Fate/Last sin -03

「ほらよ、こんな所でいいだろう」
 アーチャーは風見市の北東にある霊園の近くの、小さな教会の門の前に降り立った。大学のキャンパスからの容赦ない上空移動で目を回した楓は、ふらつきながら地面に降ろされる。教会の門の前には人気がなく、一月の夜の冷たい風が微かに吹いていた。錆一つない黒い鉄の門はぴったりと閉じられていたが、教会の窓からは橙色の明かりが漏れている。楓がどうしていいか分からず門の前で右往左往していると、アーチャーが言った。
「俺は行くからな。ま、あとは監督役に何とかしてもらえ」
「は、はあ……」
 何とか、と言われても。楓は右手に浮かんだばかりの令呪に目をやって、すぐに逸らす。正直なところ聖杯戦争などという恐ろしいものに手を出すくらいなら、今この瞬間にでも家に帰ってしまいたかったが、マスターであるというあの黒髪の人に背いてまでここに送ってくれたアーチャーの目の前でそんなことをする度胸は楓にはなかった。夜の闇に溶けるように不思議な消え方をしたアーチャーを見送ってから、おそるおそる門に手を伸ばす。
「何か御用ですか?」
「ぎゃっ!」
 門に手をかけた瞬間に背後で突然男性の声がして、楓は今日何度目になるのか分からないほど跳ね上がった。反射的に後ろを振り返ると、教会の前の坂道を歩いて登ってきたであろう白い男の人が楓を見下ろしている。白い、というのは比喩でも何でもない。その二十代か三十代くらいに見える男性は、真っ白い制服のような衣服に身を包み、男性らしい肩や胸のライン、太い首筋に比べてその髪は絹糸のように純白で、肌は陶器のように艶やかで透明感があった。首に掛けている紫の細い帯のようなものと同じような色の目を除けば、夜の闇に浮かび上がるようなその姿は「白い」と評して間違いはない。
 楓はその日本人とは思えないような風貌に若干身を引きながらも、今日は白い男の人に良く出会うなあ、などと呑気な事を考えてしまう。
 男性は整った顔立ちに柔和な表情を浮かべて楓を見た。
「今晩は。驚かせてしまってすみません。私の教会に、何か御用ですか」
 それでやっと勘づいた。―――この人が教会の神父、つまり監督役という人物なのだ。
「あの、私……」
 楓はそれだけ言って、右手の令呪を監督役に見せる。それだけで、監督役の男性は得心がいったように何度か頷いた。
「なるほど。アーチャーが報告した最後のマスターとは君でしたか」
 彼は細く大きな手を門扉にかけ、あっさりと開いた。
「どうぞ、入りなさい。説明をしましょう」
「あ、あの、私、望月楓っていいます。あなたの名前は……」
 若い神父はにこりと笑って答える。
「アルパと呼んでくれればいい。さあ、入りたまえ」
 楓はそれだけ聞いて、最後まで気後れしながらも、何とかその教会へと一歩踏み出した。


