Fate/Last sin -07

 冬の夜の訪れは早い。
 辺りが薄闇に包まれ始めた午後五時ごろ、楓とセイバーは冷たさを増す風と共に、南西区にある高層マンションの駐車場に足を踏み入れた。子供の帰宅を促すチャイムは四時半に鳴り終わり、今はひっそりとした空気が満ちている。楓は寒さのために両手をコートのポケットに入れ、通りすがる人々に怪しまれないよう一般の男性用の服を着こんだセイバーの様子を横目でちらと伺った。金髪をフードで覆い隠した彼の表情を詳しく見ることは出来なかったが、セイバーはいたって平然としていた。
 楓は植え込みの陰からマンションの様子を探りながら、なおも不安げに尋ねる。
「ここで合ってるんだよね? 先輩と、アサシンの居場所は……」
「ああ、間違いない。しばらく待っていれば、間違いなく俺たちの気配に気づいてアサシンが姿を現すだろう」
 セイバーは自信たっぷりに答えた。楓は「しばらく」の具体的な長さについて気にしたが、ぎゅっと拳を握って気を紛らわせる。
 一流の魔術師だった姉さんなら、これくらい笑って過ごせる。だから、私も姉さんが帰ってくるまでは頑張らなきゃ。
 初めてのサーヴァントとの戦いに、否が応でも心臓がバクバクとうるさく鼓動してやまない。勇ましい戦意ではなく、ただの恐れと緊張だ。楓は昨日の夜に目撃した、アーチャーとアサシンの戦闘を思い返しながら詰まりそうな呼吸を整える。今回は隅でおとなしくしていれば楓が怪我をすることはない、とセイバーに何度も諭されていたが、それでもサーヴァントを目前にしたときの恐怖は、思い返すほどに強くなっていた。
 時間と共に体を強張らせる楓に、セイバーが呆れたように声をかけた。
「また緊張しているのか?」
「……」
「言っただろう? 楓は、俺がアサシンを引き離している間に、彼を監督役の元まで連れていけばいいだけだ」
「わ、分かってる。大丈夫。大丈夫だよ……」
 楓は下を向いたままそう言ったきり、口を固く結んだ。セイバーはもう一言何か言おうと口を開きかけたが、諦めたように楓から目を逸らして周囲を見た。辺りに大きな動きはない。ただ刻一刻と藍を濃くしていく住宅街の風景と、星の見えないがらんとした空が広がっているだけだ。
「……は、どうして……」
 ふと、楓が小さな声で何かを言う。セイバーは「何だ?」と楓の口元に耳を寄せる。今度ははっきりとした楓の声がセイバーの耳に届いた。
「セイバーは、どうして聖杯が欲しいの?」
 一瞬、虚を突かれたようにセイバーは沈黙したが、目を上げず、硬い表情のままの楓の問いに暇つぶし以上の意図を感じたのか、真剣な声色で答えた。
「わからない」
「……そっか……わからないんだ……。って、ん?」
 そこで初めて、楓はセイバーの顔を見上げる。
「今、なんて?」
「どうして聖杯が欲しいのか、分からないと言ったんだ」
 平然と答えるセイバーに、楓は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。馬鹿にしているのか、とでも言いたげな表情に、セイバーは慌てて付け加える。
「別に聖杯が欲しくないわけではない。万能の願望器だろう? そんな一世一代の財宝が貰えるなら、喜んで戦いに協力するさ。だが、手に入れたいかどうかと、どうして手に入れたいのかは別の話だ。そして今のところ俺は、聖杯を手に入れて叶えたい程の悲願は持ち合わせていない」
「じゃあ、何故召喚に応じたの? 触媒のせい?」
 セイバーはふむ、と考える。
「……昨日の晩から気になっていたんだが、君たちが俺の触媒と呼んでいる、あの石ころはなんだ?」
「え?」
「触媒というのは召喚したい英霊に所縁のあるものが必要なのだろう? だが俺は、あんなものは知らない。ただここに来る時―――何か計り知れないほど大きな、そうだな、何というべきか……」
 セイバーはしばらく黙し、
「意図、或いは意思によって。ああ、そうだ。何が何でも俺でなくてはならない、そういう意思のようなものに導かれたような気がした」
 楓はぽかんとセイバーの顔を見上げた。……意思? 誰の。何のための? そもそも召喚される英霊を選べる「意思」など、存在するのだろうか。触媒の力を凌ぐほどに強力な意思なら、その意思の主は何を思ってこのセイバーを選んだのか。
 それ以前に、楓はふと重要なことに気づいた。
「待って、私、まだセイバーの真名を知らなかった」
「ああ、そうだったか? まあこの地では大した名前ではないんだが、――――――」
 セイバーが突然言葉を切って沈黙した。今までの和やかな表情は引き絞られる弓のように固くなり、彼は目だけで辺りを素早く見渡す。豹変したセイバーの様子に、楓は緊張して尋ねる。
「どうしたの、セイ……」
