爺の戦争 ~彼から見た二度の大戦~

1939-45、欧州を中心に世界で再び起こった覇権争い。通称第二次世界大戦というが、長きにわたる二度の大戦の後、世界は大きく3つに分裂した。米、日、EUという三大国、旧ソ連現在のロシアと中国、ESA(東南アジア)で構成される社会主義陣営、そして我が国独と英国、そしてその実質的支配下に置かれている印との間で結ばれた三国同盟である。

戦後わが国は結果として勝利を収め、かのヒトラー総統亡き後もナチスが政権を掌握しこうして三国同盟の同盟国として名を連ねている。街にはナチス親衛隊の詰め所が各一つずつ存在し治安を取り締まる警察官とはまた別に政治犯や政府に反する思想家を取り締まっている。
我が国、ドイツ第三帝国は目下破竹の勢いだ。ポーランド、バルト三国と東へ東へと勢力を拡大し、我が軍を止めようとスターリン率いるソ連を押し返している。更に南にも戦線を拡大し、ハンガリー、ルーマニアと領土を拡大していく。
負けなどありえない。総統閣下の目指されていた欧州統一ももう夢物語ではないのだ。
私はそんな誇り高き帝国の兵である。国に忠誠を誓い、国家の為総統の為にこの血の一滴まで捧ぐ決心をした兵である。実家の母も自慢の息子だと泣いて喜んでいた。そんな私は今日、戦線へ出征する。行先は新天地ブルガリアである。
召集令状を初めて見た時、私はこれまで生きてきたなかで一番胸が躍った。やっと、やっと戦場で華々しく活躍できる。お国の為に血を流すことができるのは非常に嬉しく誇らしい。肩にかかる旧式のKar98kの重さなんて気にならない。

朝方早く、首都ベルリンに集められた兵士らは貨物列車にぎちぎちに押し込まれ東方に送られる。ウィーン、ブタペストを経由し長くのどかな田園風景と地平線が続くこと半日以上、日が傾いたころやっとセルビアのターミナルであるペオグラード中央駅に到着した。押し合いへし合いしながら列車を降りると、兵士たちの熱い吐息に混ざって東欧らしい湿った風が頬を撫でる。どうやらここで乗り換えてそれぞれの前線へ送られるらしい。ホームには鍵十字のエンブレムがついた特等列車が行先別にわかれて入線していた。私は軍服の内ポケットから切符を取り出す。行き先はここからさらに東へ200km程度離れたディミトロフグラートという小さな街である。
私は再び列車に乗り込んだ。今度は押し込まれるわけではなく、4人掛けのボックス席である。元々は観光列車かなにかなのだろう。豪奢な飾りは全て取り外され代わりにハーゲン・クロイツがかかげられ、壁紙も赤と黒に変えられている。
「隣、よいかの」
ふとかけられるしわがれ声。見上げると一人の老人が笑みを浮かべていた。彼は返事を待つことなく隣に腰かける。
「……懐かしい香りだ。儂は前もこの香りを嗅いだことがある」
彼はふと溜息をつくが如く吐き出した。
「お若いの。儂はな、大きな戦争を二度経験している。最初の出兵は1915年の対仏東部戦線、二度目は終戦末期1944年のスターリングラード。両方とも生きながらにして地獄じゃった……」
彼は目を瞑ると静かに語りだす。
「初めて出征した東部戦線の状況は酷いものでな。フランス特有の長雨に悩まされ、壕のなかは泥でまみれておった。加えて心身共に大きなけがや大病を負った兵士がゴロゴロ転がっておっての。顔が半分ない者、手足を吹き飛ばされてしまった者、そして銃も握れずかといって特攻することもできず死を待つことしかできない者。おびただしい数の傷痍兵がおった。生き残っている兵士の間では、ヘロインを打つことが流行っておったの。いつ終わるかわからぬ恐怖、明日もしかすると自分が殺される番かもしれない恐怖から逃れる為じゃった。弱冠19だった儂もその恐怖から手を出したものだ。」
彼はうっすらと両目を開く。青い瞳に涙を浮かべて遠くを見つめるその姿は憂いを帯びていた。
「二度目の出征はソビエトの都市、スターリングラードじゃった。その年はいつにもまして極寒での、おまけに吹雪ときたもので視界は勿論のこと手足が凍傷になって動けなくなる者も続出した。儂はその時に大事な友人をなくしたのじゃ。」
溢れてくるその涙を、彼は火薬と血が深く刻まれた両手で掬う。しかし止まるどころかそれは更に溢れてくる。
「まだ覚えている。魂のない抜け殻になった彼の身体の軽いこと。儂はその亡骸を抱いてこれまでに泣いたことがないくらい涙を流した。もう二度と戦争へは行かない。我が国は敗北した。そう思っていたのじゃがな……」
彼は震え声でそう語る。列車はまもなくディミトロフグラートに到着するらしい。どこからか火薬と血の匂いが香る。
「もう死にゆく爺の昔話を黙って聞いてくれてありがとうよ。さて……」
その老兵はライフルを背負い、立ち上がる。その目には何か強い意志のようなものを感じ、私は彼を呼び止める。
「儂はの、戦争は大嫌いじゃ。だからこれで終止符を打ってお前さんのような若者を儂のように辛い思いさせるわけにはいかぬ。儂はその為に戦う」
彼はすたすたと列車から降りて行った。私は急いで荷物をまとめ列車を降りたが、彼を見つけることはできなかった。

彼がどうなったか、それを知る者は誰もいない。

爺の戦争 ~彼から見た二度の大戦~

伊月 煌 さんの著作、「茉莉花~jasmine~」の世界観をお借りしました。(原作はこちら: https://s.maho.jp/book/7fdb43a9ebc3dc74/6960586015/)

爺の戦争 ~彼から見た二度の大戦~

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-24

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted