リラの花が咲く頃に  第9話

リラの花が咲く頃に 第9話

「リラの花が咲く頃に」第9話です。
今回は前回のお話の後編です。

では、どうぞ。

「仲間のピンチを乗り切る為に大切なことは」 後編

佳奈子とれなの通話中、れな側のスマホにキャッチが入った。

「佳奈子ごめん、キャッチ入ったみたい。ちょっとまってて」

〈うん、わかった〉

れなは佳奈子との通話を切って履歴を見た。

(え…この番号って…)

かかってきた番号には見覚えがあった。長いことれなのスマホの連絡先にあるような番号だ。れなはその番号に折り返し電話をかけた。
番号の相手はすぐに出た。

〈もしもし、れな?〉

その声は昔からずっと側で聞いてきた声だった。中学生で声変わりをし高校2年には今と変わらない声となって聞き慣れた…ーー。

〈おい聞いてんのか?れなだべ?〉

北海道訛りの強い青年の声ーー。

「諒…諒でしょ?!聞こえてるよ!今どこなの?教えて⁈みんなあんたのこと探してるよ!」

れなは黒い小さいリュックの中からボールペンと小さなメモ帳を取り出した。

〈1回しか言わねーから聞き取って〉

「わかったよ…メモる準備できた。言って」

諒は小声でれなに居場所を伝えた。

〈オッケー…?聞き取れた?〉

「ばっちりだよ。ありがとう」

通話を切ってれなは佳奈子に再び電話をかけた。

〈もしもし〉

「佳奈子!さっきのキャッチ、諒だったよ!」

〈え?それほんとうなの?!〉

「マジだよ。諒が居場所教えてくれた。佳奈子の予想は当たってた。山の上の宗教施設だよ」

〈やっぱり…〉

「電話中、諒の声の他にずっとBGMのようにおっさんの声が聞こえてきた。なにを言ってるのかはわからなかったけどね。きっと教祖の声だと思う」

佳奈子にはわかった。お経の様な教祖の言葉を吹き込んだCDをずっと部屋の中で流しているのだと。会員は悪霊避けと称して部屋の中で音量を小さくした状態でCDを不気味にリピート再生する習性があり、佳奈子も幼い頃からおばに引き取られる頃まで聞いていた。
CDの他にも教祖の説法のビデオやDVDなどをみゆに見せられているのであれば、バカな諒でも洗脳という危険にさらされていることには変わりなかった。

〈れな〉

「ん?」

〈諒はバカだけど…バカだけど…うちらの友達、幼馴染だよね…?〉

「うん、そう、だけど」

〈ミュウなんかに、いや、宗教なんかに幼馴染取られたくないよ!私、諒を助けたいっ!〉

傍で電話の内容を聞いている先生は手で顔を覆い、頭を抱えた。

〈ちょっといい佳奈子?聞いてね?〉

れなは佳奈子に諭す様にいい聞かせる。

〈新興宗教やってる人にうちらの常識、てかまともに社会常識すら通じない人たちがいること、佳奈子はよく知ってるはずじゃん?
佳奈子だって小学生のとき丘珠でお菓子作りしたときとかさ、本来親に教わるべき知識を知らなくて生きているかぎりあらゆる場面で佳奈子が困るからっておばさんが遊びに行くたびはまってないピース埋める様に一生懸命知識教えてたじゃん。子供の教育すらまともにできてない人たちのとこに行って諒を助けようとしても、うちら未成年じゃどうにもできないよ〉

れなの言う通りであることは佳奈子にもわかっていた。
子供の育児教育を放棄し、親が信仰するものを信仰しない子供に向かって「死んじまえ!」と簡単に言えてしまう様なまともではない人間が親なのである。

〈わかってるよ…わかってる。でも、あのいつも明るくて…みんなを元気にしてくれる諒がいなくなっちゃったら私も…きっとファンの子だって嫌に決まってる…〉

「佳奈子…」

落ち込んだ時も諒は話を聞いてくれて、彼が心から愛している音楽で慰めてくれた。元気づけてくれた。ライブだって佳奈子たちを必ず呼んで楽しませてくれた。アプローチがしつこく、もともと恋人としては考えることできずにいた為断ったが、諒は男友達としては最高だし、やはり3人揃わなくてはうちらじゃない、佳奈子はそう思ったのだ。

〈…だから友達として最高の諒を失いたくない。たかが宗教如きで友達まで失いたくないのっ…!〉

佳奈子の目から涙が零れ落ちた。ひとつ、ふたつ…シーツに染みていく。
佳奈子が泣く後ろ姿を見て先生はその震える肩にそっと後ろから抱きしめた。宗教に家族を奪われてしまっている彼女が、大事な友達まで奪われてしまうかもしれない悲しみは痛いほどわかったからだ。
電話の向こう側のれなに聞き取れないほどのか細く甘えた声で佳奈子は「…先生…」と口にして体をゆっくりと先生に預けた。
振り向いた佳奈子の頬を伝う涙をキスで拭い、いつもの様に優しく頭を撫でる。

「佳奈子…?」

途中で音声が聞き取れず、心配になったれなは佳奈子の名を呼んだ。

「もしもーし?」

れなと通話中であったことを忘れかけていた佳奈子はハッと我に返った。

〈あ…ごめん、れな〉

れなは内心そばにいる先生が泣いている佳奈子を抱き寄せて慰める行為をしていることを予測していたが、間違いではないだろうと思った。先生が大好きで恋愛経験がほとんどない佳奈子のこと、友達の心配をしつつも甘い雰囲気に流されやすいだろうとはわかっていたので怒る気も起こらず、話を本題に戻した。

