電波性少年の
僕とミヤコはそれはもうずっと一緒にいるけれど、性格も見た目も似たところなんて一つもない。まぁ他人だしね。そっくりだったらそれはそれで怖い。
だけど共通の友達に言わせると笑った顔や顰め面は似てるらしい。きっとミヤコの能天気が、僕の神経質がお互いにうつったんだな。
真夏の過ぎた屋上、ほんの少し高くなった空、遠い蝉の声と、グランドから聞こえてくる運動部の掛け声。出入り口の日陰に隠れるようにして、僕達は埋めきれなかった放課後の時間を消費している。
僕は手元のマンガ雑誌をめくりつつ、隣に座っているミヤコをちらっと見る。授業のときとは比べものにならない集中力で書きなぐっているのは、いわくラジオドラマの台本だった。
ミヤコは短い話を書いてはなぜか放送部員の僕に渡してくる。部員の中にはそうしたもののコンテストに出る人もいるけど、僕は違う。僕は毎日の清掃時間のアナウンス係だ。
だからそれらはたいていお蔵入りになるか別の部員の手に渡るかだった。だけれど今書いているものは長編大作になる予定で、僕が絶対に読まないといけないらしい。
顧問とのごたごたでサッカー部を辞めてからというもの、ミヤコが熱中しているのはこの台本作りくらいだ。昔からサッカーが大好きなのは知ってるから何となく気の毒になって、僕はその台本が完成するのを、気長に待とうと思っていた。
「……そろそろ、大筋は教えてくれたって良いんじゃない。何も分からないのも、かえって興味なくすよ」
「宇宙。宇宙人。襲ってくるやつ」
「は?」
「メグなら知ってるだろ。異星人がやって来るって設定のラジオ番組を本物だと思ったひとたちがパニック起こしたって話。すっげー大昔の、外国の」
「あぁ、あれ」
僕もミヤコも学力は中の下なのに、変な知識だけは豊富にある。僕の場合、その大半はミヤコから仕入れたものだ。
「パロディもの書いてるんだ?」
「ううん。あの話の続きを書いてる」
割かし有名な話の続きって、自分でハードルを上げてるんじゃない?
「続きと言っても」
顔を上げずにミヤコは続けた。
「物語の続きじゃなくって。大騒ぎが起きた後、その噂を聞きつけてホントにやって来た異星人がいたら、って話。自分たちの正体が人間にばれたかも、って不安になって偵察しに来たんだ」
バインダーに挟まれたノートのページを一枚めくる。描かれたのは、フルフェイスのヘルメットをかぶった戦隊もののヒーローのような異星人の絵だった。趣味を詰めたな。こいつは特撮が好きなんだった、意外なことに。
「これ以上は言えないぞ? まだ展開が固まってないから」
「それはそうだ」
「焼く前のホットケーキ生地って感じ」
「渡されても食えないな」
「ちなみに読んでもらうなら柴山さん」
「読んでもらいたいの? なんで柴ちゃん限定」
「声が好き」
が、の部分をやたら強調するミヤコ。柴ちゃんは僕と同じ放送部員で、早口言葉クイーンの名前をほしいままにしている。
「何ならメグでも良いよ。おれ、録音してやる」
「はぁっ? 僕? やだよ!」
「飯田とか永島とかは無理だし」
放送部員のクラスメイトの名前を挙げる。こいつ、僕や柴ちゃんには台本の話をするのに、他の奴にはかたくなに見せようとしないんだもんな。台本の中身はちっとも変じゃない、むしろ面白いものも多くて楽しい。
なのに読まれることを嫌がる、というより、怖がっているような感じがある。意外とへたれなのかも。
「じゃあ分かった、僕から柴ちゃんに言っといてやる。台本が出来たらな、出来たら」
「わーいメグありがとー大好きー」
「棒読みじゃん。最初からそのつもりだったくせに」
「とか言いながら引き受けてくれるメグは最高だよね」
「今度ラーメン奢ってな」
「いいよー」
ミヤコは持っていたバインダーを置いた。頭の上で手を組んで大きく伸びをする。姿勢を戻すと、僕が読み終わっていた雑誌を手に取ってぱらぱらめくる。だけど結局、興味がないのかすぐに閉じてしまった。僕が座っているのとは反対側に上半身を倒す。脇腹が伸びまくっている。ワイシャツがぱつぱつだ。
「どうした」
「きゅーけい。嘘。ちょっと考えてた。行き詰った」
「何に」
