彼女は突然言った。
「あなただけよ。私が性別を気にすることなくくつろげるのは」
「私は君が女だろうが、男だろうが構わない。目の前のごちそうは消えてなくならないからね」
言い終わって、つまり中田めぐみである必要もないとごちそうを持ってきてくれた相手に対して失礼な事を言ったなと気づきはしたが、そもそも勝手にやってきたのだからいいかと思った。
しかし怒って、食べた分の金を払えと言われても困る。
「でも、中田さんが中田さんで良かったと思う」
ちょっと考えて、私は付け加えておいた。
「盛大に食べておいて申し訳ないが、今手元には500円しかないんだ」
どうしてか中田めぐみは心底呆れたようにため息をついて、いらない、と言った。
その言葉に安心して、更に食欲が湧くのを感じた。
「私の母さんはね、魔法使いだったの」
ケーキを切り分けて、今日中にワンホール食べ切れるだろうかと思案している私に彼女は囁いてきた。これ、秘密ね、と人差し指を唇に当てる。
「へえ」
「信じてないでしょ。いっつもきれいな服を着て現実離れした感じの人だった。魔法が使える、なんて真面目な顔で言われたら、あ、使えちゃうかも? とか思っちゃうくらい、不思議な雰囲気の人だった」
全て過去形だった。特別興味を惹かれる話でもなかったから、私は黙ってケーキを口に運ぶ。
「ある日ね、母さんは家にあった大きなクローゼットに入ったままいなくなったの。クローゼットの奥には森があるんだって。森に帰るってクローゼットに入った。弟とクローゼットを空にしてみたけれど、どこにもいなかった」
その話は読んだことがある。
クローゼットの奥がファンタジーと通じている話。彼女の記憶はそれとごっちゃになっているようだった。
「じゃあ、今もクローゼットの向こうで元気にしてるんじゃないか」
「私もそう思ってる」
高価そうなカシミヤのセーターの中で、彼女は無邪気に笑った。
それから数年後に、彼女と同姓同名の名前が新聞に小さく載った。
結婚詐欺で捕まったらしい。
同姓同名なだけの赤の他人なのか、私は確認していない。
彼女の秘密と七面鳥