スローモーション
部活帰りに立ち寄った公園。そこで幼馴染のオビと出会う。
夕日のオレンジが藍色の空と溶け合って、紫色を作り出す。雲が白じゃなくて、黒っぽかったり赤っぽかったり。不思議な光景が広がるのが面白くて、私は自転車を止めて見入ってしまった。
夏の空が終わってしまう。蝉の鳴き声も随分と聞こえなくなった。たった一週間があっけなく終わってしまったのだ。耳を劈くあの鳴き声を聞かずに済むと考えると、このうだる様な暑さも幾分か和らいだ。
とは言っても、だいぶ涼しくなった。風がセーラー服のスカートを泳がせる。部活で濡れた襟足が少しずつ乾いていく。肌がじっとりと汗ばんでいるが悪くはない。夏が終わる、という感覚が寂しいと思うのだろうか。今はこの肌の感触さえもノスタルジックな思いにさせる。
私は自転車から降りると、ブランコに腰かけた。毎日通学路としてこの公園を利用することはあっても、こうやって座って空を見上げるのは初めてのことだった。公園の砂場には小さな男の子と女の子がお山を作って遊んでいる。汗で色の変わったグレーのTシャツと、顎から滴り落ちる大粒の汗が、お山を作ることに対しての一生懸命さが窺がえる。両手どころか膝小僧や頬などにも泥が付着しており、全身ぐちゃぐちゃだ。
そんな様子を視界の隅に入れながら空を見上げる。たかだか数分しかたっていないのに、藍色と紫は濃くなり、夕日が見えなくなっていく。夕日の代わりと言わんばかりに一番星が輝き始めていた。
「あ、一番星!」
男の子がそう叫んで立ち上がった。連られて女の子も立ち上がる。ふたりの視線が一点に集まった。
「帰らなくっちゃ」
女の子が寂しそうに呟くと、男の子は小さく頷いた。
「お山、明日続きをしよう」
そう言ってゆっくりと片付け始める。砂場中にまき散らしたスコップやバケツをひとつひとつ丁寧に拾い上げていく。
この子達はきっと、まだ帰りたくないんだ。まだ遊んでいたいんだ。わざと動作を遅くして、少しでもお互い一緒にいられるように、と。
その姿がなんだか面白いやら切ないやらで少しだけ顔がほころぶ。素直な気持ちがどのまま行動に現れるところとか、なんて素敵なのだろう。きっと、今だけの特権だ。私はそれを羨ましく思いながらふたりを見つめていた。
ふと、隣のブランコが錆付いた音を発した。
「こんなところで何してんの?」
首にタオルを巻き、黒のランニングシャツが汗で肌に張り付いている。さっきの子供たちよりも大粒の汗が顎から滴り落ちている。涼しくなったとはいえ、まだまだ暑い。きっとこいつは反吐が出るほどの真面目君だから、今日は大方野球部が休みで、自主練習でこの辺りを走っていたのだろう。そう推測した。
「何って、空を見てた」
「空? なんかあったのか?」
どっかりとブランコに座ると、首に巻いていたタオルで頭から豪快に汗を拭く。地面に汗の滴が落ち、点々と濡らす。
「別になんにも。オビはランニング? こんな暑い中ご苦労なこって」
「そう。野球部が今日休みでさ。ここ俺のランニングコースに最近加えたんだ」
いや、聞いてないし。とは言わず「そう」とだけ返事をした。空はもう暗く、どこまでも濃い藍色だけになっていた。
今何時だろうか、と制服のポケットに手を突っ込んだが、生憎携帯は自転車篭にあるカバンの中のようだ。まあいっか、と思い軽くブランコを漕ぐ。思い錆びた音が響いた。夜の空に混ざりながら公園を満たしていく。
「最近会わないな」
ふいにオビがそう言った。そういえばそうだ。幼稚園からずっと一緒だったのが、高校が別になってから全く会わなくなってしまった。
