ロスタイムの逢瀬
本編での出来事をきっかけに、リクはシュヴィを分解しながら愛し合います
若い男は自身が置かれている状況を理解するのに必死だった。
まずは現在位置。それなりの広さ、窓も出口もない奇妙な間取りの密閉された個室の中に立っている。部屋に置かれているのは装飾こそ少ないが品のある真新しい家具。照明は見当たらないが、昼間のように明るい。しかし光の取り入れ口は見当たらない。
不可解なことはまだあった。彼が目覚める直後の記憶は、自身の死の瞬間。体の大部分が崩れ去っていく様子だ。しかも、男は自ら黒灰を飲んでおり五体満足ではなかったのだが、今は手足が揃っている。治療したとしても、黒灰が原因の欠損を治療する方法など聞いたことがない。
「目が覚めていたんだね、気がつかなかったよ」
男が振り返ると、誰も居なかったはずの場所に誰か立っていた。子供、のような見た目の大人びた、男かも女かも分からない曖昧な姿をしている。男はそれに見覚えがあった。
「ゲームの神様?」
選んだ言葉が気に入ったのか、それは男に微笑んで見せた。
「そ、あのとき呼んだゲームの神様だよ、リク」
「オレの名前を?」
「神様だからね」
神を名乗る何かは、錯覚を起こさせるような装飾を施された宝石を取り出してリクと呼ばれる若い男に見せた。彼はそれに見覚えがあった。死の瞬間の直前、手にする寸前までたどり着き、手にすることの叶わなかった至宝、唯一神の証明。
「スーニアスター! じゃ、お前やっぱりあのときの!」
何かは宝石を仕舞い床に座った。
「そういうこと。唯一神になったのはボク、昔リクと何度もチェスをして負かしたのもボク。ついでに言うと、消滅かけているキミを引き留めているのもボク」
リクは自分の胸に手を当てた。彼には、自身が消えゆく感覚がまだ残っているようだ。
「なんでオレだけ」
「うん?」
拳を握り、リクは歯をかみしめ何かを睨みつけた。
「オレなんかどうでもいい、生きていたいヤツは山ほどいた。なんでオレを生き返らせた。なぜ他のヤツはそのままなんだ!」
「怒るのは、ボクの話を聞いてからにしてくれないかな」
◆◆◆
リクはゲームの神様としばらく語り合った。彼がテトという名であること、唯一神になったことで世界から殺し合いはなくなったこと、コロンを含む人間は皆無事であること、リクは生き返ったのではなく、死ぬ前の魂を引き留めているだけであることなどだ。
「そう言えばこの部屋、出口がないな」
「キミは消滅するはずの人間だからね、元の世界に戻すのはルール違反になる。いくらボクでも、消えかけた魂を復元することは出来ないしね」
「そんな手間をかけて、なぜ時間を与えた」
「三つ、誰にも悟られてはならない。五つ、奴らのルールなど知ったことではない。誰の言葉だったかな」
自分で言ったことを思いだし、リクは少し恥ずかしくなった。
「悟られなければよいし、オレの都合なんて知ったことではない。理屈は分かるが、テトに何の得がある」
「ボクはキミのルールが気に入ったんだ。だから、世界にこういうルールを課させてもらった。さっき言った、世界から殺し合いがなくなった正体さ」
テトは唯一神の権限で定めた世界のルールをリクに説明した。彼はすぐに悟った。
「五つ。ゲームの内容は、挑まれた方が決定権を有する……それを根拠に好き勝手したいんだろうが、第三項の賭けに関してオレは何も決めていないぞ」
「キミは挑む側なのに決定権を有した。スーニアスターを手にしてくれというのも、元はキミの願いだ。少しくらいボクの願いを聞いてくれてもいいんじゃない?」
なるほど、とリクは思った。ルールは犯せないが、自分を使うことでテトは何か……おそらくゲームに関わることがやりたいのだろうと。
「確かに、オレの望みは叶った。いいぜ、言うことを聞いてやる。何を望むんだよ、神様」