「……やって来た異星人な。多分少人数で来ると思うんだよ。スパイみたいなもんだから、ひょっとすると一人で来るかもしれない。で、友達とか仲間とか……おれたちみたいな地球人と仲良くなって情報を引き出す。のが任務。だから普通は他人と話すのが好きなやつとかが選ばれるんだ。だけどそいつは自分から友達作りに行くタイプじゃないんだよ。友達が少なくても気にしないタイプ」
「スパイの適正なくない? なんで選ばれたんだ」
「理由? 理由はー、まー、色々あんだよ。たくさんのサンプルを採取するのが連中の目的だからな。たまたまそいつは地球の環境にすっごい合ってる身体だったわけ。別の星に行くのに、自分がまず健康でないといけないだろ」
まだ自分の頭にしかないことを、まるで見てきたようにミヤコは話す。倒れたままで、どっかを向いたままで、ぶつぶつと。
「今回の台本で柴山さんに演じてもらう主人公は」
まるでもう柴ちゃんに読んでもらうのが決まった、みたいな言い方だった。
「ニンゲンのことがよく分からなくて、来て最初に会ったのがおっかない人だったからそれがトラウマになってる。それ以外にも大変なことばっかだ。自分のいた星と地球とじゃ勝手が違う。挫折に続く挫折だな。失敗したり、悲しい目にあったりもする」
「……人間が、怖いんだ」
「でも、おれたちだってそうじゃね」
ミヤコは身体を起こした。
「人間同士で分かり合えてりゃラブアンドピースで戦争は起きませんよ。よそのやつが何考えてるのかなんて想像するしかないもん。こえーよ、そりゃ」
「……」
「そんでようやく、気が合う人間の知り合いができる。……ってとこまでは考えたんだけど、どの方向に持ってきたいのか自分でもよく分かってない」
「……行き当たりばったり思いつきはミヤコの専売特許だろ。起承転結ね。じゃあ、そろそろ事件が起こるんじゃない」
「人間に近付きすぎた危険分子と見なされて処分命令が下るとか」
「物騒すぎる」
「実は異星人だと思っていたのは妄想だった。ただの人間でした」
「話の方向性が変わってきそうだ」
「地球病にかかってしまう!」
「何それ」
「他の星の連中がかかると致命傷になるやつ。なんかすごいの」
「雑だな。バッドエンドにしたいわけ?」
「っあーもう、思い付かないいぃい」
ミヤコは身体を起こして、また横にばたんと倒れる。
「コンクリ気持ちいー。やっぱだめだわ暑いもん、頭回らねー。なんで他の教室あいてねーの、あっついあっついったらもー」
「運がなかったよな、ほんと」
僕も反対側に身体を倒す。思っていたよりすべすべなコンクリートは、制服の上からでもじゅうぶん冷たかった。雑誌と一緒に買っていた、一リットルパックの梨ジュースに浮いた水滴が地面に滲みを作っている。残った中身は温くなっているにちがいない。
ミヤコの言葉を反すうする。
他人が心の底で何をどう考えているのかは、その人自身にしか分からない。いいや、それだって思い込みがあるだろう。自分が何を考えているかも把握できていないのに、他人のことなんて分かりっこないのだ。分かり合いたい努力が無駄だとは思いたくないし言いたくないけれど。
それでも、一生をかけたって理解できないものごとはある。
人間同士でさえそうだ。人間とそうでないものとはなおさらだろう。だから実は、セカイは最初からほんの少し、残酷なのだ。
「……すげー空」
不意にミヤコが呟いた。日暮れにはまだ早い、西の空がなんとも言えない色をしている。裾に広がったオレンジのようなピンクのような雲と、まるで水平線のように境目に走っている金色が、青空に映えている。
僕とミヤコは声をかけるでもなく立ち上がって、西側のフェンスに寄り掛かった。見下ろすと校舎裏のグランドにはもう誰もいない。鍵をかけられてしまう前に出ないと。
ミヤコはぼうっと空を見つめたあと、短距離走者ばりのダッシュでバインダーを取りに行くと、一気にがさがさと書き始めた。妙案とかいうやつでも考えたんだろう、これは声をかけないほうが良いやつだ。僕は隣に、フェンスにもたれかかって座り込む。
風が出てきた。ちょっと汗ばんでいた肌に気持ちいい。
「……そいつの故郷では、空はいつもこんな色なんだ。だから地球の空が羨ましかった」