 楓の言葉が終わらないうちに、彼は突然背後を振り返り、するりと腰の鞘から剣を引き抜いた。
「ようやく来たな、アサシン」
 剣の切っ先の向こう、十メートルほど離れた道路に、あの黒いベールの女が立っていた。アサシンは行儀良くお辞儀をすると、場にそぐわない明るい声色で言う。
「ごきげんよう、マドモワゼルと騎士様。わたくしをお待ちになっていらして?」
 アサシンは品のいい令嬢の笑みを浮かべた。セイバーは眉間に皺をよせ、楓は一歩後ろに下がる。セイバーは冷静ながらも、やや苛立ちを混ぜた声色で言い放った。
「妙な気配を振りまいているな。生憎だが私には効かない」
「あら、わたくし、そんな気はありませんわ。ごめんなさいね、体質のようなもので。わざとじゃないのよ」
 夜の色が濃くなっていく中、アサシンはゆっくりと二人の方へ歩いてくる。
「そんなことより、貴方たちはわたくしに御用があるのでしょ? 聞かせて頂戴な」
 セイバーは警戒しながらもゆっくりと、彼女に向けていた剣を下ろし、幾分穏やかさを織り交ぜた口調で頼んだ。
「ああ、貴女のマスターについてだ―――彼を監督役に引き渡す。ここへ連れてきてくれないか」
 だがアサシンはあっさりと首を横に振る。
「丁重にお断りするわ。杏樹はもうわたくしのマスターだもの」
「彼は魔術に関わりのない人間だ。聖杯戦争になど、巻き込むべきではない」
 断固として言い切るセイバーに、アサシンは困ったように溜息を吐いた。
「貴方たちには悪いのだけど、もう手遅れですわ。間違いでも何でも、わたくしと彼はもう令呪で繋がっているんですもの」
「それなら監督役の元へ連れていき、必要な処置を施すべきだ。貴女は彼を危険に晒したいのか?」
 しばらくの間、睨み合いが続いた。正確に言うならば相手を睨んでいたのはセイバーだけであって、アサシンは困ったような笑みを浮かべて夜の路上に立っているだけだ。楓はセイバーの後ろに隠れるようにして二人の様子を伺う。
 先に口火を切ったのはセイバーだった。
「なるほど。貴女はそれほどまでに彼を手放したくないのだな」
 深い赤色の剣先が、再びアサシンの顔の高さまで持ち上がる。アサシンは怯むこともせず、胸元に右手を当てがった。その手には、あの夜アーチャーの鉄矢を弾いた短剣が握られている。
「そう。わたくしは杏樹を失いたくないの」
 息を深く吸って、吐く。その次の瞬間には、セイバーはコンクリートの路面を蹴って跳躍した。
 キン、と甲高い金属音が静かな住宅街に響き渡った。その音の鋭さに、楓が思わず身を震わせたほどだ。キリキリキリ、と刃同士が激しく擦れ合う不快な音が後に続いた。
「何故だ? 何故そこまで彼に執着する」
 セイバーがぐっと刃を押し込み、アサシンはあっさりと身を引き後ろに飛び退いた。電柱を足場にして体勢を立て直し、ふわりと着地する。
「何故? ――――理由など必要かしら? わたくしと彼は、惹かれ合ったのですわ。ただ、それだけ」
 余裕の笑みで返すアサシンを、セイバーは軽く目を細めて睨む。
「それは紛い物だろう? きみは生まれながらに異性を魅了する魔力を持っている。惹かれ合ったのではない、さっき私にしたように、杏樹という男を魔力によって魅了したに過ぎないんじゃないか?」
「……」
 ベールの乙女は何も答えなかった。言葉を発する代わりに、笑みを消して無表情になる。その蜂蜜色の目が陰鬱に沈んだ。
「……嫌な男ね。貴方に、あのひとの何がわかるというのでしょう」
 アサシンはくるりと踵を返し、羽のように軽く電柱の上に飛び乗ると楓たちを身を見下ろす。
「帰ってくださいまし。貴方たちとはもうこれ以上、語り合いたくありませんわ」
「そうはいかない。悪いが、私は貴女を破滅させたって一向に構わないんだ」
 セイバーはその言葉と同時に、燃え盛る赤の剣を勢い良く上空のアサシンに向かって投げつける。ブゥン、と唸りを上げた剣は、しかし空を切った。
「……!」
「見くびられたものね、わたくしも」
 電柱の上のアサシンは影のように掻き消え、両手が空になったセイバーの首元に短剣の切っ先が当てがわれる。それが水平に首を撫でる直前、セイバーは地面に転がってそれをかわした。目前の華奢な脚を右手で鷲掴みにする。獲った、と思った瞬間には、彼女は影となってセイバーの手をすり抜けていた。セイバーは代わりに剣を手に取り戻し、背後に立つアサシンを斬りつける。
 常に攻守を入れ替えながら激しく、しかし静かにぶつかり合う二騎を、楓は逸る鼓動を抑えながらじっと見ていた。アサシンは素早く、セイバーは重い。使える魔術といえば簡単な治癒魔術くらいの楓は、せめてセイバーが傷を負ったとき即座に魔術を使えるよう身がまえていたが、両者ともに傷一つつく気配すらない。
 永劫続くかと思われた競り合いのさなかに、その声は響いた。
「アサシン!」


