怪獣の微笑み

怪獣の微笑み

 都心に聳える34階建ての高層ビルの真ん中より少しだけ上層、25階に構えるのが僕の働く会社のオフィスだ。
会社はお世辞でもホワイトとはいえない、例えるならば紺鼠色の企業で終電帰りなど日常茶飯事だった。
オフィスは夜遅くまで人が残っており、そこにいる連中が交わす会話は決まって今日も誰それがミスをしただの、
誰それの昇格が危ういだのと鬱になりそうな会話を何故か楽しそうに談笑している。
だから僕は深夜十一時になると決まってオフィスの一角にある、休憩室へと逃げ込む。
 この時間になると休憩室には人っ子一人おらず、休憩室に設置された時計が刻む、秒針の律動音まで聞こえるぐらいに静まり返る。
そんな静寂につつまれた休憩室の窓から広がる都会の夜景を眺めながら、
僕は夜食のオールドファッションドーナツと少し苦めに淹れたコーヒーを楽しむのが日課だった。
この時間は決して譲れない。
 道ゆく人々は黒色の点のようにしか認識できず、車道を行き交う車もヘッドライトの光の球体がうごめいてるようにしか見えない。
そんな世界を眺めていると、人間というのは本当に小さな存在なんだなとつくづく思う。
宇宙飛行士が宇宙から地球を眺めたときは、その何十、何百倍もそう思うに違いない。

心の底から漏れ出すように大きなため息をひとつついた後、手に持ったまだ熱々のコーヒーをゆっくりと口へと運んだ。

 そんな時、休憩室のドアが開く音がした。
黄昏モードだった僕はふっと我に返って、ドアの方へと視線をやると、見知った顔の女性がくたびれた顔で入ってきた。

「あぁ、なんだ君か・・・まだいたんだ」

僕は苦笑いで「えぇ、まぁ」といった具合にそれとない返事を返した。

 彼女は僕の働く部署の上司で、歳は五つほど上になる。
容姿端麗、成績優秀と部署内でもカリスマ性を放つ女性で、度がつくほどの口の悪さを除けば、
尊敬をも超越し崇拝にすら値するような人間だった。

「こんなとこでサボってるんだったら、残業代の無駄だから帰りなさい?」

「え、えぇ・・・むしろお金を払ってでも早く帰っていいならそうしたいところですよ」

「何か言った?」

「いえ別に」
 僕は表情変えずにそんな風に切り返した。
まったく嫌味なことをさも平然とした顔で言ってくる、そんなんだから独り身なんだよこの人は。
まぁこんな事は口が裂けてでも言えはしないのだが。
はっきり言って僕は彼女のことは好きか嫌いかでいえば、そのどちらでもない大嫌いに分類される。

 僕はドーナツを急いで口に頬張ると、コーヒーでぐいっと一気に流し込み、そそくさと休憩室をあとにしようとした。

「なぁ、君はさっきこの景色をどんな風に見てた?」

 行動を遮るように上司が僕を呼び止めた。

「宇宙飛行士にでもなった気分で、ちっぽけな世界を眺めて心の中で憂い嘆いてました」

 眠気も相まってか、先ほどの心境がスラスラと台詞となって口から漏れ出てしまった。

「そうか気持ち悪いな」

「すいませんでした、失礼します」

「待ちなよ」
 そういって上司は尚も僕を引き止めた。
今日はいつも以上に絡んでくる、なんだかカラミティな予感しかしない。

「さっきちっぽけな世界って言ったけど、私はそうは思わないけどね?」

 そう言いながら一面ガラス張りの窓の前で彼女はしゃがみ込んで遠くを眺めはじめた。

「・・・と言いますと?」
 もうこうなれば絡み返しである。

「私だったら自分がものすごく大きな巨人になったと思って眺めるわ。そうすると地上に歩く人なんて、蟻みたいに見えてたて踏み潰したってなんとも思わないくらいに見えちゃう」

 そう言って上司は少しだけ無邪気な笑みを漏らした。
僕の言った事も痛々しかったが、上司が言ったことも相当なものだ。

「そんな風に自分に暗示をかけると世界の見え方って随分と変わるのよ?」

 半信半疑に僕もしゃがみこんで、窓の外をもう一度覗き込んでみた。
今度は上司に言われたように巨人のように、怪獣のようになったつもりで・・・。

 しかし驚いたことに、上司の言う通り景色は大きく変わったのだった。
考えてみれば鏡でもなければ自分は自分の姿を視認できない。
だから自分がどんな姿をしているのかなんて想像することしかできないのだ。

「まるで大怪獣の気分です」

 その言葉に反応してか、上司は僕の方を向いて微笑んだ。
そんな上司を僕は初めて見たような気がした。
思えば、いつも人前で堂々と発言し、年上相手であっても恐れを知らずに意見して、
たくさんの敵を作りながらも平然としている彼女は、もしかしたらそんな風に自己暗示をかけて戦っていたのかもしれない。
でもいま目の前で悪戯に笑う上司は怪獣ではなく、一人の女性であった。


 しかしその翌日、上司は飛び降り自殺し、その命を絶った。

 後で聞いた話では、責任の重圧、同僚や役員達からの陰湿な嫌がらせがかなりあったらしい。
あの性格や態度では周囲に敵を作ってしまうのも仕方がない事であったろう。
いかに怪獣であったとしても、心まで怪獣にはきっとなれなかったのだろう。

 あの日、上司の彼女に最後に教わった事は、今でも僕の胸の中に残っている。

怪獣の微笑み

お読みいただきありがとうございました。
ご感想を頂けると幸いです。

怪獣の微笑み

三分程度で読める短編小説になります。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-20

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