仮面
これが夢だというのは、すぐに気づいた。
ある種の夢を見る時、「私」の顔はいつも仮面に隠されているからだ。
真っ白な地に、朱と黒で目や模様が描かれた、狐の面を。
そして、それは喜ばざる事態だった。
仮面をつけて見る夢。それは必ず、悪夢だったからだ。
地平線も見えない、ただただ果てしなく、広い空間。
そこにただ立ち尽くす「私」の前に、それは在った。
一枚の、大きな鏡。
特別な装飾などは何も施されていない、全身を見る事が出来るほどの姿見だ。
そして、そこに映し出された「私」。
「私」は、黒い袖と手袋に完全に肌が隠された腕を伸ばし、鏡面に指を這わせる。
幼き頃の「私」は、表情と口数に乏しい子供だった。
活発で社交的な兄と違い、いつも一人で屋敷に籠り、本を読み漁り、家族や使用人に見つからぬよう、人の居ない部屋を見つけては、そこに隠れていたのを覚えている。
その日の「私」は、普段は立ち入ることのない母の私室に居た。
理由は些細な事だ。確かその日は、屋敷の庭で、数日後に行われる祭りに備え、兄と兄の友人たちが舞台で見せる芸、芝居の練習をしていた。
その声が「私」にとってはとても耳障りで、逃げるように屋敷の中で庭から最も離れた母の部屋に逃げ込んだのだ。
母は「私」を産み落としてすぐに他界したと、そう父に教えられていた。
だから「私」は母の顔を直接見た記憶がない。
「私」にとって母は最初から居ない存在だったので、特に寂しさを覚えたりはしなかったが、そう言えばその日まで「私」は母の部屋に入ったことがなかったな、と気づいたのは入室した後だ。
今ならば分かる。どうして母の部屋にそれまで立ち入らなかったのか。
直接的ではない表現で、そう父や周囲の者に言い含められていたためだ。
母は正妻でも、後妻でも、愛人でさえなかった。
ただの使用人。それが、理由の全てだ。
だから母の私室、とは言っても実際には母の形見を納めるための物置と呼んだ方が正確な部屋だった。
生活感など微塵もない。そこに在るあらゆる物が時の経るままに埃を被り、誰からも、実子である「私」からさえも、忘れ去られていた部屋。
その中央に、布をかけられたその鏡は在った。
後から聞いた話では、それは「私」を懐妊した際に、父から贈られた品だったそうだ。
正式な婚姻や愛のあるやり取りなどなく、故にそれまで何も与えられたことがない母に、父が唯一贈った物。
母は亡くなるまで、とても大切にしていたらしい。
毎朝毎夜、そこに映る自らの姿を眺めながら「私」が眠る彼女自身の腹部を、愛おしそうに撫でていたと。
しかしまだ、その日の「私」はそんな詳しい経緯は何も知らなかった。
さほど大きくもない部屋に似つかわしくない、異様ともいえる大きさのそれに単純に興味を惹かれ、何とはなしに布をめくり、そこに映る「私」を見た。
……だが、そこに見えたのは「私」だけではなかった。
そして今も、「それ」は「私」の背後に、居る。
「私」の背中には何も居ない。
にも関わらず、鏡の内側に立つ「私」の背後に「それ」は居る。
おそらく「それ」が「私」の「母」なのだろう。
幼き頃の「私」は理解出来ずに、泣きながら部屋を飛び出したが、今の「私」には分かる。
「それ」が「母」だ。
「それ」の形状を言葉で例えるのは難しい。
何か黒い、汚泥のような物が渦巻いて、立ち上がるように上に伸びている。
輪郭は影のようにぼやけ、正確に目で追う事は出来ない。
だが、一つだけ、はっきりと視認できる物が「それ」には在った。
それこそが「それ」が「私」の「母」だと直感した証。
仮面だ。とても白く、目の部分は黒い。
そしてその周囲に紅い、血のように紅い縁取り。
私がつけている物と大きさ以外は寸分違わぬ、狐の、面。
「母」は何も言わない。「私」も何も言わない。
そこに会話はなく、伝えるべき意思も、汲み取るべき真実もない。何も感じられない。
何か感じたいのかどうかも、「私」には分からない。
それはおそらく、仕方のないことなのだろうと「私」は思った。
なぜならこれは夢で、ここに在る物も、ここに立つ「私」も「母」も、夢の中の影、記憶の残滓にしか過ぎないからだ。
鏡の中に映る物は現実の影だ。
そして、この世界は夢で、夢は「私」の影であり「私」が見た、記憶した、経験した世界の影なのだ。
影に過ぎぬモノは、それ独自で思いを語ったり、動いたりはしない。
もしも「それ」が「母」が「私」に伝えるべき言葉を持ってそれを語ろうとしていたのならばそれはあの日現実のあの日あの場所であの鏡の前に立ち尽くす影ではない本物の「それ」が「母」が「私」に語らねばならなかったのだその言葉を思いをその刹那に伝えられなかった以上知ろうとせずに逃げてしまった以上それは永遠に失われ影や記憶で補完できるものではないのだ失われたのだから二度と取り戻せぬのだから何故あの時姿を現したのに語らなかったのだ何故「私」は逃げたのだ「私」とは誰なのだ「母」とは誰なのだ「私」は知っている「母」も知っているでも「私」も「母」も「それ」も「あれ」も「どれ」も「何」もかも分からない知らない知りたい知りたくもないどうにもならないどうすることもできない今はもう今となっては
――――――カラン、と音を立てて「それ」の仮面が転がり落ちた。そこには何もなかった。
「それ」も何もかも、床に落ちたはずの仮面と共に、最初から何もなかったかのように、消え失せてしまった。
その瞬間まで、ずっと鏡に添えていた指が無意識に「私」の顔をなぞった。
狐の面に覆われた顔を。「私」はそのまま、面を剥ぎ取り、鏡に自分の顔を映し出したいと言う、強い衝動に駆られた。
それからどれほどの時間が経ったのか分からない。
夢の中のことだ、おそらく一瞬でも永遠でもないのであろう。
けれど「私」にとっては、ただ茫然と立ち尽くし、長くも短くも感じられた。
「私」の狐の面は、まだ顔に張り付いていた。
結局、怖いのか。私は。私を見るのが。
だから、いつも目を細めているのか。
自分を見ないように。
誰かの瞳に映る私さえ、私の視界に入らぬように。
鏡はそこに在る。夢の中。
でもそれはもう「私」の「母」の姿見ではない。
ただの、誰かのための、あるいは誰のものでもない鏡だ。
また誰かが夢にその鏡を見出した時、それはその人にとっての鏡になるのであろう。
あるいは、再びこの夢を訪れた時にそれを見出した私にとっての。そうなるかは分からないが。
「私」はもう夢の中に居ない。
この言葉も思いも、目覚めと共に消える残響に過ぎない。
誰かがここを訪れそこに何かを見出し、言葉や思いであふれ返れば、上書きされて消えてしまう。ただの木霊だ。
それでいいし、それ以上のものではない。
仮面