「新しいルールで勝負したらどちらが勝つか。ただし、今のボクでもキミを引き留めるのは一ヶ月が限界だ。勝負は一度、その間、キミたちには作戦を立ててもらおうと思う」
「たちって、誰と」
テトが壁に目を向けると扉が現れた。向こう側には、エクスマキナの少女が立っていた。リクの手が震える。
「言っていただろう、次こそ勝ちたいと。彼女と」
◆◆◆
扉は消え、テトは退出した。リクはエクスマキナの少女と二人で、部屋の中に据えられたソファーに並んで座っている。彼女は服を着ておらず、内部や外部の機械が剥き出しになっていた。身につけているのは赤い宝石をあしらわれた指輪だけだった。リクは彼女に話しかける。
「お前もテトに引き留められたのか、シュヴィ」
シュヴィと呼ばれた少女は抑揚のない、まっすぐな瞳でリクを見る。
「機械に魂はない、引き留めることは不可能。呼び出されたが正確。シュヴィは破壊されて修復は不可能、でもテトは指輪に心が残っていたと言った。機械に魂はない、でも心はある、たぶん」
リクは目を見開き、彼女の肩を力強く掴んだ。
「じゃあ、お前は元に戻れるのか?」
「シュヴィは既に復元されたと同義の状態にある。シュヴィの情報は全てクラスタとリンクした、シュヴィの機体が存在するかどうかにもう意味は無い」
「難しくてよくわからんな」
困った顔をするリクを見ながら、シュヴィは涙を流し始めた。彼は慌てて釈明する。
「す、すまん。エクスマキナのことはよく知らなくて……シュヴィのこと、もっとよく聞いておけばよかったな」
「違うの」
涙を流したまま、シュヴィはリクと合わせた目線を外さない。
「シュヴィの心、全部見せた。リクにも話したことないこと、聞かれた。触られたことないとこ、触られた……リク以外に。嫌だと思った。リクがいい、リクが一番いい」
リクは言葉が出なかった。彼女らエクスマキナは機械であり、本来感情とは無縁だ。が、シュヴィは感情を観測し、心を得るに至った特別な個体。付け加えるなら、見た目通りの少女だ。粗野な世界しか知らないリクであるが、彼女の痛みが想像の及ばないものであることは分かった。
「シュヴィ、こういうとき……どうすればいいのか、オレは知らない。何かして欲しいことはないか? オレには一ヶ月しかないらしい、出来ることなら何でもしたい」
「じゃあ、これ使って」
手渡された道具を見て、リクは震えていた。頭の平たいドライバーに電工ナイフ、ヘッドマウントディスプレイ。見た目はどれもシンプルだが、明らかに人間の……いや、ドワーフの技術さえ超えた何かが使われている。
「これでシュヴィの中、全部覗ける。リクに全部見せられる」
「見せられるって、何を」
「シュヴィの心と、体の中身」
リクは試しに、自身のゴーグルに電工ナイフの刃を当ててみた。持ち手の重みだけで、ガラスが音も立てずに切れた。断面が滑らかすぎて、切った部分と熱処理した部分の境目が分からなかった。
「なんて切れ味だ」
「それならシュヴィの部品も切れる。モニター、頭に乗せてみて」
ディスプレイを頭に被ると、目の前には光の渦が瞬いていた。それらはすぐ収束し、薄暗い場所が映し出される。青白く光る鉱石と無数の工作機械、見覚えのある部品……の、原形のようなものが見える。
「シュヴィの最初の記録、制作工程。機械が産まれるところ、見れる」
リクは装置を投げ捨て、シュヴィに迫る。
「何で、なんでこんなことをしたがる! せっかくまた会えたのに、自分を傷つけるようなことを! 何があった、何があったんだよシュヴィ!」
◆◆◆
シュヴィから話を聞く間、リクは終始涙を流していた。彼女が、自身の苦しみをあまりに淡々と、抑揚なく話す様子が彼の悲しみに拍車をかけたのかもしれない。
「話を聞いて、何となくは想像してた。でも、そんなに酷かったなんて聞いてないぞ」
