摩耶

「ナメック星人って全然ナメック語喋ってないじゃんね」
 納得いかなさそうにそう憤る摩耶のことを俺は不躾にも、完全に性欲の顔をして見ていた。摩耶は俺の部屋で漫画を読んで、さも自分の部屋であるかのようにくつろいでいる。
「そんな怒ること?」
「ずっと思ってたの。だってさ、だったらナメック語って誰が使ってるの?」
 モテなさすぎて保健室のばあさんの優しさが二、三度可愛く見えたあたりの激ヤバな俺にはヤバすぎるご褒美だろう。当然のように色々と持て余しているし、摩耶は欲目とかそんなんなしに可愛い女の子だ。ばあさんが可愛かった俺だからもう大概の女子は可愛いのだが、それにしたって、色素の薄い瞳とか、瞬きするたびにキラキラするまつ毛とか、ツヤツヤでフワフワのポニーテールとか、色々群を抜いている。摩耶の名字は馬喰とかって珍しいやつで、普段はそう呼んでいるが心の中ではもうすっかり摩耶(♡)と呼んでいるのだ。
「ポルンガ……」
「使ってないじゃん」
 勝利を確信し語気を強める摩耶。ポルンガも別に普通に喋るけど、こっちは結構余裕がなくて、そんなことを考えている場合ではない。俺はまだ子供だが子供なりに大人になっていて、ソフトクリームを一緒に食べられるならそれでいいとかそんな綺麗事は抜かさないし、このどうしようもないリビドーの存在を認めている。それはそれとしてマジでガチの、一回も彼女ができたことのない本物の童貞なので、特に何にもできないし摩耶が帰るまでずっとドギマギして終わりなのだろう。触りたいが、触らなければとは思ってないし。どうしても嫌われたくない。触りたいな。
 こんなクソ根性なしの俺の部屋になんで摩耶がいるかというと、俺たちはつい先程まで外で話し込んで(摩耶が一方的に話すのを口とか耳とか凝視しながら聞いて)いて、雨が降り出したもんだから「俺んち近所だし」なんて期待もありながら不自然じゃないように、かつお誘いのようなニュアンスも含みつつ絞り出してみたら、摩耶が「雨やどりさせてくれるってこと?」なんつって。へへ。
「見知った友達の家でもそんな寛がねえわ」
「別にいいじゃん、漫画読んでるとこうなるでしょ」
「自分の漫画ならね」
「てかさ、なんかさっきから声浮ついてるよ。ちょっと嬉しそうなんだけど。何? 梶って嬉しいときイキるよね」
「へっ」
 傷ついた。摩耶はたまにひどい。
 何もかも図星を突いてくる摩耶の天真爛漫さは、俺が本当は女子と話す時いちいち呼吸を浅くしているのに、他校の女子ならいけるだろうとイキってやれやれ感を出していることをいとも簡単に、デリカシーのかけらもなく暴いてしまうのだ。こういうところが時々、女子と話しているということを忘れさせたり、時間差ではっと思い出させて、俺を挙動不審にしたりもする。
「あと嬉しそうにイキってる時、いつもちょっとしゃくれてるよ。それも何?」
「無意識……」
 そんなことを言われると今後、嬉しいことがあった時にやたら顎を気にしてしまう。この笑っちゃう無神経に腹が立ちながら、それが嫌じゃなかったりして。こっちの無神経も許してくれるし。

