雪遊び
茸短編小説です。PDF縦書きでお読みください。
秋田のこの地方では雪が家の二階の窓まで積もることははあたり前のことである。毎年山の斜面では樹氷が連なり、見事な景観を呈す。ところが今年は、二十五メートルを超えるような高い杉の木がすっぽりと雪に覆われ、樹氷どころではなく、雪の下に隠れてしまっている。それほど雪が降った。
その日は天気が良く、雪の斜面が日の光で真っ白に反射して、人間がいたらすぐ目をやられていただろう。
雪の表面がもこもこと動くと、すぽっと真っ赤なものが飛び出した。それを追いかけるように、次から次へ、いろんな色のものが飛び出して、雪の斜面に横一列にきれいに並んだ。よく見ると、丈が十センチほどの茸である。そして茸たちは、有ろう事とに、一斉に雪の斜面を、しゅーっと滑り出したのである。
十メートルほど下の雪上に黒い線が引かれており、最初に到達した茶色の茸が小躍りをしている。茸たちは次々に到達して、最後の白い茸が滑り降りると、大きく雪がもち上がり、茸たちが飛ばされて、斜面の元のところまで放り投げられた。
膨れ上がった雪の中から真っ白な大きな茸が顔を出している。その茸は小さな茸がスタート点に落ちたことを確認して、また雪の中に潜っていった。
スタート点に落ちた小さな茸も、雪の中にぎゅうっともぐっていった。
そんな様子を反対側の斜面から超望遠レンズで写真を撮っていた男がいた。日生(ひなせ)信人である。雪の不思議な現象を捉えた写真集を数冊出している新進気鋭の写真家である。写真に写った現象のほとんどは説明のつくものであったが、彼の撮る写真はとてもきれいで幻想的であることから人気がある。さらに彼の写真がとらえた雪の現象は物理現象として説明できないようなものも中にはある。そこが人気の源である。
今回、日生は小さな茸が滑ったところは見逃していたが、大きな白い茸が雪煙を上げて出てきたところは捉えていた。
「また、雪吹雪の怪」だ、彼は一人でつぶやいた。
ある地方では、目の前に雪吹雪の怪が現れ、目をつむった瞬間眉毛がなくなっていたという言い伝えがある。あるところでは、その怪を見た瞬間に頭の一部の毛が抜けて禿げたという伝承がある。解説者の一人は雪上のつむじ風によるものではないかという説を出している。彼はすでに、雪吹雪の小僧とも呼ばれるその現象を、いろいろなところで写真に収めて一冊の本にしている。
今回は新しい現象を探すため、秋田の山に入っていて、この茸の出現にぶつかったのである。大きな茸が飛び出した斜面には、小さなものが滑ったような跡がいくつもあった。筋は深くなく、滑ったものがあまり重いものではないことを示している。不思議なのは跡が突然現れていることである。小動物なら足跡が残っているはずだが、それはない。斜面に突然現れ、突然消えている。彼は、雪の玉が何かの拍子にできて、転がり落ち消滅したのではないかと考えた。その写真には雪玉の跡と名付けた。
今回の山歩きでは、その茸に出会う前、雪の斜面に幅の広い鱗状の跡が下の方までついていたり、ポコポコと深さ五センチほどの穴が続いていたりする現象も写真に撮った。竜のようにも見える。そのほかにも、面白い形をした雪の盛り上がりや、雪の穴もあった。かなりの収穫で、一冊の本になりそうである。
竜(たつ)や龍というと水に住むのが通常だが、雪も水である。雪の中に竜が棲んでいてもいいだろうと文献を当たったがほとんどない。一つあったのは、池からあふれでた水にのって川を下り、海をぐるっと回って、北海道の川を鮭と一緒に上り、その結果、北海道の湖に住むようになった竜の話しであった。その竜はすっかり雪の世界が好きになり、雪の上を転げ回って遊んだという伝説である。