「シュヴィにとって、リクが一番じゃなきゃ嫌。テトが言ってた、ここでは肉体が破損しても元に戻る。一ヶ月の間だけなら、そうなるって」
「だからって!」
シュヴィを押し倒し、リクは鞘を付けたままの電工ナイフを彼女に見せつけた。
「こんなもので、お前を切れってのか、オレが、自分で!」
「んっん~、ちょっといいかな」
二人が咳払いに目をやると、テトが立っていた。居心地が悪そうな顔をしている。
「いつまでそうしてるつもりなのかな。さっさと済ませて欲しいんだけどなぁ、時間あんまりないよ?」
「立ち聞きかよ、趣味の悪い神様だな」
リクの悪態に、テトが反論する。
「そんなことはしないよ。しないけど、ボクが願いで出てくるのを忘れてないかな? リク、キミはシュヴィを傷つけたくないと願った。シュヴィはリクを自身にとって誰にも占有されない、自身だけの一番にしたいと願った。その願いがあんまりにやかましく聞こえるから、代案を持ってきたんだよ」
「代案だと?」
不信感を隠さないリクに対して、代案という言葉にシュヴィは興味を示す。
「代案に興味あり、提示を求む」
「ボクの代案を提示しよう、今問題になってるのはリクの罪悪感だ。彼はシュヴィが大事で大事で仕方ないんだよ。かすり傷も付けたくないくらいにね、でしょ?」
リクは不機嫌そうに顔を背ける、シュヴィはその様子をじっと見つめている。
「でも、人間には大事な人に傷を付ける例外がひとつ存在する。シュヴィ・ドーラ。肌を重ねる、皮膚組織接触を用いる独自言語は心を交わす行為……は、生殖行為であると同時に、傷と感覚を共有する行為でもある。人間の本能はこれを推奨する、本能による行為は倫理や罪悪感に勝り、それらを軽減するに足る優先度を持っている。ということを踏まえて、論理を再構築してごらんよ」
「質問。踏まえる、とはどういうことか」
「エクスマキナに生殖行為はない。が、キミが人間同士の生殖行為相当の傷と感覚の共有をリクと行うことで代替とする。擬似的生殖行為は、リクの罪悪感を軽減する……って言えば、わかるかな」
「肯定。当機は痛覚と感覚の共有について情報を持っている。つまり、シュヴィはリクの行為を人間的快楽として変換し受信。痛いけど気持ちいい、こんなの初めて、もっとリクが欲しいよぉ~と要求すればリクが承認してくれる、ということ?」
シュヴィはリクへと向き直った。彼は目元を手で隠し、顔を赤くしてうずくまっている。
「テト、リクがおかしい」
「それは承認の合図だ。じゃ、ボクは帰るよ。一ヶ月後まで呼ばないでね~」
テトが消え、シュヴィは自身の設定を細かに変更するよう小刻みな発音を始め、リクはこれからどうしようかと頭を抱え悩み始めた。
◆◆◆
「この工程で、既にシュヴィの役割は決定している。準備として、必要な情報と行動アルゴリズムが組まれ、調整されているという意味では既に産まれている。このとき、ノイズやエラーが大量に発生するため、繰り返し書き換えを受ける。苦しいという感覚があるなら、該当する。けれどエクスマキナにそういう感覚はない。ただし、産みの苦しみを理解するのに、この記録はとても役に立った」
リクの眼前には、これからシュヴィになるものが加工されていく様子が映し出されていた。青い結晶体や演算装置、ケーブル等が激しく明滅を繰り返しており、産みの苦しみが光と連動している様子を理解させる。それを解説する音声はシュヴィが作り出し、再生しているものだ。
「なんていうか、女の人のお腹の中を見せられてる気分というか……これ、いつまでやるんだ」
「一ヶ月という期限はシュヴィの歴史をリクに伝えるには短すぎる、だから最初だけ見せる。もう少し待って」
結晶体が削り出され、枠が取り付けられたところで映像は途切れた。リクはモニターを外す。目の前には裸のシュヴィが、映像で再生されていた結晶体を露わにしリクに見せていた。