「私も諒のことは友達として大好きだよ。あのバカがいないとダメな時あるもん…たまにあいつがいてこそ私も救われてるところあったりしてさ…」

れなの声は震えていた。電話口から鼻をすする音が聞こえる。
れなも本当の心の内ではなんだかんだで諒が友達として好きなのだ。その友達として好きな諒を失うことは佳奈子と同じで嫌だと感じていた。宗教で大切な人を失う悲しみはとても大きく、悲しいことなのである。

「私も諒を助けに行きたいよ、今すぐにでも…。でも、うちら未成年だけじゃ助けるどころか、あの人たちの餌食になっちゃうと思うんだよ…」

得体の知れぬ新興宗教から身内や友人を助け出すということは、本人がもし洗脳にかかってしまっていた場合、洗脳を解く以前に周囲の会員たちの折伏を捩じ伏せなければならず、捩じ伏せてもその後会員たちからの嫌がらせが起こるもありえる。
諒の場合は先ず洗脳される以前に理解できないだろうと佳奈子とれなは判断している為、洗脳問題は皆無に近いが、みゆが非常に邪魔である。彼女は何を仕出かすかわかったものではない。また、もしかすると佳奈子の両親を巻き込んでいる可能性も考えられる。少なからず佳奈子の母親・佳苗は娘の佳奈子でも敵わない相手である。しかし諒を助けたい…どうすれば?

(あ…!)

思案する佳奈子の脳内にふとおばである知世の事を思い出した。知世は佳苗の姉であり、新興宗教を信仰する妹によって人生を狂わされてしまっている1人である。
そして佳奈子とって保護者であり、また幼い頃に母親を亡くしている諒にとっても知世は母親の様な存在であった。

〈れな!聞いて!〉

突然の佳奈子の大きな声にれなは吃驚した。

「ちょ…ちょっと何よいきなり」

〈おばさんに相談してみない?もしかしたら協力してくれるかも…。おばさんもお母さん介して新興宗教に人生狂わされてる1人だもん、話くらいは聞いてくれるはず〉

その意見にれなも同意した。

「そうだね、うちらだけじゃ解決できないもんこの問題。…取り敢えず、また明日連絡するから佳奈子おばさんに相談しておいてくれる?」

れなはそう佳奈子に伝えると佳奈子との通話を切った。
みゆと諒の問題と同時に今は自分を含め家族は家ごと何もかも失ってしまった。
スマホをジーンズのポケットにしまい、後ろを振り返る。が、夢であってほしい現実が再びれなを襲った。家族との思い出が染み付いた家はみゆの手によって全て焼き尽くされてしまった。れながその場に立ち尽くしていると、連絡を受けた兄が後ろから肩を叩いた。兄妹は目が合うと全焼した家の前で醜く言い争っている両親を残し、幼い頃遊んだ公園へと場所を移した。

「お兄ちゃんも通帳置いてたんでしょ?」

れなに問われた兄は被っていたグレーのパーカーのフードを脱いだ。黒髪のマッシュルームヘアーの髪が街灯の光に照らされ、切れ長の目を伏し目がちに答える。

「うん。昔の通帳とか。まだ使える口座の通帳もあった」

「まじで?それってお兄ちゃん高校生の時頑張ってバイトして貯めてたあの…?」

「そう。あの時何気に趣味になってた貯金の通帳。キャッシュは常に財布に入ってるから連絡受けてすぐに下ろしてきたんだけどさ。…てか、あの子をなんでうちにそもそも置いたんだよ。同級生なんか1番危険だろう」

確かに兄の言う通りだった。今思えば全ての事の始まりはみゆを仲間に引き入れ、更に大佛家に住まわせてしまったことだ。同級生は宗教勧誘などしやすく大変危険なのだ。

「俺思うんだけどあの子さ、どっかの宗教団体に所属してんじゃねーのか?この前大通公園で原発促進運動に参加してんの見たぞ?あれは右寄り、政党のある宗教団体だ。お前知ってたか?」

それを聞き、みゆの宗教団体所属は確信に繋がった。

「やっぱり…佳奈子がさっき電話で言ってた、両親と同じ宗教団体のネットレスしてたって」

「うわ…完全に狂信してるな。危険すぎる。うちの金、全部教祖に渡ったな。いいか?もうあんなのうちに入れんなよ?来ないと思うけどな、来たら通報だ。…で?それだけじゃねーよな?」

兄が背中に背負っている黒のESPのベースケースを下ろし鉄棒に立てかけると、もうひとつの問題を付け加えた。

「諒がいないんじゃねーのか?」

れなが驚きに目を見開き、兄を見つめた。
兄はマッシュルームヘアーの奥にある切れ長の目で妹の目を見つめ返した。

「お兄ちゃん…なんで知ってるの?諒のこと、何か知ってるの…?」

兄との見つめ合う次の言葉の間には、氷山の一角を目の前にしたような緊迫感があった。

「どこにいるかとかは知らねーけどさ、1週間前にあいつのバイト先でベースのメンテしてもらって、夕方リペアのおっさんからメンテ終わったって連絡あったからバイト後にまた行ったんだよ。したっけさ、店長が「あいつが来てない、連絡つかないしどうしたんだ」って心配してたんだよ。バイト滅多に休んだり遅れたりしないやつだからお前知らないのか?ってさ」

れなは一度だけラーメン屋で会ったことがある諒のバイト先の店長の顔を思い出していた。一緒にいたれなを諒の彼女と勘違いしていたことを懐かしく思う。
ディズニーの熊さんの様に優しい店長が、心配を通り越して人懐っこく、真面目でかわいい従業員である諒を半分泣きそうになりながら心配しているのが目に浮かんで胸が痛くなる。

