彼と彼女は不幸自慢と手を繋ぐ

序幕

3月にしては、真冬のように寒い日だった。
もう春休みは始まっているというのに、その少女は学校へ向かっていた。少女は家庭に居場所が無かった。彼女を口汚く罵る下品な祖母と、彼女に容赦なく暴力をふるう頭の悪い弟、滅多に家に帰ってこない祖父と4人で彼女は暮らしている。嫌いにすらなれないような家族から自分の身を守るため、彼女は今日も学校へ向かう。
大声で談笑している女子高生達、けばけばしい化粧を施しているOL、新聞を大きく広げて読み耽っているサラリーマン、あほ面を引っ提げてのこのこと生きているであろうあらゆる人々を心の中で呪いながら、彼女は今日も電車に乗る。別に自分だけが不幸だなんて勘違いして、悲劇のヒロインぶっている訳では無い。ただ、自分より幸せそうな人を見ると胸糞が悪くなった。誰かの笑っているのを見ると、自分が笑われているように感じて恐ろしかった。お気に入りの少し高いイヤホンでロックを垂れ流し、ただ携帯の画面を眺めながら自分の殻に閉じこもる。しばらくこうしていると、電車は学校の最寄り駅へ着いてくれる。図書館へ行けば再試験のある友人の誰かしらがいるだろうなんて考えながら、改札を出る。
学校の図書館へ着くと、彼女は友人達と合流する。色々と他愛もない話をしたり、時には無いやる気を振り絞って勉強したり、そうして彼女の1日は過ぎていく。
何の意味も見出せなさそうな日々。友人とのくだらない話、家庭内暴力、覚えたてのセブンスターの味、リストカット、SNSの140文字のポエム。そんな俗物のあふれる日常でも、彼女は満足していた。彼女には、たった1人だけれども、完全に心を許せる人がいた。それだけのことで、ささやかで小さな幸せにも喜びを感じられていた。どんなに血や涙を流しても、次の日には朝日が昇り、どうにか楽しく生きられる日々を彼女は愛していた。

出逢い

煩わしい蝉の声に起こされて目を覚ますと、少女は見知らぬ部屋にいた。真っ白な天井、少し黴臭い布団、彼女の周りを囲っているカーテン。何故私は眠っていたのかしら、ここはどこかしら、なんて考えていると、カーテンの外から引き戸を開ける音と、女の人の声が聞こえた。
「起きてる?」
彼女は返事をした。
「はい、起きてます。」
「やっと目が覚めた?ちょっと開けるからね」
カーテンが開くと、見覚えのある女性がいた。その人がこの学校の養護の先生で、ここが保健室である事を、少し考えてから理解した。
「具合はどう?」
「元気です。特にだるくも、気分が悪くも無いので。」
「そう。トイレで倒れている所を発見されたんだけど、授業は出られそう?」
「はい、大丈夫です。出られます。」
ベッドから起き上がると、軽い吐き気と手足の震えを感じた。立って歩けない程では無かったし、どうもここの空気は苦手だった為、彼女は教室に戻ることにした。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。最近少し貧血気味だったのですが、横になったら少し楽になったみたいです。ありがとうございました。」
「無理しないで、具合悪くなったらまたおいで」
「はい、ありがとうございます。」
教室に戻る途中に曖昧な記憶を辿ってみると、やっと自分が何をしたのか思い出せた。