「え―――――」
 不意を突かれたアサシンの右目に、何の躊躇いもなく剣先が飛び込んでくる。しまった、と思い頭を振った直後、ベールが刃物によって無残に裂かれる音を聞いた。
 二人はそれを最後に動きを止め、声のした方を振り返る。十メートルほど遠く、楓の背後で街灯の青白い光に照らされた、一人の青年の姿が見えた。
「杏樹、なぜ! 来てはだめよ!」
「楓、そのマスターを連れて監督役の元へ、っぐ……!?」
 セイバーの言葉が終わらないうちに、アサシンが背後からその頭に飛びつき、渾身の力で口を塞ぐ。
「杏樹、逃げて! 来ないで、帰って頂戴!」
「か、楓ッ……!」



 混沌とした騒ぎの中で、楓は目の前を走り抜けようとする杏樹の白いセーターをすんでのところで捕まえた。
「せ、先輩! 監督役の元へ、行きましょう、これは何かの間違いです! 先輩は魔術師じゃ――――」
 杏樹は顔だけで楓の方を振り向いた。その目を見たとき、楓の言葉は止まる。
 彼の赤い目は、今まで楓が見たどんな目よりも冷たい色をしていた。
「――――離せよ」
 放たれた一言に、楓は言われるがままに杏樹を捕まえていた手を放してしまう。指は小刻みに震えている。
「あ、あの」
「……はぁ……」
 杏樹にかける言葉を迷っている楓に与えられたのは、嫌悪に満ちた杏樹の視線と、呆れたような溜息だった。
「何なの? ……僕、嫌いなんだよね、君みたいな人間。吐き気がするよ」
「え……?」
 怯えと恐怖と困惑が一度に押し寄せる。楓は臆病だった。男性が苦手で、できるだけ避けて生きてきた。
 なのに、これほどまで直接嫌悪感を向けられたのは初めてだった。
「何かの間違い? 何が間違いなんだよ。聖杯戦争に巻き込まれたことが? アサシンのマスターになったことが?」
「そ……それは……」
「君みたいな偽善者、本当見てて気持ち悪い。怒りを通り越して呆れるよ。僕は望んで、彼女のマスターになった。監督役の元に下る気はない」
 楓は震える手で口元を覆った。杏樹は尚も続ける。
「ねえ、もう僕に関わらないでくれる? 鬱陶しいんだ。僕が何を望んでいるか、なんでそれを望むのかなんてさ、君みたいな人間には一生かかっても分からないだろうから」
 そう言い捨てて、杏樹はアサシンの元へ歩いていく。その背を追うことも出来ず、楓は冷たい路面にへたり込んだ。
 ――――なぜ、と最初に思う。
 何故、何故、何故? どうして先輩は進んでアサシンのマスターに? セイバーの言う通り、魔力によって操られているのだろうか。自分はアサシンのマスターになりたいと思わされているのだろうか?
 いいや。きっと違うだろう。
 楓は何となくそう思った。楓は特別人を見る目があるわけでも、人の心理に詳しいわけでもない。だがそんな知識が無くても、あの杏樹の言葉はどれも「自分が心からそう思っている」から発せられた言葉なのだろう、と感じた。
 滲み出すような憎悪。まるで私が人間以下であるとみなしているような、そういう嫌悪。言葉の一つ一つは、特別激しい罵倒というわけではない。けれどあの一呼吸毎に、一言毎に含まれた、決して消えることのない根本的な軽蔑―――
 ハッ、と楓は顔を上げる。杏樹はセイバーの前に立ち、何かを喋っている。セイバーはそれを聞いて表情を固くする。そして一言何か言うと、腰の鞘から剣を引き抜いた。
「待って!」
 渾身の力で、楓は叫ぶ。
「もう、もういいの……セイバー、もういい……」
 セイバーの驚いた顔が目に入った。楓は震える冷たい手でスカートの裾を握りしめ、呆然と俯く。
「……彼は自分の意思でマスターに?」
 すぐ目の前でセイバーの声がした。若干不機嫌さを滲ませた声色に肩をすくませつつも、楓は小さく頷く。セイバーは何か言いたげだったが、先刻と同じように諦めて言葉を飲み込む。少し考えて、セイバーは呟いた。
「……なら今すぐ彼らの首を刎ねたって、俺は構わないんだがな」
「そんな!」
 反射的に顔を上げた楓に、セイバーは肩をすくめてみせる。
「楓がそうしたくないなら、今回だけは我慢するさ。……君、いたく心無い言動を受けたように見えるからな」
 剣を鞘に納めるセイバーに、ふっと楓は安堵を覚える。先ほど心に刺さった冷たい棘が、幾分和らぐような気がした。楓は引きつっていた頬を何とか緩めて、立ち上がる。
 その時だった。


