Fate/Last sin -05

『昨夜二十時ごろ、風見市北東地区の風見霊園教会でガス爆発 けが人はいない模様』

 風見市の北西に位置する住宅街は急な坂道が多く、高低差が激しい。その中でも特に北側の標高の高い丘陵地の近く、住宅街全体を見下ろせる場所にその大きな屋敷はあった。朝陽の差し込む庭に、よく磨かれたステンドグラスが特徴的なその屋敷には、少し前に外国人の四人家族が引っ越してきた、と町で小さな噂になっている。
 噂の元であるその屋敷の主―――年齢は三十代半ば、アッシュグレーの長髪に格式高いスーツを着た男は、リビングのソファに座ったまま難しい顔をして、そのガス爆発を一番に報じた朝刊をバサバサと畳んだ。
「あら、ムロロナ。そのニュースは何?」
 浮かない顔をした男の後ろ、キッチンの方から女性の声がする。男はそちらを振り向いて肩をすくめた。
「聖堂教会の管轄である風見の教会が、爆発事故を起こした。……まあ十中八九、聖杯戦争で何かしら動きがあったのだろう」
「ふうん」
 そう言いながらキッチンから出てきた女性の手には、コーヒーカップが携えられている。それをムロロナと呼んだ男性の目の前のテーブルに置いて、女性もソファーに座る。
「砂糖はセルフサービス」
「ありがとう、クララ」
「それにしても、監督役の管理する教会がいきなり燃やされては、あまり良い兆候ではないわね」
 ムロロナはコーヒーを一口啜って、苦い顔をした。それはコーヒーの苦さだけによるものではない。
「そうだな。サーヴァントが暴れたのか、マスターの策略か……どちらにせよ、今朝、七騎の駒が揃ったと連絡があった。いよいよ本番というわけだ」
 畳んだ朝刊をテーブルに放り投げ、ムロロナは細く骨ばった指を組む。丸い眼鏡越しに伏せられた目は、到底聖杯戦争の始まりを歓迎しているとは言い難かった。クララはそんな彼の様子を見て、ムロロナの腕にそっと手を添える。
「そんな顔しないで、あなた。大丈夫よ。私たちもサーヴァントを召喚したじゃない」
「ああ、だが……」
「キャスターなら大丈夫。きっと私たちを聖杯へ導いてくれるわ」
「あのキャスターが? ……マスターに真名も明かさないサーヴァントなど、信用に値しないだろう」
 ムロロナはそう言うと、浮かない顔でまたコーヒーを一口啜った。
 ここルシオン家は、もう九代も続く天体魔術の家だ。魔術師の家としては名門と言っていい歴史がある。星見の家として数百年にわたり記録してきた天文の資料の数は膨大で、時計塔の中でも引けを取らない。
 だが、ここぞという決定力に欠けていた。目立つ功績を上げたわけでもない。根源に辿り着けるような奇跡を発見したわけでもない。ただ、毎日地道に積み上げてきた星々の記録があるだけだ。それは九代目を継いだムロロナ・ルシオンにとって、厳重に、緻密に編み込まれた呪いにすぎない。
「……僕らの代で聖杯を手にし、一族の悲願を叶える。でないと、リリーとルルアド、そのどちらかが……」
「子供たちのことなら心配しないで。あの子たちはどちらも素晴らしい素養を持っているもの」
 クララが彼をたしなめる。だがムロロナは険しい顔で首を振った。
「だから問題なんだろう。どちらか一人が天才であれば、迷わずその子を跡継ぎにする。だが二人ともに才能があるとなれば、片方を潰すことになる。あの子たちももうすぐ、九歳と八歳だ。そろそろ決めなければならないが、その前に聖杯を手に入れられれば……」
「……」
 冬の朝の居間は、重い空気に包まれる。そこへ、ガチャリとドアを開け、幼い姉と弟が現れた。
「おはようございます、お父様、お母様!」
「ああ……」
 途端に、先ほどまで硬くこわばっていた二人の顔が緩む。子供たちは起きたばかりの、寝ぐせの残る頭のままクララとムロロナに飛びついた。
「おはよう、リリー、ルルアド。今日も寝坊をしなかったな。偉いぞ」
「お父様に言われた通り、ちゃんと早く寝ました!」
 細く大きな手で、娘、リリーの柔らかな銀髪を撫でる。リリーは父親の顔を見上げて、それから何かを探すように部屋をきょろきょろと見渡した。