「…あの女、バンドのメンツで今諒の彼女なんだろ?金の前にあいつをどっかに隠したんじゃねーの?最近ライブでも変だったし」

「…変だった?」

兄は日頃諒たちのバンドと対バンしていて、みゆとも面識があった。

「ライブで変な歌歌ってた。バンドの加入時はもっと自作でももっとまともな歌歌ってたけど、最近のは聴くに堪えないくらいひどい歌だったし、化粧もいつもの数倍はケバすぎてアメリカ被れのビッチ感漂ってた」

その日のライブで兄のバンドはトリ。出番を待ちながら他バンドの歌を聴いていた。
2番手のバンドが終了し、諒のバンドが登場した。諒が3曲歌い上げたのち、いつもの様に「ヴォーカル交代!」とみゆにバトンタッチした。

「本日のうちらのバンド最後の曲は今回も私が歌います!これからもうちらのバンドをよろしくね!」

バンドの準備が整い、みゆは諒とアイコンタクトを取った。

「それでは聞いてください『メイル・レイプ』」

挨拶を終え始まったみゆの自作曲は全体的に重く、怪しくノイズを効かせ歪ませたギターとゴリゴリ感強いベースでイントロが始まった。
みゆのかわいらしい声と歌詞のせいでステージは艶めかしい雰囲気に包まれた。

〈♬〉
赤い満月の夜
その日はまた訪れた
神はお怒りのはず
解ってるんだ
水辺に美しき悪魔
溢れるフェロモン
逆らえない誘惑…

僕の意思に反して
体は受け入れてしまう
いけないと解っているんだ
それでも…ああ…

((我慢できない))

毒リンゴ頂戴!
甘い蜜頂戴!
僕の五感を彼女が支配する
「あたしで逝かせてあげる」
禁断の果実が
我慢できずに蜜を飛ばす


狂ったその歌詞からみゆの姿は娼婦やジプシー、または女の悪魔を連想させ、兄は頭を抱えた。きっとこの歌はキリスト教徒の男、若しくはそれらの神(童貞)を犯した歌なのだと解釈し更に頭を抱えた。
狂った歌は間奏とセリフ、そしてみゆの狂った不協和音のピアノの旋律と笑い声を挟んで続いた。

〈♬〉
((彼女の全てが欲しくなる
僕からも責めて支配したい
神は許さないだろう
愛も情もない欲でしかない行為に
堕天の刑罰を…))

僕の意思に反して
体は受け入れてしまう
いけないと解っているんだ
それでも…ああ…

((飲み込まれる))

毒リンゴ頂戴!
甘い蜜頂戴!
僕の五感を彼女が支配する
「私のお口に出して」
禁断の果実が
我慢できずに蜜を飛ばす

「美味しいわ…」


みゆのセリフのあと、ライトが赤から青へと変わった。

〈♬〉
薄暗い部屋の片隅
醜い淫らな姿を鏡に映し
今宵も僕は後悔する


歌詞を聴き終わらないうちに一旦兄は外にでた。
外に出るとすすきのの冷たい真冬の風が兄を包み込み、みゆの曲を聴いて覚えた目眩が悪化し胸が悪くなると、近くの電柱に嘔吐した。
胃の中の物を全て吐き終えトイレでうがいをしてライブハウス内に戻ると、演目を終えた諒たちがファンの女の子たちと話をしていた。
女の子たちに紛れているみゆは派手な化粧と衣装のせいかどこか浮いていた。そして、みゆにまとわりつく様にどす黒いピエロの姿をした何者かが背後にいた。他の者には見えていないのか他の人間と変わらない様子でみゆと接している。が、兄だけには背後にいるピエロが見え、そのピエロがこちらに笑いかける度に、目眩が襲ってくるのを感じた。兄は「とにかくあの女を見てはいけない、近づいてはいけない」と思い、みゆを視野に入れない様に努めて自分のバンドの出演に備えた。
恋人として、また同じバンドメンバーとして一緒にいる諒は何も感じないのだろうか。共に生活し仕事も共にしている自分の家族も妹もーー。

「れな、お前は感じなかったのか?あの女の…どす黒い…何か…うっ」

「お兄ちゃんっ?!」

兄は頭を抱えてその場に倒れこむと真っ白な雪の上に勢いよく吐いた。みゆを思い出すだけでも目眩と吐き気を催すらしい。
吐き戻す兄の背中をさすりながられなは答える。

「私も…何かを感じてた。お兄ちゃんの様に“目に見える様に”じゃないけど、あの子には嫌なものは感じてた。それこそ“どす黒いもの”を」

れなはここ半年のみゆとの生活を思い出していた。
記憶の中でどす黒いものがみゆに付きまとう様に張り付いている。時々ピエロの姿をしたどす黒い何者かがこちらに向かってニタニタと笑いかけてきた。そして彼女はピエロの姿をした何者かと共に再会した夜と同じ様に帳の中へと姿を消した。

「お前も感じたのか…“どす黒いもの”を…。だったらあんなもんうちに入れんなよ…うぇっ」

確かにまた兄の言う通りうちに入れるべきではなかった。
兄はこの1年女のところに入り浸っていてみゆの顔は見ていなかったが、住み込みバイトさせていることはたまたま実家に戻ったときに母から聞いていたので知っていた。そしてみゆが音楽をやり始め諒のバンドに加入したときにバンドのメンバーからみゆの人物像を予め聞いていたし、初めて対バンしたときに諒から紹介されみゆのことを知り、徐々に知っていく上で聞いた噂や人物像は全てデタラメで真逆だということに気づいた。兄にはとてもいいやつだと思えなかった。
吐き終えた兄が手で口を拭いながら言った。