摩耶

 自分のものではないかばんをたくさん持って、わたしはなぜこんなことをしているんだろう。お母さんは死んだ。お姉ちゃんはいなくなった。お父さんは逮捕された。残ったわたし。は? どうしてこれ以上虐げられなきゃならないの。あなたたちよりずっと悲惨なのに、同情のひとつもないの。なんとなく形成されたヒエラルキーの中でわたしは、四つも五つもかばんを寄越されたり、掃除なんかを押し付けられて、大丈夫、平気だよって気持ち悪い愛想笑いをする役だった。
 みんないなくなった時わたしは大島だったのに、なんだかよくわからない事情通みたいな人が湧いてきて、馬喰摩耶が大島浩康という人殺しの子供だってことがすぐにばれた。他人のくせによく知っている。わたしが誰に何されたかも。高校生にもなったらスルーのひとつくらいできないのかと思って、聞かなかったことにできないのかって、あることないことコソコソ騒いでるその姿勢をやんわり非難したら、向こうがちょっとムキになったりして。やんわり。あくまで。おばあちゃんちで暮らすようになってからわたしはずっとやんわり。自己主張をするとあまりにも受け入れられて、それが痛々しくて悲しいから。
 何にもしないで。なんでまだ痛いのに、その傷をまた抉るようなことばっかりするの。怖くて本人たちには言えないこと。これ以上傷つきたくないから。いつも貼り付けてた愛想笑いが今日はうまく貼り付かない。顔面の筋肉が痙攣しだして、おかしな汗がダラダラ出た。呼吸がしづらい。叫びたい言葉が喉に引っかかって、詰まって、窒息する!
「なに? 摩耶なんかちょー汗かいてんだけど。え、キモいよ? どしたの?」
 ひ、ひ、ひ、ひ、ひ。吸った分吐けない。吐いた分吸えない。わたしの異変に気付いた人から引いていく。いじられキャラってことで言い訳がつくっちゃつくような扱い。そんなんでこんなヤバイ顔をするとは、彼女たちは思わなかったし、わたしも思ってなかったのだ。顔も呼吸も、わたしの体からわたしの思い通りになるものがなくなっていく。立っていられなくなった。根はそんなに悪人じゃないんだな。駆け寄ってくれるもの。
「ちょ、ヤバイって、これ」
「救急車呼ぼ」
「死なないよね?」
「流石にないっしょ、過呼吸でしょ?」
「でもなんか顔ヤバイよ」
「これってあたしらのせい?」
「違うって。もしもし?」
「摩耶! ちょっと!」
「摩耶ぁ〜」
 涙が溢れる。あなたたちのせいっていうか、お父さんのせいだよ。ああ。梶。なんにも知らない梶。わたしこんななのに梶の前ではかっこつけてるの。梶は他校で何にも知らないから、わたしわざわざ遠くの学校選んで通ってるから、なりたい自分になれると思ったの。梶、梶、梶がわたしのこと好きだって気づいてるよ。自己主張が出来て自由奔放できまぐれなわたしが好きだって気づいてるよ。嘘ついてるの。梶といるときだけわたし、強くてかわいい女の子になれるから。バレたらどうしよう。弱くて何にもできないの。いじられてんだかいじめられてんだか、少なくとも見下されてるんだけど、言い返せないわたし、こんなの、死んでも見られたくないな。
 なさけないな。

 摩耶は少し目立つ子だった。ここらじゃちょっと見ない、ミルク入れすぎのカフェオレみたいな色したワンピースの制服を着ていたし、かわいいし、目に付いた。なんかどっかの女子校らしいが、遠いらしいし、女子校とあっちゃ余計に、俺は摩耶が通っている高校がどこにあるのかあんまよく知らない。
 華奢で色白な美少女が見たこともない清楚な制服を着ている。摩耶はなんというか、嘘みたいだった。初めてバスで彼女を見たときは、あれは映画か? と思ったし、最寄りの同じ停留所で降りたときは、俺が主人公か? と思った。今でこそよく喋る摩耶を知っているが、颯爽と歩いていく姿からは人格が何も想像できなかった。無表情の美人ってのはツンとして見えるもんで、冷たくて儚い。その日は、世界が違うな、何食ってんだろ、言葉は通じるのかね、なんて考えながら晩飯を食った。いいもん見たな〜くらいに思っていた。
 嘘みたいな美少女のことは、街で見た女優みたいな感じで、思い出として染み込みつつ、風化していった。浮ついた感情がひとしきり落ち着いたころ、中学からの友達の浦田に、そういえばこんなことがあった、といった感じで話した。浦田は「見てえ」と言っていた。
「一回しか見たことないの?」
「うん、一回だけ」
「はー、それ存在しない可能性あるな」
「はあ? いるわ」
「お前のモテたさが見せた幻」
「幻覚見るほどじゃねえわ」
「いやだってそんな漫画みてえな制服ある?」
「あるかもしんないだろ」
「思い出補正入ってて実際そんなに可愛くないかもしんないし」
「可愛かったわ。芸能人かと思ったっつーの」
 芸能人かとは思わなかった。浦田はやたら俺の話を疑っていた。その後のリサーチにより漫画みたいな制服は実在することが判明した。地味なオタク女子の中山さんが教えてくれた。(俺たちは女子に話しかけるのにかなりの精神力を消費するので、オタクっぽい地味な女子にしかこっちから話しかけることができない)制服が漫画みたいなのでオタクの女友達はこぞって行きたがっていたそうなのだが、遠いのと、私立なのでお金がかかるのとでみんな断念したらしい。それを聞いた浦田は「その子もオタクの可能性あるな」とか言っていた。それ以外なんか浦田と中山さんが時々楽しそうに喋っていて、浦田は面白いやつだが、調子に乗っているあいつを客観的に見ていると無性に腹が立ってくる。
 浦田に見せてやろうとは思わないな。