「うわっ……それ、なのか?」
「そう、これが全体。これが壊れればシュヴィは全損、本来の意味での修理は不可能。この体はテトが用意した空間限定の複製と推測。本来あり得ない、全損したシュヴィと同一の個体。期間内に限り繰り返し復元可能という事象はスーニアスターの超常的権限の応用と思われるが情報が少なすぎてシュヴィの演算能力では解析に不足」
「いや、そういう小難しい話はいいんだ。なんていうか、嫁の内臓を見るのは反応に困るというのか……怖がるべきなのか、恥ずかしがるべきなのか」
「エクスマキナの外装は換えが効く、中身は換えが効かない。部品は人間で言う裸に該当する、と思う。恥ずかしがるのが正解だとシュヴィは思う」
「そ、そうか。じゃあ、色っぽいものなんだな」
リクは側へ寄り、シュヴィの中身をまじまじと見た。外装越しのためよくは分からないが、どれもが綿密に噛み合っており、規則的で力強い。芸術的感性に自信は無かったが、美しいものなのだろうとリクは思った。
「リク、もっとよく見て。触って」
「あ、ああ」
手で触れると、思ったほど固くはなかった。ただの金属質ではない、かといって石や木材とも違う、血が通っているような優しい触り心地がした。人間ほどではないがほんのり暖かく、シュヴィのものということもありずっと触れていたいとリクは思った。
ふと、彼は気がついた。シュヴィが今まで見せたことのない、色っぽい顔をしていることに。
「シュ、シュヴィ? まさか、感じるのか?」
「生殖行為時に生物が感じる感覚は既に再現し、増幅器で増やしている。サンプリング対象の少なさから正確さに疑問はあるが、近似値の再現には成功している、はず」
リクは慌てて手を離した。
「つまり今、エッチな気分に?」
「生殖行為をしたい気分、というものがどういうものかシュヴィには理解できない。でも、この信号は好き。しかし表面に発生する信号では不足、不満を感じる。奥の部品にも触れて欲しい、そう思う」
「信号って、自分でどうにかできないのか」
「不可能。シュヴィには生殖行為の再現しかサンプリング元がない。自分で触れてこの信号を出すには新たなアルゴリズムが必要。でも、シュヴィの目的は信号の受信じゃない。独自のアルゴリズムを組む必要性を認めない、時間の無駄」
「無駄とまで言いますか……触られることってそんなに大事なのか?」
シュヴィは小さく頷いた。そのまま、頭の平たいドライバーをリクに手渡す。
「リクに破壊の意思がなくとも、破壊可能な状況であえて破壊しなかったという事実は重要。その事実は、シュヴィにとってリクはフリューゲルと同等の脅威になる存在、ということになる。脅威というカテゴリにおいて、シュヴィのデータでリクが上位になるのは嬉しい」
「こっちはひ弱な人間だぞ、そんな大層な」
「リクは、シュヴィの一番は嫌?」
まっすぐな、赤い瞳が覗き込む。リクはエクスマキナの部品に吸い付く不思議なドライバーを使い、シュヴィの部品を取り外し始めた。
「すまん、嫌じゃない。オレはシュヴィの一番がいい」
部品を外されるたび、シュヴィが心地よさそうな、戸惑うような、色っぽい声を上げる。リクは気恥ずかしくなってきたが、部品を外し、外した部分をよく見、手で触り、さらに外すという行為をゆっくり丁寧に繰り返した。
何時間かかったか分からないころ、シュヴィの手足は外され結晶と金属片、それらを繋ぐケーブルが彼女を構成する主な部品になっていた。
「身体機能、一切の使用不可能。リク、シュヴィの裸、どう?」
「すまん……今、違うこと考えちまって」
リクは怒りに震えていた。シュヴィは今なすがまま、されるがままの状態にある。エクスマキナらしからぬ、惨めな姿だ。この姿を指して「鉄くず」と呼ばれ、彼女を破壊した存在への怒りで彼の心は黒く染まっていた。