日光に反射するまだらの斜面。斜面全体が鱗のような模様で日の光に映え、それこそ竜の鱗のようであった。
日生はかなり満足して山を降りた。
今回も二台のカメラがフル稼働である。一台は昔ながらのフィルムの一眼レフカメラであるが、もう一つはデジタルの一眼カメラである。同じ会社のものなので、いくつもあるレンズは共通に使える。
宿に帰り、デジカメで撮影状況をいつものように確かめた。動的なものはデジカメでしかとっていない。雪上の跡などは両方のカメラで写してある。竜の鱗のような模様がそれはきれいに撮れていた。
彼は明日東京のアトリエに帰ることにした。フィルムカメラの結果を早く見たかった。上手く撮れていれば展覧会用のよい作品になる。フィルムの方が画像に味が出ることは間違いなかった。
「あれ、日生先生、もう帰るのですか」
帳場に言いに行くと、旅館の女将が残念そうな顔をした。旅館は何時もここと決めているので、女将とも懇意である。
「きれいなのが撮れたよ、次に来るとき、なん枚か持ってくる」
「お願いしますね」
この旅館には、彼の写した雪の写真がかなりの数飾ってある。それで宿賃も安くしてもらっている。もっとも、彼の写真はこの小さな旅館の売り物にもなっているので、宣伝効果はかなりなものである。「日生信人、雪の写真ギャラリー併設」などと、旅館のパンフレットに書いてある。
日生は東京の笹塚にあるアトリエに戻ると、早速、現像室にこもった。いつものように、時間をかけ慎重にフィルムを現像した。この暗室に置いてある設備は相当の投資をしたもので、性能がいい。
彼はルーペをのぞき、現像したフィルムを確認した。竜の鱗がシャープなものを数点ほど選び、連写した部分はすべて焼いて、その中からよいものを選ぶつもりである。
焼いたものをアトリエのデスクの上に広げると、なかなかの出来栄えで彼も満足のいくものであった。
写真の裏には、番号と撮影場所などのデーターを記し、サインを入れた。写真の番号と詳細をPCに整理していく。
そうやっていくと、いつものような雪吹雪の怪だと思ったものが、どうやら、違う様相が見えてきた。連写して一部を焼いたものをみると、雪がもっこりもりあがり、大きくなって、雪を散らしている茸の像があらわになっていく。雪吹雪小僧だ。頭と胴体があるように見える。これは面白い現象だ。雪から顔を出した茸。そんな感じを受ける画像だ。雪の季節に茸などがあるわけはないから、何かの現象だろう。雪の妖怪の一つとして売り出そう、そう思ったのである。妖怪雪茸か、これはいい。
ちょうど画廊から四月の初めに一週間の個展の誘いがきている。今度の個展のタイトルはやはり、妖怪雪茸と雪竜を中心に考えることになるだろう。画廊のオーナーに見せて意見をきこう。日生は久しぶりに心が躍る気持ちであった。
画廊「白」のオーナーの梅見栞も個展のタイトルに「雪竜と怪雪茸」と二つつなげることに賛成だった。この画廊は写真を主に扱う画廊で、幻想的な写真家を集めていることから、かなりマニアックな連中に注目されている。
個展の前評判は上々どころではなく、いくつかの写真雑誌や新聞に紹介された。雪竜と妖怪雪茸は、かなり幻想性的な広がりのある写真で、今までのものより鮮明で、見る人を引き付けるよいものになった。
初日、日生はかなりの数の雑誌記者から取材を受けた。
次の日である。画廊に出勤してきた店員が、中ほどの壁に掛かっていた三枚の妖怪雪茸の写真が紛失しているのに気づいた。店員から連絡を受けた梅見が日生に電話で連絡してきた。警察にも届けはだしたということである。
