春の夕暮れ

 きみがいればなにもいらないって、テレビのなかの歌手が歌ってるから、ぼくもきみがいればなにもいらないって、声に出して唱えてみるの。
 夕ごはんはしょうが焼きです。きみが好きな。
 あしたは晴れです。天気予報のおねえさんが言っていました。皮いちまい剥ぐのに、ちょうど良さそうですねと思った。けものを狩るひとがこの町にはいて、けものを狩るひとがけものを皮と身にうまくわけるのに天気になんか左右されないらしいけれど、でも晴れていた方が気分はいいねと、けものを狩るひとが教えてくれたもので。うまいひとがさばくと、滴らないらしいよ。血。
 しょうが焼きには千切りキャベツです。
 きみがいればなにもいらないということばの、なにもいらないの、なにも、に含まれるなにかはひとそれぞれ異なると思うけれど、お金なんていらない、家なんていらない、地位も、名誉も、家族も、ともだちも、みんないらない、きみがいればそれで、と言い切れるひとが、果たして世の中にはなんにんいるの。ぼくにはお金も家も、できることなら、地位や、名誉も、それから家族に、ともだちも、ひつようで、さらにきみまでほしいだなんて、それって究極的に、わがままなのだろうか。
 換気扇、唸る。
 じゅうじゅう焼けた肉のけむりが、すいこまれてゆく。
 携帯電話が鳴る。着信音で、きみじゃないってわかる。だから気づかなかったふりをする。きみのことを考えているときにほかのだれかの情報を、とりこみたくないのだ。ごめん。
 あしたは晴れるそうです。だからお花見に行きたいですね。満開の桜を見ていると、すいこまれそうになりますよね。換気扇にすいこまれる、肉や、きみがすうタバコの、けむりみたいに。

春の夕暮れ

春の夕暮れ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-27

CC BY-NC-ND
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