なんの話か、と思ったら台本の続きか。なるほどね。こんな、色がしょわしょわーっと混ざっているのが故郷の空、ね。
「だからそいつは、ただの青空をすごいって思うんだ。おれたちとは反対に。そういう些細なこと、自分と人間の違いも引け目っつーか、気にするんだよな。でもその……えーと、感性? ってさ、間違ってないだろ。人間の友達からしたら面白い色の空も、そいつからしたら当たり前なんだもん」
「……ケースバイケース」
「な? でもさ」
ミヤコはしゃがみ込んで僕と目線を合わせた。こいつの癖だ。自分の話を聞いてほしいってのを、言葉じゃなくて態度で示す。話半分に聞いていて、肩や首をがっちり掴まれたことがあるのは一度や二度じゃない。
「み、」
「地球の空ってすごいだろ。青空も見えるし、別の星の空だって見える。もしかすると、誰も行ったことのない惑星の空にも見えるかもしんない」
「……贅沢な空、だよね」
「だろー? ようし、なんかつかめた!」
にっかと笑って、ミヤコは屈伸するように立ち上がった。
「それは良かったね」
「他人ごとみたく言うなよ」
「他人事だからな。早く書いてよ。けっこう待ち遠しにしてるんだからさ」
「分かってるって――あっやべっ」
突風に吹かれてバインダーから外れたメモが飛ぶ。ミヤコは急いで追いかけるけれど、進路の定まらないメモはあっちこっちにひらひらと、チョウのようにあおられていく。
足元に着地したのを拾おうとすると、それがまた浮き上がって別の場所に飛んでいく。追いかける最後のメモは空へ逃げようとする。
それに縋ろうとしたミヤコが、
屋上に張り巡らされた、
フェンスを、
乗り、越えよう、と、
「ミヤコ!」
僕は立ち上がって思い切り手を伸ばした。届きそうだった手はぎりぎり襟首を掴んででもほんの少しだけ足りなくて、僕もフェンスから身を乗り出した。重力に抗えないで僕の身体も地面に引っ張られていく。
けれど引っ張られるだけだ。
大丈夫。
夢だからでも不死身だからでもなんでもなく。
「まったく、何考えてるんだよおまえは」
「っ……メグ?」
「やっほ」
僕は宙に浮いている。
フェンスを乗り越えて落っこちそうになったミヤコを小脇に抱えて、浮いている。
「なんで浮いてんの」
「何でも」
空いている腕でフェンスのへりを掴んで、ぐいっと自分の身体を上げるようにする。浮遊感が増して、僕とミヤコはフェンスの内側に戻った。そのまま干したての布団にダイブするみたく倒れ込む。僕はすぐ起き上がったけれど、ミヤコはそのまま倒れっぱなしだ。横向きで、動かない。
「悪い、どっか打った? み――京、おい」
「…………だよ」
「あ?」
「なんで黙ってたんだよ!」
がばりと上半身を起こすと、ミヤコは僕に掴みかかって馬乗りになった。軽く叩きつけられた背中が痛い。ミヤコの手を外そうとしても固すぎて外れない。
ミヤコの手は、ぶるぶる震えている。
震え。そこにある意味は、読めない。
「ごめんって。言わなかったのは、謝る」
髪の影に隠れたミヤコの顔をうかがう。口をへの字にして、まるで小さい子みたいだ。
「僕、人間じゃないんだ。それで……なんだろ、不思議な力っていうか。うん、空中浮遊はできる。一応」
「他には」
「うーん、光合成もちょっとなら」
「は?」
「目、緑がかって見えるんだよ。そのときの調子によるけど」
「しょっぼ」
ミヤコは手をのけて僕から降りた。ぺたんと膝を地面につけて座るから幼く見える。
「助けてくれたのはありがと。でも黙ってたのは許さないかんな」
「ごめんって。正直ばれてるんだと思った」
「ばれてる?」
「そう。……え? だって」
「今初めておれ、お前がヒトっぽくないとこ見たんだけど」
「でもさっき話してくれてたろ。今度の台本」
それだけでミヤコは何のことだか分かったらしい。ぽかんとした顔が、みるみるうちに真っ赤になっていく。
そう。こいつが考えてた台本の大筋はまるで、僕のジンセイそのものだ。
自分たちの素性がばれたんじゃないかと心配になって、地球に偵察に来た異星人。
「んな……っおまえ、おまえなぁああ! おれがただのアホみたいじゃんか。止めろよもう、ぺらぺら話しちゃったよ。未来予知? デジャブ? ったくもう恥ずかしい……おまえ、ほんっとなんなの」
「異星人です」