「…諒を助けに行け…すぐに」

「え?…でも助けに行くなんて無理だよ。だって新興宗教だよ?」

「そんなんわかってる、わかってるよ!でも、お前らは“ダチ”だろ?」

「そうだけど…でも」

「自分可愛さでダチ失っていいのかよ⁈新興宗教のやつらより、あの女の方がよっぽど腐ってる筈だ」

「お兄ちゃん…」

兄はゆっくりと起き上がると、柔らかな新雪の上で踏ん張り、仁王立ちになって咆えた。

「お前ら何年幼馴染やってるんだよ⁈仲間のピンチに助けに行かねーなんて、仲間だって言えねーじゃん‼︎常識通じねー野郎でも相手だって同じ人間だ。ヒグマ相手にすんじゃねーんだから乗り込んでも助けに行きやがれ!」

今目の前にしている兄の目はただの女たらしの目ではなく真剣そのものだ。時にはこの放蕩兄貴も本気の目をする時がある様だ。

「お兄ちゃん…わかったよ、私佳奈子と諒を助けに行くよ」

「ああ…明日にでも助けに行け。俺も諒のことは後輩として好きだから対バンできなくなるのは嫌なんだ」

兄はそういうとポケットに手を入れて踵を返し歩き出した。

「ちょっ…お兄ちゃん!」

「あ?何だよ?」

「お兄ちゃんは…お兄ちゃんは一緒に助けにきてくれないの?」

兄はふんっと鼻を鳴らした。

「行くわけねーだろ。あの女には近づきたくねーし面倒ごとは嫌なんだ。家も無くなっちまったし女のとこに行くよ。最近知り合った女がけっこーかわいくてやらせてくれるんだ。170もあるお前と違って、150くらいのリスみたいな小柄な女…。お前は佳奈子ちゃんのところにでも行って世話になれ。じゃあな」

手を挙げて夜の帳の中へと消えていく兄を見てれなははあ…と溜息を吐いた。真剣な眼をこちらに向けたのはほんの一瞬だけ。だが、昔から変わらないのは兄には自分には見えない“得体の知れないもの”が視えている事。つまり第六感と思われる“霊感”を持っているのだ。
れなが兄を見ていつも思うのは“女たらしは何かと繊細である”という事だ。そして時に真面目に答えてくれ、何かとあらば女に甘える…それがあるから女心を掴んで離さないのだろう。


雪がちらちらと舞い降りてきた。今夜も冷えそうである。今頃諒はどうしているのだろう。施設で寒さに凍えているのではないか…そう思うとれなはいてもたっても居られなくなって知世に電話を掛けた。もう既に佳奈子から聞いているかもしれないが、こういうことは昔から知世に聞くと決まっていた。

諒を助けたい、その素直な思いが今風に乗ってメロディを奏で始めた。



翌朝、札幌は大荒れだった。横殴りの雨、風、雪が佳奈子たちを襲った。
昨夜、2人から相談受け知世も最初反対していたが、息子同然になっている諒のことを思うと知世もれなと同様いてもたっていられない程心配で、何より新興宗教施設内でみゆが側にいるということが不安を大きくした。
れな、佳奈子、知世の3人は環状通東で待ち合わせをしたが、この横殴りの天気の為北丘珠から環状通東行きのバスに乗った知世は遅れた。どうしても北31条の高速道路の下で思うように進まないのである。あそこはバスにとって魔の領域であった。時代は変わって中心部は変わっても、丘珠町周辺に関してだけはずっと交通の便が悪いままで、知世は札幌市を呪いたい気持ちになった。
漸く魔の領域から脱した時にはいつも3分かからないところを、既に10分は経過していた。
環状通東駅に着くと、れなと佳奈子が知世に温かい缶コーヒーとHOKUOの“ようかんちゃん”を手渡した。HOKUOの“ようかんちゃん”とは知世が好きなパンである。
受け取った知世は自分の娘のようにかわいい2人に礼を言う。

「ありがとう。遅れちゃった側なのになんだか悪いわね。しかも私の好きなようかんちゃん」

「きっと高速道路のあたりでバスが動かなくておばさん今頃イライラしてんだろうなって佳奈子が言っててさ」

「だってこの時期って私が子供の時から一緒にバスに乗ると必ずおばさんイライラしてたもん」

「そこでようかんちゃん食べればイライラなんて吹き飛ぶんじゃないかって提案したら佳奈子ったら開店と同時にようかんちゃん持って並んじゃってさ。それに、冷静な判断で諒の事助けなきゃだし」

「そうね。ありがとう、2人とも。さて、地下鉄に乗り換えて行きましょうか」

3人は環状通東バスターミナルを出て地下に降りた。行き先は宮の森方面、途中でさっぽろ駅から東西線に乗り換えなくてはならなかった。
電車を待つホームは通勤のサラリーマンなどでごった返し、3人を乗せた電車はすし詰め状態だった。真冬の大荒れの天候の為、普段車通勤の者たちが今日は急遽地下鉄に乗り換えたのだろう。
しかし、こんな朝のすし詰め状態を利用した悪い輩は世の中存在するもので、佳奈子とれなは自分の尻に違和感を感じていた。佳奈子に至っては後ろから伸びた中年と思われるゴツく毛深い手によって本能のままにCカップの豊かな胸の膨らみを揉みしだかれ、恐怖で声が出せないのか涙に潤ませた眼をれなに向けていた。
尻の違和感と佳奈子のただならぬ様子でれなは痴漢だと悟った。この異常事態にはいつもは鈍感で気づかない佳奈子も涙を流し次第に小刻みに震えだした。