「お父様、きのうの夜、だれか家に来たのですか?」
「そうだ、僕もきのうの夜、下の階で誰かが話しているのを聞きました」
「なっ……」
 まだ魔術師でない以上、子供達にはサーヴァントや聖杯戦争の存在を秘匿しようとしていたムロロナは、その無邪気な質問に冷や汗をかく。
「何のことだ? 二人とも、寝ぼけていたんだろう」
「そうかしら……でも知らない声が聞こえたのよ……ねえ、ルルアド」
「うん、たぶん、男のひと? だったような……でも気のせいかもしれません」
「ああ、気のせいだとも。さあ、朝食を食べてきなさい」
 ムロロナはリリーとルルアドをやや強引にクララに引き渡して、密かに汗を拭いた。クララはムロロナと目を合わせると、苦笑いを浮かべる。それも子供たちに気づかれないうちに顔から消し去って、代わりに朗らかな声を上げた。
「さあ、今朝はキッチンでマフィンを焼きましょうね。手伝ってくれる良い子はいるかしら?」
「はい、お母様!」
 幼い姉弟はきゃあきゃあとはしゃぎながら、クララに連れられて居間を出ていく。バタン、と扉が閉まると、ムロロナは軽くため息を吐いた。
「……子供の無邪気というのは、何、時に厄介なものである」
「うわっ」
 背後から突然声が聞こえ、ムロロナはソファーから飛び上がって後ろを振り向き、右手を前に突き出して身構える。だがそこにいた人物を見て、すぐに脱力した。
「キャスター……驚かせるな」
「君は魔術師のくせに、穴倉の鼠のように臆病だな。そんなことで戦争行為など出来るのかね?」
 ムロロナはキャスターの嫌味を無視して、ソファーに座り直す。半分ほど残っていたコーヒーを口に含んだが、すでにそれはぬるくなり始めていた。
「おまえこそ、せっかく譲り渡した地下の工房はどうした。ちゃんと役立てているだろうな」
 キャスターはピクリとも表情を変えず、冷ややかな視線をムロロナに注ぐ。マスターより頭一つ分も身長の高いキャスターは、見れば見るほど謎に包まれていた。頑強な青年のようでいて、非情な老魔術師にも見える。アシンメトリーの白髪は乾ききって艶がないが、その真紅の目は恐ろしいほど澄んでおり、隙というものを一切感じさせない。声をかけても、まるで底の見えない深い穴に語り掛けているような、微妙な虚無感を覚える―――キャスターは、そういうサーヴァントだった。
「心配するな。穴倉の鼠に相応しい穴倉を仕立ててやったぞ」
「……おまえは嫌味を言わないと生きていけないのか?」
「嫌味? 私は君を不愉快にさせたかね。事実をありのままに観測し、ありのままに発声しただけなんだが」
「ッ……いや、いい。それで、一晩かけておまえは何を作ったんだ?」
 キャスターは片眉をあげたが、すぐには答えず、黙って居間の南側にあるステンドグラスへ歩いていく。
「砦というのは、敵が攻めてこなければ何ら価値のないものだ」
「つまり……」
「今夜、誰かが鼠の巣を掘り起こしに来たとしたら、その身を以てこの砦の真価を証明してくれるだろう」
 キャスターは何の感情も込めずに言った。自分の作業とその結果に対して淡々と評価を下しているだけだ。
「だがまだ完成はしていない。下地は準備した。後は君の得意なその魔術礼装とやらを、この屋敷の好きな場所に好きなだけ仕込めばいい。恐ろしい英雄が血相を変えて君たちを狩りに来る、夜までにな」
「……分かった。準備しておこう」
 ムロロナが渋々ながら頷くと、キャスターはやや目を細めてマスターである彼を見る。
「……本来ならこんな下賤な戦争行為など、私の魔術の範疇ではない。信念に反する。だがマスターたる君には罪のない子らがいる。それらを無意味に危険に晒さない為と思えばの話だ。君、子らに感謝すべきだと思わないか?」
「……そう、だな」
 リリーとルルアドの姿が脳裏をよぎる。ムロロナは複雑な思いを抱えたまま、キャスターの言葉に口を結んだ。そんなマスターの様子を見て、キャスターのサーヴァントは溜息を吐き、霊体化しながら呆れた声で付け加えた。
「今のは、嫌味だ」