マニアの一人がもっていってしまったのだろう。前にも盗難にあったことがある。画廊を閉めるときには確かにあった、と画廊の梅見も店員も言っていたが、日生は帰るときには立会っていない。彼は閉めるのを店にまかせて、途中から数人の雑誌記者ともに、話の続きをするため駅の喫茶店に入った。夜のうちに盗られたのだろうが、警察官が検証した限りでは、入った形跡をみつけることはできなかった。
写真のいいところは何枚も同じものを作っておけることである。連絡を受けた日生は新しいものをもって画廊に出向いた。
「ごめんなさい、先生、覚えている限りでは帰る時にはあったのよ」
写真を抱えてもってきた日生に梅見が申し訳なさそうにわびた。
「いいよ、これも宣伝になるからね、妖怪マニアかもしれないね」
日生は三枚を壁にかけた。
ところが、次の日も同じことが起きた。やはり朝になると、三枚の妖怪雪茸の写真だけ無くなっていた。二度重なると新聞社のかっこうのネタになった。
「二度も盗難」という見出しで、夕刊にかなり長い記事になった。
梅見はその夜、警備会社に依頼し、警備員を画廊内に常駐してもらうことにした。小さな画廊であるが、準備と事務のための比較的広い部屋があり、トイレも画廊の一角にあった。
ところが、またしても雪茸の三枚の写真は忽然と消えたのである。
これには警察も動いた。警察官が一晩、画廊の一角を重点的に見回った。それでも三枚の写真は消えた。日生はかなりの枚数の写真を焼き増ししなければならなかった。五日も同じことが続き、もう妖怪雪茸の写真を飾るのはやめることにした。
「密室、雪の茸の怪」と雑誌に紹介された。それからさらに不思議なことが起きたのである。
彼のアトリエから妖怪雪茸のフィルムが紛失したのである。
警察も協力的で、警察官がアトリエ近辺を見回ってくれたり、犯人の特定に結びつくことがないか、隈なく調査してくれてはいたのだが、全くわからず、画廊での盗難と、アトリエでの盗難の犯人の糸口さえ見つからなかった。
「写真家のでっちあげ」などという、三流週刊誌の記事まででてきた。もっともそのような雑誌にいちいち反論するような馬鹿な真似はしない。放っておいた。
アトリエの盗難は心配である。彼には助手がいない。忙しいときに仲間が手助けにきてくれるのと、写真材料を入れている会社の従業員が手伝ってくれる。みな気のおけない連中である。従って、通常アトリエは彼一人で管理しているのである。
盗難が起きてからは、誰かが必ずアトリエに泊まりにきてくれた。
その後、個展も無事におわり、かなりの評判を得たわけであるが、事件は解決しなかった。彼は密かに、その原因が雪の茸にあると思っていた。あれは自然現象ではない。頭の片隅に本当の茸の妖怪と思いたいという気持ちがあったのである。
デジタルカメラに残っていた雪茸の像はフィルムのものほどはっきりしておらず、日生はもう一度あの画像、さらには映像を撮る計画を立てた。次の年の雪の一番多い一月から二月の間、二月ほど秋田の山の奥にいくことにしたのである。早くもあの旅館に予約を入れた。今春の個展での出来事を知っている女将は大喜びであった。
秋になると、高い山の頂上が白く染まり始める。秋田にこもる前、十一月末のことである。彼は長野の雪の山々を重装備を背負って縦断していた。山登りの専門家が行くような高い山ではなく、ほどほどの山である。何度か来ているので、山小屋のある場所は心得ているし、山登りが目的ではないので無理をすることはない。白馬に登っているとき、斜面に何かが一斉に滑って降りたような跡が八つあるのを見つけた。その跡の始まりのあたりに、かすかではあるが、小さな凹みが八つあった。穴に雪が積もった様に見える。何かが出てきて滑ったのではないだろうか。昨年の妖怪雪茸の現れた雪の上に見られた跡に似ている。