「シュヴィは、リクが見ててくれるとうれしい。リクの前ならどんな姿になっても安心できるから。シュヴィがリクの側に居ることをこんなに望んでたなんて、知らなかった。それが分かって、よかった」
「そうか。ところで、どうやったら元に戻せるんだ?」
「この空間は特殊。テトは時が来るまで消えられない、死ねないと言っていた。だから、全損すれば元に戻る、はず」
「オレにできると思うか?」
「絶無、代案。リク、シュヴィが壊れるまで生殖行為をしてほしい」
唖然とするリクを尻目に、シュヴィの残されたケーブルと金属片は動き回り頭部表面が再生された。
「前に穴はないって言ったけど、口やチューブで代用できる可能性を考えなかった。シュヴィ、リクに満足して欲しい。喜んで欲しい」
「お前、その状態でやれっていうのか」
「リクの男性器は生殖行為をしたがってる」
慌てて股間を隠し、リクはシュヴィに背を向けた。
「リクはエクスマキナに欲情する特殊性癖を持っている可能性がある。この状態でも生殖行為は可能と判断」
「違う! シュヴィだと思うから立っちゃったの! 童貞の悲しい性だと思って見逃して」
半泣きのリクに、シュヴィは機械的に、少し悲しそうに付け加えた。
「代案。生殖行為がダメなら、キスを提案する。シュヴィは今、抱きしめる腕も立ち上がる足もない」
リクは振り返り、再びバラバラのシュヴィを見た。惨めな姿だ。あんな状態になるまで、彼女は自分のために戦ったのだと思い出した。
「受けよう、キスはする」
シュヴィの頭を持ち上げ、リクは深く口づけした。すると彼女は目を見開き、残されたパーツからは火花や煙が吹き出した。ショートしているのか、青白い電光も見える。
「な、シュヴィ、どうした!」
「エラー、エラー、え、ら……」
返事はない、彼女は同じ言葉を繰り返しながら震え、ひときわ大きな火花を散らして止まってしまった。リクが何度呼びかけても、動かない。
◆◆◆
「アンプリファイア、増幅装置だね。彼女はキスの感覚を途方もない大きさに膨らませて受信したのさ」
再生されつつあるシュヴィを見下ろしながら、テトがリクに説明した。
「大きくって言っても、キスでエクスマキナが壊れるのか?」
「桁が違いすぎるとね、物事の性質は変わるものなんだよ」
テトは床に座り込んだ、どこか面倒くさそうだ。
「ここまで大きいと、きっかけはキスでも砂糖菓子でも何でもいいんだよ。信号があるってこと、そのものが衝撃になる。大きすぎる感覚はそれが何、なんて判別することは出来ない。容量オーバーを起こしたら、人間も痛いとしか感じない。リクは塩を直接口に入れて、痛くなったことはないかい?」
彼には心当たりがあった。飢えのあまり食料庫から盗みを働いたとき、誤って口が渇いているときに岩塩をかみ砕いてしまい口を腫らした。その話をすると、テトは説明を続けた。
「それだよ。その塩辛さが百倍だったらリクの口は血まみれになっていたはずだ。それと同じことを、千や万なんて桁じゃないレベルで彼女はやったのさ」
恋人のキスで倒れるなんてウブじゃないか、なんて冗談テトは続けたがリクは聞いていなかった。再び部屋に戻ったシュヴィはリクに何度も怒られたが、目的は果たしたと満足げだった。
◆◆◆
一週間は過ぎた頃、シュヴィはリクに再び性交渉の提案をした。どうせ消えてしまうなら、付いている穴でやることはやっておこうと。
「そうだな。せっかくの機会だし、結婚してるのにやらないほうが不自然か」
毎晩行われたが、二人の行為はひたすらウブだった。お互いを思いやるあまり、優しいことしかできない。ただし、やみつきになったのかどちらが誘うでもなく、シュヴィの部品を触る行為は前戯として取り入れられた。それ以外の時間は語り合うことと、作戦を練ることに使われた。
◆◆◆
チェス勝負は中盤の要所、リクの手番。
「クイーンをcの6へ」