 しばらく二人で漫画を読んだり、軽口を叩きあったりしていたが、雨は止むどころか激しくなり、しびれを切らした摩耶は「傘貸してくんない? 今度返しに来るから」と帰ってしまった。名残惜しくもあるが、俺は「今度返しに来るから」に心の中でエコーをかけ、浮かれていた。また来るのか。
 明らかに上機嫌の俺に、十八時頃に帰ってきた母親は「なんかいいことでもあったの?」と尋ねてきて、はっとする。この家に同い年の女子をあげたことは絶対にバレてはならない。繊細な男のコ心を守らなくては。
「は? 別に何もないけど」
 しまった。言って後悔する。バレたくなさすぎて不自然に語調が強まってしまった。ムキになって否定する様は何よりもダサいのだ。
「あっそう」
 母親は思ったより興味がなかった。はあ〜よかった。ホッとする。ここで「何〜? ムキになって」なんて言われたら俺は恥ずかしくて生きていけない。いやでもこれはこれで、向こうの興味は薄いのに一人で必死になってるのも恥ずかしいな。
 摩耶の痕跡って特にないよな? 変な忘れものとか……。軽くチェックしたいけど、必要以上にウロウロしてたら変だしな。探さなくて大丈夫だろ、うん、うん。大丈夫。
 なんかそわそわしてしまう自分に気付いたので、部屋に引っ込む。寝っ転がりながら、摩耶と初めて話した日のことを思い出した。恋だなあ。うわっ恋だなあだって。恥ずかし。
 浦田に幻扱いされてちょっと不満だった俺は、もう一度摩耶に会うことにした。あれきり会えたことはそれまでなかったが、初めて会ったあの日は珍しく、一時間半くらい学校で小テスト対策をしてから帰ったのだ。中山さんがなんか割と遠いところにある女子校だと言っていたので、時間が合わなかったということだろう。あのバスは駅から出てるやつだから、多分どっかから電車で帰ってきて、駅からバスに乗るということになり、電車分遅れて帰ってくる。これは最近ちらっと聞いたことだが、摩耶の学校の最寄りまでの間にもスクールバスがあるそうなので、その分も遅れている。それが多分一時間半くらい。それから何度か、俺は学校で時間を潰してから帰った。そんなことしなくても降りるバス停は同じなのだからそこで様子を伺っていればいいのだが、それはなんかストーカーっぽくて嫌だった。あくまで、ちょっと遅くなっちゃったら偶然またあの子に会えた〜っていうのをやりたかった。映画っぽいから。
 それを繰り返しているとたまに会えた。時間割の都合かなんか知らんけど、絶対ではなかった。何回も会いたかったので相当繰り返していたが、そうなると学校で暇を潰している時さすがにやることがないので、課題やらなんやらしていたらちょっとだけ成績が良くなった。副産物だが、家に帰ってからやるより集中できることがわかり、それからテスト前には学校に居残って勉強するようにしている。ありがとう摩耶、君のおかげだよ。
 摩耶と同じバスに乗った何回目か、彼女が手から音楽プレーヤーをすべり落とした。その日俺は大胆にも摩耶の斜め前にポジショニングしていて、風景を見ている振りをして摩耶に意識を集中させまくっていたのですぐに気づき、拾って渡した。あ、どうも。いえ。みたいな感じ。別にそれで喋ったりできるほど度胸ないし。そんで降りるバス停も一緒だから、その時に、あっ。あっ。みたいな。ちょっとだけ一緒に歩いて、ここで別れるんだなってところで微妙な会釈をした。すると摩耶も返してくれて、うわ俺知らない女子とコミュニケーション取ってんじゃんと思って、徒歩とスキップの間くらいな感じで帰った。鼻歌まで出てたかもしれない。
 その晩、摩耶に似たグラビアで一発やろうかというところで、それまでは何にも思っていなかったのに、急に罪悪感が湧き出してきて、やめた。あんまり似てない子のグラビアでも見るかとも思ったが、似てる似てないを基準の一つとしだしている自分に気付き、それもそれで申し訳ないなと思いまたやめた。しかしさすがにそのまま何もしないって選択肢もないので、その日はいつぶりだか、無でオナニーをするのだった。ちんちんいじると気持ちいいということに気付いたばかりの頃はそれだけでできたもんだなあと思い返していたが、さすがにもはやそんなことでは足りず、結局頭の中には摩耶とグラビアのコラージュのようなイメージがあったことが否めなくて、結局一番申し訳なかった。身近な女子を意識的におかずにすることは受け入れられるのだが、無意識に浮かび上がるものは、うわごめん、そういうつもりじゃなかったんだという気持ちにさせて、後味が悪くなるのだ。
 初めてコミュニケーションを取って以降は、バスで会うとちょっとした挨拶を気まずく交わしていたのだが、その度にこの前はごめんと心の中で謝っていた。それに関してはちょっとふざけていたと思う。
 今や俺は開き直っているので、堂々と摩耶をおかずにしている。晩飯前にいっとくか? いや、慌ただしいな、ちょっと。やめとくか。

摩耶

摩耶

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-05

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  1. 摩耶