彼は跡を追って下ってみた。十メーターほど降りただろうか。そこにぼこんと何かが飛び出た大きな穴に雪が積もったような凹みが一つあった。写真を何枚か撮った。妖怪雪茸が飛び出した跡に似ていなくもない。
上の窪みから何かが顔を出して一斉に滑り落ちると、下でみんなで穴を掘って、中に入っていったと想像した。それが正しいかどうか分からない。
何かが雪の下に住んでいるのか。秋田の山で見かけたものの正体ではないだろうか。来年秋田に滞在する間にこれを是非明らかにしようと日生は心に決めた。
長野の山では、その後、雪の茸らしきものはなかった。しかし、面白いものがあった。雪が三角のピラミッドのように盛り上がっているものである。高さは三メートルほどのものである。三つの面がきれいに平らになっており、日に当たって輝いていた。白い鏡のようなピラミッドである。なにがそうしたのか不思議な現象である。きっと、専門家は自然現象だというであろう。偶然に三角に盛り上がった雪の表面が溶けて、またすぐに凍りついて、風の具合などの関係で鏡のような面になったというに違いない。だが、雪の上に舞い降りた、異星人の宇宙船のようにも見えるし、雪の上に異星人のつくった合図のための装置にも見える。何とでも言えるのである。よい写真が撮れた。
その秋は暮れまでに、長野に何度か足を運び、それなりの収穫があった。
その年の暮れである。秋田の予定は一月からであるが、十二月中に旅館に入り、年を越すことにした。旅館のあたりはすでにかなりの雪景色である。
「日生先生、今年の個展はすごい評判でしたね」
女将は会うとはじめにそう言った。
「うん、いろいろ苦労したけどね、事情は知っていると思うけど、妖怪雪茸の写真は無くなってしまった。それで雪竜の写真をかなり大きな版に焼いて送っておいたけど、もう届いているかな」
「ええ、届いていますよ、お部屋のほうに入れてあります」
「女将さんにあげるつもりだよ、開けてください」
「うれしいー」
女将は彼と部屋までついてきた。日生は立てかけてあった写真を女将に渡した。
「額に入っているので、そのまま飾れるよ」
「素敵、サインはあるの」
「うん、いれてある」
「入口の一番いいところにかけます、ところで、これからのご予定は」
「晦日は宿にいるけど、後は天気が良ければ山にかよいたいんだ」
「はい、わかってます、ここにカメラの機材がとどいてます」
女将は床の間の脇にある彼が送った荷物を指さした。
「ありがとう」
「朝お弁当をお作りしますか」
「それもでかける前の日に頼むことにします、天気次第だから」
「はい、今日はどうぞゆっくりお湯を使ってください。おいしいもの作りますから」
「たのみます」
女将は雪竜の写真を大事そうに抱えて下に降りていった。
この部屋は二階のはずれにあって、必ずしも景色がよいわけではなく裏庭が見えるだけである。しかし、観光客にはつまらないかもしれないが、日生には庭の後ろの竹薮がとても興味のある景色であった。雪の積もった竹薮から雪女がでてくるのではないかと、彼は期待しているのである。本当に雪女がでるわけはないが、もやった蒸気だとか、何かの現象が人の形のように見えればそれでいいのである。それらしい写真が撮れれば、雪女のタイトルを冠した写真集をつくろうと考えていた。その部屋から竹薮を見たときの角度がよく、いつも見ていることができるので、彼には最も都合のよい部屋ということである。しかし、残念ながら、今までそれらしいものは現われたことがなかった。
宿についた次の日から雪になった。雪の降っている間はあまり撮影にはでない。