 夜が更けていく教会の中は、冷たく寒い。杏樹から借りたマフラーも失くしてしまった楓は、こわばる指先を握りしめながら祭壇のほうに立つアルパという名の神父を見つめた。
「聖杯戦争、というものについて君はどれだけのことを知っているかな」
「……ほとんど、何も知りません……。知っているのは、サーヴァント、令呪、マスター、この言葉くらいです」
 ふむ、と神父は言う。それから彼は祭壇の下にしゃがみこみ、何かごそごそ作業をした後、小さな木箱を床下から取り出した。なんの脈略もない神父の動きに戸惑いながらも、楓は教会の椅子に座ってそれを待つ。
 カツ、カツと木の床を革靴の底で叩きながら、神父は楓のほうにその小箱を持ってきた。
「聖杯戦争、とは」
 楓は差し出された小箱を受け取り、神父を見上げる。
「万能の願望器である聖杯という聖遺物を、七人のマスターが七騎のサーヴァントを召喚し、それを以て奪い合う戦いだ」
 そう告げる神父の目に促され、楓は小箱の封に手をかける。小箱を封印していた紐をほどき、何の装飾もない素っ気ない箱の蓋に指をかける。
「サーヴァントとは、過去の英雄の魂を現世に複製し、魔力によって肉体を与えるもの。令呪とは、それへの三回限りの絶対命令権である」
 蓋を開くと、そこには手の中に納まりそうな大きさの石の破片が入っていた。
「令呪が現れた君がほかのマスターと戦うためには、まずサーヴァントを召喚しなくてはならない。そのためにはサーヴァントと君を繋ぎ合わせる触媒というものが必要だ。それは私物だが、君にあげよう。触媒として十全な働きをする聖遺物だ。さて、それから――」
「ま、待ってください!」
 とつとつと語る監督役の言葉をさえぎって楓は立ちあがった。
「待ってください……私、まだ分からないんです」
 神父は片眉をあげた。それから額を軽く押さえて、
「すまないね、また話を簡略化しすぎたようだ……それで、疑問点は?」
「それは……な、なぜ私が、聖杯戦争に参加するマスターとして選ばれたのか、とか……」
 口ごもる楓に、神父は首をかしげる。
「簡単なことだよ。君には聖杯に願うだけの価値がある願いがあり、聖杯はそれを選んだ。それだけだ」
「で、でも」
 聖杯に叶えてもらいたいような願いなど、考えたことすらない。なんでも一つ願いが叶うとしたらどうする? というお決まりの問いにさえ、楓ははっきり答えを出したことはなかった。
「君の心の表面に浮かんできていないだけで、深層心理にその願いがあるのか。もしくは、気づかないほど昔から心の中にあるあまりに、忘れてしまっている願いがあるのか。どちらにせよ君には、君自身が気づいていないだけで、聖杯という奇跡に願うほどの渇望があるということだ」
 神父はそう言った。だが楓には全く想像できない。
 私が? 何を? いつからそんなものを抱いているのか。
 臆病でビビりだが、それを克服してみたいと思ったことはない。友人は少ないが、みんないい人だ。ずば抜けて優秀になりたいわけでもない。
 魔術師としては半人前だが、大学に通い、魔術の修業を重ね、ようやく簡単な治癒魔術程度なら扱えるほどにはなった。両親の期待が既にはるか遠くへ遠ざかっていることは知っていたから、何も望むものは――――
 その時、姉の姿が脳裏に浮かんだ。
「あ―――」
 楓の記憶の箱を細い枝でつつくように、今まで忘れていたものが小さく震える。私が気づいていないだけで、私が忘れてしまっただけで、本当はずっと願っていたこと。
 姉は天才だった。私よりも遥かに優秀で、期待されていた。両親の期待に応えられるのは、両親をもうがっかりさせないのは、姉さんだけだ。
 もう到底叶うことはないと諦めていたから忘れていた、その願いを口にする。
「姉さんに、帰ってきてほしい……」
 それを叶えられるとしたら、それこそ奇跡の力でも必要かもしれないのだから。
 楓は震える指で、神父から触媒の石を受け取る。神父は深い紫色の目を細めて言った。
「君がそう望むなら、君は、戦える。……来なさい。サーヴァントの召喚の儀式を教えよう」
 目の前で紫色のストラが翻った。楓は教会の奥へと歩き始めた神父の後を、ゆっくりと追う。



