かなしみをたべる、いきものだよ、きみは。
あおい はる
かなしみをたべる、いきものだよ、きみは、だれかの、悲劇をたべて、ふくらんでゆく、おなか。満たされてゆく、空腹。
わたしの回線、ときどき、とぎれるの。
うめられない空白を、むりやりうめるように、ドーナッツをからだのなかに、つめこんでゆく。にちようび、という響きは、へいわで、おだやかで、虫酸がはしるよって、にちようびに、デパートのフードコートでアルバイトをしているひとが、いってた。ひとごみのなかで、ときおり、きみの声がきこえるときが、あって、そんなときは、きまって、めまいがする。きらびやかな、高級レストランなんかに行きたくないから、だれともデートはしない。晴れた日は、外に出たくないから、おうちのなかで本を読みながら、だいきらいなひとのなまえを、あたまのなかでつらねて、すきになれそうな、彼らのいいところを思い浮かべて、でも、いいところを認めたからって、すきになるとはかぎらないな、と思う。
泣き声。
悲鳴。
絶叫。
きみのからだから、それらがもれてきたときは、きみが、だれかのかなしみを、たべたときだ。きみのなかで、消化される頃には、だれかのかなしい気持ちは、すっかり消え失せていて、でも、きみの、細胞には刻まれていて、きみは、ふと、思い出したようにとつぜん、堰を切ったみたいにわんわんと、泣き出す。つまり、だれかの、ありとあらゆるかなしみが、きみの、ごはん、であるのだけれど、ごはん、をたべることが、きみを、壊す原因にもなっている、ということ。
いやだな、いやだ。
きみが壊れたら、わたし、だれを信じて、生きればいいの。
あのこは、大丈夫、再生するひとだから、と、クラスメートが、クラスメートを刺した、ある晩のことが、フラッシュバックするとき、一瞬、世界が白くなるのを、わたしは知っている。
かなしみをたべる、いきものだよ、きみは。