せいぜい、宿の回りか、川沿いの道を歩いて面白い現象を探す程度である。雪が止み、青空が広がったその下の雪の景色の中に撮影にむいた現象が現れる。雪の表面がなだらかで、模様がはっきりする。動物の足跡が不思議な絵をつくることもある。
雪は三日ほど降った。その間はPCに向かって執筆をする。雪の怪異についてである。自分の撮った映像に見合った話を作っておくのである。
夜、彼は宿の窓明かりに照らされている裏庭の斜面を見ていた。竹がしなり、ずいぶんと雪に埋もれているが、それほどの大雪ではなく、竹薮の中が見通せる。明日は写真を撮りにいけるだろう。
カメラの手入れをしながら窓をのぞいていると、裏庭の積もった雪の表面から雪煙がかすかにのぼった。すぐ収まったが、雪の表面が盛り上がり、もこもこと動きながら、竹やぶのほうに動いていくと、中に入り斜面を登っていく。やがて、消えた。もぐらが雪の中を歩いていくとあのようになるのではないだろうか。雪の中に何か住んでいるのだろうか。それが、動物だろうが、自然現象であろうが、その現場をつかまえてやろうと思う。明日晴れたら裏庭も調べてみよう。
次の朝早く、日生は朝食を食べると、いつもはもってこないビデオカメラもリュックにいれ長靴を履いて、かんじきをもった。フィルムカメラももったが、、首からデジカメをつるした。瞬時を捕らえるにはデジカメでないと間に合わない。今度は本を作るための撮影である。日帰りで、いけるところに行くつもりになった。
「しばらくは晴れそうですよ先生」、
女将が気を利かせて、昼のおむすびを用意してくれた。
その日は、まず、旅館の裏山に入ることにした。裏庭からは竹薮になっているので登ることはできない。宿から出て、少し行くと山に登る道がある。道も雪に埋もれていて、歩くのは大変である。かんじきをつけた。今年はすごいというほどの積雪ではなく、昨年よりは楽であるが、荷物かついでの登山はかなりきつい。
頂上に着くと、尾根づたいに奥山にいくことができる。何度か来ているのでだいたいの方向はわかるが、気をつけないと危険なところもある。
ゆっくり歩いて、尾根を一つ越した。北側がなだらかな雪の斜面になっている。おそらく植林をしたばかりなのであろう、木々の頭が雪から顔を出していない。日生は尾根を迂回してその斜面を撮影するために、反対側の山にまわった。斜面が見渡せるところにくると、荷物を下ろし、撮影の準備をした。北斜面なので残念ながら光の調子は必ずしもよくはない。
三脚を雪の中に固定し、ビデオを取り付けた。首には一眼デジカメをつるし、万全の準備をした。しばらくここで待つつもりである。
二時間ほど、雪が玉になって落ちる様子や、いきなり現れたウサギのビデオを撮ったが、特に珍しい現象がおきなかった。
十一時を回った頃であった。日の光が斜面の一部を照らした。全くの北斜面ではなく北東向きであったのであろう。ほんの狭い範囲であった。彼はビデオのレンズをむけた。すると、光の当たっている部分の斜面の上の一部から、一列に小さな雪の盛り上がりができた。彼はピントを合わせ、撮影のスイッチを押すと、カメラの望遠レンズをかまえた。
「でた」思わず、声を出した。レンズの中で赤、黄、茶、白、いろいろな色の丸いものが雪の中から頭をだした。連写をすると、今度はビデオのモニターを覗いた。
丸いものが雪の中からせり出してきた。歩個っと飛び出したのは茸だった。
「何で茸なんだ」
小さな茸は一列に並ぶと滑り出した。茸たちをビデオで追った。滑り落ちた茸たちは斜面の下にくると止まった。望遠でみるとすべった跡は、今まで何度か秋田や長野で写真を撮ったことのあるものである。
そのとき、そこから大きな雪の盛り上がりが生じた。雪煙があがり、雪の固まりが割れると、中から大きな白い茸が現れた。その勢いで子供の茸は元のところまではじきとばされた。