 今時めずらしい、蝋燭の明かりが照らす教会の床の上に、楓は水銀で魔方陣の最後の一画を書き終えた。
「よろしい。ではこれを」
 神父が冷たい石を手渡してくる。楓は固唾をのんでそれを受け取った。魔術師のくせに、こんなに魔術っぽいことをするのは生まれて初めてで、心臓がバクバクと脈打つのがわかる。石はコトリと音を立てて木材の床の上に置かれた。
「最後に詠唱をする。私の後に続けて、集中して」
「はい」
 ぎゅっと拳を握った。手のひらは冷たくさえきっていて、緊張のせいで血が通ってないようにすら思える。背後に立つ神父が軽く息を吸い、
「素に、銀と鉄」
 と口にした。暗く、寒い教会の中に響く声が消えないうちに、楓は唇を開いた。
「素に、銀と鉄――――」
 もう引き返せない、と思った。
 それでも。
「礎に石と契約の大公――――」
 無我夢中でアルパ神父の言葉を繰り返す。楓の書いた魔方陣が徐々に光を帯び、自分の魔力回路が唸りをあげているのがわかる。
「――――――告げる」
 神経が熱い。こんな感覚は初めてだ。楓は魔方陣のあまりの眩しさに目を細め、とうとう右手で目を覆った。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 それが最後の詠唱だと直感的に分かる。その瞬間、激しい雷鳴にも似た轟音が夜の教会を包み、真っ青な光が閃いた。目を閉じても眩しいくらいの光量に晒され、その残像でしばらく目がくらむ。
「……っ、し、失敗……?」
「いや」
 元の暗闇に目が慣れ、おそるおそる顔をあげる。
 まず最初に目に入ったのは、鮮烈な赤だった。


「――――――そうだな。まずは、問おう」


 真紅と金色のマントに、蝋燭の明かりに鈍く輝く銀色の鎧を纏った青年が、ちょうど魔方陣のあったあたりに立っている。熱せられた鋼のような刃をもつ両刃の剣を何のためらいもなく教会の床に突き刺すと、威厳に満ちた金髪の騎士は声高に問うた。
「君らのどちらが―――私のマスターか?」
 楓はそれを受けて、まずアルパ神父を振り返る。神父は頷いた。それを見た楓は、青年騎士に向き直る。
 乾いた唇をおそるおそる開き、
「わ、私が……」
 貴方のマスターです。

 ―――その言葉は、教会の扉が突然蹴破られる音でかき消された。
「きゃあッ……!」
「何者だ!」
 メキャリと鈍くも激しい破壊音をあげて、決して薄くはない教会の扉が外から破られる。凍えるような外気が流れ込んでくるよりも速く、『それ』は目にもとまらぬ勢いで青年騎士に飛びかかった。
「……」
 召喚されたばかりのセイバーはしかし動じず、ただ目を細めてそれの動きを注視し―――斬りかかってきたそれの剣を、素早く抜いた両刃の剣で受ける。キィィィーーーと、薄い金属が擦れる不快な甲高い音が響いて、飛びかかってきたそれは剣を握ったまま動きを止め、怒鳴るように口を開く。
「ハッ! 寝起きを襲ったが、それでも奇襲にすらなり得んとは!!」
 突如として教会の扉をぶち壊し、召喚されたばかりのセイバーに刃を向けた張本人は、第一声にそう言った。その姿を一目見ただけで一般人ではないことがわかる。中世の貴族のような出で立ちに、セイバーのものと比べてやや細身の剣、逆立ったブロンズの髪の毛に、獲物を狙うように光るエメラルドグリーンの瞳は獣を連想させる。セイバーと同じくらいの身長のその男は、不敵に笑うと剣を手放した。その剣は床に落ちることはなく、粒子になって空気中に消えていく。
 セイバーも剣を下ろし、その男に声をかける。
「いや、中々の太刀筋だった。召喚されたばかりで気が立っていなければ、受けられなかったとも」
「世辞は結構だ、どこぞの騎士め! 全く、無駄足にも程があったな。俺とて騎士の一抹の誇りをかなぐり捨てて奇襲などと下策に身を落としたのも、ああ、全く無駄だった。腹立たしい」
「そうか。奇襲を下策とするその器、あなたも名のある騎士と見たが」
 セイバーがそう言うと、貴族風の男は鼻でその言葉を笑った。
「名のある騎士? 貴様に言われても何の感慨も湧かんわ。仮にもイングランドの騎士王である俺が狂戦士の体に堕ちたのだ、ならばセイバーは俺の生涯をかけて敬ったあの騎士王の御方しかいないと思って来てみれば……貴様、どこの何者だ」
 バーサーカーは不機嫌そうに虚空から剣を掴み出した。セイバーは困ったように首をかしげる。
「俺に言われてもなあ……大体、真名を名乗ったらダメっていうのがこの戦争のルールじゃないか」
「笑止!」
 バーサーカーが剣の切っ先をセイバーに向けた。
「だが俺は敢えて騎士として、騎士の誇りを懸けて貴様に名乗りを上げる。心して聞け、異邦の王」
 セイバーは何か言おうとしたが、バーサーカーの目を見ると唇を結んで、剣を握りなおす。
 狂戦士は吼えた。