作戦は単純だった。相手はゲームの神様、並の手が通用する訳がない。よって基本的なゲームメイクはリクが進め、勝算のある奇手が打てるとシュヴィが算出した時点で仕掛ける、というルールを定め勝負に望んだ。
「ナイト、eの4」
勝負へ挑む前に、リクは新たなルールの条件として『シュヴィを復元し、コロンの元へ届けること』を挙げた。エクスマキナの理屈で言えば、シュヴィ達に死の概念はない。死んでいないなら戻しても問題ないだろうとリクがテトへ迫ったのだ。
対するテトの条件はリクとシュヴィの情報の保存。魂を留めておくことは、スーニアスターを持つ唯一神でも不可能。しかし、テトは好敵手を求めている。いつかリクとシュヴィを呼び戻す条件が揃ったとき、記憶を失っていたときの保険として全ての情報を預けてもらう、という話だ。
一見似通って見えるが、シュヴィのみを復元してもテトの敵にはなり得ない。彼にとって最大の好敵手はリクであり、シュヴィは補佐役に過ぎない。二人が揃って自身と対峙することが最も好ましく、二人が同時に存続しなければ意味が無かった。
「クイーン、aの8」
テトの顔が笑みで溢れる、とても嬉しそうだ。
「優勢じゃないか、彼女のおかげかな? キャスリング、キングをb1、ルークをc1」
「勝てたらそういうことだ。クイーン、cの6」
「ナイト、c3」
シュヴィがリクの服の裾を引っ張った、攻め手が見つかった合図だ。差し手が入れ替わる。
「ポーン、f3」
「ここで攻めるとは……シュヴィ・ドーラ、リクと練習したね? ビショップd7」
シュヴィは答えず、真剣な顔のままリクに手番を戻す。
二人はテトに敗北した。ミスらしいミスはなかった、二人は終盤まで優勢だった。しかしシュヴィが攻めに転じた数手後に、シュヴィが仕掛けるはずだった奇手をテトに仕掛けられ、敗北した。リクはシュヴィに問う。
「シュヴィ、お前がテトに作戦を伝えたなんて疑いはしない。だが、テトがあの手を打てることに気付いてポーンを動かしたんじゃないか?」
シュヴィは答えない。代わりにテトが答えた。
「リク・ドーラ、彼女の気持ちになって考えてみなよ。キミの条件はシュヴィ・ドーラにとって何の得にもならないんだ。彼女だけでコローネ・ドーラの元へ帰ったとして、彼女になんて説明するんだい? リクが助けてくれたと言ってめでたしめでたし? 彼女たちがそれで笑いあって幸せに暮らせるほど単純じゃないことは分かるだろう」
「コロンには集落がある、子供もいるだろう。オレの思い出を持ち帰って、シュヴィは耐用年数まであいつらと、その子供達を守りながら笑って暮らす。悪くないはずだ」
テトは首を横に振った。
「やっぱり分かってない。いいかいリク、人間がエクスマキナに導かれて繁栄したら、それは人間の力ではない。シュヴィの命は永遠ではないし、エクスマキナなしに生きられないなら人間に未来はないだろう。そんな未来を知ったコローネとシュヴィがどんな顔をすると思う?」
リクはようやく察する。彼はシュヴィさえ幸せであればよいと考え、それ以外を犠牲にしようとしていたことに。
「それは、ゲームの敗北……」
「そういうこと。せっかく勝ったのに、リクはそれを手放そうとしていたんだ」
テトの言葉に、リクはシュヴィの前に跪いた。
「オレは、とんでもない、勘違いを……間違いを、犯そうと」
「いいの。シュヴィはリクが大切にしてくれた、嬉しかった。だから黙ってた」
抱き合う二人の背中に、テトが微笑みながら、しかしハッキリした言葉を投げる。
「約束通り、二人のことは記憶させてもらう……ごめんよ、もう限界なんだ。この部屋もキミ達も、二十四時間で世界から消えてなくなる。苦しくはない、けど前触れもない。最後の時間、大切に使って欲しい」
テトは部屋の中を花で埋め尽くすと、振り返らずに自らの世界へ戻っていった。
ロスタイムの逢瀬