「夢か」
日生は信じられなかった。ビデオを回しながら、頭は真っ白であった。
大きな茸は、回転しながらふたたび雪の中に埋もれていった。その跡には少しへこんだ跡が残っただけである。あの妖怪雪茸は本当に茸だったのだ。
上に飛ばされた小さな茸も、回転しながら雪の中にもぐっていってしまった。妖怪雪茸の子どもである。茸の子供が雪の斜面で遊んでいる。
日生はビデオを再生してみた。確かに写っている。しかし、これを外に出しても、うまく作った映像としか考えてくれないだろう。どうしたら本当と思ってもらえるのだろうか。それともこの雪の白さと寒さに、光の具合で自分の頭の中がマジックマッシュルームを飲んだ時のように、おかしくなっているのだろうか。
彼は、思案に暮れたが名案はでてこない。この現象をいくつかカメラに収め、誰かに現場まできてもらうしかないだろう。
その日は、暮れる間際まで待ってみたが、その一回の映像を撮っただけである。宿の女将や女中たちに話しても信じてはもらえないだろう。
宿から近い場所だし、そのあたりを一週間程歩いたが、同じ現象を見ることは出来なかった。
そこで、去年最初に妖怪雪茸を撮影した場所に行くことにした。宿の前の道を渓谷沿いに三十分ほど歩いたところから山間の道にはいる。そこから一時間ほど登っていくと、尾根にでて、そこを歩いていくと綺麗な斜面をいくつもみることができる。
ともかく、彼は撮影装備を背負って出かけた。以前はかなり遠くから撮影したので、今回はその現場の近くに陣を張ったのである。
しかしその日は残念なことに、なにも起こらなかった。風が起こした雪の吹雪を撮影できただけある。疲れて戻ってきて、次の日は休んだ。その次の日、もう一度行ってみた。前とは異なった斜面にレンズを向けた。彼らは人のいることに気づくと、二度と同じところに現れないのではないだろうか。
かなり待った。すると、斜面の一部がもこっと動いた。これだとビデオのレンズを向けて調整した。小さな茸がいくつもでてくるのだろうと待ちかまえていると、いきなり、雪煙が間欠泉のように空に昇った。ビデオのボタンを押し、写真を撮った。
地響きがした。三脚が揺れる。地震のようだ。
雪煙りが収まると、そこに現れたのは、とてつもなく大きな真っ白な茸であった。雪の斜面を割ってそそり立った茸は、おそらく二階建ての家ほどの高さがある。それが、くるりと一回転すると、自分の方に顔を向けた、と彼自身は思った。
その危惧は間違っていなかった。前後がわからない茸ではあるが、明らかに彼を見た。大きな白い茸は雪の上に飛び出ると、雪をかき分けて彼の方に走ってきた。走るというのか、滑るというのかわからないが、ファインダーに向かって大きくなってくる。
彼は怖くなって、三脚を抱えると、一目散に走り出した。後ろを見る余裕などない。走って、走って、山を越え、見慣れた宿の前を通る道にでた。あと少しで、宿に行くと思って後ろを見ると、大きな茸は道を走って迫ってきていた。
宿の近くでビデオカメラから三脚をはずすと投げ捨て一目散に逃げた。
宿の前にきて、戸を開けて後ろを見ると、大きな茸が口をあけて食いつこうとしている。
彼は中に飛び込み、急いで入口を閉めると、宿の玄関の土間に転がり込んだ。
その音を聞きつけて女将がでてきた、
「あれ、日生先生、どうされました」
女将見はけつまずいてころんだ彼を見た。あわてて起き上がった日生はやっとの思いで立ち上がった。
「ゆ、雪が」
言葉にならないまま、彼は無我夢中で靴を脱いだ。
「大丈夫ですか先生」
という女将の声を聞きながら彼は急いで二階に上がった。
女将は玄関の戸を開けようとして外を見た。