「―――――あなたたちは、随分と甘ったるい。これは馬鹿のための戦争ごっこですか?」


 闇に紛れていた、見覚えのある人間が姿を現した。闇夜の街灯の光を吸うような黒い服、黒い髪。病人のように真っ白な不気味な肌だけが浮いて見える彼――ないし彼女は、セイバー側とアサシン側、二つの陣営のちょうど中間地点に立つ。楓はその人間に見覚えがあった。あの夜、令呪を宿した楓を殺せとアーチャーに命じた、あのマスターだ。
 警戒心に身を強張らせる楓と対照的に、セイバーは悠々と声をかけた。
「貴方とは初対面だな。名を聞いても?」
「黙れ。私はあなたたちのように、仲良しごっこに甘んじるために此処へ来たのではない」
 アーチャーのマスターはピシャリと言い放った。こちらを向いた拍子に、赤いタッセルのついた耳飾りがふわりと揺れる。
 彼、ないし彼女は冷徹な視線だけを残してアサシンの方へ向き直る。
「アサシン。あなたはルール違反を犯している。大人しく召喚者の元へ戻るか、ここで消えるか。三秒で決めろ」
「あら……三秒もいただけるの?」
 アサシンはフフフと優雅に笑う。アーチャーのマスターは一瞬右頬を引きつらせたが、返答の代わりに右手を上げた。
「よろしい。今度は従えよ、アーチャー」
 その右手に浮かんだ幾何学模様が肌の白色と激しいコントラストを成しているのが目に入った瞬間、それは振り下ろされる。
 刹那、空気の流れが一切停止した。
「―――――楓!」
 セイバーが何かに気づき、咄嗟に楓の頭を伏せさせる。次の瞬間、長い矢が二人の頭上を音速で掠めた。
 その矢は、一点の曇りもなくアサシンの心臓を狙いすまし飛んでいく。
「……!」
 短く鋭い呼吸と共に、アサシンが鳥のように素早く反応してそれを躱す。だが次が来る。それも横に飛んで避ける。そして次。次。次―――
 必中の一撃は的確にアサシンだけを狙い、アサシンはそれを舞い踊る鳥のように躱してみせた。
「どなた? わたくしを殺してみせるお方は!」
 激しい跳躍の中、少しも息を乱さずにアサシンは問う。返答はなく、ただ矢の苛烈さが増すばかりだったが、彼女はある一点を凝視した。
「―――そこね」
 言うなり、彼女は露のように地面から消え去った。セイバーは素早く辺りを見回したが、気配すら消えている。暗殺者のスキルか、と思い当たったその時、ふとアーチャーのマスターに視線が行く。次の瞬間には、セイバーは目を見開いた。
「な……やめろ、アーチャーのマスター!」
「全く、馬鹿な女と男ですね」
 呆れた様子でアーチャーのマスターは言った。その腕には、気を失っているのか無抵抗の杏樹を抱え、右手に握った短剣は彼の喉元に当てがわれている。楓が悲鳴を上げた。
「やめて!」
「何故? この男は敵だ。これを殺すのが、聖杯戦争だ」
 セイバーは剣を抜いて立ち上がり、厳しい声で反駁する。
「だが彼はただの人間だ。令呪を抜いて、暗示にかければ敵ではなくなる。彼を離せ」