弱き者を救ってこそ強さー ー
れなはかつて誰かが言っていた言葉を思い出していた。そして昨日兄が言った言葉ーー

『お前ら何年幼馴染やってるんだよ⁈仲間のピンチに助けに行かねーなんて、仲間だって言えねーじゃんーー』

れなは佳奈子同様に感じていた恐怖との葛藤の末、勇気を出して2人を触っているオヤジの手をがっしり掴むと、後ろにいるオヤジと変わらない目線でキッと睨みつけた。
れなに睨みつけられたオヤジは前頭部が完全に禿げ上がった50代くらいの銀縁眼鏡をかけた男だった。鼻の下にはやらしそうなチョビヒゲを蓄えている。
男は怯んだ様子でわなわなと震え、目が泳いでいる。口元は小さく「俺じゃない…俺じゃない」と繰り返すが、股間は正直で醜くも完全に反応していた。れなはがっしりと掴む手に更に力を込めると、睨みも更に利かせた。

「あんただべ?あたしらの尻と胸触って揉んだのは」

怒りを抑えたれなの声はいつもの中性的な地声よりも更に低く、鋭く男の耳に突き刺さった。
しかし、認めたくない男は大量の冷や汗をかきながらなおも気弱そうに、「俺じゃない…俺じゃない…俺じゃないっ!」と繰り返していた。
次第に周囲もこの異常事態に気づき、車内はざわつき始めた。中には男に対して野次を投げる者も出始め、男は流石にこの状況に耐えられなくなったのかオロオロとしている。
暫くれながそんな男を睨みつけているとタイミングよく次の駅に着く事を告げるアナウンスが流れ、電車がホームに滑り込んで扉が開いた。
れなは店にいる時以上に声をを張り上げた。

「この人痴漢!痴漢です!!!」

れなの声を聞きつけた駅員たちがすぐ様駆けつけると、れなは力強く男を車外へと引っ張り降ろした。男は必死の抵抗も虚しく捕らえられ、後に来た警察によって連行されていった。
暫く停車した電車はやがてお詫びのアナウンスとともに皆を乗せて動き出した。
乗換駅である大通駅で降り、3人は東西線に移動しながら落ち着きをと戻した佳奈子から口を開き喋り始めた。

「れな…ありがとう」

「なんもだよ。あれぐらい当然だよ。友達が朝から他人の迷惑考えずに痴漢する奴の餌食になってるの見逃すわけにはいかないでしょう?」

本当はれなだって怖かった、佳奈子と同じくらい。しかし昔誰かが言っていた言葉と昨日の兄が言っていた言葉が恐怖をぶち破り行動に移すことができたのだ。れなは誰かと兄に心の中で「ありがとう」と感謝した。

「地下鉄止めちゃったのは申し訳なかったけどね」

知世が2人の会話に入る。
知世が言うのも一理あった。佳奈子を痴漢から救ったのはよいが、停めたことによって自分も大勢の他人に迷惑をかけた者の1人でもあった。
何も無関係の人間からすれば急いでいる時に電車を停められていい迷惑に違いない。
人助けも人によっては迷惑だったりするのだから難しい。

「そうだよね、おばさん」

「でも、れなちゃん偉いわよ。声をあげられない佳奈子のような女性が大半なのにれなちゃんはよく声をあげて助けることができたわ。強いわ」

「ほんとだよ。れな、ありがとう。今度奢らせてね」

「いいよ、いいよ、うちで頑張ってくれてるだけでもありがたいのにさ」

話しているうちに東西線のホームへと繋がっている下りのエスカレータが前方に見えてきた。

「さあ、今度は諒くんを助けに行きましょう!急ぐわよ!」

知世の鶴の一声でれなと佳奈子も東西線のホームへと急いだ。
これから助けなければいけないのは諒なのだ。


途中で雪覆われた山道に迷いながらも女3人は無事施設にたどり着いた。これからが3人にとって本番であった。諒をみゆと得体の知れぬ新興宗教から助けるのだ。
急な坂道を登りきった先に西洋の教会、若しくはギリシャ建築を模したと思われる建物はその姿を現した。
ウエルカムボードを提げた重い扉を開けると、受付のカウンターから物腰の柔らかなスタッフが3人を出迎えた。

「こんにちは、どなたか会員様のご家族またはご友人の方々でございましょうか?」

スタッフに問われて知世が代表して答える。

「はい、ここに本日桜間みゆさんがいらしているかと思いまして…この子たちのお友達なんです」

「左様でございますか…」

スタッフは参拝リストと宿泊リストを照らし合わせ答える。

「桜間みゆ様…はい、いらっしゃいますね。昨晩からご宿泊されておられるようです。非会員の男性一名とご一緒にーー」

「それって…『坂内諒』では…?」

れなが問うとスタッフの表情が少し曇った。

「はい…こちらの方もご友人の方ですか?」

「そうです。1週間前から行方不明になっていまして」

「…1週間?!」

スタッフはもう一度リストを確認するが、諒とみゆは共に昨日からの宿泊である。

「それは本当ですか…?」

佳奈子が坂内のおばあちゃんが家に来て話してくれたことを元に答える。

「本当です。彼の家族の間では捜索願を出そうかと言う話になっています」

信じられないという態度のスタッフと一悶着やっていると、奥の礼拝室から1人みゆがふらっと出てきた。
3人は声を揃えてその名を呼んだ。

「「「みゆっ!」」」

みゆは3人の声に振り向いた。しかし、3人を見る目は明らかにいつもとは違い、極めて冷ややかなものであった。冷ややかな目で3人を一瞥すると、そのまま無視してお手洗いへと向かってしまった。