「我こそは、イングランド王にして十字軍の英傑、リチャード一世である! セイバー、貴様が真に騎士の王だというなら―――俺に応えてみせよ!」

「―――その口上、我が剣にかけて賜った。私の最大の一撃を以て、その高潔に応えよう、騎士王リチャード――――!」

 馬よりも速く鋭い剣を携えて突進してくるバーサーカーに、セイバーは赤い刃の剣を固く握りしめた。その瞬間、刃からルビーのように透き通った炎が噴きあがる。
 赤い炎はそのまま膨れ上がり、バーサーカーに向かって一直線に振り下ろされる火柱となって燃え上がった。
「――――受けよ、『不滅の―――――!」
 




 その叫びは、セイバーが放った一撃による轟音にかき消されながらも、確かに神父の耳に届いた。
「なん、だって……そんなはずは」
 思わず口からこぼれ出た嘆息も、教会全体に燃え広がっていく火で焦がされていく。今はそれどころではない。アルパは慌てて立ち上がり、炎の中で呆然と天井を見上げている楓の腕をつかんで教会の外へと逃げ出そうとした。
「楓、ここにいては危ない、火が……」
「……アルパ神父、天井が……」
 楓が呆然と見上げる天井を見やると、今までそこにあった古風ながらもしっかりとした造りの天井は、セイバーの一撃で無残にも二つに引きちぎれるように割れていた。その穴から見える冬の冴えきった星空を眺めて、監督役は深くため息をつく。
「これはまた派手にやってくれたものだ……ああ、修繕費いくらになるんだ、これ」
 神父の悲嘆も知らず、平穏な町の片隅の小さな教会は勢いよく燃え盛る炎に包まれて、また崩れていく。


「アレで最大の一撃だと? 笑わせるな!」
 一方、焼け落ちていく教会の瓦礫の上でバーサーカーはセイバーに向かってまくし立てていた。
「貴様、半分以下も力を出していないだろう! それで騎士の礼節に応えたつもりか? まず魔力の効率が悪い! 対城宝具でこの教会を焼け落とすのが精一杯とは、どんな魔力の使い方をしたらそうなるんだ!」
 セイバーは剣を地面に刺し、怒鳴り散らすバーサーカーにげんなりとした顔で答えた。
「ああなんか生前の嫌な記憶が蘇る。お前みたいな師匠いたなー、嫌だなーなんで英霊になってまで怒られなきゃいけないんだ」
「大体俺が真名を名乗ったのに貴様はおいそれと、宝具だけ適当にひけらかして仕舞いか? そんなことは―――」
 バーサーカーはそこでふと口籠った。それから突然人が変わったように表情を消し、セイバーに背を向ける。
「おい、バーサーカー?」
 セイバーが呼びかけると、バーサーカーは一切の感情を取り払った声で冷たく言い放った。
「……邪魔が入った。マスターが『帰ってこい』だと」
 セイバーは眉をひそめる。
「マスターのことは……嫌いなのか?」
「嫌い? そんな感情すら抱いたこともないな」
 バーサーカーは先ほどまでの苛烈な言動は露ほども見せず、ただ淡々と答えた。
「目的が同じで、俺の好きにさせると言ったから従っている。だから『帰ってこい』という命令をされる筋合いはない。しかし令呪を使われなどすれば、それこそ無駄が過ぎる―――今夜はここまでだ、異邦の騎士」
 炎に包まれていく教会の中へ消えていくように、バーサーカーの姿が解けていく。
「次に会った時は貴様の真名を吐かせる。覚えていろ」
 セイバーは胸に手を当ててバーサーカーのエメラルドの目を見た。

「ああ。その時は、私の騎士と王の名誉にかけて。――――必ず」

Fate/Last sin -03

to be continued.

Fate/Last sin -03

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-25

Derivative work
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