「断る。あなた達は甘すぎる。彼は自分の意思で聖杯戦争に参加したのだろう。ならばこれも自業自得だ」
「……それは彼の意思ではない! アサシンの魅了にかけられて―――」
 セイバーが苦し紛れに弁解したとき、
「そうよ? だから杏樹を離して頂戴な」
 頭上から声がした。見上げると、電柱の上に二人の人影がある。一人はアサシン。もう一人は――両手を上げて降参のポーズをとる、銀髪のアーチャーだった。
「アーチャー! 貴様……何の真似ですか」
「悪いなマスター、ちょっとこの暗殺者のことを侮りすぎたかもしれん」
 アーチャーは電線の上で、アサシンに背後からナイフを向けられながら困ったように笑った。ナイフの切っ先は心臓の位置に正確に置かれ、あと少しアサシンが手を動かせば間違いなくアーチャーは心臓を貫かれる。それを見たアーチャーのマスターは抑えきれない怒りに歯を食いしばりながら、それでもまだ杏樹の首に当てた短剣は外さなかった。
「……アーチャー。貴様がどう動こうが容認するつもりでしたが、あまりにも目に余ります。いくら神代の大英雄といえど、今は私がマスターです。お分かりですか?」
「神代の英雄だってヘマはするんだぜ。俺なんか、弓以外は割とそんな感じだったんだけどなあ」
「……ッ」
 付き合いきれないとばかりに、アーチャーのマスターは顔を強張らせる。怒りともどかしさが限界に達した苦渋の表情を浮かべた後、苦し紛れに問いを投げた。
「何故です。何故そこまで彼らに肩入れを?」
 アサシンにナイフを突き立てられながら、アーチャーは「そうだなあ」と呟く。
「顛末はどうあれ、慕い合った男女の仲を裂くような真似は出来ないんだ、俺は」
「…………」
 ガラン、と派手な音を立てて、短剣がコンクリートの路面に落ちた。
「そうか。そうかい。なるほどね……」
 アーチャーのマスターは抱えていた杏樹の体も地面に投げ出した。何も持たず、呆然としているようにすら見える、感情の一切が抜け落ちたゾッとするほどの無表情でアサシンを見上げ、冷たい声を放つ。
「二つのことを覚えておいてください。ひとつ、私の名は(ウェン) 香月(シャンユェ)。この国では浜田香月といいます。好きな方で呼んでくれて構いません」
 彼女は続けた。
「もう一つ。私は決めた。この男とあなたは、絶対に、私が殺す。いいですか。私が考えうる限り、最も残酷な手段を以て、私があなた達を殺します」
 香月はそう言い捨てて、アサシンの返事も待たずに背を向けて歩き出した。数歩の内に、彼女の細い背は街灯の明かりの下から暗闇の中へと消えていった。

Fate/Last sin -07

to be continued.

Fate/Last sin -07

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-24

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work