短編小説 『隙間人情シリーズ』父と客と娘と風俗嬢
寝る前に、たった5分の人情話はいかがでしょうか。
「おじさん、今日も何もしないの?」
トートバックをベッドの下に置いた梨花は、不思議そうに私の横に座った。
「こんなにオプションつけてるのに?結構かかるでしょ?」
梨花はそう言って様々な道具を見せてきたが、私はそれには何の反応もせず、彼女が以前欲しがっていた漫画と、化粧道具を渡した。梨花は嬉しそうに漫画のビニールをひっぺがし、ごろんと横になって読み始めた。超ウケる、という笑い方に違和感があり
「ゆな、俺とおるときは関西弁使ってくれや。」
と言ってはみたが、梨花はもうこっちにいる期間の方が長いからしょうがないのだと、言葉遣いを直してはくれなかった。そんなちょっとした違和感がある度に、私は全て自分が悪いのだと、かつての過ちを心の中で責め続けた。
娘に13年ぶりに初めて会ったのはつい3ヶ月前、流石に血が繋がっているだけのことはあり、気づくのは一瞬だった。ホテルの扉が開いた瞬間の驚きといえば、人生で最も動揺した瞬間と言っても過言ではない。
「初めまして、ゆなです。」
あの時自分の前から消えた娘は、私にそう挨拶をした。まるでお前には子供の名前すら呼ぶ権利はないと、神様から罰を受けているような気持ちになった。それからすぐ私は東京支社に異動届けを出し、退職者も出たことから期初手前の強引な異動に成功して以降、週に2回梨花の元に通っている。
本当はこんな仕事すぐに辞めさせてやりたいが、私にはそんな力もお金も、何もない。今の私には、償いという自分勝手な言い分で、梨花の欲しいものを買い与え、あの子にお金を使うことしかできなかった。
かつての私は、子供を稼ぎに利用する最低のクズだった。仕事柄芸能事務所とも知り合いが多かった私は、友人から子役として娘を使わせてくれと頼まれ、まだ3歳だった娘に仕事をさせていた。たまたま出演したCMの商品が大ヒットしたこともあり、3歳の娘はCM、雑誌に引っ張りだこ。収入面では、私の稼ぐ端金なんてとうに超えていた。反対する妻を押しのけ、私は仕事を辞めて娘のマネジャーとして泣きじゃくる娘にいくつもの仕事をさせていた。見兼ねた妻は、娘を連れて逃亡。私は芸能事務所から契約違反だと多額の金を請求され、これまで娘に稼がせた金のほとんどはそこに消え、気づいた時にはただ何もない男になっていた。
「聞きましたよ先輩!最近あの店に通いまくってるそうですね!」
どこから噂が立ったのか、営業部の後輩が、嬉しそうに話しかけてきた。どうやらこの後輩も、梨花が働くあの店によく通っているらしかった。
「いや、そんなに通ってへんよ。たまにちょっとな。」
これ以上深堀りされたくない私は、なんとかその場をやり過ごそうとしたが、後輩は勝手に話し続けた。
「あの店のゆなとかいう子知ってます?超いいんですよ。押しに弱くて。まぁそんなカワイイわけでもないし、指名取るためには当然ですかね。来週も行くつもりなんですけど、何してやろうかな。無理やりヤっちゃうか!」
気がつくと私は、後輩の顔めがけて思いっきり右腕を振り抜いていた。後輩の鼻からは血が流れ、私のスーツにも飛び散っていた。後輩は、痛みよりも動揺していたと思う。
「え、、?なんすか、まさか風俗嬢なんかに本気になってるんすか?ださっ、意味わかんねぇ、あんたいくつだよ。気持ち悪ぃ、勝手にしろよ。」
側から見ればどう考えても私が悪いのだが、私にはこれしかできなかった。同時にこんなことで、少し父親らしい気持ちになっている自分に、腹が立って仕方なかった。
「どうしたの?!血、ついてるよ?!」
その晩、てっきり血のことを忘れていた私は、スーツをかけようとする梨花に驚かれて思い出した。何と説明すればいいのかわからず下を向いている私に、梨花は
「よしよし、怖かったね〜」