 真冬の陽ざしはあまりにも弱い。ムロロナは屋敷の裏庭で最後の礼装をセットすると、かじかんだ指先を忌々しげに見下ろした。時計塔なら、こういうこまごまとした作業は弟子や召使いに行わせるが、風見の地へは家族以外、誰も連れてこなかったので、自分でやるしかない。クララの生家は錬金術の家系で天体魔術には疎く、この礼装、ホロスコープを扱うことは出来ない。キャスターはもともと自分の仕事以外に手を出すつもりは毛頭無いらしく、この聖杯戦争で主に動くことになるのはムロロナ一人になりそうだった。
「……さて。夜に向けた準備はこれで仕舞だが……」
 コートのポケットに両手を入れ、裏庭とその後ろの森を隔てる柵に歩み寄る。そして背後の森を振り返らないまま、ムロロナは声を上げた。
「何の用だい、そこの魔術師」
 数分前から、森の木々に紛れて何者かがこちらを見ていることには気づいていた。どうせいずれかのマスターが放った使い魔が監視しに来たのだろう、ならば監視の目には気づいているぞ、と少し発破をかけるつもりだったのが、意外にもその監視者は人の声を上げた。
「……用などあるものか。ただの監視だ」
 若い人間の声だった。男か、女か、はっきりと区別は出来ない。どちらかと言えば低い女の声に近い気もする。ムロロナはこちらに対する殺意が無いのを感じ取ると、振り返らないまま柵にもたれかかった。
「使い魔ではなく、魔術師が直々に?」
 声は答える。
「私の使い魔は脆く、制御が難しい。細やかな偵察には私のほうが向いている」
「自ら弱点を露呈したことに気づいているのか?」
「あなたは馬鹿なのか。魔術で仕込まれた人形より私のほうが堅いと言ったんだ」
 ムロロナはぴくりと片頬を吊り上げた。小馬鹿にしたような物言いに挑発されてはいけないと思いつつも、時計塔で培われた貴族意識が頭をもたげる。
「どこの野良か知らないが、随分と自信があるようだな」
「高慢チキなあなたの魔術を見て、その自信もすっ飛んじまったが」
「……」
 落ち着け、と胸の内で唱える。こんな小娘、いや小僧か、どちらにせよ若者の挑発に簡単に乗るなど、一家の当主として情けないぞ、ムロロナ・ルシオン。
 必死に自分を宥めすかすムロロナとは裏腹に、木陰に隠れたマスターは心なしか楽しんでいるような口ぶりで言う。
「あなた、ちょっと面白いな。他のマスターと違う」
「……全く嬉しくない賛辞だ。それに仕掛けを見られた以上、生きて帰すつもりは無いんだが」
「どうやって? 戦うのか?」
「ああ、そうだとも!」
 言うなり、ムロロナはコートのポケットから手を引き抜きながら、背後の森を振り返った。その一瞬の内に柵の向こう側を狙いすまし、人差し指を向けて言い放つ。
「――――ガンド!」
 その瞬間、ムロロナの突き出した人差し指の先端に黒い魔力の弾丸が形成され、間髪入れずに声の方向へと放たれる。バシュッ、と空気を鋭く噴き出すような音と共に弾き出されたその弾丸は冬の木立の微妙な隙間を潜り抜け、ライフル弾のようにその声の主を撃ち抜いた。
 やったか、とムロロナは柵を乗り越え、慎重に森の中に入っていく。
 だが次の瞬間、目の前を凄まじい速さで過った(よぎ  )人間の脚に思わず身をのけぞらせた。脚は勢い余って、近くの大木に衝突する。
 ミシリ、と音を立てて、太い木の幹に亀裂が入った。
「……ッ!」
「残念。外れだ」
 低い声はそう言う。ムロロナは初めて、その声の主を正面から見た。
 黒い衣服に、黒髪、死人のように白い肌。ムロロナより背が高いが、顔を見ても、男か女か分からない。彼、ないし彼女は地面の枯葉を砕きながら、ムロロナから遠ざかる。
 ムロロナは眉間に皺を寄せた。
「射撃の腕は鈍ったか」
「そんなことはない。ガンドは当たった。私が弾き飛ばした(・・・・・・・)だけだ」
「何だと?」
 黒髪のマスターはほんのわずかだけ、口角を吊り上げる。―――笑っているのだと、少ししてから気づく。
「野良だと良かったんだが、血統書付きでね」
「……強化の魔術に特化した家系か」
「そういう単純な話でもないが」
 言葉を交わす間にも、黒髪のマスターはじりじりと遠ざかる。ムロロナはわずかに焦った。
「逃げる気か? 砦の仕組みを見られた以上、私は君を生かしておけない」
「仕組み? ――――ああ、あれね」
 黒髪のマスターは表情を消す。それから何の前触れもなく、ふっと跳躍した。
 冬の森の朽ちかけた木の枝に着地すると、黒髪のマスターは猫のように地上のムロロナを見下ろす。
「私のサーヴァントはチマチマした要塞攻略なんか出来ないよ。今日は見に来ただけだ。まあ――――」
 黒髪のマスターは口角を歪め、目を細める。
「あなたがどうしても今夜、あの屋敷を灰燼に帰してほしいというなら考えよう」
 それだけ言うと、黒髪のマスターは枝から飛び退き、獣のような速さで姿を消した。
 枯れ木の森の中で、ムロロナは本日何度目かの溜息をつく。今日は、やたらと喧嘩を吹っ掛けられる気がする、と痛みを訴え始めた胃を抑えながら、コートの内ポケットから正四面体の鉱石を取り出した。
「―――やれやれ。念のため、と言うには高価な代償だが……『ファミリア』、彼女を追いかけろ」
 ムロロナの呟きに応えるように、指の上の正四面体がカチリ、と展開した。それはしばらくカチカチと形状を変え、小さな人工衛星のような形になると、ふわりと宙に浮きあがる。そのまま滑るように黒髪のマスターが消えていった方向へと進んでいった。
 それを見送り、ムロロナは屋敷の方を振り返る。
「さて……教会の様子を見に行く前に、せめてリリーとルルアドの勉強を見てやらなくては」
 魔術師は、軽いとは言えない足取りで枯れ葉を踏みしめた。
 

Fate/Last sin -05

to be continued.

Fate/Last sin -05

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-06

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