ユウコ

カーテンが揺れるだけの部屋に足を伸ばして座っている。床には空になった酒瓶や缶が転がっており、その近くには人間が横たわっている。散らかったスナック菓子と髪の毛が絡み合って愉快な様であった。台所の換気扇の下で煙草を吸う人間もいた。名前は思い出せない。その横には背の低い人間もいる。煙草を吸う人間が背の低い人間の腰に手を回していた。あれの名前も思い出せない。
 今が何時なのか。時計を見ても針がぐにゃりと曲がるために正確な時間が分からなかった。カーテンの隙間から覗く空が暗い。まだ夜は明けないらしい。北斗七星だったと思われる星のひとつが地面に零れて、家の前のスーパーが波打った。月が雲に隠れた。誰かが私の目の前に立ち塞がった。
「鈴木くん、酔いすぎだよ」
 茶色い髪の毛がさらさらと私の顔にかかって痒い。顔に影がかかっているため、暗くて顔が分からない。変に声だけが大きく聞こえた。座り込む私を覗き込むために体を前傾姿勢にするから、シャツが開いて胸元の谷間が露わになっている。レースのブラジャーがいやらしいと思った。
「ゆうこちゃんだっけ」
 私は黒い顔に向かって声をかけた。ゆうこは、私の最初の彼女の名前である。
「そうだよ」
 ユウコは笑った。そして私の足と足の間にちょこんと正座をした。図々しい奴だ。勝手に私の初恋相手の名前を名乗りやがって。私はユウコの胸に触れようと手を持ち上げた。いやらしいブラジャーの上から触るユウコの胸は溶けたバターのようだった。牧場の草と動物の匂いが蘇る。あれはいつのゴールデンウィークの記憶だったか。弟が迷子になったのだ。
 ユウコの胸を撫でるために上へ下へ自由に動いていた私の腕をユウコはそっと(しかし強い力で)握った。
「鈴木くん、この手を借りてもいい?」
 ユウコは私が返事をする前に私の手をユウコの口の中へ突っ込んだ。奥まで突っ込んだ。ずっと黒く隠れていた顔であったが、急に口が姿を表わした。ぎょっとした。ユウコの口は私の手のせいで大きく開かれていた。赤い円状の線がうねうねと動く。中央に私の手が伸びて、それは私の肩に繋がり、身体と結ばれる。ユウコは力強く私の手を口の奥へ、喉の奥へ押し込んでいる。
「ウエ、グゲェ……」
 ユウコは肩を激しく揺らしてえずく。私の指にはユウコの涎だか、胃液だか分からないが、液体に捕まり、腕から肘へと垂れていく。それでもお構いなしにユウコはえずき、そして私の指を奥へと突っ込む。
「ウッ……」
 ユウコのお腹が引っ込んで小さくうめいたかと思ったら、次の瞬間にはユウコの口から吐瀉物が溢れ出た。べちゃべちゃべちゃとアルコール臭い液体が私の身体とユウコの身体に容赦なく降り注ぐ。止まらない。アルコールだけでなく、夕飯に食べたのであろう焼きそばやサラダだった固形物が出てきて、何が何だか分からない。私の履いているジーンズは水分を吸って重くなる。ユウコは息を荒くして嘔吐している。
 ユウコは吐き終えた。私の腕を解放するとユウコの口が見えなくなった。また顔の全てが暗くなる。ユウコは私に顔を近づけるから、顔に髪の毛が触れてまた痒くなる。臭い。ユウコは私の唇を探しているようだった。私は顔を横に背けてそれを拒んだ。終電に乗る飲み会帰りのサラリーマンの姿を思い出していた。諦めならないユウコは私の耳を舐めて、囁いた。
「鈴木くん、早く私を抱いて」

「おいおい、吐くならトイレにしろよ」
「鈴木、最低!手伝わないからね」
何時の間にやらさっきまで台所に居た二人が私たちに近付いてきて鼻をつまんで立っていた。
「俺じゃない、こいつが」
 と指さした先には、ユウコは存在していなかった。
 月が雲から顔を出し、汚れたジーパンと吐瀉物に光を指していた。

ユウコ

ユウコ

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-13

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