「何だろうかね、雪が玄関の前にたくさん落ちているよ、若い衆呼んで、かいておいてくれないかね」
女将が奥に声をかけた。
宿の入口の前に、戸をさえぎるように雪が積もっていた。
外のほうから何人かの男衆がスコップを持ってやってきた。
「この雪どこから落ちてきたのかね、屋根からかい」
不思議な顔をしている女将さんに一人が答えた。
「わかんねえな、屋根じゃねえよ、どっからか落ちてきたんだべ」
「日生先生が転がり込んできなすったわ、あぶなく埋もれるところだったようだよ」
女将さんは日生の部屋にきた。
「先生、入りますよ」
戸を開けると、日生は畳の上にころがっていた。
「あれ、大丈夫かね、先生、怪我してませんかね」
彼はその声で目を開けた。
「うん、大丈夫、何とか助かった」
とからだを起すと、女将さんを見た。
「すみませんでしたね、あの雪はどこから落ちたかわかんないけど、先生が埋もれちまったりしたら、大変でしたよ、でも何もなかったようでようございました、先生、湯にでも浸かってください、暖かいものを用意しますから」
女将彼の手元に転がっていたビデオカメラと、デジカメを拾うとテーブルにのせて、「布団敷かせますから」と下に降りていった。
彼は起き上がって、テーブルの前に座った。まず、ビデオを再生してみた。あの襲ってきた茸が撮れていた。真っ白な茸が雪煙を上げてやってくる様子だ。
しかし、やっぱり、これを見ても作りものと言われるだろう、どうしたら本当の映像だと信じてもらえるのだろうか。
何が起きているのだろう。自分の妄想として片付けるのは簡単だが、ビデオを見ても、デジカメを見てもちゃんと映っている。なぜ襲ってきたのか分からない。個展の写真やフィルムの消滅を考えると、人間に知らせてはだめだという警告なのかもしれない。みんなこいつらの仕業と考えると筋が通る。
彼は起きあがると、湯に入りにいった。
部屋に戻る途中で、女将が別の部屋に暖かいものを用意しておきましたと、案内してくれた。部屋に行かずそのままそこに行くと、温かい鍋がテーブルの上に置いてあった。茸汁である。それにビールが添えられている。
「すみませんでしたね、でもあんなにたくさんの雪、どこから落ちてきたのかわからないのですよ、部屋は布団敷かせておきました」
女将さんが侘びを言った。
「いや、気にしないでください。間一髪でしたね、何か落ちてくるような気がして、あわてて、玄関に飛び込みました、三脚を道に落としたようだ」
彼は話をあわせた。妖怪雪茸が襲ってきたとは言えない。
「後で、若い衆に拾いに行かせますよ、それで、今日はどうでした」
「だいぶいい映像が撮れましたよ」
「明日から、また吹雪くようですよ、山の奥に行くのは危ないからできませんね」
「そうだな、また、書き物でもするよ」
「そうですね」
女将はビールをついで出ていった。
もう自然現象では片付けられない。彼は茸鍋を突いた。
その晩、雪が降り出した。宿の裏山が部屋の明かりで白く浮き出ている。ふと彼は夜の雪の世界は昼間より不可思議な現象がたくさん現れるのではないだろうかと考えた。ただ、夜だと映像や画像にとらえるのは難しいかもしれないが、見てみたいと思った。宿の庭なら、あんな怖いことは起こらないだろう。
夜の九時ごろである。彼は厚着をすると、一応デジカメを首にかけ、玄関に行き帳場にいた番頭さんに裏の庭を見ると言って長靴を借りた。
裏庭にまわり、山の上に広がる竹林の中をのぞいた。かなりの高さの雪が降り積もっている。ときどき、竹林の中に上から雪がバラバラと落ちている。枝に積もった雪が落ちているのだ。
何か出てきそうな雰囲気がある。想像しながら見ているだけで面白い。上の方で白く煙ることがある。これも降っている雪により生じている現象だろう。