昼休み、少女は食後の薬を飲もうとトイレの個室に入っていた。外から、談笑している女子学生達の声が聞こえてくる。彼女達は、当たり障りの無い、他愛ない話をしているだけだった。だが、彼女は自分が笑われているような、蔑まれているような気がしてしまった。個室の外にいる顔も見えない、名前もわからない彼女達が怖くなった。パニック発作を起こした。1番思い出したくないトラウマが、彼女の中に蘇ってきた。本気で消えたいと思い、死んでしまおうと思ったので、丁度手元にあった薬を全て飲み干した。
暫くして、授業が始まるからと言って扉の外の彼女達は立ち去って行った時、彼女は猛烈な吐き気に襲われていた。何度も嘔吐した。お昼に食べたものの味が、苦い液体と混じって再び口の中に広がった。胃が空っぽになっても吐き気が収まらなかったから、胃液を吐いた。胃液は吐瀉物よりも苦く酸っぱく、吐き出した後喉が痛くなった。ああ、こんなものがお腹にたくさん入っていたら、それはそれは、私の食べた物はお腹の中で溶かされていくだろうなと、涙目になりながら彼女は思った。視界が白く霞んでいった。このまま死んでしまえと思いながら、少女は意識を手放した。


教室に向かう時、彼女はクラスの担任の先生に遭遇した。見た事の無い、他の先生と話しているようだった。初めて見る先生だったが、目が合うと少し違和感のようなものを覚えた。
「あれ?今授業中だけど、どうしたの?」
「ちょっと体調が悪くて保健室に行ってて…」
「そうか、無理はしないようにね。」
「ありがとうございます。失礼します。」
あまり深く詮索されたくなかった。少女は、所謂いい子の振りをしていた。せっかく周りの学生達や先生方に気に入られているのに、死のうとした事が知られてしまったら彼女の立場が無くなるだろう。軽く会釈して、足早に去った。

後ろから足音がする。自分を追いかけている気がして、少女は振り返った。先程、担任の先生と話ていた先生だった。
「元気無さそうですけど、大丈夫ですか?」
どこか西の方の訛りがあった。
「はい、ちゃんと保健室で休んできたので、大丈夫ですよ。ありがとうございます。」
「そうじゃなくて」
「はい?」
「死にかけた後みたいな顔してますね。」
「…そうですか」
「あと作り笑いで無理して笑ってるのもバレバレですよ。疲れるでしょう、それ。」
心の奥に触れられている気がして、むずむずとする。どうしてさっき初めて会った、と言っても、少し顔を見ただけの人にこんな事を言われないといけないのだろうか。先程、彼に対して感じた違和感はこれか。今まで完璧に築いてきた私の仮面を、こんなところで剥がされる訳にはいかない。どうするべきか、彼女は考えあぐねていると、彼が口を開いた。
「まあ、そういう日もありますよね。」
「…そうですか…?」
「私もそういう事しようとしましたよ、若い頃ですけど。私は死に切れなかったんじゃなくて、怖くなってやめてしまった訳ですが。そう考えると、あなたの勇気と行動力は素晴らしいと思います。それをどうにかして、生きる方向に向けてもらえないですかね。」
よく喋るおっさんだな、と少女は思った。
「えぇ……頑張ります…」
「まあ頑張ってください、何をどう頑張るのかは知らないですけど。私の部屋は3階の渡り廊下の真ん中あたりにありますから、また何かあったら来ればいいですよ。秘密は守ります。あなたが、私なんかに頼ってくれるのであればの話ですが。」
そう言って去っていった。彼女は、彼と話している時自分が心地よく感じている事に気付いた。なんでさっき知り合ったばかりの人に、なんて思ったりもしたが、彼女はその心地よさが嫌いでは無かった。彼になら、何でも話せる。ありのままの自分を曝け出しても、理解してもらえる。直感的に、そう感じた。今日の放課後にでも、彼の教員室まで赴こうと思った。
「面白え。」
そう呟いた彼女の顔は、生き生きとしていた。

破瓜

勢いに任せて来てしまったものの、何か話す事がある訳では無かった。ドアの前には、『橘教員室』と書いてある。橘 侑羽、名前だけなら何度も聞いたことがあった。学生達から『ゆうちゃん』という渾名で親しまれている、評判の良い物理教員だ。とりあえず、死のうと思った原因でも話しておこうか。ドアを叩く。軽快なノックの音が響く。明快な返事が聞こえてくる。少女は、部屋のドアを開けた。

