漁師失踪事件
「太郎はどこに行った⁉︎」
村はざわついている。
代官の圧政に不満を抱える村人たちを統率し、一致団結して不当な圧政に立ち向かうことを解き続けた若き漁師である太郎。
近日中にも、その太郎を中心として、代官に対して毅然と、かつ野蛮な暴力に頼らずに立ち向かう行動を起こす手筈となっていた。
その矢先、太郎が姿を消したのだ。
村人は太郎の家に集まった。
まだ老け込むには早い太郎の母親は、集まった村人に茶を振舞いながらも、不安な表情を隠さなかった。
誰からともなく太郎の朝の様子を問われた母親は、普段と変わらない様子で海に出かけた、それだけだ、と力なくもはっきりと答えた。
漁師仲間の茂作が口を開く。
「太郎の船は浜辺になかった。俺が見た時間に船がないのはいつものことだから、その時は気にならなかった」
じゃあ、海に出るまではいつも通りだったのかと誰かがつぶやく。
「ただ、いつもは帰っている時間になっても船がねえんだよ」
「逃げ出したんじゃあるまいな」
そう言い出したのは、農夫の吾兵だ。
「明日、明後日にも代官のところに乗り込むはずだった。それが今になって怖気づいたんじゃねぇのか」
「おめえと一緒にすんな。勢いに任せて殴り込もうとしてびびったのはおめえだろうが」と、吾兵の隣の畑を耕す三太。
「びびったんじゃねえ。本当に殴り込むはずだったんだ。太郎が『そんなやり方では返り討ちに会いかねない。団結してしっかり訴えないとだめだ』って止めるから、とりあえず聞いておいてやったんだ」
「もしかして、おめえか?」と茂作。
「止められた腹いせに、まさか」と、大工の喜平。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。いくら俺が気が短けえからって、これから代官に物申そうって大事な時期に、そんな馬鹿なことするわきゃねぇだろう」
さすがに、三太が止めに入る。
「吾兵が太郎に手を出すわけがねえよ。吾兵を疑ったって仕方ねえ。吾兵の言うとおり大事な時期だ。俺たちだって仲間内でもめてる場合じゃねえ」
声を荒げた二人は小さくすまねえと呟くと、声よりもさらに身体を小さくした。
「代官の方も俺たちの動きに気付いていたかもしれねえ。太郎に何にもなきゃいいが」
どうにも話が進まず、重い空気が家中に立ち込めた時、戸口を叩く音がした。
全員が耳を澄ませて固まった。
「どちらさんだい?」と太郎の母が声を上げた。
「おらだ、亥助だ」
茂作が戸を開けると、まだ幼さの残る農夫の子の亥助が一人で立っていた。
入れと促された亥助は、太郎の家に村人が集まっていることに目を瞠った。
「太郎さんはまだ帰んねえだか?」
「どういう意味だ?」
「朝、浜辺で太郎さんを見たんだけど、変だったんだ」
「変?」
「浜辺には亀の甲羅を背負った男がいて、それを代官の手下たちが囲んで蹴ったり殴ったりしていたんだ」
「亀?それが太郎と何の関係があるんだ?」
「そこへ来た太郎さんが、見かねて代官の手下たちとなんだかやりあって、亀の男を助けてて」
「あいつはそういうの放っておけねえんだよ」吾兵が吐き捨てるように言う。
「亀の方はなんだかずいぶんありがたがって、海の方を指さしてなんだか言ってて」
「それで?」
「結局、太郎さんの船に二人で乗って、亀が漕いで沖の方に消えてったんだ」
「それをおめえはどっから見てたんだ?」と茂作が聞く。
「浜辺の松林のところから見てたんだ。気味が悪くて近くに行けなかった。でも、それからだいぶ経ったし、太郎さんが気になって、もう帰ってきてるかと思って来てみたんだ」
「代官の手下にいじめられてた亀の甲羅を背負った男... 確かに気味が悪いな」
家に集まって太郎の母を囲んだ村人たちは、ただ考え込むしかなくそのまま黙りこくった。
太郎が帰らないまま日は傾き、とりあえず何かあったらまた集まると約束して、それぞれの家に帰った。
三日後。
代官が手下を連れて太郎の家にやって来た。
ちょうど村人が家に集まっている所だった。
太郎の母が戸を開ける。
代官は家の中を見回すと、一つ咳払いをして、言った。
「隣浜の浜辺に、太郎と思われる漁師が倒れているという知らせが入った。家人で確認してもらう必要がある」
「何!?太郎が!?」茂作が声を上げる。
「こうしちゃいられねえ、行くぞ!」と三太が言った時には、母と村人は腰を浮かせていた。一山超えて、隣浜に着くと、浜辺の奥の方にまばらな人だかりができていた。
母と村人が分け入って中に入ると、人だかりの輪の真ん中に、うつぶせで倒れている男がいた。
格好は間違いなく太郎だったが、頭髪が翁のごとく真っ白になっていた。
茂作が駆け寄って仰向けにする。
太郎だ。正確に言えば、ひどく年老いてしまった太郎だ。頭髪が白いだけでなく、なかったはずの髭を、それも頭髪と同じ真っ白な髭を口に顎に蓄えていた。
そして、もう、息はない。
水際に太郎の船が揺れている。船は無人である。
「あれは何だ?」
喜平が見つめる先に転がっていたのは、ふたの開いた玉手箱だった。
玉手箱に駆け寄った五人は思わず顔をしかめ、すぐに飛びのいた。
空の玉手箱からは、うっすらと白い煙が立ち上っていた。
太郎の母は、自分より年老いた姿になった太郎の側に力なく座り込み、ただ静かに泣いた。
漁師失踪事件