「え…あいつ無視した」

「うそでしょ…」

れなと佳奈子は傷ついた。ずっと一緒に働いて、プライベートでも一緒にいた関係だっただけに、冷ややかな目を向けられ無視されたことは2人にとってショックが大きすぎた。

「本当に“ご友人”なんですか?」

先程まで物腰柔らかく接してきたスタッフの目も冷ややかな疑いの目に変わっていた。



結局、信用してもらえなかった3人は施設から追い出されてしまった。受付まで行くことができ、みゆの姿も確認することができた。あと一歩であったにも関わらず今は−12℃の山の悪天候の中である。

「くそっ!」

れなは雪玉を作り、施設の敷地内いっぱいに広がる森の木に投げ当てた。悔しさ全開に投げられ当たった雪玉は鈍い音を立てて雪の中に砕け落ちた。

「困ったわ…ここまできたのに」

女3人は荒れる天候のこともあって諦めの空気を漂わせていた。

「てか…ひどすぎるよミュウ…ひどすぎる」

佳奈子は頭を抱えた。
そんな佳奈子の姿を見、れなと知世が頭を働かせていると、坂の向こうから緑色のハイエースが登ってきた。

「…あ、パパっ!!」

佳奈子は父親のナンバーだとわかるとすぐ様立ち上がり、緑色のハイエースに駆け寄って行った。

「慶一さん…?」

「佳奈子のお父さん…?」

れなが佳奈子の父親に会うのは2度目だった。
ハイエースを停めて地に降り立った慶一は前に会った時より顔が窶れた様で、れなには一瞬別人のように見えた。

「パパ、あのね…お願いがあるんだ」

「なしたのさ」

数ヶ月、いや半年だろうか。父親とずっと話していなかった為に、佳奈子は緊張した様子で慶一にこれまでの経緯を話した。

「…わかった。やはりそうだったか」

話を聞き終えた慶一は溜息を吐いた。

「そんなとこだろうと思っていた…あの子は表では澄ましていても裏では相当な子だから…」

「慶一さん…何か知ってるの…?」

慶一は知っていた。佳苗とみゆは数年前に会員の集まりで知り合ってから仲がよく、慶一はそれを見ていた。本当は佳奈子ではなく、みゆが娘ではないのかと錯覚してしまう程佳苗とみゆは仲が良すぎる点と、佳苗とみゆには共通点と似ている面がいくつもあり慶一には不気味に思えた。

「坂内くんがいる部屋…口止めされてるが教えてやろう」

慶一と女3人は再び施設の入り口に向かって歩き始めた。しかしみゆに口止めされているのに教えようとしているせいか、案内する慶一の足取りは重く、まるで罪人が刑罰を受ける前の様な足取りである。そのことにれなは気づいたが、敢えて触れないに留まった。
受付にスタッフがいないことを確認し、宿泊部屋へと続く木製の豪華絢爛造りの階段を慶一についていきながら佳奈子たちは息を潜めて上っていく。
3階、303号室。慶一の歩みが止まる。

「ここだ…」

慶一は両開きの扉を力強く3回ノックしたし、扉の向こうにいるであろう諒に声をかける。

「坂内くん、起きてるかい?坂内くん」

すると、扉の向こうから何かがゴトッ!と落ちる音がした。

「諒っ!」

佳奈子は声をあげた。
諒がいる、この扉の向こうに“友達”(諒)がいる。それだけで感動を覚え、感極まった佳奈子は思わず涙が溢れた。

「佳奈子、感動するのはまだだよ。諒を助けてから」

れなが扉にそっと手を掛けた時だった。

「そこで何してるの?」

冷たい声に4人は凍りついた。
恐る恐る声がした方向に振り向くと、そこにはみゆがいた。

「…みゆ」

みゆはいつもの無表情のまま冷ややかな視線を皆に向けていた。その冷たすぎるほど冷ややかな視線は鋭利に先を尖らせ大きく成長した氷柱を連想させた。この場にいる皆の心を突き刺し、その傷を抉っては更に奥深くまで突き刺す子供の残酷さを持った目は殺意すら感じられる。

「そこで何してるのって聞いてるの。ねぇ…何してるの?」

もはや言葉まで冷ややかで人間味を失い、目の前にいるみゆはまるで人形であるかのような錯覚に陥りそうになる。
佳奈子はみゆを除く全員が生唾を飲んで凍りついているのを感じながら、張り詰めた空気の中で恐る恐る口を開いた。

「諒を…諒を助けに来たの」

弱々しく答える間にも喉がカラカラに乾いていく感覚と、みゆの冷たく刺すような視線がこちらに向けられ、殺される様な恐怖感を覚えた。
みゆはニヤリと笑う。

「ふーん、助けに来た…?何から?私から?はっ!笑わせないでよ!これから私たちは先生のご加護によって2人で幸福になるのよ?今はその為に仏法真理を学び、心を込めてたくさんのお布施をしているわけ。つまり幸せになるための努力と多額の投資しているだけ。あなた達だって何かを成し遂げようとしたら何かしらの努力とそれなりの投資をするでしょう?それと同じよ。邪魔しないでくれる?目障り!」

みゆは手でしっしっと払うような仕草を扉の前に立ち塞がり、オレンジ色に染めた癖のある長い髪を振り乱して怒号を撒き散らせた。

「あたしたちの幸福を邪魔する奴は全員残らず殺してやるっ!!」

肩を揺らし、奇声を上げながら目の前にいる旧友達を見るみゆのその目はもはや心などなく、殺意に満ち溢れてとても幸福になる者の目ではない。
れなは荒れ狂うみゆに対して「自滅」という二文字が浮び、この女に幸福が訪れることなどないのだと確信した。みゆは横領と放火という大罪を既に犯しているのだ。幸福になれたとしてもいつか必ず不幸に突き落とされるのは目に見えている。本当に神がいるのならば底なしの不幸に突き落とし、この女が自ら犯した罪がどれだけのものかを理解するまで追い詰め逃がさないだろう。