「そうじゃなくて!」
はあ、と何度か息を吐いて、また向き直る。
「スパイだかなんだか知んねーけど、おれのこと信用できなかったの?」
「信用?」
「おれが台本の話しなかったら、一生おまえ隠したまんまでいるつもりだったんだろ」
「だって、ばれたら居づらくなる」
仕方ないじゃないか。
どうやったって理解できないものが、セカイにはあふれているんだ。
それはニンゲンたちも、僕のような別の星の生き物も同じだ。それぞれの価値観の箱、ワクに入りきらないものを理解できないと判断するのは、自分を守るために必要なことかもしれない。
不必要なものは捨てないと。はみ出してしまったものへの愛着は、ない方がいい。
それらがたとえば、かつて心ひかれたものであっても。
「そんだけ?」
黙った僕に、ミヤコはぽつんとした言葉を向ける。
「居づらくなるだけ? おれ、記憶消される! とか存在が抹消される! とか、そういうのはない?」
「な、ないよ」
何言ってんだ。
一瞬でも深刻に考え込んだ自分がおかしいみたいだ。
「そもそも君、というか地球のニンゲンが、他の星の生き物にどんな想像とか期待をしてるのかわからないけれどさ、ものすごいパワーとか特にないから。栄養のとり方とか、身体の色とかは違うと思うけど、それだって環境の違いで生まれるものだし」
「その言い方だと、空飛べるんだぜーすげーだろって自慢みたいだな」
「自慢じゃない。見たろ? 飛ぶっていうほどの移動はできない」
「浮くだけ?」
「浮くだけ」
「……地球に住んでるおれたちは、二足歩行ができるだけだ」
「うん?」
「酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すだけだし、身体の約七十パーセント、水でできてるだけだな」
「……そういうこと、かな」
「なぁんだ」
ミヤコは呟いて、へらりと笑う。
「じゃあおれもメグも、なーんも変わんねーな! 良かったー、友達やめてくれって言われたらどうしようって思った!」
「んなこと、……言わないよ。言うもんか」
京の馬鹿。
それは――僕の、せりふだ。
僕の覚えてる限りじゃ、君は僕を友達と呼んだことはないよな。
なのに今、そんな言い方をするのは、ひたすらずるい。
友達。ともだち。
口の中で呟くのさえ上手くいかない。舌がもつれそうだ。
「台本、あのままで大丈夫か」
大丈夫、の意味が分からずに首を傾げる。
「作り話なのにお前のことが地球の奴らにばれたって勘違いされて、お前の仲間がお前を救出しに来たりしない?」
「しない。僕は僕で皆から信用されているんだ」
「見た目によらないもんだなー」
「君に言われたくないや」
「おれは見た目通りの性格だぞ」
「自慢げに言うなよ」
「分かりやすくっていいだろー?」
「はっはは、確かにね」
いつもと変わらない軽口なのに、こんなに楽しいなんて。
くそ、涙が出そうだ。
「な、正体がばれたから転校するなんて言わないだろ?」
「言わないよ。当然だ」
ミヤコ、君には嘘も誤魔化しも、話すどころか考えるのさえ難しいな。
それなのに、じわりと広がるもどかしさと息苦しさが、少しだけ嬉しく思えてしまった。
僕が偵察を任された期間は、実はとっくに過ぎているんだよ。ニンゲンがひとりひとり持っている時計の稼働時間が僕たちのものよりもずっと短いことを、僕たちも知っていた。だから僕らにしてみれば一瞬の時間のうちに、ニンゲンの数十年があっという間に過ぎてしまうことも分かっていた。
あの、国中を混乱させた放送があってから何年経った? あの放送の後すぐに、僕はこっちに送り込まれたんだ。擬態は得意なんだ、正体を怪しまれたことはなかった。ニンゲンの友達だって色んな時代に、それなりにいたんだよ。持っている時計の時間が違うから、すぐにみんなとお別れしないといけなかったんだけど。
だけど君が初めてだったんだ、僕の正体が分かって嬉しそうにしたのは。
「なんだよー、にやにやして」
「ミヤコのやつを読むのが、楽しみだなあってさ」
遠いところで待っているみんな。
ちょっとしたわがまま、聞いてくれるかい。
あと少し、流星みたいなロケットみたいな時間を、地球で過ごしても良いかな。
電波性少年の