慈悲深き

 人の優しさは自己本位で道を誤りやすい。しかし、神の道は違う。その事を教えてくれたのはあなたでした。

 人は、時としてフィクションに迷い込む。現実に迷うほど浮足立ったときには、残酷な真実ほど、巧妙に作られた物語に深く、深く、迷う。自分を死地へと行かせるように。それは、まるで悪霊に憑かれた豚のように崖から飛び降りる。

 人間は優しさを持っている、その優しさは自己本位か他者本位かそれと、その両方を兼ね備えた優しさがある。自己本位過ぎる優しさは、人間性をアピールしたただの下衆人間ではないだろうか。なんらかの見返りを持つ優しさは、すでにその人は満たされている。反対に、他者本位の優しさはどうか。この優しさは、自己破滅型の優しさだ。自分の全てをなげうって、全身全霊で相手を選ばず、大自然の雨が善人、悪人にも分け隔てなく降り注ぐ自然現象のように自らの優しさを安売りしている。優しさを安売りすべきではない。自然のように無感情ならその優しさは誰にも降り注ぐ。しかし、私たちは人間だ。優しさは感情あってこそ成り立つものである。無機質を愛でても意味はない。自己満足だけだ。しかし、神の道は違う。



 ぼくが、目覚めたのは午前7時。今は夏休み。今日は兄と一緒に花火大会に参加する。近所の子どもとその親たちが公園で集まりみんなで花火だ。
 ぼくは小学2年生の7歳児。いつもうんちを我慢するのが好きな肛門期だ。そう言えば、ぼくのクラスメイトもうんちするのが気持ちいと話していた。汚い話はここで終わらせよう。
 昼、今日も暑い。外で鬼ごっこ、缶けりをした。ぼくは缶けりで皆にハメられて、鬼を何回もやった。泣きたくなった。でも今日は夜に花火大会があるので気分を壊したくなくて泣くのを我慢した。お昼ご飯はそうめんを食べた。美味しかった。お腹がいっぱいになって眠くなったのでお昼寝をした。気持ちよかった。はやく夜にならないかな、と思いながら眠ってしまった。
 とうとう、夜が来た。この日を楽しみにしていた。みんな集まり始めガヤガヤと音がしはじめた。みんな楽しんでいるみたいだ。兄は近所の幼稚園児の両手を持って地球の衛星の月のようにグングンと回していた。幼稚園児の足は地面から離れて兄を軸にして回っていた。幼稚園児は笑顔で、とても楽しそうに笑っていた。そんな光景を見ていた小さい女の子が、ぼくに近づいてきた。

「あたしにもやってー」と言ってきた。

 ぼくは小さい女の子の両手を握ってグルグルと回した。ぼくは嬉しかった。ぼくに頼ってきているようで。力を振り絞り小さい女の子を回した、が、ぼくの力が足りなくて小さい女の子の両手を離してしまい、小さい女の子は宙を舞って、地面にズシャーと転げ落ちてしまった。小さい女の子は号泣していた。ぼくは小さい女の子に選ばれたのに悔しくて申し訳なくて、ぼくも泣いた。
 みんな、花火をしていた。ぼくは涙を流していて、花火はしていなかった。ただ、地面に滴り落ちる涙を悔しい気持ちとともに見つめたいた。
 目の前に気配がした。ぼくは涙で潤んだ瞳でよく見ようとした。小さい女の子が額に擦れた傷跡をしながらぼくに近づいて来てくれた。額には血がにじんでいた。痛々しかった。小さい女の子はぼくに言った。

「もう一回やってー」

ぼくは嬉しくと思うと同時に小さい女の子の優しさを感じた。ぼくは今度は絶対に手を離さないと心に誓った。なにがなんでも。
 小さい女の子が宙を舞っている、とても笑顔で楽しく笑っている。ぼくはその優しさを今も忘れていない。

慈悲深き

慈悲深き

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-24

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