みゆはその場から一歩も動こうとしなかった。
赤いネイルが食い込むほど白い手が部屋への侵入を拒んでいた。
4人はひとまずその場を離れ、瞑想室にてみゆを含めた会員たちが参加するであろう教祖による“御法話の時間”を待ってみゆがいなくなる隙を狙うことにした。
閑静な瞑想室は狭く、冷えこんでいた。
10脚ほどの椅子が程よい間隔で並び、小さなテレビがひとつ置かれているだけの空間の中、知世が声を潜め慶一に質問する。

「慶一さん、御法話の時間は何時なの?」

「14時からだ。開始時刻の10分後を狙って先に俺が様子を見に行く。いないことを確認したら合図を送るから佳奈子達を連れて出てきて」

「わかったわ」

慶一の手には大型ハンマーがしっかりと握られている。

「パパ…」

「修理代なんかお布施に比べりゃ大したことないさ。あんな扉、さっさと壊して人命救助だ」

ーー14時10分。
4人は行動を開始した。
扉の前にはみゆはいなかった。慶一はLINEで知世に合図を送った。

「行くわよ」

知世を先頭に佳奈子達も扉の前に集まった。

「いくぞ」

慶一は知世達を壁ギリギリまで下がらせると大型ハンマーを大きく振り上げて扉を叩いた。扉は2、3回と叩きつけた後に粉々に砕け、大きく音を立てて崩れ落ちた。
扉の崩壊とともにシングルベットに繋がれた諒がその姿を現した。口には猿轡(さるぐつわ)がつけられ、ぐったりとした様子だ。

「「諒!!!!」」

佳奈子とれなは同時に彼の名を呼ぶと真っ先に駆け寄り、抱きしめる。
ああ、温かい…体温が心地よい。
諒は生きている…

「諒…諒…!」

やはりどんなにバカであろうがこいつが居なければうちらじゃない、2人は再び見ることができた諒の顔を見て思った。10年間幼馴染をやっているだけあってその顔を見られなくなるのは寂しすぎた。思わず涙が溢れる。
しかし、感動の再会に浸り続けるわけにはいかない。
2人は涙をぬぐいながら諒とシングルベットを繋いでいる縄、猿轡、そして手足の自由を奪っている簡易手錠を解く作業に取り掛かった。表情は真剣そのもの。がーー

「諒…悪いけどまじくっさ、わーや」

「…確かに…ごめん、臭い」

時間が経つにつれ、諒から放たれる男性特有の体臭がきついことに気がついた。この施設には温泉も淋浴もあるはずだが、諒は連れて来られてからずっと風呂に入れてもらえていないのだろう。そして衣服も縄で擦れぼろぼろだ。
猿轡を嵌められた状態で諒はムッとした表情を見せる。

「こんな状態にするなんて…みゆ、あんたのこと本当は…」

れなが後ろに回って猿轡を解いてやる。

「ぷはっ!はあ…はあ…やっと喋れる!」

諒の声はひどく嗄(か)れていた。
バンドボーカルの為普段から喉を労っている彼の声が嗄れることなど珍しいことだ。助けを呼ぶために何度も繰り返し叫んだのだろう。
その事に気がついた佳奈子は、ショルダーバックから彼がいつも舐めている龍角散のど飴を取り出した。

「諒、龍角散」

「佳奈子…サンキュー」

諒の口に龍角散を入れてやると、諒は佳奈子に微笑んで一筋の涙を流した。
みゆしか入ってくる事ないこの部屋は諒にとっては拷問部屋にしかすぎず、ずっと好きだった佳奈子のほんの小さな優しさが身にしみたのである。



「諒くん、私あなたと幸福になりたいわ。今でも十分幸福なんだけどね」

ある日の夜、みゆは夕食を作りながら言い出した。

「…急に、なんだよ?」

ギターの弦の張替えをしながら諒は恐る恐る聞く。

「私諒くんのご飯できたら出かけるね」

「は…?どこに?もう遅いじゃん」

「ちょっと用事ができたの。諒くんは待ってて」

かぼちゃに包丁を刺し、振り上げて叩き割ろうとする音が台所から響く。
みゆの後ろ姿から何かしらの恐怖を感じ、諒はそれ以上聞くことができなかった。
明け方、みゆがまだ帰ってきていない事に気づきLINEで連絡しようとした時だった。突然インターホンが鳴り出ると、何者かに口を塞がれそのまま連れ去られたのち、ここに監禁された。

「トイレはここでしてね」

御手洗いに出ることも許されず、みゆから許可を得てから災害用の簡易トイレで用を済ませた。食事は1日1回のみでみゆが施設の食堂(じきどう)から持ってきた非常に少ない残飯と天然酵母パンの4分の1。餓死は免れたが、腹にはたまらず力が出なかった。
叫んでも叫んでも助けなど来ず、ただただ声が嗄れていくだけ。時間の経過も掴めなくなり、叫ぶことも虚しくなってただ一点を見つめるだけに留まった頃には、もう自分はこのまま幸福を口にしながらもやっていることは地獄の獄卒と変わらない女に監禁されて終わるのではないかと落胆し諦めかけていた。
が、神はいるのであろうか。救いの手を差し伸べるかの如く扉の向こうから佳奈子とれなの声がして、諒は残された力で体を本棚に打ちつけて上に置かれていた経典を落とした。



みゆに見つからないうちに諒を部屋から連れ出し慶一のハイエースに乗り込んだ。
一行はこのままエンジンをかけ諒を連れて帰るかと思われたが、慶一が忘れ物を取りに戻ってしまった。