「早速来ましたか、早くないですか?」
「先生が来いっておっしゃったんですよ。」
「来ればいいとは言いましたが、来いとは言ってませんよ。それで、何を話しに来たんですか?」
「死のうと思った原因について、お話しようと思いまして。今まで誰にも話した事が無かったので、今日初めて話した人に言うのもおかしいとは思いますが。」
「ほう、何で私に話そうと思ったんですか?」
「何となくですよ。さあ、今から私が話すので黙っていてください。」


少女はその日、学校から家に帰るのが憂鬱だった。朝、いつものように支度をしていると、情緒不安定な彼女の祖母がヒステリーを起こしたからだ。
「お前!!!何で私がこんなに苦労してるのに!!!!帰ってきたら殺してやるからな!!!」
殺す、だなんて脅し文句を祖母から言われるのは、彼女にとって何度目だろうか。本当に殺すつもりなら、もうとっくに殺されているだろう。だが、帰るべき場所にいる家族にそんな事を言われるのは、まだ1人で生きていく術を持たない彼女には酷であった。
家に帰りたくなかった少女は、寄り道という選択肢を選んだ。学校の帰り道にあるゲーセンへ向かう。いつからか、学校帰りは門限を破らない程度に寄り道をするのが、習慣になっていた。
真夏日、クーラーが効いているはずなのに溶けそうなほど暑いのと、人が多くて蒸し暑いのとをソーダ水で誤魔化しながら音ゲーの待ち椅子で順番待ちをしていると、ふいに飴を差し出された。顔を上げると、見知らぬ男が少女をじっと見ている。
「あげる」
拍子抜けした。
「えっ、あっ、ありがとうございます」
「そんなにびっくりしないでよ。俺、別に変な人じゃないから。」
そう言って、男は少女の隣に座った。怪しい人のようにも感じたが、話し方からして、少女は彼を悪人のように思えなかった。
「いつも来てるよね、家の人とか心配しないの?」
「門限とかそういうの緩いので…」
反射的に嘘をついた。少女は大人を信用出来なかった。

彼女が中学生のとき、同じように祖母に殺害予告をされ、家に帰るのが憂鬱だった。誰も残っていない教室で、1人で掃除をして残っている彼女に、彼女の担任が声をかけた。やっと自分を救ってくれる人が現れたと思い少女は喜んで、全てを話した。すると、担任は職員室へ向かっていった。
「ちょっと待っててね。」
しばらくすると、担任が戻ってきた。
「さっきお家に電話かけたんだけど、おばあちゃんもう怒ってなかったよ。殺すって言ったのも冗談だって。はやく帰って仲直りしてね。」
そう言って微笑んだ。偽善者の笑顔をしていた。この人に話したのは間違いだった。死ね。はやく死ねばいい。下手に刺激したら本当に殺されるかもしれないのに。お前が私の代わりに帰って私の代わりに死ねよ。どす黒い何かが私の中を渦巻いた。
「ありがとうございました。帰って、祖母とちゃんと話してみようと思います。」
心の内を必死に掻き消した。
家に帰ると、早速祖母に怒鳴られた。家の外に締め出され、風邪を引いた。当然、学校を休ませてもらえるはずも無く、熱を出した重たい体を引きずって登校した。担任は何も言ってこなかった。
それ以来、元々信用していなかった身内の大人に加え、学校の先生、近所の住民も信用出来なくなった。中途半端に下手なお節介を焼かれて、大事な時には皆見捨てていく。救われたつもりになって裏切られて、そうやって心を壊していくくらいなら、もう誰も信用したくなかった。