そう言って私を抱きしめた。何十年ぶりだろう。アロマの匂いに隠れてはいるが、その肌からは懐かしい匂いがした、無意識の涙が床にこぼれ、梨花の袖には私の鼻水がついていた。本当は自分が、こうして娘の涙を拭き、鼻水を拭き取ってやらねばならなかった立場のハズなのに、私はそれをしてやれなかった。何もしないまま、こうして涙の理由も聞かず抱きしめられる年齢になってしまった。そう思うと、私は余計に涙が止まらなかった。
帰り道、いつも案内所に立っている店長兼キャッチの男から声をかけられた。
「あ、常連さん。今度ね、うち新しい子はいるんですよ。超カワイイっす。ゆなそろそろ別の店に飛ばそうと思ってたし、今度はその子に肩入れしちゃってくださいよ!」
私の鼓動が異様に早くなるのを感じた。
「え、ちょっと待ってくださいよ。り、、ゆなちゃん飛ばすてどういうことですか?」
「いや〜あいつあんまり稼いでくれないんでね〜。ほら、そんなに可愛い訳じゃないし?もっとハードなことやる店に飛ばそうと思って!そういうとこだと顔とかあんまり関係ないんで!」
また、私の右腕は目の前の男を打ち抜いていた。しかし今度は後輩のようにいかず、男は慣れた様子で立ち上がり、私を裏通りに連れて行き、いつの間に呼んだのか分からない他のキャッチと共に、私を幾度となく殴りつけた。
「こういう業界の人間に手を出しちゃダメなんですよ?10代好きのロリコンさん?」
なんの理由も知らないくせに、私をロリコン呼ばわりし、彼らは私を踏みつけ、殴り続けた。もはや私に怒りなどない。私は何度も何度も彼の足にしがみつき、
「お願いします、お金なら払います、梨花を、、ゆなをこれ以上ひどい目に合わせんといてください!お願いします、お願いします!」
私は叫び続けた。男達はそれを聞いて大笑いし、
「お前まだあんな女に金使うの?あいつ裏でお前のことATMって呼んでるんだぜ?わかる?お前はずーっと利用されてるんだよ!」
そう言って男は私の顔を尖った革靴の先端で蹴り上げた。その一撃の痛みは、全く感じなかった。ただ、自分がかつて娘を利用した過ちが、こうして返ってきていると思うと、心が痛くて痛くてしょうがなかった。
「おい、警察呼ばれたっぽいぞ」
別のキャッチの男の言葉で、私は解放された。去り際に店長の男は、300万キャッシュで用意できれば娘を安全なところに飛ばしてやるよ。と言ってきた。本当かどうかは分からないが、今の私にはそれを信じるしかなかった。
友人、業者、闇業者、思いつくところ全てをあたって、私は300万円用意した。最後に手元に残ったお金で、私は梨花を指名した。いつも通り何もせず会話をしていると梨花の方から、
「おじさん、私なんか別のお店に行くことになったの。だからこの店で会えるのは今日が最後なんだ。」
と切り出してきた。私は恐怖で冷や汗が出たが、聞いたところ形態はスナックのようで少し安心した。その店では料理もしなければいけないらしいが、梨花は料理なら一通りできるから、と張り切っていた。そこは妻に感謝しなければいけない。
「おじさん、最後になんかしてほしいことある?別の店行ったら、あんまりサービスできないよ。」
ニヤリと微笑む梨花に対し、私は
「お父さん、と言って抱きしめてくれへんか?」
と震える声でお願いした。梨花はプッと吹き出し、なにそれと大笑いした。私もつられて、無理やり大笑いをした。そんな数秒の間の後、梨花は
「お父さん」
そう言って私の胸に飛び込んできた。優しい湿気と柔らかい肌が私に伝わると、また涙が溢れた。
私はしばらく、梨花にお金を使う余裕などない。それでも彼女が、今より危ない目に合う可能性を減らせたのであればそれでいい。元々二度と会うことはないと思っていた娘に出会い、話をすることができた。抱きしめることができた。そして、もうすぐタイマーが鳴るまでの数分間、私はこの娘の父になれたのだから。
短編小説 『隙間人情シリーズ』父と客と娘と風俗嬢