別に何があったとか、そんなわけじゃない。家もお隣同士で、親同士も仲良くて。ただ、高校が違うというだけ。家を出る時間も、帰ってくる時間も、お互いの休日も違う。一緒に登下校していた毎日が、もうなくなってしまったのだ。それを寂しいと思うわけでも、悲しいと思うわけでもないが、何か物足りない毎日だと薄々思っていた。
ちらりとオビを見る。すると、そこには驚きが沢山あった。この春までは同じくらいの身長だったはずなのに、心なしか私より背が高い。汗ばんだ黒い二の腕が随分と太くなっている。手の甲も骨ばって、目が鋭くなって、脹脛の筋肉が硬さを増している。変わってないところと言ったら、坊主頭と右耳朶にある小さなホクロ。少しだけ胸を撫で下ろす。オビが変わってしまった、と感じるのは何故だか辛い。だが、そのホクロがオビなのだ、と認識させてくれる。
「高校はどう? 楽しい?」
「まぁまぁ。優は? バスケ頑張ってる?」
「まぁまぁ」
久しぶりだというのに全く盛り上がらない。中学生の頃は毎日一緒にいたのに、馬鹿みたいに笑い合っていた。やれ数学の矢野先生の禿頭のことだとか、やれ教頭のネクタイのセンスのことだとか。とにかく、本当にくだらないことばかり。そんな毎日が楽しくて、愛おしくて、大好きだった。
でも、変わってしまった。私もオビも、見た目的には多少なりとも変わったのかもしれないが、それよりも変わったものがあった。言葉では言い表せることが難しい。そんなもどかしさを誤魔化すように、私は少し大きくブランコを漕ぐ。
「夏、終わるな」
そう寂しくオビが言うもんだから、私まで切なくなる。オビは暗くなった空を見上げながらじっと一番星を見つめていた。私も同じように一番星を見つめる。
しばらくふたりで空を見上げていた。だが、ふと視線を感じるとオビが私を見つめていた。
「な、なに」
少しびっくりして身構える。それでもオビは私から視線を外さない。真っ黒な目が私を捉える。真っ直ぐに見つめられると、次第に私の胸が高鳴りだした。
そういえば、昔からオビは人の目をよく見て話す奴だったな、と思い出す。じっと、その人の本質を見極めるかのように目を直視してくる。その度に私はどきりとしたが、嫌ではなかった。
オビは一向に視線を外さない。私も何故だか目を外すことができない。ただ静かにお互いがお互いを見つめ合う。
「俺、お前と会えないのが寂しい」
「え」
「高校別れてからお前と会えなくて、寂しい」
ブランコが揺れた。錆びついた音が一瞬だけ響いた。オビの汗臭いランニングシャツがふわりとにおう。
気が付いたら左手首がつかまれていた。オビの手の平が汗で濡れているのがわかる。私の手も大きい方だと思っていたが、オビには全然敵わなかった。
「会いたい、お前と毎日。また中学の時みたいに馬鹿笑いし合いたい」
どうしよう、私。今すごく泣きたい。
手首をつかむ手が少しだけ強くなる。ブランコの鎖をつかむ私の右手も自然と力が入ってしまう。少しでも力を緩めると泣き出してしまいそうだったから。
私は小さく頷くと、「私も」とか細い声で伝えた。
「オビとまた色々話したい……」
そう言うと、オビは黒い目を細めてにっこり笑った。私の大好きな笑顔だ。人懐っこい子の笑顔が大好きで、よく笑わせていた。
「帰ろうか」
「うん」
ゆっくりと手が離される。名残惜しそうに。そしてお互いゆっくりと立ち上がる。立ってからは制服を直したり、オビはタオルを首に巻き直したり。全ての動作がゆっくりで、何分も時間をかけた。
これってあの子供達みたいだな、と気づき、オビにばれない様に小さく微笑んだ。
スローモーション
久しぶりに小説を書きました。
久しぶりすぎて書き方を忘れました。