「それ、嘘でしょ。」
「えっ…?」
見透かされたような気持ちになった。
「本当は家が大変とかなんじゃないの?暴力とか暴言とか。だから帰りたくないんじゃないの?違ってたらごめんね。」
図星だった。別に助けてもらわなくてもいい。ただ、誰かに心の内を明かしたかった。全部は話せないけど、少しでいいから聞いて欲しかった。少しでいいから、本当の自分を晒け出したかった。少女は少しずつ口を開いた。男はそれを、時たま相槌を打ちながら静かに聞いていた。気が付くと、少し前までは沈み始めだった夕日は落ち切ってしまっていた。
「結構暗くなっちゃったから車で駅まで送って行くよ。」
「いや、申し訳ないですよ。」
「いいの、俺が話しかけたから遅くなっちゃったんだし。暗い中1人で歩かせたくないよ。」
「…ありがとうございます。」
男に連れられて駐車場に向かった。シルバーの、大きい車だった。
「お願いします。」
助手席に座る。
「喉乾いてない?さっき買ったんだけど、これあげるよ。蓋が固いからちょっと開けるね。」
少し蓋の開けられたジュースを差し出される。
「ありがとうございます。」
たくさん話していて喉が渇いていたため、一気に飲み込んだ。変な味がした。お酒だ。それも、かなりアルコール度数の高いもの。そう気付いたとき、少女の視界は少しずつ霞んでいき、やがて、見えなくなった。

目を覚ます。頭がガンガンする。ここは、車の中だ。後部座席のシートが倒され、フラットになっている。8月だというのに肌寒いと感じたところで、自分が何も身に付けていないことに少女は気付いた。股からは、鮮血が溢れている。自分の身に何が起こったのかを悟った。
「起きた?」
怖かった。だが、少女にとっては家に帰って殺されるほうが恐ろしく感じられた。血の繋がった祖母に折檻されることより、名前も知らない男にされるがままにされることのほうが、ましだと思えた。
「可愛いねぇ、こっちおいで。」
そう言って自分に触れてくる汚い男の手を、彼女は振りほどきたくても振りほどくことが出来なかった。
「ねぇ、もう1回、いいかな?」
そう言って男は少女を押し倒し、覆い被さった。下腹部に異物感を覚えた。既にそれを挿入されてしまったからなのか、それとも恐怖でそれどころではないのか、破瓜の痛みを感じることはなかった。少女は、自分に覆い被さり、腰を振りながら自らの欲望を少女の奥深くまで打ち付けてくるそれが、この世で1番滑稽で憐れで醜い生き物のように思えた。
どのくらい経っただろう。車の窓を叩く音が聞こえた。男が慌てながら窓の外を見ると、警察だった。
「お兄さん、ちょっと車の中見せてもらってもいいですか?」
助かった。この後、さらに惨めな想いをすることも知らずに、少女はそう思った。

「なんでついて行ったの、そんなに帰るの嫌だったかぁ…」
「考えてみてくださいよ。他に頼れる人がいなくて、唯一自分の面倒見てくれる大人に殺すとか言われたらどうですか?」
「うーん、まあ気持ちは分からんでもないなぁ。でも、もう知らない人とかについて行っちゃ駄目ですよ。」
「そうですね、時と場合によりますけど。」
「いや、ついて行くなよ。でも、ちゃんと警察に保護されて良かったねぇ。」
「いや、そうでも無かったですよ。」
「そうなの?国家機関に任せておけば安心じゃないですか。」
「寧ろその後のほうがトラウマなんですが…」
「そうなんですか。まあ話してみてくださいよ。」
「はい。」

彼と彼女は不幸自慢と手を繋ぐ

彼と彼女は不幸自慢と手を繋ぐ

不幸体質な主人公は、周囲の人間に対して猫を被り、皆から愛される存在であろうとしていた。ある日、彼女は学校のトイレで自殺を図る。その件から、ある物理教員は彼女の必死に抑えている仮面の裏側にある本性に気付く。そんな彼に対して、彼女は徐々に心を開いていく。※暴力描写、残酷描写、性的描写あり。ちまちまと更新していきます。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-03-30

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Copyrighted
  1. 序幕
  2. 出逢い
  3. 破瓜