彼は、竹林の中に一歩踏み出してみた。長靴がずぼずぼと雪に埋もれてしまう。
目の前を何かが横切った。
ふっと見ると、奥の方の竹の枝に赤い目玉が二つ見える。何かの動物だ。すると、ばばばばば、ばりばりと大きな音がして、彼の背の倍もあろうとおもわれる妖怪雪茸が雪の中からあらわれた。そいつは彼を見ていた。
彼はとっさに逃げた。妖怪雪茸は追いかけてきた。いそいで玄関先に回って、宿の中に飛び込んだ。また、間一髪だっただろう、どさっと言う音が聞こえた。彼が飛び込むと帳場にいた番頭さんが驚いて飛び出してきた。
「どうしました」
「いや、また雪が落ちてきて」
番頭さんが玄関の戸を開けると、ごぞっと雪の固まりが玄関になだれこんできた。
「おや、先生、またですね、どこからこんなにたくさんの雪が落ちてくるのかね、不思議だなあ、先生についてきたみたいだ」
番頭さんは若い連中を呼びに行った。
自分の部屋に引っ込んでいた女将さんもでてきた。
「先生大丈夫ですか、先生は雪に好かれているみたい」
と笑った。
真夜中、日生はうなされて目を開けた。
目の上の天井が雪に覆われていた。いや天井が雪でできていた。彼が横たわっていたところは湿った土の上であった。手で土に触れてみたが寒くはない。
土がだんだん温かくなってくると、彼の周りの土の中からいくつかの茸が顔を出した。茸たちは飛び上がると、彼の目の上の雪に穴をあけて上にのぼっていった。
降り積もった雪の外に出たようで、茸の数だけ穴があき、光が見える。彼は身をちょっと起こした。雪が持ち上がり、雪の斜面から彼は顔を出した。
上を見ると、雪のつもった山の斜面を茸たちが滑り降りてくるところだった。茸が彼のところまで来ると、彼はがばっと起き上がった。雪が盛り上がって、雪吹雪が舞った。茸たちが弾き飛ばされ、斜面の上のほうに落ちた。
彼は立ち上がると、子供たちが無事着いたことを見て、また、雪の中にもぐっていった。彼はまた雪の中で横たわった。
あくる朝、日生はなかなか起きてこなかった。女中さんが襖を開けると、日生は布団のなかで死んでいた。医者が呼ばれ、死因は心筋梗塞と判断された。本当の原因が分からなかったからである。
その後、彼の突然の死は新聞にも報道され、宿屋の女将のコメントがのっていた。
日生先生は毎日のように雪山に入られて、いろいろな映像を作られていたようです。その日も私が作ったおにぎりをもって、機材を担いで出かけられました。お疲れになってお帰りになり、突然お亡くなりになりました。相当ご無理をなさっていたのでしょう。すばらしい写真もたくさん残されていて、これから楽しみにしていたのに本当に残念です。とあった。
ここに注目すべき記述がある。「映像を作った」という女将の言葉である。日生が死んだことを聞いてあわてて宿に集まった写真家仲間がPCを見たところ、茸が雪の上をすべって下におり、そこに大きな茸、妖怪雪茸が突然現れ、はじきとばされた子供の茸はまた斜面の上にもどるという映像があった。さらに、日生が書いた説明文に、積もった雪の下は妖怪の住む世界と書かれていた。
それを見た仲間は彼がその映像作ったと言った。それを聞いた宿の女将が、頭の中にそれがこびりついて、つい記者にそう言ったことから書かれた文なのである。日生はそれを聞くとがっかりするだろう。
しかし、その映像は日生の代表作になった。雪遊びをする茸の子と母である。宣伝にも使われて、彼の名前はアニメーション作家としても有名になったのである。しかし未だに、どうやって作られたのかその手法は解明されていない。
「茸人形」所収 2018年発行予定 33部限定 一粒社
雪遊び