「パパ、何忘れたんだろう…いつも忘れ物なんかしない人なのに…」

佳奈子は窓から施設の大きな出入り口を見つめた。
慶一は日頃忘れ物などしない性格であった。今回の忘れ物が単なる歳のせいであればいい、佳奈子はそう考えた。
が、30分以上経っても慶一は戻って来なかった。

「あー、ラーメンくいてぇ…」

後部座席の真ん中、れなと知世に挟まれぐったりとしている諒が悲痛とも取れる声を弱々しく上げた。空腹がもう限界で、大好きな山岡家のラーメンが頭を駆け巡っているのかもしれない。
佳奈子はそんな諒の為にも慶一を探しに行くことにした。

「れな、おばさん、私パパ探してくる。諒の事お願い」

「探しにいくの?ひとりで?」

れなが心配してついてこようとするが、佳奈子はれなには残ってもらわなくては困ると思い止めた。

「大丈夫。れなは坂の下のセイコーマートで諒の食料でも買ってきてあげて欲しい。ホットシェフのザンギでもカツ丼でもなんでもいいからとにかくあったかくて腹持ちいいものを。お願い」

れなは佳奈子の指示に納得して頷く。

「そうだね、買ってくるよ。あいつ最近うすすきののセブン派になってるはずだし新商品お腹いっぱい食わせてやる!」

飢えた幼馴染に温かいホットシェフの新商品を腹いっぱい食わせてやろうとするところがれならしく、そして次期店長後継者らしい言動に佳奈子は感動を覚えた。やっぱりれなは親友としてもバイトの上司としても好きだ。一生親友、上司としてもついていきたい。
踵を返しセイコーマートを目指して急な坂を下っていくれなの後ろ姿を見送り、佳奈子も慶一を探しに再び施設内入ると、受付カウンターに誰もいないことを確認して先程の豪華絢爛の階段を登っていった。
3階のフロアに着くと佳奈子は辺りを見回しながら探し始めた。

「パパ…どこまで探しに行ったんだか…」

瞑想室、リネン室、各宿泊部屋を見回し探すが慶一は見つからない。諒が監禁されていた部屋も。

「この階じゃないのかな…」

階段を降りようとした時だった。

「どなたかお探しですか?」

聞こえる側の左耳方向から優しい声がしたことに気がつき向いた。そこには背が高く色白で黒縁眼鏡をかけた青年が立っていた。齢は佳奈子より6、7歳は上に見える。恋人である聊斎(りょうさい)先生もかなり整っているが、この青年は顔が妙に整い過ぎていて人形の様に冷たく、生気を感じさせない不気味な印象を覚えた。

「はい…父を探しておりまして。猫宮慶一って言うんですけど…」

「猫宮さんのお嬢さんでしたか…猫宮さんなら先程2階の宿泊部屋に入っていくのを見ました。部屋にいるかもしれませんね。ご案内しましょう」

慶一と青年はどうやら知り合いの様である。
会員同士は所属支部が違っていたり年齢が親子ほど離れていたとしても親が大変熱心な活動家で有名であればその2世会員として支部を跨いで知られていることもあるし、親同士が元々知り合いであれば幼い頃からの知り合いであることも多く、ほぼ親戚に近い間柄となっていることも珍しくはない。彼もこの教団の2世会員でその例の流れからの知り合いなのであろうか。
青年に案内され2階の206号室にたどり着いた。青年は3回ノックし扉の向こうにいるかもしれない慶一に声をかける。

「猫宮さん、北支部の大柳(おおやなぎ)です。お嬢さんがあなたを探しにいらしてます」

しかし返事はなかった。

「いらっしゃらないようですね。他の場所も一緒に探しましょうか?」

佳奈子は妙な胸騒ぎを覚えた。そして右耳の奥ではあの恐ろしいみゆの形相を目の当たりにした時に聞いた不協和音と耳鳴りがしてきた。

「大柳さん、っておっしゃるんですか?」

「あ、はい…どうかなさいましたか?」

「耳鳴りが…いえ、妙な胸騒ぎします。このドア、開かないかな」

「え?」

佳奈子は青年に下がるように促し、ドアノブに恐る恐る手をかけ回す。すると鍵はかけられておらず扉が開いた。しかし慶一はーー。

「…っ!」

佳奈子は言葉を失い口元に手をやった。
部屋の真ん中で慶一はうつ伏せの状態で頭から血を流していた。傍らには先程扉を壊した大口ハンマーが横たわっている。
佳奈子はゆっくり、恐る恐る慶一に近づき呼んでみる。

「…パ、パパ…パパ、聞こえる?」

大柳もそっと近づき、ハンカチで止血しながら軽く肩を叩いてみたり、脈を測ってみたりする。

「パパ…!目を覚ましてっパパっ!」

「…ん?」

大柳は何かに気づいた。

「首の後ろに…火傷の様な跡があります」

促され佳奈子も恐る恐る慶一の首の後ろを見た。確かに首の後ろに火傷の様な跡が付いており、赤く腫れ、水膨れになっている。

「これは…スタンガンの跡です」

「スタンガン…?!」

「恐らく、何者かがスタンガンでお父様の動きを止め、そこにある大口ハンマーで頭を殴ったのではないかと思われます。すぐに救急車を呼びましょう!」

大柳は急いで1階に向かった。

慶一を呼び続け心臓マッサージを試みる佳奈子の右耳に再び耳鳴りと、更なる恐怖と地獄へと誘う不協和音が鳴り響くーー。

リラの花が咲く頃に 第9話

今回も最後までお読みいただきありがとうございます(^^)
また第10話も遅れても頑張って書きます(^^)

リラの花が咲く頃に 第9話

行方不明になっている諒からの電話。 諒から情報を頼りに佳奈子達は諒を救いにいくーー。

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登録日
2018-04-20

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